はてなキーワード: 跋扈とは
TVゲームが跳梁跋扈する昨今、みなさんいかがお過ごしですか。最近3DSが発売されたそうですね。
wi-fi環境があろうと、基本的に個人が向き合っている。相手は別に機械だってわからないから機械でもいいんですが、あくまでも対人を主張する。
先日、友人が遊びに誘い、まあ仕事も忙しいけど息抜きも必要だなと思い、家に向かったわけです。
で、家についてまあ世間話でもする。コーヒー飲む。おいしいですね。よくあることかと。
話が一段落したところで、「実は最近またゲーム買ったんだよ」と友人。
「へえ。」と私。興味ないからそれぐらいしか打つ相槌もないんですがね。また、というのも知らないし。
で、まあ結構な数のハードとソフトがずらりと。ファミコンなら私もやったことはありますが、それ以降はやらなかった。
友人、私がゲームをすることに合意をしたかのようにはしゃいでるので、仕方なくいっしょにすることに。
当然ですが、友人ゲームが上手いです。私は殆ど勝てなかった。腕前はすごいと思う。
だけど、なんというか、「まだTVゲーム?」という感覚が抜けない。
他の友人もゲームはしますが、さすがに彼ほどではない。ある人は楽器吹いたり、ある人は本や映画を見たり、ある人はジムで汗を流したり、またある人は一眼レフ片手に外へ。
いろんな趣味があっていいのですが、なぜかTVゲームに対してだけは偏見を持っているし、自覚している。
たぶんそれは子供の頃からのおもちゃという感覚に囚われているからだと思うのだが、間違っているとも思わない。
友人は「やってりゃうまくなるよ」という。そりゃあだいたいはそうだろう。
うーん。
幼稚だなあ。
実は全く出来ていない、というのが明白なのですが・・・。
議論を挑んでるつもりなら
という風に書けなければいけないし、
議論が出来る人間ならば必ずそのように書く。
君の文は
「罵倒」
「おまえは出来てない!」
しかなくて
肝心の
「どう出来てないか」
が無いから
こんなもんは馬鹿でもチョンでも顔真っ赤な小学生でも書けるゴミであって
馬鹿やチョンや小学生はどんなに腹を立てて「反撃してやる!」と思ってもそういう中味の無い文しか書けないわけ。
俺の文も罵倒だらけだけど
お前について「どのようになっていないか」はきちんと指摘して説明してやってるだろ?
この違いよ。
ていうか本質的に情報技術がそういうしょうもない系の金儲けと相性良いんだと思う。
まぁビジネスなんてほとんどがしょうもないもんしかないんだけどさ。
implementationが本分であって、何を作るかのアイデア部分は情報技術とはちょっと違うものだよね。
アイデアがどんなに低劣だとしても低劣な愚民から金を巻き上げられる以上それをやろうとするビジネス屋はたくさんいる。
情報技術自体はアイデアがどんなに下らなくても必要とされるし、とにかく金儲けがしたいビジネス屋からすれば
むしろ低劣なアイデアの方が簡単だし確実に儲かるわけで、結果的にそういうアイデアが大勢を占めるようになる。
「技術者の誇り」みたいなことを言い出すのであれば、「俺たちはそんな下らないビジネスには技術を提供しない」となるべきだが
実際はそんな殊勝な奴はほとんどいないし、多くの技術者の言う「誇り」はimplementationの世界で閉じたもの。
うむ。
かくして「強者が弱者も巻き込んで双方が住める世界へのカクメイ」は為されず、「強者だけが生き残り、適応できない弱者は残念だけど死んでね」的言説が跋扈するわけですな。
あれ、もうなってる?
http://gaishishukatsu.com/archives/10620
http://b.hatena.ne.jp/entry/gaishishukatsu.com/archives/10620
「だから学生は嫌われる20の理由」から学ぶ社会人との付き合い方 | 外資就活ドットコム - トップ就活生に向けた就活情報提供サイト
いや、すんごい難しいよ。
「差別主義を否定する人」は、「差別主義を肯定する人」をそこから排除できない。排除したら「差別」になるので論理が破綻してしまう。しかし「差別主義を否定する人」を差別する人は、差別自体を肯定しているから論理は破綻しない。
コミュニティを平穏に維持するためには、ルールを守らない者へのペナルティは不可欠だけれど、そのペナルティを「差別」だとがなる人や、「ルールを守らない者を受け入れ、乗り越えなければならない」と勘違いしてる人が跋扈してしまい、結果的にコミュニティ自体が瓦解するというケースは結構ある。
たとえば一昨年だったか、不法入国したフィリピン人夫婦が強制送還されるって時に、「不法入国者なんだから本国へ追い返すのは当然じゃないか」という主張に「人種差別主義者め!」というレッテルを貼りまくってる人が大勢出現した。全国紙にすらそんな論説が載った事もあった。「じゃあ不法入国者はそのまま黙認しろというのか!」とヒートアップして、結果的に正規に入国者してきたフィリピン人までもがこの国で肩身の狭い思いを強いられる結果になってしまった。
そんなクズみたいな益田たちのことはもう忘れろよ。ハチにも刺されたと思ってさ。
あいつらは本来益田にいちゃいけない奴らだったんだよ。だってあの当時からもうちょっとなんか浮いてたじゃん。
みんなブレザーなのにあいつらだけキャビン・アテンダント顔負けのタイトな着こなし、みんなロールパン食べてるときあいつらだけおかゆ、みんながガンダム見てるときあいつらだけ(太陽の牙)ダグラム見ててさ、、、。見てるこっちが恥ずかしかったよ。
でももうあんな奴らは益田にはいない。今頃増田にでも帰って朝から晩までポテロングでも食べてるよ。くっだらねえやつらだな。
で、あの戦いのあと本来の状態に戻った益田には天使、悪魔、バスの運転手、NC旋盤工、ラテンアメリカ人、杉田玄白などが跳梁跋扈する楽しい世界になってるんだよ!
いやいや。核戦争の例えを出したからといって、そこだけ切り取らないでくれ。
あなたの言う「現実」がそもそも現実にならないように、労働拘束時間は1日最大13時間等の規制がしっかりしているヨーロッパなんかの現実は、あなたが「ありえない」という「現実」なんだよ。要するに、ブラック企業を極力少なくするために法がきっちり機能する、少なくとも機能させようとしている現実なんですよ。
それを踏まえて考えると、ブラック企業が極力少ない現実と、ブラック企業が跋扈する現実と、どっちを選ぶ言った時に、あなたの物言いだと「ブラック企業がでかいツラしてのし回る」現実を選ぶだろう。つまり、これは現実の問題じゃなくて、選択の問題なんだから、現実をたてにしてブラックを正当化しようとするあなたの物言い自体が、作為的に現実を創りだそうとする「現実を無視した物言い」なんだよ。
間引くっつーか、出産したと役所に申請しないまま人手に渡してしまうっつーか。人手に渡った女児がどうなるかまでは分からん。
噂に寄れば、人身売買業者みたいなのが跋扈していて、養子を欲しがる欧米の夫婦に「高値」で卸したりしてるらしい。
まあこれも実質「間引く」と同じだけど。
ただあの国は人権意識とかが滅茶苦茶でさらに(一人っ子政策の影響で)長男以外は不要みたいな空気も蔓延しているようで、次男三男も、間引きはしない(単純な労働力として必要)だけれど登録はせず、公的には「存在しない(行政が把握できない)」まま成人するケースもあるらしい。
どうしてこの話題になると「何をやっても無駄だから抵抗はやめよう」なんて敗北主義者が跋扈するんだろう。もしかして規制推進派が匿名で煽ってんのか?
少なくとも推進側にそういう論調の人間一人も居ないでしょ。「条例で規制しても無駄だから規制なんてばかげた事はやめよう」なんて言う人ゼロでしょ。そういう戦略で条例改正目前までいけてるわけでしょ。それなら反対派、敗北主義的な論調は一切廃して「よしじゃあ今からお前ら全員俺たちの敵な!」とガチンコでぶつかるしかないでしょ。
つか、はてサとかサヨクとか似非リベラルとか今一体何やってんの?権力者が妄執に駆られて人民の権利を制限しようって一大事だろ?お得意のデモとか企画しないの?
返事ありがとう。
まさに「基礎を自分でしっかり」やれるような優秀なヤツに関して言えば、受験など定期テスト並の「程よいハードル」に過ぎないんだよね。ライフハッカーに優秀な人間なんていない、というのは、ホント同意。
ちょっと話を整理するけど、根岸氏・元増田、そしてオレの三者が(たぶん)共通に同意できるのは「丹念に基礎やるのは大事」って部分だと思う。これはオレも本当にそう思ってる。
で、それを踏まえて
と言ったわけで。
元増田は(b)受験ハッカーの跋扈する時代でも勝てる(a)基本型人間であり、ホントに優秀なんだと思う(お世辞でなく、受験システムへの認識の仕方を見ればそれが分かる)。でも今の日本の受験システムの勝者には「ハック型人間(受験ハックの購入ができなければ勝てなかった人間)」が多々混じっているのも事実だと思うんだ。オマケに、受験産業がますます受験ハック型になっていっている結果、ますます自分でモノを考えない受験ハッカーが増えているように感じる。そして、そのことに結構な人間が危機感を抱いてる。少なくとも、オレが少し前まで関わってた「現代の大学受験の最前線」あたりでは。
結局、根岸氏をトンデモ扱いしたり(現代の教育を取り巻く風景を無視して安易に昔の感覚で語ってるという意味で)、元増田に批判的な文章というのも、そういう危機感から生まれてくる声なんじゃないかとオレには思えるんだよ。単なる妬みや嫉みや自虐や見下しでなく。元増田にはその辺りへの配慮も欲しかったところだなあ、と。
まあ、そんなこといちいち配慮したらごくごく「無難」な文章になっちゃって、こんだけブクマがつく(愛される)記事にはならなかったかも、と考えると、非常に複雑なんだがw
そんなことをいえば「日本では女は虐げられている!ムキー!」なんてのも「合うか合わないか」の問題でしかないがな。
自分の周囲を見る限り、本当に「虐げられている女」なんて見たことないですから。
日本全国の六千万人の男を全部吟味したでもあるまいし「日本の男は」とか切り捨てられると本当に頭に来るよ。
国際結婚は勝手だが、理由として「自分がその相手が好きだから」以上のものを挙げる奴は信用できない。
国際結婚でなくたってそうだろ。「秋田美人とでないと結婚したくない(キリッ」とか「九州の女は従順だというから結婚したい(キリッ」なんてバカ男がいたらどれだけ叩かれると思ってるんだ。
それと同レベルのことを言ってるのがわからないバカ女は跋扈するに任されてるんだから本当に素晴らしく男性上位の世の中だよね。
さて、はてなに限らずネット上には、「良い英語の学習法」に関するエントリがたくさんあります。ここらで「悪い英語の学習法」をまとめてみようと思い立って書いてみました。
英語というのは、自分の脳と肉体を駆使した活動です。「英語が出来る」というのは、必要に応じた形で自分の脳と肉体を動かすことができる、ということです。どうやったらそれができるようになるのか?自分で動かしてみることを繰り返して練習するしかないんですね。例えば、「聞き流すだけで英語が上達する!」と謳う英語教材があります。あれは、「サッカーの試合を山ほど見流すだけでサッカーが自分でも上手にできるようになる」とか、「ゲームのプレイ動画を見流すだけで上手にプレイできるようになる」とか、「プロのミュージシャンのライブを見流すだけで楽器が演奏できるようになる」というぐらい荒唐無稽な話です。人間がアウトプットの反復練習無しに習熟できる技能なんてこの世にありません。
(2) アウトプットをチェックしない
じゃあ例えば音読してればアウトプットしたことになるか。毎日部屋で一人でただただ読んでいればいいのか。何もやらないよりは遥かにマシですが、効率のいい方法とはいえません。アウトプットにはフィードバックが必要です。果たしてそのアウトプットが本当に適切なものであったのかをチェックして、修正を繰り返すことが必要です。そうしないと実際に使い物になる技能は身につきません。例えばあるゲームを、無敵モードで毎日プレイしていたとして、上手になるでしょうか?目をつぶって同じボタンを連打しているだけで毎日同じ結果が出る作業をしていて、上達するなんてことがあるでしょうか?
(3) 身の丈に合わないインプットを選ぶ
サッカーの素人がワールドカップの試合を見たとします。「面白い!」「すごい!」という感想はあっても、サッカー技術に関して得られる情報は決して多くありません。それに対して、自分で実際にサッカーに取り組み、ある程度以上のレベルに達している人間は、同じ試合からずっと多くの情報を得ることができます。「今の体の使い方すげえ」「ああ、ああいうフェイントの仕方があるのか」「あの状況であそこを見てるなんて!」などなど。つまり、同じインプットであっても、そこから得られる情報は、学習者のレベルに応じて大きく変わると言うことです。あなたが何らかの英語教材を使っていて、「ああ、これはこういう風に表現すればいいのか」という風に、自分の英語の糧となるような情報を見いだせないのであれば、その教材はあなたの身の丈に合っていません。
(4) 普段できないことをやろうとする
例えば「ペーパーバックを手当たり次第に読みなさい」という人がいます。実際にやってみる前に、自分にそれができるのか良く考えてみて下さい。例えば、日本語の新書を手当たり次第に読みなさい、と言われて、それをどれだけ続けられるでしょうか。実はそれが出来るのは、知的好奇心に溢れていて、なおかつ有象無象の中から自分にとって面白いものを見つけられる嗅覚を持つ人だけなんです。普通の人が手当たり次第に本を選ぶと、ほぼ確実に「面白くない」ものに当たります。面白くないものを努力で面白くすることは絶対にできません。そして面白くない学習が長続きすることもありません。
(5) 特別な才能のある人を真似しようとする
大人になってからの外国語学習は、楽器の演奏と似た部分があって、「才能の差」が確実に存在します。沢山の外国語を苦もなく習得できる人もいれば、その何倍もの時間をかけなければならない人もいます。そして後者の方が圧倒的に数が多い。問題は、後者が一握りの天才と同じやり方で学習しようとすることです。この背後には、往々にして「楽をしたい」という心理が隠れています。あの人はあんなに楽々英語が出来るようになってる、じゃあ私もこんな面倒くさいことしなくていいんだ。残念ながら、殆どの場合「私」には特別な才能はなく、天才と同じような上達もありません。
上記は全くもって「当たり前」なことなはずです。しかし私が見る限り、英語学習に関しては、この当たり前を置き去りにした迷信が跳梁跋扈しています。有効なメタファーは「スポーツ」「(アクション系の)ゲーム」「楽器演奏」です。全てに共通するのは基礎を大事にすること、反復練習を行うこと、アウトプットのチェックを繰り返すこと、そして少しずつ上達していくことなのです。