はてなキーワード: 跋扈とは
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
確かに怠惰を奨励するような言説が世に跋扈していて、それに惑わされる若者がいることは認めよう。そういう人たちを批判すること自体は構わないと思う。しかし森毅をそこで非難するのは誤爆と言わざるを得ない。
そんなときに、森が著書の中で
「ええかげんでいいんや。大学では勉強なんてしなくていい。エリートは勝手に育つもんだ」
と主張していたのに、救われた気がした。
いったい森毅がどこでそんなことを言っていたのだろうか。
「こうあるべきだ、という型に囚われる必要はないし、『エリートたるものかくあるべき』という型に学生をはめるのも馬鹿らしい」
「人に言われたことやイデオロギーを何でもかんでも真に受けて生きるのは痛々しいし危ない」
というそれだけのことに尽きる。ただ、これらの命題は自家撞着と紙一重(「俺の言うことを聞くな」というのはパラドックスである)だから、あんな持って回ったような言い方になっている、それだけのことだ。
私はそれを当時理解できずに痛い学生生活を送ったからこそ、その言葉の正しさを今になって身に沁みて実感していると確信している。
私が大学生になるかならないかの頃には、「怠惰の奨励」とはちょうど逆の言説が流れていた。「分数ができない大学生」だの「東大生はバカになったか」だのその手の本だ。その手の本を読めば、
「日本の大学生は勉強しない、教養がない、東大生でも厳密な学問を理解できない、旧帝大生といえども外国の大学生に比べて圧倒的に劣っている」
というようなことばかりが書かれていた。
それを真に受けた私は、「教養」とやらを身につけ、「あるべき大学生の姿」に自分を近づけるために随分つまらないことをやってしまった。興味も何もないのに哲学書だの文学書だのを紐解いてみたり、あるいは勉強の過程において、興味の範囲をはるかに超えて厳密さのために厳密さを追究してみたり。全く無駄であったとは言わないが、著しく非効率だったことは間違いない。そんな衒学的な「教養」だの、必要最低限を越えた完璧主義的な「厳密さ」だの(ε-δ論法というレベルではなく、物理数学を勉強するためにまず数理論理学を勉強するような類、あるいは読み始めた本は最後まで一行たりとも漏らさず理解しなければ許さないとする類の)を、自分の興味から逸脱してまで追い求めても、苦痛なだけで身に付くことは乏しかった。今だから分かるが、私はもっと自分を信用して、自分の興味に忠実になるべきだったのだと思う。そうすれば、「教養」だの「厳密さ」だのは、必要になった時点でいくらでも身につけることができただろうからだ。「青春」をエンジョイすることを放棄して人よりも多くの勉強時間を使っていたのに、人より飛び抜けて優秀でもない自分に嫌気がさしつつ、どうしてよいか全然わからなかった。修士論文のための研究をやっていて最後の数ヶ月でようやく自分の過ちに気づいたとき、余りに自分が時間を無駄にしていたことに気づいて絶望的な気分になったものだった。
敢えて長く自分語りを続けてみたが、あなたと対極的な私の失敗談を読んであなたはどう思っただろうか。「お前の下らん失敗など知るか、そんなどうでもいい本を真に受けたお前が悪いんだろうが」。その通りである。私が馬鹿だったのである。人に馬鹿と言われたくないがために、「教養がない大学生」「学力低下の大学生」と言われたくないがために、自分を無意味にガチガチに縛ったために自分の学生生活を楽しくなくしてしまった私の単なる自爆である。しかし私の失敗とあなたの失敗の一体なにが違うのか。どこかで見聞きしたことから勝手に自分で組み上げてしまった自己規範に従った結果、自分の人生をスポイルしたという点で、あなたと私のやったことは全く同じだ。そして森毅が言っていたことの真意を全く読み取れていなかったのも全く同じだ。
「他山の石」という言葉をご存じと思う。私の自分語りが痛いと思われるならば、あなたの自分語りも同じぐらい痛いことを思い知るべきだ。そして人を恨むのではなく、逆に過度に自分を責めるのでもなく、ただ自分が失敗したという事実を受け入れるべきだ。運が悪かったのか、環境が悪かったのか、そういったことが原因であなたや私は正しい道が見えなかったのかもしれない。だが、そのことに不満を言っても誰も助けてくれないし、失われた時間は返ってこないのだ。ならばせめて、今後の時間を無駄にしないようにお互い努力しようではないか。
http://d.hatena.ne.jp/RRD/20100120/1263995841。
100122100122 2010/01/23 04:06 フォローしなけりゃ見えない分キモイ投稿を見る率が少ないのでそう感じるのだろうけれど、それなりの数の人間が使っていればハズレの割合なんてそう変わらないでしょ。
フォローしたり検索したりといった、自分で能動的に情報を取捨選択できるシステムの賜物であって、それをもって母集団を云々するのはどうなん?
あと、自分がネット内弁慶だということは認識しておいた方がいいかもね。
ドングリの背比べに見えて、説得力がだいぶ損なわれてます。
2010/01/23 11:27 この人はイチイチ口汚いタイトルつけてまでアクセス数が欲しいのかしら。
RRD 2010/01/23 22:29 だからさー、俺のタイムラインの話じゃなくて、ちょっとtwitterについて書くと、てめーらみたいなキモイのが湧いてくるからクソみたいなオタクが跋扈してるって書いてるんだよ。
反論できるだけの考察や知恵があるのならすればいいだけの話なのだが、どうもそれはできないらしい。しかし反論者にはむかつく、ということでそこまでなんの判断材料もないのに「クソみたいなオタク」などと言ってしまうわけだ。
RRDは、自分がちょっとtwitterについて書いたときに反論者が湧くように出てくるのはなぜか?ということが理解不能だ。なぜなら反論の正当性を自分の思考で判断できず、まともに反論もできないのに自分の正しさを盲信しているから。それで何の変哲もない意見の反論者を「キモイ」と思う。そしてさらに、「キモイ」やつはクソオタに違いない、クソオタが跋扈しているから反論者が沸いてくるのだ、と考えるわけだ。
「てめーらがいまここに書いてることこそが、俺の正しさとてめーらのキモさの証明だ」。反論を受けるのは俺が正しいから、反論を受けるのはお前らがキモイから…だそうだ。まったくもってRRDは馬鹿である。
http://anond.hatelabo.jp/20100112121543で示したように、ドシロウトが考えてさえ明らかにおかしい論理展開でアルコール依存者への偏見をばら撒いたRRDが、またおかしいことを言っている。
・twitterはクソみたいなオタクが跋扈してるけど、2ちょんねるに比べればはるかにマシ - NOW HERE(http://d.hatena.ne.jp/RRD/20100120/1263995841)
田村ゆかりがらみでtwitter民の醜態がまさに知られたタイミングでこういう文章をつらつら書けるあたりでもうおかしいが、大体こんなもの、中身の人間のレベルとテクニックこそが問題なのだ。そのうちtwitterで嘘や捻じ曲げも発生するだろう。コメント欄に見える
その人の今までの発言も見れるわけだし
という要素は確かに嘘拡散を抑制する有効な要素だが(もちろんRRDはこんなことを考えることはできない)、それも「twitter民はみなソースを検証する」という条件が成立するうえでの話である。はなから検証なしで自分がお気に入りの「主張」をペーストするやつが出ればそこでおしまいだ。
なんにしても「今は」まだマシだ、というなら新規サービスを立ち上げてみればいい。利用者が少なく、またその使われ方が追求されないうちはどんなサービスだって「マシ」なものになるだろう。
まともなことが言われているのかどうかは、偶然を除けば、ただ発言者の知性と慎重さにかかっている。自分は嘘を垂れ流し、自分が属する何かをよく言うためにその良さでなく「クソみたいな」だの「2ちょんねる」だのといった単語を交えて、あれよりマシさ、としか言えないような人間にそんな知性と慎重さはないだろう。
テストで赤点を取って、「でもうんこもらしのたなかくんよりはマシなてんすうだーい」と小学生が喚いているようなものだ。そろそろ、ものを考えるくらいはしたらどうか。
元増田です。
文章書いてて結局何が言いたかったの??と自問自答した結果をタイトルから一旦まとめ。(?)
【暴露】
●顔出しあるないにかかわらず、おこってしまってるニコ生の現状。
●ニコ生にしても、それ以外でもこういうネットで交流が持てるところってこういう事が跋扈している現状。
●お相手は今のところ非公開。ヒントはコミュ人数3ケタ後半の生主さん。
【懺悔】
●うざくてすみません。被害者面してすみません。めんどくさい女ですみません。
【愚痴】
●成人しての性行為は無理やりでない限りは、自己責任だよね。
●夏だからひと夏のアバンチュールを楽しむために、避妊方法おまえらしっかり確認しとけよ。
●ニコ生の女性生主へのリスナーのコメント酷いよね(関係ない)
多分こんなところだろうと思います。
たたかれようが、煽られようが、誰にも相談ができなかったのでここで吐き出せて少しすっきりしました。
真面目にこたえてアドバイスくれた方々本当にありがとうございます。
なんていうか、酒井法子の失踪に関してネットのダメなところがいつもにもまして爆発しているような気がする。
普段からこういうニュースに便乗して下らない輩が跋扈するようなことはまあ日常茶飯事なわけだけど、今回は特にひどいというか。
おそらく今回の事件、本当の意味で「真実を知っている」人は現時点で本当に限られているはずなんだ。
ごく近い親類や関係者だけはもう知っているかもしれないし、もしかしたら今も当の本人だけが知っている、考えたくないけどもう現時点では誰も知らない事になっているかもしれない。
本当にそれくらいのごく限られた人数しか、今の時点で知らないはずの情報を、さも知っているように語る人たちが多すぎる。
・Twitterやブログを介して本当は何も知らないのに、さもそれっぽい嘘情報を流す輩
・特定のイデオロギーのようなもののために、この騒ぎに乗じて「○○は△△関係者なのにマスゴミはそれを隠している」的な特定のどこかを貶めるために嘘陰謀論を語るタイプ
・そしてそれらをとりあえず逐一拾って人目を引くタイトルとスカスカな中身でとりあえずアクセスと小銭を稼ぐJ-CAST系のネットメディア
・mixiニュースやYahooニュースのコメント機能を介して本当は何も知らないのに自分の推理をもう当ってる確信を持っているかのように語るタイプ
・ただみんなに「すごーい、社会の裏に詳しいんですね」って言われたい、思われたいだけの知ったかタイプ
・特定のイデオロギーの(略)特定のどこかを貶めるために嘘陰謀論を語るタイプ
・女だから信用できない、女だから悪い事をしたに違いないという観点で「もう死んでるよ」「じっと社会の制裁に耐える矢田を見習え自分だけ逃げたメス豚」「薬が抜けるのを待っているに確定」とか語るミソジニータイプ
・そしてそれらの戯言群に何の価値もないと知りつつも、「ネット上では様々な反応が続出」という感じのまとめ記事でもういっちょアクセスと小銭を稼ぐJ-CASt系ネットメディア
あっちこっちでみんなが、この国民的二時間サスペンスドラマを、それこそ自分が「オバサン刑事」になったかのような観点で、無責任にそして大胆に楽しんでいる。
そして真実は消費されるだけでどこにも見つからないし、ふだんネット一人居士がよく言う「マスゴミは嘘をつく、ネットには真実がある」的ないい草は自ら否定することになっていく。
これもネットと言う文化の通過儀礼なのかしら。確かにあと何回か祭りが起きればみんなバカバカしくなって、今のような異様な盛り上がりはなくなりそうだけど。
▲バングラデシュの軍事・政治・経済の保護国はインドから中国へ移行していた
バングラディッシュにとって1971年独立戦争の折、力強い味方はインド、敵はパキスタンだった。バングラディッシュという国名は「ベンガル人の場所」という意味、旧名は「東パキスタン」。パキスタンはパシュトン人の場所、という意味だからベンガル人からみればとんでもない話だ。バングラディッシュにとって「敵の敵は味方」だからインド、その背後の米国もつよい味方の筈だった。
独立達成から四年間、中国はバングラディッシュを独立国とは認めなかった。そして三十八年の歳月が流れた。
パキスタンは中国と緊密な軍事同盟のままであり続けた。インドは中国との敵対関係を緩和し、経済交流を始めた。いまやインド商人が大挙して中国に買い付けに行っている。そしてバングラディッシュの首都ダッカには五万人規模のチャイナ・タウンが出来ている。バングラディッシュに進出した中国の繊維企業が百万人のバングラ女性をミシン工として雇用している。繊維製品のクォータ(数量制限)を回避するため、アパレル産業はつぎつぎと中国以外の国へ移転するためである。
さて問題は中国海軍力の突出である。ミャンマーの沖合ココ島に中国は軍事レーダー基地を租借し、インド海軍の監視所を設置した。同様にバングラディッシュの港に軍事観察基地を租借する思惑がある(ジェイムズ財団発行『チャイナ・ブリーフ』、09年7月22日号)
1975年に中国はバングラディッシュと国交を開いた。矢継ぎ早やの友好条約は経済関係の緊密化、ソフトローンの貸与、文化交流そして、軍事技術供与へと至る。同時期にバングラディッシュの新世代の間でマオイストが跳梁跋扈した。
北京は「あのマオイストは中国と関係がない」と言い続けた。ネパールに出現したマオイスト政権、それ以前から武器はバングラディッシュのマオイスト経由でネパールに流れ込んでいると観測されていた(実際に小生もダッカ大学で構内そこら中に毛沢東のポスターを目撃した)。
2006年、中国はバングラディッシュ軍に大量の武器を供与したが、そのなかには65の対空砲、地対空ミサイル114基。戦車T―69,T-79。さらに兵員用の機関銃。くわえて中国は2012年までに122ミリ砲、155ミリ砲も供与する。これらは「友好価格」にて中国から供与される。
中国海軍とバングラディッシュ海軍との合同演習も行われ、艦発射ミサイル、砲艦、ヘリ搭載駆逐艦などがベンガル湾に勢揃いした。チッタゴン港の港湾拡充工事を中国が引き受ける手はずとなった。
パキスタンのグアィダール港は深海、将来は中国の原潜、空母寄港も可能。スリランカのハンバントタ港もしかり。そしてチッタゴンも。
1977年からはバングラディッシュ空軍にジェット戦闘機も供与されはじめ、中国はF7,A5のほか、F-7BG16機を供与した。
インド軍高官は、バングラディッシュ国内に中国の観察基地が貸与されると、インドの北東部に位置する空軍基地(バグドグダ基地にミグ21。ハジマラ基地にミグ27,テズプール基地にはスホイ30が展開されている)が、レーダーによってたちまち中国軍に掌握される危険性があるという。かくなればベンガル湾からアンダマン海にかけては「チャイナ湾」となりうる。
軍事力ばかりではない。資源戦略と濃密にからむのが中国の軍事力拠点の拡大とシーレーンの拠点確保という動きに繋がる。西側が制裁しているミャンマーへ中国の異常接近は前から指摘されてきた。
ミャンマー沖合海底に眠るガス田開発はシノペックが応札し、また同海域はバングラディッシュの領海と重なる微妙な区域だけに、両国は中国の調整を望む。ガスのパイプラインはミャンマーから2806キロ。年間120億立方メートルのガスを雲南省昆明へ輸送する。2012年完成予定。石油パイプラインは1100キロ、日量40万バーレルを運ぶプロジェクトだ。昆明からミャンマーへのハイウエィ900キロ。これをバングラディッシュのチッタゴンへと繋ぐ。ここまでの動きを地政学的に俯瞰するなら、すでに南アジアは中国の軍事力影響圏に入っていることが分かる。
暫くはてな村というところを観察していて、
はてな村というところは、特に表通りはホッテリ(っていうんだっけ?)乞食が跋扈する世界だというのが分かってきた。
特定ユーザーがホッテリしやすい構造になっているはてなだけど、
ホッテリに入る一番簡単な方法は、ホッテリに入っている記事や人を叩くことだね。
そこらへんをよく分かっているアクセス稼ぎに熱心なアルファブロガーいう部類の人達(404の人とか)は叩きが大好きで、火の手が上がった所にはほぼ儀式であるかのように、必ずその火の光を浴びて注目を浴びるべく参加する。
近頃で言えばひがやすおとかいう人(http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20090619/1245401284)とか色んな人が梅田望夫さんに何度も粘着して
スーパーマリオのコインブロックのように何度も叩いてアクセス/はてブ稼ぎに励んでいる。
梅田さんは何度叩かれてもコインを吐き続ける、大変優秀なスーパーマリオのコインブロックだ。
はてブユーザーの行動もかなり単純で画一的で、ホテリ狙いの人達にはどこに餌を垂らせば良いのか読まれがち。
普段大したブクマが付かない自分も、この前もホテリ叩きをしたらそれだけで1日程度で100個OVERになりホテリ入りした。
はてなもそうした「叩き合い、足の引っ張り合い」を放置して炎(上)に引き寄せられるはてな民によるアクセス稼ぎでウマウマ状態を享受しようとしているのだから
叩き・叩かれでのトラフィックExchangeが成立し、止める者もいないままギスギスした雰囲気はますます進んでいく。
その結果、世間一般での役割分担として、やっぱ一般人はアメブロだよね、ということになるのだろう。
はてダにおいて叩き合いフリーダムな文化を維持し、はてブ・増田などで更にそんな文化を更に助長してきたはてな。
悲鳴を上げる人達には自己責任との流れで冷たく見捨て、支配下のはてなブックマーカーに更なる攻撃をさせ敵対者を沈めて村としての結束と繁栄を維持してきたはてな。
それは確かに一部では凄く盛り上がるけど、全体としては他に比べるとリーチがそれほどでも無いというサービスになってしまう結果に。
そこがはてなが一部の人を強く引きつける要因であり、またid:jkondoの望みとは裏腹にマスには届けないという限界の要因なんだろうな。
インターネットの世界では先行者メリットが大きいというけれども、ブログで先行していたはてなはそれでも後続に追い抜かれていったというのは、そういう事の積み上げの結果だろう。
自分ははてなという存在は、「ヲチ板2.0」(2chのネットウォッチ板ver2.0)という呼称が似合っていると思う。
アカウント持ちでも、実名でも、匿名でも相手を叩け、はてブにより全方位どのサイトでも叩く事が出来、またホテリにより集合知を活用した集団叩きも可能な、ヲチ板の進化系だ。
この村で暮らしているとこうなってしまうんです。
以下モチオ君談
「今の日本って犯罪だらけっすよね。何故そうなったか知ってますか?
割れ窓理論ですよ。
一つの割れた窓を放置しておくと、それが徐々に広がって、町全体の風紀が乱れ、荒廃していくんすよ。
あれと同じっす。
飲酒運転とか無差別殺人とか喫煙を注意した人にキレる連中いるじゃないすか?
ああいう人間を放置しておくから徐々に他の連中に広がって、気付いたら手がつけられないぐらい犯罪だらけの国になるんすよ。
そうなっちゃえばもう終わりっす。絶対修復不可能っす。絶望的っす。鎖国した方がマシっす。
そう思いませんか?
レイプするとか公然猥褻とかする連中が跋扈してるような国なんて鎖国した方がマシっすよ。
だからそうなる前に不良は潰さないと駄目なんすよ。
警察が毅然とした態度で潰さないと駄目。
「多民族国家」ってのはいろんな民族の人々が「日本国民」になる事が前提だが民主党の発想は全然違う。
「他の国の国民も日本の政治に参加してもらいましょう!何故って?日本は日本国民だけのものではないのですから!他の国の人達にも解放しましょう!」
民主党の方針はこれなんだよ。日本人になる必要すら無いと思ってるわけ。日本国民の損害や不幸を顧みない奴らが跋扈するという可能性を完全に無視してる。それをどんだけ指摘しても「友愛精神だから大丈夫!」の一点張り。話が全く通じない。世界中が善人ばかりだと思い込んでる(ただし自民党と官僚は除く)。
岡田も菅もこの点では同じ。だから自民党がどーたら以前に「民主党政権」は怖い。逆に言えば、この部分さえまともになれば投票してもいいかなって気にはなれるんだけどね。
何かよく分からないけれど、モテない男性が強烈に排斥された時代がどうもあったらしい。
彼らのルサンチマンたるやすさまじく、「モテない人生」を楽しく過ごす為の代理物を彼らの才気とリビドーの全てをつぎ込んで作った。時間とリソースならたくさん余っていたし。
結果としてそれは上手く行き、男性からするとモテなくてもそこそこ楽しく過ごせる楽園みたいな物ができてしまった。現在それに「頑張れば恋愛、配偶をなんとかできた層」までもが入り浸っていて、それに女性が怒っているのが、「草食系男子の跳梁跋扈」の一因なのではなかろうか。
本当に性欲から解脱出来た男性(真性の草食系男子?)や男性的な魅力を全く備えない男性が多数を占めるとは思いがたいのだが…。
大元の増田の記事には大いに共感したし、生の声がこうやって匿名で聞けるのありがたい。
これは郷土愛に憧れてるオレ?みたいなものかもしれない。
沖縄の人間はもう民族意識みたいな思考はなくなりつつあるし現実として旧琉球王国なる国は滅びてるんだし。
これは俺が婆さんから言われたことが、ずっと胸に突き刺さってるからだ。実感として。
婆さんはほとんど島から出たこともない島口しか話せない婆さんで、今だったら“中国の四川省奥地で発見された仙人”とかテレビに出てきそうなぐらい昔話の世界がぴったりの婆さんだった。
その婆さんにある時、ヤマトゥと毛唐には絶対近づくなよ悪い奴だからと吐き捨てるように何度も言い含められたことがあって、その時はちょうど叔母が米兵と結婚するとかの時で日本人も嫌いだと公言する完璧な攘夷婆さんだったから親類一同婆さんをなだめている時だったんだよな後から思うと。
小学生ぐらいの俺にはその剣幕がすごい印象に残ってんだよね。
婆さんからあいつらは悪い奴だ憎め、と繰り返し言われたらそりゃ子供には突き刺さるんだよ。
沖縄はもしかしたら朝鮮半島以上に日本からひどい目にあったかもしらんけど、俺の生活には関係ないこと。ただ事実としては知っておこうと思うだけ。
反日教育なんかするようなことがあったら島んちゅとして断固反対。
でもうちらの島は小さいからあんまないんだよねそういう教育やら運動。本島には左巻きが跋扈してるから追い出さんといかんと思うが。
まず先に断っておくと私は学会員ではないし、学会に何の興味も関心もない。
特に嫌いとかそういう感情もないけど、少なくとも私は私の人生において、関わって欲しくないとは思っている。
で、本題なんだけど。
タレントの北野誠氏が(恐らく)ラジオでの放言を契機にして干されかけているって問題が今起こってるじゃないですか。
そしてそれに対してその処分を下した松竹芸能も朝日放送も「どの発言が問題だったのかは言えない」と頑なに口を閉ざして、
当の北野氏も現状で予定されていたイベントやサイン会の類を全て取り消されて公の場に出ないようにされている、っていう。
で、その問題(どの発言が問題だったのかが公表されない、本人が出てこないの)をいいことにして、
mixiや2chで完全に「創価が消した」ってことにして喧伝してる連中が今ものすごい跋扈しているんですよ。
酷いやつになると問題のラジオでの発言とか言って完全に捏造した発言の文章をバラ撒いてる連中も居る。
で、それに対してmixiや2chで「これは酷い。みんなに知らせよう」と言ってバカがバカを呼んで、嘘ソースが拡散してものすごい事になっている。
でも、少なくとも北野氏のラジオのリスナーなら率直な話、恐らく今回の地雷になった部分(ラジオで言う『虎の尾』)はそんな所じゃないことは感づいているわけで。
別に創価の擁護をしたいとは思わないけど、こういう時に、それも一人の人間の一大事だと言うのに、
それを自分の憂さ晴らしのためだけに利用して平気で嘘をバラ撒いて(また、ロクに確かめもせずに騙されたフリをして一緒になって)、
それをネットこそ正義だとか偏向報道は許せないとかカルト宗教は許せないとか、お前ら本当に何者なんだよ、何様なんだよって思う。
だけどそれをどう表現して伝えればいいかわからない。ストレートにいってもせいぜい「学会員乙」「工作員乙」とか言われるだけだし。
言うほどひどくないと最近思う
なんて言うか、なんだかんだ言って比較的ITリテラシー高いから
あれでも品があるんじゃないかと思う。
うーん。
昔だったら「そりゃ上澄みと底にたまった濁りをくらべちゃ無理だろ」という事を言ったんだが最近はそうでもないんだよな……。
何というか2ちゃんねる周辺の人間て良くも悪くもマイノリティが多くて、たとえばマイナーな板なんて、マイナーなジャンル過ぎて2ch以外では成立しないと言う板もたくさんある。唯一比較的人がいる情報交流の場が2chってな感じで。そういう人がまったりしているところが多いような気がする。
そして、正直言って2chって新しい人が大きな潮流になるほど流入していないってかんじがする。高齢化と言う話もあるけど、強力な同化圧力……というとちょっと違うなぁ、強力な染色力(朱に交われば赤くなる的な意味で)があって、個性を残したまま、しかし一見して2chと言う巨大な一つの生物みたいに見せかけようとする力が働くんだけど、その交わる色が、昔はとげとげしい攻撃色(食うか食われるか)であったのに対して、今はだいぶ落ち着いてきたというか。個人が気軽に交流するための場所が、他にもたくさんできたからなぁ。そして、そこでもんでもまれて、いろいろなことを覚えるというか、スパルタ教育というか、長年にわたって積み重ねられてきた、日本で最初に出現した大規模コミュニティサイトが培ってきた経験をたたき込まれるという傾向はあると思う。なんだかんだ言って住人はツンデレが多いし。
これを「情報リテラシーが高い人が多い」と表現するなら、確かにその通りな気がする。これは自分がにちゃんねるの初期のころから知っているせいかもしれないが。イメージを抜きにすれば、昔に比べてにちゃんねらは丸くなったと思うよ。
……というか、むしろそこより怖い場所(Yahoo!掲示板に跋扈する誹謗中傷の荒らしとか、加減を知らないガキ共の携帯文化とか、モヒカンだらけで気を抜くとすぐに食い尽くされて炎上の燃料にされるはてなとか)が増えたから、相対的にそう見えるだけかも知れない。
うーん。上手くまとまらないなぁ。
ただ、
と言うのはちょっと違うと思う。ニコ厨は若いぞ。かなり。にちゃんねらはすでに古いメディアになりつつある掲示板というコミュニティよりも、blogや動画投稿サイト、SNSと言ったものがすでにあったか、そこの息吹を感じて育った人たちが多いような気がする。
確かににちゃんねる出身のコミュニティも多いだろうが、しかし日本のインターネットのサブカルチャーを担ってきたメディアって、多かれ少なかれにちゃんねるの影響を受けているものなので(にちゃん語とか言われるものも、今ではすっかりネットスラングとして認識されているものも多いよね)そういった範囲……よく言って「比較的関係が深い」というぐらいかなと思う。
横だけど戦前のことは「岩波講座 世界歴史19 移動と移民 水野直樹・他 1999年 岩波書店」に
「1930 年代後半、西日本で『密航』の取締りが厳しくなされ、毎年2000人から5000人ほどの密航者が摘発され(1939年は7400人)、大半が朝鮮に送還された。その多くはブローカーの斡旋で労働を目的に渡航した者であったが、なかには『内地人を仮称』して連絡船に乗り込んだたため摘発された者もいる。」
戦後のことは
朝日新聞 1955年8月18日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
65万人(警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった。全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという。
朝日新聞 1959年6月16日 (「世界」 2000年10月号 戦後日本「在日外国人」の虚像と実像 原尻英樹より)
密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。
韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。
「逃げ場は日本しかなかった。命がけの選択の結果が日本への密航だった。彼ら密航者たちは『潜水艦組』と称され、近年の中国からの不法入国船と同様の小舟や漁船で、着の身着のまま日本に辿りついている。『潜水艦組の1人』という50代のある男性は、日本人の『常識』とは逆のことを私に告げた。
『済州島(出身者)だけじゃなく、在日の半分以上は、密航で来たんだと思うんですよ』」
「在日韓国朝鮮人 -若者からみた意見と思いと考え-」 金容権・李宗良編 1985年 三一書房
「日帝時代の生活苦という鬼神が解放後なお跋扈し済州島の人間をして「金儲け(トンボリ)」するべく日本にかりたてている。たいがいは大阪市(とりわけ生野区)を中心に偏在する縁故を頼っての密入国だ。」
↑この辺に書いてあるみたいよ。図書館へゴー。
役所も企業も政治家も、「法律を守っている」という体裁さえ守れていれば無限に利益を追求する存在である事は昨今の報道から疑いようも無い。検察も行政機関の一部、即ち役所という分類の範疇だと考えるならば、今回のような「勇み足」が起こる事も十分に予測し得たはずだし、また立法側もそれを十二分に考慮しなければならない。
そこに派遣法の改正で派遣企業が跋扈したのと相似形の構造があるという点に着目すれば、検察の暴走が可能な法律を作った国会議員の責任も問われねばなるまい。
書評:川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店)
小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。
一般的に日本人のドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。
森鴎外が留学し、伊藤博文はプロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテ、トーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。
手塚富雄、高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫も第二外国語はドイツ語だった。
大学ではドイツ語を第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語へ語学ブームは移った。
日本の戦後政治は混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れず混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツの経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済は中国に抜かれるほどに疲弊した。米国、日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。
ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本に売国的媚中派と保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツの政治は、ロシアの利益と通底する二流の政治家がいる。
言うまでもなく売国奴的政治家とは、シュレーダー前首相である。
川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。
「シュレーダーは首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。
戦後、アデナゥワーは米国と協調したが、ブラント政権で東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書は東ドイツのスパイだった。
後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)
だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言が左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーらSPDの面々である。
現ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。
日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。
「ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」
東方外交をすすめたブラント元首相はユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツと自分とを同一視していない」。
いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分や国民の罪に対するものではない」。
つまり「親族に人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。
本書にはホーネッカー(旧東ドイツの独裁者)が、旧東ドイツ市民が秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄と独裁の虚無を見いだす。
それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!
また“ドイツの良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツの大江健三郎的な作家”ギュンター・グラスが青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー前首相がプーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係でベルリンが北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。
次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。
この件については「犯罪者を叩き出せ」と言ってる奴らが100%バカだと思ってる。
最高裁まで争ってダメだと言われたことの重みを理解し行政は粛々と処分を遂行せよ、
ということ自体は俺も否定はしない。
しかし、なんで今回カルデロン一家がこれほどの支援を集めているかといえば、
少なくとも日常生活においては彼らが「善良かつ模範的な市民」としてふるまい、
職場や地域住民の信頼を得たからであって、というところもポイントだろう。
単に一家離散の悲惨を訴えるだけなら、こういう支持は集まらない。
そのことを考えればだ、今回の例を特例にすることは、バカどもが吼えているように
「密入国者不法入国者が欣喜雀躍する」ということには必ずしもならんだろうと思う。
というより、たとえそういう連中が跳梁跋扈したとしても、彼らがみな職場や
地域社会で模範的にふるまうことのインセンティブが発生するのだとすれば、
それは悪いことではないだろう。
「正規な手続で入国し在留許可のもとで在住している外国人に示しがつかない」という意見もある。
しかし、見た目でそれが判別できるのか?
カルデロン一家に対する偏見の目が、バカどもが吼えるところの「善良な外国人」に向けられないとは
とうてい言えないと思う。
「外国人」どころか「日本人」である「中国残留日本人孤児」の二世三世たちが「日本人に対する怒り、団結、権利」を
グループ名に暴走族「怒羅権」を結成したということの意味を考えた方がいいんじゃないのかな。
wikipedia - 怒羅権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E7%BE%85%E6%A8%A9
マイノリティ、移民が社会の中でどうふるまうかは、マジョリティの側によるところが大きいとは言えると思うよ。
と、ここまで書いてきて話を戻すんだが、じゃあ、父親は覚醒剤の密売で逮捕され、母親は売春で摘発され、
それぞれ強制退去させられるが、娘は日本に身よりもあり母国の言葉は話せず戻すわけにはいかない、と
なったとき、俺がカルデロン一家を支援するようにこの一家を支援できるか、といえば、たぶんできない。
この場合だって、両親がそうせざるを得なかったのは日本の政策に原因があるからだとして、支援を行う
ひとたちはいるだろうけれど、その広がりは明らかにカルデロン一家よりは小さなものになるだろう。
でもさ、一家離散の悲惨さは同じわけで、どちらも等しく支援できなければ自称中立の妖怪どっちもどっちになるわけですよね。
卵がどれだけ間違っていても、壁ではなく卵の側に立たなければならない。
それは俺にはムリだし、だとすれば俺はそのときはバカウヨであらざるをえないわけです。
正直、こんなときはどうしたらいいんだろうと、d:id:mojimojiさん、もしくはd:id:isikeriasobi先生にお伺いしてみたい。