はてなキーワード: 共産とは
ずいぶん恣意的なまとめだな。落ち着いてないのはあんただろ?
これ書いたの俺じゃないが(といっても意見はほぼ同じだが)、バーカバーかと言ってるのはお前のほうだけだろ。しょうもない印象操作スンナ。下品な奴だな。
(4)では共産という固有名詞だしてるのに何で6だと出さないんだよ。
「現実の民主党は批判してる」と書いただろうが。批判のトーンだって郵政選挙でぼろ負けした後でって別に落ちてない。そういうことから見ても選挙で負ければ批判しなくなるあるいは批判のトーンが落ちるとは到底思えない。仮に落ちたとしても再議決できなくなって法案成立阻止しやすくなるんだから、批判のトーンよりはるかに考慮すべき重要な要素のはず。別に自民の政策が実現しにくくなるほうがいいという主張ならかまわないが、解散したほうが実現しやすくなるというのはおかしいということがこっちの言いたい事。
あのなあ…落ち着けよ?
(2)「自民勝てばねじれのままだお。ばーかばーか。」とアンタ。
(3)「自民勝てば民主もワガママばっか言わなくなるから無問題」とオレ。
(4)「んなことねーよ、共産見ろ。ばーかばーか。」とアンタ。
(5)「共産とかwww例にならねえwwwww」とオレ。
(7)「だーら話違え。批判っつっても色々あんだろよ」とオレ。
(8)「批判はするっつーの。ばーか」とアンタ。
いい加減どうも話がループしてると思うんだがな?もっぺんオレの(3)http://anond.hatelabo.jp/20081228182404のどこがそんなおかしいのか考えて説明してくれや。いちいち揚げ足とるだけじゃさっぱり分からんわ、あんたが何を説得しようとしてるのか。
「机上の理屈」で世の中は動いてるんじゃないんだ。「気にせずに発言する『可能性はあるだろう』」と言われたってそりゃあるさ。民主が共産のように少数党に転落する危険を冒す狂気の道を歩むならな。けどそれを議論することに何の意味が?
机上の理屈で考えてるのはそっちだろうに。現実には世論調査で不人気なことでもいろいろやってるだろうが。不支持の多い首相のままだったり反対が多い法案とおったり。
あと共産党のような少数野党に転落しなくても過半数取れなかった野党が与党批判をするのは現実の民主党見ればわかるだろ。結党以来過半数取ったことないがそれを理由に自民党批判をしなくなったことなんてあるかっていうとないだろ?にもかかわらず選挙で負ければ与党を批判しなくなるとか言う妄想を語ることに何の意味がある?馬鹿はどっちなのかもう一度自問自答しとけ。
いくらそんな建前言ったところで制度上参院でとめれるんだから意味ないだろ。選挙で過半数取れなかったから与党批判できないなら万年野党の共産党はずっと批判できないままということになるが現実にそんなことは起きてない。
あのなあ。
部屋に閉じこもってないで実際の選挙に関わったことあるか?
直近の選挙で民意がどう出るか、ってことに、各政党は無茶苦茶敏感に反応するぞ? たとえそれが小さな地方選挙でも、だ。まして国政選挙で負けたとして、民主が今のように強気で発言し続けるかどうか、それとも「民意」を伺いはじめるか、考える必要もない。「机上の理屈」で世の中は動いてるんじゃないんだ。「気にせずに発言する『可能性はあるだろう』」と言われたってそりゃあるさ。民主が共産のように少数党に転落する危険を冒す狂気の道を歩むならな。けどそれを議論することに何の意味が?
いずれにせよ、解散総選挙から逃げまくってる現在、衆議院に「優越」の根拠は無い、という元の論旨には全く関わらない話じゃねーか?それは。
はいはい、揚げ足乙。オレは『システムの根幹に欠陥がある』という元エントリの理屈に沿って、それで言うなら欠陥があるのは『民意を失っても政権に居座れる衆議院の方がおかしくね?』って話をしてるわけ。つまり、憲法作った人はまさかそんな恥知らずの政党や政権が生まれるとは思いもしなかったんだろうか、なるほどそこはシステムの破綻だよねー、と返してるわけね。
そこに横入りして「衆議院の優越は憲法で決まって…」……って言われてもな。今はシステムの中の話をしてるんじゃなくて、システムの問題を外から眺めて話をしてるんだよ。もし横入りするなら「なぜ衆議院が優越か」についてオレとは違う論拠をもってきた上で、「だからこういう状況であっても衆議院の優越は間違いではない」と言わないと話になんない。
お前はサルか。
棄権するくらいなら、考えて公明に入れる方が全然良いよ、というより後者の行為には何の問題もないだろうが。選挙制度の根幹を否定してどうする。組織票を批判してるのは「考えてない」からだ。馬鹿。
オレは共産党支持者だが、そもそも現在の制度としての議会制民主主義は否定してないんだ。共産党自体が合法的に選挙戦を闘ってる以上、当たり前のことだろうが。オレは考えた上で今のところ共産に投票してる。でもみんながオレと同じに考える必要なんて全然なくて(むしろみんながオレと同じには考えないことを前提にオレは投票してるが)ただ少なくとも自分で考えて投票行動しない奴は、議会制民主主義を愚弄する民主主義の敵だ。敵は嫌いだ。ただそれだけのことだ。
何党に入れるの入れないの、なんでそんなくだらないことにこだわって、議会制民主主義を台無しにするような人間どもを野放しにしたいんだ? お前は本当の馬鹿か?
【問題】
殺人・強盗・強姦・家宅侵入・拳銃所持などのあらゆる犯罪を合法化したら世の中はどうなる?
回答
いつ危害を加えられるか分からないので、他者の信頼を得ることが現在以上に重要な社会となる。
殺意を抱いた人間は殺人を実行する確率が高くなることが予想されるが、
仕返しに殺される可能性も高くなるので、ちょっとしたことで相手を殺してしまうような事態にはならないと予想できる。
殺人に限らずあらゆる悪行をしようものなら、たちどころに周囲の人から異様な警戒をされるであろう。
だから、ほぼ全ての人が表面上は好ましい身なりをし善人のようにふるまうようになる。
ところで、原始共産制社会においては現存するような形での法律は存在しなかったが、
共同体内にはオキテや暗黙のルールがあり、そのルールを守らないものは激しいバッシングを受けた。
このような形でルールが機能していたのは、共同体の成員にどうしが互いにルールを守り合うことで、
ジャングルの脅威や自然災害の猛威に立ち向かうことが出来たからである。
しかし、現在においては、それほど自然の脅威を乗り越える必要性は高くないので、
こうしたルールが原始社会と同じように機能する可能性は低いと考える。
しかし、相互にルールを守りあうことで、相互に利益を得ることが出来る(囚人のジレンマ)し、
また、法律のように罰則規定が明文化されていなくても、「いつ殺されるかもしれない」という事実があるので、
ルールを守ることに強い強制力が働くと考えられる。
ただし、ローカルなルールがたくさん乱立し、ルールの異なる共同体どうしの争いが発生することは予想される。
たくさんのルールが乱立しているので、ローカルルールを知らないがために周囲から異様な警戒をされるといったトラブルが多発する。
この事実がまた、所属する共同体を変更することのリスクを高め、より共同体を閉鎖的なものにするだろう。
しかし他方ではインターネットではオープンな繋がりが存在する。
例えば、リアルでは共同体Aにいる人が共同体Bにも所属することは共同体Aに対する偏見があるので非常にリスクが高いような場合にも
インターネットを使えば共同体Bに関する情報に容易にアクセス可能である。
そうした意味でのネットのオープンさは、当然匿名性を持った犯罪に利用されうる。
現実社会の犯罪はとても困難だが、ネット犯罪であればそんなにリスクが高くないような社会になるだろう。
だからネット犯罪が主要な犯罪形態になっていき、セキュリティの問題が深刻化していく。
そうすれば、ネットのオープンさに疑問が投げかけられるようになり、多様なアクセス制限の要求に耐えうるようなネットワーク技術が整備されていく
かもしれない。
なんか、前半で志位が言ってることって「いちいち国会で取り上げてたらキリなくね?」という話ばかりな気がするんだが。「全国のあちこちで起こってる」って?実数が何件あるか知らんが、それら全部予算委員会で並べて、その都度麻生に「そりゃいけませんな」と言わせ続けるつもりか?それとも、今回幸運にも話題に上がった人だけ救済されたら後は知らんぷりか?
それに「トヨタの○○さんはこんな酷い仕打ちを受けました!」って共産党が一方的に言ってるだけで、それが違法かどうかも分かってない段階で総理大臣や厚生労働大臣が「トヨタけしからん!」なんて簡単に言えるわけねーだろ。望み通りの言葉を麻生に言わせた後で、実際に調べたら被害者の虚言でした、なんて事になったら誰が責任取るのかと。「こんにゃくゼリーで子供が窒息死して可哀想だからマンナンライフの経済活動を政府権限で強制的にストップします」と何が違うんだ?
共産党も、あちこちで違法行為を確認済みならさっさと証拠固めて労基やら警察やらに通報するなり、赤旗で大々的に糾弾するなり、訴訟手続きのノウハウを被害者に伝授するなりすりゃいいのにな(これは実行済みなのかも知れんが)。労働基準法や派遣法の改正とか、労基の監督権限強化とか、違反企業への罰則を強化するとか、そういった大局的な次元の話をするのが国会だと思ってたんだが、俺の認識が間違ってるんだろうか。
2008年10月10日 mojimoji mojimoji 政治 少数党が限られた時間でどれだけ苦労してるか、与党が長時間の質問をどんなくだらない質疑(つーか応援演説)に費やしてるか、議事録を読んでみるといいよ。共産は少ない時間でよくやってる。
そもそも「よくやってる政党」は少数党になったりしない。まるで共産党が他の党の謀略か、或いは天災か何かで議席を失ったような書き方だが、苦労するような状況を選挙で招いたのは共産党自身だろ?
http://web.archive.org/web/20010211105651/www.nikkei.co.jp/sp2/nt22/20001211eimi195111.html
順位 | 名前 | 政党 | % |
---|---|---|---|
1 | 橋本龍太郎 | 自民 | 11.9 |
2 | 菅 直人 | 民主 | 9.9 |
2 | 土井たか子 | 社民 | 9.9 |
4 | 小泉純一郎 | 自民 | 9.1 |
5 | 小沢 一郎 | 自由 | 7.1 |
6 | 河野 洋平 | 自民 | 6.7 |
7 | 鳩山由紀夫 | 民主 | 6.6 |
8 | 加藤 紘一 | 自民 | 6.1 |
9 | 森 喜朗(当時首相) | 自民 | 4.3 |
10 | 志位 和夫 | 共産 | 1.3 |
11 | 神崎 武法 | 公明 | 0.7 |
順位 | 名前 | 政党 | % |
---|---|---|---|
1 | 森 喜朗(当時首相) | 自民 | 10.0 |
2 | 鳩山由紀夫 | 民主 | 8.9 |
3 | 土井たか子 | 社民 | 8.0 |
4 | 菅 直人 | 民主 | 7.0 |
5 | 加藤 紘一 | 自民 | 6.8 |
6 | 小沢 一郎 | 自由 | 6.2 |
7 | 橋本龍太郎 | 自民 | 5.8 |
8 | 小泉純一郎 | 自民 | 5.0 |
9 | 河野 洋平 | 自民 | 3.4 |
10 | 不破 哲三 | 共産 | 1.5 |
11 | 神崎 武法 | 公明 | 1.2 |
12 | 山崎 拓 | 自民 | 0.4 |
なんか時代の変化ってすごいなー。こういうの諺でなんかあったなー。
少年老い易く学成り難しだったっけ? わからん。
のであれば、日本は他国よりもずっと高いインフレ率に見舞われているはずだよ。
既得権や差別のせいで健全な競争が働かず、供給体制が非効率なままであれば、
あるいは税金の浪費が酷ければ、当然様々なコストの上昇となって跳ね返ってくる。
しかし日本経済は今インフレになっていると言われるけれど、実際には非効率の塊である
発展途上国はもちろんとして、他の先進国と比べても低いインフレ率で済んでいる。
おおむね世界的な低インフレと言われた90年代に諸外国が経験した数字と並ぶ水準なわけ。
つまり日本はインフレ=非効率で苦しんでいるんじゃないんだよ。
現にOECDの調査では、日本は先進国でも平均よりは自由な市場を誇っているという報告も出ている。
国民負担率・潜在的国民負担率もかなりの低水準。ということは、既得権の排除に血道を上げたって、
長引く低成長に目覚ましい改善が訪れる可能性は、残念ながらそう高くない事になる。
じゃあどうすればいいか?これは最近話題の高橋洋一の論説なんかを参考にすればいいと思う。
道路公団をはじめとする特殊法人改革の陰の立て役者である彼だけど、実は非効率が不況の
原因だとは必ずしも考えていない。日本経済に必要なのは金融緩和によるマクロ経済政策だ、とね。
で、肝心の政党選びにそれをどう活かすのかだけど、これはもちろん総裁選の結果で変わってくる。
基本的には麻生・小池以外の候補が総裁になったら、野党を選んでもそう変わらない惨状が待っていると思う。
特に与謝野馨が総裁として選ばれた場合は、とてつもなく危険な存在なので反対票を投じる意味で民主に入れていい。
財源論議なきバラマキ小沢民主だろうと、90年代後半に始まる悪夢の緊縮増税不況の再現よりはマシだろう。
地下生活者の手遊び(tikani_nemuru_Mのダイアリー) が「にゃ」が目に付いて読みづらいので除去するUser Scriptを書いた。
前同様ブックマークレットを見たけど、Greasemonkeyのほうがいいと思ったので。
カタカナ化された語が多用されてるのも目につくのでそれも除去するようにした。
// ==UserScript== // @name No Flavour tikani_nemuru_M // @namespace http://anond.hatelabo.jp/20080918103850/gm/tikani_nemuru_M/nya // @include http://*.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/* // ==/UserScript== document.body.innerHTML = document.body.innerHTML.replace(/にゃん([ねな])/g, 'なの$1') .replace(/個にゃん/g, '個人') .replace(/にゃんからね/g, 'なんだからね') .replace(/にゃ。/g, '。') .replace(/にゃー/g, 'ない') .replace(/にゃ/g, 'な');
// ==UserScript== // @name No Flavour tikani_nemuru_M // @namespace http://anond.hatelabo.jp/20080918103850/gm/tikani_nemuru_M/nya_katakana // @include http://*.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/* // ==/UserScript== document.body.innerHTML = document.body.innerHTML.replace(/にゃん([ねな])/g, 'なの$1') .replace(/個にゃん/g, '個人') .replace(/にゃんからね/g, 'なんだからね') .replace(/にゃ。/g, '。') .replace(/にゃー/g, 'ない') .replace(/にゃ/g, 'な') .replace(/オモチロイ/g, '面白い') .replace(/スバラチイ/g, '素晴らしい') .replace(/ジンケン/g, '人権') .replace(/ニンゲン/g, '人間') .replace(/ニッポンジン/g, '日本人') .replace(/カガク/g, '科学') .replace(/シヤワセ/g, '幸せ') .replace(/キョウダイ/g, '兄弟') .replace(/ウサンクセエ/g, '胡散臭い') .replace(/メンドクセエ/g, '面倒臭い') .replace(/ワリイ/g, '悪い') .replace(/ソノトオリ/g, 'その通り') .replace(/ケコーン/g, '結婚') .replace(/ガクモン/g, '学問') .replace(/アッ?タリマエ/g, '当たり前') .replace(/アリガチ/g, '有りがち') .replace(/カンタン/g, '簡単') .replace(/ムツカシイ/g, '難しい') .replace(/イイカゲン/g, 'いい加減') .replace(/メリケン/g, 'アメリカ') .replace(/シャカイ/g, '社会') .replace(/キョーサン/g, '共産') .replace(/漢(オトコ)/g, '漢') .replace(/怖気(オゾケ)/g, '怖気') .replace(/ちかれた/g, '疲れた');
http://anond.hatelabo.jp/20080902135236
公明党は今何やりたいかって言うと単純に勝ちたい、じゃないかな?
目的=勝つ だと思うんだ。まぁそのあたりは創価学会からの仕様だけど。
そういや俺の実家の地方でやる会合ではではおもいっきり公明党disってたな、まあ建設的な議論だったけど。
政策がどうだの言ってたなぁ(懐かしい)
あとな、政教分離の話はグレーじゃなく白だろ?政教分離の意味はき違えていないか?
そこらへんは自民も民主も社民も共産もかわらん。というか海外も変わらん。
戦前の靖国(と言うか”天皇教”と言うべきか)みたいに国が信仰を強制しているんならわかるけど、
別にそう言う訳じゃないのに何言っているんだか。
http://anond.hatelabo.jp/20080902141035
中東あたりのイスラム国家など、宗教国家総スルーですね、わかります。
==========追記============
http://anond.hatelabo.jp/20080902185644
今日びそんなこと考えてる奴はほとんどいないと思うけど。→信徒以外を敵
日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。
創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。
しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織の宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在は日蓮正宗と創価学会の関係はありません)。
そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。
戦時中の宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教も危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神的指導者として処刑されてしまうわけです。
いずれにせよ、政治の実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔な存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。
このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕・起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム・軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会・公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。
戦後、民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会のナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。
戸田は敗戦後、学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世帯折伏」を実行するよう呼び掛けます。
とほうもないように見えた計画でしたが、戸田が1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。
強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本の人口構造の転換に求めることができます。
農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。
そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。
こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長の戸田はまず1955年の統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。
これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田は政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗の開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。
1955 年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員の社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。
折しも創価学会は特に左翼・革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼・革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会や学会員の社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。
いろいろ言われているように、戸田が国立戒壇、要するに僧侶に日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。
しかし戸田は学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに 1964年には公明党が結成されました。そして1967年の衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。
この間、会長は池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選で公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。
この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さで頭角を現わすことになったのです。池田の会長就任は実に32歳の時です。
そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院の議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音(民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。
こうして創価学会と公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。
公明党の利害は自民党の、特に主要派閥である田中派との利害と一致し、連携が始まった。
しかし1969年、公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。
このとき活躍したのが、当時自民党の幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。
自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960 年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者・市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党か共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。
さて、田中角栄は地方への「利益誘導」政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。
もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党=田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派と公明党、学会の関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。
また1972年には、竹入義勝・公明党委員長が首相となった田中の依頼を受けて訪中、田中訪中→日中国交正常化の地ならしを行っています。
さて、「事件」でバッシングされた公明党と創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会と公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙で議席を半数近くまで落とします。
もちろん公明党と創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田と創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日の池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。
また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。
学会・共産党は支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中のファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家の松本清張で、彼は池田と宮本顕治・共産党委員長を引き合わせ、この学会・共産党の「同盟」を実現させたのでした。
もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党は学会なしには存在し得なかったからかもしれません。
また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。
結局、これで公明党はイメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。
結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党の顧問弁護士が宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党と共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。
新進党を挟んでの公明党の分解と合流の流れ。実際には公明党→新進党の前に短期間だけ「公明新党」が存在する。
1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。
1992 年、公明党と民社党は社会党が議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党が田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。
また1980年代から地方議会でも公明党が都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党は連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。
公明党の与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕・起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄で逮捕される国会議員も出てしまったといえます。
もっともこの不祥事には創価学会・学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党の国会勢力は1989年の参院選では前回比1議席減、1990年の衆院選では11議席減となっています。
1993 年、総選挙で自民党が過半数割れすると、公明党は非自民・非共産の連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。
その後、公明党は小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員と参議院議員の1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。
結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。
その後、旧公明党の衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在の公明党が誕生することになります。
新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党の誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。
こうして小渕内閣(小渕首相も田中派を源流)のとき、公明党は自民党と本格的に連携、地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党が2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上の自公連立政権がスタートすることになります。
そんななかで小泉政権が発足。公明党は小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民に政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。
しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会を母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。
また先のページで述べた「地方:自民、都心:公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。
微妙になりはじめた自公連立、公明党はどのように動き、創価学会はそれを支持するか……。
この間、創価学会会長だった池田は1979年、日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在の会長は原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長が創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌・新聞などをみても明らかです。
「政教分離」をした今、創価学会は公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員が公明党や公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。
ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会の壮年部長は読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会は公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。
公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員は学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会は公明党なしでもやっていけるが、公明党は創価学会なしにはやっていけないわけですから。
さて2008年で池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会副理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。
いずれにせよ現在の創価学会の組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。
※人名について一部敬称略とさせていただきました。
討議デモクラシーの挑戦 ―― ミニ・パブリックスが拓く新しい政治 ――
Amazon.co.jp: 多数決を疑う―社会的選択理論とは何か (岩波新書): 坂井 豊貴: 本
「多数決」以上に民意を反映できる選挙方法とはどのようなものなのか?
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
151 :名無しさん@12周年 : 2012/03/18(日) 21:15:38.52 ID:q4JH9ZwT0
>>127
どちらも同じ芸能人になったりするように
全く合理的ではない
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) | 高橋 昌一郎 | 本 | Amazon.co.jp
Amazon.co.jp: 不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力: ジェイムズ D.スタイン, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦: 本
アローの不可能性定理とコーポレート・ガバナンス: 官庁エコノミストのブログ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
あのなぁ、83年生まれってのはなあ、
バブル絶頂期に幼少期を過ごし、
しかし自足歩行が板につくころにはバブルがはじけ、
ゆとり教育云々のニュースを尻目に古式ゆかしい受験戦争を戦って、
やっと入った大学では先輩たちの「昔はこうじゃなかった」という言葉を耳にたこができるほど聴き、
実際は氷河期ほどじゃなかったけどコミュニケーションがどうのこうのとか新奇な指標を持ち出されて閉口し、
やっと入った会社では団塊の世代を目の敵にしてたおっさん(今や大量退職で天下握って調子に乗ってる)にこき使われてる、
っていうまじで悲しい世代なんだよ。ちなみにいじましく過した青年期は通称「失われた10年」とか呼ばれる期間な。
わかるか?
おれたちはバブルは知ってるけどバブルの楽しさは知らないんだよ(ここら辺の世代の感覚がわからない。初期の村上春樹にぴんとこない。
社会を意識しだしたときにはもうすでにソ連は崩壊してたんだよ(冷戦とか共産とか資本主義とか、知ってるけどリアリティーはない。
おにゃんこクラブなんて見たことないんだよ(終わった直後だよ女性を意識しだしたのは。よくわからんわー。
八時だよ全員集合も見たことない(ギリギリ記憶にないね。パロディーからオリジナルを知ったよ。
モー娘に冷めるんだよ(個人的にね。でももうちょっと早く始まってれば、熱狂できたのに。
初めて見るものがすべて「懐かしい」って言われてたんだよ(ガンダムも仮面ライダーもウルトラマンも、続編や再放送やレンタルビデオで見たよ。で、それが「なつかしの」なんてお題で特集されるの。わかる?この感覚)
「ゆとり」じゃないんだよ。(確か1つか2つ下の人たちからだよね)。
なんかねー、「あ、人生始まった」って時期に限って、何かが終わっていくの。冷戦も、バブルも、冷戦後の短い平和も、いろんな文化も。
で、そういうのを、団塊の世代とか団塊ジュニアの世代とか新人類世代とかシラケ世代とかバブル世代とか氷河期世代とかの人が、昔はあのころはそういえば、って嘆いたり言祝いだりしていた(る)の。
で、もう流石にもう世代とか言う言葉は使わねーだろ鬱陶しいしーなんて思ってたら、「ゆとり世代」の登場ね。
旧来のよろしくない教育を改め新たなよろしい教育を。なんてことを、その時期まさに旧来の教育を受けていた人たちはちゃんと聞いていたわけだけど、まあこれは逆恨みになるから詳しくは言わないことにする。まあ、ちょっと白けたねー、とは、言っておく。
色んな「世代」があるけど、なんかどの「世代」にもはまらないなー、って世代。それが83年あたりの世代だと思う。もしかしたらこの先「サカキバラ世代」と言われる様になるかもしれないけど、「世代って言われてもなぁ…」って感覚で聞き流すと思うな、自分は。
まあこんな感じで。何も言いたいことはないけど、「83年」に釣られて書きなぐってみた。