http://d.hatena.ne.jp/solar/20070702
>四方田さんにしても原さんにしても、よくもまあここまでと思うほど、彼らは子供時代のディテールをよく記憶している
>私にはこの頃の記憶が、もはやほとんどない。記憶がほとんどないということは、とても幸福だったということなんだろう
詳細に残っている記憶が必ずしも辛いものだとか苦痛なものとは限らない。そういう類の記憶は、むしろ忘却されてしまったりなかったことにされたりすることもある。例えば堤清二などは父・堤康次郎と子供の頃からそりが合わず、成長してからも確執が続いた。年を取ったせいなのかもしれないが幼い頃の思い出が殆んど無いのだとか。
>(この本は)「政治の季節」と「私生活主義」のせめぎ合いが後者の勝利に終わったとする「戦後史観」への異議申し立てである。
>しかし、「生活者」としての原武史は、まさにその「私生活主義」の立場から、
>滝山地区に色濃く残った「政治の季節」に対峙している。そして間違いなく、ここでも「私生活主義」が最終的には勝ったのだ。
少なくとも、読者の中でも相当数が、小学生が政治の季節に主体的に参加する(させられる)ことの問題性及び危険性を痛感するんじゃないのかな。私生活主義に立たないというか、立ちたくない小学生などそうそう居るとは思えないのだが。。
あんまり関係ないが、学者だって政治的発言を繰り返すなら、それこそ参議院議員にでも立候補するべく売り込めばいいのにと思う事もある。原はあんまり現実政治に言及する感じの人ではない印象があるが。