非モテ批判の矛盾サンプル - 或るオタクの遠吠え-Over the Rainbow-
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20080829/1219998324
これを読んでて少し自分の頭の中で線が繋がった感がするので文章にアウトプットしてみる。
あれだよ、きっと『非モテ』ってのは、ある程度社会的に思春期も終えて一人前の自我を形成し、社会人になるべきとされている時に
何らかの要因(環境、自らの外見、幼少からの経験、それらから作られる自身の自己肯定感etc.)で自身の発達課題がクリアできないでいて
まだ自分で自分の自我が用意できない場合に、ヘルプ的に借りることができる『非モテ』という統一規格の自我なんだと思う。
だから『非モテ』は自分では自分が何者か規定できない。あくまで粛々と非モテのルールに則って非モテらしく在らなければいけないし、
(もちろん非モテの中でもいくつかの派閥はあるけど。はてな的非モテとかメンヘル的非モテとかジェダイ派非モテとか(これは最近あんまり見ないね))
同じコミューンの中の非モテ同士はみんなでできるだけ統一した価値観をもっていないといけない。あんまり1人で逸脱しちゃいけない。
だからどう、って話じゃないんだけど何となくそう思った。
ただ、それ故に『非モテ』という一種の制服のような自我を借りている期間はいわばモラトリアムであり、いつか卒業のときが来る。
別に彼女ができれば卒業ってわけじゃない。彼女ができなくても非モテに拘らなくて済むようになって卒業する人も居るし、
それ以上の課題が生まれてモテ非モテどころじゃなくなって卒業する人も居る(仕事だったり学業だったり表現関係だったり)。
だから、個人的にはあんまり『非モテであること』だけをアイデンティティに生きる生き方はオススメできないし、危険だと思うけど。
まぁ好きにすれば良いんじゃない?自分も学生のときは大人に何言われても聞く耳を持たなかったしなぁ。とも思うのです。でした。
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