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はてなキーワード: 魔女とは

2009-06-29

なぜ増田小説概論 (須江岳史)

ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロ小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。

というかこの論は物語小説ニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1

という指摘も当然のことで、普段、一人称小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。

僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)

Ⅰ、小説概論

まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。

§1、小説とは?

 そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。


§2、物語られるもの

2.1.1話の筋

 まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。

多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。

また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。

ここまでをまとめると、物語の筋は

欠損 – 機会 - 行動 - 充足

となる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来た(充足)。


ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。

よって、物語を構成する基本的な四つの要素は

欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)

であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。

王子少女の落し物の靴を持って少女を探す(機会)。

少女は名乗り出て靴をはく(行動)。

王子少女舞踏会で出会った少女であると認識して、二人は結ばれる(充足)。


後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。

また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。

また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。

たとえば、

鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。

お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。

黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。

おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。

というように。

 このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。

 一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。

2.1.2伏線

 物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。

 ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。

ⅰ)質問―答え

ⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

ⅳ)思い込み―認知

ⅴ)認知―逆転型の伏線


 それぞれ、順を追って説明する。

ⅰ)質問―答え

 物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。

 具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)

この世界が綺麗だからさ(ラストシーンの答え)

ⅱ)ある現象・行為への意味の付加―行為・現象の再現

 ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。

 

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。

アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)

動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)

というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、

『「あれ、レッサーパンダだ」』

『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)


ⅳ)思い込み―認知

 間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。

物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。

ⅴ) 認知―逆転型の伏線

 目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプ伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。

 認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。

 主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。

 (自己自己)例:主人公の性格の欠陥

自己,他者)例:主人公の抱えるトラウマ

(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵

(他者,他者)例:絶対悪


 敵の仮定が4パターン真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。

 これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスター概念を内包している。

 (自己自己狼男

自己,他者)対応しない

(他者,自己フランケンシュタイン

(他者,他者)ドラキュラ


2.2登場人物
2.2.1行為項モデル

 物語には六種類の登場人物がある。

主体:物語の主人公。欠損を解決する。

送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。

援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。

受け手:欠損の解決の享受者。

敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。

目的:主人公が得ようとする目的。主人公が得ていない欠損。


 それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。

 欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。

 物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。

 

2.3シチュエーション

 物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。

 面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。

 それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。

 たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。

2.4実際に物語を組む

 物語を組む順番として、『欠損-伏線シチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線シチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。

①、主人公が向かう目的を定める。

②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。

③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

⑤、伏線が置かれる場所を決める。(下位物語を作る)

⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。

⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。

⑧、整合性を与える。


 また、どのような魅力的な登場人物・伏線シチュエーションでも物語自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。

§3、小説技法


3.1場面法

 場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。

 場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。

 場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。

3.1.1場所・時間

 小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。

 場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。

 また、場所・時間は登場人物の心境や状況・未来を暗示する。

3.1.2人物

 何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。

3.2要約法

 要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。

 要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。

3.3描写法

 場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。

 描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。

3.4台詞と地の文

 台詞音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。

 台詞台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。

§4、書記言語


 書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語主語と述語は可能な限り近づける必要がある。

4.1主語の位置

4.1.1.ガーデンパス

 「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。

4.1.2複文

 主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。

 「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。

4.2修飾の範囲

日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。

4.2.1修飾語と並立

「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。

 

4.2.2句・節の修飾

地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマト地中海で育ったのか少年地中海で育ったのかはっきりしない。トマト地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。

4.3誤読の少ない順序

ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。

「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。

4.4文体

4.4.1速さ

一文の中に含まれる用言形容詞形容動詞動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。

たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。

4.5原稿の使い方

小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。

 行を改めたときは一段下げる。

「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」

 ――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。

続き http://anond.hatelabo.jp/20090629224306

2009-05-01

新型インフルエンザ魔女狩りを引き起こすのか

http://www.asahi.com/national/update/0501/TKY200905010245.html

高校生は違っていたようだが、ソッコーで高校TVが取材に行くとか異常だろ。それも深夜に。

マスコミ判事患者認定し、ネット民が患者を吊るしあげ火あぶりにする。

http://uratan.jp/hotnews/2009/05/11653/

http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/037f4d76ea32a240d053be948b77509a

なんだこれは。

まさに魔女狩り。

もしも今、インフルエンザにかかったらそれだけでマスコミが飛んでくるだろう。

本当に新型インフルにかかったらネットで特定されて社会的に抹殺されかねん。

いや、下手すると本当に殺されるかもしれない。

マスコミに煽られて短絡的に行動するバカはいつでもいるし、一番落ち着くべき大臣があれじゃなぁ・・・

怖い。

病気よりも、それを恐れるあまりパニックになる人間の方が怖い。

おまえらとにかく落ち着け

http://www.asahi.com/national/update/0430/TKY200904300140.html

2009-04-18

ネトウヨ寝言

ボコられるのは仕方がないとして。

誰にも読まれないのはなんか手応えがないなあ、と思い、自称ネトウヨである俺のブログの記事を転載してみる。

メンヘル寝言だと思って聞き流して下さい(と言っても、皆さん、容赦はされないと思いますが)。

さて、司馬遼太郎元ネタとして話を始めよう。

まず、司馬遼太郎戦車乗りでした。

戦後はともかく、戦前戦争中の日本戦車はとにかくしょぼかった(好きな人はごめんね)。

エンジンディーゼルエンジン(ただし、技術的にはすさまじい)。装甲は紙のよう。

なぜか?日本には資源がないから。軽油安いし。

で、運転が無茶苦茶難しかった。戦車の運転手として、名人芸を問われた。

アメリカはどうか?

当然、ガソリンエンジン(しかもオートマ)。楽々前進。運転簡単。

司馬遼太郎戦車乗りの一人として、米国戦車と自国のそれを比べたとき、大変無念な思いをした訳ですよ。技術って普遍的なもので、優れた技術はそれを扱っている人間にはすぐに分かる。

で、この差はなんなんだろう?という話になる訳だけれども。

司馬遼太郎曰く、"文化"と"文明"の違い。今でこそ、日本サービスは優れているけれども、戦前日本は、"名人の文化"だった。「できないのは、お前がグズだからだ」という文化。タクシーの運ちゃんが「私は助手時代から一度も道を間違えたことがないのですよ」と威張れる文化(戦前道路は、道は整備されていないし、道路標識もほとんど無かったので凄いことらしい)。

戦争中、すでにアメリカは、ベルトコンベア採用したT型フォード生産とかから始まる、機械大量生産・大量消費の社会に入っていた。で、品質のバラツキをなくすため、品質管理をアホでもグズでも出来るように普遍的なマニュアル化、"文明化"した。日本の場合、品質は個々の情熱と自負心と技量に依存した"文化"だった。

日本戦後、(サービスにおいて)、名人主義、"人はみな有能"という考えを捨てた。で、品質管理(QC)が、日本産業の基本的性格の一つになった。つまり、アメリカの"文明"を吸収して、日本"文化"にしてしまった。その結果、日本航空会社スチュワーデス(あえてこの語を使う)は(優しい)母親となって客を扱う、とは司馬遼太郎の弁。

まあ、大体、アメリカ移民の国であるから、モザイクのようにバラバラにまとまって住んでいる"文化"の違う住人達をまとめるには、普遍的な価値観の"文明"が必要だった面もあるかも知れない。

だから、アメリカは、"文明"的には優れているが、"文化"的には未熟、と言える。

だから、四つ足で一生懸命スタコラ歩く哀れなデザインマシンを蹴り上げることが出来るのだ。Yes, We can !

参考映像http://www.youtube.com/watch?v=W1czBcnX1Ww

じゃあ、日本文化本質って何よ?という話になるわけだが。

まあ、俺辺りが簡単に説明できれば、誰も苦労はしないよなあwとは思いつつ、適当に私見を書こう。

結論から先に書くと、「禅的構造への落とし込み」だと思う。

じゃあ、"禅"とは何かというと、Wikipediaによれば、「ただひたすらに(坐禅を)実践せよ」とか「以心伝心」とか「言葉でなく体験」みたいな説明が出てくる。要するに、「空気読め」ということだと思う。多分、それが、日本人日本人たらしめている。

「禅的構造への落とし込み」の例。

例えば、日本庭園枯山水庭。とか言うと俺にもよく分からなくなるので、例えば、漫画とか。

昔の劇画でもアメコミでもバンドデシネでもいいのだが、基本的に良く描き込んである。でも、劇画は廃れ、現在日本では、あまり描き込まれていない、もっとシンプルな記号化された漫画が主流だ。

これが何を意味するか?

まず、描き込むだけの時間がない、という面はある。つまり、「資源が少ない」のだ、我々は。島国は。で、例え結果的でも、描き込まれていないということは、紙に染みついたインクの量は少ないということである。ということは、それだけ、"何を紙に染みついた少ないインクにするか"考えなければならない。その結果、"何を書くか、どの線を選ぶかなどを作家が(生き残るために)魂を込めて選択しなければならない"(もちろん、適当に描いている人もいるかも知れないが、読者を脱力させるための線や展開などの構造を(無意識のうちに?)選んでいると思う)

で、アニメも描き込みの量が少ないわけだが、ストパン監督は、エヴァンゲリオン庵野秀明に「お前の描くパンツには魂がこもっている」と褒められたわけだ。

ゲームもそう。わびでもさびでも萌えでも良いのだが、日本の強みは現実換骨奪胎と記号化であり、「逆に要素を少なくすることで、対象者に想像力を使わせる」のだ。禅的構造への落とし込みとは、「対象者に想像力を使わせるための魂のこもった取捨選択」だ。小さくまとめ上げる。美を追究する。そのために職人は技を磨き、我々は空気を読む。

で。

ハッカーの話になる。

ソフトウェア工業製品ではない」、Rubyのまつもと氏が講演 " @IT

http://www.atmarkit.co.jp/news/200904/10/matz.html

つまり、まつもと氏は、名人主義だ。

まさに、ハッカーとは、名人主義だ。

そして、はてなでたむろしている連中も、名人主義だ。

だが、そこが彼らの、我々の、日本人限界性でもある。日本技術者のかなりが未だに、紙のような装甲と、ディーゼルエンジンを装備し、精神を病むほどの"根性"で、自分を、現実を、だましだまし、日々を戦っている。

とは言え、泣き言や呪詛を並べても仕方がないのだろうが。

ソフトウェア工場は失敗だった?

どうだろうか。歴史で繰り返される技術者の奢りであるかも知れないという疑念は?

正直、アメリカなら、やりかねないのではないか?

そのうち、ソフトウェア設計を合理化/普遍化/文明化/マニュアル化し、アホでも作れるようにしてしまうのではないか?

大抵のソフトウェア適当に注文するだけで、9割方、自動生成されてしまうとか。しかも何回もやり直し可能。

俺はそれを恐れる(そして、楽しむ)。

現に、アメリカ発のインターネットというテクノロジーで、編集者青息吐息ではないか。

多分、思いも寄らない方向から、必殺の一撃が来る、と考えた方が自然ではないか?

そいつは、非人道的に、無慈悲に、機械的に我々を殺しに来るのだ。我々は合理的結論で殺される。OK. 原爆アメリカにとって合理性があったのであろう。殺される方はたまった物ではないが。それが村上春樹が恐れているものではないか。しかし、"技術革新は誰にも止められない"。

果たして、アホに生きる権利があることを許さない、名人主義のその狭量さが、限界性を作っているとしたら。そして、よりハッキリ言えば、技術バカ(ギーク)がやり手の営業マン(スーツ)に負けるように、好きでやっているアマチュアプロフェッショナルの作った構造的罠に負けるように、負けるのが宿命づけられているとしたら(日本vs欧米スポーツもか)。

もっとも、人間はどこかしらの部分で優越感を感じていないと生きていけない生き物であるから、腕のある人間はアホに優越感を感じて、差別して、見下して、生きているのだろう。底辺の人間が、例えば、外国人に優越感を感じて、差別して、見下して、生きているように(繰り返すが、それを自覚し、どう振る舞うかが重要なのであって、その感覚を無くせなどとは言っている訳ではない(というか、存在論の部分に関わってくるので無くせない)。どうプラスに活かすか。"かわいげがある"というのは、見下しているが、プラスの評価だ。だから、日本が"カワイイ"文化で世界に浸透してしまうというのは、結果的に正しい。日本人連中に"文化"を教えねばならない(←ネトウヨ勝手な思い込み))。

それに、穀物を育てながら、畑を保守しながら、計画に戦略ロジスティクスストラテジーに取り込まれて生きるのではなく、その時々において、メシの種(獲物)を見つけて狩りをする戦術技術やタクティクスやアートや道(タオ)を追求するというのも一つの生き方であろう。男だね。侍だね。無形の型。戦略などないので強い者だけが生き残る。生き残ったから強い。まさに逆転の発想なんということでしょう。匠の遊び心が光ります。お前ならどこへ行ってもやっていけるさ。じかい、ほくとのけんつ~!奥義、万物流転!誰だ、日本人農耕民族だから、みたいなことを言ったやつは。責任者出てこい(とは単純には言えないのだろうけど。経済は生き物で、強弱の違いこそあれ、両面の才能は必要だろうから)。

・・・・・・少し落ち着きました。

さて、では、はてなは、どんな立場を取るのか。

名人主義のSNSへ向かうか。2ちゃんねらの底辺にいるようなアホの流入を前提にして、文明化するのか(一時期、そちらに傾きかけた・・・というか、あの時のはてな社長は血迷っていたのだろうか?)。今は、どちらでもない、なんだかよく分からない、迷走している状態だ。

それとも、近松門左衛門が虚構と現実のはざまに真に我々の心をうつものがある、と言ったように、迷走状態のはてなであるからこそ、我々の心をうつものがあるのだろうか?"不満を言う楽しみ"。"馬鹿な子ほどかわいい"。"灰色の魔女(違う)"。なんかね~、"相手の優越感をコントロールする"のがサービス業だとしたら、『あたしは、はてながどうしたっていいと思うし、何も言わないわ。はてなはよくやったと思うもの』ですよ(と、また話が明後日の方向へ)。

2009-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20090219205731

このあいだの判決、現行の法律に従えば無期懲役が妥当なんだろうけれど、

仮に、自分裁判員に選ばれたとして、同じ客観的基準にしたがうか、と聞かれたら

「なんであんた死刑にしなかったのよ!!!」と女房に毎日毎日さいなまれたり、

死刑に反対したんだってさ」「へえ同じ性癖でもあるのかね」なんて噂されること考えたら、

もうなんか、堪忍してくれ、って感じだな。

裁判より魔女狩りに参加してる気分になりそう。

自分も石を投げなきゃ、こっちにも石が飛んでくるんだ。

2009-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20090214032109

気に入らない発言を短絡的にはてサ認定して罵声を浴びせるあの醜悪さ、魔女狩りを髣髴とさせるよね。自分たちがレジスタントしている対象と全く同じことをしているってわかってないのかな。

2009-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20090213134031

むしろ、魔女様が配達してくれる荷物は、陸路ではなく、空路を運ぶAirMailなので

昔よりも、現代の都心部の方が需要があるのではないか?

クロネコ様あたりが、サービス展開しそうな。

正直。空路の方がいろいろ利便性が高いと思う。

あとは、耐荷重がイケるなら、ヘリの代わりに個タクとかも便利そう。

東京は線路とかトンネルとかいろいろあるから、遠回りな距離もひとっ飛び?

2009-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20090212205437

なんか魔女ドラマにされた漫画思い出したよ

あれ原作料払うだけ損じゃんね

2009-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20090206050357

O・ヘンリー(最後の一葉で有名なひと)の短編ですね。題名は『善女のパン』もしくは『魔女のパン』。

http://cosmoshouse.com/works/loaves/loaves.htm

2009-02-04

山犬から人間が生まれるわけないじゃん

Omen見てて不思議なのが、「ダミアンの母親は山犬」ってところ

なんで山犬?

ていうか、山犬から人間が生まれる分けないじゃん。何言ってんのあの神父等?

せめて母親魔女とかそこら辺でしょ、やって良いのは。

ジャッカルから人間が生まれるとかあり得なさすぎてさすがに萎えるわ

ていうか、サイズ的に無理でしょ。

大体あの神父の行動がそもそも意味不明だよね

なんで山犬から生まれた子供人間子供と取り替えるの?

ていうか、2でダミアンの血液調べて山犬の血だって分かるあたりとんでもなくお馬鹿だよね

脚本家にはまともな生物学の知識すらないのかと

あれが山犬としたらダミアンはいったい何なの?山犬なの?人間の形して、人間と同等の知能を持った山犬?

かばかしすぎて笑えるw

2009-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20090129210942

だから魔女狩りは良くないですよねって話だろ。

現実に起こりうるかどうかって話をしているわけじゃない。

あと法治国家ってコミュニティの中に生きてるんですよ俺たち。

http://anond.hatelabo.jp/20090129210621

横ですが

それが通るなら魔女狩りなんて存在しない

「正当性」なんてコミュニティ勝手に作り出されるものじゃない?

2009-01-22

投稿ミスったら変な事になった(汗

http://anond.hatelabo.jp/20090121235603

に対して。


疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。

そもそもニセ科学批判批判者がニセ科学批判を批判しなければ話し合いが発生する余地は無い。

なぜならニセ科学批判の目的ニセ科学批判であってニセ科学批判批判への応答では無いから。


1.ニセ科学を批判したら

2.擁護or批判批判をして来たので

3.話し合ってみたら

4.無知な上に無知改善する気配も見えないので

5.話を終える


最終的に無知と判断されるニセ科学擁護者やニセ科学批判批判者と、ニセ科学批判者とのやりとりって大体こんな順番。

で、tittonさんが言ってるのは『4、5をやるならなら、そもそも3をやるなよ』って事なんだが、3をやってみないと相手が無知かどうか何て判断出来る訳が無い。

今までの経験から2をやる人間は大体無知である可能性が高いよなあという話はすれども、2の段階で相手を切り捨てるニセ科学批判者は今後も出てこないだろう。

何故ならそれは科学者の態度ではないから。


疑似科学批判はある意味馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。

ここで突然に疑似科学批判者が相手にしている物が『疑似科学擁護者・擬似科学批判批判者』から『疑似科学』と入れ替わった話になっているのは何故だろうか。


また「科学を根拠に水伝ダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。

馬鹿は騙されるぐらいが良い』って詐欺を容認するような事を言ってのける人間が判断する『適切』は、一体誰が許容する『適切』なんだろうか。


疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、

1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。

2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。

3)科学でないものを科学と喧伝する○○はけしからん。そんなものは社会から排除しよう!

2)で『にもかかわらず』を使いたいならば、1)に『○○は科学を自称していない』が必須。日本語論理的に言って。

つまりは日本語破綻しているか、論理破綻しているかのどちらか。すなわち『駄目』って事。


疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。

破綻した物を前提に話を進めているので、それだけでも意味が無い話だと結論できる部分。

ついでに現実存在する疑似科学批判は『実証されていないものを実証されたと強弁している物』を対象にしている物ばかり(水伝とかゲーム脳とか血液型性格判断とか)なので、

言いがかりこじつけのような安易なものが少なくない。

というのは事実に反する言いがかりこじつけに類する物だと言える。

破綻言いがかりを重ねた上で発せられる『暴走の懸念』は、徴候さえ存在しない事実も踏まえれば、ほとんど考慮に値しない。


3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。

法的にも犯罪だという判断が行われてるが、犯罪社会から排除されるべきではないとでも?

現実被害者が出ているというのに『一方的な判断』とは、無知もここに極まれり。


かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。

実証されていないものを実証されたとするニセ科学は、その意図が有ろうと無かろうと科学を否定するものだ。

かつて、神の存在を確かめようとしていたのに神への冒涜だとされた科学とは明確に違う。


それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。

色々な場所で、幾度も、ニセ科学批判の批判対象に『将来科学になり得る物は入らない』と説明されている。

これに説得力を認めないのは『科学が何を対象としているかを理解できない人間』の個人的資質に帰結する問題だ。

警鐘を鳴らすのは勝手だが、それが考慮に値する者として受け入れられないのは、疑似科学批判批判の場合は往々にして警鐘を鳴らされた側の問題ではない。

それは、詭弁無知破綻だらけの警鐘を鳴らす側にこそ存在する。

2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090121090548

titton です

http://anond.hatelabo.jp/20090121090548

疑似科学批判者が二言目には「疑似科学擁護者や疑似科学批判批判者はおそらく無知」というのはどうなんだろうね。確かに確率的にはその方が多数だろうから、そう思うのも無理はない(実は俺も内心そう思ってるし)。しかしそれを公然とおおっぴらに認めてしまったら、「こいつらとは話し合う価値もない」で終わってしまうわけで、それならその通りなにも話す必要はない。

疑似科学批判はある意味馬鹿を相手にする作業」だ(学校の教師とか新米社員を指導する上司とかも同じ)。逆に言えばそれに耐えきれず「こんな馬鹿とはまともに話したくない」とサジを投げてしまうような人には疑似科学批判は向かないと思うよ。そんなんじゃ結局は「いかに沢山相手を馬鹿にした方が勝ち」って勝負だ。



また「科学を根拠に水伝ダメだとは批判していない」については、「適切な根拠を用意できていないまま批判している」から問題だと言っている。疑似科学批判のパターンはだいたい次のようなものが多い。○○が批判される立場の疑似科学だとすると、

1)○○の科学的な誤りを列挙。それゆえ○○は科学的に誤っていると結論。

2)にもかかわらず○○は科学と自称していると主張。

3)科学でないものを科学と喧伝する○○はけしからん。そんなものは社会から排除しよう!

1)はいいとして、2)は解釈によって様々だ。疑似科学批判の中にはほとんど言いがかりこじつけのような安易なものが少なくない。これはいわば魔女裁判と同じで「魔女だ!」と言われてしまえば、疑似科学側から反証することは難しい。またそのような「暴走」に疑似科学批判者側が自主的に歯止めをもうけようという動きもない。

3)については、それが社会から排除されるに見合うほどの大罪なのか?という量刑が常に疑似科学批判者の一方的な判断で行われているのが問題。かつて科学が神を冒涜する気などないのに神への冒涜だと一方的に断罪されたことの裏返し。どんなに価値のある思想であっても、ちょっとでも抵触すれば断罪され社会から排除されなければならないのか。それについて疑似科学批判側は説得力のある説明を用意していない。

そういう点が問題であり、疑似科学批判側が何らかの自浄作用を見せないと、疑似科学批判そのものが世間から信頼を失うだろう、と警鐘を鳴らしている。正直最近疑似科学批判の暴走は目に余る。

2009-01-12

ジョークで済むからいい VS 人間の愚かさは計り知れない

人間の愚かさの圧倒的勝利と思われる。

宗教の強烈な排他性、人種差別による迫害共産主義天皇制魔女狩りなど

「ちょっとした多くの人が知っているジョーク」の与える影響は当初予想される速度や範囲を大幅に上回るケースがあって恐ろしい。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081223200803

横でわるいが

「ダークファンタジー」と「ちょっと不思議なエブリデイマジック」の組み合わせがむつかしそうな。

ハガレン

諸星大二郎マッドメン」、水木しげる河童の三平」、波津彬子「雨柳堂夢咄」とか。坂田靖子短編、浸透圧シリーズとか。

小説だと

スティーブン・キング/ピーター・ストラウプ「タリスマン」「ブラックハウス

マイクレズニック「一角獣をさがせ!」

ハリスン キム「死せる魔女がゆく」

ハリー・ポッターホラーでもラブコメでもないダークファンタジーとエブリデイマジックの組み合わせではあると思うんだが。

2008-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20081207052345

そんな真面目に論文議論してるわけでもないし一瞥しなくてもいいんじゃ?

それに男性女性を語るときは傾向みたいな、そんな感じだよねーくらいの感覚でしか語れないよ。

厳密に言えばまったく同じ人はいないわけだからさ。

追記:

>いや、エロゲ脳がダメダメでこういう印象論はオッケーなのか、ふーんと思ってね。

それは駄目だけどこれはいいみたいな我侭な奴はどこにでもいるんだし、気にしててもしょうがないような気もする。

まー、エロゲ脳が駄目だって言ってる奴の中には魔女狩りしてる狂信者みたいに全否定してくるのがいるけど、ああいうのは気持ち悪いよな。

2008-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20081107234955

古橋はその背景世界のとっぴさとは裏腹にかなり大人のキャラ書くので、そういう意味ではお勧めなのかもしれない?

でも魅力的な男性キャラ、ことに主人公っていたっけ?

あ、スレイマンは圧倒的な悪漢の魅力だね。それぐらい?

男女間の係わり合い方ならかなりいい線をいってるとは思うけど。

ブラッドジャケット少年少女逃避行とか、魔女吸血鬼の絶妙なやり取りとか。

わりとアダルト関係性が多く、ジャンルを離れても魅力的ではないかと思える関係性が多い。

ブライトライツ・ホーリーランド坊主と尼さんの掛け合いや、インポの旦那と奥方の仲睦まじさなんかは、あれは普通ライトノベルジャンルでは見かけない。

ファンタジー読みとしての素養があれば、ブライトライツ・ホーリーランドあたりはかなり面白く読めると思うのだけれども、でも安易にお勧めするのはやはりはばかられる。

2008-10-27

行為から推察されるid:letterdustとid:ohkami3の関係性?

はてサリンチに大賛同のスターを乱舞させていたような「浅ましい仲間」のd:id:kyo_ju、その後開き直ったように「脳の失敗」タグを濫用していたような同氏のような「悪口雑言で悪目立ちすることを自己承認の手段とする」キャラクターへの懐疑もあり、増田で書いているのである。

増田で書こうがどこで書こうが、論旨を批判されるならされればよい。それが出来ないのは、魔女狩りの相手を吊し上げにくいというだけのはてサ紅衛兵自己都合に過ぎまい。

元増田プロファイルとポの捜査から考えると、要はid:letterdustid:ohkami3が同一人物で

id:Midasd:id:HALTAN執拗に中傷しまくっていて、それを影からid:kyo_juが支援していたってことか。。

id:ohkami3と同一人物だったid:letterdustに限っては

自分が批判されて立場が危うくなると

後だしじゃんけんで「あたしADHDなの。何やってもいいの」と言い出し議論をムチャクチャにして、

そこにナイスタイミングオフ会メンバーだったid:y_arim(また有村か)とid:kyo_ju

後出しじゃんけんで「あたしADHDなの。何やってもいいの」と言っている様なid:letterdustを擁護し始めた、と。

元増田プロファイルとポの痛烈な批判記事にid:y_arim尻尾を巻いて逃げ、id:kyo_juはてブ詭弁を働いている、と。

今まではてブネガネガタグに悩まされてきた俺としては許せない事件だ。

有村もそうだよな。死ね氏ね言ってるもんな。「脳の失敗」並に傷つくんだよこっちは

オフ会?何だそれ?ただはてブ誹謗中傷したがってる奴らが手組んで擁護しあってるだけなんだろ。つぶれろつぶれろ

おまえらサイテーなんだよ

2008-10-25

行為から推察されるid:letterdustとid:ohkami3関係性?

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20081025/1224891066

ここで論じられているわけだが。

ひとつ傍証のごときものを。id:ohakmi3が姿を消しても、非常に類似したスタンスd:id:HALTAN揶揄的に攻撃しているブクマコメントが、id:letterdustによってなされている。これは時系列を遡ってみていくとよくわかる。ふたつのアカウントの活動時期が重なっておらず、絶妙にバトンタッチされたかのように似たような感じの攻撃的コメントが、受け継がれているように見える。そしてこの二人は、「ポストヒューマン魔術師」氏によって、「ADHD後出しジャンケンで自称して言い訳に使う」という共通点がある。

仮説として考えてみる。id:ohkami3は、id:letterdustと似た言説を繰り広げる誰かのサブアカであって、一際えげつないネガタグ「半ば本気で死んで欲しい」「国語の成績が悪そう」、これらを心置きなく攻撃したい相手につけるために駆使された仮面だった?

そしてそれが増田エントリー、「「脳の失敗」タグには呆れた」で窘められると、ohkami3は活動を停止し姿を消した。しかし、攻撃感情旺盛なキャラクターは、letterdustがどういうわけかそのポジションを埋めている。

人を攻撃したい欲求、罵りたい欲求、それを心置きなく発揮するために取られたアカウントなんていうものがあるのか?そうだとしたらなんと浅ましい。

もちろん推測に過ぎないが。

以下加筆

d:id:kyo_ju氏が「増田で書くか」というブクマコメをしたようだが、まさに「脳の失敗」タグ騒動のときに、「魔女を火炙りにする焚き火の周りで踊り狂っていた」のがこれらid:ohkami3氏たちであった。そのとき余りの悪罵のおぞましさを批判されたd:id:hokusyu氏やd:id:Romance氏などはいつのまにか例のHALTAN氏のエントリーへのブクマコメ撤回したようだが、本人たちでさえ恥じて後に撤回するような浅ましいネガティブコメントスクラムに襲われるようないわゆる「はてサ紅衛兵」たちによる「はてサリンチ」を避けるために増田で書いているのである。はてサリンチに大賛同のスターを乱舞させていたような「浅ましい仲間」のd:id:kyo_ju、その後開き直ったように「脳の失敗」タグを濫用していたような同氏のような「悪口雑言で悪目立ちすることを自己承認の手段とする」キャラクターへの懐疑もあり、増田で書いているのである。

増田で書こうがどこで書こうが、論旨を批判されるならされればよい。それが出来ないのは、魔女狩りの相手を吊し上げにくいというだけのはてサ紅衛兵自己都合に過ぎまい。

2008-10-16

マスゴミもかわいそう。

最近韓国為替相場ヲチしているんだが、極端な変動を面白がってヲチしているのを9とすると、

それを窘める奴ってのも1はいるのな。比率として

その1の連中は真意はともかく「韓国経済破綻したら日本も無事じゃすまないんだぞ」と言うわけだ。

そこで今度は現況世界経済アメリカ対応策に話しがとぶんだが、

アメリカ政府が何をどう言おうと、アメリカの庶民は「金持ち優遇!私達貧乏人を救済しろ!」と主張するわけだ。

大統領選挙下院議員選挙も近いので、その声に反する政策はうてないとか。

日本住専処理やってたとき俺もそっち系を思っていた。

「威張り腐っている銀行員地獄に堕ちるべき」と。

その俺が書く。

韓国の方はマスコミも一切合切報じていないけど、アメリカことについてマスコミ

政府が何をどうしようと愚民たちのせいでなにもできない」と政府系のマスコミですら言えないってのは、

結構かわいそうなんじゃないかしら。言ったら魔女狩りにの標的にされてしまう。

2008-10-11

10年ぶりに出来た彼女 2

http://anond.hatelabo.jp/20081004090242

元増田です。

お姉さんの家に行って来た。

2DKのマンションに住んでいて、シンプルながらもおしゃれな部屋、

絵が飾ってあったり、トイレもお風呂もきれいで、家中いい匂いだった。

俺が到着すると、お姉さんの手料理がテーブルに並んでいた。

メニューは、ロールキャベツお姉さん特製ジェノベーゼソーススパゲッティかぼちゃスープワインが用意してあった。

どれも美味しくて、あっという間に全部平らげた。

お姉さんは嬉しそうに、手作り巨峰ムースをデザートに出してくれた。

この時点で、ここまでしてくれる彼女を俺は信じようと思った。

飯につられたんじゃなくて、お姉さんの愛情感動した。

食後、ワインを飲みながらお互いの事についていろいろ語った。

お姉さんの過去〜今までの話、俺の過去〜今までの話、

2人で笑いながら、楽しい時間を過ごした。

している間に、あっという間に0時を過ぎた。

2人ともほろ酔いになって来た頃、お姉さんは俺の隣に座ってきて、

俺の肩に頭をくっつけてきた。

シャンプー香水?柔らかで優しい香りがする。

お姉さんの顎をそっと上げて、キスをした。

長い長い、キスをした。

そのままベッドに倒れ込み、すぐにSEXをせず、ゆっくりお互いを愛撫し合った。

恥ずかしそうに体をくねらせながらも、お姉さんは濡れ濡れだった。

もちろん俺も(ry

お姉さんは俺の腕にしがみつき、声を押ししていたが、

たまに我慢できなくなったのか大きな喘ぎ声を上げていた。

すぐにイキそうになったけど我慢してお姉さんが照れながらも気持ち良さそうにしている顔を見ていた。

AV何て目じゃねー興奮度。

思い出すだけで起って来る。

その晩は5回SEXして、ぐっすり眠った。

翌朝、俺が起きる前にお姉さんは朝ご飯を作ってくれていた。

顆粒の出汁を使わないお姉さんの作ったみそ汁は美味すぎた。

ここで改めて、先日の俺の疑問を考え直してみた。

1)お姉さんは誰かの愛人で、愛人とは別に彼氏が欲しかっただけ

ーーー愛人ではなさそうだ。

2)ただ単に遊ばれてるだけ

ーーーただ単に遊ぶ相手にあそこまでもてなしをするだろうか。

3)お姉さんは実はかなりの遊び人だった

ーーーそれはまだ分からない。

4)恋愛になると依存するタイプの人だった

ーーーこれもまだ分からないが、今の所そういう印象は受けてない。

5)本当に俺の事が好き

ーーーで、あって欲しい。

6)自分より若い男とSEXしたかっただけ

ーーー「したかっただけ」ではないと思うけど、SEXは好きだと思う。

7)ブサメンメタボフェチ

ーーー腹の肉を笑いながら何度か掴まれた。

8)イケメンに痛い目に遭わされた過去トラウマになってる

ーーー辛い過去はあった用だが、トラウマになってる感じではなかった。

   心の奥に何があるかは分からないけどな。

9)あの人は魔女

ーーーある意味そうかもしれない。

10)何かの勧誘のため

ーーー部屋の中、風呂冷蔵庫の中に怪しいものは無かったので、勧誘ではなさそうだ。

現時点で俺がこの中で回答を選ぶのであれば、5)を挙げる。

自信過剰になってる訳じゃない。

まだ不安もあるし、俺でいいのか?という疑問も残っている。

ただ、素直にお姉さんと一緒にいる時間は楽しかった。

寝る前に、お姉さんと俺はこれからの事について話し合った。

もう少し広い部屋を2人で借りようと。

頑張った所で振られてもいい。

俺はお姉さん、いや彼女の事が好きだ。

もっと彼女笑顔が見たい。

みたいなブサメンメタボな俺とお姉さんは、ビジュアル的に不釣り合いなのは確かだ。

中身だって、お姉さんの方が人間して出来ている。

だけど、俺は頑張ろうと思った。

彼女の為に、俺の為に。

この先何が起こるか何て分からないけど、俺は今彼女と過ごせる時間を大切にしたい。

会えない日も、彼女と会える日を思えば頑張って過ごせる。

お姉さんは、俺の「彼女」だ。

俺の彼女なんだ。

あたし彼女」ならぬ「俺の彼女」で携帯小説でも書いてみるか。

おれ彼氏」の方がいいかな。

2008-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20081005010914

8月に公開だったから、地域によってはもう上映終わってるけど、自分的おすすめを2つ。

おすすめ1:「ぐるりのこと。

法廷画家の男とバリバリ編集者の女の夫婦の話。

最後のシーンで涙なみだ。

おすすめ2:「西の魔女が死んだ

魔女のばあちゃんと孫娘(中学生)の話。

原作もイイ。

2008-10-04

10年ぶりに出来た彼女

俺はブサメンだ。

その上弱メタボ

背も高くないし、収入も平均以下。

趣味はあるが、趣味に関しての話を書くと長くなるのでカット

10年前、当時付き合っていた彼女に突然別れを告げられた。

理由を聞いたところ、

「私の話を聞いてもらえなかった。」

それ以外の理由は何一つ話さなかった。

当時の僕は、彼女の話を聞いているつもりだった。

彼女が喜んでくれる事が嬉しかったから、いつも会話は盛り上がっていた。

でも実際は、彼女が僕に合わせてくれていただけだったんだろうな。

あれから10年。

彼女もできず、何となく仕事して、何となく趣味やって、何となく過ごしていた。

ある日、趣味仲間に誘われて出掛けた。

そこでとても美人で頭も切れ、明るく前向きな素敵な年上の女の人と出会った。

趣味仲間連中と飲んだくれて、最後に残ったのはその美人お姉さんとその友達と僕。

結構酔っ払っていたが、笑い上戸お姉さんにつられて、僕も一緒になって笑っていた。

楽しかった。

それからお姉さんとメール電話でいろいろ話すようになった。

気がついたら、「付き合ってるみたい」な感じになってて、

でも僕みたいなブサメンメタボ低収入な男に興味なんか持つ訳がないし、

自信はなかったが、思い切ってそれらしき話をふってみた。

「俺ら、付き合ってるみたいな感じだよね?」

お姉さんが何て返してくるか怖かったが、もう言わずにはいられなかった。

お姉さんはこう言った。

「そうね。でも曖昧じゃない?ちゃんと増田君から言ってもらえたら嬉しいな。」

これは・・イケるって事ですか?

僕はこう返した。

電話じゃなくて、会ってきちんと伝えたいから。待っててくれる?」

「うん。待ってるね。」

心臓バクバク。僕でいーんですか?お姉さん!

その会話の日から、電話で話す内容も、メールの内容も何となく彼氏彼女っぽくなってきた。

嬉しい。純粋に嬉しい。

でも、まだ付き合うっぽくなってから時間も浅い。

お姉さんほどの人が僕を好きになるなんて考えられない。

不安だ。

不安以上に嬉しさが込み上げてきているのは確かだけど、

この先何か落ちがあるんじゃないかって勘ぐったりもしてしまう。

お姉さんは人望も人徳もあり、たくさんの仲間達から愛されている。

僕には、信頼できる少数の友達はいるけど、お姉さんほど有名人じゃないし、

あんなにみんながお姉さんの事を好きと話しているのを聞いていると、

更に僕の自信は減少していく。

僕はまたお姉さんに聞いてみた。

「俺でいいの?」

お姉さんはクスッと笑ってからこう言った。

増田君がいいのよ。増田君じゃなかったら付き合いたいなんて思わなかったもの。」

この言葉を素直に信じていいのか?

信じるしかないのは分かってる。

例え騙されたとしても、例えすぐに振られたとしても、信じるしかないんだ。

たくさんの人に愛されていたとしても、恋愛においてはどういう人なのかまだ分からない。

遊ばれていたとしても、お姉さんと付き合えた事は僕にとって誇りである事は間違いない。

ある日、お姉さんとデートをした時に、お姉さんも僕もかなり酔っ払ってしまい、

そのままホテルに向かった。

お姉さんは歯磨きをしてすぐにベッドに倒れ込んで寝てしまった。

僕はドキドキして寝られない。

我慢できなくなって、僕はお姉さんにキスをした。

最初は寝てたけど、次第にお姉さんが僕に抱きついてきた。

スタイルが良く、脚もきれいで長い。

僕はお姉さんの服を丁寧にゆっくり脱がし、下着姿にした。

少し恥ずかしそうにしてたけど、お姉さんも僕の服をゆっくり脱がしてきた。

俺、もう我慢できない。

こんなシチュエーションありなのか?

俺の人生にこんなシーンが用意されていたとは思いもしなかった。

朝までの間に、お姉さんと4回SEXをした。

夢のような時間だった。

今週の木曜日に、お姉さんと会う約束をしている。

初めてお姉さんの家に行く事になった。

お姉さんは料理も上手なので、手料理を食べさせてくれるらしい。

そんなうまい話あるのか?

どっかに落ちあるよな?

全然理解できないんだよ、俺とお姉さん釣り合わないし。

今俺の頭に浮かんでる事は、

1)お姉さんは誰かの愛人で、愛人とは別に彼氏が欲しかっただけ

2)ただ単に遊ばれてるだけ

3)お姉さんは実はかなりの遊び人だった

4)恋愛になると依存するタイプの人だった

5)本当に俺の事が好き

6)自分より若い男とSEXしたかっただけ

7)ブサメンメタボフェチ

8)イケメンに痛い目に遭わされた過去トラウマになってる

9)あの人は魔女

10)何かの勧誘のため

ここに挙げた以外の理由が出てくるかもしれないけど、

様子を見てまた報告する。

2008-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20081001024127

魔女狩りと小女子有罪あたり前の違い、おれには素でわからんよ。

理解出来ないなら、別に無理して理解する必要なくね?

小女子事件有罪当たり前論のキモ

西洋中世魔女狩りってあったよな。

魔女狩りされた女性たちが必ずしも魔術やってたとは言えないという話もあるが、そこはおいとく。

今の目で見て、魔術って、科学的有効性はないよな。「魔術の儀式」をやったところで、それに期待される結果が伴うというわけではない。

でも、「魔術の儀式」を当時の人々が見たとしたら、それに対しては畏れ慄き、排斥するために魔女狩りとして儀式をやった女性を処刑するという形で共同体から排除したわけだ。

当時の感性としたら、それはもうどうしようもないことかもしれない。

でも、今、「社会がみんな魔術の儀式に畏れ慄いてで迷惑したんだから魔術の儀式やったやつは罰して当たり前」とかいう話になったら、素でキモいわけだ。

魔女狩りと小女子有罪あたり前の違い、おれには素でわからんよ。

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