1回1人でロッジみたいなとこに泊まってこういう家建ててすみたいって思った
怒りとはすべて「なんてことしやがるんだコノヤロウ」という感情であろう。そして「なんてことしやがるんだコノヤロウ」というのは「正義感の一種」だろう。酔っ払いの理不尽な怒りであっても、エサを奪われそうな場面での野良ネコの怒りであっても例外ではない。つまり「すべての怒りは正義感に起因する」のである(後記:どう考えても、怒りの誕生の方が正義感の誕生より早いと思えるので、この段落はちょっとおかしいですね)。
ただ、怒り=正義感、ではない。例えば「ゴミをきちんと分別する」「道を訊かれて親切に答える」「路上で性器を露出しない」などは一種の正義感(の発露、というか表現形)とも言えるだろうが、直接的には怒りと関係ない。怒りとは必ずしも関係ない「倫理」「道徳」「社会規範」「常識」「他者への共感」なども、正義感の構成要素である。つまり「正義感は怒りより出でて怒りより若干広い、社会的概念」だということだ。
以上が真だとすると、この世からすべての正義感が消失すれば、煽り運転も、犯罪者や不倫芸能人とかに対する度を過ぎたバッシングも、根絶されるのではないか。そのはずだ。とうぜん、「すべての正義感が消失することのデメリット」というのも、あるだろうとは思うが。
🐱「うんちしたいですにゃあ」
🦎「俺もうんち」
💩「うんち」
🦊「俺も」
🐮「俺もうんち」
🍄「やべー」
🐯「うんちしたい」
🐍「うんち」
🦊「三大欲求」
🐷「もれるもれるブー」
🐮「俺もうんち」
🐧「やばい」
🐱「うんち」
🐷「う」
🐸「ん」
👴「ち」
🐧「つれてって💔」
基本的に右も左も「自分たち」と「向こう側」という壁をつくる意味では同質の人たちなんだけど、こんな感じで見分けることができる。
パヨク: 自分の意見は絶対に正しい。相手が理解できないのは相手に理解力が足らないのが悪い。
両者とも「世の中を正して優越感に浸りたい」「自分が苦しんでいるのは社会が悪い」という点では一致している似た者同士ではある。
アファーマティブ・アクションは差別の結果生じた格差を解消するものであるから正義だという人達がいるけど筋が通っていないように感じる。アファーマティブ・アクションはむしろ差別を固定しているとしか思えない。実際アメリカでは黒人医師よりもアジア人医師に診てもらいたいといったようなことが発生しているし、黒人奴隷の子孫でもないアフリカ移民が黒人奴隷の子孫を差し置いてアメリカで利益を得ているといったことも起きている。アファーマティブ・アクション賛成派の人達には一回筋が通った正当化理由を述べてみてほしい。
下の階でキッチンの掃除できてないと、自分ちもキッチン匂うよ。
上の階で洗濯機の水ぶちまけられて、3階なのに天井から水ドバドバ降ってきたこともあるでやんす
(一応オートロックの鉄筋アパートだよ。階段も内階段でケーブル加入)
もっと素敵なとこならないのかなぁ。
1000万ぐらいで建てれる平屋とかあるよ。
嘘とは言い切れない