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はてなキーワード: 魔女とは

2008-09-26

ある機械化航空歩兵に見る心的成長と服装の変化の可能性

A possibility of the change clothes and mental growth in a Strike Witches

1.はじめに

 かつて王様は『馬鹿には見えない服』を纒い、裸であると指摘された。王様はそれに恥じ入ったが、そうするべきではなかったのだ。彼はこういえば良かったのだ。

『裸じゃないから恥ずかしくないもん』、と。

 それが如何に認知上でパンツのように見えたとしても、属性としてパンツでなければどれだけ見せても良いのだと、多くの人に知らしめたアニメーション作品も遂にそのテレビ放映が終了となった。果たして今後『マエバリじゃないから恥ずかしくないもん』と言い張る作品が出るのかどうかが議論される昨今であるが、今回はこうした議論の活性化貢献したそのアニメーション作品について、追悼の意を込めて一つの考察を行いたい。

なお、以下は全て同作品のTVアニメ版の設定に準拠するモノであり、小説版漫画版に関しては必ずしも同一世界上であると限らないので考慮には加えていない。その為、一部の考察に関してそれらの設定と矛盾があるかもしれない事をご理解いただきたい。

2.穿かない魔女と穿く彼女

さて、問題となる作品において活躍した連合軍501統合戦闘航空団に一人の少女がいる。少女の名はサーニャ・V・リトヴャク。彼女が他の機械化航空歩兵達と一線を画する部分として、スカートの様なモノの着用が上げられる。魔力伝達の阻害の軽減、戦闘脚の着脱時の簡便化、文化等の様々な『理由』により基本的にスカートや、我々が言うところのズボンを穿く事がない機械化航空歩兵達の中において、サーニャ・V・リトヴャクだけがスカートの様なモノを穿いているのである。戦闘脚を必要としない看護師でさえ下半身露出した制服である世界観の中において、これはある種異様な事である。

 ここで一つ正直な事を言えば、筆者は見直すまであれはビスチェ状の部分と一体化しているワンピースの裾であると思い込んでさえいたのだ。これは全くもってリトヴャカー(サーニャ至上主義者の意)として度し難い失点であり、猛省している。しかし、これはそれだけあの世界において、そうした服装が特殊であると認識されるという事でもある。

 さて、ではサーニャ・V・リトヴャクが世界唯一のスカートらしきものの着用者なのかと言うと、そうとは言い切れない。第一話において登場した宮藤芳佳の祖母はモンペの様なモノを着用している事が確認されているし、母親の方もスカートの様なものは穿いていなかったが、丈の長い白衣風のコートのようなものを着用していた。また一部のモブキャラスカートらしきモノをはいている様に見られ、第八話においてはサーニャ・V・リトヴャクと同隊のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケが足下まで裾のあるドレスのようなものを着用しており、下半身を隠す衣服が文化的に存在しないわけではない事が示されている。

 しかし一般的にスカートが着用されない中において、サーニャ・V・リトヴャクだけが日常的にスカートのようなモノを履き続けているのである。これにはどの様な意味があるのだろうか。

3.魔女は何故穿かないのか

 まず、何故そもそも一般的な機械化航空歩兵は基本的に下半身露出しているのか、という事について考えてみたい。機械化航空歩兵達が我々の言うところのズボン等を穿かないのは、特に戦闘脚の着用に理由があるとされている。これに衣服による魔力伝達の阻害の軽減という理由を合わせれば、とりあえず納得する事は不可能ではない。こうした観点から見た場合、サーニャスカートのようなモノは実質的には他の機械化航空歩兵達の上着の裾と同程度の丈であり、戦闘脚に対する阻害はない。しかしこれは十分条件を満たすというだけであり、必要条件ではない。

 次に文化的側面から考えてみたい。機械化航空歩兵達が下半身露出する事は上記の理由により一応の納得を得る事が出来る。しかし、それ以外の一般人看護師学生等が何の理由により下半身露出するのだろうか。こうした疑問に対して、原作者である島田フミカネは「この世界では普通のこと」であると答えている。つまり現実において様々な服装が変遷したように、あの世界では下半身露出の高い服装が一般的であるという文化が培われてきたという事である。

 あの世界では魔法存在すると言われれば反論できないように、あの世界ではパンツではなくズボンであり、下半身露出度は高いものだと言われれば確かに誰にも反論は出来ない。或いは、あの世界において一種のカリスマである魔女達が、先の魔力阻害の理由から露出的な格好であった事から、世においてもそうした服装が流行していったのだとも推測される。

しかし、そうであるならばなおいっそうの事、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを着用しているのかが不明瞭になるのである。

4.穿く魔女

 サーニャ・V・リトヴャクだけを見た上での検証には限界がある為、ここで一度視野を広く取って考え直してみる。実のところ、下半身露出を抑えているのは彼女だけではないのだ。ただ実際にアニメ上で、ワンピースのような上着の裾の延長ではなく、下半身を隠すための衣服を明確に着用している事が確認できるのは、当のサーニャ・V・リトヴャクと宮藤芳佳の祖母、また第八話において赤城乗組員より宮藤芳佳に贈呈された芙蓉人形だけである。(アイキャッチにおいては他キャラスカート姿も見受けられるが、イメージボード的な意味合いが強いと見られる為、考慮に入れない)また、もう少し範囲を広げ、ワンピース状であっても下半身を隠すのに十分な丈のある衣服で確認してみると、宮藤芳佳の幼少時代、同様にサーニャ・V・リトヴャクの幼少時代、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレス姿があげられる。

 これらの情報から共通点を見つける上で、芙蓉人形に関しては巫女服に類似している事から、何らかの正装として形式的に固定化されているデザインであると考えられる。またサーニャ・V・リトヴャクのスカートの様なモノに関しても、十人以上いる第501統合戦闘航空団において一名だけの着用であり、特殊性が高いケースと見る事が出来る。この為、この二点に関しては一度考慮から除外する事とした。

 残されたケースについて見てみると、最初に目につくのが年齢層的な偏りである。4件中3件は幼い少女及び老婆であり、思春期、成人期を外れている。10代の女性ばかりである第501統合戦闘航空団(一部に『さんじゅうはっさい』と見られる人物もいるが)においても着用者がサーニャ・V・リトヴャクだけであり、一般的でないと見られる事は先に述べたとおりである。また、詳細に確認はとれていないが、モブキャラスカートの様なモノを穿いているのも、壮年期に近い女性であったように見えた。

 この事から、一つの仮説として、一般的に年頃とされる年齢層の女性下半身を積極的に隠す服装をしないという事が言える。こうした年齢層の女性に限る行動について、まず考えられるモノが異性に対する性的な訴求である。つまり、この世界における露出的な服装は、年頃の女性達にとっては異性に対する性的訴求の一種であり、またそれが、服装自体としても流行しているのだと考える事が出来るのである。これは現実におけるミニスカート流行を考えると、可能性としては考えられる事である。

 この説が正しいとすれば、番組側は二度もの機会がありながら、何故ズボン丸出しの幼女を出さなかったのか、という全くもって度し難い愚行についても、納得はともかく説明は出来る事となる。

5.性と露出

 また、興味深い話として、現実中世ヨーロッパにおいて未婚の女性下半身の衣服を短くし、結婚した女性は長くしたという学説がある。これは、女性の持ち物は男性が買い与えるモノである、という男性主導的な考えによるものであるが、作品世界において、先の仮説と併せて、こうした風習が一般的に広がっているとしたならばどうであろうか。

 つまり、あの世界においては、女性は未婚時には下半身露出した服装で異性に対して性的訴求を行い、婚姻後は(或いは個人差はあるだろうが)露出を控えていると考えるのである。この仮説に基づいて考えてみると、幼い少女時代ヒロイン達や、既婚である宮藤芳佳の祖母が下半身露出を抑えていた事も無理なく説明できる。また、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレスについても、あのドレスを贈ろうとしていた男性からの一種のプロポーズであると考えられる(実際、追想シーンにおいて出立前に彼女が燃やしていた衣服の裾は短く見受けられた)。更に芙蓉人形に関しても、巫女服に近いあの服装が、ある種の神仏に対する官職制服であると考えると、信仰対象に対する忠誠・隷属を示す上での処女性の証明の一つとして、精神的な意味における神仏との契り、また他の一般の異性に対する雑念の払拭を示す意味合いでの服装であると見る事が出来る。

6.性的モラトリアムの象徴としてのスカート

 では、問題となるサーニャ・V・リトヴャクについてはどうだろうか。彼女結婚しているかどうかは、考えるまでもなく未婚である(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。ならば彼女が、まだそうした事に気をかけない程に子供であるかといえば、それもまた違う(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。で、あるならば、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを穿いているのであろうか。性格的な側面から考えてみると、彼女は基本的には男女問わずに人付き合いを不得手としている事が伺える。本人がコミュニケーションを嫌っているわけではない事から、これは性格によるモノよりも、経験不足によるものであると考えられる。この様に同姓に対してもコミュニケーション不全的な面を持つ彼女が、異性に対すれば更なる窮地に陥る事は想像に難くない。況んや、恋愛沙汰となれば尚更である。

501統合戦闘航空団においては、隊長であるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケにより厳正に異性との接触が管理されていたが、これは私的な事情による部分が強く、別の隊においても同様であるかは定かではない。しかし軍隊である事と、機械化航空歩兵の存在が戦況を左右する状況下において、当の機械化航空歩兵に不快感を与える事は極力避けるであろう事から、程度の差はあれ異性との接触は制限されていると考えられ、相互理解を深めるほどの交流があたとは考えにくい。また、サーニャ・V・リトヴャクはネウロイ侵攻の混乱によって幼少時に両親と生き別れており、性的な面での教育が不十分であったと思われる。そうした異性に対する理解が不十分な状況下において、無言のうちに異性を避ける為の諸策が、あのスカートの様なモノではないだろうか。

 10代前半の彼女下半身露出を抑える事で、既婚であると思われる事はないであろう事から、これは性差を気にかけない幼児的な服装の意味合いによって、自身がまだ子供であると装う性的な面におけるモラトリアム行為であると考えられる。こうする事によって彼女は自らを性的対象外とさせ、恋愛面の複雑なコミュニケーションを避けているのである。

7.終わりに

 サーニャ・V・リトヴャクは、性的方面における精神的な成長の不足から、スカートの様なモノを身につけていると考えられる。しかし、これはやがて彼女内面が成長するにつれて変化をする事だろう。つまり、彼女スカートの様なモノを脱いだ時からこそ、不鮮明な子供から確かな少女へと成長を遂げるのである。そして、次にまたスカートの様なモノを穿く時にこそ、女性となるのだ。

 そして筆者はその日を待ち続ける。彼女によく似合うスカートの様なモノを握りしめて。

参考文献

ひろこ:LINGERIES

http://www.geocities.jp/putinkoleche2/

金川欣二パンティ学・入門??語源学・仮入門

http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/gogen.html

島田フミカネ:digital bs tuners blog―よく聞かれるので

http://humikane.asablo.jp/blog/2008/07/01/3605589

青柳蓉子:服装の性差 なぜ女性しかスカートをはかないのか

http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2001/writing/aoyagi2.pdf

著者不明:ストッキング女性社会進出

京都教育大学教育学部家庭領域専攻2005年卒業論文

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080920153710

好意的に考えれば、支援活動に入れ込むあまり、他者に対する想像力がちょっと機能不全に陥ってるんだろうね。

熱意を持って敬遠されがちなボランティア活動に励むんだから、その程度の行き過ぎ、独善的な思い上がりは

むしろ好ましい資質かも知れない。まあ、議論の趨勢には何の影響も与えないし、境遇を理解はしても共感はできないけど。

行き過ぎと言えば、生存権という言葉も鷹揚に使われすぎだと思う。

誰もが命を奪われない権利を持つのは、消極的自由の意味において自明だとしても、

積極的自由としては色々と制限がつくのもやはり自明なんだよね。

現に憲法上で生存権が保障され、法で定められた生活保護や各種福祉を享受する権利を持っているとしても、

「迷惑利用者に図書館を無条件で明け渡すべきだ」などという個別具体的な権利要求は、

少なくとも生存権を根拠にする場合、プログラム定説によって却下されてしまう事は自明

もちろん、コップの中の嵐を巻き起こしているとは言え、今の所新聞記事になった図書館ホームレスを追い出しては

いないんだけど、もしその能力の限度を超えた場合には、排除と思われるような行為に出てもまず咎められないはず。

というか、図書館生存権保障の機能を与えるのが効率的とは普通考えないだろうから、立法措置や行政裁量

仮に発動されるとしても、図書館批判派の想像とは全く違ったものになる事もやはり自明だろうしね。

立憲主義の矩を超えて国家私人の生活に干渉するのは、個人の尊厳を守りその自由を保障する為なんだから、

保障されるべき自由が「迷惑行為を掛けても免罪される自由」か「迷惑行為を掛けずに済む自由」かのどちらだと

問われれば、恐らく後者だと考えるのが普通感覚・・・という表現に過敏症を発症しちゃうかわいそう人も

いるようだから言い換えると、ともかく個人的な感覚としては妥当に思われるんだよね。

そして言うまでもなく、憲法というのは国家機関を制限するもので、いくら生存権規定があろうと、

思想信条の自由として私人がその拘束を免れうるのは自明。この辺りも雑に議論されているような気がする。

人権を否定するなんてハードな表現じゃなくて、誰それの無限定かつ無条件な生存権の保障よりも、

児童福祉や高齢者福祉、救命救急医療リソースをわけてくれと考えるのは、現に立法府行政府

そうした姿勢であるように、自明現実でもあるわけだから。むしろここで言われているような

健全な良識や良心、他者への共感」に目覚めた人は、同時に生存権がまるで自明なんかじゃない世の中にも

気づくはずで、そこからどう他者を説得しようかと葛藤したりするのが自然な流れのはず。

で、もし私人生存権を保障する義務を負うと本気で主張するなら、啓蒙臭にウンザリした多くの人が反発しているように、

「まずお前が自分の家でかくまってやればどうなんだ」という当然の指摘が来るのは避けられない。

図書館が開いてる時間帯だけ他人に開放する程度なら、家主の生存権にかかわる事態にはまずならないだろうから、

たとえば「不快感弱者トリアージするのか」なんていう、理解に苦しむ言い掛かりや魔女狩りを被る可能性も出てきてしまう。

加えてこの場合は、本質的には個人の勝手気ままな善意に依存するボランティア活動も全然不十分なものとなる。

権利に基づいた正当な要求に対する義務として、対応しているわけでは全然ないからね。

本気の本気で世の中を考えるんであれば、もう少しカッチリした議論を見せてほしいなと思う(まあ関連エントリレス

全部見てるわけじゃないんだけどね)。「健全な良識や良心、他者への共感」を大事にするからこそ、もう少し葛藤なり

屈託なりを露わにした方が共感を得やすいと思うんだ。具体的障害や摩擦のない船上パーティお気楽に訓詁学に耽ったり

説教垂れ流しても、中2病扱いされたりで説得力・社会的インパクトは皆無だろうからね。観客としての感想はそんな感じ。

2008-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20080908000049

それは元エントリ書いたバカが脊髄反射して図書館攻撃したのが発端だから。

実際は図書館が対応を迫られたホームレスは、悪臭程度では済まない

素行の悪さが目立っていて、その上での決断だったのにね。

そしてホームレス図書館にばかり避難するわけじゃない。

役所、公民館保健所女性センターなどなどに避難するホームレスがいてもおかしくない。

ということは、図書館にばかり負担を掛けるのは効率が悪い上に本質的解決にはならないわけ。

福祉行政で集約的に避難施設の設置を図るのが、最善な事は明らかなのに、

視界に入った(ごく個人的な心情からの)憎い敵しか目に入らない人には、

多数の合意形成の必要で、かつ実際に解決に資すると思われる対策が浮かばなくて当然だよ。

この騒動のかなりの部分が魔女狩り的な欲望に突き動かされていたことは間違いないと思うね。

2008-09-04

機械化航空歩兵に見る衣服の性的価値

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

2008年に現れたあるアニメはそう言って一つの革命を起こした。うら若い魔女たちが大空を翔るそのアニメでは、少女たちはおおよそパンツ、一部ではスクール水着にしか見えない「パンツではないモノ」を身に付けている。しかし、その上にスカートズボンを穿く事なく、おしげもなくそれらを画面に飛び交わしているのである。これはアニメにおいていかにしてパンツを見せるかという課題に対して、衝撃的な解答を突きつけることとなった。パンツを見せていけないのならば、パンツでなければ良いという強引きわまりないこの方法は、しかし現実としてお茶の間に届けられる事となったのである。

この画期的な事態に対して各方面の視聴者の多くは喜びの声を上げている。しかし、この現状に対して私はあえて反対の声をあげたい。パンツであるとかパンツでないとかではないのだ。見えたパンツには価値などないのである。

心理学キャッチーな話題の一つとしてよく言われることであるが、禁忌を破ることにはある種の快感が伴うモノであり、パンツスカートで隠されるから見たくなるのだという話がある。つまり見えないことで価値は高まるのである。パンツ自体も性器を隠す効果があり「価値を高める」価値を持っているが、それは自身の価値としては弱いモノである。パンツ自身の価値パンツを隠すモノの存在によってこそ飛躍的に高まるのである。これは今日パンツ認知学においては既知の事柄である。実際において、世界観として隠される事がないパンツ水着の間にどれほどの違いがあるというのだろうか。

この手法における次の問題点は、スカートがない事である。これはつまりパンツが見える見えないという事ではなく、スカート自身の持つ価値についてである。ズボンがお尻のラインが映える等の魅力を持つように、スカートにも独自の魅力は存在する。スカートの魅力は何においてもその動きにこそある。かつて、ある高名な監督魔女が箒で飛び回り運送業を行う劇場アニメにおいて、そのスカートのひるがえりに対して比類ない情熱を注いだ事は有名である。風になびくスカートの持つ魅力はそれだけ重要だったという事だ。スカートがなびく動画表現は、スカートの軽さ、柔らかさ、材質感を感じさせ、それによる存在感の高まりは、そのキャラクター自身のリアリティを向上させる結果となる。特に細かく動きを表現する事でスカートの軽さ感、柔らかさ感は増し、それはつまりスカートが薄いと感じさせる事につながり、スカートにより隠されている下半身が僅かに透けるのではという期待を喚起させる。また、軽いロングスカートが脚に沿ってなびけば、ズボンの持つタイト感や、隠されている脚を感じ取る事で魅力となるのである。そして裾の上下は隠された脚を僅かに見せる事になり、またそれがほんの一瞬である事で視聴者の集中力を高めるのである。

このようにスカートの持つ価値は、パンツを隠すモノとしてだけではない。そして非常に大きなモノでもあるのだ。こうしたスカート存在そのものを否定する事が、いかに作品全体の商品価値に影響を及ぼすかは考えるまでもない事である。

そして最後にもっとも重要なことがある。当たり前のことではあるが、パンツは衣服である。そして着る人がいなければそれはただの布である。ではその下に性器さえあればパンツは布でなくなるのだろうか。下半身マネキンに穿かれれば布はパンツになるのだろうか。では上半身もあればパンツは布でなくなるのだろうか。全身マネキンに穿かれれば布はパンツになるのだろうか。そうだ、と答える人もいるのかもしれない。しかし大部分はそうではないと答えるだろう。でなければ、今頃女性の下着売り場は男性立ち入り禁止にでもなっているだろう。では、ただの布がパンツとしての価値を持つ上で何が必要なのかと言えば、それはパンツを穿く人物の存在であり、人格であり、反応なのである。つまりパンツが見えることによる価値の大部分は、パンツが見えた事に対する、パンツを穿いている人物のリアクションにあると言えるのだ。照れや羞恥、あえて無視など様々な反応があるだろうが、そうした反応によってこそ、パンツは布ではなく、パンツとしての価値を持つに至るのである。

しかし、どうか冒頭の言葉を思い出してほしい。

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

そう、恥ずかしくないのである。つまり作中のキャラクター達にとって、そのパンツでないモノを見せることはズボンスカートを見せる事と同義であり、そこには特別な反応は何一つ存在しないのである。実際、キャラクター達はパンツじゃないモノを穿いて男性キャラクターの前に立っても、その事による特別な反応を一切する事はない。あえて言うなら、これは痴女の振る舞いである。そういうキャラクターが好きだという人物もいるだろうが、それは決して大勢ではないだろう。

彼女たちは決してスカートを捨て去るべきではなかったのである。衣服の歴史は常にその枚数を増やすものであり、そうする事がより正しいからであったのだ。彼女たちは、選択できたのならばいっそパンツを捨てるべきであったし、もちろんより正しくはどちらも捨てるべきではなかった。それは視聴者が抱くはずだった希望をも捨てる事であるからだ。希望を抱くという事は、その希望を手に入れていないという事であり、それこそが大きな力、購買力となるのである。

パンツじゃないから恥ずかしくないもん!

それは確かに刺激的な言葉だった。しかし、少なくとも筆者自身は、それが魅力的な言葉であったとは思えない。しかし、確かにサーニャ・V・リトヴャクは魅力的であった。この点については何ら疑うところはなく、これを否定する者は屋上で前歯を折られるのだ。

●追記

逆にスカートを穿いて恥ずかしがる話というのもアリなのではないかと思われるが、サーニャ主役でそういった回はないものであろうか。とりあえずスカートを穿いて恥ずかしがり、しかしそこからスカートを脱ぐのも何だか恥ずかしくて進退窮まるサーニャ同人誌も早急に望まれるところである。

2008-08-30

組織情報共有は統一教会」かよ!

報連相洗脳カルトマインドコントロール手法だった - 地下生活者の手遊び

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080830/1220032774

とうとうここまで来ました。下位の職務階層から上位の職務階層への情報伝達、連携各部署との情報共有、特殊知識資源保持者からの助言、などはおそらく古代エジプトピラミッドつくっている頃からあっただろう。「あそこに石を持ってきました」「石を滑らせるコロが足りなくなってきたから作ってくれ」「そろそろ休みが欲しいのですが明日は雨でしょうか」とかね。それらをそれぞれ「報告」「連絡」「相談」と呼び、三つの熟語の先頭の文字をつなげれば「ホウレンソウ」だ、というのは、あれだ、あれと同じだな。子供向けの防犯標語「いかのおすし」。

http://www.excite.co.jp/News/bit/00091209572660.html

●いか いかない(知らない人についていかない)

●の のらない(知らない人の車に乗らない)

●お おおきな声で呼ぶ

●す すぐ逃げる

●し しらせる(何かあったらすぐ知らせる)

ホウレンソウ」も標語としての出来はともかくとして、覚えやすそうだからどっかの財界人が提案したのをいろんなところが真似して使った、という中に統一教会もあった、だから「ホウレンソウ」は「洗脳カルトマインドコントロール手法だった」、というのか。統一教会がするめ売ってたらおちおちするめも食えなくなるな。おいおいこれは「古い箒を燃やしていたから魔女」という感じで、愉快な中世風景だな。黒猫を飼っていたら魔女点字を使っていたらナポレオン軍のスパイアストンマーチンに乗っていたらMI6、いくらでも応用が利くよ。

統一協会のツールであることに由来するからという理由だけで「ホーレンソウ」がダメだと断ずるつもりはにゃーです。エントリでもそのあたりは注意して書いたつもりですにゃ。

こんな追記をしたって、無茶は無茶だろ。統一教会が使っていたからだけではなく、「個人の主体的な判断を失わせるから」「ホーレンソウ」、組織情報共有はダメですか。そんな突飛な警鐘を鳴らすなら、コミュニケーションを行う人間関係は主体的な判断に影響を及ぼす可能性がどれもいくらかはある以上(ていうかコミュニケーションはそういうもんだろ)、それをカルトと呼ぶなら全部カルトっぽくなる危険性はあるだろ。

それでもって、徒党を組んでひとりを「脳の失敗」「あたまがわるい」「半ば本気で死んでくれ」とか吊るし上げる「はてサリンチ」は、オープンだからまだしも陽気でむしろ爽快なカルトですな。「十字砲火の的になるぞ」とかいうのもいるしな、オウムの武闘派みたいなもんだな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://rage.cocolog-nifty.com/log/2008/08/les_mirroirs_0f91.html

苺が食べられなかった猫ちゃんがニャンニャン泣いているのかな?(笑)

2008-08-23

「脳の失敗」タグには呆れた

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080819/p1

ここのブクマタグは、見ていてもう、はてブが嫌になった。

自分はどちらかというといままで「はてサ」と言われている人たちにシンパシーを感じていたのだけれど、でもこのid:hokusyuの「脳の失敗」というタグだけは、これはつけちゃいけないタグだと思う。前からこのhokusyuはネガタグてんこもりブクマで、折角リベラルな良識的な意見を他の人たちが書いていても、その流れで対立する相手に対して罵倒を浴びせると、「はてサ」でくくられている人たち全体のイメージが悪くなるんじゃないかと心配していたんだけれど、「脳の失敗」というのは本当に、もう限界を越えたと思った。

そりゃあはっきり言えば、id:HALTAN学歴に絡めた嫌味とか、普通の状況なら酷い言い草かも知れないが、これまでの流れを見ていると売り言葉に買い言葉で、度を超えた罵倒表現をエスカレートさせてきたのはhokusyuの方だと思う。しかも、これまでは真面目な人だと思っていたid:CrowClawid:Wallersteinid:Romanceといった人たちまで、はてスタをつけている。それを指摘されたら、Wallersteinは違うタグ(┐(´??`;)┌)につけたんだとか言うけど、その横で「脳の失敗」なんて酷い言葉が書かれているのにそれに抵抗は感じなかったんだろうか。Romanceも、なんか変な言い訳をしている。[驚きと困惑]とか改めてタグをつけて、「福耳にもスターをつけてますけど!」とか。でも文脈から見て、Romanceがhokusyuにつけたスターは意味合いが違うと思う。ああ、こんな下品なネガタグでも尻馬に乗るときは平気なんだな、と思うと、そういうスターの付け方が嫌らしいと思うし、そういうところが対立する側から「はてサ党派性」とか言われる隙をつくってしまうのに、魔女狩りで火炙りにされる「魔女」たちの十字架の周りで踊りながら魔女に石を投げる暴徒たちを連想した。

心配顔でHALTANに「三ヶ月くらい休んだら」とか言う人もいるけれど、これも順序が違うと思う。なんでまずhokusyuの方をたしなめないのか。どれだけ相手の意見が間違っていてそれに批判をしようとしても、その手法がこれだけ下品ならば、その下品さに懸念を表明する方が先ではないのか。こんな酷いネガタグをつけられたら、誰だって冷静ではいられなくなる。本当にひどいタグだと思う。

自分がこれを増田で書くのは、もしこのネガコメ批判を自分のアカウントで書いたら、自分もネガコメネガタグスクラムで罵られて吊し上げられて嫌な思いをするのが想像するだけで寒気がするから。id:Apemanさんなどはこういう現象に巻き込まれて不快ではないのだろうか。ブロガー同士で泥仕合になるのはよくあることだがそのことではなく、そこでとうとう「脳の失敗」というようなえぐいネガタグまで平気で使われている状態のことですが。

自分はHALTANの言い分に同意できないところが多いが、でも確かこの人は以前は「躁うつ病高齢ニート」とか名乗っていたと思う。「脳の失敗」タグはまさかそれを揶揄しようというものなのか。でも、他人の病気をそういう攻撃のネタにすることは、人としてどうかと思う。とても自分には目にすることさえ耐えられない。

はてなは本気で、ブックマーク非表示を共有するシステムを考えて欲しい。「このブックマーカーはひどい」という意見が一定数以上蓄積されれば、非表示にする設定をできるようにして欲しい。そうすれば、いま下品なネガタグをつけているhokusyuのようなおかしなブックマーカーも、自重するようになると思うから。いまは自分の叫ぶ悪罵に陶酔しているんじゃないかと思う。

本当にはてなにはそれを要望します。病気の人の病状を揶揄するこんなひどいネガタグがつけられて、周りもそれを普通に支持するなんて.....。こんなことが続いてはいけない。止めなければいけない。賛同する人は、どうかブックマークやスターを下さい。(でも、アカウントがわかるとその人もネガティブコメントタグの十字砲火を受けるから、こういうことを訴えても無駄かも知れないけれど、自分は、そう思います。)

(以下追記)

ブクマコメントを見ていると、id:ruletheworldもあちこちでこの「脳の失敗」タグを使っている、と表明していた。「サーセンww」と書いて。自分は今回目についたエントリへのブクマコメで「これはどうか」と思うに至ったので、id:hokusyuネガタグを問題視するような書き方をしたが、もちろん誰が書いてもこれは下品だと思うし、嫌悪感を感じる。「誰々のネガタグきれいなネガタグ」という論理を取る気はない。こんなネガタグを使うブックマーカーみんなに、再考と自重を促したい。

「このエントリーを含むほかのエントリー」で、「国語の成績が悪そう」というネガタグをつくったのは自分だ、というエントリーがあったけれども、

http://d.hatena.ne.jp/ohkami3/20080823

これを読んでやっぱり呆れて、げんなりした。もちろん「脳の失敗」とはレベルが違うと思うけれど、ネガタグであわよくば貶めてやろう、卑しめてやろう、ギャフンと言え、みたいな欲望が「結実」して創意工夫を発揮しているのは、その本人の値打ちを下げると思う。この人が書いた他のエントリーを読むととてもそんなネガティブキャラクターには見えないのだけれど、「一度"敵"と認識すると知性はブレーキとしてよりアクセルとして働いてしまいがち」というのがブクマコメントにあったけれど、本当にその典型だと思った。後になって冷静になって自分を見直したら落ち込むんじゃないだろうか。ネガタグをつけるときには冷笑しながらキーボードを叩いているのだろうか。

ruletheworldのブックマークに、よりによってhokusyuがたくさんスターをつけていた。「俺ばかりがネガタグをつけているんじゃないんだから文句を言うな」ということなんだろうか。いや、みんな、ネガタグをつけるときに、もう少し冷静な表現はできないか考えてみてはどうでしょう。

2008-08-01

非モテだから仙人になるのではない。非モテだから仙人になれるのだ

増田で提示された「仙人になるための八つの試練」は、間違いなく仙人になる『試練』であり、非モテが異性と関係を持たぬまま幸せになる『方法』などではなかった。確かに仙人になる利点は述べてあったけれども、即、幸福とは直結しないことは誰にでも読み取れたし(ただし読み取れなかった思い込みの激しい人は少なからずいた。後述)、これを完遂できる人間がいるとは誰も考えていなかった。

著者はおそらく現代日本社会適応した、古くからいる神仙の類だろうと思われる。彼は面白半分に仙道の入口を指し示しただけなのかもしれない。だが彼や読者の推測を超えて日本社会は爛熟の相を迎えており、仙人になる才能、すなわち仙骨をもった人間を多く生み出していたのだった。彼らの多くは非モテと自称していた。

『試練』が提示されたことで多くの人が興味半分に仙道の門をくぐった。どうしても親を断ち切れない杜子春が大勢いた。色欲食欲につながれる俗人が大勢脱落した。酒に陥落するものもいた。それでもまだ十分に多い人数が残り、仙人と呼ばれるにふさわしい域まで到達した。

欲に突き動かされるのが凡俗であるならば、欲を捨て去るものを憎悪するのもまた凡俗である。西洋の哲人は有様を「ルサンチマン」と名付けた。

怒れる凡俗は非モテという名の道士に向かって叫ぶ。

「性欲を捨てたいんなら念じずともぶら下げているものを切り落とせばいい」

しかし仙道とは堕ちるに易し、極むるに難きもの。誰が好きこのんで折り返し不能点を低く定めようか。たしかに本邦には自らの素手により去勢を行うことで、怪力益々猛り剣術冴え渡る剛の者もいたと人伝えに聞く。だがそれで神仙に至れるなら宦官はこれすべて仙人でなければならぬ。無益な助言であった。無駄恫喝であった。非モテ、いや道士たちはこの種の脅しに耳を貸すことはなかった。

仙人の域に到達したものが誰でも一番最初に驚くのが、人は生殖にいかにリソースをつぎ込んでいるかという事実であった。進化論的には生殖エネルギーを使う生物がより生き残るのは当然である。おなじポテンシャルを持ちながら生殖に邁進するものとそうでないものの二種では、例え後者が2倍、いや3倍の寿命を持ちえたとしても前者の有利は揺らぐことがないだろう。

そう、八つの試練を乗り越えると目に見える結果が伴うのだ。不死とは言わないまでも不老長寿を現代の仙人たちは獲得したのであった。もっとも彼らにとって若さとは活力を維持できることを意味するのであって、若さがもたらす美しさには無頓着なのだった。

切望するが自分にはないもの、それを他人が持っていてなおかつ利用するそぶりすら見せない場合、それは容易に憎悪対象になりうる。一般人オタクを怖れ憎むのと、似てはいるものの違った論理で、凡俗は仙人たちを憎んだ。陰に陽に凡俗の仙人狩りが始まった。

メディア若さを保っている人としてある仙人が取り上げられたのがそもそもの始まりだったという。その仙人にしてみれば、自分に嫉妬するものがいようなどとは思いも及ばず、軽い気持ちで受けた取材であった。メディアによりそのような人間が個の特質ではなく少数ですらないことが知れ渡ると、さらに凡俗の嫉妬心を煽った。

容姿に秀でたものはそれをもって傾仙を謀り、才能に自負を持つものは才で仙人どもを踏み越えんと欲した。何も持たぬ多くの凡夫は石をもって追った。当時進行中であった社会の静かな崩壊もその傾向を助長させ、事態は魔女狩りの様相すら帯びてきた。

まず童顔と形容されるような人々が不遇な扱いを受けるようになった。禁欲に関係のない才能ある普通の人々が、当人にすらわからぬ理由によって職を追われた。静かに暮らしていた同性愛者のカップルが襲撃され、犯人のわからぬまま時効を迎えた。子を持たぬ夫婦が……。

仙人のほうでも座して死を待つつもりはなかった。隠遁し、人に紛れ、そして連帯した。彼らの能力資本をただ一点に集中し生き残りを画策した。彼らは宇宙開発に活路を見出したのである。結果、宇宙に居を定める最初の人間日本人となり、今なお最大の人口を持つスペースコロニー日本に所属するものとなった。構成員はほとんどが仙人であったのは言うまでもない。

これが東方にありといわれた神仙蓬莱島の縁起である。

それから千年の後、宇宙から地上を支配するに至った彼ら仙人達に、積もりに積もった殺劫でローマが壊滅することになるのだがそれはまた別のお話

参考

http://anond.hatelabo.jp/20080728205902

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080728205902

2008-07-08

ヴィダルサスーン × 安室奈美恵

危険なほどセクシーに輝く髪。キラツヤ、どセクシー

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080708/tnr0807081326011-n1.htm

ふーん、どセクシーね、、、どセクシー。どセクシー

 

 

ど間抜け どスイーツ どG8 どコミュニタリアン 

mixi どはてな どどれみ ど胃カメラ ど東京大学 

どおじゃ魔女ドレミ# ど土井たか子 ど日本 どどいつ

 

 

2008-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20080613221240

まさにその「魔女狩り」の対象が求められてるのさ。み〜んな血眼だあ。

2008-05-20

女の方が比較的「コミュ拘束」から逃れにくいか

http://anond.hatelabo.jp/20080520124758

http://d.hatena.ne.jp/gyu-san/20080519/1211213869

このへん。

なんで「女子男子の話じゃなくない?」という「コミュ拘束」の話が男女の話になるのか僕の考えた事を書いてみる。(ちなみに男です。ま宣言しても意味ないけどな。)そもそも男といる方が楽とか女といる方が楽しいとかって言い方自体、対象をひとりの人間として見てない時点でどうしようもないんだけど、あえて男女論にいってみる。

男に比べて女の方が比較的「コミュ拘束」から逃れにくいか。なんでかちゅうと簡単に言えば「女は一人で生きていくのは難しい」という歴史が長かったからだと思う(近代くらいからなのかな?いずれちゃんと勉強します。)。現代は少なくとも建前上は男女平等機会均等が求められてる。でも昔はたったひとりで仕事を得て自活する事、財産相続する事、もちろん例外もたくさんいますが多くはほとんど縁がなかったはず。少なくとも男に比べれば相当不利だったでしょう。文化的な事(スポーツとか創作活動など)もお稽古ごと程度に済ませるべきで本気で取り組むと「そんな事やってるとお嫁に行けません!」となる。

ちっちゃな頃からずーっとそういう空気にさらされて生きていく。そうすっとひとりでアイデンティティ確立するのが非常に難しいんではないかと思う。だから世間の言う「ふつう」路線への同調圧力が高くなる。学生ふうに言うとイケてないグループに落ちないように必死にならないといけなくなる。

(男女論から離れるが、さらに性質が悪い事に自分がイケてないグループに入ってないという立場をより強固にするためには「イケてないヤツ」を無理矢理にでも作り出す必要がある。これ「魔女狩り」です。)

女性実業家女性スポーツ選手とか女性漫画家などもちろんいるんだけど、失敗したときの目線が違うというのかな。

失敗して悲惨な人生になっても男は自分の人生責任を負う権利を認められている。まあちょっと抽象的な考えだけど。バカやってのたれ死にする自由がある。極端に言うと女はその責任を負う自由すら無い。晩婚化未婚化が進んだ今の時代でも女が一人で老いて死ぬまで生きているのを見る時「嫁の貰い手が無かったんだなかわいそう」という哀れみの視線を向けられるような雰囲気はまだある。

もちろん男でも「コミュ拘束」に圧殺されるような奴はいっぱいいるし、「男はこうであるべし」という同調圧力もあるけど、のたれ死にする自由がある分全然違うと思う。

ある作家が自分の小説主人公がほとんど男なのはなぜかと問われた時「自分の小説主人公ピエロでなければならない。今の世の中ではまだ女はピエロになれないからだ。」みたいな趣旨の事を答えていた。ダウンタウン松っちゃんが女が芸人をやる難しさを言っていたと思うが原因はこの辺りにあると僕は思う。女がバカやってのたれ死にする自由、それを男含むみんなが見て対象が男である時と同じように「無茶しやがって…」って笑えるような世の中にするのが必要なんだと思う。

(まあフェミニズムに関してちゃんと勉強すれば僕の考えてる程度の事はとっくに議論済みなんだろうな…易きに流れてテケトーな事を書きちらせるネットの弊害だなぁ。)

2008-05-19

[]200万人とも300万人とも

魔女狩り - Wikipedia

現代では、このような行為は心理学的な観点から集団ヒステリーの産物とみなされているが、

現代においても前近代的な文化や古来からの伝統を重視する社会において魔女狩りに類した行為が行われることがある。


「魔女狩り」によって粛清された人々は200万人とも300万人とも言われている。

2008-04-12

第一回!うさんくさいはてな村民あぶり出しコンテスト

さぁさぁ、はてな村うんこくさくてうさんくさいはてな村民をあぶり出そう!

魔女狩りとは全く逆の、はてな村にとって有害うんこ野郎たちを追い出すことが使命だ!

みんな!うさんくさいはてな村民を見つけ出したら、このエントリトラックバックしてくれ!

2008-03-18

日本中世か 中島らも  

日本中世か、というタイトルにしたのは、またもやあちこちで「魔女狩り」が始まりかけているからである。契機となったのは宮崎某による幼女殺人事件である。まずここで「おたく族」がやりだまにあげられた。「おたく族」とは少女マンガアニメの総称である。年に何度か開かれるコミックマーケットのようなものに行って、先鋭化したマニア向けの同人誌などを買いあさる。情報交換などするときに「おたくの場合さあ・・・」といった口調でしゃべるので「おたく族」と呼ばれる。宮崎はこの「おたく族」だったのか、部屋の中に多数のアニメビデオや専門誌を置いていた。こうしたアニメコミックの中ではロリコンものやパロディポルノに需要が多い。人気番組キャラクターを使ってエッチなことをさせる。同人誌の多くははっきりと性器を描いた、完全なポルノである。ロリコンものにしても、現実少女を使うとたいへんな事になるが、アニメコミックですれば問題はさしあたって起こらない。そういう世界では、たとえば8歳の少女セックスメカノイドとの激しいセックスが描かれていたりする。僕もそうしたコミック誌やアニメを見たが、これは確かに立つ。おたく族の青年が、もはや現実女性セクシュアリティを感じなくなる、というのも分かる気がする。ところで、おたく族を現実逃避だの男性性の欠如だの気味悪いだの小太り色白だのと陰口をたたくのは勝手である。そうした陰口は吐いた本人の品性の貧しさをあらわすだけで、実際に論陣を張れば、シャープで理知的なおたく族の前ではひとたまりも無いだろう。おたく族というのは実際、一本のアニメをより理解する為にフィリップ・k・ディックから南方熊楠までまで読んでしまうような、そういう人種だからである。ところがここに至って、宮崎某がおたく族であったという事実が、世のおたく族嫌いを有頂天にさせているようだ。「宮崎おたく族」であっても、この場合逆もまた真なりとはならない。正しくは「宮崎おたく族のうち一人」である。しかし、魔女狩りをする群集には理も否もありはしない。現実にあるロリコンアニメをつきつけては、どうだどうだと迫る。「おまえも、こんなことしてみたいといっつも思ってるんだろうが、えっ!?」

もちろん彼らはそう思っている。思って思って自分と戦った結果、道義的責任のないアニメ世界に安住場所を見つけたのである。

二次元世界しか欲望の対象を持たない彼らは、およそこの現実世界では一番犯罪を起こしにくい人種なのだ。嘘だと思うなら、この世の中からロリコンアニメをすべて撤収してしまうといい。その場合、幼女姦が増えるかを統計的に見れば分かるはずだ。その場合、幼女姦が増えたとして、その責任は誰がどうとるのか。同じことがホラーに対しても言える。宮崎の事件を契機にしてスプラッターホラーへの抑圧が始まっている。これはやはり宮崎の部屋に「ギニー・ピッグ」のシリーズが置いてあったことに端を発している。「ギニー・ピッグ」は僕自身は最初の一本目と、シリーズ中の「ピーター悪魔の女医さん」というのを見た。ピーターの方は大笑いのブラックコメディ集である。一本目の方は監禁した女の子をなぶり殺しにする過程をビデオに収めた、という設定で、アメリカに実際ある「殺人ビデオ」の雰囲気を出そうと苦労している。スタッフは苦労しただろうが、見ているこっちはうそ寒くて鼻で笑うしかないような作品だ。

しかし、世の中で事件が起きると必ずこの手の反動が起きる。「ギニーピッグ」をかばうわけでも何でもないが、犯罪が起きるとマスコミはその犯罪の尻をどこかに持っていってつじつまを合わせたくなるようだ。知能犯罪が起きれば犯人本棚からその手口のもととなった推理小説を探す。その結果、著者がコメントを求められて、「私の小説が動機となったのなら、残念なことだ」と述べたりする。

この場合「動機」は小説ではない。「金ほしさ」である。僕がもしこの作家の立場に立たされたらはっきりとこう反論する。

犯人の反抗に対して私の作品が与えた因果関係を、誘導尋問によらず自白させてほしい。その上でそれが犯人の自分の犯行に対する他への責任転嫁ではという、なんらかの証明をしてほしい。加えて、犯人がもし私の作品に接していなければ犯行に至らなかったどうか。なぜ私の作品に接した多数の人間の中で、”犯人以外の”大多数は犯行に至らなかったのか。それを説明してほしい」

ロリコンものの場合も、一般のポルノの場合も、スプラッタホラーの場合も同じことである。何らかの表現行為に起因して犯罪が起こるというのは空論だ。すべての表現、たとえそれが芸術的に無価値な、便所の落書きのようなものであったとしても許容されなければならない。ただし、見たくない人は見ずにすむという「自由」の上においてだが。そういう意味ではスイッチを押せばどんな画像が出てくるか分からないテレビなどのメディアは、この条件を満たせない。しかし、映画ビデオや出版物はそうではない。パブリックメディアとパーソナルなメディアを混同されては困る。その上に、異常者の犯罪と表現メディアを対にして考えては困る。そして、もっともっと困るのは、犯罪者とその家族をいっしょくたにして考えられることだろう。それこそ中世の「一連托生」の考え方なのだが、マスコミはそうした前近代的なことを平気でやってのける。今回の宮崎の事件にしても、僕は某誌の「誰も書かなかった真実」なるレポートをみて驚いた。

そこには宮崎のおじいさんの代にわたって家庭内のことが掘り起こしてあったのだ。おじいさんに愛人がいて夫婦仲が悪かっただの、お父さんの性格が「お調子物」だの、etc。そうした家庭環境が犯行の遠因になっていたかのような書き方だが、それはレポーター大義名分に過ぎない。本質的にはこうした家人のことというのは「ご近所のヒソヒソ話」であって、オフィシャルに出されるものではない。犯罪者の家人だからこそさわってはいけない。殺された子供の親同様、この人たちもいやされようの犠牲者であるからだ。それをじいさんの女関係までさかのぼって掘り返すとはどういう神経なのかと思う。こんな事件のせいで、おたく族もホラーファンも犯人親族も大迷惑をこうむってるわけだが、少なくともこうしたことだけは宮崎一人のせいではない。人間の中の魔女狩りの古い記憶、「はらい」や「みそぎ」の感覚、ならびに窃視願望がこうした見当違いの弾圧を起こさせるのだ。「時の勢い」というのは恐ろしいものだから一度はずみのついたこうした力は加速度持っていくことも考えられる。ホラーアニメ誰かさんの総チェックを受けるようなことにになるかもしれない。

人間とはどうしてこう干渉や規制が好きな動物なのだろう。人の楽しみはほうっておけばいい。禁止しても放置しても、犯罪は起こるのだ。

2008-03-13

宇宙一詳しいデビルマンのあらすじ 3/4

http://anond.hatelabo.jp/20080313111227←この続きです

0.59.25 国同士が戦争を始めたというナレーションで、黒髪のアップ。一言で世界戦争開始です。

0.59.45 ヒゲ職場農業試験場らしい。もうすぐ刈りいれ時の稲穂を見つめるヒゲ。さっき見た田んぼ稲刈りが終わってたんですがね。

1.00.00 黒髪が重箱を持ってくる。

1.00.10 重箱の中身はおせち料理

1.00.40 ヒゲ愚痴。誰も仕事にこねぇよ。

1.00.45 稲刈りセットを両手に抱えて、黒髪が「手伝いますよ」え?鎌で稲刈りするの?まあいいけど。ものすごーく広大な田んぼですよ。

1.00.55 稲刈り開始。

糞台詞開始

1.01.00 ヒゲが左にいる黒髪の手元を見る。腕にはうろこ状のアザがある。黒髪が空を見上げて「ほわーん」。

1.01.20 で何事もなかったかのように下を見る黒髪。

1.01.25 ヒゲ、立ち上がる。「俺は変わらないよ」と棒読み。やる気が無いのは分かるけど大人なんだからギャラの分の仕事をしようよ。

1.01.35 黒髪、ヒゲを見上げて「・・おとうさん」 

1.01.50 一人うなずくヒゲ。糞台詞終了。

1.02.30 帰り道。いつものショッピングモール警官が徒党を組んで一般市民を射殺している。黒髪がヤメローと言いながら止めに入る。ニ三発蹴っただけで警官逃走。

1.02.35 上の階から下の人たちをパスパス射殺している警官がいる。

1.02.40 ヤメローといいながら黒髪ジャンプっていうか釣られてるね。びよーんと。

1.02.45 ヤメローともう一度言う。

1.02.55 その警官は銀髪だった。黒髪が歩み寄りながら「生きてたのか」 銀髪「サタンだからな」(←隠れ糞台詞)

1.03.15 なぜかミサイル爆撃される。銃をきちんと両手で持って銀髪が逃げる。サタンのくせに徒歩。

1.03.40 ボブニュース外国日本デーモン国家と認定して、ミサイル攻撃開始。日本もこれに反撃。戦争が始まりました。とボブ。ボブ、カンペを見る視線が怪しすぎる。

1.03.50 団地ロケット花火が打ち込まれてるようにしか見えないけど日本空爆されてるらしい。

1.04.10 数分前まで気味が悪いといっていた怪物ストラップ携帯につけたヒロインと黒髪が自宅でいちゃついてる。戦時中にそんなことしてていいのか?と思うが、「(戦争がどうなるか)わかんないよ」という黒髪の台詞で妙に納得。等身大演技って奴ですね。この国が戦時中だって言う設定もあっという間に無かったことにされる悪寒がビシビシします。

1.04.25 私の質問に答えて、とヒロイン

1.04.45 会話のキャッチボールがなってないのでこっちで二人の会話を要約すると、ヒロイン神様はすぐ傍にいる、と信じてて、黒髪は信じてない、と。

1.05.00 二人がいちゃつく。外では今も空爆

1.05.40 「あたし達生き延びられるのかな?」「世界が滅びたって俺がミキちゃん(ヒロイン)を守る!」と意気込む。なんだか、論理矛盾がないか?と思うのだけど、ヒロインは満足そうな顔で黒髪を見つめているので、この会話は奴らのペッティングの一つなんだと気付く私。

1.05.45 例の六階建てのビルからデーモンが脱走したらしい。建物の五階までしか画面に移さないという小技のおかげで建物が何階建てかを見せない、ってさっき六階建てって見せたのに効果が薄いよ。

1.06.15 逃げたのはツトム君だった。ドブっぽいところを逃げる。さっきの実のシーンと言い、ナスは逃走=泥だらけで濡れるというイメージしか持てないらしい。ツトムの目の前にミーコが到来。ツトムとミーコが見つめあい、横穴(下水道)に駆け込む。二人が出会って下水に逃げ込むまでの間、特捜部隊の乱射はストップ。

1.06.40 ショッピングモールにたどり着く二人、物が散乱している、共に疲労困憊、へたり込む。後ろには死体らしきものもある。【この二人はホント、健気に演技をしています。あと、ショッピングモールはもう飽きた。】

1.07.00 ツトムが空を見ると遠くの町が燃えている。「おねえちゃん、どこへいくの?」 ミーコはきゅっと表情を締める。

1.07.20 深夜、ツトム(死んだように寝てる)を背負ったミーコがヒロイン宅の前にいる。

1.07.25 ストーカーヒロイン宅を覗き見。ミーコとツトムにも気付く。

1.07.35 ミーコは躊躇ったのち、ヒロイン宅から遠ざかる。

1.07.45 路地裏に入ろうとするミーコの後姿にヒロインが声をかける。

1.07.50 「ごめんなさい」泣くのをこらえながらミーコがツトムを降ろす。

1.08.05 「あたしはデーモンだからどうなってもいいの。でもこの子は人間なの。お願い、助けてやって。」と地面に倒れこむようにミーコ。ここでも血反吐を吐くような演技を見せるミーコ。萌え。。。今は亡きトルシエが「小野が11人いたら・・・」という台詞を残しましたが、「ミーコが11人いたら」って気分です。別に原作を死ぬほど読めってことじゃなく、人並みの想像力を駆使して、納得できる演技をして、自分の情熱をぶつけてほしいのですよ。特にクロギンコンビと、ナス夫妻。

1.08.15 ヒロイン、もじもじしてる。ミーコ、ついに嗚咽。そりゃぁ泣くよ。泣く。緊張の糸が切れた、と一言で言ってもさ、演技してみろと言われてきちんと演技できるのが役者です。みーこ萌え。。。

1.08.20 ヒロイン、ぐったりしてるツトムを抱きかかえて「とにかく中に入って!」

1.08.25 瞳に涙を浮かべ、うるうるしてるミーコの顔のアップ。ヒロインの後姿を見つめてる。

1.08.35 家の中。黒髪がツトムを抱きかかえてくる。風呂に入ったらしくこざっぱりしている。そんなもやしっ子にうちのツトムを抱かせてお父さんは心配ですよ。

1.08.50 ヒロインの部屋に入る。ヒゲ妻、ヒロイン、ミーコが既に座卓を囲んでいる。爆弾おにぎりが山のように積んである。一つを取って頬張るツトム。

1.09.00 その姿を見つめるミーコの手にも爆弾おにぎり。頬張りながらツトム「おいひい・・・」ヒロイン「私のお父さんが作ったお米だよ。」どうでもいいじゃないか。とおもったら隅っこにヒゲがいる。コクヨロングランデスクに腰掛けている。

1.09.10 お父さんお母さん、ちょっと、とヒロインが階下へ両親を誘い出す。

1.09.25 緊急家族会議は数秒で終了。二人をかくまうことに。ヒゲ妻の演技がくさすぎ。

1.09.40 部屋に残された三人、黒髪「君はこの子を助けたんだな。俺は君を偉いと思うよ」ってあんた何様?という感じでミーコが黒髪の方を向く。というのは嘘で「ありがとう」とミーコ。ミーコ世渡り上手。

1.09.50 ヒロインが部屋に駆け込んでくる。「ここに居れるわよ」と、ら抜き言葉です。嬉しそうに見詰め合うミーコとツトム。ホントに嬉しそうだよ。良かった良かった。

1.10.20 深夜になる。ヒロインの部屋で雑魚寝をするのはツトムとミーコとヒロイン。ミーコがむくっと起き上がる。

1.10.25 自分のパジャマの袖を捲くるミーコ。それに気付くヒロイン

1.10.55 ヒロインの化粧台からコンシーラー(?化粧には詳しくないので良く分からないのだけど)を取り出し、自分の腕に塗りつける。ミーコはデーモンに侵された醜い腕を隠したかったのだ、って絶対に無理。人並みの想像力があれば絶対に無理ってわかる。この子も分かってたはず。絶対無理なことを何でナスは強要するのか。意味わかんねぇよ、ナス夫妻。でも、真面目な顔して演技をするミーコ。

1.11.00 ヒロイン「何してるの?」って見れば分かるよ。ミーコ「ごめんなさい、私」とおびえた演技

1.11.15 ミーコ「私、人間じゃないのにバカみたい。」ヒロイン川本さんは人間よ」ってなんか主従関係ができてるよ。

1.11.25 さっきまで深夜だったのになぜか朝焼けヒロインがミーコを座らせる。

1.12.00 ヒロインがミーコに化粧を塗ってやる。ミーコの表情がミーコの心をしっかりと伝える。始めはちょっと下を見て、そのあとじっとヒロインの方を見つめて、塗り終わったあとにヒロインが鏡の方を促して、ミーコが鏡を見る。ヒロインは最初からアイドルスマイルフルパワーって感じなんだけど、ミーコが躊躇いがちに、少しづつ笑顔になる。

1.12.05 そして一言、「牧村さん、キレイっていいね」で、いきなりミーコがイイ笑顔。ってナス!こんな台詞持ってくるな!そしてこんな演技指導させるな!この映画のミーコとススムに関しては好き勝手にやらせろよ。

1.12.10 さっきまで朝焼けができるくらいの晴れだったのになぜか雨。ヒロインの家。

1.12.30 きたろうストーカーが牧村宅の門の前で叫ぶ。自警団に入れってさ。それに応対するのはヒゲヒゲ

1.12.55 それを断るヒゲ警察に任せましょうだってさ。

1.13.05 デーモン特捜隊の白塗りワゴンが近づいてくる。通報されたかもしれないbyヒゲ自業自得だ。

1.13.30 出て行ったほうがいいbyヒゲ。みんながちょっと忙しくなる。黒髪が持ってきたポンチョを速攻で着るススム。気をつけ、をしちゃって緊張をしている。頑張ってる。「あそこなら誰も居ない」と言って職場の鍵をミーコに渡すヒゲ

1.13.40 「皆さんのご恩、決して忘れません」ってなんかこの台詞は棒読み。そうだよな。家の前まで追っ手が迫っているのにお礼をいう立派な大人はいないもんな。「行こうススム君」とミーコ。

1.14.05 ヒロインアイドルスマイルで「これ」と口紅をミーコに渡す。ヒゲ妻は「ありあわせだけど」とバッグに入れた食料をススム君に渡す。袋の口が閉まっていないので、林檎だのバナナだのが見える。「おにぎり、美味しかったです」とシリアスな顔のススム君。

1.14.15 スローモーションになる。玄関からススム君とミーコが駆け出して路地に入る。

1.14.25 雨がひどい。土砂降りの中、特捜隊の車が来る。

1.14.35 黒髪(この日もAのロゴTシャツを着ていた)が外を見てくる、と言って玄関を開けると、白装束の特捜隊が銃を構えながら乱入。黒髪、びっくりする。黒髪、ドアスコープを覗いてたし、白装束を見てたはずだし、と言うか、おまえデーモンだろう。外の音くらい聞こえてたんじゃないのか。

1.15.05 カクホーとか言いながら牧村一家を拘束する。ヒロインマウントを取られたあげく髪をつかまれる。白装束がウン!ウン!とか言いながら腕をぶんぶん回すと、ヒロイン悲鳴が聞こえてくる。ああ、暴力をふるってるのね。外の景色が映る。土砂降り。

1.15.20 土砂降りが小雨になる。庭で牧村一家と黒髪が正座させられてるからです。雨がたくさんあるとひ弱な黒髪は文句を言い始めるのです。それにしても正座ってあなた。

1.15.55 庭で尋問開始。銃を突きつけられてるけど暴力は無し。ヒロインの目つきが悪かったのでヒロインデーモンに違いない、と言われる。いえ違うんです私がデーモンです。とヒゲ妻。いいや、俺がデーモンだ。とヒゲ。何のコントですか。

1.16.10 ちがう、人間じゃないのは俺なんだ、と黒髪。銃口が一斉に黒髪に突きつけられる。

1.16.20 ハフーウウウと唸って黒髪がデビルマンに変身。うわぁと白装束が放射状に尻餅をつく。いったい何のコントですか。

1.16.45 ノブモードに変身。延々とデビルポーズをとりつづけるノブオ。白装束と一緒にヒゲまで腰を抜かす。たまらずヒロインノブオに胴タックル女の子の胴タックルでしゃがみこむノブオ。

1.17.00 違う、アキラ君は人間なのよーと叫ぶヒロイン。違ってるのはあなたです。とは誰もいえないままヒロインの暴走は続く。ノブオに公衆の面前でキス。やっぱりバカカップルだ。

1.17.15 ノブオの肩から胸にかけてを撫でるヒロインお礼を言うノブオ。なぜそこでありがとうと言う?

1.17.35 ノブオ「俺は絶対に戻る。」右を見る左を見る。「だから離れろ。」あのね、棒読みの台詞にはさんで右見て左見てもね、単なる挙動不審な餓鬼ですよ。ノブオがヒロイン押し返すが、ヒロインは再度胴タックルテイクダウンに一応成功。オープンガードの上体で下から攻めようとするノブオ。(体育座りになりましたとさ。)

1.17.50 ヒロインの手によってテイクダウンされたノブオに銃口を突きつける白装束。今思ったんだけどさ、ヒロイン邪魔しなければデビルマンって優勢じゃなかった?「もう会えない気がする」と言うヒロイン自業自得

1.18.05 ノブオから引き離されるヒロイン。連行されるノブオ。

1.18.40 二??トラックの荷台に載せられた×の形をしたSM十字架みたいなのに拘束されるノブオ。連行されてゆくノブオに向かって泣きながら叫びつづけるヒロイン。さっきのミーコほどには同情できないのは演技真実味が無いから。そして、自業自得だから。

1.19.05 拘束具のままマシンガンライフルハンドガンで背中を乱射されるノブオ。白装束が、死亡確認。

1.19.10 コンビナートのような野焼きのような火葬場のような場所から撤退する白装束。

1.19.55 深夜、暴徒が牧村家に詰め寄せる。それを見たきたろうストーカーがおびえる。

1.20.25 暴徒が門を乗り越える。何故かスローモーション。包丁を手にする両親。娘にナイフを一本渡し、二階へ行くよう促す。

1.20.40 いやだと言うヒロイン。相変わらず棒読みヒゲ妻が「私達は親よ。子供のためなら鬼になれる」

1.20.55 結局アキラの部屋へ戻るヒロイン。ますます熱狂する暴徒。

1.21.15 暴徒の懐中電灯の明かりを恐れて台所方面へ逃げるヒゲヒゲ妻。マッチの火をつける。原作みたく火炎瓶でも作るのか?

糞台詞

1.21.30 ヒゲ妻によるヒゲ浮気調査開始。「一つだけ聞かせて。あなた、浮気したことある?」「ないよ、ずっとおまえ一筋だったよ。」「嘘でも嬉しい。」糞台詞終了と同時に暴徒がリビングガラスを割る。待っててくれたんだね。

1.22.10 暴徒は速攻でバカ夫婦を見つける。リビングに引きずり出してリンチヒゲ妻叫ぶ。暴徒の声が聞こえる中、ヒロインはベッドに横になり、「アキラ君・・・」と黒髪のことを考える。

1.22.25 息も絶え絶えなヒゲ妻が刺されて死亡。

1.22.30 ヒゲもあっさり刺されて死亡。そのときもやっぱりスローモーション。

1.22.35 電車の車内。

1.22.45 ミーコとススムが地下鉄の車内に駆け込んでくる。誰もいないはずのヒゲ職場にいるんじゃないの?

1.22.55 いたぞ!脱走デーモンだ!の声を聞き、走って逃げる二人。地下鉄から降りる。

1.23.15 関係者以外立ち入り禁止の扉の中に入って逃げる。ミーコは緑色の光線を温存してるのか?

1.23.30 場面は牧村家。バカ夫婦死体を見て、もう一人いるぞ、と暴徒の一人。

1.23.55 部屋の中に一人で入ってくる暴漢。クローゼットの中から奇襲するヒロイン。そこで一言。「私は魔女よ。ナメルナ!」

1.24.10 場面はミーコとススム。直線の道を走る。二人を追いかける白装束。

1.24.20 階段を上り、建物の屋上に出て、行き止まりになる二人。

1.25.00 ごめん、と言うミーコが進むの背中を押して二人でビルから飛び降りる。落ちるときの合成がめちゃくちゃしょぼい。手を繋ぐ二人。ミーコの腕が光る。ミーコの背中から光る翼が生える。と思ったらススムは地面に転がされる。手を繋いでたんじゃないのか。「誰?」とミーコに聞くススム。ミーコ(背中が光ってる)が「私よ、ミーコよ」と答える。

1.25.20 お姉ちゃんキレイだ。とススム。ミーコの腕がキレイになる。と言うか、化粧をして髪もセットしなおしてもらい、何故か日本刀を持ってポーズをとる。

1.25.25 そのまま浮かぶ、と言いたいところだけど、かなり不自然にふらふらしてる。ミーコを釣る方ももっとちゃんと固定してあげようよ。

1.25.40 屋上に戻ってきたミーコ。背中の光が消えてます。そこで一言「悪魔はおまえら人間だ!」原作ではデビルマンが悟った台詞なんですけどね。口で言うなよ。原作デビルマンは、人間達が殺し合い、ミーコを拷問し、牧村夫妻を拷問して殺し、その他の何の罪も無い人たちを遊び半分で拷問して、殺しまくったのをみて、悟るんですけどね。追いかけられたくらいで他人を悪魔呼ばわりできるなんて、この脚本を書いたナス夫妻の人間性を疑います。

1.25.45 バトル開始。何故か左手には機関銃が。

1.26.45 バトル終了。と言うか、キルビル?最後の一人までかっこよくミーコが片付けて終了。月夜にミーコの顔が凛々しく映えます。

1.27.10 というかススム君、あなたはどこにいるのかね。ナスがまたテレポートさせやがった。どこかの部屋にいるススム君が、窓から空爆を見つめる。爆撃の炎が進君のいる建物まで迫る。

1.27.40 ボブニュース世界大戦がはじまりました。ボブがデーモンになりました。阿修羅マンみたいなデーモン。皆さんさようなら、と言いながらいつもの調子で笑うボブサップ

1.27.50 うつぶせになっているノブオ。

1.28.30 ノブオ、吐血。血の中に弾丸。匍匐前進。人間死体を数個見つける。(エキストラが少なすぎ)それをみて立ち上がる。

1.28.35 道の向こうから黒髪が歩いてくる。町の至る所から黒鉛が立ち昇る。徒歩。

1.28.55 家の近所の路地に来る。一面に物と死体

1.29.10 うーん、荒廃してるなぁと思いつつ、ひっくり返った車を上ると、道の向こうは普通のアスファルトの道路。おいおい。せめてエキストラ死体くらい置いておこうよ。黒髪が、ヒロインの家へ駆け込む。

1.29.20 おじさんおばさん、ただいま!お帰りあきら君っていう情景を想像していたのに、玄関からちらりと見える景色はいつもと違う。

続きます→http://anond.hatelabo.jp/20080313111011

宇宙一詳しいデビルマンのあらすじ 4/4

http://anond.hatelabo.jp/20080313111147←この続きです。

1.29.20 おじさんおばさん、ただいま!お帰りあきら君っていう情景を想像していたのに、玄関からちらりと見える景色はいつもと違う。

1.29.50 ヒゲヒゲ妻の死体を見る。どこで拾ったのか分からないけどパーカーのフードを被る。「おじさん」と言ったあと、右下を見て「おばさん」と言う。期待を裏切らぬ棒読み

1.29.55 上から(上ってどこ?)ヒロイン携帯がだらーんとぶら下がって落ちてくる。

1.30.50 画面が赤くなる。(恐らく、携帯をきっかけに、黒髪がデーモンとしての直感を用いてヒロインの最後を知ったことの象徴なのだと思う)

糞台詞:ヒロインの最後

ヒロイン包丁を持って「あたしは魔女よ!なめるな!」と言う。暴漢はヒロインの背中にピストルを一発。うつぶせに倒れたヒロインが一言。「あたしは魔女じゃない・・・」

糞台詞終了。最後は「アキラクーン」となって死亡。

1.31.00 黒髪「みきちゃん・・・ぅふうわぁ・・・はああああ」

1.31.05 ヒロインの生首が串刺しになって目の前に。

1.31.20 へあー。へあーへあーと三回叫ぶ黒髪。おまえ絶対にタバコ吸ってるだろ。肺活量と腹筋が無いに等しいので、何の迫力も無いシーン。

1.33.30 二分以上も延々とマネキンの首を持ってそこらへんをうろつく黒髪。荒廃してしまったかつての町を歩いている。まあ、ここまではっきりとCGって分かるとすがすがしいね。NHKの大人向け医学番組CGで今から赤血球の働きを見ましょう、って感じの景色の中を歩く黒髪。

1.34.20 教会に到着。町には建物が一つも無かったはずなのにガラス一枚割れていない教会。謎の教会。祭壇に生首を供えて一言、「みきちゃん・・・着いたよ。」

1.34.35 生首を撫でる黒髪。泣いてるって設定なんだけど、思いっきり目薬。ミーコを見習え。

1.35.15 ゆっくり祭壇から離れてくれ、と演技指導された黒髪は、混乱したらしく、ロボットダンスみたいな動きで祭壇から離れ、教会内の椅子にどすっと座ります。

1.36.10 ヒロインの「子宝に恵まれますように」のお祈りを思い出して、黒髪が薄笑いを浮かべる、どうした?と思ったが、どうやら泣く演技をしたいらしい。でも泣けない。ナス!泣けないんだから顔のアップはやめろ。

1.36.30 後ろから人の気配。振り向くと銀髪。そこで銀髪が一言「神はいたかぁ?」はいよくできました。

1.36.35 銀髪がコートを脱ぐと、下はスーツ。なぜぬぐ?人間は守る価値があったか、アキラ

1.37.05 黒髪が振り向きながら立ち上がる。そこで一言糞台詞。「おまえは最初からサタンだったんだな。おまえは俺をだましていたんだな。」・・・よく整理して考えてみよう。だますって、何について?銀髪が自分はサタンじゃないってだましていたってこと?いや、だましてないよ。最初から正体をばらしてたし。つうか、一時間二分五十秒のときにいってたよね。「サタンだから」って。ばか?いや、糞なんですよ。ナス夫妻が糞。

1.37.40 痴話喧嘩開始。新しい世界を俺と生きてくれってさ。

1.37.45 銀髪頑張る。「再び」両手を広げる。「デーモン世界を俺は目指した。」右手だけ胸に、左手は体側に。「しかし」右手だけ広げる。「人間の数は異常に多かった。」右手を元に戻す。「いくらデーモンをよみがえらせても」右手を広げる。「人間を滅ぼすことは不可能だった。」右手を体側に戻して、はい、がんばりましたねー。学芸会以下の演技指導でしたねー

1.38.35 銀髪「でも人間同士で殺し合いを始めた。笑えたね。」と言ってヒロインの生首のアップ。彼女の死の事も笑えたのでしょう。黒髪がキレる!そして一言「おれをころせぇ」、ってキレ無いの?

1.38.45 黒髪「おれあけ生かして、なんにあうー」カツゼツが・・・

1.40.15 例によって会話が成り立たないので要約。銀:俺と一緒に来い⇒黒:嫌だ、おまえを殺す(何故こうなる?)⇒銀:ならば俺がおまえを殺す。 こいつら幼稚園児です。何の理由も無く殺し合いをしているようにしか見えません。カツゼツが相変わらず悪いし。俺はデビルマンだぁらな!ってなんだよ。

1.40.40 見詰め合う二人。デビルマン、変身。サタン、変身。

1.40.50 二人の闘気がぶつかり合い、空襲を絶えぬいた教会が爆発し、教会の床が抜けて、実は床下には巨大な空間がありましたとさ。

1.41.00 いつものデビルポーズ。滅びよ、サタン。滅ぶのはおまえだ、デビルマン

1.41.10 バトル開始。どうでもいいです。いろいろな人がプレステのオープニングだとか、色んなことを言ってますが、一言で言うと、価値の無い映像。二言で言うと、ありきたりで安っぽい映像サタンビーム系の技。デビルマンは直接当てる技です。よく引用されてる「地球を割る」って技は1.42.00にでます。地面がぴしぴしなるだけです。

1.42.10 デビルポーズ。ここで、地割れが起きます。さっきの技とは無関係だと思います。

1.42.45 どちらの攻撃も有効打は無く、地球の一割くらいが炎でできたキノコ雲に覆われます。

1.43.00 荒廃したニューヨーク自由の女神夕焼け

1.43.30 人間が塔のように重なり合いながらうねっています。(人間竜巻?)私が読んだことがあるのは文庫本デビルマンだけなので、原作でのこの塔の位置付けは良く分かりません。というか、ただ、出したかっただけなんだろう、ナスの場合。

1.44.00 その更に上空でサタンデビルマンが対峙してます。サタンデーモン軍団をつれています。デビルマンは隕石みたいなのに乗っています。

1.44.20 ほわーと言いながらデビルマン、青い炎に包まれて巨大化。それを見るサタンの目に涙。

1.44.35 ここでも「滅びろ、サタン」と言って、青いまま特攻。ザコデーモンは全員死亡。サタンは耐えます。

1.44.50 炎を使い果たしたのか、デビルマンサタンが右のミドルキックデビルマンは右ストレートデビルマンの胴体が削れます。

1.45.05 ぐおぐおいってたデビルマンが、空から落ちます。落ちながら黒髪に戻ります。黒髪になってもぐおぐお言ってます。

1.45.15 回想シーン。黒髪の餓鬼と金髪メッシュの餓鬼が、海辺で砂の城を作り終えたところです。

1.45.45 雨が降ってきたので、二人が自分達の体でその城を守ろうとしているところで回想終わり。

以下は、あの有名なラストシーン

1.46.10 黒髪、生きてます。目を開けます。きょろきょろします。岩の上で仰向けになっているようです。

1.46.20 岩の下から銀髪が這い上がってきます。

1.46.40 アキラ、リョウ、とか言い合ってます。わざとらしくぶほっと血のりを吐く黒髪。

1.46.55 銀髪「死ぬなよ、生き残れよ。デビルマンだろ。」

1.47.15 黒髪「おまえが生き残ればそれでいい。」・・・この人の発言の意味がわかりません。何故こんな台詞を言わないといけないのがが分かりません。で、そのまま黒髪は目を瞑ります。

1.47.20 銀髪が名前を呼んでも黒髪は返事をせず、黒髪の下半身に目を向けると・・・

1.47.50 下半身がやばいことになってる、と。二人無言。

1.46.00 銀髪が吐血。え?サタンなのに吐血?ナスにとってのサタンってのはいったいなんなのでしょう。かつての神と同じことをしようとして、しかし、愛を持っていたゆえに失敗してしまった堕天使、ってのがサタンなんじゃないの?まあ、どうでもいいや。

1.48.15 「まってろよ、アキラ、すぐ行くぞ。」と銀髪。

1.48.30 それを聞いた黒髪が、死んだはずなのににやっとわらって、それをみて銀髪もひひひひと笑う。

1.48.40 真っ赤な月の下、銀髪の笑い声が響く。「明が笑った。ふひふひふひ」

以上、原作の有名なラストシーンリメイク

1.48.50 崩れたコンクリートの壁にもたれかかって座るミーコ。

1.49.04 「おねえちゃん!」とススムの声が聞こえると虚ろだったミーコの表情に生気が戻る。ススムがミーコに駆け寄る。

1.49.20 「何を見ていたの?」とススム。「心の中を見ていたの」とミーコ。アホか、ナス妻。心の中ってなんですか。ミーコは、地球平和だった頃の海、空、森を思い出していたらしい。と、語りながら涙をこらえるミーコ。

1.49.30 泣きそうになるミーコの顔をみて、ススムがボソッと言う。「そんなとこ、もう無いよ。」

1.49.50 表情を引き締めるミーコ。頬には涙が一筋。ススムと見詰め合い、「生き延びるのよ。私達だけでも」

1.50.10 手のひらを握り締める。その中にはヒロインが渡した口紅。「牧村さんと約束したんだから。」「うん」とススムも表情を硬くしながら言う。どっかのアイドルの歌がBGMに流れる。

1.50.25 ミーコが立ち上がり、続いてススムも立ち上がる。口紅を握り締めたミーコの掌をススムがその上から握る。

1.50.30 二人が手を繋いで、このペースで歩いてねーってのはナス陰謀だな。だって、危機管理としてなってないじゃん。こんなヨチヨチ歩くなんて、普通想像力ではありえない歩き方。かわいそうな二人。せっかくの感動シーンを台無しにするナス

1.51.00 二人は今までいたコンクリートの残骸の出口に立つ。画面がセピア色になる。カメラがぐーっと引いて、周りの荒廃しきった景色を写す。周りに人間の塔(人間竜巻?)が山ほどある。

 THE END

映画デビルマンの悪評を聞いて、どれだけバカな映画かを見に行きたくなってしまった人は、上のあらすじを読んでうんざりしてください。

追記。(2005年6月10日)

東映さん、怒ってます?

これから一生東映映画を私は見に行かないので、(東映映画に関しては「観る」という漢字を使わずに「見る」という漢字を用いますよ。ポリシーの問題です。)べつに怒ってくれても全くかまいません。怒った後にきちんと反省してください。(どれほど反省したとしても私はこれから先一生東映映画を”見に”いきませんが)

一番嫌な状況は、東映から圧力がかかってこのblogそのものが消えることです。

圧力のかけ方として、一番考えられるのは著作権違反を理由とするものだと思うので(何せ宇宙一詳しいあらすじなので、翻案権に関してはかなりやばい。抗議を受けたら必ず消される。)、東映と対立することは全然平気なのですが、blogが消えるのは凄く嫌だ。

以下、考えました。頑張れ、自分。

この文章は著作権違反になるのだろうか?

翻案権は完全に侵害しているけれど、その上で引用をしているので、少しだけ状況が複雑なのだろうと思う。

血液型と性格」事件の判示(東京地裁判決平成10年10月30日、学者の間でも評判は悪くない)によると

新たな言語著作物創作する上で、他人の言語著作物の全体あるいは相当広い範囲の趣旨を引用する必要のある場合があるが、その場合、それを原文のまま引用するのでは、引用の名の下に他人の著作物の全部または広範な部分の複製を認めることになり、その著作者の権利を侵害する程度が大きくなる結果となり、公正な慣行に合致するものとも、正当な範囲内のものともいえなくなるおそれがある

とあり、

簡単に言うと、

映画のワンシーン・ワンシーンに突っ込みたいとき、

<1>映画そのものを皆さんに配布する

<2>映画そのものは配布せず、自分で翻案・要約した文章をオマケとしてくっつける

の2つの方法が考えられ、

それなら<2>の「要約引用」で行った方が良いんじゃない?みんなやってるし、普通でしょう?

ということです。

ちなみにススム君ピンチのシーンは一切ネタバレしてないよ。

あのシーンは「映画」だったからね。

つまり、必要な部分だけしか引用していないのです。

以上から、私の文章は、著作権法32条1項引用の場合の著作権行使の制限)の適用を受けるので、著作権を侵害していないと言える。

のだと思います。そう思いたいです。

blog人のサーバーが落ちるたびに、

うお、もしかして私のブログが消された?東映から苦情が来たのか?と自意識過剰な不安に駆られるのです。

今日、つれづれなるままに考えてみて良かった。

多分、(多分、としか言えない。何せ要約引用判例なんて、ましてや映画の翻案に関する判例なんて、かなり少ないし多分存在しない。)、私は不正なことをしていない。

だれかエロイ人、詳しいこと教えてください。(txmailjp☆yahoo.co.jp(☆を@に変えてください))

2008-02-23

死をポケットに入れて。

最初に言っておこう。

失ったものに対しての取り返しのつかなさを感じるのは、そこから多くの物を得ていたからだ。

愛し合った分、憎み合うように。

すべての物は、そうやって釣り合いを取っている。

父を亡くしたのは、14歳の時だ。

2度目の癌で、1度目は胃で、2度目は喉だった。

告知の是非がまだ争われていた時代、彼は知ることを望み、

一時帰宅のときに、家族の食卓で自分は癌だと、必ず治して帰ってくると、そう告げた。

今思うと、とても不思議病気だと思う。

癌は自分が育つために、宿主もやがて殺してしまう。

部位的なその特徴から、喉頭癌の進行は早い。

正月の一時帰宅を終えて、

(なんとも日本人とは律儀な性格だ。正月は自宅で迎えたいらしい。犯罪者でも、末期の患者でも。)

すぐに目に見えて容態は悪くなった。

口内炎のように見えていた癌は段々と増えて、私たちは怯えた。

皮膚は乾き、黄色くなり、骨と皮だけになっていく自分の肉親を見る機会は何度もあるものではない。

だけど、そんなことは何も珍しいことではない。

ありふれた病気の、ありふれた悲劇。

どんなにひどい事も、どんなに素晴らしい事も、この世の中では起こりうるのだ。

何よりも、見た目以上に思い知らされたのは、人が内側から段々と腐っていくその匂いだ。

甘くすえた、その匂いを今でも覚えている。

今でも、何年かに一度ぐらい、町中でその匂いをさせている人にすれ違うと懐かしく思う。

もうすぐ死にゆく人の、その匂い。

人は自分の信じたいことしか信じない。

そのためには、どんな事象も誤魔化せるのだ。

たとえば、肺に穴をあけて血と膿の混ざった水を吸いだしたり、真っ黒な血を吐いたり、

意識がなくなった父に看護婦が話しかけながら直腸に手を入れて汚物を掻きだしたり、

そんなことを目の当たりにしても、家族は信じるのだ。

「これで悪いものが全部出たから、あとは良くなるだけだ。」と。

病院時間は、緩慢なようで、あっというまに過ぎる。

廊下に面する個室のドアが閉じられたら、それは隣か、その隣の患者が死んで運ばれるサインだ。

病棟の個室は、治療のためのそれというよりも、順番を待つための場所に近い。

不思議なもので、どんなことにでも人間は慣れ、希望を持つことができるのだと思う。

クリスマス解放を願うアウシュヴィッツの収監者のように。

病棟でもまた然りだ。

中学生だった私は、医学書を読み、信じることを拒否し、

それでも意識を取り戻さない父親の横で、ポパイの「ぼくたちのセックス」特集に夢中になった。

どんなことも、釣り合いが取れているのだと思う。

こんなにも悲しいのは、きっと、こんなにも愛されていたからなのだと。

静かに、いつの間にか彼は死んでいた。

母親と弟が仮眠を取っている間に。

わたしが、介護用のベットで7月の雲の流れているのを見ていた間に。

最期には、痰も腹水も出なくなり、人間は乾いて死ぬものなのだと知った。

何のために、あの8か月は必要だったのか。

母親がこっそりと医師に手渡した、あの金は何だったのか。

何でもないと、今ならば思う。

すべては、私たち自身を慰める、その鎮魂の前払いのようなものだったと。

少しずつ、少しずつ、わたしたちは覚悟を重ねてきたのだ。

見たくないものを認めるために。

後悔をしないために。

誰のせいにも、しないために。

すべての物から得ることはある。

どんなに酷いことからも、経験を。

失ったものからは、愛情を。

束縛からは、解放を。

あるマンガで、しゃれこうべに怯える主人公魔女は言った。

頭蓋骨が怖いの?自分も一つ持っているのに?」

そうだ。わたしは怖くない。死は既に、自分の中にある。

だから、弟が事故で死んだ時も、私は比較的冷静さを保つことができた。

私はもう、14歳ではなく29歳になっていた。

馬鹿みたいなその死因を聞いた時も、少しだけ安堵した。

事故で良かったと。

それなら誰も憎まないですむ。

大きく腹部を膨らませて、全身の穴から血の混じった体液を流す弟の体を拭き、

検死後にドライアイスを置いていかない警察の不親切を苦々しく思った。

仕方のないことだ。警察葬儀屋ではないし、五月に死体は長持ちしない。

(いつか覚えておくと役に立つかもしれない。)

2度目の―今度はあまりに突然な―身内の死に途方に暮れながらも、

誰も憎まないでいいことに、少しだけ安堵した。

誰かのせいにすること、

誰かに責任を見つけること、

憎しみを将来に繰り延べることは、

自分を迷路に追い込むだけだ。

死をポケットに入れて。

棺に入れた弟の好きだった詩集は、灰となってなお文庫の形を保ち、火箸で突くと粉となって崩れた。

放蕩の限りを尽くした詩人は80歳を超えても生き長らえ、

20代の、5月の生の盛りに(flower of life)、弟は死んだ。

途方に暮れる母を支え、喪服美人妻を気取り、

火葬場で弟の骨を見た時は、とても申し訳なくて笑うしかなかった。

どこも損なわれていない、こんなに立派で太い骨なのに。

恥ずかしくて、恐縮するぐらいの健康人間だったのに。

どうしようもないことは、どうしようもないことだと思う自分は、どこかおかしいのだろうか。

弟の婚約者は、ショックで髪の毛が抜けてしまった。

私は、釣り合いをとるために、手放すことを選んだのだ。

それが自分のバランスを取るために、丁度良かったからだ。

今でも、ふと思う。

自分の中の死を。

自分の周りの死者を。

どうしようもない、役割とか、病とか、不正とか、エゴのことを。

昼間の汗や尿と同じように、夜中の暖かい布団の中で流す涙のことを。

何かを失ったと思っている人へ。

何の慰めにも為らないかもしれないが、それは間違いだ。

失った分、同じ大きさの何かを得ている。

何かを失ったと感じたのであれば、それは既に、それだけのものをあなたが受け取っていたからだ。

得たもの、それが憎しみならば、手放してしまえばいい。

あるいはその痛みは、あなたとあなたの亡くしたものだけで組成されたものだ。

それならば、誰にも渡さずに、自分のものだけにしてしまおう。

それから数年して、私は妊娠した。

まだ生物とも呼べないような、たった8ミリの物体の写真を見て、少しだけ、泣いた。

大きな喜びと、大きな喪失の両方の可能性を持ったものを、私は孕んでしまった。

愛と呼べるような感情は、まだわからない。

だけれど、ともに時間を過ごし、それを失った時に、

わたしは自分を壊さずにいられるだろうか。

死は、私の中にもセットされている。

その事を怖いとは思わないが、少しだけ、祈るような気持ちになる。

どうか、どうか、私が愛する人たちに、沢山の何かを与えることができますように。

釣合いなんて、とれていなくていいから、

たくさんの、―できれば喜びを―、残すことができますように。

あまりの陳腐さに自分で笑って、また少し、泣いた。

今までの見たジブリ作品をそれぞれ1行で語る

風の谷のナウシカ…わけわからんつまらん。これジブリ作品と違うけど入れとこう。

天空の城ラピュタ…娯楽活劇してて良い。

火垂るの墓…特に何も感想が無い。

となりのトトロ…大好き。冒頭の新しい家でサツキとメイがはしゃぐシーンが最高。

魔女の宅急便…大好き。少女の成長譚をシンプルに描いてるところがいい。映像もグルグル動いて楽しい。最初に他の魔女と話すところが好き。ニシンのパイって実際不味そう。

おもひでぽろぽろ…あーあー田舎は素晴らしいですねそうですね都会のOL生活は寂しいですね、笑わせるな。

紅の豚…なんかどうでもいいや。普通に面白いけど。

海がきこえる登場人物ファッションに時代を感じる。主人公委員長っぽい男の友情が好き。

平成狸合戦ぽんぽこ…これも特に感想が無い。

On Your Mark CHAGE & ASKA…自分の頭が悪いのでよくわかりませんでした。

耳をすませば…生まれてからずっと非モテだけどけっこう好き。憧れる。

もののけ姫…退屈過ぎてみてるのが苦痛だった。何なのこれは。

千と千尋の神隠し…上と大体同じ。

猫の恩返し…こういうわかりやすい活劇は大好き。デブ猫がかっこよかった覚えがある。前半部の不気味さも印象に残ってる。

2008-01-22

ここでhashigotan(笑)ステキコメントを復習してみよう 

(末尾に続報を追記)

こんばんは。

最近id:hashigotanステキエントリに対して色々思うところがあり、強烈にDisりたいYO!と私の中の悪意が言うのですが、私の中にいる良心が「そういうid:hashigotanのようなことをしてはいけないよ」と言うので板ばさみなのです。

そもそも、そんなあまっちょろい感じの私のdisではid:hashigotanステキコメント太刀打ちできるはずもないのです。

反省してid:hashigotanブクマコメからをあつめてベストdisセレクションを作ってみました。

ここにコピペったコメントと以下のエントリ中の人が同じ人だと思うと「Aさんシリーズ」がよりいっそう味わい深いものになるんじゃないかと思います。

Aさんとデートしました - heartbreaking.

Aさんに了承もらってるので… あったことをありのまま話すよ - heartbreaking.

愛してるって言えない関係 - heartbreaking.

ではまず特に味わい深いコメントを2つほど。

その1。赤ちゃんができてうれしいですというお父さん(id:idiotape)の記事に対するコメント。↓

馬鹿共が「感動した」とか、うじゃうじゃ寄り付いてるが、この反応見ただけで読む気がうせるな。ますます少数派が生き辛くなるじゃないか・・・ こうゆう人間こそ魔女狩りでも何でもええから消すべきじゃないのか』

・・・。

次いってみましょう。「女性ストレスは夫の手を握ると解消されるらしい」というネタフルの記事に対するコメントです。↓

『死ねボケが!与えられるままに幸せを享受するクズ共が!俺はこのような傲慢な記事を広める事は断じて許さん!!殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

・・・。

id:hashigotanは今幸せなんでしょうか。幸せなら何よりです。

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その他素敵コメントが色々ありました。

どうぞ。

オマエは来世貧乳に転生して地獄の苦しみを味わうがいい。うらやましいとかじゃなくて巨乳馬鹿 単に親の遺伝で運がイイだけだろ… そんなので威張ったりチヤホヤしたり馬鹿か。 あーあとストレスの多い女は貧乳

甘えるなしか言う言葉が見つからぬお前が俺についてロクに知る気もない癖に己のエエ格好しいのためだけに俺の不幸に目を伏せて都合よく甘えてんじゃねえか』

『なにをゴチャゴチャ抜かしとるんじゃ、オノレが俺に言った言葉をまず謝るのが先だろうが自己弁護ばかりしてんじゃねえぞ。』

『まだ足掻いとるんか。運のいい成功者の美談は現状で苦しむ人間を救えねえって言っただろが。 三日以内に消せ』

『えっけんさん、ちいとは言葉気をつけろや。馬鹿とは何事や、お前は俺に言ってはならんことを言ったな お前だけはもう二度と関わらん今までありがとなアバヨ!』

改変前: 『馬鹿女が・・・ 何が嫌いだ、俺はお前が本心では俺を嫌いではないと信じていたのに。もうこんな幸せに慣れきった甘ちゃんの文章は二度と読まん!一条いつか殺す。裏でリアル顔写真入手する方法ねえのかな』魚拓

その後改変: 『馬鹿女が・・・ 何が嫌いだ、俺はお前が本心では俺を嫌いではないと信じていたのに。もうこんな幸せに慣れきった甘ちゃんの文章は二度と読まん!一条いつか/一条ヲチ板でコソコソ通報してんぢゃねえよ・・・』

『俺の何がクズなのか言ってみろやボケが。なんの根拠もなくただ印象論で気に食わねえだけで人に噛み付いてるといつか地獄に落ちるぞお前。』

『お前のブログプライベートになっとるやないかナメ腐っとんかオドレ文句あるならまっとうな意見ゆうてみいボケが!「おまえはあほか」だと?理由を言わんか、出てこいブチ殺してやる!』

『とはなんやねんオドレは調子に乗るなよ若造が!お前は不妊治療中の女と子供の居ない女を敵に回したも同然の反応を示したのだお前のような糞ガキに人の痛みが解るわけなかろうがチンコ切り落とすぞ』

『モサキチは死ね。とりあえず死ね。お前は非モテ非コミュだらけのこのハテナ世界ではあまりにも有害すぎる。俺の今日の命を返せ、お前は俺の中では今日から殺人犯扱いだからな』

『いつも匿名で俺のブログにイヤミなコメント投下してくる「白寿」のブログ子宮ガンは大丈夫だったか?それといちいち揉め事に便乗してくるの止めてくれないか?お前のブログが綺麗なままでいられるうちに止めとけよ』

『で、今回の件に関しては一切の弁明なしですか。貴方はそんないい加減な人なんですか。人をナメ腐るのもいい加減にしてくださいね。公共の福祉どうなったんです?私の何が反していたんですか?必ず返答くださいね。』

『お前オレに何言ったか覚えてんだろうな?お前は言ってはならぬ事を言ったがオレは大目に見てやっていたのに・・ お前のあの発言でオレがどれだけ苦しんだか知らずによくも。 ・・・・殺してやりたい・・・・』

『お前俺に何言ったか覚えてんだろうなあ?二度と戻ってくんなヴァカ女。お前に俺のこの記事をささげてやるよ。 http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/3b1c45c1790d01047005dcbd513fffe4 ちゃんと読め、そして俺に土下座して謝れ』

『お前は俺に喧嘩売ってるのか?言葉には気をつけろよ?つーかトップページ写真の女、全然可愛くねえし。自分に先生付けるなよヴァカか?恋愛先生?横着さが全ての相手に通用すると思うな。俺はお前を甘やかさない』



・・・。

id:hashigotanは今幸せなんでしょうか。幸せなら何よりです。




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続報です。

赤ちゃんができてうれしいですって書いたお父さん(id:idiotape)なんですけどね、

まあ一時復活したりもしたんですけど、最終的にはブログ削除しちゃったんですね。

彼が最後の方で書いて言葉はこんな感じ。

僕がブログログを消したのは、ある面ではやっぱり「三日以内に消えろ」といわれたからなんだろうと思う。僕はその人のブログからトラックバックも頂いて、全文を読んで、正直なところ共感する部分があった。

全面的とは言わぬし、書いていることはあれなんだけれども、少なくともお遊びではなく全面的に苦しんでいることは伝わってきた。多分僕が標的になったのは、「僕だから」というわけではなく、全的にあの方を苦しめている何かに、僕の文章が触れたからなんだろう、そう感じた。

(略)

ただ僕にわかっているのは、あの人は多分真剣に「三日以内に消えろ」と言ったのだろうと思ったし、多分目に触れ続ければ少なからずストレスを与え続けることになるだろう。だから、ログを消そうと思ったのだった。


それに対する現在id:hashigotanの見解はこうらしい。

『あー・・・、それと個人史の終焉のヒトについてはもう終わった人だからどうでもいいじゃないっすかw 俺はどうでもイイ人間がどうなろうがどうでもイイと思ってるので罪悪感など微塵もないっすよ』

http://b.hatena.ne.jp/hashigotan/20080126

・・・。


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これじゃ悪の華も悪の魅力もあったもんじゃない。

hashigotan(笑)へ

2007-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20071222032435

いつからネットってこんなに表現に対してピリピリして

「これはヤバイんじゃないの?」で一斉攻撃されるようになったんだっけ?

職人が集まって、生産的な仕事をしている現場には活気があって、いろいろな人がやってくる。

攻撃をするのは言葉とは裏腹に、そのコミュニティに何かを期待をしている人なんだ。

彼らは勝手に期待してやってきて、さんざん楽しんだ挙句、勝手絶望して汚い言葉を吐いている。

粘着しているのはまだ何かを期待している証拠。本当にイヤなら黙って別の場所に行けばいいのに。

「面白さ」を語るのではなく「正しさ」を騙る奴らが、使えもしない権利を主張し始めるからおかしくなる。

参加者自身によって魔女狩りが行われるのは、そのコミュニティが危機的な状況にあるってこと。

一番悲しい思いをしているのは、これまでいい仕事をしてコミュニティを盛り上げてた職人たちだ。

職人が去って、参加者わがまま消費者ばかりになってしまったら、崩壊は時間の問題。

自分なりの対案を考えてみたけど、流れちゃったのでリンク。面白いと思ったら、

その場で、自分にできる範囲で、作者に確実にフィードバックできる仕組みが欲しい。

つまらなければ無視すればいいこと。粘着してまで荒らす必要なんかどこにもないのに。

2007-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20071211204319

根拠なし。ただの妄想

私は2chとつながりがあって、裏側を知っているからね。

スレが落ちるのは時間切れではなく、時間切れに見せかけた

魔女狩りなど。常套手段

2007-12-05

[][][]同調圧力空気研究馬鹿いじめ

So-net blog:正己の異論・反論:アッシュの実験:同調しちゃう

大津留公彦のブログ2: 「朝日が右を向くと,戦争が始まる」

魚住昭「官僚とメディア」

詭弁の上手い奴が場を支配する

[集団思考]アビリーンのパラドックス

[魔女狩り]200万人とも300万人とも

[多数派][多数決][民主主義]天動説と地動説

多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ

人生に関する事柄は、多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。

最悪のものだという証拠は群集なのである。

セネカ

多数者の利己主義 vs 民主主義 - OhmyNews:オーマイニュース

多数者の利己主義・・五木寛之氏の引揚体験から

平壌と38度線の中間にあった沙里院(さりいん)のガードポイントトラック突破するときでした。

それまで何度も止められましたが、そのたびに時計万年筆などの貴重品を渡して、見逃してもらっていました。

それがここでは女を出せと言われた。これは本当に困りましたね。

 若い娘はまずい。子持ちはダメ、あまり年上もよくないということで、

結局は元芸者さんなどの水商売をしていた女性や、夫や子供を失った未亡人に、みんなの視線が自然と集中するのです。

そのうちリーダー役の人物が土下座して「みんなのためだ、行ってくれ」と頼んだ。

みんなから射すくめられるように見られるのですから、その女性は出て行かざるをえません。

そうやって女性を送り出していった人間が、生きのびて帰ってきたわけですから。

(中略)

 さらにひどいことに、女性が明け方、ボロ雑巾のように帰ってくると、

ロシア兵から悪い病気をうつされているかもしれないから、あの女の人に近寄っちゃだめよ」と、

こっそり子どもに言う母親がいた。

本来であれば手をとってお礼を言ってもいいのに、そういうことを言って蔑んだ目で見る。

戻ってきた女性の周囲には誰も近寄らないのです。

私は日本人でありながら、日本人に対する幻滅が強く涌いて、いまも後遺症が消えません

文芸春秋5月号 対談 五木寛之 藤原正彦

第2次大戦後を扱った日本の小説、米の推せん図書採択に韓人が反発 | Japanese JoongAngIlbo | 中央日報

第2次大戦以前当時、韓国に住んでいた著者は、

日本戦争で負けて本国に帰るとき、自分が見たり経験したりした悲劇を土台に小説を書いたという。

当時11歳だった彼女韓国人たちによって

日本人たちが無惨に殺害、レイプされる場面を目撃したと、小説にはこうした内容が書かれている。

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム]

ヒトラー 〜最期の12日間〜 - Wikipedia

ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯く

国民自業自得自己責任)。国民地獄を味わうのは当然の義務。

われわれを(選挙で合法的に)選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。』


アメリカ合衆国憲法修正第18条 - Wikipedia

404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり

同じ仕事日本人なら月20万円、中国人なら月1万円が相場とする。

搾取者は日本人をクビにして中国人採用し、その際に他の会社競争力を持たせるために、月2万円を中国人に払うとする。

この時点で、搾取者は月18万円の得。中国人は2万円の得、日本人は20万円の損。

泣く者は一人、笑う者は二人。合計金額は変わらないのに、この方が笑う者が増えている。


Amazon.co.jp: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3)): 山本 七平: 本

バカ・馬鹿(ばか) - 語源由来辞典

秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。

群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と答えた者は暗殺された。


ルサンチマンな日記: 同調圧力礼賛

最近空気とかKY良く聞くが、嫌な感じだ。

例えば、ナチス政権下のドイツスターリン時代のソ連ポルポト政権下のカンボジア

空気読んで行動するってどんなことか考えてみよう。


魚住昭「官僚とメディア」

「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞責任はどうなんだ。

あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。

我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出る。

すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ」

この言葉は私にとってかなり衝撃的だった。というのも、

私はそれまで新聞軍部の圧力に屈して戦争に協力させられたのだと思い込んでいたからだ。

それが事実でなかったとしたら、私たちが教えられた日本ジャーナリズム史は虚構だったということになる。


暮らし・「茶色の朝」を迎えないために

マルティン・ニーメラー - Wikipedia 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

404 Blog Not Found:臨床いじめ学の教科書

原題直訳の「いじめっ子いじめられっ子、そして傍観者」の方がインパクトも強く、また内容をよく表している。

何と言っても本書の特徴は、いじめ当事者として「傍観者」という存在に着目したことにある。

そう。いじめが成立するには、この第三の存在が欠かせないのだ。いじめに対する介入として行われる行動は、

たいていいじめる者(the bully)への制裁と、いじめられる者(the bullied)への保護補償しかなされないが、

いじめに対して最も効果があるのは、この第三の存在である傍観者(the bystander)を、

「目撃者」(the witness)へと転じさせるというのが本書が提示する数多く処方の中で最も特徴的なものであろう。

Amazon.co.jp: いじめの根を絶ち子どもを守るガイド―親と教師は暴力のサイクルをいかに断ち切るか: バーバラ コロローソ, Barbara Coloroso, 冨永 星: 本


アイヒマン実験・ミルグラム実験・スタンフォード監獄実験

情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

【参考1】ミルグラム実験アイヒマン実験

ミルグラム実験とは、1962年、米イエール大学心理学者、スタンリー・ミルグラムによって行われた人間の服従性を研究するための実験である。

実験第二次世界大戦におけるホロコースト研究の一環として、1961年逮捕されたナチス高官のアドルフ・アイヒマン裁判を受け、

「アドルフ・アイヒマンとその多くの部下達は、単に上官の命令によって虐殺をおこなったのか。

彼等を共犯者と呼ぶことが出来るのか」という疑問に応えるべくして行われた


はてなブックマーク - asahi.com:「通報者の責任追及を」申入書 横浜市大謝礼金問題 - 社会

2ch検索:あの子と遊んではいけません

CiNii - 徳島県における人口密度及び学校の規模といじめ・不登校の発生率との関連

いじめと同調圧力 - サムガイズの日記〜You learn something new everyday !〜

【社会】明大応援団リーダー部が廃部解散に

大学側の調査に対し、

関与した学生らは「今までやってきたことがなぜ悪いのか」などと話したため

「部の体質に改善が見られず、自力での再生は無理と判断した」としている。


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