2011-02-07

とある原画家はなし。

僕は以前、原画家、という仕事をしていた。エロゲーの、だ。

今思い返すとどうして自殺しなかったのか不思議なくらいだった。

そもそもきっかけは大学入学で上京したことだった。

今までいた田舎から東京に放り出されて一人暮らしを始めたことは、僕が過剰な開放感と万能感を持ってしまうのに十分だった。

ほどなく学校はいかなくなった。バイトを始めたのだ。

自力でお金を稼ぐ快感に酔いしれた。大人だと錯覚した家賃仕送りしてもらっているのにも関わらず。

そしてパソコンを買った。免許もとった。バイクも買った。モノには困らなかった。

そうして自分能力錯覚した自分が次に手を出したのは、同人活動だった。

それなりに秋葉原に通ってはいたが、幼い頃から絵を描いてきて絵描きに憧れていたというわけでもなかった。

はなぜ手をだしたのだろう?

それは単純だった。クリエーターがかっこよかった。

というのも、周りの友人がヲタク的素養が半端無く、原画家シナリオライターは神扱いされていた。崇拝されていた。

そして極めつけに、当時の僕は視野が狭かった。

ヲタク世界で崇拝されることは世界の全ての頂点に思えていた。西又葵日本で指折りの金持ちだと思い込んでいた。

知り合いの中にたまたまコミケですんなり壁サークルに上り詰めた人がいた。

当時無意識であったがどうも自分は顔を広げることは得意であったようだ。

その人にアドバイスを受けながら僕は元気よく描いた。

一応、高校の頃勉強がつまらないと落描きをしていたことはあった。とはいえその程度だったので最初の評価は酷いものであった。

それをバネにして、描き続けた。

ちなみにこのあたりで学校に行っていないのが親にばれ、退学してフリーターになった。

週6で夜勤に入り、日中は単発バイトがあるときはそれをこなし、ないと描いた。

そうして2年ぐらいしたところで、ふとある新商品を見て電撃が走ったのだ。

「これは流行る」

ずっと流行ジャンルに乗り遅れていたが、何故かその時は確信があった。

日中のバイトをしばらく減らして、描いた。

売れた。

その年のコミケは一瞬で完売だった。

そして僕は、部数にして4桁出せる同人作家になった。

相変わらず週5で夜勤バイトは入れていたので収入はなかなかのものだった。

しいバイクを買った。車が視野に入った。程度のいい中古BMWすら乗り回せるんじゃないかと皮算用した

いくつか商業の話は来ていた。

しかし、ラノベイラストピンナップなどの単発仕事は何故か胡散臭いものだと当時自分は考えて断っていた。

本当にエロゲーしか見えていなかったのだ。

そうしているうちについに来た。

エロゲー原画しか自分を主軸に据えてくれるという。ふたつ返事でOKした

長く勤めたバイトを辞めた。夢の実現に酔いしれた。

そして、転落が始まったのだ。

いつまでも終わらない企画会議

方向性の定まらないイベント画の案だし。

待てど待てど上がってこないシナリオ

同人はおろか、メイン仕事のはずの原画全然描けなかった。

自分を拘束するための「仕事のための仕事」、長ったらしい会議が繰り返された。

そうして消耗しきった頃、ついにシナリオが上がってきた。

イベント画の指定も一気にきた。

しかし、しかし、、、

どう見ても絵にならなさそうなシチュエーション、どう見ても惹きつけなさそうなエロ分の少なさだった。。

同人経験をばかにするプロも多いが、その同人経験ですら、これは売れないと確信した

ニッチ的に一部の人の心を掴むことも無理だろうと悟った。

そもそもシナリオに凝った結果原画しわ寄せが来るという状況が大間違いなのだ。

悲劇的なことに、プロデューサーシナリオライターに心酔していた。

僕は描かなければならなかった。

明らかに売れないであろう失敗作とわかっていながら、描き続けなければならないことがどんなに苦痛か。

そうして、大失敗作はついに世に送り出された。

結果は散々だった。

自分たちのチームも加担したのかは不明だが、運悪く会社がちょうど傾いていた時だった。

社内はギスギスしていた。次の製作予算がでるかわからなかった。

プロデューサーだんだん「俺の言うことに口を出すな、気にくわないなら辞めろ」というスタンスになっていった。

相変わらず、シナリオライターには甘かった。

初めて人間に対する不信感が湧いた。

それがトリガーになって、今まで知らなかった他の世界に対する興味が湧いてきた。逃避の意味もあったんだろう。

お金を稼いでいる人や社会的に何か成し遂げている人のブログや本を、嫉妬心不快感に苛まれながら読み漁った。

世界は果てしなく広かった。西又葵はそこまで金持ちはなかった。そして自分仕事本質を知りつつあった。

つの間にか、生活リズムという概念は消え去っていた。なんども倒れた。精神科で薬を処方された。

毎晩薬を飲んで眠りに就く時間けが幸せだった。数時間で目が醒めてしまうのだが

ストレス激太りした

突発性難聴を繰り返し、耳はもはやあまり聞こえなくなっていた。

しかし懲りずに自分の所感と成功者言葉からヒントを得た、今後のブランディングプロデューサーに説き続けた。

駄目だった。どころか、よりワンマンになっていった。

そして自分ひとつの疑念を確かめるべく、こっそり外注で他のエロゲー製作を手伝いはじめた。だいたい予想通りだった。

時が経ち、作品が送り出されていった。もちろん、どれも売れなかった。




そして、僕はそっと、一つの夢の後片付けを始めた。

さようならエロゲ




それからまた時が経った。

僕は年収4桁を数えられるようになった。

相変わらず忙しいことに代わりはないが、前向きに目標が立てられるいい業界、いい仕事だ。

仕事は突き詰めればつまりサービスであり、人に届いて初めて価値を生む。

そして、自分のし仕事の成果というのは、その仕事品質とそれを受け取った人の掛け算だ。

エロゲー業界はあまりに受け取る人が少なすぎる割に、前者の品質だけは異常に求められる。

あまりにアンバランスな掛け算なのだ。

世界が見えていなかった過去自分ということを引き算しても、まだまだ、後者の「受け取る人の規模」をしっかり理解して仕事を選べている人は少ないと思う。

需給バランスだって突き詰めればここのことだ。

資本主義社会が続く限り、この掛け算さえ忘れなければ、どんな状況からでも這い上がれると思う。

そして、絵描きさんへ。

本当に自分の描きたいものを描きたいのならば、プロはならないことだ。同人の方がよっぽどピュアだ。

商業誌でもいつかは出来るはずだ」そういうおめでたい脳を持っている人はそのままのたうちまわってください。時代遅れです

世界の流れは確実に同人的なエコシステムになりつつあるんだから

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