2008-09-12

「チーが死んだ」と彼女は言った。

昨夕、仕事中に、同棲している彼女電話をかけてきた。嗚咽を漏らす彼女が告げたのは、飼っていた文鳥の死だった。

文鳥、と呼ぶのはあまりにもよそよそしいので、仮名をチーとする。チーは、彼女が僕と付き合う前から飼っていた文鳥で、彼女とは10年以上の付き合いになる。手乗り文鳥はかなり人懐っこい。チーもその例に漏れず、飼い主である彼女にとても懐いていた。彼女が歩くと、その後ろをついて回ったし、入浴中も浴室に近づいていった。彼女がチチッと鳴き真似をすると、必ずピピッと返事をした。彼女が両手で三角形をつくると、そこにバサバサっと飛び乗ってきた。夜中に彼女が咳をすると、キューキューと悲しそうに鳴いた。

そんなチーを、彼女はとてもかわいがった。毎日の世話はもちろんのこと、時間があれば鳥かごから出して手のひらに乗せ、遊んでやっていた。時折、手のひらに乗せたまま彼女が眠ってしまっていることもあった。そんなときチーは一緒に眠り(まるで白いおまんじゅうみたいに)、空腹になれば自分で鳥かごに帰っていった。ピョンピョンと跳ねながら。

はじめ、僕にはなかなか懐いてくれなかったけれど、しばらくすると家族として認めてもらえたようで、手を出せば乗ってくれるようになった。それでももちろん彼女の方が上で、二人(正確には一人と一羽)の間には入り込めない。でも、かわいらしい仕草でなごませてくれるチーと、チーを愛でる彼女を眺めるのはとても好きだった。

最初に書いた通り、チーは10歳を超えていた。人間で言えば100歳に近い。去年あたりから飛ばなくなり、体にも少しずつガタが来ていた。一昨日には、とうとうとまり木に上がれなくなった。チーの呼吸に変な音が混じっていると言って、彼女はいつもの寝床を離れ、鳥かごの前で夜を明かした。翌朝、相変わらずとまり木に上がれないことを除けば、チーに特に異変は見られなかった。彼女の方が出勤時間が早いので、先に家を出る。僕はその1〜2時間後に出勤した。

「チー、朝、生きとった?」しゃくり上げながら彼女が聞く。「……うん。ごはん、食べてた」。

電話から2時間後、仕事を終わらせて帰宅すると、彼女はチーを手に乗せて泣き続けていた。彼女からチーを受けとると、いつもの温もりがなくて、いつもより軽くて、本当に逝ってしまったのだと実感した。泣きやまない彼女に、チーを返す。動かないチーの頭を、そっとなで続ける。「チー、幸せやったと思うよ。こんなにお前に愛されて。こんなに長生きできて」。僕の気休めに彼女は首を振る。「かわいそうや。だって、独りで死んでんで。絶対寂しかった。なんで『大丈夫そう』とか思ったんやろう。……なんで一緒におってあげへんかったんやろう。朝、も。時間なくて。うっく。手の上に最後に乗せてあげればよかったのに。絶対、寂しかった」。そんなことない、と慰めようとして言葉に詰まる。今朝、チーは鳥かごの扉をくちばしで開けようとしていた。それは“外に出たい”という意思表示。いつもなら開けてやるのだけれど、時間がなくて僕は「あかんよ」と言って放っておいた。むしろ、そんなことをする元気があるのならまだまだ大丈夫とさえ思ってしまった。胸がギュッと締め付けられる。

僕は迷った。このことを彼女に言うべきか。生きているチーの姿を最後に見たのは僕だ。彼女はそれを知りたいと思うだろう。でも、それは“チーが寂しがっていた”という事実を教えることになる。ますます彼女を後悔させる。僕は黙りこんだ。

ーーちゃんと伝えた方がいいだろうか?埋葬前に伝えれば、彼女はまた動かないチーを愛でると思う。ずっと僕が黙ってれば、それでいいかもしれない。でもそれは、間に入り込めないほど仲の良かった二人の最後の別れを、僕がさえぎっているようにも感じられるのだ。

慰めの言葉も宙に浮いてしまった。でも、どうにか彼女の哀しみをやわらげたくて、僕は小物入れの缶と彼女の服でベッドを作る。そこに、チーを乗せてもらう。「……かわいい。見て、寝てるみたい」と、鼻をすすりながら彼女。手の上でその死を実感し続けるよりは、この方がいい。『弔いは、残された者を慰めるためのものだ』とどこかで読んだのを思いだした。泣きやんだ彼女は、チーのエサ袋を取り出し、色とりどりの穀物種子をティッシュの上に広げた。「知ってる?チー、この中で好きなヤツがあるねん」。これこれ、と皮付きの種を手に乗せて見せる。チーの大好物だけで、天国へのお弁当を作ってやる。それが彼女なりの弔いだった。僕も一緒に種集めに励む。やらないといけないことがあったので、ほんの数十分しか手伝えなかった。でも彼女は、何時間もそれを続けていた。時折チーの寝顔を見つめながら。

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