文庫になってたのを今日本屋で見かけて初めて知って、びっくりしたので買って来た。今読み終えた所。昔、本当にもう30年近く前に読んだなと思うと、懐かしいやら何やら、色んな気持ちが入り交じって何とも言えない気持ちになる。
昔読んだとはいってももう初めて読むようなものだから、新鮮な気持ちで、当時は気がつかなかったこと(戦時中が出てくることも忘れていた)にも色々気がついて読めて面白い。
小学校の図書室の絨毯や自分の席からの眺め、車でしか行けない距離の町の図書館のこととか、川土手で凧揚げをしたこと、近所の犬が暴走したこと、母がいきなりショートケーキを作ったこと。その当時の自分の周りのこともふと思い出した。特殊な環境でもなかったし特別な所のある子どもじゃなかったけど、自分なりに印象に残っていることは結構あるもんだ。
大人になってから知り合った人達は出身地が皆違うから(東京に出てきたからっていうのもある)、普段は話さないけどそれぞれそういう思い出を持ってるんだなとふと思ったら、人の一生の深淵を思うような、果てしないものをただ見ているような、呆然とするような気がした。皆、皆のことをほとんど知らないまま、それでも円滑に生きてはいけるし楽しかったり盛り上がったりするんだな、と。
職場の後輩だからほとんど毎日会うのだけども、遠くから見かけるだけですげえ可愛いなーって思って毎日ドキドキしてる。
同僚はみんな「いやいや待て待て可愛くない」って口を揃えて言うけど、俺はもう可愛くて可愛くて、堀北真希に見える。
いや、堀北真希より正直可愛い。AKBの1位~10位より余裕で可愛いですよ。彼女に投票出来るならCD100枚買って投票して部屋狭くなっても惜しくはない。
なんでこんなに好きなんだろう。
彼女は面食いで俺がブサイクだから諦めないといけないのはわかってるんだけど、割り切れないんだよね。
向こうはただの先輩後輩として、たまにみんなで飯食うぐらいならありだと思ってる。でもそれがつらい。
気まずいらしくて、俺とは喋るときだけあからさまにぎこちない。
一緒に飲みに行っても俺だけとは目を合わせてくれない。
あとはジム通って筋トレして体つくって、仕事頑張って目の前で良いとこ見せて、友達としてなるべく接点作って仲良くなって、歯並び悪いから歯列矯正して1年後ぐらいにもう一度告白してみよう。
どうせ俺は部署異動するまで1年ぐらいしか無いわけだし。
松本前復興相のバックグラウンドはネットによる知識で知っていましたし、彼のあの振る舞いが99.9%個人の資質が問題なだけだろうとも思っていました。
しかしながら、復興担当大臣が知事の所に来て瑣末な事を契機に因縁付けて恫喝するという社会常識を超えた事態が発生したことで、以下のような可能性を排除できないと考えたのです。
と。普通に考えれば有り得ません。しかし、京都でいうところの「ぶぶ漬け」のような、地域性に根差したごくごく特殊なコンテキストではアレが激励の一種に当たる可能性を排除しては、東北と九州の相互理解を行う上で、齟齬を抱いたままになってしまう。
異常事態を前にして、変に真面目に忖度を図ってしまったのです。
結論としましては、トラックバックやはてブコメントを見て、そうした地域特有のコミュニケーション論が存在しない事を確認できました。
はてな匿名ダイアリーの日記をまとめてくれているまとめサイトって無いの?
なんでそんなのと付き合ってんのかマジで理解できねえ
>「整形したら?」「筋トレしてよ」
筋トレって謎だな
他で機能するならそれを思い出せばどこでもエレクチオンできるはずだが
やっぱ完全にインポなんじゃねぇの
peercastも同じような雰囲気だよね。
それって、生存していることによって、社会に対して何らかのプラスを与えている人材にのみ言えることだよな。
「相手にもよる」ってつけたのは、そういう、社会に対して何らプラスを齎さない、むしろマイナスを齎す人間であれば、むしろ死んでいただいた方が良い、という意味なんだろうけど。
だいたいそうなんだけど、自分の考えをもっと正確に言うと、プラスになる「可能性がある」人も含む。
具体的には学生とかまだ社会にプラスとは言えないけど、そういう人を排除しようとは思わないよね。
身体障害者でもそう。乙武さんの例もあるし。知的障害者や精神障害者でも可能性は否定できない。ニートも基本的に同様。
犯罪者でも更生しようとしている人ならプラスになる可能性は十分にあるから、むやみに死ねとは言わない。
だから、明らかに(というのも微妙な表現だが)マイナスにしかならない人物が稀にいて、そういう人は死んでいただいた方がいいということ。
などなど
本当に横なのだがw
追記しておくと
以外はよく読んでいないので、中学生増田が何を議論しているのか詳しくは知らないが、厳密に議論をすればこの箇所も「思うよ」と同じミスをしでかしている。
確かに。
結局それなんだよな。
「いけない」のではなく、社会の所持している資本が減少「もったいない」
それって、生存していることによって、社会に対して何らかのプラスを与えている人材にのみ言えることだよな。
「相手にもよる」ってつけたのは、そういう、社会に対して何らプラスを齎さない、むしろマイナスを齎す人間であれば、むしろ死んでいただいた方が良い、という意味なんだろうけど。
都民でもないしこれっぽちも支持するつもりもないが(美濃部の悪夢があるだろう)、
20分でも満足してくれると思うが
親戚の経験談で申し訳ないんだけど、とても心を動かされたのでご紹介。
親戚は東北のとある場所の消防団員。そう、あの地震と津波に襲われたところ。
地震後、テレビでの津波警報を見て、これは尋常ではないと団員達を集め、どうするか相談していた所、地域を統括する消防署から「マジヤバイから非難しろ」との連絡がある。
各自担当エリアを決め、ハンドマイクで避難を呼びかける。しかし、誰も避難しない。倒れた食器棚の片付けが大変だの、犬は連れて行った方がいいのか、エサはどうしようか、お父さんと連絡が取れないから、帰ってきてから逃げるとか、まだ仕事が終わらないだとか、はいはい、後でねとか言ってテレビ見てたり、洗濯干してからとか、まだ配達中だからとか、なんだか消防団に付き合うのも面倒くせえな感がありありで動いてくれない。署の方が本当に非難した方がいいって言われてるんだよなど説明して、やっと腰を上げてもらったりしたけど、ほとんどアナウンス効果無し。
そうこうしているウチに、海岸の方に行ってた連中から、海面が下がってる、潮が思いっきり引いてる、とんでもない事になるという連絡が入る。
ここで必死な声で必死で声を張り上げ、津波が来るぞ、本当に来るぞ、潮が沖まで引いてるぞと叫ぶ。叫ぶ声の異変に気付いた人達がある程度いて、ホントに来るのか、ホントに逃げないとまずいかと聞いてくる。とにかく逃げろ。細かい説明は後。とにかく早くと叫ぶ。これで結構な人数の人達が逃げる。
しかし、これでも避難しない人多数。半笑いでこっちを見ながら立ち話してたり、テレビを見ていた人もいたとか。
そうこうしているウチに、海の方から、すごいホコリが舞い上がっているのが見え、それを見て、逃げろ逃げろと叫ぶ。それに反応してくれる人もいたが反応しない人もまだ多数。こっちも逃げないとまずいと判断し、叫びながら逃げる。
逃げない人はそのまま津波に飲まれ、逃げ出すのが遅れた人もどんどん波に飲まれたのだとか。
担当した地域で、多数の人が津波に飲まれたらしい。それでも、あの声でヤバイと思って逃げたと言ってくれた人もいたみたい。どうやら、アナウンスの声の必死さでヤバイ感じが伝わったようで、「避難をお願いします」などと言っていた地区は犠牲者が多かったとか。
ここで何を思ったかというと、人の言う事はちょっと聞いた方がいいなということ。
今の自分は、自分の力だけでなく、いろんな人のアドバイスやお説教などがあって、それを参考にしたり、鵜呑みにしたりして、今の自分が出来上がっている。そして充実した生活が送れている。そしてきっと、医者から、運動した方が良いですよとか、塩分やアルコールは控えめにとかといったアドバイスもいずれあるんだろう。そういうのも含めて人の話は聞いた方が良いなと。
今現在、死んじゃってる人、生きてはいるが社会的に死んでいたり、絶望していたりといった人は、人の話を聞いてこなかった人達なんじゃないかと思う。
6歳年下の弟がこの話を聞いたあと、急に勉強をしっかりやるようになった。オヤジに言われたのだ。お前、逃げるなら今のうちだよと。その言葉がココロに響かないとしたら、お前、死ぬよと。様々なアドバイスがあるけど、ガチなのは一握り。どのアドバイスを受け入れるかは個人次第だけど、生死のかかったアドバイスを無視したら死ぬよと。