「全力プレー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 全力プレーとは

2023-08-24

anond:20230824004457

アウト判定が出るのは捕球後だからそういった問題は起きにくいし、それ以前に守備側の観客は静かにしているというのはそういう理由のものではなくて、攻撃しているチームがアウトで悲しんでいる時に騒ぐなといった理由でしょ。プロではなくアマチュアなんだから応援しているチームにとっての損得ではなく、攻撃での全力プレー評価してあげろ、少なくとも上手くいかずアウトになった時に歓声をあげるなと。

2022-09-12

本当のファン(野球について)というもの

プロ野球ファンでよく見かけるのが

「本当のファンなら批判するな」

文句を言うなら見るな」

批判するならファンやめろ」

という返信をよくTwitterで目にするのだが

それについて考察してみようと思う。

まずこれは全般的に言えるのだが

選手または監督誹謗中傷することは

あってはならないことだし

それを許してはならないと思う。

(バカとか辞めろとか死ねなど)

根拠が明白であり

その根拠となる数字も併せて持ち合わせているのなら

私は批判してもいいと思う。

しか根拠なき感情論だけで批判しては

ならないと思う。

「本当のファンなら批判するな」

文句を言うなら見るな」

批判するならファンやめろ」

などの投稿についてだが

ファンならばこうあるべきですはなく

命令形であることに注目したい。

この投稿者に果たして

このような発言の通りにさせる権利はあるのだろうか。

またはそれをしなければならない義務

そこに存在するのであろうか。

それでは投稿者にとって本当のファンとは?

何があっても一切批判せずに黙っているファンである

どんなに情けない試合でも絶対に何も言ってはならない。

強制的に。

言った瞬間ファン強制的に終了させねばならない。

そう定義できる。

私の持論だが

あくま野球試合コンテンツ

お金を何に対して払ったかによるものだと思う。

購入した人、この場合だとファンになるのだが、

その人が勝利することに対して対価を支払った場合は、

言ってもいいのではないかと思う。

例えば、自分が欲しいと思った商品(コンテンツ)に対して、

期待外れの商品が届くとすると、そこで批判なりは必ず起こる。

(進撃の巨人フィギュアとかひどかったなぁ)

そこでファン(好きなもの)だからという理由

クレームを一切言ってはならないは違和感しかない。

もちろん先ほども述べた通り

悪口殺害予告なんどはもっての外で

侮蔑的言葉で罵ったりすることは絶対

言ってはいけないと思う。

しかしながら自分が購入したものの期待した対価に対して

黙るのもまたおかしいと思う。

野球は筋書きのないドラマ」と昔から言われているくらい

正直言うと勝敗については対価は求められない。

なので、「勝つ」という内容については不確定要素である

そこに対してものを言うのも違和感である

不確定要素を確定要素にするということに

対価を払っているわけではないので。

問題は内容のことについてである

内容として野球作戦や起用法などがあるが

これも不確定要素なので対価対象ではない。

(スポーツ場合怪我など予測できないことがある)

では、どこに求めるのか。

答えは「プロらしさ」「全力プレー」だと思う。

人は絶対素人じゃできないプレー

選手が織り成す全力プレー

求めてスタジアムに観戦しに行っていると思う。

「これぞプロの技」というプレーを。

もしそうでなかったとしたら

アマチュア野球を観戦するでしょう。

プロに入ってくる人は

当然基礎がみっちりできていて

そこをクリアした上で

さらに素晴らしい「プロであるプレーを求められる。

(レベルの高いプレーという意味)

それに加えて全力プレー

この二点は不確定要素はないので

対価として求めていい部分だと思う。

なので、基礎ができていないプレーや、

怠慢プレーは論外だと考えられる。

そういった部分に関しては

ファン批判していいのでは?

なんて思う次第でした。

2018-08-21

また繰り返される甲子園の闇

きょうの甲子園大会決勝戦は「金足農業」対「大阪桐蔭」。

金足農業東北地方公立高校で、みんな地元中学校出身。かたや大阪桐蔭は、中学ですでに有名プレーヤーである子どもを全国からスカウトして集める現代高校野球象徴私立高校

そりゃどう考えても金足農業応援したくなるのは理解できます

ピッチャー吉田くんのボールを見てると、惚れ惚れするようなきれいなストレートで、本当にいいチームだなって思いいます

でも、、、でもなんです。

吉田くんは地方大会からずっと一人で投げ続けてます

日本高校生の野球特に夏の甲子園大会において、ずっと『ピッチャー酷使』が問題となってきており、100回のメモリアル大会では延長タイブレーク方式という新ルールも出来ました。

近い将来には、球数や回数などの投球制限もできるかもしれません。それによって「感動が薄れる」とか、「逆に軟弱になる」なんて言われるかもしれませんが、本当に選手の将来を考えての現段階での救済策であると思います

事実日本以外の国からは、日本甲子園大会でのピッチャー起用方法に関して『クレイジーだ』と言われてますピッチャーの肘や肩は消耗品であって、ケアすれば連投しても大丈夫というものではありません。

最近、やっと日本もそういう考えを取り入れるようになってきたのに、100回のメモリアル大会において、旧来の連投によるピッチャー酷使が「ザ甲子園」のような美談で語られ称賛されるのは、どうしても納得がいきません。

そのような矛盾している現状を見ると、正直気持ち悪い国民性だとさえ感じてしまます

吉田くんの体を心配しているスポーツ解説者絶対にいるはずですが、周りの空気に流されて、そのようなネガティブコメントで水を指すようなことをしません。

日本マスコミ責任は大きいですが、それに流される日本人の文化国民性もどうかと思います

『悔いを残さず全力プレー』というのは、将来を犠牲にしてまで行うものではないということを、大人が教えるべき良い機会であると強く思います

2018-04-17

anond:20180417151417

日本でも結構から大差で手抜きは浸透してる気がする。

ヤクルト藤井投手なのに全力プレーしたら巨人選手恫喝されて鬱になりかけてた事案とかあるっしょ。

2016-02-04

清原和博凋落

 (以前書いたものを今回の事件修正

 清原和博覚醒剤容疑で逮捕された。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。

 今の若い人で「球界アイドル清原」の時代を知る人は少ないだろう。入団の経緯もあり、計算高そうで表情の起伏に乏しい桑田との対称で、清原喜怒哀楽が素直で純朴、というイメージ一般には持たれていた。また球界代表する投手のウィニングショット(例えば山田久志シンカー)を簡単に流し打ちスタンドに運ぶ打撃など、野球ファンに抱かせる将来への期待という点でも計り知れないものがあった。日本球界で、最もバッティング能力が高かった選手は誰かと言われれば少し迷いつつ「落合博満」と答えるが、素質や潜在能力については迷わずに「清原和博」と答える。

1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。

 かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラ現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手石毛秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。

 清原はいから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。

 それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれ技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しく、意外に精神的に不安定な選手であるという認識はあったが、この頃から徐々に打撃そのもの劣化している印象があった。

 特に1995年失望の年だった。春のキャンプ清原肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン半ばに走塁中の肉離れで一月弱ほど戦線離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。

 この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグ球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである

 それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民スターの器ではない(ある種純粋人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。

 2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニング野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックストレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。

 誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。

2014-09-24

清原和博劣化について

 最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。

1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。

 かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラ現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手石毛秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。

 清原はいから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。

 それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれ技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのもの劣化している印象があった。

 特に1995年失望の年だった。春のキャンプ清原肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れ長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。

 この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグ球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである

 それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民スターの器ではない(ある種純粋人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。

 2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニング野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックストレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。

 誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん