はてなキーワード: 機構とは
ここ4年間ニコンのD50だったけど、次はキヤノンKissX2に決定。
検討対象は5~6万台のエントリー機。
AFカプラは本体のモーターでレンズのフォーカスを動かす機構。
これが無いと、レンズ内蔵の小さいモーターに依存することになる。
ところが、これが遅い。高いレンズじゃないと合焦に時間かかる。
D50も後継機のD80,90にはAFカプラあるけど、値段が高すぎる。
形も鋭角的すぎて、指に食い込む。
キャノンは大きすぎず、滑らかな曲線なので負担が少ない。
ここでもグリップが問題。
デジタルらしさを強調したいのだろうが、ニコンのは不自然なまでにグリップ部が大きい。
構えたときにレンズが本体の中心に来ないのは意外に気持ち悪い。
色も問題。ニコンはグリップの赤いワンポイントや白文字を多用する。
そう派手というわけではないが、俺的には目に障る。
キャノン陣営
http://kakaku.com/item/00490111110/
http://kakaku.com/item/00490111130/
ニコン陣営
http://anond.hatelabo.jp/20091006210805
カメラ選びにかんして、家の兄が手紙を書いたからポストに出してくれって言うの。
でも、1年前にカメラを買った僕からも一言付け加えたい。
ちなみに僕は一眼カメラなので一眼カメラ中心の説明になってしまうかもしれません。
まず、自分はどんな用途にカメラを使用すのかを考えてみてください。
特に一眼レフの場合カメラボディの他にレンズ選びという要素もあるため
自分がどんな写真を撮りたいのかが明確になっているとカメラ・レンズ選びの方向が見えてくるでしょう。
この場合カメラ選びを難解にし、さらに具体的な被写体が定まっていないため、
カメラを購入してもあまり使わず放置または手放してしまうことになるかも。
逆からに考えてみることで目的にあったカメラ選びができると思います。
また、一眼レフの場合は撮りたい写真に応じて適切なレンズが異なるため、
まず被写体に適したレンズを選び、そのレンズが使用できるボディを選択するとよいでしょう。
一眼レフカメラは一眼レフ特有の写真を撮影するとこができます。
また、レンズを付け替えることでボケ味や画角の違った写真を撮影できることも一眼レフカメラの楽しみでしょう。
いくつか例を上げてみますが以下のような一眼レフカメラの利点が必要ない場合はコンパクトデジカメで十分だと思います。
写真撮影を目的として撮影を楽しみたいのであればコンパクト一眼レフカメラの入門機から選択してみるのもいいでしょう。
またこの際に使用するレンズですが、単焦点レンズがオススメです。コンパクトな入門機用一眼レフのボディにマッチするコンパクトなレンズで、各社から価格も安いものがそろっていますし、切れのある写真とボケを生かした写真を撮影することができます。
人や被写体が限定された写真を撮りたい場合、背景をぼかし被写体をクローズアップさせる撮影方法があります。
残念ながら彼女ができなかった場合でも、世の中には綺麗な衣装を集団で身にまとい写真を撮らせてくれる女の子がいるようです。
この場合も高い解像力と大きなボケを出せるよう、彼女が居ない分お金をつぎ込みフルサイズ型の一眼レフを購入してみてはどうでしょうか。
上記に似たシチュエーションですので一眼レフと単焦点レンズの組み合わせが最適です。
また、F値の低い明るい単焦点レンズは暗い室内での撮影にも適していますので、明かりの少ない室内でも手ブレの心配はありません。
機動力を生かすのであればコンデジになるかもしれませんが、高倍率ズームレンズのを使用することで一眼レフを活用することができます。
スポーツシーンではシャッタースピードが必要とされるためISO感度を高く設定できる物がいいでしょう。
各社同系統のラインナップのなかでキャノンの機種にシャッタースピードが早いものが目立ち、
風景写真を撮るためにはこれまで紹介してきたような単焦点では全体的にボヤボヤしたような写真になってしまいがちです。
したがってこの場合はシャープで解像力の強い広角レンズを選択するとよいでしょう。
夜景は風景と同じで抽象的な被写体がないため、全体をきちんと捕らえられる広角レンズがよいでしょう。
暗い場所での撮影だからといって絞りを開けて撮影するとボヤボヤした写真になってしまい
とくに建物の明かりが丸くボケてしまったりすのでISO感度を高く設定して撮影しましょう。
また、暗い場所でのISO感度を高く設定できてもシャッタースピードは遅くなりがちなので三脚も必要になるかと思います。
この機械を操作するには様々な設定項目をいじって撮影することになるのですが、
すぐに取り出して撮影して満足のいける写真が撮れるのはコンパクトデジカメです。
これはコンパクトデジカメはオート撮影を前提に使用されることを想定して
撮影モードが調整されているからではないかと思います。
ですからコンパクトデジカメはホワイトバランス等のミスがおこりずらいのです。
一方、一眼レフカメラはコンパクトデジカメのようにオート撮影、全てデフォルトのままでは
ホワイトバランスがおかしかったり、色の反映の仕方がおかしい場合もあり
絞り・シャッタースピードの設定ミスにより真っ白な写真や真っ黒な写真になることもありうるのです。
また、手ブレ補正機構も近年やっとレンズ内に搭載されるも、ボディ内に搭載された機種はまだ少ないのが現状です。
逆を言えば一眼レフカメラはシチュエーションに合わせた色造りや
水の流れを演出する手法、歩いているはずの歩行者を消す方法など
撮影者しだいで様々な写真を作り出すことができるのです。
撮影場所の環境によっては大きな三脚を持ち出したり、撮影者が寝そべって撮影をしたりと
自分の描く写真を現実化するためなら苦労を惜しまない人には一眼レフカメラはうってつけでしょう。
近年、デジカメ以外にも携帯端末などにもカメラを搭載した端末が増えてきていますね。
ここでよく画素数やメガピクセルなどと言うスペック値が出てきます。
この画素数は年々数値が大きくなってデジカメのセールスポイントとしても使われているのですが
このスペック値は大きければ優れているかと言うとそうとも限りません。
しかし、現在の携帯電話で撮影した写真は高解像度にはなっているが、
相変わらず虹色のノイズなど混じっていて、優れているかと言うとそうではないと思いませんか?
そうなんです。今も昔も携帯で撮った写真は携帯で撮った写真でしかないのです。
この画素というのは画像の最小単位で、イメージセンサに並べられた数を画素数といます。
イメージセンサというのは被写体を写しこむためのフィルムのような物で
カメラの大きさに比例して主に搭載されるサイズが決まっています。
画素は年々小型化され小さなイメージセンサに大量に敷き詰められるようになった結果
小さなイメージセンサを持つコンパクトデジカメでも1000万画素を持つスペックへと成長しました。
しかし、高感度設定が可能な一眼レフカメラに搭載されている画素と違い
小型化され、小さなイメージセンサに搭載可能となった画素は感度が悪く
今ではコンパクトデジカメでも1000万画素を下回る機種は珍しいかもしれませんが、
印刷目的であっても雑誌の表紙を飾るような写真を求めない限り、600万画素もあれば十分だと言われています。
くれぐれも有効画素だけでカメラ選びをしないほうがいいと思います。
読みづらい、わかりづらい点があるかと思いますが、参考にしていただければ幸い。
実はメカニカルな動作だけで比較するとコンパクトデジカメの方がはるかに手ぶれを起こしにくいのよ。
一眼レフは確かに保持動作をしっかりせざるを得ないから一見ぶれに強いように見えるんだけど、カメラ内部でミラーが上がったり下がったりしたりシャッターそのものが大きいためにシャッターを切ったときのショックは大きい。
一方コンパクトデジカメはレンズ内にあるシャッターが小さく動くだけなので衝撃そのものは小さい。だから保持さえしっかりすれば一眼じゃ絶対にぶれるラインであるところの1/4秒だとか1/8秒のシャッタースピードでもブレずに撮れたりする。手ぶれ補正機構入りコンパクトデジカメの場合工夫すれば1/2~1/4秒でもイケたりする(ただし被写体が動いちゃったら意味ないけどね)。
逆に考えるんだ。手で保持しなきゃいい。一番マッチョな解決法としては三脚。もしくは台に載せる。要はシャッター切ったときに手で持ってなきゃいい。
地面に置いたまま撮って画面の半分が地面、なんてのもそれはそれで味。横木安良夫のおじちゃんはそれで作品組んでるぞ。
よし分かった。そしたらまずは片手で撮るのをやめよう。そもそも片手で撮るのは広告のポスターだけだ。まず両手で保持する癖を付けるだけで全然違うぜ。
液晶しかないから一眼レフみたいな持ち方をしちゃいけないなんて決まりはない。ざっと構図を決めたらそのまま額をくっつけちゃってもいいんだ。
なに、額をつけるとファンデがついて嫌だ?しょうがねえなあ。
デキる「わたーしにほーんからきましたー」観光客スタイルを身に付けて首からカメラを下げよう。何格好悪い?大丈夫、誰も君のことなんか気にしてない。
問題はここから先だ。首から下げたカメラを両手で持ったらピンと手を伸ばすんだ。そしてそっとシャッターを押す。どうだい、片手で持って撮るよりずっと絵がしっかりしないかい?首と両手で3点支持されるのでカメラがすごく安定するんだ。
だいたい手ぶれがどうしたら起こるかっていうとシャッターを押したときの手のプルプルが収まってないから、ってのが原因の大半。なら実際にシャッターが切れるまでにラグを作ればいいんじゃね?っていう考え方。いまどきの機種だとセルフタイマーを2種(2秒と10秒、みたいな)持ってる機種が多いので2秒セルフタイマーを有効に使おう。
1枚撮ってぶれるなら押しっぱなしで3枚撮れば1枚くらい止まるんじゃね?って考え方。案外馬鹿にできないぞ!
デジイチブームを否定する気はないし自分も散々使ってるからあんま悪く言いたくないんだけど、「コンデジで上手く撮れない」→「よくわかんないけどデジイチ買えば上手くなるんじゃね?」って勢いでデジイチ買っちゃってそのまま箪笥の肥やしにしてレンズカビ放題、てのも結構あるわけよ。そうするとカメラが可哀想じゃね?
物欲の消化に走るのは日本経済を回すという意味でたいへん結構なんだけどさあ、まずは手持ちのコンパクトをもうちょっと使ってあげようよ。さんざん使い倒して不満が出てから一眼買ったっていいんだよ?
ブクマが20もついたので続き.
細胞骨格というと,モーターの役割つまり骨格筋における化学エネルギーの運動エネルギーの変換を取り持つアクチンミオシンすべり説が有名だけれど,細胞骨格はどうやら細胞生理において輸送作用をもち重要な機能を持つらしい.この辺を拡散モデルとの対比の分子モーターモデルで説明するのはちょっと理系のカップルならではかな.次元が減るのと熱物理化学的な親和性のための吸着力で輸送が可能になるというお話.細胞外骨格や結合基質もつながる.
結合組織は単に体の支持・結合に役立つだけではなく免疫・情報伝達・熱と物質の輸送等さまざまな機能がある.膠原病から反対に考えてみると普段の結合組織は発生と同様に機能が生理的に制御されている.
で,発生.発生はもう受精卵がヒトになるというので面白いこと請け合い.ちょっと妊娠の話とか混ぜて彼女の考え方を聞いてみてもよいかも,・・・,ではなくてモルフォゲンモデルという古典的な制御のモデルだけでなく最新のモデルの話もあわせて,アポトーシスの話や系統発生繰り返し説にふれてみるとよいかも.発生と完全に地続きのはなしになる.内部状態と環境とが幹細胞の分裂とできた細胞の分化とにかかわってくるんだ.
人間の器官レベルの制御機構は神経系と内分泌系が担っていて,後者の支配を前者が受け持つから神経系―受容効果系は人間の重要な部分.基本的には前者が高コストだから後者の低コストの制御も合わせて使うと考えればよい.糖の出し入れをいちいち神経で支配していたらエネルギーがかかりすぎる.
んで,システムズバイオロジーやさきほどの細胞間情報伝達のつながりで,ある細胞につきそこへの全入力(エネルギー(物質・輻射)・エントロピー・テンパラチャー)と全出力と全内部統合演算とを想定するモデルを考えられるから,細胞の出入力と内部統合につきシステムを建設することが多細胞でも重要なんだなどと自分の扱う細胞のシステム生物学の宣伝をしてみる.
単細胞でも人間でも何でもよいのだけれど,先ほどと同じで出入力と統合あるいは受容統合効果で考えることは同じ.で,感覚器からの情報を統合して,記憶などとも統合し出力をすることを考えるのだけれどこれがしこたま難しい.単細胞生物でも走性に記憶バイアスがかかることなんかが知られているけれど,ブラックボックスとして考えたくなる.強いて僕が考えていることはある入力に大しては特異的に発現しやすい出力があるということから統合のあり方を考えていくのと,神経の機能回路モデルを数学的に建設していくのと,があるけど全然専門外.恋した僕の気持ちも僕にはわからない.
地表(海含む)では重力が卓越していて生物や多くの物質は地表に束縛される.そこで単細胞生物と同様に生態系は多くのコンポーネントがあるシステムだと考えることができる.そのサブシステムとしては大陸・海洋・気象・太陽系との関係なんかがある.ある個体や生物種・生物群の動態は細胞内における細胞小器官の動態に似ているかな.どちらもシステム特性を規定しているのは物理法則だという点は共通.
ダーウィンはすごく頭がよかった.で『The Origin of Species by Means of Natural Selection: The Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life』(1st,1859)のなかで
The slightest advantage in one being, at any age or during any season, over those with which it comes into competition, or better adaptation in however slight a degree to the surrounding physical conditions, will turn the balance.
という一節がある.(個体に変異が起こりその)性質がほんの少しでも有利なら生態系のバランスを変化さす,と括弧内をつけくわえてみると,変異と自然選択のモデルが考えられる.たとえば点変異がDNAにおこって対照状態で細胞生理の変化を定量的に計測ないしシミュレートするモデルとか.
僕の興味はというと数理モデルを物理法則のもとに組み立て細胞の制御システムモデルをリバースエンジニアリング的に,帰納することにあるんだよと再び告白.
承前:http://anond.hatelabo.jp/20091005002132
まあどのくらいの数の異所属カップルが誕生するかは別にして,「生命科学専門でもないが理系で化学系の知識があり,生物にもそれなりに好奇心がある」ような人を想定してコンセプトを選択してみようと思う.(彼女を専門に引き込むというよりか自分の興味がこんなことなのだよと紹介する意味で.同じことを彼女にもしてもらうとよいかもしれない.)あくまでコミュニケーションとしてなので,あまり概念中にたくさんの専門用語がでてくることは避けたい.多くて半ダース.あといくら基礎だとはいっても,いきなり宇宙はエネルギーのあり方で生命はその一形式だというそもそも論も避けたい.
彼女は中学の生物は大体覚えているが高校の生物は習っておらず,専門は理論化学よりの有機合成化学の学部生で頭は切れて時々おっちょこちょい,生化学や分子生物学には興味がないわけでない,というきわめて好都合な条件の下紹介すべき十概念を考えてみた.以下の順番はちょっとした思想の配列として少し気を使ったがあからさまにそれを伝えなければいけないほどのものでもない.
まあ,いきなり大御所だがここははずせない.物質科学全盛の時代に生命科学もそこにアクセスする活路を切り開いたということで.ただここであまりの情報の蓄積を彼女にぶつけてしまうとうんざりさせてしまうかもしれない.素材自体が一級なのだから彼女の興味と質問とが誘起されるような語り口がよいと思う.
「生命科学系の学生が考えるに有機化学の学生に受け入れられそうな概念(思い込んでいるだけ.実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど,それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな.
彼女も酵素の構造が機能と密接にかかわっていることは知っているだろうし,それを酵素や分子機械で実現することの面白さをぶつけてみたり,代謝が全体として大きな制御システム回路のようなものになっていことをぶつけてみたり,その中で彼女の生物特有の機構への興味が増せば儲けもの.
iPSはノーベル賞をとるといわれているし鉄板かな.案外作るために必要なことは制限酵素とウイルス遺伝子の挿入が本質でわかりやすく応用可能性も広い.
細胞創造と生命の起源の話はいままでの話よりはコアかなと思う.でも彼女は有機合成が専門だし細胞を合成するという巨大なプロセスに興味をもってくれるかもしれないし,それが一回地球の表面でおこっただろうということはロマンだよな.地雷でもあるかもしれない.
これはもう完全に僕の興味とスケベ心からで,マニアックすぎるかもしれないけれど,これからの生物学の方法としてかなり有力だし,分子数が多い細胞の中の各要素(components: DNA, RNA, Ribosomes, Electrolytes, water, cytoskeleton etc)間の関係性をシステムとして記述することの重要性と難しさとを語ってみたい.もし彼女が難しい素反応がたくさんある合成との類比で興味を抱いてくれるとよいのだけれどあまり深追いはできないな.
そんなに新しくないし,フォンノイマンみたいな人が見たら不動点定理に過ぎないと怒り出すかもしれないが,線形で静的で平衡系が非線形で動的で非平衡の系のちょっとしたヒントになることと分子・細胞・個体・生態のどのレベルでも同じような思考ができるというこれまでの話をちょっと豊かにする意味はある.遺伝子で始まり生態で終わるのも少し対比があってよいかと思う.ただこの話題には全然自信が無いからよければもっとぴったりするものを提案してほしい.
アンチが頑張ってるからじゃなくて、個々のおっさん達の長年の実体験が集まって出来たイメージなのよ。あと製造の時の品質じゃなくて設計に対する文句なのよ。
ウオークマン(カセットテープの奴な)とかラジカセとかビデオとかが保証期間の間酷使すると保証期間ちょっと過ぎたあたりで本当に良く壊れたわけ。それをソニータイマーと呼称した。(これは実は生産向けの設計技術を高く評価した言葉である)
最近だと初代プレイステーションが使っているうちに縦にしないとディスクを読まなくなって最終的に裏返しで使う羽目になる、そして修理依頼すると馬鹿高いとか、PSP初代が出たときの設計上ボタンが斜めにはまっちゃう騒動とか、ソニックステージが笑える出来だったりコネクトプレイヤーが爆笑だったり、そんなことがあいまってソニーはダメな子ってことになった。(これらは機構設計が悪かったりソフトウエアの仕様が悪かったり品質が悪かったり単なる低い評価が多い)
そんなわけで新品の時の魅力有る高価な製品を華奢なの覚悟して勢いで買うのがSONY製品というイメージだ。俺には。
まあどうでもいいが俺のPSPもちょっと落としたら中でなんか部品が割れてカラカラ言ってる。十字キーの下にたまに入り込むのでゲーム中にすごくあせるんだが、その部品のかけらを取り出すのにえらい苦労した。DSは何度落下させても平気なのにさ…
方針を示してしまうと、それに沿った予算を削れなくなるから、方針を示さずに出させて、それにケチをつけるつもりなのであろう。万年野党だったせいか、言いがかりをつけることしかやれないようである。
方針が示されていないのだから予算案を組めないとし、古い予算案を出し、国会を通らなければ暫定予算で参議院選挙まで引っ張るという展開もありえるだろう。
外為市場に介入しないと言ったと思ったら、介入するかもしれないと言い直したりで、言論に信を置けない連中ばかりという事で、順調に不興を買っているようだが、ここで、天下り禁止の為に早期勧奨退職禁止を言い始めた。
天下りが問題なのは、実業の世界では役に立たない人でも同期から一人だけを残す為に、官界から出さなければならないという慣例の為と言える。そういう人の為に、行政の下請けとなって意味の無い仕事をする団体を作ったり、天下りの人件費分を上乗せした随意契約が行われたり、その事業の売り上げでは到底賄いきれないような高額の人件費を出していて、恒常的に赤字で運営交付金という名目で税金を注ぎ込んでいたりする事業が作られている。
天下りした人に支払われる報酬は、公務員の人件費ではないという事で、総人件費の水増しが行われているのである。しかも、年金事業のように、実際にお金を扱う仕事に手を出してしまって、人員と設備投資が雪だるま式に増えていって、しかも破綻状態という間抜けな結果になってしまっているのもある。
無駄を省くのに天下り先を無くすというのは、筋が通っているように見えるが、どの天下り先を無くし、どの天下り先を残すのかという基準が、明示されていない。すべての天下り先をという話になると、天下り先として目の敵にされている独立行政法人というくくりの中には、国立大学も含まれていたりするのであった。官僚に削減を命じると、公海や領土権の及ばない宇宙における活動や公教育といった、国家がやらなければならない事業を削減し、自分の将来の天下り先となる、仕事が楽で報酬が大きい仕事は残すという事になる。
本当に優秀な人ならば、随意契約による持参金が無くても、省庁の後ろ盾が無くても、利益を上げられる筈であろう。使えない人を、使える人にするには、修羅場に放り込んで経験させるしかない。行政の中では、修羅場に出て行く事はないし、終身雇用では、失敗する可能性のある修羅場に行っても、何のメリットも無い。成功すれば、他の人を押しのけて昇進する事になって恨みを買うし、失敗すれば出世の望みを絶たれる。成功して当然、失敗したら損ばかりというのでは、責任回避のエキスパートだけが生き残る事になるのである。
一度就職したら、定年までそこに勤め続けるというスタイルは、企業間・組織間の競争が激しい状態でなければ、意味が無い。競争を管理してしまうルールが強い状態では、競争が発生しないのだから、労働者を減らす合理化によってでしか、利益が発生しなくなる。無能な人員を抱え込んでしまって、しかも、人減らしが出来ない組織となっている状態は、結果としてそうなっているのであって、そこを問題視して手を入れても、外部環境が変わらなければ、意味が無いのであった。
天下り先を潰す事で、高額な報酬や渡りで発生する退職金を無くしてその分をばら撒きの予算に使うつもりなのであろう。
競争を発生させ、企業や組織に新陳代謝を発生させるように、ルールを変えていく事が、迂遠なように見えて一番早い国家・社会の建て直し策となるのだが、官僚機構をただ敵に回すだけの改革で、何が出来るつもりなのであろうか。
[2009.9.30]
各省庁の独立行政法人を全て,省庁毎に一本化すればいいのに。
省庁=法案・企画部隊
独法=各省庁実施部隊
これで,人事交流を独法で活発化すれば,それでいいんじゃないかと思う。
なんてーか,今は細かな目的毎に独法とか関連団体がわかれすぎだよ。
国立大学に勤めているけど,別に大学だって国立が一大学法人で良いと思っているよ。
だって,東京大学と琉球大学を同じ国立大学で処理しようとするのは限界があるよ。
私立も含めた競争段階におくというのなら,琉球大学は必ずつぶれるし,
なら,独立行政法人日本研究・教育機構みたいのを作って,研究関係や教育関係の施設はそこに統合して,民間基準の会計規準を適用させて,内部経営を透明化すれば,
わかりやすくなる。
検証もしやすいしね。
だめかな。
円高になるたびに「大変だ」と騒ぎ立てる人達の言動に違和感を持っていた。何故、円高のメリットも並べて報道しないのか、
とも思っていた。このブログを見てすっきりした。
http://tanakanews.com/090925japan.htm
反米のはずの岡田は、反米を許さないタカ派のはずのクリントン国務長官と会談して笑顔で写真を撮り、鳩山政権がインド洋での海上自衛隊の給油活動を中止しそうなことに対して、クリントンは容認する姿勢を見せた。東アジア担当の国務次官補であるカート・キャンベルは、日本の民主党が望む日米の対等関係は、日本が自信を持って自律的に行動することを意味するので悪いことではないとFT紙に語っている。
戦後の日本は、多極主義と英米中心主義が暗闘する米国中枢の、英米中心主義(冷戦派)の方から強い影響を受けている。冷戦派は占領軍として、政治家より官僚機構が力を持つ戦後日本の体制を構築したが、その結果、官僚機構は対米従属や冷戦体制の永続化を望む傾向が強くなり、米国は日本に対米従属を求めているというプロパガンダを深く国民に植え付けた。民主党が、官僚制度の解体再編を方針として掲げているのは、日本を冷戦型思考や対米従属への中毒状態から引き離そうとしているからともいえる。
経済面では、民主党政権は円高ドル安を容認し、従来の日本の「円安ドル高が日本には良いんだ」という善悪観から脱却していきそうだ。これを書いている間にも、藤井財務相が「円安政策はとらない」と米国で宣言した。民主党は、大蔵省財務官出身の榊原英資を経済顧問としているが、榊原は昨年、ドルが崩壊していく過程を見越したらしく「安い円が望ましい時代は終わった。資源高騰の中、今後は強い円が日本の国益に合う」と主張し、その後は「強い円は日本の国益」という本も出している。('Mr. Yen' sees U.S. policy makers as behind the curve)
日本人の多くは従来「米国に嫌われたら日本はひとたまりもない」と恐れてきた。しかし今、日本人が「日米関係を変える」とは自覚せずもっと漠然とした危機意識から8月末にとった投票行動によって民主党政権に転換して考えてみると、日本は対米従属一本槍の国是を静かに離れることによって、実は意外にも米国に対して強い立場を持てる事態となっている。
官僚機構の内部にいる人々も、米国と無理心中せずにすむかもしれないということで、今回の日本の転換に安堵しているのではないかと思われる。まだ今後、逆流的などんでん返しがあるかもしれないが、少なくとも日本がひさびさに国際社会のプレイヤーとして復活したことは、ほぼ間違いない。日本人として生きるのがうれしい時代が戻ってきた観がある。
確かに、学位授与機構の学士は微妙な立場にあるのが現状ですね。
もう一つ大きいのは、学位授与機構ではいわゆる新卒の枠には入れないということです。
(とはいえ、元増田は復学しても、年数の問題から新卒の利益を得られるかというと厳しいと思います)
ただし、
■恐らく、少なくともここ半年は外に向くのは難しいんじゃないか
■あと、外に出るとしても「学卒」とか「優秀」とかにこだわってしまうのでは
と考えると、学士を取ってしまうというのは悪くない選択肢ではないかと考え、コメントしました。
休んだり遊んだりしてどうにかなる部分と、ならない部分があります。
まあ、もちろんそれで折り合いがつくか、またはどう付けるかというのは本人の問題なのですが。
たぶん元増田の様子だと、基礎資格も総単位数も満たしているから、Super本気を出せば10月申請分(学位は来春授与)に間に合うかもしれん。
ただ、いまの日本の社会においては「大学学部卒の学士の学位持ち」と「学士の学位持ち」は全く意味が違うし、前者が前提の資格試験の免除なんかは受けられない。大学院に行きたいなら後者で全然okなんだけど、そういう事情でもないみたいし。だから、そもそも学位授与機構で学士の学位を得るメリットがあるのか、あわせて、10月申請に向けてSuper本気を出す価値があるのかは、よく考える必要はあると思う。
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20090831-537958.html
このニュースを読んだ感想が、タイトルの「裁判官は楽な商売」である。
そもそも、本当にこんなこと(他の患者に叱責されたから自殺したこと)を予見できるのか?
「予見できた、対策を取らなかったからお前が悪い」
で、判決出すんだったら
「もっと被告の話を聞いていれば、免罪判決は防げたので、裁判官が悪い。責任取れ。」
「もっと被告の話を聞いていれば、供述の矛盾点に気づけた。再犯したのは裁判官が悪い。責任取れ。」
で、OKってことだよな?
けど、裁判官は間違った判断をしても罪には問われない。相手や関係者の人生を潰しても、出世に響くだけで、法的責任は追及されない。
医者は、急患がたくさん来たら、複数の患者を並列して治療しなければならない。瞬時瞬時の判断が要求され、一つ誤っても逮捕だ。
しかし、裁判官は、複数の被告を同時に法廷で裁く必要はない。複数の案件を担当していても、法廷では一人の被告を裁けばいい。
しかも、医療の現場と違って、瞬時に判断する必要もない。何週間、何ヶ月と時間をかけて判断すればいい。
36時間連続公判なんてものもなく、判断力が落ちた状態で公判させられるようなこともない。
あと、患者や家族、関係者に威嚇されたり暴力をふるわれることもない。裁判官に食ってかかるヤツはいないし、居たとしても廷吏が防ぐ。
実に楽な商売である。
まぁ、中の人じゃないので、間違っているかも知れませんし、中の人の反論もあると思いますが、率直な感想は「自分はできないくせに、他人には求めるのね」です。
わかってない人がそこらじゅう(顧客企業の責任者とか)にいて、IT屋を困らせてるケースがとても多いんだけど。
システム開発って「製造」じゃないのよ。機械が勝手に決まった設計図に従って車作ってくれるようなもんじゃないわけ。
車で言うと「設計」に対応するんだよ。
シャーシの規格をどうするか、特別仕様を盛り込むためにどうするか、エンジンはどれを使うか、あるいは一から開発するのか、
タイヤは?ホイールは?アクセルとブレーキの機構は?ボディは?素材は?色は?オプションは?
各顧客ごとにフルスクラッチで新車種を開発するようなもんなんだよ。
それだけでもう「やってらんねーんだろうな」って想像できない?
というデメリットばかり増え、相殺させるほど
「あの自販機まで買いに行こう」と思わせ売り上げ増があるのか?
ということじゃないの。単純に。
突然持ち出して失敗した7%の「国民福祉税」については「内閣支持率の高さを利用しようという大蔵省の魂胆があった。霞が関が(小沢氏を含む)与党代表者会議と一体になって攻めてきた」と証言。ただ、民主党の「官僚支配の打破」の主張には「官僚機構を使いこなさないと政権は成り立たない。官僚退治は愚の骨頂」と疑問を呈した。
さらに民主党政権誕生を念頭に「ひとつの内閣で何もかもいっぺんにはできない。限られた目標と期限を明確にして、断固やるかどうかだ。民主党は大丈夫か」と注文をつけた。
細川氏はもともと二大政党制でなく「穏健な多党制」が持論で、「大きな政党は総花的なテーマを掲げざるを得ない。それでは政治は進まない」と述べ、民主党の提唱する衆院の比例区削減には明確に反対した。
細川 政権交代が軌道に乗るまでという条件で留任していただきました。いまの民主党で心配するのは、官僚機構への敵対的な傾向が少し強く出過ぎていることです。われわれも官僚とは随分やりあったが、官僚機構を使いこなさないと政策の立案も実行もできない。政権は成り立たない。「官僚退治」は愚の骨頂だと思います。政権交代が常態化すれば官僚機構も当然、中立化します。石原さんの留任は唯一の継続性でした。政権交代はあくまで断絶が目的ですからね。
私は選挙制度は一神教の小選挙区より多神論の中選挙区連記制がいいとずっと思っていました。日本人のメンタリティーからすれば、小選挙区で「白か黒か」「AかBか」という選択をし、敵対的な政治になるのは好ましくない。しかし、あの時点で実現可能な選挙制度としてあえて推進したのです。が、現状をみるに、小選挙区に張りついて選挙運動ばかりしている人、あるいは人気だけのタレントみたいな人が目立ちます。賢明な政治判断ができる立法府にはならない。中選挙区で「Aさんもいいけど、Bさんもいい」という選択、複数の名前を書けるほうが、日本的なよい政治になるのではないでしょうか。
現実問題として、この改革進めるなら、
(1)実務レベルでは、くだらない案件まで全て「上位の判断・判子」あるいは「政治家の判子」を求めにいくことになり、機能不全に。
(2)成果を判断するスパンは? 四半期ごとに数値評価でもする? 個々の案件ごとに成果判断のスパンを変えるのは普通のことだが、そのこと自体も含めて評価するとしたら、今後それを責任もって判断する人はだれ? たとえば「予算減らしました」→「昇進」→「その後、予算減らしたせいで不具合でました(3年後)」、とかになったら、「昇進させた人」にも連帯責任は問えるのかな?
(3)「国家公務員の賠償責任」はケッコウだけど、それなら、その対策として行われるであろう予算の根拠・執行の実態・政策などの評価にかかる莫大なコスト増をちゃんと見越してるんだろうか?
…など、『新たな財源の捻出』でなく『大幅な負担増or官僚機構の機能不全』を引き起こすだけと思う。そもそも
ここが間違い。記録保管の担当がだれなのか、あるいは処分がおこなわれたときの責任者がだれなのかは常に記録として残ってるわけだから担当者がだれか明確でない、なんてことはあり得ないよ。隠されてるだけだよ。
http://www.jimin.jp/sen_syu45/seisaku/pdf/2009_bank.pdf
首相が変われば公約なんぞ紙切れになるという事を体現してきた首相が、特に記載の無い物は4年で実現するとしている。これは、もし首相になったら解散権を行使しないという事であろうか。そんな事は無いと言うのが、過去の実例である。
そういうわけで、悪意をもって公約を解析する。公約の中に織り込んだ片言隻句を、公約が承認されたのだから実現すると主張し、都合の良い所だけを実現し、都合の悪い所は放置するというのが過去の実例である。公約の中に折り込まれた文言をあげつらう事で、本音が透けて見えるのが、自民党の公約である。
最初のページに、いきなり社会保障を取り上げている。社会保障カード・番号を2011年中に導入というのが本音であろう。そのあとに続いている信頼性と透明性を向上させるというのは、努力目標となっている。つまり、今までどおりの丼勘定で不透明な帳簿のまま、財源が足りないから消費税を値上げするという展開が、第二パラグラフで、財源を確保する為には、帳簿の赤字を増やさなければならないので、医療費の診療報酬を値上げする。医者に悪役を押し付けるから覚悟しろというのが第三パラグラフ。医療費の大部分を占める高齢者の医療費を切り分けた高齢者医療保険制度を廃止して、丼勘定に戻すという改悪を狙うのが、第四パラグラフである。
次のページの第一パラグラフで、年金記録問題における処理も、社会保険庁の後継組織である年金機構に委ねるということで、今までどおりの丼勘定を続けるとなっている。第二パラグラフでは年金制度の改革を唱えているが、丼勘定を続けるとした上で消費税の増税を主張している事から、貧民から消費税を取ってそれを貧民にばら撒くという、無駄な努力をする社会保障の実務団体だけが栄えることになる。第三パラグラフでは健康で安心できる国民生活の確保となっているが、健康をネタに旧厚生省傘下の機関が予算を食い潰すという話にしかならないであろう。続いて、生存している被爆者は、平均寿命以上に長生きしているという現実をどのように考えているのか理解しがたい一文。核兵器廃絶の為のお題目として必要なのは理解するが、道理で考えれば、無理がある主張となってきている。むしろ、日本も核武装するぞという話にした方が、周辺国は本気で心配するようになるだろう。犯罪被害者の支援というが犯罪者を発生させない事が最優先事項であり、社会の安定の為には雇用の創出が必要であるという根本を無視して税金を使い込むと主張している。そして、省庁統合、合理化という先の衆議院選挙の公約に反して設立しようとしている消費者庁と、当選する可能性のない組み合わせばかりを売りつける無選択制ロトくじの売り上げを財源とするスポーツ庁のなし崩し的容認を求め、砂防にお金を注ぎ込む、地方の土建屋まっとれよぉ。という掛け声が続き、治安維持という話になるが、治安を不安定化させているのは失業者・無業者の増加と、中国人・南鮮人等の質の悪い外国人の流入であり、これらの対策をしない限り、どんな対策も、担当省庁やその下請けが繁忙するだけの効果の無い無駄金にしかならない。
次が少子高齢化対策であるが、そもそも、少子化が必要だとされたのは、アメリカがグローバリゼーションによって経済秩序を破壊する事を選択し、食料や燃料の自給自足が求められる国際的な状況があった為である。その為に、穏やかな人口減少策として、男女平等を行い、女性に出産や結婚を愚行であると認識させた。底辺向け娯楽メディアであるテレビドラマなどで、女性がバリバリ働き、無能な男性上司をやり込めるという筋書きのドラマを流し、服や装飾品等で借金漬けにした。これで、女性は結婚に価値を見出せなくなり、また、男性もそんな女は嫌だとなり、結婚が減り少子化へと向かうようになったのである。
高齢化が問題になったのも、少子化によってネズミ講であった社会保障制度が破綻する事が判明したからであり、ネズミ講を辞めるというのが対策の本筋である。安心して働けるように、保育園や幼稚園を無償化するという話が出ているが、共働きで働かなければ食べていけないという貧しい社会において、育児を他人にお金で任せるという状況の、どこに安心があるというのであろうか。介護報酬の引き上げという主張もあるが、消費税の増税によってという前置きが3ページ前にある。
次は雇用対策になっているが、既存の産業に雇用余力は無い。むしろ、合理化・効率化によって雇用を削る事が利益になる状態にある。したがって、新しい産業を発生させない限り、どんな対策をしても無駄にしかならない。医療・介護・保育・環境等を成長分野としているが、これらを成長させる事は、貧しい社会を助長するだけである。職業訓練や職業紹介は、セーフティネットとは言えない。職安をどんなに立派にしても、職業訓練をどれほど行っても、機械の方が安いし文句を言わない以上、職が無い。若者・女性・障害者・高齢者に働き口を作る為に、企業に補助金を出すという主張にしても、既存産業は雇用過剰であるという現実を知らないという事でしかない。人手不足とされる産業は、人が行かない理由があって人手不足なのであって、補助金を出す事で、それにお墨付きを出すような真似はするべきではない。派遣労働者の待遇改善については、派遣は正社員に比べて条件が悪いのだから、その分、賃金を上乗せする事とすれば解決するのに、口入屋のピンはねと雇用者側のコストダウンとを温存したままでやろうとすれば、補助金を出すという事にしかならないだろう。その財源は、4ページ前の消費税の増税であろう。
教育文化についてであるが、学校教育は底辺を引き上げる教育であり、頂点を伸ばす教育ではないという前提を忘れている。読書人として必要な読は、一日一冊を30年間やって1万冊というのが、最低ラインだと思うべきで、義務教育で30年間なんて事は絶対に不可能である。さらに、書の方は論文にせよ、この日記のような雑文にせよ、相応の量を書かなければ、人様にお見せできるような文章にはならない。これも、10年や20年は、軽くかかってしまうと考えるべきで、義務教育でやれるわけが無い。スポーツについても触れているが、これらの対策については、この日記の
[2006.11.3] http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/20061101-10.html で触れている。
コンテンツのデジタルアーカイブ化も唱えているようだが、無制限の公開がコンテンツクリエイターの利益になる状況を作ってからでなければ、民業圧迫にしかならない。これを怠ってデジタルアーカイブ化を進めるならば、国営漫画喫茶のような役立たずな赤字組織の方がマシという結果になるであろう。
経済成長政策についてであるが、経済成長を阻害しているのは何かという認識が抜けている。さらに、日本と経済利権において敵対するBRICsやアジア諸国を、いかにして潰すかという話が必要なのに、投資や市場の取り込みという話になっている。公約に2%成長と書けば、そのとおりに成長しないのは国民が怠惰だからだとでも主張するつもりであろうか。環境に優しくする為に、太陽光発電の電気を倍額で買い取り、そのコストを国民に付け回すのでは、既存の発電手法の効率を上げたり、電気を使わない生活を模索するのは、政治的に正しくない事になってしまう。国際競争力についてであるが、同じ土俵で競争するには、人口という量と質が必要になる。高度成長期に、日本は、世界中のどの国もやらなかった小型化や高性能化や高信頼化という分野に傾注した。異なる土俵を常に探し、そこを切り開いていく事こそが競争力の源泉なのである。既存産業に幾ら補助金をばら撒いても、言い分を聞いて法制度を捻じ曲げても、他国が新しい分野を切り開いてしまったら、それらの産業は全部時代遅れになり、高度成長期に日本が追い落とした国家と同じ結果になるのである。
新しい試みを資金力でパクって潰す大企業の横暴や、製造者責任を過大に追及する法制度、排他独占に偏った知的所有権の運用
(cf.[2006.12.31]) http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/20061221-31.html
といった問題を解決しない限り、何をやっても税金の無駄遣いにしかならない。消費者を守るあまり、既存産業しか存続できず、雇用が切り詰められてデフレが止まらないとなる。
地上デジタル化は、電波利用料を負担しない民放や、電波利用料で運用される国営放送局と民放に分割されるのを嫌がったNHKのわがままの結果でしかない。大衆を扇動するメディアとしての存続を拒絶したテレビは、サブカルチャーへと転落していくだけなので放置すればよいが、その代わりに、大衆を扇動してコントロールするメディアが必要になる。IT化=e-Govであるとしているようでは、難しいであろう。
中小企業と建設業には格別の配慮をするというのは、献金と票の対策であろうが、今更こんなお題目を並べても、貰う物だけは貰おうという姿勢しか引き出せないであろう。それに、その財源が消費税の増税では、消費者から受け取って代理納付する税金の方が商売の利益よりも大きくなるようでは、ばかばかしくてやってられないという事になる。自分で商売をして、利益を上げるという事を経験してない議員先生には、説明しても理解できない感情なのであろう。
地域活性化と地方分権については、高速道路の無料化によって国民の分布を均一化する事が必要だが、高速道路は有料のまま、スマートIC等によってキャッシュレスで課金を続けるとなっている。そういう電子ガジェットこそが無駄であるし、国土の健全な発展を妨げる原因となっている。
食料生産については、農協の縛りによって作付けや出荷が制限される原因は、高速道路の料金が高く、運賃を乗せた以上の価格で売れなければ赤字になる為である。そして、価格が上がらない理由の一つに、海外からの輸入がある。食肉や飼料の輸入が多い為に、農産物の生産は人間の食用に限られてしまい、限られた需要の中で競争をする為に、弾力性に欠ける運用を強いられるようになっている。減反や各種補助金制度が、人間用の食糧生産に限定されている為に発生しているとも言える。海外産をコンテナで輸入して市場に卸す方が、国内産をトラックで市場まで運ぶよりも安価になる原因は、複合的ではあるが、それらを解決する施策がどこにも無い。農家に補助金をばら撒くという事であろう。
財政再建は、プライマリーバランスの達成を先送りした時点で、何を言っても信用されない。その上に、小渕政権並みのばら撒きをやっているのだから、無駄遣いを改める気が無いのであろう。
資源・エネルギーについては、東シナ海の地下資源に触れているが、友好の海にするという主張は、脳天気に過ぎるであろう。盗掘者に友好を求めても、なめられるだけである。
(cf.[2005.2.17]) http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/20050211-20.html
この手の主張をする環境エバンジェリストは、誇大妄想の気がある。
行政・政治改革については、肝心の多選規制と幹部公務員の政治任命が無い。世襲規制でお茶を濁す気であろう。政治資金についても、個人献金という制度を作っても、政治自体がドブ板選挙を繰り返すのであれば、献金した記憶の無い人の名前を借りたり、故人が献金していたり、企業の従業員を使った迂回献金という事にしかならない。制度が適正に運用されている事を証明する義務は、その制度に携わっている人々全員に有る。クリーンな運用を実現したいならば、制度に頼るのではなく、日々の運用によって証明するべきである。政党の規約による多選規制は、議員が地域の利権代表になってしまうのを防ぎ、政治任命によって使った幹部公務員を議員にステップアップさせるルートを構築する手段である。世襲は問題ではない。多選が問題なのである。
1万人オピニオンリーダーというプランも、考え違いをあらわしている。党員集会を開き、意見を吸い上げることが民主主義である。オピニオンリーダーになる為には、自民党の太鼓持ちになれというのでは無意味である。
国会改革等については、議員定数の削減と立法スタッフの増加が対になっているようである。これだけを実現するのでは、公設秘書が増えるだけでしかない。
議員外交の積極展開というのは、売国する気満々の議員とか、失言癖や酒癖が悪いといった、国辱レベルの議員を排除してからの話である。その為の手段として多選規制が必要であろう。オラが在所の先生という事で、世間知らずの上に能力的に問題があるのが、多選して大臣になったり首相になったりするという現状がある以上、無理である。
最後に、自主憲法の制定とあるが、今の憲法は、GHQの素案を丸呑みした物ではないし、ちゃんと日本の議会の承認も得ている。素案の段階から日本製でなければならないというのであろうか。今の憲法には時代の変化に合わない部分があるが、そこだけを変えていけばよいのであって、丸ごと書き直す必要は無い。下手に書き直してしまうと、憲法を書き直す事が政治家の個人的な目標になってしまう。憲法の序文を書かせろと血迷うような輩が出てくるのだ。序文は、天皇が国事行為として公布を行う時に、特に大切な物だから一筆書き加えるとして付けられるもので、最初からつけるモノではないし、序文の内容はどのようなものが適切かという御下問が無い限り、議員や民間がどうこうするものではない。
突っ込みどころが多すぎる公約であるが、これが、党幹部・長老独裁制の限界なのであろう。突っ込む気にすらならない他の政党の公約よりはマシなのだが、選挙前にどたばたとでっち上げる事を繰り返す限り、公約は党総裁の独り言で終わってしまうという構造を変える気があるのだろうか。
Eric Raymondのオープンソースのソフトウェア開発に関する有名な論文「伽藍とバザール」があるが,ソフトウェアってのは別にコンピュータプログラムに限らないわけで,例えば小説もソフトウェアだ.小説なんかは普通は一人の作家の創造性に大部分依存しているところがある.つまり,上記論文でいうところの「伽藍方式」で制作されている.
一方でLinuxに代表される,大人数で寄ってたかって制作するタイプの「バザール方式」では,意外なほど高品質なソフトウェアができるという経験則がある.これを小説にも応用できないか.
上記論文の解説にもこうある.
伽藍方式は村上龍が自分で村上龍の長編を書く方式、バザール方式は読書参加で村上龍の長編を書く方式。有象無象を集めて村上龍の小説を書かせた方が、村上龍一人が書くよりも優れた小説が書けると村上龍に言うようなものがこの論文。
では実際に優れた小説は書けるのか.バザール方式で書かれた小説はあるか.
もともと,出版の世界では作家の出してきた文章を編集者がチェックするというある種のコラボレーションの結果として成果物の品質が洗練されるところが大きかった.インターネットが出てきた結果,文章を公開するのはとにかく簡単になったが文章を真面目にチェックしてくれる第三者の欠如による品質の劣化は避けられない.
多人数で文章をつくりあげていく例はWikipediaをはじめとして色々あるような気はする(Wikipediaの記事が高品質かどうかは別として・・・).それを小説でやったというサイトやプロジェクトを知っていたら教えていただけないだろうか.
二次創作系の同人作品とかを見ていると,ネタさえあれば人は寄ってきそうではある.こういうのはSSを集積するサイトはあっても設定からして俺設定満載だったりでとにかく統一されていないので一つの作品にはならない.
少なくとも世界観の構築にはバザール方式は向きそうだ.第一に設定は多ければ多いほど良く,皆の思い付きを集積することによって世界観はより深化される.また,大勢が参加することにより設定の矛盾は即座にチェックされ修正される.
二兆ドル超の外貨準備の威力。中国は250億ドルをAPECへばらまき
いまは世界十傑から転落して十三位の地位に甘んじる。中国の港が年率40%増となって、高雄も確かに年率4%で増加してきたが、かの大陸の勢いには適わなかった。
台湾は2001年にWTOに加盟したが、国家としてではなく、「関税地域」としての加盟であり、これは五輪方式に似る。国連保険機構(WHO)加盟も、『地域』としての加盟扱いであり、しかも毎年毎年申請する必要がある。
これほど差別される台湾が、しかし経済的に生き延びる道は中国と貿易、通商の拡大しかない。
台湾を代表するパソコンメーカーのエーサー(ACER)は、世界が非難したフィルター付きパソコンを大陸仕様分として量産している。
中国は「中国ASEAN経済インフラ協力資金」として100億ドルを拠出し、くわえて別途150億ドルをASEAN諸国へ信用枠として貸し出す。対象から台湾は外されている
議題は米国債の安全性?
対中外交腰砕けのアメリカは人民元の切り上げを要求する意欲さえなく、議題から人民元をはずすという。
▲しかし、この回復は本物なのか?
新車販売が世界一、各地は建設ブームに沸きあがる中国だが、これはV字型回復ではなく、W字型回復の左側。もう一回失墜があるだろう。
カンフル注射としての57兆円注入と銀行貸し出しの100兆円が、表面上の活気を産んでいるけれども、上海など火の消えた静けさ。
中国は巨大なディレンマを抱える
第一は保有外貨の70%以上が米ドル建て金融商品である以上、ドルの暴落防止には、アメリカと同様に気配りする必要がある。
これまで外交の武器と考えられてきた外貨が、守りの姿勢を堅持する方針に転換している。
第二に外貨を有効に投資するために海外企業、海外鉱区、資源輸入先払いのほかにアフリカ、ASEANにソフトローンを組んで貸し付ける。皮肉にも、これらはドル建てである。
そして人民元の高騰を抑えるために為替に介入せざるを得ず、これは日本がそうであったように(03年から四年間、日本は為替介入に43兆円を投じた)、巨大なバランスシートの決壊を招きやすい。
第三は流入し続けるホットマネーを放置すれば猛烈なインフレを将来するため、不動産投機、株式投機(年初来68%高騰)への冷却政策を元に戻さなければならない。独自の通貨政策をとる余裕が薄れており、要するにドル相場への介入に限界がみえてきた。
すなわち人民元を劇的に切り上げる必要性がある。
米中対話は深刻な問題を先送りして当面はドルの安定、米国債権の安定を求めざるを得ず、長期的に中国の国益になるかどうか、やっぱり日本と同様に『ドルの罠』に落ちたのか?