はてなキーワード: コミューンとは
スウェーデンの福祉今と昔:
「貧しい人達の家」からサービスハウス廃止まで、その歴史を簡単に記載します。
1920年代:
1918年に、貧困介護法が新しく制定されました。そしてまず国がしたことは、高齢者のために特別住宅計画を立てました。「貧しい人たちの家」と呼ばれた、いわゆる現在の高齢者住宅施設の初期のものであり、建築基準や設備の基準もだんだんと改善されました。
1950年代:
高齢者住宅の基準がさらに改善され、家庭介護援助(現在のホームヘルパーの前身)を受けることにより、自分の家庭で生活が出来るようにしました。ただし、病人または重度の身体障害を持つ者は、以前からの医療手当てを病院で受けていました。
1960年代:
高齢者と身体障害者への福祉施設に対する社会的な見方が、病院治療を主体とした考え方から、個人に必要な介護や擁護はなにかを考えるべきだと変わってきました。それは同時に高齢者住宅施設の見方も変えました。そしてサービスハウスと呼ばれ、それは介護職員がいて必要な時に介護が受けられる、しかも自己管理の生活ができるアパートが多くなりました。
1970年代:
ホームヘルパー組織が設立され、身体障害のある者に対する、補助器具センターも改善されました。身体障害のある人も、自分のアパートで生活できるようになりました。
1980年代:
社会福祉援助法が設立され、援助を必要とする者および障害者等に、ノルマリゼーション、自己決定などについて、コミューンの福祉事務に位置付けることになりました。コミューンによるグループホームの管理が進められました。同時にサービスハウス、シュークヘムの建設は少なくなり、その反面、施設ではなく家庭で高齢者が、介護と医療治療を受けることにより生活出来るようにしました。
1990年代:
経済不況が続きました。そして医療部門を除いた介護部門が、国からコミューンに移籍されました。(1992年のエーデル改革)。当初は高齢者のために、特別住宅が新しく建設されたり、従来の施設が改造されました。しかし、これらの住宅は、痴呆高齢者と身体障害者のための施設となりました。
コミューンは高齢者が家庭で生活できるようにと計画ししましたが、現実には例えばアパートにはエレベーターの設備無いとかの問題が多くなり、改善されないまま今日にいたっています。これは同時にサービスハウスに住んでいた時は、ヘルパーの援助により散歩や買い物など外出できたのが、車椅子利用の高齢者や障害者は外出が出来なくなり、一日中部屋の中に閉じ困れるという状況となりました。これは同時に高齢者が、家庭介護を受けて生活出来る可能性を困難にしました。
2000年代:
高齢者特別住宅(サービスハウス、グループホーム等)の廃止が、早いテンポで進められています。これは同時に家庭介護(ホームヘルパー)が増加し、家族の負担も増加しています。一人住まいの高齢者は社会から孤立させられ、高齢者および身体障害者への福祉待遇は、悪化への道を進み始めました。
http://fukushi-sweden.net/welfare/fukusi.joho/2005/faktaservicehus05.html
http://fukushi-sweden.net/welfare/fukusi.joho/kazoku.kaigo.hakai.04.html
スウェーデンは理想的な福祉を提供している国として神格化されていた
でも、それは昔の話
経済不況とともに理想的な福祉が提供できなくなり、民間への委託など、福祉受給者への待遇悪化など切り下げが始まっている
すまんね、そりゃたしかに俺の文章が悪い。申し訳ない。
要するに、安定してると思える職を得るっていう一つの競争の段階には勝った、ってだけの意味と思ってくれ。
「椅子を守る」っつのは競争の継続なので、自分が競争の中にいる負け組だってことには全く異論ないよ。
それはもうあなたの仰る通り。これは全体的に俺が悪いな。文章にケレン味を出そうとし過ぎた。ごめん。
なんらかの方法でここから抜け出さない限り、永久に負け組みなわけで。
これからの若者は競争に勝つことではなく、競争社会から離脱することが勝ち組の条件になるだろうなぁ。
悩んでも答えなんて出ないけどここってそういうこと書く場所だと思ってるから聞いてくれ。
高校生だったころの話から。
最初はなんてことない、ちょっとした好奇心と目立ちたいとかそういった気持ちで俺は「演劇部」に入った。
中途半端なヲタと微妙なリア充がうろうろしてるようなすごく居心地のいい部で、俺はずっとそこの奴らと過ごしてた。
毎日楽しくて、クラスとか他のコミュニティからはだんだん離れていった。
そのうち同学年の女の子のひとりを好きになって、告白はしないけれど二人で過ごしてたりメールを凄い数やり取りしたりしてた。
部活に行く目的が演劇への熱意よりも彼女に会いたいって事になっていった。
彼女が部活を続けるモチベーションになっていたような気がする。
2年になって、その子と一緒のクラスになった。
けど、クラスで話すようなことはほとんどなくて、俺はどっちかっていうと非リアのコミューンみたいな層でのうのうと過ごしてた。
そしたらいじめられた。クラスの中心になってる運動部のDQNに目をつけられたのかなんだか知らないけれど物を壊されたり散々だった。
学校行くのが面倒くさくなってきて、とても虚しい日々だった。
例の女の子に告白しようかと思った。
でも、もしかしたら俺は「演劇部」学校で唯一のコミュニティをなくすのかもしれない、って思ったら気持ちが縮こまった。
とっても童貞らしい考えだと思うんだけれど、そんなハイリスクなことしたくなかった。
で、悶々としてた。
結局いじめは去って、何もないまま卒業して、当時仲良くやってた連中とは今も関係は続いてる。
ここまでが前置き。
去年、俺は大学に進学して、演劇をしたかった、というよりももはや惰性で劇サークルに入った。
仕事があるたびに面倒くさいなぁとか麻雀したいなぁとか思いながら過ごしてた。
ただここ数ヶ月、その舞台サークルの先輩にあろうことか心惹かれてしまった自分がいる。
その人はサークルでもかなり気合を入れてるほうで、楽しみとかやりがいとか凄く感じてるんだと思う。見てると偶に伝わってくる。
今、俺は猛烈にサークルの活動に燃えている。ちょっと前までは考えられなかったくらい。
でもこれは演劇をやりたいとかそんな感情じゃなくて「恋愛」のための手段としてのモチベーションなんだろうってことはわかっている。
高校のときと全く同じ気分だから。
結局恋愛とサークルの双方のモチベーションが絡み合っちゃってどっちも進展出来ないで悶々とし続けるんだろうなーとか思ってる。
さっきタイムリーな夢を見た。
その先輩とよくわからない工場か倉庫みたいなところでバイトしてる夢だった。
目覚めて、俺はやっぱりサークルとか部活動を「仕事」として捉えているのかなぁと思って今。
答えなんて出ないって最初書いたけど多分半分くらい答えは出てるんだきっと。
恋愛ありきでこのまま続けていったらどこかで限界は来るんだろうな。
だからこれは間違った道、というかいずれコケる道だ。
でも好きになっちゃったじゃん!どうすんだよ!
めも
SK
ハフィル使用も徴収
Employee(てんぷらり)村内
IDPはNP
International Responseが比較的早く、また数も多いのが特徴
こんなに援助が殺到して果たして捌ききれるのだろうかと心配するくらい。
responseだけではなく、平時のCBDRMも。
災 害応急対応調査
災 害応急対応調査については、4月27日、29日にフ省の3つのパ イロットサイト村落にて、インタビューを実施した。水文気象局にてケ ツアーナ対応関連資料を収集した。
1. 活動の内容
・フ省の各パイロットサイトを訪問し、関連するリーダー格の住民から聞き取り調査を行った。
・フ省水文気象局において、警報文書の伝達について聞き取りを行った。
2.活動の成果
・Quan gAnコミューンのAn Xuan地区、Huong ThoコミューンのKimNgoc村、La Khe Bai村において、それぞれインタビュー調査を実施した。ケ ツアーナの被災から9ヶ月以上も経過していたため、記憶が薄れていることが心配されたため、個別面談方式はとらずに、ワークショップ形式で、お互いの発言に触発されるかたちで思い出してもらうように促し、自由に思い出してもらいながら、インタビューを進めた。目上の人間に遠慮して発言が出ない懸念もあったが、実際には多くの人が活発に発言していた。上位の行政レベルについては、フエ省DARDのCPからプロジェクト承認が降りない段階で新しい活動に予算をさけないことを理由に活動範囲の縮小を求められた。
3地区での調査を終え、現在、クァンナ 省に移動し、対象サイトの文献のレビューと準備をしながら、同時並行で今回3地区の取りまとめを進めている。調査者として率直な第一印象をいえば、対象コミュニティにおける強さとしては、過去の類似調査報告でも明らかなように、応急対応時の人々の結束力、助け合いの精神などがあげられる。避難のオペレーションなどの行動が適切なリーダシップによって迅速に実施されるため、人的被害はほとんどなく、事前に決めた役割分担などの計画性・実施能力において優れている。また家屋の仮復旧・環境の修復・片付けなどリカバリー段階における人材の豊富さなどがあげられる。
他方、対象コミュニティにおける災害脆弱性の中心問題は、情報インフラの不足、情報の不正確さ、家屋構造の弱さ、およびそれらに対する問題意識の欠落にあることが伺われた。例えば、ある村落では、避難所の屋根が老朽化しているのを知りつつ、計画で避難所に指定しているケースがあり、結果としてほとんどの村民が当該指定場所に避難せず、大半が近隣住宅に避難していた。台風により毎年のように省内で数100件の家屋倒壊が発生しているにもかかわらず、公助として解決策が十分にとられておらず、村落のリーダーが年次計画にもとづいて、暴風に備えた家屋の補強などを指示するにとどまっているようである。コミュニティが自らの脆弱性をどのように評価しているかは、防災計画策定にあたり重要な要素であるが、今回調査した地域にかぎっていえば、被害評価等を通じて、住民らは問題の所在を事実として把握しているにもかかわらず、原因分析というステップになかなか至っていないようにみえる。全体として、それらの問題に対する抜本的な解決を検討するなど、長期的な戦略を防災計画にフィードバックしている証拠がみあたらず、毎年の計画がとくに重点トピックもなく自動的に更新されている模様である。各人がやるべき業務分掌は周到に決めているが、目標管理的なマネジメントに乏しいといった印象である。これらはフ省PCSFCの報告書においてもDistrictレベルの報告書でも同様であり、いかなる事後報告書においても、プロトコルとして決まった様式にもとづいてなされるため、被災の結果だけは表示されるものの、原因の考察や将来必要な対策について公式に言及されることがない。
3.次2週間の予定
クァン ム省パイロットサイト2箇所、クァンガ 省1箇所において、コミューン事務所、住民や関係団体から聞き取り調査を実施する。
ありえる未来の話、中国が世界の覇権国となっているこれから50年後の世界、インドだって凄い。その時日本は衰退しつつあって、才能ある若者は皆中国でチャンスを掴むために移住していく。中国も多民族国家になりつつある、特に経済特区地域に関してはそう。
よくある議論としては、民主党政権が1回あった後、自民党政権に戻る。(4年後とか?)そこで上げ潮議論が再度台頭して、というかグリーンな国?というか戦後そんな議論がずっとあったくせにいまだにそのまま。ということは、今後も変化はないのか。移民受け入れは合法・非合法共に関係なく進むと思われ。なので地域によっては住みづらい地域も出てきて治安も悪くはなるが、諸外国ほどではない。移民の参政権が認められることで国政も大きく変化、日本もしぶしぶ他民族国家への道を歩むが、もはやその段階で国際的発言力や存在感はなく、中国がアジア諸国をリードして、アフリカ(その頃の新勢力)と手を握って経済成長を引っ張りつつある。そんな中、新たな経済圏も生まれつつある?かつて先進国だった国々からドロップアウトした若者がアフリカなどの国に移民して新たな生活圏を確立、ゼロベースでやり直そうという動き、そこも長期的にみれば新たな勢力になりつつある。
ITはさらに革新が進み、人の移動なくして情報の移動性で世界はより小さく、フラットに。宇宙開発も進み、家一件分ぐらいの値段で宇宙に行くことも可能に、個人もいける。さらに長距離ロケットが開発されて、太陽系以外への進出も考えられるように。
世界中の人々が情報を手に入れるとどうなるのだろうか?より不幸になる?自分の現状を比較対象として考えてしまうから?経済的に(社会的ではなく)考えてしまうから?ここれから起こり得る医療革新、科学革新、寿命がさらに延びる、延命治療、癌を治す技術、アルツハイマーを治す技術、遺伝子を操作する技術、不妊症を治す技術、融合が進んでいく世界の文化、もしくは2つ以上の文化を自分のものとして会得することが普通に、もしくはそういった若者の増加、多様性容認の高まり
お金は、貨幣はデジタル化が進み、世界通貨の可能性が模索され、もはやヒト、カネ、モノ全てにおいてヒトだけが差別化要因になる。
というか現実貨幣はそのままなんだけど、googleが2014年仮想通貨制度を導入、それを使えばgoogleにお金を預けるだけでどこにいても決算が簡単可能になる。巨大企業によってさらにフラット化が進む世界。世界規模で勢力を伸ばす多国籍企業の勢いに追いつくために、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカと大きく4つに分けた地域で法制度の確立が求められる。
こうなってくると、世界のどこに住むかは、どの気候や文化を好むかということになり、それ以外の制約はなくなる(google決済サービスで給与も振り込まれ、google rentで家賃も振り込めるのだから)
さて、そのgoogleに大きな脅威が現れる。それは革新するロボット技術であり、そもそも経済活動の根本である、ヒト、モノ、カネのヒトを省いてしまう可能性があった。経済活動において、自分で考えるAIを載せたロボットが登場し、ロボットが労働をしてくれるのだ。しかもアフリカの振興企業の勢いもあり(中国企業もそれには手をやいていた)次々と価格破壊が起こるロボット市場。1月分ぐらいの給料で自分のロボットが手に入るようになる。さらにはロボットOSのオープン化、規格標準化が行われ、ソフトウェアアップグレード(それも自動)で凄い勢いでロボットが進化するようになる。身体の一部にロボットを組み込む人間も現れる。もはやここからはSFの世界だけれども、その辺までは進む気がする。そこで落ちぶれた日本の企業が再度注目される?アトム?笑
若い人々は比較的新しい文化を受け入れ易く、かつ自分たちの文化を形成し易いので、法制度と経済圏などが確立していれば後は気候などで判断する。沖縄が人気になっており、多くの若者が中国にも近い沖縄にコミューンを作って暮らしている。沖縄は日本の経済特区となり、国際空港やITインフラが整備されている。物語は、そこから始まる。
http://anond.hatelabo.jp/20091020134345
「せつな」という言葉を日本語変換しようとすると「切な」「拙な」「刹那」になるわけで、
多分ネーミング的には「刹那」が一番それらしいんだろうけど、
言葉の意味としてはいずれであってもあまりよい会社名とは言えないよね。
元は仏教用語から発生したものすごく小さい単位を言う言葉だと思ったけど。
刹那的とかいうと「一時的」「泡沫的」みたいな言葉がシソーラス的には近いわけで、
株式会社せつなが「株式会社刹那」。セツナプロジェクトが「刹那プロジェクト」だとしたら、
刹那的な会社とか刹那的なプロジェクトって感じに思えてしまって、
ネーミングした人は「せつな」という言葉がどういう意味になるかわかってなくて付けたんじゃないかな、と思った。
昔「コミューンと名の付いた政体は長続きしたことがない」とか「○○企画という会社名の会社は大企業になったことがない」
だから会社名や組織名のセンスは重要って聞いたけど、「せつな」なんて付けちゃうのは会社名としてもプロジェクト名としてもは「うーん…」なかんじ。
Hardcore technorch / 自分語り135 - 「超ライトオタク」ゆっくりした結果
http://www.technorch.com/2008/12/135--.html
「超ライトオタク」を巡る言説、(色んな意味で)楽しく拝見させていただいてます。
で、なんだろ、結局今の時点で私がテクノウチ氏辺りに思ったのは、
たかだ増田の独り言まで「どうか彼ら私達の感動を「ジャンクフード」なんて言わないで下さい。」と否定してあげないで下さい。という事なのかもしれない。
この世界には(内的・外的に)様々な要因でオタクでありながら、本当は心のどこかで「自分も何かに帰属したいなあ」と思いながらも
どこにも属することができない、どこにも属することを許されないで漂い続ける「はぐれオタク」が静かに、そして相当数居る事を。(これをぬるオタっていうのかな)
彼らは確実にオタクであるために世間には馴染めず、かといってオタク世界でも日々生まれるどのムーブメントにも馴染みきれないでいる。
そこまで金が無い。そこまで都市圏に住んでない。そこまで時間が無い。そこまで人付き合いにこなれてない。
正直ニコニコや東方にものめりこむほどは好きになれない。かといって、自分が何かを作り出す才能も無い。
(かといってそれを全部開き直って僻みや妬みのエネルギーを発散させる痛ニューや非モテ系のコミューンに帰属するほど、魂が腐ってもいない。)
それぞれに様々な理由で、彼らははぐれながらオタクであり続ける。それこそ独りで地方からコミケに出てきて、黙って本やCDを買って、独りで家で楽しむような。
そんな彼らがひとり家で「超ライトオタク誕生!俺達超最高!」って楽しそうにしてるのを見ると、つい寂しくなって「何だよお前ら」って当たっちゃう事を。
そんな彼らが「最近のオタクはオシャレで知的で素直で無邪気で」とか語れらると、自分はオタク世界からもスポイルされたような気分になってしまう事を。
もっとぶっちゃけると、せっかく世間の優越感ゲームを逃れてオタク世界に入ってきたタイプのオタクには、また優越感ゲームを始められるとどうにもうろたえてしまうことを。
非モテ批判の矛盾サンプル - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080829/1219998324
これを読んでて少し自分の頭の中で線が繋がった感がするので文章にアウトプットしてみる。
あれだよ、きっと『非モテ』ってのは、ある程度社会的に思春期も終えて一人前の自我を形成し、社会人になるべきとされている時に
何らかの要因(環境、自らの外見、幼少からの経験、それらから作られる自身の自己肯定感etc.)で自身の発達課題がクリアできないでいて
まだ自分で自分の自我が用意できない場合に、ヘルプ的に借りることができる『非モテ』という統一規格の自我なんだと思う。
だから『非モテ』は自分では自分が何者か規定できない。あくまで粛々と非モテのルールに則って非モテらしく在らなければいけないし、
(もちろん非モテの中でもいくつかの派閥はあるけど。はてな的非モテとかメンヘル的非モテとかジェダイ派非モテとか(これは最近あんまり見ないね))
同じコミューンの中の非モテ同士はみんなでできるだけ統一した価値観をもっていないといけない。あんまり1人で逸脱しちゃいけない。
だからどう、って話じゃないんだけど何となくそう思った。
ただ、それ故に『非モテ』という一種の制服のような自我を借りている期間はいわばモラトリアムであり、いつか卒業のときが来る。
別に彼女ができれば卒業ってわけじゃない。彼女ができなくても非モテに拘らなくて済むようになって卒業する人も居るし、
それ以上の課題が生まれてモテ非モテどころじゃなくなって卒業する人も居る(仕事だったり学業だったり表現関係だったり)。
だから、個人的にはあんまり『非モテであること』だけをアイデンティティに生きる生き方はオススメできないし、危険だと思うけど。
まぁ好きにすれば良いんじゃない?自分も学生のときは大人に何言われても聞く耳を持たなかったしなぁ。とも思うのです。でした。
論法の本質がなにも変わったとは思えない。「歩きタバコ」は「危険だから」規制されてるだけであって、タバコを吸うこと自体が規制されてるわけではない。
すさまじい屁理屈だな。殺人は危険だから規制されてるだけで人を殺すこと自体は規制されてないとか思ってるのか?
歩きタバコを規制されたら外で堂々と人前ですえなくなるだろうに。
まだ勘違いしてるようだが、際限なく規制しろといってるわけじゃなく堂々とすいにくくなるようにしろということ。値段が高くなればすう人は減る。
一般的にはパターナリズムというのは規制強化で市場原理なら規制緩和でしょ。法的パターナリズムを否定するなら自由放任の市場原理にちかづくのはわかりきったこと。
どっかの馬鹿馬鹿しい実験的コミューンと言った矮小な例を除けば、自由すぎて崩壊した社会というのは聞いたことがないが、さっき挙げた例はすべて「規制が厳しすぎて」人心掌握力を失ったことが大きな一因となって崩壊したものだ。タリバンだって軍閥に離反されたのはつまりはそういうことだぞ。
破綻国家のような無政府状態で生命の危険脅かされてるような状態は自由すぎて崩壊してる状態だろ。
しかもたりばんのような極端な例を出すのがせこいんだよ。現代日本より規制の強い国なんかいくらでもあるが全部人身掌握力なくて政権存続に失敗してるというわけでもない。ましてや酒やタバコの自販機がなくなったり児童ポルノ所持規制された程度で政権倒れると本気で思ってるんだろうか。
論法の本質がなにも変わったとは思えない。「歩きタバコ」は「危険だから」規制されてるだけであって、タバコを吸うこと自体が規制されてるわけではない。
ただ世の中の流れはどう見ても酒やタバコを利用しやすくなる方向ではないよね。税金上げられてるんだし規制は緩和どころか強化気味。
その方向は単なる増税路線の一環であって、「酒やタバコは悪だから際限なく規制する」方向ではない。タバコについてはちょっと疑問もあって俺は猫猫先生に同意したいが(俺自身はタバコの煙は大嫌いだが)、酒自体が悪いなんていう馬鹿は君を除いてほとんど見たことがない。
市場原理主義がこの一件とどう関係するのか教えてくれ。これは経済の話ではなくて、法的なパターナリズムの話だろう。まず、ポルノや買春や薬物の規制が日本より圧倒的に甘いオランダが「暗黒状態」になっているかどうか、あるいは規制の厳しい社会で現代日本より豊かで自由な社会が存在したかどうか、その例をまず挙げてみてくれ。都合のいい例だけ拾ったというが、都合の悪い例がどこにあるというのか俺にはちっともわからん。
どっかの馬鹿馬鹿しい実験的コミューンと言った矮小な例を除けば、自由すぎて崩壊した社会というのは聞いたことがないが、さっき挙げた例はすべて「規制が厳しすぎて」人心掌握力を失ったことが大きな一因となって崩壊したものだ。タリバンだって軍閥に離反されたのはつまりはそういうことだぞ。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20070702
>四方田さんにしても原さんにしても、よくもまあここまでと思うほど、彼らは子供時代のディテールをよく記憶している
>私にはこの頃の記憶が、もはやほとんどない。記憶がほとんどないということは、とても幸福だったということなんだろう
詳細に残っている記憶が必ずしも辛いものだとか苦痛なものとは限らない。そういう類の記憶は、むしろ忘却されてしまったりなかったことにされたりすることもある。例えば堤清二などは父・堤康次郎と子供の頃からそりが合わず、成長してからも確執が続いた。年を取ったせいなのかもしれないが幼い頃の思い出が殆んど無いのだとか。
>(この本は)「政治の季節」と「私生活主義」のせめぎ合いが後者の勝利に終わったとする「戦後史観」への異議申し立てである。
>しかし、「生活者」としての原武史は、まさにその「私生活主義」の立場から、
>滝山地区に色濃く残った「政治の季節」に対峙している。そして間違いなく、ここでも「私生活主義」が最終的には勝ったのだ。
少なくとも、読者の中でも相当数が、小学生が政治の季節に主体的に参加する(させられる)ことの問題性及び危険性を痛感するんじゃないのかな。私生活主義に立たないというか、立ちたくない小学生などそうそう居るとは思えないのだが。。
あんまり関係ないが、学者だって政治的発言を繰り返すなら、それこそ参議院議員にでも立候補するべく売り込めばいいのにと思う事もある。原はあんまり現実政治に言及する感じの人ではない印象があるが。