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はてなキーワード: タイムオーバーとは

2013-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20130307234541

いや変わるだろ。妊娠と言う枷が無くなるんだからまた普通に働ける。

つーかここで取り上げられてるのは妊娠たか失業してカネが無くなった人であって妊娠からカネが無かった訳じゃない。

妊娠からカネ無くて生活保護とかだったら別にこのNPO頼らなくてもそのまま生活保護出産出来るしな。

だーかーらー、その「普通に働く」ってのは元々子ども持てない生活なわけじゃん。戻ったって何も変わらないじゃん。子宮子ども失業中の給料搾取されて終わるだけじゃん。

そもそも「妊娠して失業してカネがなくなる」っていうのをまず行政は何とかしろよって話なんだけど。生活保護が受け皿として不完全だからNPO需要が集まってるわけだし。

じゃなくて、もうおろせる期間が過ぎてたと書いてあるだろ。

おろせるのならおろしてただろうさ。

何の話だ。元記事の人のことか? おろせるならおろしてたって何を根拠に?

おろすかどうか迷ってるうちにタイムオーバーとかそういう例は一切ありえないと言いたいのか?

男がビビってずるずるしてれば簡単に発生するだろそんなもん。

増田母性神話信者か?「産んだ子を手放したがる母親なんて居ない」と思い込んでるように思える。

実際の人間ってのはもっとシビアに生きてるもんだ。子供育てたくない母親だって世の中多いんだよ。

自分で育てたいと思えば生活保護受給して育てるという道もあるのに養子を選んだって事は、自分で育てたくなかったんだろ。

それはそれで別に良い、「産む人と育てる人は別でもいい」、と言う話だろ。

その方が「カネはやるから何がなんでも自分で育てろ」と言うよりよっぽど「親への救済」にも「子供への救済」にもなると思うがね。

経済力がなく生活できないという人が断然多い」と番組内で明言してたにも関わらずお前は個人の育児適性の問題にすり替えたいわけね。

悪いけどそういう頭の弱い人の話は需要無いんで、もうトラバとかやめてね。

2013-01-05

スマイルの代わりに返って来たもの

田舎帰省中はてな村で話題になっている「60秒キャンペーン」を見物しにいってみようと思った

「思ったとおりだ 空いてる、空いてる」

田舎なのでお昼時でも混雑してなくてレジの前には1人しか並んでいなかったか

テイクアウトでも大丈夫かなと思ってチーズバーガーコーヒー頼んだらタイムオーバー

バーガー持って奥から戻ってきた店員さんは砂時計が全部落ちているのを見て

「ヤバ、ショボーンAA省略)」という顔になったので、店員さんに悪いことしちゃったなあ

反省

2012-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20121031074101

働けども働けども御祝儀香典親戚付き合い、顔が広がると更に交際費が増え仕事必要な身だしなみで手元にはほとんど残らず

不労所得って大事だね

親が資産持ちでないと飛びぬけて知能が良くない人は資本社会で生きてくのもギリギリ

底辺の労働者って悲しいね

 

自分で商売できる自己資本が無いってせつないね 他人の言うなり言いたいことも実名で言えず

所詮使い捨てられる塵芥

教養が無いって悲しいね どこまでいってもガラス天井

年収100万に未来なんて無いよ 将来の希望なんてどこにも無い 

奥歯噛み締めながら働きゆっくり人生タイムオーバーを待つの

2011-02-27

天才中学生を見て、我が身を振り返る

Ruby中学2年生のコミッタ誕生、最年少記録更新

ttp://slashdot.jp/developers/article.pl?sid=11/02/22/2226214

上記Webページにあるように、中学2年生がRubyコミッタになった。

その知らせを聞いた時の最初感想は、素直に「すごい!」というものだった。

しかし、そこから次のように思考が走っていき・・・

世の中にはすごい子もいるんだなあ。

自分中学2年って何してたかなあ

ああ、やりたくもない部活をさせられて、休日TVゲームとかやってたなあ。

授業で「三角形の合同条件は~」とか習っている傍らで、この子は「Hashクラスのこの実装は~」とか考えてたんだろうな~。

一体自分は今まで何をしてきたんだろう・・・

高校、大学無難卒業して、無難就職して・・・

かにフリーターとかそう言った人たちから見れば幸せ環境だろう。

でも、自分には技術的なものは何もない。

あったとしても、今の会社内で通用するだけの、きわめて特異なもの。

世間からは評価されない。

すなわち、万が一リストラされたら、自分は年をくっただけの中年男でしかない。

このままでいいのか?

・・・

自分だって、ああい環境が与えられていれば、ああいうことができたはずだ。

でも、周りはそういった環境を与えてはくれなかった。

両親は公立の高校/大学に進むことだけを自分に期待し、

ガス抜きの為にTVゲームを買い与え、友人知人とともにゲーム部活無駄時間を費やし、

高校も大学レポートやら発表やら目先のことにいかに失敗せず、無難に生きるかとばかり考えて生きてきた。

周りはそういう選択肢しか与えてくれなかった。

周りが憎い、あいつらが憎い。

あいつらがいなければ、自分はもっとすごい人間になれたはずなのに。

・・・

つの間にか周りのせいにしている自分気づき憂鬱に。

自分はこんなに狭量な人間だったんだな。


同時に、自分はやはり技術、特にプログラミングに対して何か思うものがあるんだとも思った。

「最年少のメダリスト」とか「天才ピアノ少年」とかに

普通に「へー、すごいねー」とスルーできるのに、

この少年に対しては、なぜかこんな長文を書いてしまうほどに、心穏やかではなくなってしまう。

このまま無難に生きることだけをこれからも続けていくのが、本当に正しいのか?

まだ27歳。もう27歳。

軌道修正のタイムリミットは刻々と近付いている。

決断は急ぐべきだ。

(もしくはもう、タイムオーバーかもしれないが)

2009-02-02

鬱病と独り言

今日は辛かった。

週はじめの月曜日でしかも、早出

早出は全然だめだったけど、なんとか、心と相談しながら出社。

朝一の打ち合わせは、タイムオーバーで結論が出ず、

低空飛行気味になったところをお昼の薬と、上司の一言で乗り切り。

無事週、月初めの1日を乗り切りました。

帰宅間際に、今にも泣き出したくなるようなメールを受け取ったけど、

大丈夫」と言い聞かせて帰って来ました。

セルフコントロール(独り言)って大切ですよね。

2008-02-26

ホテルで僕を抱きしめてくれた風俗嬢の話

http://anond.hatelabo.jp/20080226131929

Aさんの実家を訪れた2週間後、僕はついに潰れてしまった。

いわゆる引きこもりと似た状況になった。

もう動けない……と思った日とその翌日はアパートから一歩も出なかった。

不思議とAさんの後を追いたいという気持ちにはならなかった。

3日目は夜10時ぐらいまで部屋にいた。

その後、近所のコンビニの店員が女性から夜勤学生に変わるタイミングを狙って、買い物へ行った。

固形物は受け付けないので、豆腐ヨーグルトと酎ハイを買った。そして睡眠薬チャンポンで飲んだ。

アルコールは全くダメなのだが、とにかく眠りたかったのだ。

だが、数十分後に全て吐いてしまった。トイレには赤い血が混じっていた。

6日目にようやく動く気になった。病院へ行って点滴を受けた。

その足で職場へ行き、しばらく仕事ができないと伝えた。

ひたすら嘔吐ネットを繰り返す日々を過ごした。

なんとか気力を振り絞ろうと、同人誌の作成に乗り出した。

夏コミあわせの〆切まで2週間を切っていた。

根性で造った本はなんとかよく売れた。

日々の空白を埋めるため「はてなダイアリー」を始めた。

自分の中の暗黒面を出さないようにちょこちょこ書いていたらヒット数も増えた。

仕事場へも戻れた。

でも空虚さは払拭できない。

最初は後悔や自責の念に駆られていたが、半年後には虚無が僕を支配していた。

なにも考えられない日々が続く。

そんな僕は女とのセックスにのめり込んだ。

知っている人は知っているし、知らない人は知らないのだろうが、

日本ではカネさえ出せば女性と性行為あるいは疑似行為を体験することができる。

安ければ5000円(ただし15分)から。増田でも書きにくいことすらした。

その中には見るからに心を病んでいる子もいた。

自暴自棄になっている僕を見かねた知人が忠告した。

「やめとけよ。それって、ただ自分を傷つけているだけじゃないの」

カッターナイフがなくても自傷行為が出来ることを僕は知った。

あるデリバリーヘルスの、ある女の子へ通い詰めた。

正直、美人ではないし、体型も胸も中途半端

別にテクがあるわけでもないし、店の人気嬢ではなかった。

でも、黒い長髪と肉感のある体、穏やかな語り口、垢抜けしない服装、

そして自己主張しない雰囲気が、僕を癒してくれた。

Aさんと同い年だが、あらゆる意味で対極的だった。

過度にハマらないよう、行くのは月に一度と決めた。

彼女に包まれ、サービスを受ける時だけが「生」を感じられた。

彼女が店を辞めることになった。

人気がないし、お金も稼げないし、普通バイトに変わると言うのだ。

サービスを受けた後、ベッドの上で彼女はこう問いかけた

「どうしたの。なんかいつもと違うね」

少し迷って、「えっ、ああ。プライベートでいろいろあってね」と答えた。

そして「君といる時間が楽しかったよ」と付け加えた。

そんな僕を彼女は抱きしめてくれた。

しばらくしてタイムオーバーベルが鳴った。

最後に「次の仕事。がんばってね」と言うと、お別れのキスをしてくれた。

彼女デビュー直後だった二年前、携帯メアドを教えてくれていた。

僕の家のどこかにそれはある。でも、探すのは止めた。

もうAさんの死から一年半が経っていた。

ようやく長い冬から抜けられそうな気分になってきた。

しかし、一つ不安があった。

葬式の日、僕を抱きしめながら「大丈夫だから」と言ってくれた

Bさんと連絡を取ることにした。

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