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Hardcore technorch / 自分語り135 - 「超ライトオタク」ゆっくりした結果
http://www.technorch.com/2008/12/135--.html
「超ライトオタク」を巡る言説、(色んな意味で)楽しく拝見させていただいてます。
で、なんだろ、結局今の時点で私がテクノウチ氏辺りに思ったのは、
たかだ増田の独り言まで「どうか彼ら私達の感動を「ジャンクフード」なんて言わないで下さい。」と否定してあげないで下さい。という事なのかもしれない。
この世界には(内的・外的に)様々な要因でオタクでありながら、本当は心のどこかで「自分も何かに帰属したいなあ」と思いながらも
どこにも属することができない、どこにも属することを許されないで漂い続ける「はぐれオタク」が静かに、そして相当数居る事を。(これをぬるオタっていうのかな)
彼らは確実にオタクであるために世間には馴染めず、かといってオタク世界でも日々生まれるどのムーブメントにも馴染みきれないでいる。
そこまで金が無い。そこまで都市圏に住んでない。そこまで時間が無い。そこまで人付き合いにこなれてない。
正直ニコニコや東方にものめりこむほどは好きになれない。かといって、自分が何かを作り出す才能も無い。
(かといってそれを全部開き直って僻みや妬みのエネルギーを発散させる痛ニューや非モテ系のコミューンに帰属するほど、魂が腐ってもいない。)
それぞれに様々な理由で、彼らははぐれながらオタクであり続ける。それこそ独りで地方からコミケに出てきて、黙って本やCDを買って、独りで家で楽しむような。
そんな彼らがひとり家で「超ライトオタク誕生!俺達超最高!」って楽しそうにしてるのを見ると、つい寂しくなって「何だよお前ら」って当たっちゃう事を。
そんな彼らが「最近のオタクはオシャレで知的で素直で無邪気で」とか語れらると、自分はオタク世界からもスポイルされたような気分になってしまう事を。
もっとぶっちゃけると、せっかく世間の優越感ゲームを逃れてオタク世界に入ってきたタイプのオタクには、また優越感ゲームを始められるとどうにもうろたえてしまうことを。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
の増田とは別の30代のオッサンです。
何かこの手の話って、すぐ「老害」とか言われちゃうんだよなーw。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
の反応なんて若さの汁が溢れ出まくってるし。
DENPAに関しては、俺もこないだのに行ったけど「新しさ」とか「衝撃」は全然感じなかったよ、ゴメン。
いや、良いイベントだと思ったけどね、本当に。
オッサンからのコメントが上から目線っぽく感じられるのも良く分るけども、
他に書きようがないしなぁ、本人には蔑んだりバカにしたりする気は全然無いはずなんで我慢して下さい、申し訳ない。
(「老害」とか言ってる人には「君もオッサンになったら解るよ」としか言えん)
例えて言うなら、結婚して15年以上経つ夫婦が、新婚ホヤホヤwのヤングカップルに
「僕らがいかにお互いを愛し合ってるか」とか「今後の2人の夢」を熱く語られたあげく、
「先輩!是非当時の2人の思い出と、今後のアドバイスを!」
とか言われたんで
「いやー、俺も昔はラブラブだったんだけどねー、
長く付き合ってくと、愛だけじゃ解決出来ない問題も出てくんのよ
と、つい夢のない事を言ってしまっただけなんじゃねーの?
多分、これがオッサンではなく、余裕の有るおじいちゃんクラスの人になれば、
「そうかそうか、2人はラブラブだのー、そのまま2人で仲良く過ごせばェェよー」
みたいな反応も出来るかもしれないけど、オッサンには無理なんですよ、本当にスマン!
出来る奴もいるかもしれないけど、少なくとも俺にはそんな余裕の有る回答はできんと思う。
私達よりも「先」を知っているのであれば「バカ」と済ませずに「次」に対してどうかお力添えをお願い致します。
「排除の団結」ではなくどうか「一致の団結」を実現させて下さい。それにはあなたの力が必要なんです。
※一部だけの抜粋です
これは無理のような気も。元増田はそういった事にもう魅力を感じて無さそうだし…。
少なくとも俺は年とったら正直クラブイベントとかは昔ほど面白く無くなっちゃってんのよ。
周りで似たような事言ってるのも少なからずいるし。(そうじゃない奴もいるけどね)
もうね、イベントの時にはヤングの頃にあった「始発の時間まで楽しむぜ!」とかのテンションは全然無いもん
「疲れたから帰ろう、あー、電車無い?まぁいいかタクシー使おう」とかに変わっちゃってる。
多分そんな人間の考える「次」は今の君たちが望む「次」とは多分違う物にしかならないと思うんだ。
勿論、年とってからも楽しんでる人も沢山いると思うけど、
やっぱり「その時代を」「その年齢で」通過しないと感じる事の出来ない感動ってあると思うので、
たとえそれが「老害」と言われても、オッサンにはオッサンだからこそ出来る支援をするだけなんだよな。
まぁ、最初はそんな自分が嫌だったけど、もう諦めましたよ!
30歳過ぎたら、中学生の覚えたてオナニーの様なキラキラした感動には巡り会えないんだと悟りましたよ!
元増田も蔑む意味では言ってないと思うし、俺はダンスミュージックやオタクコンテンツなんて
基本的にジャンクな物だと思ってるんで、正直この反応にはビックリしたというか
テクノウチさんって真面目な人なんだなーとか改めて思った。
(っていうか、元増田は『動物化するポストモダン』の例えとしてジャンクフードを出してるんだし)
「今度の季節限定XXバーガー、マジ旨いっす!新しい味の登場です!」
とか言われて、
「そっかー、若いなー、30過ぎるとジャンクフードを食いたいと思うことが減るし、
食っても旨く感じられなかったり、胃にもたれたりしちゃうんだよーw、
季節限定と言えば知ってる?昔マックでカレー売ってたんだぜ?」
とかオッサンが答えてるだけなんで、あんまし過剰反応する必要無いって。
うろ覚えだけど、昔ノーマン・クック(Fatboy Slimの中の人)がDJに関してインタビューで
「俺のやってる音楽は高尚な事でもないし、人を感動させる事でも無い、
月曜からずっと仕事してクソみたいな気分になってた人に、週末クラブに来て思いっきり楽しんで貰って
また明日から頑張ろうとか思ってもらえたら、それで十分満足なんだ」
みたいな事を言ってたんだけど、俺もクラブなんてそれで十分だと思うんだ。
とにかく楽しい場所を作ってれば良いんだと思う。
万一その場が無くなっても、誰かの心に残るイベントなら必ず後に続く人が出て
「何とかあの場所を再現しよう、他の人にもあの感動を伝えよう」
思うところがあったので書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20081215/p3
僕の実感としては、本格的にオタクがライト化というか、オタクじゃなかったオサレな人達がいっぱいオタク文化に参入して来ているんだなと本当に思うようになってきた。
記事では『ユリイカ』の初音ミク特集の記事から濱野智史(id:shamano)やテクノウチの発言を引用し、今までオタク文化に見向きもしなかった「オサレ」な人間たちがライトにオタク文化を消費し始めていると書いてある。この記事だけでなく色々な場所で言われ始めた言説だ。
このように言われていることに一抹の危機感を感じたので本記事を書くことにする。
タイトルで「ぬるオタ」と書いたのは正確には間違っている。要するに「オタク文化も消費するサブカル系の人間」のことだ。しかし、オタク文化にどっぷり浸かっているガチな人間からはそういう人間が「ぬるい」と捉えられるのは事実である。
まず、オタク文化をライトに消費する「オサレ」な層がいきなり現れたかというのは間違っている。急に出現したかのように感じるのは錯覚だ。
このように横断的に消費していく層というのはずっと以前からいる。急に出現したかのように感じるのはやっとそのような層の声がインターネットなどによってオタクにも届くようになっただけであり、または可視化しただけだ。これは「オタクはやめることができない」という勘違いにも言えることだが、今までオタクの歴史を紡いできたのがガチなオタクだけだったために、ライトに見える横断的な層というのが無視されてきたのだ。それによって近年、急に現れたかのように見える。だけど、ずっとずっと前からいたのだ。
例えば、クラブ系イベントを消費する層がオタク文化に流入してきたという風に書かれているが、テクノというのはかねてからオタク文化と親和性が高かった。
それはテクノポップの始祖・YMOの細野晴臣がゼビウスをサンプリングして『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を製作したように、特に日本においてはゲームミュージックが源流にある。あの中田ヤスタカだって渋谷系音楽からの影響は否定するがゲームミュージックは素直にリスペクトする。それほど大きな存在であり、ピコピコに魅入られて音楽キャリアがゲームミュージックから始まっている人間は多い。
それゆえ、オタク文化への親和性は高く、90年代初期においてもアニソンやアイドル歌謡をテクノリミックスして遊ぶことは当然のようにあった。
そうでなくてもテクノ界隈の人間は宅録という手法がオタク気質に合っているなどと言われりしてオタク的な人間が多い。日本最大のクラブイベント『WIRE』を主催する石野卓球は根本敬を語りガンダムをネタにしキャシャーンOPのカバーした。テクノ系音楽の輸入に貢献した人間からしてこうなのだから後に続くものは推して知るべしである。
イベントだけをとってもDENPAの前にはコスパが存在するし、ナードコアだって存在した。ニコニコ動画界隈で吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』をリミックスして遊ぶのが流行ったが、その十年も前に『レオパルドン』というアーティストがサンプリングのネタとして使用し『NO DISCO CITY』という楽曲を発表している。クラブでは既に吉幾三を聞いて踊り狂っていたのだ。
ここら辺の歴史が忘れられかけているのもすべて「語る人間の不足」が原因である。
もっと言おう。同じように言われるオタクとDQNが急接近しているというのも間違いである。今でこそまったく違う存在として認識されいてるがその原風景では学校内で異端視されるものとして同じであったし、ずっと親和性は高かった。
「ゲーセンは不良が行くところ」という言葉が参照される際、カツアゲなどがエピソードとして語られることが多いが不良がアーケードゲームに昂じていたことを忘れてはならない。それにオタクと同じように漫画を読み続けていたのも不良だったし、マイナーな洋楽に聞きほれてバンドを始めてしまうのも不良だった。不良はずっとサブカル的なものを消費してきたしオタクとは身体性は違っても嗜好性は近かった。
バンドマンには特撮オタクやアニメオタクが多く甲本ヒロトは大学生になっても特撮を見続けていたし、YBO2は『太陽の王子 ホルスの大冒険』をカバーした。
特にヤンキーというのは語る人間が不足しているので歴史はおろかその生態すら満足に語られていない。現役のヤンキーの言葉を丹念に聞き続けている岩橋健一郎という人間もいるが彼の活動がまともに耳を傾けられたことはない。
漫画だってずっとずっと広い層から読まれ続けていたんだ。大友克洋を代表とする漫画郡が「ニューウェーブ系」と言われてサブカル系の人間も消費していたし、ヤンキーには上條淳士がいたし、ギャルには岡崎京子がいた。
昨今のヤンキーとオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。