この国の人間は「自由」について具体的に教わる機会がないように感じる。
というより、殆どの日本人が「自由」だと思ってることは「勝手」なんじゃないかって思う。
「自由」とは、ある程度の規範や規律、制度の中でのみ行われる行為である。
「勝手」とは、それを無視して行われる行為である・・・とする。「好き勝手」という言葉にも見て取れるだろう。
しかし、これを勘違いしている人はあまりにも多いように感じる。例えばハックルの人は
上記でも述べましたが、購入した本の使い道は購入者の自由ではありません。まず、読み方からして「自由」ではありません。例えば「あ」という文字があったとしたら、これを「い」や「う」と読んではいけないのです。
とブログに綴っている。
しかし、これは日本語の読み方のルールに反しているので、普通これを「自由」とは言わない。
彼は更に
さまざまな価値観を持った人間を許容すると、社会は必ずおかしな方向へ行く。だから、逆の方が良い。そもそも、放っておいても人は、さまざまな価値観を持とうとする。だから、むしろそれを認めないという考え方の方が、バランスが取れるのだ。
社会というものは、異なった考え方を容認してしまうと成り立たない。例えば、無差別殺人を嗜好する人間が現れたとしたら、それを止める手段がなくなるからだ。
と語っている。
彼は「無差別殺人を嗜好する=行う」自由があると思っているのだろうか・・・と感じる。
そう思っているのなら、それは大きな誤解だ。
殺人は他人の生きる自由を奪う。そもそも、殺人は法律というルールで厳しく規制されている。殺人を行う自由は、少なくともほとんどの国において存在しない。
それを認めないことが「自由を奪う」ことだと本気で思っているのなら、それは「自由」に関する大きな勘違いである。
そして、社会のルールに反していなければ、どんな価値観だろうが「自由」なのだ。少なくとも、日本ではそれが認められている。
彼は、それを押さえつけようとしているように見える。それは、非常に危険な行為であると思う。
少なくとも彼は、社会に存在する規範・規律・制度を「自由にさせないため」に存在していると思い込んでいるし、多分そのような人は多い。
だが、社会に存在する規範・規律・制度は「勝手にさせないため」に存在し、「それを守ればあとは自由にしていい」ということなのである。
自由と勝手を取り違えてはならないし、それで他人の自由を奪うことは到底おかしな話である・・・ということを覚えていてもらえれば幸いである。