旧仮名遣いで文章を書くやつが嫌いだ。旧仮名遣いでブログが書いてあるならそれだけで読まないし、はてブのコメント欄に「思ふ」とか書いてあろうものなら、それだけでそのエントリは読む価値なしと思ってしまう。何が「思ふ」だ、死ね。
文藝春秋の巻頭コラムにも名前は忘れたけど「思ふ」とか書いている人がいるけど、まああれはいい。そのうち死ぬだろうし。もし死ななくても、文藝春秋という今時石原慎太郎をありがたがっている論壇オナニー雑誌に書いてある限りはどうでもいい。そりゃ諸君!よりはましですけどね。何が諸君!だ、死ね。
しかし、なぜ石原慎太郎の笑顔に生理的嫌悪感を感じてしまうのだろうか。東京の人は、あの笑顔が平気なのだろうか。僕は東京都の政策とか、そんなのはどうでもいいんだ。東京都民じゃないし、東京行かないし。
石原慎太郎といえば芥川賞ですが、村上春樹にやらなかった時点で終わっている文学賞をどこまで有難がればいいのだろうか。選考委員にしたって脳死しているような連中だ。書くべきことがないのならそれでいいさ。結構なことじゃないか。平安な社会の内に怠惰感に沈んでいけばいいじゃないか。俺はただ、眠りたいだけだ。