はてなキーワード: POPTEENとは
地元の同級生のインスタを見ていたらフォローの中に初恋の女の子がいた。
鍵もかかっていなかったので気になってのぞいてみると、よほど稼ぎのいい男を捕まえたのか、ずいぶん派手な生活を送っているようだ。
1人あたりゆうに1万円を超えるようなレストランにたびたび行っていたり、1泊10万円するようなリゾートコテージに泊まったりしているらしい。記念日らしき日の投稿にはレストランのテーブルの上にエルメスやルイヴィトンのショッパーが並んでいた。
彼氏か夫らしき男は左ハンドルの車に乗っていた。サングラスで顔ははっきりわからないが、シュッとして体格もよく、いかにもガツガツしてそうな男だ。
現実問題として、彼女と特別に仲がよかったわけではないし、いい雰囲気になったりしたことがあるわけではない。
小学生の時にたまたま隣の席になってちょっと話が弾んで、かわいいなと思っていたくらいだったし、学年が上がって別のクラスになってしまうと接点なんてほとんどなかった。
中学に上がっても憧れてはいたが、一度も同じクラスにはならなかったし、部活や委員会などでも接点はなかった。なにより彼女はいわゆるギャルっぽくなっていった。Popteenとか、そういった文脈に生きていた。
彼女は地元の高校に進み、僕は都会の高校に進んだ。地元は近隣の地域を含めてもせいぜい数万人しかいないような田舎で、人間関係はだいたい持ち上がりだ。僕は都会の高校に進むために家を出てしまったので、そうした人間関係からはほとんど弾き出されてしまった。
次に彼女の噂を聞いたのは大学生になってからだった。僕は東京の大学に通っていて、正月の帰省で地元の友人数人で遊んでいたときに、友人の1人から彼女の話が出た。高校時代に彼女と付き合っていて、初体験の相手だったらしい。彼女は地方都市で専門学校に通っているらしいという話だった。
その友人は僕の初恋なんてたぶん知らなかっただろうし、なんとなくその場の話の流れで過去の恋愛やセックスについて話しただけだったんだろうと思う。それでも僕は妙にむしゃくしゃして、表には出さないようにしていたが内心では落ち着かない気持ちになっていた。
成人式で帰省した時にも彼女のことを見かけたが、やはり派手目なグループの中にいて話すようなことはなかった。
たまにFacebookの「知り合いかも」に彼女が表示されることはあったが、申請を送ることはなかった。投稿は公開範囲を友達だけにしてようだったし、いくつか表示された写真も数年前のものだった。
そんな感じで中学を出てから十数年間、たまに思い出す苦い初恋の思い出という感じで過ごしてきた。たまに会った地元の友達から、専門学校時代を過ごした地方都市で暮らしてるらしいと風の噂に聞くくらいだった。
そんなふうに思って遠い話にしていたなかで彼女のインスタを見つけてしまった。
僕はそのまま東京で就職して、それなりにお金をもらえる仕事に就いたが、それでも1人1万円を超えるようなレストランにはまず行けないし、1泊10万円するようなホテルにも泊まれない。エルメスやルイヴィトンのバッグも買えないだろう。
少し見栄を張って言うと、そうしたレストランやホテルに行けないことはないし、ブランドもののバッグを買えないこともないと思う。ただ、それを常にはできないだろうな、と思うのだ。
恥ずかしい話、田舎から都会に出てそれなりに身を立てた自分と地方都市で気ままに暮らしているであろう初恋の相手と、アリとキリギリス的な単純な対比に落とし込むことでうまくいかなかった初恋を消化していたところがあった。そうしたところを彼女のインスタにあっさり突き崩されてしまったのだ。
彼女は今でも美人だと思うが、もはや僕と彼女の人生は交わらないだろう。
勝手に憧れていた女の子が、全然別の世界で、全く手の届かない相手になったんだなと改めて認識して、勝手に悲しいような泣きたいような、よくわからない気持ちになっている。彼女にしてみればいい迷惑だと思うが、この気持ちの墓標として増田に吐き出した。情緒が落ち着かない。
「小学校のときに安室ブームが始まったんですよ。中学では『egg』に憧れた。地元の横浜はヤンキー色が強かったけど、
渋谷経由で高校に通うことになって憧れのギャルデビュー。負けず嫌いが高じて、どんどん派手になりましたね」
「ちょうどそのころ、友達と何人かでセンター街で暮らしていたんです。正確にいうと、宮下公園で寝て、
起きたらセンター街に行って(日焼けサロンで肌を)焼く、みたいな」
1か月半の間、友達とローテーションを組んで見張りを立て、公園で野宿。ホームレスの男性からおでんを分けてもらったことも。
「完全に無収入だけど、肌は焼きたいから日サロのチラシを100枚配って20分焼かせてもらう。
お風呂がわりに公園の蛇口で陰部とワキを洗う。ガッツリ生活してましたね(笑)」
そんな集団がテレビ業界の目にとまり、街頭インタビューにたびたび登場。ギャラとして渡されたハンバーガーを仲間と食べた。
が、ある日、「帰るか!」と突然の解散。自宅に帰ると、ヤマンバ度が増したあぢゃに気づかぬ祖母が「ハロー」と挨拶してきたという。