本来はネガティブな意味での緊張感や緊迫感て意味らしいのに、なんで逆の意味で使われるようになったんだろう。
ドラクエでスーパーハイテンションっていう1回だけ攻撃力がかなり上昇する状態があったが、
あれは、上司に嵌められてプロジェクト失敗の責任を取らされることになった若手社員が、
俺からの反論として、「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない(実際最初の記事にそのようなことは一言も書いていない)ので、トラバは的外れである」
制約ができるのを知ってる俺様ドヤァに対しての、安易に制約できるわけではないという指摘だから、僕はわかってるもん!だから的外れじゃないもん!はズレてるよね。貴方様の言うとおりです、ありがたく土下座してお言葉を頂いて修正します。これが正しい対応だね。
そして表現の自由の話をしているのに人権と主語を大きくしたのを突っこまれているのだからわかってるもん!と言われたところで関係ないじゃんそれ。
「公共の福祉による(表現の自由への)制限は極めて厳格でなければならない」に対する「俺は公共の福祉によれば簡単に人権を制約できるなどと考えているわけではない
この議題では、表現の自由について話すときに大きな枠組みの人権問題を持ち出せば、表現の自由以外の人権問題も入ってくるので表現の自由と設定しなければならない。また、前段で表現の自由への無知を指摘している人が表現の自由への公共の福祉による制限を揶揄されるのは当然だろう。
第一に「人権論が学問的営為であることの周知をすべきであることと公共の福祉によって人権が制約されうることの周知がなされていないこととは関係がある」、第二に「表現の自由に対する制約も人権制約であるから関係がある」
逆に、人権問題について話しているとき、表現の自由の問題の範囲は人権問題の範囲の中に収まる。
つまり、
このような流れをふまえれば、「6」が反論になっていないことは明らかだろう。相手方は「4」で、「人権制約のうち表現の自由に関するものが争点」なのに「人権制約と大きい枠組みに逸らしている」と述べている。これはつまり、一般的な人権制約ではなく、「表現の自由」が争点である旨を述べるものだ。そして、これに対する反論として、俺は「5」を述べたものである。
がいかに論理的思考のうち集合論を理解していないかの証明になっている。
さて、彼は形成が悪そうな部分は削除したようだが、皆さんにお聞きしたいのは、人権は公共の福祉による制限を受けるこの一文は中学で習わなかっただろうか?ということだ。彼は法的な知識はある!おまえはどんだけのもんだ!学んだ内容を出せ!と散々喚き立てていたが、法的な知識を身につけた人が中学生並の知識しか出せないのは失笑ものである。そこで法学を学んでいるのなら判例を踏まえた議論や知識を開示してほしい、と述べたのだが、今のところ特と得られるものは無い様だ。中学生レベルの、論理的思考も見についてない人だったな、という印象しか残らない。さんざんおれは勉強してきた!おまえはどうなんだ!その量を出してみろ!と煽っておきながら、そうした指摘をされるやいなや単なる煽りだ!呆れた!で済ませる人間性を疑う。
集団で話題や空気を支配する人物を「ムードメーカー」という。物事がうまくゆくには「ムード」がとても大切なのは分かるよね。
それを自分という人間にも当てはめる。それが「自分のムードメーカー」だ!
さて「未確認で進行形」で一躍脚光浴びた女性声優は?は?そう、「ぱるにゃす」。クイズ王なら常識だよね。
それを意識にも当てはめて意識にもパルスというものがあると気付く。脳幹網様体って知ってますか?
まあ意識の神経基板の研究についてgdgd言っても仕方ない。脳波なら誰でも知ってるよね?バイオリズムって言うよね。
さて物事がうまくゆくには自分のペースをつかむことが大切。マイペースは協調性の欠如とノロマのイメージがある。
協調的でサクサクなマイペースだってあっていいじゃな~い?おかしくな~い?
さてペースメーカーって言葉はペースの新規作成のイメージがある。でも自分の中に既にあるペースだってあるよね。
そういう場合は「ペースをつかむ」って言う。仕事のペースをつかむとは、自分のペースをつかむってことだ。
さて「それにしてもこの男ノリノリである」と言ってたナレーター誰だっけ?踊ろう踊ろう終わらないDance beat。
ノリがあるとスイスイ進みやすい。α波やθ波が関係してるらしい。
どんな仕事も小さな技能の組み合わせで出来ている。個↑々↓の技能を磨き上げ、組み合わせを磨き上げるのだ。
今はくっさい原石だけど磨き上げるとキラキラになる。熟練工は皆、珠玉の技能の数々を持ち合わせている。どんな美味しい料理も、結局は技能だろう?
「技術や知識なんかじゃねえ、心なんだよ」みたいな名セリフあったな。思い出せない。
でも、それは技能が偏ってたりチグハグだったりするだけで。結局は、技能だろう?そうは、思わないかい?脳神経外科医。
さてコーヒーを飲むとテンションがあがる。人に褒められると木に登りたくなる。それは単に「テンション」とか「ムード」って解釈される。
でも、結局、技能だと思わないかい?外科医だって結局技能。高度に発達した技能は魔法と区別がつかないだけで。
ブラックジャックをブラックボックスに閉じ込めるのは、もうやめちまえ。
その謎をとくカギが「ペース」。意識のパルス。自分の中にそれはある。そのペースをつかめるか、作れるか。
さて面白いことに技能は磨くほど「ノリ」やすくなる。モデルさんは見られるほど美しくなる。技能は乗るほど磨かれる。磨かれると乗りやすくなる(二度目)。
セントジュエルを探すんじゃない。磨くんだ。自分のなかに煮っ転がってるものをまず磨く。
逆に言うとね、磨けないならテンションで乗り切るしかないんだよ。武士道と云ふはテンションと見つけたり。昨日の農民は明日の剣豪。
そういうことはあまり考えないで、社会のみんながやってることが俺のやりたいことなんだ!と思ってそのくらいで思考停止して生きるのが幸せになるコツだぜ
https://twitter.com/wall_store_dinn
https://twitter.com/kitchen_may_mil
http://matome.naver.jp/odai/2141356711420042601
よく考えてみろよww
BookOffで本売ったほうがいいわw
馬鹿だなぁ、その短絡思考。すぐ金もうけコンテンツだと罵る浅はかさ。
Twitter等でやれメンヘラだ鬱だとと言及している輩は一定数いる。だかそれらの人々はメンヘラなのだろうか?メンヘラは今、病んでいる状態を示し精神的に健康になったメンヘラはもうただの人、健常者だ。だが健常者のなんとつまらないことか!?お薬飲む。それだけで他の人間とは違うという劣等感と優越感が入り交じったワクワクする感覚は今いずこ?
ヤミ金融うしじまくんのような永遠に続くような醜いリアリズムの世界を生きている。そこから逃げるための手段としてのメンヘラの自称。セーフティネットとしてのメンヘラだ。終の棲、安住の地の究極の形としては「自殺」だ。
本当のメンヘラとは13才でしんだろろちゃんや屋上から飛び降りたメンヘラ神だ。
メンヘラは未完成のまま存在する。常にベクトルは死に向かう。完成するときは自らの死を選択するとき(せざるおえなくなるとき)だ。