はてなキーワード: 殺人教唆とは
殺人教唆に引きずり込む罠だろ。ダマされないぞ。
ブラック企業って格好のネタを自分んらの持ちネタに使うのは勝手やけども
まだワタミ会長が自分ん所はブラック企業じゃないと言ってるのがマシに聞こえるわ
何でってワタミの言うブラックじゃない宣言はあながち間違いじゃない。
ブラック言われてるんは連結子会社つまり本社はホワイト企業の部類に入る。
一方どこそこの〇〇って確かに言うてくれれば分かる問題を何も明示せんと
架空企業を挙げてこんなことが実際にあるんですよキャハハハですもん
そらテレビ局は信用できひんわいな
他方よくテレビ局は年収自慢みたいに言われてるけど、その実勤務時間や日数が休出サビ残だらけのインフラ鉄道の現場職と大差ないがな
にも拘らずテレビ局ってのはホワイト扱いされてるのは何故だと思う?
そりゃ一部の華やかな部署がクローズアップされまくれば事実そうなるやろ。
ワタミと同じ寸法なのよ。
また、政党にしても碌な所がないねん。そういう政党に限って、その関連企業および個人団体がブラックやったりするんや。
例えば公明党は支持母体の日本最大の害悪かつ朝鮮仏教系の創価学会、日本共産党は支持企業がブラックどころか殺人教唆や詐欺、強姦(女子高生コンクリ事件とかな)に手を染めてるのもある。他の政党に至っても何ら解決しようという試みがないのは、自らも汚職に手を染めているからであって、誰も彼も本気でブラック企業を断罪する気がないんやで。
夫が法律上認知訴訟に対応せざるを得ないのと同じように、隠し子にも行動を制限される事柄があります。
例えば、「隠し子が刑務所に入れば、物理的に夫に殺される事も、夫を挑発する事も出来ない」等です。
つまり基本的に隠し子は犯罪に手を出し辛い。隠し子も「刑務所入ってる間に夫が病死した」等は避けたいでしょうし。
「協力しなければXXする」等は、内容次第で脅迫罪にあたるでしょう。
また今の「「妻から夫に殺人させるよう仕向け」るよう仕向ける」は「殺人教唆」の「教唆」にあたります。
http://ja.wikibooks.org/wiki/教唆犯
現段階で隠し子を刑務所送りに出来るかは分かりませんが、隠し子の言う通りに協力して事が運ぶと貴方まで殺人罪になり得ます。
あなた方への償いなんかになりゃあしないので、決して従わないようにご注意を。
あなた方は一見追い詰められてはいますが、相手の方も追い詰め方に制限があるのです。
この辺は法律のプロに相談した上で、接触を避ける手段として色々調べてみるべきかと。
その上で有効な手段が見つかれば、裁判所でも警察でも何でも利用すべきです。
あと子供の安全を考える分には、居住地を知られてる現在地からなるべく遠くに引っ越すべきとも思います。
こんな本も部分的に参考になるかも? ASIN:4872331834
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。
確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。
いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。
このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行、バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿の少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語系学者のフィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説を神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。
さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生を小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンスを見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライターは雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形を小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライターは雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説の頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場はモデルで消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。
「書として街に出よう」
一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。
日本人が外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉をインカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁小法廷に最終的に判断がゆだねられた。
そして、殺人教唆で逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。
後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。