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はてなキーワード: 仮名とは

2009-01-19

静かなる改名

昔から、名前を変えたかった。よほど変じゃないと変えられないって誰かから聞いてて、しょっぱなから諦めモードだった。

八年くらい前に、ネット知り合いの方が、本名を変えていた。占い師にそうした方が良いと言われたらしい。変更前、変更後、どちらも普通名前だった。変な名前じゃないと変えるの難しいって聞いてたんですが、そんなあっさり変えられるものなんですかと尋ねてみた。「みんながその名前で呼んでるとか、年賀状がその名前で届くとか、そういう使われ続けてるって証拠があれば、変えられるらしいよ」という返答を貰った。自分もやりたいなあと思ったけど、年賀状をくれる人どころか、日常的に本名を呼んでくれる人もいないので、再度諦めた。

ついこないだ、氏名変更に関するページを見て、戸籍には読み仮名が登録されておらず、実のとこ好きな読みで生活しても良いことを知った。結婚時に色々書類書いた際に一枚余らした戸籍謄本引っ張り出して見てみたら、ほんとに振り仮名がなかった。漢字そのままで、発音のみを変えたかっただけなので、これは朗報だった。

2009年から、名前振り仮名を振る際は、自分としては本来こうであるべきと思った方の読みを書くことに決めた。名乗ったり呼んで貰う際にもその発音にしてもらうつもりだけど、まだ名前を名乗ったり呼ばれたりする機会に巡り合えていないので、脳内予行演習のみ。

親や義親の方々にはじわじわ説明していこうと思う。もしこれから親しくなれたらって仮定の話だけど。よそよそしいままならまあそこいら辺だけ旧名でお付き合いすりゃ良い訳だし。先のネット知り合いさんのように周知させなきゃいけないってプレッシャーが無いから、たいそう気が楽。どっちの読みでも別段嘘吐いてることにならないって早くに知ってればこんなに悩むこともなかったのに。

銀行クレジットカードは通りそうなら変更届出すけど、無理そうなら無理しない。宅配便の人とかと「(振り仮名の無い宛名を見て)○○さんですね」「はいそうです」って会話が罪悪感なしに行われるならもうそれで本望。

旧名で良かった事なんてイグロの ABC ポテトの数が一個増えるくらいで、あとはいまいち良い思い出が無かった。最近 ABC ポテト自体見かけないから良いことひとつもナッシン。こんな具体例だけ載せてるととても軽薄に見えそうだけど、色々あって、あっても本名がらみだから安易にインタネッツで話すのもためらわれて、そんなこんなでエンタメ性が薄くてノーガードな吐き出しをかけても比較的目くじら立てられ難い増田にどーん。近江牛はろばどーん。

書くだけ書き切って後からまとめようと思ったけど、そのままの方が生々しくて好きだと気付いたから、好み関係で、ろばーん。

追記:

b:id:ROYGB 住民票には読み方が記録されているような。

記事中のリンク先を読んで得た情報なのですが、割と簡単に変更できるようです。自治体によっても差があるとは思いますが。

2009-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20090118020815

クレジットカード作ったら全部終わりだしな。TUTAYAカードダメ

戸籍住民票も役所から消せないから、生まれた時点でアウト。

定期的に引っ越しするぐらいしか対処方法はないねー

とまあ冗談はこれくらいにして。

ネット上に一切の痕跡を残さないような生活ってのは、できなくはないだろうから頑張れば何とかなるんじゃない?

句読点の打ち方、仮名の振り方、括弧の付け方に助詞の使い方語彙数、アップする写真の背景、数の数え方、子供の頃の話、ノってくる話題、年齢、行ったことのある店の名前電車の乗り方、天気テレビの話題、etc,etc

単体ではたいしたことのない情報でも、全部集めるとソコソコの情報になるからなあ。本気で隠すつもりならBLOGは無理だろ。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2008-12-27

学ぶということ

私は今IT系ベンチャー企業で、技術補佐的な立場の雑用のバイトをしている。その中で、私に技術的なものごとを教えて下さる方が主に二人いる。一人はその方が今まで積んできた経験を教えて下さる。一人は経験の積み方を教えて下さる。とてもとてもありがたい。仮名で呼ぶのは失礼ではあると思うが、ここで前者をAさん、後者をBさんと呼びたい。

Aさんが教えて下さる経験

Aさんはとても親切な方だ。何かわからないことを訊ねると、すぐに適切な答えを教えてくださる。そして更に、何でその答えになるのかということも教えてくださる。そのなぜその答えになるのかという考え方にその方が積まれてきた経験がある。それを学ばせていただけるのが非常にありがたい。

Bさんが教えて下さる経験の積み方

Bさんはちょっとぶっきらぼうな方だ。何かわからないことを訊ねると、その答えの調べ方だけ教えて下さる。答えを直接教えて下さることは滅多にない。けれども、教えて下さったことを元に答えを探すと必ず答えに行き尽くし、その答えに行き着く過程で何をどう調べたらいいのかということや、その答えの周辺知識も身に付く。そうして経験を積んでいくのだ、ということを学ばせていただけるのが非常にありがたい。

更にCさんの話

更に今のバイト先にはもうお一人、Cさんという方がいらっしゃる。この方ご自身は技術者ではないが、数多くの技術者の方とクライアントの方の間に立って折衝をしてきたディレクターの方だ。この方はどのようにしたら限られたリソースの中でプロジェクトを完成させることができるのかということを学ばせて下さる。それらは私のような兵隊にはすぐに役立つことではないが、しかしそれらの方法論から自分がどう駒として使われるのか、そして使ってもらえばいいのかが多少ではあるものの見える。そうした自分立ち位置が分かっているのといないのとでは、たとえバイトであってもモチベーションに大きな差が出る。だから、そうしたことを学ばせていただけるのが非常にありがたい。

本当に今私は職場に恵まれていると思う。もっとたくさんのことを学ばせていただきたい。そのために、振ってくる仕事は受動的に片付けるべき仕事であっても、それから少しでも多くを学ぶために常に能動的であることを忘れないでいたい。この方々はバイトを育てるのが仕事ではない。自分が学ぶ姿勢があって初めて、学ばせていただく立場に立てるということを決して忘れてはいけない。

2008-12-26

小学校で同級だった男の子電話をした。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

の続き。

メリーメリークリスマス

メールが届いた。

クリスマスは、わたしは家でクリスマスケーキを食べて過ごした。

いつもは買わない上質なケーキを買ったので、大変おいしかった。

ケーキを食べながらテレビを見ていたときに飯島愛が亡くなったことを知った。

特に好きなわけでもなかったが、誰もいないマンションの部屋でひとり死んでいくのはとてもさびしくて辛いことだったろう、と考えたりしていた。

そんなときに、メールが届いた。

この間会ったときに

「『あけおめ』みたいな略語は俺は嫌いだ」

と力説していたので、ああなるほど、「メリクリ」もきっと使わないんだな、と思った。

クリスマス、楽しんでますか?」

と返信を送ると

仕事終わって、会社の人たちと飲んでるところです。

 そっちは?」

と返ってきた。

誰か親しい女の人とふたりきりじゃなかったんだ、よかったよかった、と素直に安心した。

ケーキ食べてた。おいしいよ。

 何飲んでるの?」

「すでに焼酎いってます。

 ○×関係(←業界用語)の人たちに飲まされてやばい」

とか書いてくるので

「ちょっと大丈夫(笑)

と返したら、電話がかかってきた。


「今一人?」

「うん。」

「おー。クリスマスイブに一人。」

「いいじゃんw」

低い笑い声が聞こえた。

それから(こんなふうに話題にして申し訳ないとは思ったが)飯島愛が亡くなった、というニュースについて

「びっくりしたー。何があったんだろう。」

「なんかノイローゼだったみたいね。」

「病死の可能性もあるって言ってたけど。」

とか、今日飲み会ではどんな料理が出たとか、そんな話をした。

向こうはもう結構な酔っぱらいで、この間とは少し違ったテンションで、よく笑い、よくしゃべってくれた。

それがわたしには居心地がよかった。余計な気を遣わずにいられて、話していてとても楽だった。

「まだ電話してていいの?」

「あー。うん。ちょっと外出てきたから。」

「気分悪い?」

大丈夫大丈夫

 そっちも電話、よかった?」

「え、うん。

 わたしは別に。暇だしw」

ここで一瞬間をおいてしまった。

だから、妙にかしこまった言い方になってしまった。

すぐにさらりと言えたらよかったのだ。

ありがとう。」

「え?何が?」

電話してくれて。」

「ああ、いやいや。そんなw」

改まってお礼なんて言っちゃうのが、きっとわたしの悪い癖なんだ。

こういうのはきっとなしくずしに、暇ならとりあえず電話するのが当たり前、みたいな関係に持っていくと、うまくいくんだ。

ああ、そうだ、そもそもわたしは、うまくいかせたいのかどうなのか、それが自分でもよくわかってないんだった。

だからこんな風に、近づきたいような距離を置きたいような、本意をつかみがたい言動を繰り返してしまうのだ。

いかん。こんなことではいかん。

どちらにしても、もうちょっとわかりやすい言動を心がけなければ、と思った。

あなたと話していると、ささいなことでも楽しく感じられるし、会話のキャッチボールはとてもスムーズだし、だからわたしはあなたと話すことができて、すごくうれしい。

電話してくれてありがとう

また、話がしたいね。

好意とはいつでもしっかり伝えるべきものだ、と思う。

だからわたしは、それを伝えなければ、と思う。

でも、これっぽっちのことを伝えるだけなのに、やっぱり何か余計なものが混ざってしまうのだ。

「余計なもの」とはわたしがそう感じているだけで、この年頃の男女の間にはごく一般的にあるものだということはわかっている。

これを言うことで、相手が自分のことをどのように意識するか、「狙っている」発言、相手の「気を引く」発言、好意を「アピール」。

恋の「駆け引き」。

それでいいじゃない、と声がする。

わたしは彼に恋をしている。

これまで付き合ってきた人たちとも、はじめはそうやって距離を縮めてきたじゃない。

ありのままに、まっすぐに気持ちを伝えるだけのこと。

それだけのこと、と思えばいいのだから。

でも、それは本当に「まっすぐ」なのかな。

女性からこのようなことを言われて、年頃の男性が一般的にどのように感じるか、ということをわたしは知識として知っている。

そして、だからと言って何ら悪びれるべきことはないということも、もちろん知っている。のだけれど。

とか、ごちゃごちゃとくだらないことをわたしが考えていたら、

「ああ、俺も思ってた」

と突然向こうが言ってきた。

「え、何が?」

「こないだ言ってた『こういうふうに何でもしゃべれる関係って貴重』って」

「そうなんだ」

「気取るわけじゃないけど、やっぱり相手を選ぶよな」

思考回路が似たもの同士なのかな、って思う」

「俺もそう思うw」

「やっぱり、そうだよね。」

「うんうん。そうだろ。」

ふたりで同じことを言い合って意気投合しながら、気持ちがだいぶ軽くなった。

そうそう。

わたしたちは気の合う友達なのだ。

当時もそうだったし、今後もきっとそうなのだ。

ひとまず、それでよしとしよう、と思った。

錯覚なのかもしれないが、向こうも同様の感触を得たらしく、晴れ晴れとした声で

「ごめん、俺そろそろ戻るわ」

と言ってきた。

わたしはまったく友達に言う口調で

「うん。おつかれさま。またねー。」

と答えた。

「おう。またな。」

と、彼は電話を切った。

すっきりした気分でお風呂に入り、あがってくるとメールの着信ランプが点滅していた。

「こないだ会ったときに思ったんだけど、ミッチョン(仮名・わたしのこと)、きれいになったよな。

 別に変な意味じゃなく。

 また飲みに行こうな。おやすみ。」

あばばばばば、ってなった。

2008-12-23

悲惨な12月23日

俺より悲惨なクリスマスを迎える人っている?

http://anond.hatelabo.jp/20081222153004

ついにその日はやって来た。

約束時間は午後3時。なんだか中途半端時間だ。

しかも、何で俺の部屋なんだろう?

そう考えているうちに2時45分になった。

だめだ。息子がカティンコティンだ。これではどこかの皇帝だ。カティンコティン三世とか。

そう思ってるうちに、午後三時を過ぎた。

このままでは部屋に入ってこられた瞬間、白もち肌を襲ってしまう。もはやもちにしか見えない。喰うしかない。

時間すぎて来そうもないので、カティンコティン皇帝の昂ぶりを抑える事にする。

やおらズボンから御幸頂いて、皇帝に拝謁し、うやうやしくさすり始めた。

皇帝は高度を増し気色ばんでおられたが、汗を巻き散らしながらついにはビクビクっと痙攣され賜いて安らかになられた。

いそいそと皇帝をてぃっしゅで拭きあげ、綺麗に居住まいを整えた。

ズボンの中にゲンナリとなった皇帝がお隠れ遊ばしたところドアがノックされた。

「ひゃ、ひゃあああい」

声にならない声で応答する。てぃっしゅを162km/hでトイレに投げ入れ、流した。

「遅れました。ごめん、入っても良いかな?」

かがみもち改め21歳女性が、俺にそう聞きながら部屋に入ってきた。

俺は伊達スーパー賢者タイムではない。

女性山田さん:仮名)をソファ兼ベッドに座らせ、自分はテーブルを挟んで逆側に座った。

山田さんはいきなり話を切り出してきた。

「ねえ、メールの事だけど、○万でどう?」

「その事なんだけど、確認したいんだけど、援助交際って事?」

山田さんは黙って頷く。

俺は伊達スーパー賢者タイムではない。

俺は上着のポケットから、封筒を取り出した。いぶかしげに俺を見つめる山田さん。

「なに?これ?」

「中に20万円入ってる。それを持って帰ってくれ」

目を見開いて驚く山田さん。

「なんで・・・抱きもせずにこんな・・・」

メールを見た時からそう思っていたんだ。お金で君を抱きたくないって。俺、ちょっとしか会ってなかったけど、毎日メールしたりして、君の事、真剣に好きになりかかっていたんだ。こんな形で君を抱きたくない。お金が必要なんだったら、持って行ってくれ。それを持って帰ってくれないか」

「あなた、バカじゃないの?メールのやり取りしただけで、1回しかあってないような女に何でこんな事するのよ。このお人よし。あなたなんか、誰かにだまされてのたれ死ぬわ・・・」

彼女悪態をつきながら、声が震えていた。

彼女は・・・泣いていた。

「あたしなんかね、一家総出で騙されてたのよ。家を騙し取られてね。そうよ、あの講演会よ。セミナーとか自己啓発とか言って、人の良い奴をだましてお金をふんだくるだけなのよ。うちはね、両親バカだから全部お金出しちゃって、気づいたら家とかも抵当に入ってて、そしてこの不況でしょ。親の仕事なんて無くなって、家も無くなって、気づいたらホームレス中学生を地で行ってたわ。運が良いのか悪いのかボロアパートに転がり込んだけど、暖房も無くて寒くて凍えそうだわ。家の中でダンボールと、新聞紙をかぶって寝てるのよ。オヤジはバツイチ再婚してるんだけどさ、小学生の弟と幼稚園の妹が連れ児で居るの。笑えるわ。まだサンタとか信じてるのよ。いるわけないでしょ、サンタとか。バカみたい。ホントにバカみたい・・・」

山田さんの涙は止まらなかった。

俺は山田さんにティッシュを渡して涙を拭いたら? と言った。

「ありがとう」

山田さんはティッシュで涙と鼻水をぬぐって、ようやく泣くのを止めた。

「あのさ、俺はまだサンタさんをさ、信じてるんだ。だってさ、そのお金、今朝サンタさんがおいて行ったんだぜ。どうせ金も無くてロクなクリスマスを過ごせないんだろう、好きに使いなさい、ってメッセージカードに書いてあったよ」

「嘘つき」

「俺は嘘つきじゃない。賢者だ」

賢者?」

「そう、スーパー賢者

「ホント、あなたってバカね」

「よく言われる」

彼女お金の入った封筒から、○万だけを抜いた。

「あのね、○万って、弟と妹にプレゼント代とケーキ代のつもりだったの。サンタさんがいるなら、それだけ借りておくね。きっといつか返しにくるから。えっと、賢者さん?で良いのかな、お金を返すのは?」

「わかった。俺がサンタさんとの橋渡しになって進ぜよう。いつでも返しに来るといい」

俺のおどけた声を聞いて、山田さんはようやくにこっと笑顔を見せた。

かがみもちは撤回だ。彼女は、可愛い。

辺りはすっかり夕闇に包まれていた。

彼女はドアを開け、帰って行った。

部屋を出て行く山田さんの腰からくるぶしにかけての曲線を見て、猛烈にカティンコティン四世が即位しはじめて来た。

カッコつけすぎた。

でもまあ。

俺は満足だった。

俺の貯金で、今年もサンタを信じてくれた弟と妹がどこかにいる。

それだけでも今年のクリスマスは最悪じゃない。

窓の外の夕闇に初雪がちらつき始めていた。


二次創作fromサンタ

2008-12-21

男とか女とか

インターネットって、男と女の違いについて激しく語っちゃって、

まるで19世紀末のウィーンみたい!!

図書館でヴァイニンガーがワイニンゲルだったころに出版された『性と性格』を借りたら、

≪作者は気が狂っている≫というようなことが、旧仮名落書きしてあった。

2008-11-24

ひとくくりにしてよいものなのでしょうか?

http://anond.hatelabo.jp/20081122005902

体罰を受けて自分の為になったか?という質問に私が答えるなら「どちらでもない」と答えることになるでしょう。

私(21男)の小学校の6年間、色々な先生が居ました。その中に体罰と思えるような事をした先生が2人居ました。

1年生時の担任の先生と6年生時の担任の先生。仮に前者A先生後者をB先生としておきます。

1年生の時、私は小学校に入学したという喜びで浮かれていて授業中も静かにせず、挙句は隣の子にちょっかいをかける始末。

今考えると我ながら何をしていたんだろうと思います。

その時の担任のA先生(50-60代の女性)はそんな私を手に余らせたのか、始めに私を隣の席から離して壁際にしました。

それでも変わらない私をA先生廊下に立たせました。

しばらくすると、A先生から入っても良いという声がかかり、中に入ることが許され何が悪かったのかを説明して、この後ちゃんと聞いていられるように注意しました。

夏休み宿題をやってこなかった私に手を上げることもありましたが、期日を設定しそれまでにやってこいと言われました。

6年生になって今までと同じように過ごして居たのですが、当時の担任のB先生(40代男性。恰幅がよい)にはたびたび(というか頻繁に)叱られました。

1週間に一度以上は叱られていたように感じます。

宿題を忘れて、授業に少し遅れて、給食を食べきれずに、掃除を真面目にやらずに、授業中に勝手に発言したり……

思い出せばきりがないですが、大体私に原因があります。(中にはとばっちりや私に原因のないものもありますが)

その中で特に覚えている2つ。

ひとつは、当時放送委員会に所属していた私が給食時の放送で、放送が聞こえたり聞こえなかったりした時にB先生が「放送室に行ってきて、聞こえないと言って来い」と言い、給食の途中だった私に放送室(教室は3F、放送室は1Fの奥)まで行かせました。

給食の途中ですし、その日の放送当番はあまり会いたくない相手だったので気乗りせずに階段を下りていきました。

階段を下りていく途中、放送がちゃんと聞こえるようになったので「これはしめた!」と思い、教室に戻って給食を再び食べ始めました。

そしたら、また放送が聞こえなくなったのです。その時にB先生は「おい増田(仮名・私)。ちゃんと放送室で聞こえないって言ってきたのか!?」と私に問いました。

私も私でバカ正直なので「すみません。途中で聞こえてきたのでもう良いかと思いました。」と答えたのだが。

(B先生は児童に敬語強要してた。タメ口で話すと「先生は君の友達じゃない」と言ってた。まあ、この頃から敬語を話せるようになれば後々役に立つので、その点に関しては私は賛同する。)

何が気に触らなかったのか、私を自分の元まで呼びつけ怒鳴りつけました。更には私の首根を掴み若干私が浮くぐらい持ち上げて怒鳴りつけました。

元々恰幅の良いB先生がそんな事をしたら小学生は萎縮してしまいます。

叱られている間に給食時間は終わり、放送も中途半端な状態のまま終了しました。

給食時間の後の掃除時間が始まり、やっと解放され周りが掃除をしている中、後ろに下げられた机で給食を食べることを許可されました。

確かに私が言われたことを実行しなかったことも悪いのですが、何故そこまでの仕打ちを受けなければならないのか不服でした。

もうひとつは、夏休み宿題を忘れた時。2週間ばかり出さずに私を含む数名だけが宿題をやっていない状況でした。

その時、忘れた者に対しB先生は各人を自分の元に呼び「この宿題はいつ出す?」とそれぞれの宿題の提出可能時期を聞いていました。

私に対しても聞いてきたのですが、私はその時に全然(夏休みの友以外の)宿題に手をつけておらず一切宿題提出時期のめどが立っていない状況でしたので、

バカ正直にほとんど全ての宿題に対して「いつ出せるかわかりません」と答えました。

すると、その返答にキれたのかB先生は私の首根を掴み、教室から連れ出して階上にある音楽室まで引き摺りました。

その上、音楽室にある個人用のオルガン机に私を押し付け、上から首根を押さえ、その状態で叱りつけました。(私は ┐←このような状態で仰向け状態でした。)

その状態でB先生は「いつ出すんだ!?」と問い続け、私は泣きながら謝っていましたが、やっぱり私はバカ正直なのでいつ出せるかわからずに「わかりません」を繰り返していました。

その状態が5分くらい続いたでしょうか?B先生は私の返答に痺れを切らし、体勢を変え、今度は私を壁に押し付けました。

音楽室の壁は音響のためか/\/\←このような山状になっておりその谷間に私を押し付けました。勢いが強く、私は咳き込むほどでした。

やはりその時もB先生の恰幅のよさのためか大変怖かったと記憶しています。

そして、またB先生の「いつだす!?」の質問です。もうバカの一つ覚えかの如く同じ質問しかしません。

また、私もバカなので「わかりません」の回答しか出来ません。

最終的にB先生は「○日までにやって来い!いいな!」と言い、職員室へ戻って行きました。

当時、どっちかって言うといじめられていた方なのであまり他のクラスメイトは心配してこなかったのですが、この時ばかりは、教員の親を持つ友達から「教育委員会に言った方がいいんじゃない?」と言われました。

その年、初めて担任の先生年賀状を送りませんでした。

と、2人の先生のエピソードを書きましたが、

今思い返せば、A先生の時の体罰は役に立ったし、A先生感謝したいくらいです。(ベテランの方なので慣れていたんだと思う)

逆に、B先生は当時も時間のたった今でさえ忌々しく思い、今でも恨んでいます。

A先生の場合、叱った後に何故それがいけないのか、どうしたら良いのかを私に諭してくれました。

が、B先生の場合は叱るといっても同じ言葉の繰り返しが多く、だからどうすればよいという事を私に言わず、「だからお前は」的な言葉が多かったです。

なので無意味時間のみが経っていく様に感じました。(子どものような叱り方)

この2人の先生を見ていて、一概に体罰が役に立たないと言えないのでは?と思います。

叱るのが上手い先生、下手な先生多種多様なので体罰がいけないとは答えられません。

B先生の場合、私がいけないと思う点も有りますが、相手は小学生なのですからそのあたりも「大人」としてその児童に合った叱り方をすべきだと思います。

他にも小学校6年間で良い先生、嫌な先生は居ましたが、体罰を振るうことはありませんでした。(うちの親曰く通知表に書いた内容が「言葉暴力」だという40代女性先生は居ましたが。)

私は今もB先生を恨み、先生と呼ぶことすら嫌だと思います。

更に、未だにB先生教員を続けていることも恐怖を感じます。

今思えばいじめを含み、よく不登校にならなかったものだと自分でも思います。メンタルが弱い子なら多分不登校になっていたことでしょう。

多分、祖母から戦前教育を聞いていたから「それよりはマシだ」と思っていたからだと思います。(常に竹刀を持ち歩き、常に眉間にしわを寄せて、少しでも悪いところがあったら竹刀で叩くというもの)

長々と失礼しましたが、世の中色々な先生が居てその先生スタンス多種多様で何事もひとくくりには出来ないものだと思います。

2008-11-19

振り込み詐欺電話がかかってきた。

 この間、振り込みの詐欺電話がかかってきた。まさか我が家にかかってくると思っていなかったので、ちょっと長めに喋ってみた。

男「あ、Aさん(私の名字)のお宅ですか?私、弁護士渡辺仮名)と、申します」

私「弁護士さんがなんの用ですか?」

男「実はお宅のTさん(兄)が地下鉄○○線で女子大生わいせつ行為をして。今相手と話し合いをしているんですが」

私「ああ、そうなんですか」

 因みに兄は土建関係仕事をしているので、全く電車に乗りませんし、この日は休みで寝ている所だったので黙っていました。

男「それで相手の女性が50万円払えば、訴えないとおっしゃっていて…」

私「50万円でいいんですか?」

男「ええ。そうなんです。直ぐに振り込めますか?」

私「ええっと…そうですねぇ、平日ですし。少々お待ちください」

 母親兄貴を起こさせに行き、その間私は相手に事件の話を詳しく聞きました。

 お尻をなで回され、ショックで女性は喋れない位だとの事でした。

私「…あの、電話をかわってもいいですか?」

男「あ、はい」

兄「もしもし?俺、本人だけど、家にいるんだけど?」

男「え?」

兄「それに電車なんてこの10年乗った覚えないぞ!」

 兄が怒鳴ったら、相手は電話を慌てて切りました。この電話家族全員スピーカーで聴きながら、母親は必死に笑いをこらえていました。

 近所の家にもオレオレ詐欺電話がかかってきたのですが、車を運転してたら事故っちゃって…と、ノボル君から電話でしたが、ノボルは飼い犬なのでその人も冷静に「犬が車運転して事故ったからって電話かけてくる訳ないわ」と、免れました。

 詐欺電話、多いんですね。お気を付けください。

ogino

ほんっっとあれだけどさ

はてなキーワード登録したり

xx才の女子高生ですとかやったりとかさ

アレ一体誰のための何だったんだろうな。

アレアレ

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tak_f/20081118/1227008984

lost_and_found commented アレイベント的ノリもあったが、自分Webから得た希望を他の誰かにも贈与したい」という思いが基調にある印象だった、と野次馬として証言はしておきます。CommentsAdd StarcorecorecoreHolyGrailsendBritty

とか?

へえ。基調、ねえ。

http://b.hatena.ne.jp/core/20081118#bookmark-10890306

core 自分いじめ定義は「学校職場など簡単に抜け出せないコミュニティ空間内」でおこるものだと思ってる 今回荻野さんは去ろうと思えば去れたはずだけど自分の意思で去らなかった、と解釈しているCommentsAdd Star

抜け出せなくない?

多分「コミュニティ空間」を絡んだ人ら周辺に対して使ってるんだろうけどさ、

その「コミュニティ空間」をネット空間として見るとさ、無限に増えるわけじゃない?その空間としての枠が。

コミュニティ空間が現実と同じになる。

それにあれ本名でしょ?仮名なの?

要は現実空間に個人に札付きでさらし者にして、逃げられないようにしてるわけでしょ?

…彼は本当に去ることができたのかなあ、現実空間から。

ああ、死ねばいいのか。

ほんとどうかしてるよ。

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

2008-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20080925023249

Mステが収録だと思ってる辺りが子供らしくてかわいい。

キョウコちゃん(仮名)はお母さんからして問題ありそうな、そんな雰囲気で一杯だね!

確かにうちのクラスでもジャニ好きで虚言癖激しい子、居た。某コンサート(っていうんだよねジャニ。)会場の近所に一時期住んでたんだけど、コンサートの日はお年寄りが歩いていようが、小さい子供連れがいようが、道塞いでなんか団扇もって話してる。人にぶつかろうが人の家のモノを壊そうが、

ジャニが好きなアタシってばかわいい!大好き!(外野はこんなかわいいアタシに少々の事はつべこべ言わないでよね!)

って雰囲気を醸して、全く聞き入れない。分別つく年頃はとうに過ぎたような人が沢山群れていたけど、なんか色々可哀想。あれって何か、おかしなモノ食べたとかそういう人なのかな?自分もバンドとか幾つかハマってライブとか行った事あるけれど、音楽聞くのに一生懸命メンバーとかと握手しようとか全く思わなかった。握手会とかありえないし。どんなツラしてようと、インタビュー内容と音楽と年に2回行く位のライブがおもろければそれで十分な自分にはジャニオタっていうのはちょっと違う星の人に思える。

そんな事を生まれてから何年も重ねた今、テレビで頑張ってるジャニの皆様に対してはお疲れ様です、位にしか思わないのだけれど、

ジャニーズコンサート帰りっぽい人とかジャニーズ番組に観覧に来てる人に対してトラウマ

軽いトラウマ

 中学2年の冬。同級生(キョウコちゃん・仮名)に「今度の日曜日、暇?」と、私ともうひとりの友人(エミちゃん・仮名)に声をかけてきました。遊んだりする普通の友達だったので、何時もと違う誘い方にとまどった私とエミちゃんでしたが、なんだろうと、話を聞くと「今度の日曜日に○○でミュージックステーションの収録があって、ふたりが好きなバンドが出るから一緒に行かないかなって思って…」との事でした。

 その情報を知らなかった私とエミちゃんは、即決で行く事に。そして、日曜日朝の5時に駅前で集合し、電車バスを乗り継ぎ(所要2時間弱)、徒歩で会場である○○という広い体育館のような所に行きました。駅から長蛇の列で、みんなが○○に向かっているとの事でしたが、私とエミちゃんの好きなバンドのファンっぽい人がひとりもいないのが気になったけど、キョウコちゃんに言われるまま、素直に列に並びました。

「座席は決まってないの?」と、聞くと「今日は抽選だから…」と、言われ、巨大な駐車場に何時間も並び、気付いたらお昼過ぎになっていました。お昼は近くで食べられるだろうと、お金だけ持ってきた私たちでしたが、コンビニが1軒しか無く、しかも沢山の人がお昼を買いに来る所為で全て完売。やっと列が動き始めたのはそれから時間後でした。

「これでやっと待つだけだねぇ」「中で食事とか売ってるか、入ったら見に行ってくるよ〜。お腹ペコペコだもん」私とエミちゃんが盛り上がった頃、突然キョウコちゃんが「ごめん!」と、言いました。何か分からなかった私たちにキョウコちゃんが突然まくし立てるように話し始めました。

ミュージックステーションの収録って言うのは嘘なの!ほんとはスマップ握手会で……あたし、どうしてもキムタクと喋りたくて……でも、ひとりで行く自信がなかったからふたりを誘ったの!!」私たちはびっくりぽかーん。でも、後ろには長蛇の列で、抜け出せるような雰囲気でもなく、あっけにとられてる私とエミちゃんに「これ持ってると入れるから!」と、チケット渡してきたキョウコちゃん。やる気満々です。

 兎に角食べるものを買ってこようと、座席に座ってから近くの売店を見に行ったけれども、何処もしまっていて、売っているものはグッズばかり。挙げ句、キョウコちゃんが大事そうに抱えてるボストンバッグに、ばかでかいラジカセが入っていて「これで声を録音するんだ!!」と、呆然とする私たちに笑顔で説明。

 どうせ直ぐ順番になって帰れるだろうと、思っていたら、それから待ち時間が2時間位。私とエミちゃんは、誰のファンでもなかったけど、キョウコちゃんに言われてメンバー全員に「頑張ってください」と、言って、握手した。キョウコちゃんは会話をする予定だけど、予想以上のファンが来てしまったらしく、早口で何かを喋っていたけど問題のキムタクはたった一言「おう」しか言わず、それでも嬉しそうだった。

 帰りも凄い込みようで、疲れ果てた私たちに乗り継ぎの駅でジュースとパンをごちそうしてくれたキョウコちゃん。帰りの人もまばらなローカル線の車内で、あのでかいラジカセを鞄から出して、ヘッドフォンも付けずに何度もキムタクの「おう」を聞いて、疲れも頂点な私たちに「格好いいでしょ〜!!!」を連呼していた姿は、今も忘れられない。

 でも、いちばんの衝撃だったのは、その後でした。夜10時近く、やっと地元の駅に着き、駅前で解散しようとなった時、泣きながらキョウコちゃんの母親が「キョウコーーー!!!」と、走ってきて、いきなり私とエミちゃんを平手打ち。唖然とする私たちに「あんたたち!うちの子がおとなしいからってこんな遅くまで夜遊びに連れ回してどういうつもりなの?!明日、学校で話し合いさせて貰いますから!!!」と、怒鳴り、キョウコちゃんを連れて走るように帰って行きました。「謝って欲しいのは、こっちだよ」と、私たち。私は家に帰り、今日の出来事を全て母親に話し、母親に「やぁねぇ」と、慰められ、翌日呼び出された学校でも聞いた話をしたけど、キョウコちゃんの母親は「あの子もそう言ってます!」と、一点張りで、当の本人のキョウコちゃんも私たちに連れ出されて遊びに行ったと、先生に報告。1週間近くごたごたしていたけど、他のクラスチャゲアス好きな子にも誘いをかけていた事で、キョウコちゃんが誘った張本人だと判明し、学校の誤解は解けたけど、キョウコちゃんは謝りもせず、そのまま…。3年になった時は同級生にこの件の影響か学校帰りに遊んでもいいけど、休みは遊ばないという暗黙のルールが出来てしまい、キョウコちゃんはジャニーズ好きの下級生と休み時間盛り上がっていた。

 この所為か、今流れているジーンズCMもなんだか嫌でチャンネルを変えます。特にギャランドゥが嫌なんですが、他人のギャランドゥは別段なんとも思いません。顔も余り好きではありません。会社の同僚には「珍しい!」と、言われますが、彼を生理的に受け付けないように中学の頃、なってしまったようです。

2008-09-12

「チーが死んだ」と彼女は言った。

昨夕、仕事中に、同棲している彼女電話をかけてきた。嗚咽を漏らす彼女が告げたのは、飼っていた文鳥の死だった。

文鳥、と呼ぶのはあまりにもよそよそしいので、仮名をチーとする。チーは、彼女が僕と付き合う前から飼っていた文鳥で、彼女とは10年以上の付き合いになる。手乗り文鳥はかなり人懐っこい。チーもその例に漏れず、飼い主である彼女にとても懐いていた。彼女が歩くと、その後ろをついて回ったし、入浴中も浴室に近づいていった。彼女がチチッと鳴き真似をすると、必ずピピッと返事をした。彼女が両手で三角形をつくると、そこにバサバサっと飛び乗ってきた。夜中に彼女が咳をすると、キューキューと悲しそうに鳴いた。

そんなチーを、彼女はとてもかわいがった。毎日の世話はもちろんのこと、時間があれば鳥かごから出して手のひらに乗せ、遊んでやっていた。時折、手のひらに乗せたまま彼女が眠ってしまっていることもあった。そんなときチーは一緒に眠り(まるで白いおまんじゅうみたいに)、空腹になれば自分で鳥かごに帰っていった。ピョンピョンと跳ねながら。

はじめ、僕にはなかなか懐いてくれなかったけれど、しばらくすると家族として認めてもらえたようで、手を出せば乗ってくれるようになった。それでももちろん彼女の方が上で、二人(正確には一人と一羽)の間には入り込めない。でも、かわいらしい仕草でなごませてくれるチーと、チーを愛でる彼女を眺めるのはとても好きだった。

最初に書いた通り、チーは10歳を超えていた。人間で言えば100歳に近い。去年あたりから飛ばなくなり、体にも少しずつガタが来ていた。一昨日には、とうとうとまり木に上がれなくなった。チーの呼吸に変な音が混じっていると言って、彼女はいつもの寝床を離れ、鳥かごの前で夜を明かした。翌朝、相変わらずとまり木に上がれないことを除けば、チーに特に異変は見られなかった。彼女の方が出勤時間が早いので、先に家を出る。僕はその1〜2時間後に出勤した。

「チー、朝、生きとった?」しゃくり上げながら彼女が聞く。「……うん。ごはん、食べてた」。

電話から2時間後、仕事を終わらせて帰宅すると、彼女はチーを手に乗せて泣き続けていた。彼女からチーを受けとると、いつもの温もりがなくて、いつもより軽くて、本当に逝ってしまったのだと実感した。泣きやまない彼女に、チーを返す。動かないチーの頭を、そっとなで続ける。「チー、幸せやったと思うよ。こんなにお前に愛されて。こんなに長生きできて」。僕の気休めに彼女は首を振る。「かわいそうや。だって、独りで死んでんで。絶対寂しかった。なんで『大丈夫そう』とか思ったんやろう。……なんで一緒におってあげへんかったんやろう。朝、も。時間なくて。うっく。手の上に最後に乗せてあげればよかったのに。絶対、寂しかった」。そんなことない、と慰めようとして言葉に詰まる。今朝、チーは鳥かごの扉をくちばしで開けようとしていた。それは“外に出たい”という意思表示。いつもなら開けてやるのだけれど、時間がなくて僕は「あかんよ」と言って放っておいた。むしろ、そんなことをする元気があるのならまだまだ大丈夫とさえ思ってしまった。胸がギュッと締め付けられる。

僕は迷った。このことを彼女に言うべきか。生きているチーの姿を最後に見たのは僕だ。彼女はそれを知りたいと思うだろう。でも、それは“チーが寂しがっていた”という事実を教えることになる。ますます彼女を後悔させる。僕は黙りこんだ。

ーーちゃんと伝えた方がいいだろうか?埋葬前に伝えれば、彼女はまた動かないチーを愛でると思う。ずっと僕が黙ってれば、それでいいかもしれない。でもそれは、間に入り込めないほど仲の良かった二人の最後の別れを、僕がさえぎっているようにも感じられるのだ。

慰めの言葉も宙に浮いてしまった。でも、どうにか彼女の哀しみをやわらげたくて、僕は小物入れの缶と彼女の服でベッドを作る。そこに、チーを乗せてもらう。「……かわいい。見て、寝てるみたい」と、鼻をすすりながら彼女。手の上でその死を実感し続けるよりは、この方がいい。『弔いは、残された者を慰めるためのものだ』とどこかで読んだのを思いだした。泣きやんだ彼女は、チーのエサ袋を取り出し、色とりどりの穀物種子をティッシュの上に広げた。「知ってる?チー、この中で好きなヤツがあるねん」。これこれ、と皮付きの種を手に乗せて見せる。チーの大好物だけで、天国へのお弁当を作ってやる。それが彼女なりの弔いだった。僕も一緒に種集めに励む。やらないといけないことがあったので、ほんの数十分しか手伝えなかった。でも彼女は、何時間もそれを続けていた。時折チーの寝顔を見つめながら。

2008-09-08

自分の名前て、いつから漢字で書けるようになりましたか?

今自分の「ねんきん特別便」を確認しているんだけど。

「あなたの年金の記録はこれで間違はないですか?」と聞かれてもなぁ…。

幸い?就職するまで国民年金も払ってなかったし、特に転職就職の空白期間もないままこの年を迎えられてきたけど、いざ確認してみるといくつか不安になてくる…。

俺の増田太郎(仮名)て名前。これであってるのかな…。

「たろう」て読みで変換してみると、

  • 太郎
  • 太朗
  • 太??

て三種類もでてくるよ。「たろうのろうは『ほがらか』のほうですか?」て聞かれるのは、この真ん中の「太朗」ことだったのか…。

この「ねんきん特別便」が俺ん家の俺の所にまで届いた時点ではまず問題がないとはおもうんだけど、「太??」と「太郎」が違うだけで受給資格がなくなったりしたらやだなぁ…。

実際、親に!?小学生の途中まで間違った漢字で覚えさせられていた事もあったからな…。明日役所に行って確認してから出そうかな。

メールなり手紙なりを出すとき相手の名を間違った漢字で書いて怒られたり、「『ワタナベ』て、どの漢字のワタナベなんだよ、ワタナベ多過ぎだろ!!」と憤慨していたけど、間違えられやすい人って、本人自身が自分でも覚えるのが大変だったのかな?http://anond.hatelabo.jp/20080620092535

2008-09-03

Japanist増田です

http://anond.hatelabo.jp/20080903142441

http://anond.hatelabo.jp/20080903145748

あぁ、最近IMEって、そういう設定もありましたね。

情報屋さんといいますか、情報系の論文紙は日本語でも「, .」表記を推奨してたり、

日本語も横書きの場合は「,。」で句読点をつけるのが正しいとされている、んでしたっけ。

私の場合は、全角/半角の違いとか、送り仮名の使い分けとかを

明示的に自分で操作する癖がついてしまっています。

# 入り口DOSで動いてるFMROAKだったので。

IMEの違いによる記号の入力のしやすさというのは、やっぱりあると思います。

前述のように、私も普段は親指シフト+Japanistですけれども、

他人の席のMS-IME+ローマ字入力を触ると、記号類の表現は変わります。

# ちなみに親指シフトって、?/??「」[]()『』々。,、を、日本語モードホームポジションのまま

# 打てるので、「開く・閉じる」「開く/閉じる」の違いをIME依存せず打ち分けられますし、

# 「閉じる」「閉る」も単文節変換する癖で、その瞬間ごとに最適な方を自分で選んでいます。

そのぐらいの違い(というと失礼かもしれませんか)で、印象が変わるといいますか、

別人のように見えるんでしょうかね。読み手の私としては…あんまり気にしなくて、

文書自体の本質的構造が同じな、ら同一人物判定かなぁ。

2008-08-23

日本語(笑)

仮名遣いで文章を書くやつが嫌いだ。旧仮名遣いでブログが書いてあるならそれだけで読まないし、はてブコメント欄に「思ふ」とか書いてあろうものなら、それだけでそのエントリは読む価値なしと思ってしまう。何が「思ふ」だ、死ね

文藝春秋の巻頭コラムにも名前は忘れたけど「思ふ」とか書いている人がいるけど、まああれはいい。そのうち死ぬだろうし。もし死ななくても、文藝春秋という今時石原慎太郎をありがたがっている論壇オナニー雑誌に書いてある限りはどうでもいい。そりゃ諸君!よりはましですけどね。何が諸君!だ、死ね

しかし、なぜ石原慎太郎笑顔生理的嫌悪感を感じてしまうのだろうか。東京の人は、あの笑顔が平気なのだろうか。僕は東京都の政策とか、そんなのはどうでもいいんだ。東京都民じゃないし、東京行かないし。

石原慎太郎といえば芥川賞ですが、村上春樹にやらなかった時点で終わっている文学賞をどこまで有難がればいいのだろうか。選考委員にしたって脳死しているような連中だ。書くべきことがないのならそれでいいさ。結構なことじゃないか。平安な社会の内に怠惰感に沈んでいけばいいじゃないか。俺はただ、眠りたいだけだ。

2008-08-20

渡辺和洋という男3

不倫騒動でフジテレビ情報番組降板を余儀なくされた山本モナさん。

不倫騒動のさ中、北京オリンピックでは北京よりスポーツキャスターとして活躍されている渡辺和洋アナウンサー

 

その渡辺和洋アナウンサーの今回の不倫紀行についてまとめたいと思います。

 

引用2ちゃんねるアナウンサー板です。

カズ教に入れば◆渡辺和洋 13◆空も飛べるよ

http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/ana/1217750297/

24 名前:名無しがお伝えします[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:07:51 ID:3+J1yjbB0

 東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 11塔目

 http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1179839815

 http://unkar.jp/read/ex21.2ch.net/tvd/1179839815/

 955 名前:名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage] 投稿日:2007/05/17(木) 18:16:58 ID:1czKK7Rc0

 >>948

 こいつは常習犯

 昔、知り合いの事務所タレント卵もやられてる

 

 多分50人位は食ってると思う

 

 966 名前:名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage] 投稿日:2007/05/18(金) 22:30:18 ID:16RO5anF0

 朋子さんはA氏と、こんな会話もした。

 「ドラマ、どう?」

 「いいんじゃないですか」

 実はこのとき、朋子さんはまだ放送を見たことはなかったのだが、話を適当に合わせていた。気をよくした

のか、A氏はこんなホンネも漏らしたという。

 「実はオレ、(主演の)もこみち嫌いなんだよ。仕事だからしょうがないけど」

 

 ??週刊文春より??

 969 名前:名無しさんは見た!@放送中は実況板で[sage] 投稿日:2007/05/19(土) 21:14:24 ID:gQWbgM970

 >>959

 文春の記事ではそのフジディレクター男性ファッション雑誌モデルの経験もあるイケメン女子アナに告られたたこともあるらしい。

 ただAD時代にドラマエキストラとやっちゃって問題になったり、オーディションと称して合コンやったりしてると局内で噂になったらしい。

 17歳のタレントの卵に「俺の言うこと聞いたら売れる」ってくどいたり、18歳のタレントの卵を泥酔させてホテルに連れ込んだって書いてた。

 取材ではいっしょにホテルに行ったことは認めたんだって。

25 名前:週刊文春 2007.5.24 【久保田哲史(くぼた さとし、1969年 - )】[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:08:54 ID:k9HyBj3T0

 私を弄んだフジテレビ東京タワー演出家

 「君がどこまでやれるか見てみたい」

 仕事をエサに泥酔させた処女ラブホテルに・・・

 18歳「タレントの卵」が怒りの告発

 「ラブホテルの室内に連れ込まれると、私は服を着たままベッドの上でグラビアのようなポーズを取らされました。

 Aさんはそれをソファに座って見ていました。でも、『その程度なんだ』。『それ以上できないの』とダメ出しをされ、

 私は酔っていたこともあり、諦めてベッドに座り込んだんです。するとAさんはこう言ったんです。『オレにどうして

 ほしいの。仕事ほしいんでしょ。オレの愛人になれば?』って・・・・・・」

 その忌々しい一夜をこう振り返るのは、地方から上京してタレントを目指す十八歳の少女、浅井朋子さん(仮名)である。

  朋子さんが表情を曇らせながら続ける。

 「Aさんは独身だと聞いていましたから『愛人って?結婚してないでしょ』と言うと、『たまに会ってメシ行くとか、

 ちょっとヤルだけでいいんだ』と答えました。『そういうのできません』と断ったら、今度は『お金に困ってないの?』

 と聞いてきた。そして、Aさんは『これあげるから』と財布から一万円札を何枚か取り出し、私のカバンに詰め込んだ

 んです。びっくりして、それを取り出して返そうとした瞬間に、ベッドに押し倒されたんです・・・・・・」

 (略

 一方のA氏とは、フジテレビ連続ドラマとして放送された「東京タワー??オカンとボクと、時々、オトン

 (以下「東京タワー」)の演出を担った人物である。

 (略

 A氏の手掛けた連ドラ版「東京タワー」は、月曜午後九時枠、通称「月9」と呼ばれるフジ看板ドラマ枠で、

 今年一月から三月まで放送された。(略

 「事件」は、まさにその放送期間中の今年二月、渋谷区内で起きた。

 (略

 朋子さんがA氏と知り合ったのは昨年十一月下旬某日。渋谷区内のクラブで開催されたファッションショー

 に、朋子さんはモデルの一人として出演したのだ。

 (略

 ショーに招かれていたマスコミ関係者の一人がA氏だった。A氏はその後の打ち上げにも参加している。

 朋子さんが振り返る。

 

26 名前:25[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:09:33 ID:Au1MUZdd0

 「打ち上げカラオケ店でしたが、歌はなく、食事と会話がメインでした。Aさんは『みんなにも教えておいて』

 と、フジテレビ名刺を一枚取り出しました。私は連絡先をケータイに登録し、名刺はほかのモデルの子に

 渡しました。その席で私はAさんに自分の年齢が十八歳だと告げています。(略)

 一月から『東京タワー』をやるんだと話していたので、すごい人なんだと思いました」

 翌日、A氏はさっそくアクションを起している。ただし、この時は別の未成年女性に対してだった。

 「同じ事務所の十七歳の子がAさんに誘われ、渋谷喫茶店で会ったそうです。その後なぜかビルの屋上

 に行き、『キミがどこまで演技できるのか見せてほしい』、『まだまだだね。もっと何かできないの』などと、

 その先をほのめかすようなことを言われたらしく、『用事がある』と言ってその子は帰ってきたそうです」

 この女性は以降、A氏とは会っていないという。

 一方、十二月に入ると、今度は朋子さんにA氏からメールが届くようになる。

 「ほぼ毎日一通、夜中の一時か二時くらいの時間メールが来るようになったんです。

 (略)前の子のことがあったので警戒していたんですが、しつこいのでモデル友達と三人で会うことにしました」

 (略

 「最初はしきりに『家に来ないか』と言われたのですが、それは断り、Aさんの自宅に近いファミレス

 夜に一時間くらいお茶をしました。(略)でも『今のまま頑張っても売れないよ』とか

 『俺の言うことを聞いたら売れるよ』などと、下心があるような感じはしました。Aさんはまた仕事

 戻るらしく、帰り際にタクシー代を渡されたんですが、友達がタクシーを探している際にこう言われたんです。

 『本当は二人で会いたかった。君は可能性があると思う。君がどこまでやれるのか見てみたかった』って」

 ここでも登場した「君がどこまでやれるか見てみたい」というセリフは、朋子さんがいまも強烈に記憶する

 A氏の口癖だった。

 年は明け、いよいよ「東京タワー」のオンエアが始まると、しばしA氏からの連絡は途絶える。A氏との

やりとりが再開するのは二月に入ってからだ。

 「『紹介したい人がいる』というので、夜八時頃に渋谷東急ハンズ前で待ち合わせることにしました」

 

27 名前:25[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:10:01 ID:ajm1kbBv0

 朋子さんが警戒していたA氏と会うと決めたのには、ある事情があった。その当時、所属していた事務所

 を辞めていたのだ。その事実を知ったA氏は、朋子さんにこう語ったという。

 「仲がいい人がいるから(新しい)事務所を紹介してあげるよ。でもキミがどこまでできるか見てないし、

わからないから」

 朋子さんが続ける。

 「(略)会わせてくれる方も一緒だと思ってたのですが、『さっき忙しいと言って帰った』と、

 仕方なく二人で喫茶店に入ったんです」

 (略

 喫茶店を出てから、朋子さんはカラオケに誘われたが、A氏が向ったのは渋谷センター街にある居酒屋だった。

 「(略)『軽く飲んだら?』と勧められ、食べ物は注文せず、ビールばかり飲まされました。(略)」

 しばらくして、A氏は再びカラオケに行こうと言い出す。ところが、店を出ると、A氏の足は東急百貨店本店前を

横切り、対面の細い路地を目指していた。

 「明らかに円山町のラブホテル街に向っていました。Aさんが先を歩いていて、私が立ち止まると、『別に何もしない

 から』とか『ポーズをどこまで取れるか知りたいから、ホテルに入るだけ』なんて言うんです」

 酔いも手伝ったのか、朋子さんはA氏の言葉を信じてホテルに入ってしまった。その後の展開は、冒頭で記した

通りである。

 「押し倒され、私は抵抗も諦めました。行為の最中は『我慢すればいい』、『早く終わんないかな』とぼんやり考えて

 いました。その日、私は生理中で、避妊はされませんでした。終わると、Aさんは一人でシャワーを浴び、すぐに一緒

 にホテルを出ました。入ってからあまり時間は経っていなかったと思います。結局、お金も受け取りませんでした」

 (略

 「Aさんは別れ際に『三月いっぱいは撮影で忙しいから、終わったら連絡する』と言っていた覚えがあります。

 実際に三月から四月の下旬まで何度かメールが届きましたが、もう一切返事は出しませんでした」

 (略

 朋子さんが、人気ドラマ演出家との縁に、芸能活動の活路を見出そうとしたのは確かだが、その境遇や心境

 に巧みに付け入ったA氏の行動は卑劣極まりない。

 

28 名前:25[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:10:31 ID:QF9iGmVW0

 A氏は九十五年四月の入社以来、生え抜きの社員ディレクターとして、一貫してドラマ畑を歩んできた。

 ドラマ以外にも、舞台映画など、数々の話題作を手掛けてもいる。加えてA氏は、メンズファッション誌に

 取り上げられたことがあるほどのイケメンだ。

 「オレは女に不自由したことはない」

 A氏は朋子さんにそう豪語していたという。

 (略

 「ありえないです。ほんとうにありえない!僕はその人のことをわかっているんです。女の子のバックに

 ついているタチの悪い男のことも。週刊誌ネタを売るというのも全て知っているんです。怪文書が回った

 んですが、会社にはきちんと説明しました。ディレクターって人気商売ですから、こんな噂が立つだけで

 問題になるんですよ!」

 だが、なぜか会話が噛み合わない。どうも、A氏が主張する内容は、朋子さんの件とは全く別の女の子

 に関する問題だったようだ。その女性に関する取材だと早トチリしたのだ。

 ホテルに行ったことは認めた

 改めて、朋子さんとの関係について聞くと、激しく動揺しながらも、「飲酒」と「レイプ紛いの行為」以外は

 概ね、事実関係を認めた。

 「十一月のファッションショー打ち上げにも行きましたし、十二月にファミレスで四人で会い、お茶を飲んだ

 のも確かです。その女性と二月に渋谷喫茶店で会ったのも事実メールやりとりもしていました。その日、

 紹介しようとした社長は忙しくて彼女が到着する前に帰ったんです(その社長も同様に証言)。でもそこで解散

 してますよ。お酒も飲ませていませんし。酔わせてその後レイプなんて、ありえませんから。事実に反している

 ので、会社を通してもらえますか」

 

29 名前:25[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:11:02 ID:nWLQIRGK0

 翌日、改めてフジテレビに聞くと、広報部長名で次のような回答があった。

 「本人に聞き取りを致しましたが、ご指摘のように『無理に飲酒強要』したり『強姦をしたり』という法令

 抵触するような事はなかったと申しております。元々酒を飲みには行っていないと申しております。

 しかしながら、仕事で知り合ったモデルさんとプライベートで会ったということは認めています。そういった

 こと自体が『優越的地位の濫用』と誤解されても仕方ないことですし、好ましくなかった事だったと考えて

 おります」

 A氏が口走った怪文書騒動については、「具体性がない」と回答しなかった。

 さらに、翌日になってA氏は広報部長を通し「ホテルには行ったが、飲酒は絶対させていない」と主張を

 変えてきた。(略)その朋子さんは、頻繁にメールをもらっていたにもかかわらず、A氏に名前も

 覚えてもらえなかった。A氏からは「○○(出身地)の子」と言われていたのだ。

 「きっと、ほかにも同じような目に遭った子がいるんじゃないかと思います」

 フジテレビ売れっ子ドラマ演出家という地位を悪用し、いたいけな少女を弄んだ罪は重い。

 

30 名前:名無しがお伝えします[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:11:42 ID:M6ckG6yi0

 ◆◆◆久保田哲史=渡辺和洋◆◆◆

 

 ・男性ファッション雑誌モデルの経験もあるイケメン

 ・仕事の面では売れっ子会社

 ・オーディション女性の弱みにつけ込む

 ・地方出身のおのぼり女性

 ・複数女性と同時交際

 ・待ち合わせは都会のシンボリックな場所

 ・性交渉にはラブホテルなど安価な場所を選ぶ

 ・行為に際しては女性に撮影ポーズを求める

 ・変態的なセリフが口癖(「君がどこまでやれるか見てみたい」=「カズ教に入れば、空も飛べるよ」

 ・大事な時期・時間に、仕事そっちのけで変態セックスのことで頭が一杯

2008-08-08

日本社会における深い暗渠:司直・社会マスコミ限界

 

 俺は「グリコ森永事件」が起きた1984年中学三年生の春を迎えた。

 

 その年に俺の中学で起きた「ちょっとした事件」に直接関わっていたが、黙って暮らしてきた。「時効成立なので」という訳ではないが、小文をしたためさせてもらう。

 俺の住んでいたところはグリコ森永事件の現場(東は滋賀県、西は兵庫県西宮市)の両端の間に位置し、多感な時期であったこともあり、何か、事件の犯人は近くに住んでいるのではないかと感じていた(そういう噂も内々にもあった)。

 俺の行っていた中学は行区内にいわゆる「文教地区」ではないところもある、関西では一般的な「柄が少し悪い」学校だった。

 中三の時期、俺の学年は田中仮名以下略)がワルで仕切っていた。学年にもう一人、佐藤仮名以下略)という、中二からメキメキ、ワルさを極めを力をつけている奴がいた。当然、田中および取り巻き(俺も末端ながらその一人だった)は佐藤のことを「いちびってる」として「そのうち、締めよう」と考えていた。佐藤は仲間とつるむタイプではなく一人で田中グループ人間シバきまわしたり、「カツアゲ」していた。俺も佐藤に小遣いをむしり取られたことがあった(ちなみに田中には「制度」として上納していた)。

 グリコ森永事件が広域事件として、社会を騒がせていた時期、俺の中学も小さい宇宙の中で、ちょっとした「抗争」が起きようとしいた。

 案外、田中は早く動いた。中学の屋上に佐藤を夜に呼び出して、シバキ回して「ヤキをいれよう」ということになった。俺も参加するよう言われた。でも、何か怖くて、その晩はバックれた。後で田中の子分に「小心者」と罵られ暴力を受けることは覚悟していた。

 Xデーは訪れた。翌朝、佐藤中学の校舎の裏側のコンクリの上で、落下死体として発見された。田中の周辺からだいたいのところは聞いた。田中佐藤で屋上で殴りあいをして、田中佐藤を組み伏せた。田中側は複数だったかもしれない。

 当時、俺の中学ではシンナートルエン遊びが流行っていた。田中たちは下になった佐藤に無理やりシンナートルエンの混合物を目茶苦茶に吸引させた。田中は容赦ない奴だったので、その前に佐藤の肋骨を数本、踵で体重をかけて、内臓にめり込むよう折っていたし、腕もへし折っていたようだ。

 激高した田中とその取り巻きはぐったりした佐藤を校舎の屋上のフェンスから投げ落とした。現場に俺は居合わせてなかったが、田中の「肋骨折り」は以前も目撃したこともあり、怒り狂った田中の凶暴さは知っていたので、佐藤を「落下」させることくらいはやりかねないと思った。

 佐藤の落下死体があったことから、朝から警察が来てものものしい雰囲気だった。田中らは逮捕されるだろうと思った。少年院とかに行くだろうし、本人たちもそういった人生を選択していると思った。佐藤が死んだことには、少し「ぞっと」したが、所謂「想定内」であった。

 その日の夕刊に警察発表の記事が社会面に載った。一段扱い、小さな記事であった。

中学生シンナーを吸引して誤って転落死」

とひっそり、単独事故死ということで片付けられていた。

 その後、田中とその側近たちは登校しなかったし、先生佐藤の転落死などなかったように静かに中学義務教育継続した。

 俺は、怖かった。佐藤が殺されたことよりも、何百倍も「転落死」として処理されたことが今でも怖い。丁度、グリコ森永事件の犯人が捕まらなかったのと同様、国家権力をもってして、外傷を受け複数の骨が折られた死体も「事故死」とする方が都合がいいこともあるのだと、中学三年生のときに知った。

 よく殺人で捕まった犯人が累犯として他の犯行も認めたという報道もある。きっと真実もあれば、コントロールされた「事実」もあるのだろうとずっと思っている。

 高校に行って、社会人になったが、静かに人生を送るように極力つとめるようにしている。まあ、それが、日本における市民普通生き方なのかもしれない。

 田中および一番側近の村上仮名)はその後、任侠の見習いをしているとも聞いたが18歳の時、死んだ。深夜、国道田中スピード運転でカーブを曲がり切れず対向車線にはみだして、タクシーと正面衝突。田中村上、そしてタクシーの運転手さんまで即死だった。田中アルコールを飲んで運転していた。

 先日、実家が引っ越すので荷物を整理して、中学校卒業アルバムを見つけた。佐藤はもちろん、田中村上他の写真もなく、彼らは最初から存在していないようにアルバムされていた。

2008-07-31

はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る または お金はどこに消えた?

blogじゃとても無理なので、増田じゃなきゃかけないような愚痴を言わせていただく。

客先(といっても親会社の人だけどさ)から「増田仮名)君、最近給料上がったでしょう??。いいなぁ」と言われた。

一瞬呆然とする。なわけねーだろ、なに急に言い出すんだこの人。上がるわけねーだろ。

「いや、そんなことないですよ。全く上がったりしてませんから」

いつもの世話話のネタが尽きたのか?にしたってこんなシビアな金の話題をださなくたっていいだろうに。

そしたらその人、さらに笑みを深くし

「いや、そんなことないでしょ。上がったでしょう最近。いいなぁ」

妙に突っかかってくる。いやだからあがってませんから。

「いや絶対上がってるはず」

だ・か・ら上がってねーっての。上がるわけねーだろ貴様時間給で割ると最低賃金+50円なんだぞ。給料だけ単純に比較したっておっさん一人雇う金でおれ2.5人は確実にやとえることはわかってんだぞあぁん?

貧乏暇なしだゴラァ。ワーキングプアなめんな。そんな事実を思い出させて楽しいのか?楽しいのか?楽しいのかおい応えろよ(号泣

まぁいい。とりあえずそこは半笑い(見方によっては泣いているように見える)でその場を閉めた。

それから、いろいろな仕事をしにいくと、いろいろな人から「給料上がったでしょう」的な事をいわれるようになった。いや、本気で上がっていない。それでもしつこく言われ、だんだんあしらうのはうまくなるが、言われるたびに何となくもやもやするものがたまっていった。

そんなある日。親会社の人のところに図面を届けに行った。するとこのおっさんもなぜか「増田君、給料上がってよかったね」などといってくる。

なんでみんなみんな同じ事いってくるんだよおい。だから上がってねえっつんだこのやろうてめえ。このたーこばーか。 もういつもの世話話のように半笑いで「いや、上がってないですよ。全然」などという。ただ、なんかいつもにましておっさん、妙に嫌みな感じだな。こっちを見ないし。

とりあえずもやもやっとしたものが噴出しそうだったので、とりあえずこの話はいつものようにこのあたりで切り上げることにする。

給料は全く上がらないですけど、原油高のせいなんですかね、いろいろなものの値段が上がっちゃってもう……」

「何言ってるんだ」ところがこのおっさん、俺がまだ言い終わってないのにかぶせてきた。

「上がってるんだろ?金。(ため息)いいよなぁ君は。ボーナスもたくさんもらうんだろう。おかげでこっちは予算の予定が狂ってしまったがね」

な、なんですかそれは……確かに思いの外残業が嵩んでるのは事実だろうけど、こっちだってがんばってやってるんだからそんな嫌みな言い方しなくたっていいじゃないか。今がふんばりどころだって、必死になってやって、最近まともに趣味もできなくて、休みだってでて、期日までに上げるようにがんばってるじゃないか。それなのにそんなこというのかよ。サービス残業しろっていうことなのかよ。チクショウ。そうか、認められてないのか……

何となく押し黙ってしまって、本気でざっくりきて、悔しくて、苦しくなってきて、もう何が何だか。俺様には珍しくしおらしく、絞り出すように「すみません……残業多くて。もうちょっと効率よくこなせるように……」あー、なんか涙出てきた。なんかしゃべると声がかすれちゃいそうでそこでやめて、いいやとりあえず、報告終わったしもう帰ろう、と思って頭を下げてとりあえず逃げようとしたとき、その親会社の人が

「お、おい、増田君、もしかして本当に上がってないのか?」

だっ、だから……入社して4年目ですけど二千円しか上がってないですって……。と言おうとしたのだが、うまく言葉にならなかった。

「……そうか……、すまん、悪かった。いや、君はよくやってくれてるよ。いつも今日中にだとか無理を言って悪いと思ってる。いつも無理をお願いしている話だから……悪かった」

はい……。と、言ったところでもうぼろぼろと流れてきて、親会社オフィスで涙をぬぐう羽目に。

ちくしょー、いったい何だってんだよ。俺が何をしたと……。もういやだ。とりあえず「ありがとうございます」と、声にならない声を上げて、とりあえずもう何が何だかわからんくなって、とりあえず便所に逃げ込んで顔を作り直して「体調不良!」として帰宅した。

帰宅して鏡を見たらすげえ顔をしていてもう夕日に向かってばかやろーと叫びたい気分になったがまぁそれはいい。

そ、し、て。だ。

その日の夜、なんか本当にもやもやして、いい大人が泣いてしまったことについてもう恥ずかしいやら悲しいやらで青くなったり黒くなったり赤くなったりしていたら、親会社でも比較的仲良くさせていただいている人から、プライベートメルアドメールが届いてた。相手も個人のメルアドだ。そこに事の真相が書いてあった。

先月の請求分から、自分の時間あたりの単価が、1.4倍に跳ね上がっていたらしい。

しかも、詳しく聞いたら前から自分の順調に時間単価は上がっていて、同じように働く同僚とは約3倍以上の差が開いているというのである!何度も言うが給料入社してから二千円しか上がってないし、周りの同僚だって給料ボーナスも全く一緒!

似たような仕事をしている強力なベテランの人たちを含めて、出入りしている人たちの中で1,2を争う時間単価だというのである。

そしてその額は自分が受け取っている給料と一桁違うところまで行くレベル

キョエェェェーーーーー!ざけんじゃねー! キシャーーーーーっ(荒ぶる鷹のポーズで)

自分の会社時間単位の労力の買い上げと、特定派遣親会社にすることで成り立っている。自分も一時間いくらで売られる身である。だが、その時間単価には管理費だとか、作業に必要な各種道具だとかの代金も含まれているので時間単価であって人件費じゃないのは知っている。

しかしだ、ほかの人と同じ道具を使って、同じように仕事して、何で俺だけ単価が高いんだよ。意味がわからん。同僚の三倍で、給料の10倍以上はひどすぎる。

なんか最近妙に仕事へのプレッシャーばかり増すし、妙な責任押しつけられるし、なんか変だと思ってはいたがなんだこりゃ。その金はいったいどこに消えてるんだよ。意味がわからん。これじゃ俺の仕事はつらくなっていくばかり、やりにくくなるばかりじゃないか。なのに全く給料が上がる気配がないってのはもうね……。

最近妙にもらう「給料あがったでしょう」発言は、みな嫌みだったわけだ……。そりゃ、嫌みの一つでも言いたくなるだろ、外注扱いで直に費用に組み込まれる俺の費用が増えれば、それだけあわなくなるのは当然だ。でもね、もうね……。

とりあえず次の日出社して、親会社オフィスに行ったらみんな妙に優しかった。なんか全員に知れ渡っているようだった。いつもより念入りにお礼を言われるし、具体的な主語なしで「がんばってね」とか「感謝してる」とか言われるし、意味がわからん。ぎゃー!そんなポジションはいやぁ。

畜生どうしてくれよう。

いつもならblog書くとすっきりするのに、なんか書いてたらまた泣けてきた。

とりあえずこのぐんにゃりとしたものを増田にあげてみ増田

2008-07-09

青空文庫のお気に入り50

はてなナツ100」にトラックバック

http://anond.hatelabo.jp/20080708184613

 とても面白い企画だと思ったので、便乗させてください。

ご覧の通り趣味に走って暗めですがそのあたりはお許しを。

作家一作品としたら100にいたらなかったので50、元増田

さんとの作品の重複は避けたつもりです。

芥川龍之介結婚難並びに恋愛難」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000879%2fcard1131.html&noimage=0&split=0

チェスタートン「金の十字架呪い

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001123%2fcard43496.html&noimage=0&split=0

太宰治「燈籠」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000035%2fcard1568.html&noimage=0&split=0

福田英子「妾の半生涯」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000057%2fcard43276.html&noimage=0&split=0

福澤諭吉「旧藩情」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000296%2fcard45664.html&noimage=0&split=0

ガンジー「非暴力

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001277%2fcard47024.html&noimage=0&split=0

ガールシン「四日間」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000340%2fcard1867.html&noimage=0&split=0

萩原朔太郎「月に吠える」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000067%2fcard859.html&noimage=0&split=0

原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001037%2fcard4995.html&noimage=0&split=0

林芙美子放浪記(初出)」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000291%2fcard45649.html&noimage=0&split=0

樋口一葉「うつせみ」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000064%2fcard390.html&noimage=0&split=0

穂積陳重「法窓夜話」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000301%2fcard1872.html&noimage=0&split=0

石川啄木「時代閉塞の現状」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000153%2fcard814.html&noimage=0&split=0

泉鏡花「術三則」

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カフカ「道理の前で」

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河上肇貧乏物語

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北原白秋「邪宗門」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000106%2fcard4850.html&noimage=0&split=0

北村透谷処女の純潔を論ず」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000157%2fcard45241.html&noimage=0&split=0

小林多喜二「党生活者」

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幸田露伴魔法修行者」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000051%2fcard1437.html&noimage=0&split=0

幸徳秋水「筆のしづく」

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倉田百三出家とその弟子」

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桑原隲藏「蒲寿庚の事蹟」

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ルブラン「奇巌城」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001121%2fcard46187.html&noimage=0&split=0

牧野富太郎植物一日一題」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001266%2fcard46820.html&noimage=0&split=0

三木清人生ノート

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000218%2fcard46845.html&noimage=0&split=0

南方熊楠神社合祀に関する意見

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000093%2fcard525.html&noimage=0&split=0

宮武外骨「一円本流行の害毒と其裏面談

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000063%2fcard385.html&noimage=0&split=0

宮沢賢治カイロ団長

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森鴎外仮名意見

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000129%2fcard677.html&noimage=0&split=0

内藤湖南応仁の乱に就て」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000284%2fcard1734.html&noimage=0&split=1

中原中也山羊の歌」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000026%2fcard894.html&noimage=0&split=0

中島敦「狼疾記」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000119%2fcard42301.html&noimage=0&split=0

夏目漱石虞美人草

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000148%2fcard761.html&noimage=0&split=0

仁科芳雄「日本再建と科学

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001163%2fcard43706.html&noimage=0&split=0

大杉栄日本脱出記」

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折口信夫「翁の発生」

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尾崎紅葉金色夜叉

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ポー「アッシャー家の崩壊」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000094%2fcard882.html&noimage=0&split=0

スウィフトアイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000912%2fcard4268.html&noimage=0&split=0

タゴール「ギタンジャリ」

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寺田寅彦「流言蜚語」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000042%2fcard43260.html&noimage=0&split=0

徳冨蘆花「謀叛論(草稿)」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000280%2fcard1708.html&noimage=0&split=0

戸坂潤「思想風俗

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000281%2fcard1710.html&noimage=0&split=0

内村鑑三「後世への最大遺物」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000034%2fcard519.html&noimage=0&split=0

上田敏海潮音

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000235%2fcard2259.html&noimage=0&split=0

ワイルド幸福の王子

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000332%2fcard2232.html&noimage=0&split=0

イエイツ「春の心臓

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f001085%2fcard44.html&noimage=0&split=0

与謝野晶子「女子の独立自営」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000885%2fcard3631.html&noimage=0&split=0

吉野作造「蘇峰先生の「大正青年帝国の前途」を読む」

http://mgw.hatena.ne.jp/?url=http%3a%2f%2fwww.aozora.gr.jp%2fcards%2f000323%2fcard2171.html&noimage=0&split=0

2008-07-06

パクリをさらにパクられた体験(二次創作におけるパクリ

趣味パロディ絵を描いて、ピクシブ、個人ブログ発表している者です。

ヒット数少ないし評価も少ないし,のピコポコ絵描きです。

そんな私がパクリ被害にあいました。

結構嫌な思いしたので、気持ちの整理も兼ねてこちらで吐き出させていただきます。

内容については、相手がゆとり(笑)だし、晒しあげても仕方ないので仮名で書きました。

それから、愚痴二次創作を使うのは嫌なので、元絵の雰囲気に似せた絵を説明に利用させていただきます。

二次創作パクリと変わらない、と考える方も多いと思うので、このようなタイトルにしました。私は元となる作品がなければ絵が描けないなんちゃって趣味絵描きです。

ことの始まり

数か月前、開設したての手書きブログ

ユーザーがまだ少なかったせいか、描くとちょこちょこコメントがついた。

そんな中、cさんという人がよくコメントをしてくれた。私もcさんの手ブロにちょくちょくコメントをした。

しばらくすると、cさんはピクシブにある私のページを見つけてメッセージを送ってくれた。

友達のいない私は喜んでマイピク申請をし、cさんとマイピクになり、cさんのブログにもリンクを貼った。

ネ落ち

それから間もなく、個人的な事情で、私はしばらくネ落ちすることにした。

それでも真性オタクなので、たまに絵をかいて、ネットカフェでアップしていた。

この間に、cさんはHNを「R」と改名して、ブログ引っ越したのか、見つからなくなっていた。

cさんにもいろいろあるんだろうと思い、とくに気にしなかった。

そんな時期にアップした落書きを、仮に図1とする。

このとき、図1はまだ線画で、色がついていなかった。

http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html

 注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像であり、実際のものとは異なります。

ネット復帰

家にネット回線を再び繋いだ。

放置していたブログに、見慣れない書き込みがあった。

http://uproda.2ch-library.com/src/lib031330.jpg

↑この絵の人と同一人物ですか?

| 匿名 |

http://www.uploader.jp/user/sample/images/sample_uljp00099.jpg

これとかも●●(私のHN)さんのパクリかと・・・

1番目のURLは、すでに落ちていて見れなかった。しかし2番目のURLは見れた(図2)。

http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html

 注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像であり、実際のものとは異なります。

ちょっと驚いたが、特に犯人探しはしなかった。

パクって一番恥ずかしいのは本人である。

2chのアップローダーで晒されてるあたり、たぶん既に晒し叩きに遭ってるんだろう。これに懲りて反省するだろう。

楽天家な私は、そう考えていた。

せっかく描いたので

線画だった図1を仕上げて、色を塗ってアップした。

この画に関する自作コメントは、仮にこんなかんじだったとする。

天使様の世界

パクリ線画が塗り絵

それからしばらくたって、ピクシブで画像あさりを楽しんでいると、見慣れた絵を発見した(図3)。

http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html

 注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた画像で(略)

この絵をアップしていたのはOさん。そのコメントには、

>>「

Rさんの線画を塗らせていただきました!????」

<<

と書いてあった。

私は、さすがにこれはまずいだろと思った。似すぎている。そこで初めて、危機感をおぼえた。

「放っておいたら私がパクリ扱いされるんじゃないか?!」

悲しいことに、パクリ塗り絵は私の描いた絵よりヒット数コメントも多かったのだ。

すこですぐ、塗り絵をされたOさんにメールを送った。

(前略)

Oさんのアップされているこちらの画像

(URL)

が私の描いた画像

(URL)

と構図がよく似ているため、気になって連絡いたしました。

たいへんお手数なのですが、削除していただくことはできないでしょうか。

本当なら線画を描かれた方にお願いするべきなのですが、線画の作者がわからなかったため、大変失礼とは思いますが、Oさんへ連絡させていただきました。

善処いただければと思います。

(後略)

次の日、返事がきた。

(前略)

現在線画を描いた方に連絡を取らせていただいてますので少々お待ちください。

決まり次第こちらから連絡させていただきます。

それでは、失礼しました。

そわそわしつつ、返事を待つことにした。

パクリ線画の作者を見つける

さすがにこの辺になると、私は数少ない友達(というか1人)に相談するようになった。

そんな中、あるURLを知る。

それはcさんの新しいHPだった。入口はパスワード式だったが、そのジャンルを知っていればわりとすぐにわかるものだ。

中のギャラリーを見て、驚いた。あのパクリ線画に、色がついてのっけてある。(図4)

http://www2.uploda.org/uporg1525790.jpg.html

 注:この画像は、この事案を説明す(愚痴)るために私が描いた(略)

しかも、コメントを仮に表現するならば

天使様の国

といったかんじになっている。これについては、パクリなのか、被ったのかわからない。

驚きと屈辱

そこで、ようやっと、自分がこけにされているのではないか、と考え始めた。

ヒット数も評価数も少ないから、バレないだろうと思ってやっているにちがいない。

しかし、手描きブログにおけるcさんとの交流は表面的だったかもしれないが、楽しいものだった。

もしかしたら、oさんのメールを通して謝罪してくるかもしれない。反省しているかもしれない。

返事が来るまでは信じていたかった。

oさん(パクリ線画を(そうと知らずに?)塗った人)からの返事

しばらくして、oさんからメッセージが来た。

件 名:お待たせしました。

話し合いの結果、例のイラスト削除させていただきましたのでご報告いたします。

それでは、簡単ではありますがこれで失礼します。

報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

全文。一切略などしていない。

ここで私は気づいた。相手は、バレてないのをいいことに逃げおおせたつもりなんだと。

怒りが込み上げてきた。

cさんへのメッセージ

お久しぶりです。

昨日、とある方に教えていただいて、cさんの新しいHPを知りました。

単刀直入に言わせていただきますが、

(URL)

こちらのイラストは私が以前描いたイラスト

(URL)

ととてもよく似ているので、ページ上で謝罪したうえで削除していただけませんか?

すでにご存じのこととは思いますが、先日、oさんのアップされていた塗り絵に関してメールをいたしました。oさんは、私の要望どおり線画の作者と話し合いの結果削除してくれました。しかし、線画の制作者が誰か触れませんでしたし、製作者からは間接的な謝罪すらありませんでした。

それでこのメールを書いています。

私は、この件について、悪意がないものだと思っていたため、意図的にパクリという言葉は使いませんでした。けれど、この誠意のない対応、いまだにパス式ページの中に自分が考えて描いたように画像を掲載している事実には怒りを覚えます。

パクリという行為自体、悲しい嫌なことです。しかし、絵を描くのが好きで上を目指していらっしゃる…と思っていた方に裏切られた事実が、私には非常に堪えがたいことでした。

手書きブログでの交流は、そちらにとってはもうどうでもいいことかもしれませんが、私は楽しかったです。けれど、パクリに関して全く反省もされていないようですし、もともと私が人を見る目がなかったということで、一方的ではありますがマイピク解除させていただきますね。

繰り返しますが、私は、cさんに、この件に関してきっちりとページ上かつメッセージで謝罪していただきたいと思っています。

正直申し上げますと、今までずっと黙っていらっしゃったあなたが、このメールを最後まできちんと読んでくださるか不安です。ろくに読まずに、ページを削除したり、パス変更して終わらせてしまうのではないか、とも思います。そのような結果でしたら、私はあなたのことをさらに不快に思います。

とにかく、もう二度と同じ行為を繰り返さないでください。萌えがあるなら、あなた自身の思い入れを、自分の手段で表現してください。パクラレる人は面倒な目にあう上、悲しむし、腹が立ちます。

それでは、さようなら。

で、連絡はなく、cさんののブックマークブログも通常通り更新されていて、もちろん私が要求したパクリ画の削除・謝罪も実行されてません。

自他ともに認めるパクリと、パクリである事実を隠して自分の作品として発表することの違い

前者は、言うまでもなく一般的に言う二次創作同人活動、といったものです。

人ごとに信条は異なると思いますが、パクリパクリでもそれなりに創意工夫をこらしてアレンジしたパクリです。

だいたい、きわどいときは「原作への愛」が免罪符となります。

後者は、パクスレ等で適用されるパクリ定義です。

これは、上で言う、「原作への愛に基づいた創意工夫をこらしてアレンジしたパクリ」のさらにパクリです。

パクリに関して考えるとき、私の思考は、「そんなものに意味はないよな」ここで行き止まりでした。

しかし今回は、考えざるをえなくなりました。何しろ相手は、私のらくがきをわざわざ二度もパクって、人に塗り絵までさせているのです。4種類参考画像描くの面倒でしたもん。あ、cさんのパクリ画はもっとうまかったですよ!私が飽きてきて適当に描いただけです(笑)

今回パクられた理由で考えられるものは、

1:ヒット数少ないし作者がネットにいないからばれなそう

2:線多くないから楽にマネできそう

3:自分が描いたほうがこの構図は良くなるはず

このへんでしょうか。理解できないのは、「バレなければパクって自分の絵だと言い張ってもいい」という思考回路です。そうしてできた絵は自分の考えや主張でなく、パクられ側の考えや主張の劣化コピーでしかありません。どんなにパクリがわが上手くても、劣化コピーです(たぶん)と思わないとピコ絵描きはやってけません。

この件で嫌だと思った(思っている)こと

1・自分がパクり画描きだと思われたかもしれないこと

2・ちょっとでも交流があった人がセコいパクりをやらかしてきたこと

3・何度も堅苦しいメールをしなければならなかったこと

4・自分の常識と相手の常識がかけはなれすぎていて、いちから説明しないとならないうえ、説明してもシカトされてるっぽいこと

5・相手が反省してないこと

対策

1については、もっと絵がうまくなれば絶対に疑われるわけもないはずなので、努力していきます。

2は、出会った人を誰でも信用するのはやめようとおもいます。

3は、解決するためには仕方ないことでした。

4は、もっと話し方がうまくなればいいのでしょうか。ゆとりでもわかるパクリは恥ずかしいよ講座を誰か開いてくれませんかね??

5は、相手がろくな人間にならないだけなんで、しかたありませんね。

2008-07-05

子作りと高齢出産と不安が分からん若造の戯れ言

とりとめもなく若造増田に書いてみ増田。長文ですが。

今日会社でのことなんだけどさ。

打ち合わせも終わり、仕事段取りを頭のなかで考えつつお手洗いに向かっていたら、仕事上でちょっと仕事をさせていただいたぐらいのつきあいの親会社の主任さんに呼び止めらたんだよ。

いったい何かと振り向いたらありえんぐらいの恐ろしい笑顔でいきなり何の予備動作もなく

「いやぁ、実はかみさん子どもができてさ」

などと言われたわけ。っていうか自分この人とあんまり接点ないんですけど正直言って。そりゃ、すれ違えば会釈はするけど、立ち話で雑談なんて今まであったか?それがいきなりこんな込み入った話かよ!

「は、はぁ、それはおめでとうございます」

「それがそんなにめでたくないんだよ。これで俺も70までは働かないといけなくなっちゃった

いやものすごい笑顔で言われても。

その後立ち話でこっちが聞きもしないのにそのいきさつを細々と俺はトイレに行きたいにもかかわらず話してくれる。自分の中でこの主任、渋い無口系の厳しいキャラだと思っていたので、ものすごい意外でちょっとショックである。(←なんて勝手な)

この主任さんは、今48歳で、結婚生活18年、ずっと子どもが早くほしくて不妊治療をやってきたのだそうだ。それで今回、そういう人たちの間ではちょっと有名な、不妊治療を専門にしている先生にかかって、やっとのことで子どもを授かったらしい。

その先生倫理的な問題から不適切って批判される治療もしているが、実際は子どもがほしい夫婦に正面から向き合ってくれるのでうんぬん、という演説を聴いた。

かみさんとは一回りも離れててさ、不妊はずっと俺の側の問題らしくって」

「は、はぁ。主任が原因ですか」

思い返すと酷い反応だがもう、そのときとまどう以外にいったいどういう反応をしろというのか。

「そう、俺が原因で、でもようやく授かったわけだよ」

独身で親戚集でも一番年下な自分は、そういう子どもとかににあまりであったことが無く、正直言って実感がない。けど、まぁそれなりに素直によかったなぁ、とか思う。とりあえず俺はしょんべんにいきたいんですがまぁいいんじゃないっすか、ってな雰囲気が合ったことは否めないが。

そこで、ちょっと言いにくそうに主任さんが本論に入る。

「それで……たしか増田君(仮名)、ご両親ご高齢だったよね」

「あ、はい」

「失礼だけれど、おいくつ?」

「父は今年70になりますが」

なるほど、話が見えてきた。それで俺の所に話しかけてきた訳か。ちなみに俺は今年24歳で長男で姉はいない。母親と父親は6つ違いだ。話が見えてきたところでちょっと尿意が収まってきた。

「その、失礼かもしれないが、歳を取った両親とはどうかね」

「はぁ」

「今の子が成人になるとき、私は69になるわけだ」

「……」

「どう思うかね」

いや、どう思うと言われてもわからんし。それを俺にいわれてもこまるわけですが。

「ど、どうといいますと」

「たとえばもう体が言うことをきかなくなってきていてね、若い親のようには振る舞えないと思うんだよ」

「はぁ、確かにあんまり親と走ったりした経験はないですが……」

「そうか、やはりそうか」

やはりってのは俺がデブってことを言いたいんですかあなたは。失礼な、と思ったが、先ほどまでの世界征服しそうな恐ろしい笑顔が一転、ものすごい落ち込んだもんだから、何も言えない。

「後はわりと考え方が古いと言われます」

「確かに君は最近珍しい硬い考えをしてるね」

ほっといてくれ、つまりあれですか、高齢の両親だときみみたく頭が硬い胴長短足デブ(将来禿げ決定)になっちゃうので困ったと悩んでいる訳か。などと思わないわけではなかったが、なんか思い詰めた風に「そうかわかった、ありがとう……」とどっかいっていしまい、自分も主任がいいと離れた瞬間、「とりあえずしっこしっこ、しょんべんしょんべん」という頭でトイレに飛び込んでしまったのでそれまでになってしまった。

個人的に思ったのは以下の三点。

  • 子どもができるってのは、そんなにうれしいことなのか?
  • 高齢になってからの子どもというのは、不安なものなのか?
  • 48歳結婚18年目で奥様一回り違うって犯罪だろ

とりあえずわからないのは、俺はまだ自分が子どものせいか、子どもができるっていうのはいわゆる「できちゃったの。責任取って」っていうイメージしかない。これって偏ってるって自覚はあるんだけどさ、だけどその逆って普段の人格が壊れちゃうくらいそんなにうれしいことなの?

後、とりあえず俺は確かに考え方が古くさいとおもうときもあるし、運動とか出来ないのはまぁ小さい頃運動の習慣とか無かったなーと思うことはあるけどさ、そんなに強烈にこれを理由に親を恨んだことなんて無いぞ。せいぜい将来頭が禿げることが確定している遺伝子と、この胴長短足の図体ぐらいだ。

他の親よりも明らかに年取ってるなって本格的に認識したのって、就職してから継ぐとかそういうことを考えるようになってからだし。昔はなんとなく他の人より頼りにされているような気がして、結構誇らしげにおもってたぞ。他の親が知らないことも知ってたしな。

それなのに、そんなに高齢になってからの子どもって不安なんだろうか。一回り違いって奥さんまだ36歳なんだろ。それぐらいの高齢出産なんか結構あるだろうし。それにこの主任、俺の四倍は給料もらってるだろ少なくとも。そういった面は十分だと思うけどそんなに不安あるのか?

まぁこういった俺の印象はしょんべんし終わって出たらすでに主任現場に出てて、結局伝えられずじまいってことはあるんだけど。そんなに不安なのか。望んで不妊治療してできた子どもなのに。よくわからんのです。

いや、言葉面ではわかるんだけど、本質的にそんなにうれしかったり不安だったりもんなのかなーって。

わかんね。やっぱりわかんね。

わからんので寝る。

2008-06-30

【連載】小説ITゼネコン【第一回】

 「小説」など、大上段に構えてみたけれど、ドキュメンタリータッチフィクションエッセイを連載する。

俺の名は鈴木本太。すずきポンタ、もちろん仮名だ。これから出てくる人物、企業、団体、製品名等についても、架空のものであり、偶然現実の名と重なっていても他意があるわけじゃない。米合衆国オバマ氏と福井県小浜市とが関係ないのと同様だ。

 俺は32歳監査法人勤務だ。この業界ではイケてるほうじゃない。だって、システム監査を担当としているくらいだ。システム監査を低くみてるわけじゃない。俺の身長は・・、俺のことはどうでもいい。興味を持たないで欲しい。この話の主人公国産メインフレームコンピュータとそれを構成する企業レガシーシステムなんだ。俺は、狂言回しに過ぎない。「北斗の拳」の真の主人公は「北斗神拳とそれを中心としたヴァイオレンス」であったと記憶する。いや、主人公ラオウだっけ。まぁ、ラオウが倒れた後の「北斗の拳」が面白くないのと同様、俺の人生はたいして面白いものではない。

 今回の舞台はB銀行だ。俺たちのクライアント。TVドラマか何かの影響か、俺たち監査法人は、客先の不正を暴く行政官みたいな仕事振りをしていると誤解している友人もいる。あくまでクライアントお客様から対価をいただいて、仕事をさせてもらっているサービス業なのだ。だから、ぜんぜん、上から目線ではなく、普通の客商売だよ。俺は提供するサービスを売るセールスマンも兼任しているんだ。営業担当者はいないからね。そりゃ、エンド・ユーザにマイ・カーや呉服を販売する営業とは、少し趣きも違うだろうけど、お客様あっての商売。

 国税庁検察庁とは立場が全然違う。銀行の人と話をすると、やはり、国税検査官の中には、高圧的な態度の人もいるらしい。背中にしょっているのが、徴税だから調査権があるからね。でも、やたら、高圧的な人は新米検査官に多くて自信の無さの裏返しだろうとのこと。むしろ、しょぼくれたおやじさんが、ひょいと指摘をする事項の方が怖いそうだ。

 銀行をはじめとした金融機関には、金融庁検査というものがあって、そこからも検査官がやってくる。金融庁は、金融機関に対して、業務改善命令から、免許の取り消しにいたるまで、大きな処分裁量をもっているから、銀行にとっては大きな存在だ。貸出債権が適正に管理されているかを検査する資産検査官、事務が適正な手順に則って行われているか、不正がないかを調べる検査官など、担当も分かれているようだ。システムについても専門の検査官がいる。最近は大手銀行合併にともなうシステム統合で、おおきな障害が起きたことから、金融庁システム検査にも大きく目を尖らせている。

 ITガバナンスの適正さ(システムを運営する組織、規定が整っており、正しい手順に基づいて運営がされているか)や、個人情報の管理が十分か、データの参照権限や手続きについて適正な扱いをおこなっているかなど。これらが、金融庁によるシステム検査の調査ポイントの一端である。監査法人によるシステム監査とも重なる部分は多い。ただし、見る立場が違うので切り口は違う。俺らは、処分や免許・許認可が目的ではない。クライアントシステム運営が適正にされているか否かということを軸として、あくまでクライアント経営の適正さ、透明性に関する評価・助言を行っている。だから、コンサルティングマインドも必要だ。勿論、不正を隠匿したり、促したりする助言は駄目だ。

(つづく)↓第二回

http://anond.hatelabo.jp/20080701191148

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