これです!ありがとう、ずっと気になってたやつです。
そんな事、どこの国で言われてんだよ、、、。
パートナーが浮気するのは、自分との関係に問題が生じている状態なのだから、自分にも責任はあると俺は思う。
それを受け入れるのは難しいが、相手を過剰に責めることなく、お互いの関係性の見直しをしっかりやるべきだろう。
しかし、浮気相手は他人の物に手をつける泥棒なのだから、毅然とした態度罰するべきだろう。
パートナーに怒りをぶつけるのは、身内なんだから感情をそのままぶつけてもいいという甘えだし、
浮気相手を怒れないのは、不正な行為をされても相手に毅然とした態度を取れない腰抜け。
結局のところ、浮気相手を責めず、パートナーを責める人は、ヘタレなんだと思うわ。
俺童貞だけど。
ぶっちゃけオープンは二次も一次も作品に興味なんてない気がする
我慢してた時代を知ってる奴は我慢する空気だから我慢してただけ
まともな人なら~という言葉は
こんな物が引っかかる検索や遭遇する場にいる時点で普通でもまともでもない~
という武器がガードしてくれる
でもさすがに5回も6回もは押さないべ?
俺のお気に入りとお気に入られは、誰も「私の洗濯機!」をブクマしない。
そんなにほのぼのしたくないのか。
なぜ「女子高生の体からにじみ出る、匂いかぎたかった」にはそんなに食いつくのか。
おかしい。
増田には老婆もいるんだ へーすげー
教師をしている。これまで毎年、授業かなんかで、
「僕はまだガラケー使ってるけれども、、」という話をしてきた。
それが、今年になって初めて、学生の反応が「へぇ〜」から「プププ」に変わったので、
理系女子大生なり理系女性社会人が、女子高生に「あなたはあなたのままで、理系を選択して良いんだよ。あなたのそのファッションや休日の過ごし方の趣味のままで工学部/理学部/薬学部etcに来ていいんだよ、気にしないでね」って言うためのものであって、男性が理系の女性に「いわゆるリケジョってやつですね。女性らしい目線や、趣味や、仕草で、理系の男社会にやっていくんでしょ?」ってレッテルを貼るものではない。
べき。
パートナーが浮気した時には浮気したパートナーを責めるべきであり、浮気相手を責めるのは間違っている
……とよく言われるけれど、この理屈がどうしても理解できない。
(『女は夫ではなく夫の浮気相手を責めるが男は浮気した妻を責める』という論法で、さも女は愚かで男が正しいみたいな女叩きに使われる論法だから更に)
だってパートナーの事は愛してるんだから浮気したって責めきれないのは、憎む気になれないのは、当たり前じゃないの
私なら恋人が浮気したら彼にも怒りは覚えるだろうが憎むのはあくまで浮気相手の方だよ、それが自然だと思うよ
ていうか欧米かつ男性でも、妻の不倫相手を打ち殺したって事例もあったような…
「海外では」「男は」浮気相手を責めず浮気した相手だけを責めるのが常識だ、皆そうだ、って論は本当に正しいのか?
浮気したらパートナーを責めるのが正しく浮気相手を責めるのは間違ってるっていうのが、あたかも絶対の真理のように語られているのが理解出来ない。
かっこよくはないです普通です。
友人知人から自分を良く見られたいのと物事をポジティブに心の底から楽しみたいと思ってます。
かっこよくないけど雰囲気と服装は自分に似合うようにそれなりに洗練してるつもり。
人の汚い部分を見ると、苦しくなります。
と同時に、自分を振り返って、こうはならないようにしようと思うわけです。
そんな普通の人です。
極論すると、憲法っていうのは国の存続よりも上位にある。
「国=王様と王族とごく一部の特権階級」だった時代に、「国(国民)は王様の私物じゃねぇぞ#」っていうことで王様の好き勝手にさせないために考えられたものなので、「国が滅びようが支配者にどれだけ不利益があろうが決まり事は守れ。神様との約束だろ」っていうのが、そもそも欧米で近代になって「憲法」なるものが考えられた理由だから。
日本は「国民主権」、要は権力を持ってる者(国の支配者)=国民 なので(少なくとも建前上は)、憲法が縛る対象、憲法が制限する対象は、結局は国民そのものになる。
「権力者に好き勝手にさせないための縛り」なのだから、それで縛られるのは国民そのものだ。
当然ながらそんな縛りを「受け入れたい」と思う権力者などいないだろう。
国民主権の時代の国民の気分に合致してないのはそういう理由なのでどうにもならない。
欧米型の近代法治主義国家なんかやめてやる、と国民的合意ができれば別だが。
個人的には、少なくとも日本には「憲法」は必要ないのだと思う。
少なくとも日本で「少数派」に入ってない(あるいは、入ってるとは思ってない)人には多分必要ない。
一応、問いに答えておくと
・憲法は国民主権らしいけど、憲法あっての国民ですか?憲法>国民ですか?
その通り。
そういうもののためにあるものではないので、その問いは無意味。
一応、現行の憲法解釈だと自衛権は否定されてないから、他国にミサイルで攻撃された時に迎撃や反撃することはできる、ということにはなっている。
俺の心の中は何で埋まっているか。性欲もないし,殺意と憎悪しかない。
愛情とかもない。特に昔やっていたものがないことなどについて。
それはなんでそうなったかというと最大限を尽くしても結局は癌が
暴力で壊してくるのが日本のリアルだからで,最終的には殺意を持って
人間じゃん?みんな、一応。
人間と犬ねこの関係だったら、なんとなくわかる。彼ら(犬ねこ)にはっきり聞いたわけじゃないけど。
人間は犬ねこに視覚的なかわいらしさや、感覚的快楽(もっふもふ)、相互的な信頼関係を求める(主に対犬関係において)。
人間と動物の関係はあるていどわかりやすいよね。ムツゴロウレベルでなくて、日常的な意味では。
「自分に危害を及ぼす、あるいは及ぼしそうな人間」。これは嫌いだ。避ける。生物である人間として、正しいと思う。
好きになったらダメ、死に至る危険性があるような存在を好きになることが人間にはまま起こるよね。
人間は視覚的にも好みでなくても、触覚的には触れたことさえない段階で、信頼関係もなにもない時点で人間同士で恋に落ちることがあるじゃない?
あれってなんなんだろか。
犬ねこでさえ自分に得のある関係だけを大事にしようとするのに、人間はなんのメリットもない人間に心底惚れて堕ちたりするでしょ。
僕はね、ほんとにね、犬ねこ、サイでもキリンでもマングースでも蛇でもいいや。ミジンコもおけらもいい。
生きてること自体が苦しい。
アメーバは生きてるって実感せずに生きていられるのだろうか。
それもやってみなきゃわからない。
この手の「臓器移植費用のためにお金ください」運動を見る度に、その臓器はどこから来たのかということが気になる。
実際表沙汰になっていないだけで、生活費のために臓器を売られポイされている第三世界の子供たちも多い気がするんだよな。
そういうのを考えると、こういう「臓器移植のためにお金ください」とのたまう人たちにお金は絶対に渡してはいけないなって考えてしまう。
臓器移植系以外だったら別だけど。