はてなキーワード: カンペとは
大勢の前で話す時に緊張して声が震えてしまうという悩みがある。これのせいでたくさん恥ずかしい思いをしてきたし、パフォーマンスが出せず評価を失ってきたし、最近はこれのせいでこの先のキャリアを諦めようとも考えだしていた。
それを最近インデラルという薬で克服することができた。
本当に感動したし今後の人生プランが明るい方に行きそうな気がしている。本当に助かった。。。。。!!!!
インデラルは単純に言えば血圧を下げる薬だけど、血圧つまりドキドキを抑える薬なのであがり症にも効く。
なぜインデラルを処方してもらうになったかは、数ヶ月前に「結局脳も臓器だから気持ちや性格なども薬でどうにかできる」みたいな内容の増田を読んでからだ。
その増田ではいままで自分の性格だと割り切ってた良くないところが薬でよくなったという内容だったはず(探してみたけどもう見つけられなかった…)
若い頃は大勢の前で話す機会は多くなかったのでなんとかなったが、最近はもうだいぶ管理職みたいな感じにもなり、大勢の前で代表して話すみたいな機会が多くなった。
しかも話す相手は数十人だったり、その日初めて会うお客さんだったりと、緊張しやすいシチュエーションばかり。
声が震えてしまったその瞬間もそうだけど、後からもその時のことを思い出して苦しむ。いい年なのに恥ずかしい。みんな笑えるとかよりも可哀想と思ったんだろうなとか。
シャワー中とか寝る前にフラッシュバックしては死にたい気持ちになった。
これはしかも準備ができてないから緊張するのではなく、私の場合は準備すればするほど「準備したのに」というプレッシャーを感じで緊張してしまう。
カンペを用意してそれを一字一句読むだけならいけるのでは、と思ったけどダメだった。
コロナ後テレワークできるようになってからはオンライン会議が主流になったので、酔った状態でやれば緊張しないのではと会議の前に強いお酒を一気に飲んだりもした。だめだった。普通に緊張したし、会議後に気持ち悪くなって最悪だった。
もうこの仕事辞めようかな。みんなの前でスラスラ話せたら可能性は無限に広がる。けどそれができない。頑張ってるのに。むしろ頑張りに比例して緊張は膨らみ声は震える。
そして数ヶ月前、件の増田を読んで本当にハッとした。
自分のこれもれっきとした「症状」であり、であればこれを治す薬があるのでは。
なぜ今まで薬に頼らなかったのかとも思った。
呼吸法とか話し方によっては改善できるみたいなのは「声が震える 対処法」みたいな検索でたどり着いたけど、薬で解決するは考えたことも検索結果に出てきたこともなかった。
増田を読んでから「声が震える 薬」みたいな感じで検索して、インデラルという薬があがり症の対処に使われていることを知った。
薬の口コミをみると(昔は個人輸入で簡単に手に入ったけど、いまは病院でしか処方してもらえない)自分と同じような人たちが同じ症状を克服していた。
早速オンライン診察してくれるところでインデラルを処方してもらった。
オンラインで診察してくれた先生にインデラルを飲みたい理由を話すときに「これのせいでキャリアも諦めようと思ってた」と話したら自然に涙が出てきた。
諦める必要はないですよ、って先生が言ってくれてさらに涙がでた。
つらかったんだなー。
会議が始まると、緊張してる感覚はあるけど、心拍数はあがらない(Apple Watchで都度確認してた)。そして緊張なく声は震えることなく上手く話せた…!
心臓がドキドキしないと緊張は薄れていくことが体感でわかった。
緊張のスタートは気持ち(脳?精神?)だけど、それによって心拍が早くなって、緊張が加速•持続するんだね。
結局緊張も身体の反射なんだなーと。
なのでそこの心拍数があがるのを薬で止めると緊張がなくなると。
同じこと悩んでる人、思い詰めてる人がいたら薬でどうにかできることを知って欲しい。
処方してくれた先生が言うには、薬で成功体験をたくさん作れば、そのうち薬がなくても緊張しなくなる、とのことだったので、自分もそこを目指してる。
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表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。
「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの一つ一つが「まだ私が壊れてくれないから、大丈夫じゃなくなるのを待つしかない」のカウントになっていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫ってなんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
(全てフィクションです)
💧🌼🍏🌷❄️♑️🚼
浜「続いては煌めき⭐︎アンフォレント〜!!」
浜「初登場ということで。あなたたちはどういうグループなんですか?」
💧「はぁい、私たちはですね、宇宙をテーマにしたグループになっております」
浜「宇宙ですか!」
💧「はいぃ😅」
🌼「そうです!宇宙です!」
🌼「宇宙行きたいです!」
松「宇宙のどこに行きましょうか?」
🌼「えっとー、えっとー!」
🌹「がんばれー」
❄️「がんばれー」
🌼「何も出てこないんですけどー!とにかく行きたいです!」
〜〜〜〜〜〜〜
松「(カンペを見ながら)曲は『夜想÷トリステス(フェアウェルトリステス)』」
浜「読まれへん」
松「読めたところで意味がわかれへん」
❄️「すみません、、、」
浜「どういう歌ですか?」
🍏「男女の別れの歌なんですけど、アイドルとファンの方との関係に受け取れる内容にも、なっています」
🌼「あの!『銀河の果てへと』って歌詞にもあるんで、多分関係あります!」
松「何やまた君かいな」
🌹「がんばりたいです」
♑️「心を込めて、精一杯歌わせていただきます!(ガッツポーズ)」
🚼「がんばりまーちゅ!!」
浜「やかましいわ(後頭部ドツキ)」
🚼「いたーい!!!」
❄️🌹🍏「やめてください!😅(通せんぼや抱きつきポーズで浜から🚼をかばう)(🍏は頬を膨らませる)」
🚼「痛いけど、嬉しいーーー!!!」
浜「なんでやねん笑」
〜〜〜場面転換〜〜〜
終
→100点を目指してたまにマイナス100点を取るぐらいなら常に60点がいい
→相手の立場に合わせて言葉を変えるとリソースが消費されるので職場では常に丁寧語。
→咄嗟のときにタメ口にならないように独り言も丁寧語にしておくと安心。
目的:アバレージでの生産性を高める。仕事のクオリティに対する信頼度を上げる。
目標:ケアレスミスを減らす。ミスの挽回にかかるコストを逆算し、それより少なければミスを減らすための新たな作業を追加してもトータルの生産性は高まる。
手段:資料作成時の自分と、作成後の自分によるダブルチェックにより、ケアレスレベルのミスだけでも無くす。
・あらゆる入力箇所に対してチェックをする
→誤クリックからの誤入力などがあるので全ての場所に危険が潜んでいる
→空白部分への誤入力も警戒
→修正後にもう一度見比べるのに使用する。修正箇所が2つ以上になった場合全てを覚えていない可能性を常に警戒。
・作業中にミスを発見したら、後でまとめてではなくその都度修正をする
→赤ペンを入れただけで満足する可能性があるので、なるたけ修正は1つずつやっていく。よほど入力に手間がかかる場合は……注意力を高めろとしか言えねえ……すまん。
目標:自分の送受信だけでなく相手の送受信も。また記録を残すことで忘れることと忘れられることの両方を軽減。
手段:音声情報はその場その場で消えてしまうので、なるたけ文字でやり取りする。
・電話や口頭伝達を減らせる機会があったら積極的にメールやチャットを使用
→チャット画面が後から消えてしまう場合、重要箇所はコピーしておくと吉。言質を取るのもあるけど、自分が忘れるのをまずは防ぐためにも。
・資料などに対して口頭で説明をする要素を減らすため、全部資料に書いてしまう
→資料のフォーマットで入力できない部分は付箋を使用する。パワポでの発表時は自分のアドリブ力は信じずカンペを読んでしまえ。
・音声で伝えられた情報は積極的にメモする。相手に伝えるときも相手にメモしてもらう。
→電話口で「これからその人の電話番号をお伝えしますが、メモは大丈夫ですか?」と聞くノリで。その範囲を多めに持っておく。
→「メモするほどじゃないよ」と言われた時ほどメモした方がいい。そういう相手ほどいざこちらが忘れた時に「は?なんで覚えてねえの?キチガイか?舐めてんのか?死ぬか?」みたいなノリで接してくる。
→ぶっちゃけ『俺の説明は完璧だから相手は一発で内容を覚える』とか思い込んでる時点でその人もまたアスペ。それも無自覚なタイプなのでこっちがその分をフォローしてやらんとなのですよ。
→アスペ同士の補い合いは社会じゃ結構よく出てくるので、面倒くさくても自覚のある側が多めにコスト払ってあげよう。自分も人にやらせてきた事だからね。
そもそも元から自分が出来ることをひけらかすタイプの人じゃないので、ただただ謙遜している、
あるいは、今思うように語学学習の成果が出ていなくても続ければ僕みたいになれるよってエールを送ってくれている
そう捉えるべきなんでしょうけど、
もうね、2年も勉強したらですね、ワイくん的には主体的に会議に参加出来るレベルになりたいわけですよ
ネイティブ相手にセールスとか法律のお話とか出来なくて別に良いんです
ネイティブの偉い人にこいつなら仕事任せても大丈夫そうだなってレベル目指してないし、
あ、この人が上司でも大丈夫だなってネイティブの部下に思ってもらうとかも目指してないです
ただただ、会議の置物を卒業したい、カンペ読み上げるの卒業したい(なお日本語と日本人英語に明るい人にしか通じない模様)を卒業したい
2年もね、勉強したらね、自分の専門だけは会議でまぁフツーに意思疎通が出来る、
はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー😭
・・・以外にないと思うが、ホンマ世の中は100000000%運やで
けど、カツマーは『外資入って英語頑張って出来る様になった』とか言ってたが、
ワイの場合、外資や海外対応する必要がある企業にいた(いる)のに英語出来ないからな
これ、どーにかなりそうか?