TBSの朝の番組でクリス松村さんがドアの開け締めやハンドスプレーなど異常なまでに気を使っている映像を見て
ワイドナショーで高須院長がフェイスシールドをつけてやってきたことに微妙な空気になっていたことを覚えています。
今同じことをやったらどうなるだろう。
自分にとっては実際に『起きない』と変わらないと感じた事例です。
「病院行け」が唯一の正解なんだろうなぁ
種無しになるのか?
上っ面は良くするヤツ多いけど実際には責任を負おうとしない(できない)ヤツが多い。
なんだかんだと逃げる。マジで逃げる。
善良だと自認してる人もやる。
この言い訳として会社がブラックだからってのをよく聞くんだけど、これがダメ。
グエー死んだンゴ
ガキの理屈じゃん
私は昔から言っているのだが、読解力向上のためには「なぞなぞ」をたくさん解くといいと思うぞ。
読解力とは、文章の意図を正しく解釈できる力のことだと思うので、読解力のトレーニングには必ず「正しい解釈」すなわち「解答」が無いといけない。
読解力向上法というと、よく多読・精読系の方法が挙げられるわけだが、読書自体を好きにならない限り、「解答」が無いので向上が認識できない→続かない、という点で難がある。
そうすると、現代文の問題+「解答」を用意すればいいのかと思うだろうが、現代文の問題は、他科目と違って「解答を読んでも理由がわからない」という現象が生じる。
「解答を読むための読解力が必要」っていう難点な(現代文苦手な人あるある)。
そもそも、読解力の無い人間が読むには問題文が長すぎるという点も厄介。その点では「なぞなぞ」は設問が短いので、非常に良い。
それに「なぞなぞ」は、小学生でも出し合いっこしたりするので、誰が聞いても理解できる「解答」がちゃんと用意してあるのが、読解力のトレーニングに非常に向いている。
もちろん、最初は答えが上手く導け出せなくてもいい。
その「解答」を知って、設問文にどう対応してるか納得した上で、再度解き直せばいいのだ。そうして、「なぞなぞ」という文章から「正しい解釈」を導く練習ができるだろう。
「なぞなぞ」の中には、意外性のある「解答」を持つ問題もあるので、長文をただひたすら読むよりは、問題自体にも興味を持ち続けることができると思う。
あと、大事なのは、先ほど「正しい解釈」と書いたわけだが、本当の読解力とは、文章に含まれた唯一の解釈を探すことでは「ない」ということだ。
つまり、現代文の問題が間違いなく解けることが、社会において求められる「読解力がある」状態ではないのだ。
それゆえ、増田のように、社会に出てから「自分は読解力が無い」と悩む人間は、本当は、場に合わせた解釈が提示できない人間であることが往々にしてある。
ここはよく認識しておいてほしい。
そうなると、文章を読むことだけでなく、文章の「解釈」として色々な解答を考えてみることがより重要なわけで、その練習としても「なぞなぞ」というものは好都合である。
それには、他トラバにあるように、創作能力のある人間なら、「書く力」を鍛えるのが「手っ取り早い」のであろう。
それでも、まっさらな状態から何かを書き始めるのは大変なので、課題(なぞなぞ)を与えてその解答を考えるという段階から始めるのが、導入としては良いと思う。
ちなみに、よく「他人の気持ちを考えろ」と言う人間が居るが、その具体的なトレーニング方法としても「なぞなぞ」は有用だと思っている。お試しあれ。
夫と話せよアホなのか
学習性無力感とやらに屈するかどうか