はてなキーワード: 夏休みの友とは
左翼教師は『はだしのゲン』の映画や漫画見せたがるけど、子どもの頃にアレを読んだせいで
グロトラウマと核戦争の恐怖に怯え、数々の戦争本が図書室においてあった為にうっかり読んでしまい中2まで平和の尊さよりも人間の醜さに絶望して
あの頃は『人間はなんて愚かで醜い動物なんだ』と思えるような核戦争の恐怖を煽るようないらん放射能知識とか
とことん核に対する恐怖を埋め込まれて育った 平和よりも人間嫌い刷り込まれたの抜け出すのに時間がかかった
今ならいや今でも再び読んだり映画見るのを教育で強制されたくない
それこそリョナでもグロでも暴力でもその手の漫画の趣味が無い人に自分の趣味の漫画を押し付けるようなものである
平和教育でグロい描写のある映画や漫画を小さい子に見せるのはマジ100%精神的な虐待
『夏休みの友』にも反戦的な鬱話載せていたので開くのも嫌だった 登校日さぼれない時は映画の時間は目を瞑って寝た振りしてたけど、周りの目の手前
耳は塞げなかった
「嫌なら見ない、読書感想文を書かないという自由が子どもにもあってもいいはずだ」という考えの元
夏休みの登校日は時々小学校をサボるようになった 悲惨と恐怖を煽られるだけでうんざりするから
図書館に置くなとはいわないけど「グロい描写があります。注意!」ぐらいのマークは欲しい
と正直には読書感想文に書けないのでここで書く
http://anond.hatelabo.jp/20081122005902
体罰を受けて自分の為になったか?という質問に私が答えるなら「どちらでもない」と答えることになるでしょう。
私(21男)の小学校の6年間、色々な先生が居ました。その中に体罰と思えるような事をした先生が2人居ました。
1年生時の担任の先生と6年生時の担任の先生。仮に前者をA先生、後者をB先生としておきます。
1年生の時、私は小学校に入学したという喜びで浮かれていて授業中も静かにせず、挙句は隣の子にちょっかいをかける始末。
今考えると我ながら何をしていたんだろうと思います。
その時の担任のA先生(50-60代の女性)はそんな私を手に余らせたのか、始めに私を隣の席から離して壁際にしました。
しばらくすると、A先生から入っても良いという声がかかり、中に入ることが許され何が悪かったのかを説明して、この後ちゃんと聞いていられるように注意しました。
夏休みの宿題をやってこなかった私に手を上げることもありましたが、期日を設定しそれまでにやってこいと言われました。
6年生になって今までと同じように過ごして居たのですが、当時の担任のB先生(40代男性。恰幅がよい)にはたびたび(というか頻繁に)叱られました。
1週間に一度以上は叱られていたように感じます。
宿題を忘れて、授業に少し遅れて、給食を食べきれずに、掃除を真面目にやらずに、授業中に勝手に発言したり……
思い出せばきりがないですが、大体私に原因があります。(中にはとばっちりや私に原因のないものもありますが)
その中で特に覚えている2つ。
ひとつは、当時放送委員会に所属していた私が給食時の放送で、放送が聞こえたり聞こえなかったりした時にB先生が「放送室に行ってきて、聞こえないと言って来い」と言い、給食の途中だった私に放送室(教室は3F、放送室は1Fの奥)まで行かせました。
給食の途中ですし、その日の放送当番はあまり会いたくない相手だったので気乗りせずに階段を下りていきました。
階段を下りていく途中、放送がちゃんと聞こえるようになったので「これはしめた!」と思い、教室に戻って給食を再び食べ始めました。
そしたら、また放送が聞こえなくなったのです。その時にB先生は「おい増田(仮名・私)。ちゃんと放送室で聞こえないって言ってきたのか!?」と私に問いました。
私も私でバカ正直なので「すみません。途中で聞こえてきたのでもう良いかと思いました。」と答えたのだが。
(B先生は児童に敬語を強要してた。タメ口で話すと「先生は君の友達じゃない」と言ってた。まあ、この頃から敬語を話せるようになれば後々役に立つので、その点に関しては私は賛同する。)
何が気に触らなかったのか、私を自分の元まで呼びつけ怒鳴りつけました。更には私の首根を掴み若干私が浮くぐらい持ち上げて怒鳴りつけました。
元々恰幅の良いB先生がそんな事をしたら小学生は萎縮してしまいます。
叱られている間に給食の時間は終わり、放送も中途半端な状態のまま終了しました。
給食の時間の後の掃除の時間が始まり、やっと解放され周りが掃除をしている中、後ろに下げられた机で給食を食べることを許可されました。
確かに私が言われたことを実行しなかったことも悪いのですが、何故そこまでの仕打ちを受けなければならないのか不服でした。
もうひとつは、夏休みの宿題を忘れた時。2週間ばかり出さずに私を含む数名だけが宿題をやっていない状況でした。
その時、忘れた者に対しB先生は各人を自分の元に呼び「この宿題はいつ出す?」とそれぞれの宿題の提出可能時期を聞いていました。
私に対しても聞いてきたのですが、私はその時に全然(夏休みの友以外の)宿題に手をつけておらず一切宿題提出時期のめどが立っていない状況でしたので、
バカ正直にほとんど全ての宿題に対して「いつ出せるかわかりません」と答えました。
すると、その返答にキれたのかB先生は私の首根を掴み、教室から連れ出して階上にある音楽室まで引き摺りました。
その上、音楽室にある個人用のオルガン机に私を押し付け、上から首根を押さえ、その状態で叱りつけました。(私は ┐←このような状態で仰向け状態でした。)
その状態でB先生は「いつ出すんだ!?」と問い続け、私は泣きながら謝っていましたが、やっぱり私はバカ正直なのでいつ出せるかわからずに「わかりません」を繰り返していました。
その状態が5分くらい続いたでしょうか?B先生は私の返答に痺れを切らし、体勢を変え、今度は私を壁に押し付けました。
音楽室の壁は音響のためか/\/\←このような山状になっておりその谷間に私を押し付けました。勢いが強く、私は咳き込むほどでした。
やはりその時もB先生の恰幅のよさのためか大変怖かったと記憶しています。
そして、またB先生の「いつだす!?」の質問です。もうバカの一つ覚えかの如く同じ質問しかしません。
また、私もバカなので「わかりません」の回答しか出来ません。
最終的にB先生は「○日までにやって来い!いいな!」と言い、職員室へ戻って行きました。
当時、どっちかって言うといじめられていた方なのであまり他のクラスメイトは心配してこなかったのですが、この時ばかりは、教員の親を持つ友達から「教育委員会に言った方がいいんじゃない?」と言われました。
と、2人の先生のエピソードを書きましたが、
今思い返せば、A先生の時の体罰は役に立ったし、A先生に感謝したいくらいです。(ベテランの方なので慣れていたんだと思う)
逆に、B先生は当時も時間のたった今でさえ忌々しく思い、今でも恨んでいます。
A先生の場合、叱った後に何故それがいけないのか、どうしたら良いのかを私に諭してくれました。
が、B先生の場合は叱るといっても同じ言葉の繰り返しが多く、だからどうすればよいという事を私に言わず、「だからお前は」的な言葉が多かったです。
なので無意味に時間のみが経っていく様に感じました。(子どものような叱り方)
この2人の先生を見ていて、一概に体罰が役に立たないと言えないのでは?と思います。
叱るのが上手い先生、下手な先生多種多様なので体罰がいけないとは答えられません。
B先生の場合、私がいけないと思う点も有りますが、相手は小学生なのですからそのあたりも「大人」としてその児童に合った叱り方をすべきだと思います。
他にも小学校6年間で良い先生、嫌な先生は居ましたが、体罰を振るうことはありませんでした。(うちの親曰く通知表に書いた内容が「言葉の暴力」だという40代女性の先生は居ましたが。)
今思えばいじめを含み、よく不登校にならなかったものだと自分でも思います。メンタルが弱い子なら多分不登校になっていたことでしょう。
多分、祖母から戦前の教育を聞いていたから「それよりはマシだ」と思っていたからだと思います。(常に竹刀を持ち歩き、常に眉間にしわを寄せて、少しでも悪いところがあったら竹刀で叩くというもの)
長々と失礼しましたが、世の中色々な先生が居てその先生のスタンスも多種多様で何事もひとくくりには出来ないものだと思います。