はてなキーワード: 肥大化とは
一応突っ込んどくが一般民衆も投票できる普通選挙は戦前行われてたし政権交代も何度もあったわけでアメリカに与えられたものというわけでもない。先進国で革命起きたのは米英仏くらいで後の国は革命も起こさずに民主主義やってる。それらの国も形式的民主主義なの?官僚の肥大化だって日本は先進国トップクラスに人口当たり公務員数が少なく税負担率も低いんだから日本で肥大化といえるならどの先進国もそうだといえる。
あと国民の間でも利害の対立はあるわけでその点スルーして一致団結とかやらせたら結局多数決で少数派の意見を無視するのと同じことになるんじゃないかと。
これから先はインフラとしての地味なイノベーションしかないんじゃない?
これから先は規模と安定性と経済性かな。
基幹の帯域はいくら大きくなっても足りない足りないと言われて、P2Pや動画タダ乗り論とか、金をかければ太く出きるけど、誰がそのコストを払うの?と言われる。
IXも同じようなもので、加えて、どこかのIXだったりIXにつながってる業者だったりがしくじると、それがかなり広範囲な世界へ波及してしまう。ケーブル1本切れたらIXがパンクして、とかありえなくない。
ルーティングテーブルの問題もなかなか大変な様で、肥大化複雑化する一方らしいし、NTTはパンクさせた事あるし、どこだったかの業者は変な情報流して世界中がパニクったし。
しかし、インフラとしての重要性はますます大きくなっていて、でも、どうでも良い部分も大きくなっていて、コストをかけても守るべき部分と、コストをかけるほどではない部分が相乗りしてて、IP電話とかIPv6移行とか携帯とか、インフラは相乗りしててもニーズは相容れてない感じ?
プライマリーバランスの達成を放棄する上に、今度はGNP比という基準をでっちあげるという話。
一年間の収入である税収と支出をバランスさせるというのは、永続的な家計を実現するのに、必要不可欠の条件である。国家においては、国民、すなわち家族数の増加に応じて、貨幣の量を増加させなければならず、その過程において、赤字国債の発行が容認される場合が存在するが、そのようにして増加した負債は、相続税によって回収されるというのが前提であった。
人口が一定、もしくは減少傾向に入ったならば、当然のように、家族数の減少に応じて貨幣の量を減少させなければならず、その過程において、プライマリーバランスは必然であるし、国民人口の減少の度合いが大きいようであれば、赤字国債の償却額を増やしていかなければならない。
財政規律は、景気の維持や肥大化した行政システムを維持する為に捻じ曲げて良いという物ではない。それらの為に財政規律を捻じ曲げると、貨幣経済に対する信任を揺るがしてしまうのである。
税収と支出をバランスさせる為に智恵を出せと国民の信任を受けたのに、首相の座を転がしている内に、拠って立つ足元すら、見失ってしまったようである。
GNP比で財政赤字を評価するということは、最終的には、GNPを丸ごと税収にするという事に等しいのだが、GNPの数値を税収にする事は、不可能である。年収のうち、生活費や家賃として支払う分まで借金の返済に充てるような事で、生活破綻を前提にした見積もりを立てようという話でしかない。
ここまで借金がかさむと、返済計画が破綻しているとして、普通ならば、自己破産を行うか、身柄を攫われて、男なら山奥の飯場、女なら風俗に沈められる状態である。
国家の場合、破産を受けてくれる裁判所が無いし、借金を取り立てる怖い連中も居ない。それゆえに、理性的で自立している人々が国家の運営を担うという民主主義を行う事で、それらの緊急避難行為にすがりついて踏み倒すようなマネは絶対にしないという信用を発生させているのだが、選挙で勝っただけで、世の中を動かす力も言葉も持って居ない人が、システムとして存在している行政を使って世の中を動かそうとして、無駄遣いを繰り返し、挙句の果てには、行政の傀儡となってお手盛りの報酬や待遇や天下り先作りに奔走し、税収が足りないと囀りはじめている。
介護保険制度にしても、老親の介護は公務員が職務に専念する為には邪魔であるが、公務員に老親を養える離れのついた家屋を購入し、お手伝いさんを雇えるような報酬を与える事は世間体があるからできないので、老人ホームを作って、そこで介護の面倒を見るようにするという話であり、その為の経費は、介護保険制度をでっち上げて、新種の税金として国民からかき集めようという事でしかない。
介護保険制度にしても、保険や年金にしても、丼勘定のままでは間違った制度なのだが、それを改定してしまうと、せっかく作った公務員利権が削られるという話になりかねない。
介護支援専門員だけでなく、教員にまで定期的な資格更新試験を導入しようとしているが、教員に資格更新試験を導入したならば、公務員様が職務に専念する為には子供の教育が万全でなければならない、公務員様のお子様に悪い成績がつくようであれば、資格試験の時に覚悟しろよという話にしかならないであろう。公務員のお子様専用の補習をやると、不平等として叩かれるし、試験問題の流出等をやると、もっとややこしいことになりかねない。あからさまに成績評価を操作するのも問題があるとなれば、公務員の老親や元公務員専用の老人ホームがあるように、公務員のお子様専用の学校も作られるようになるであろう。日本は世界で一番成功した社会主義国家だったと皮肉を言われる事があるが、自由主義に傾き始めた中で、まさか、Nomenklaturaという悪弊が実現してしまうとは、皮肉以外の何物でもない。
公務員になれば良いという考え方は成立しない。今後、公務員の定数も削減される以上、親が公務員等の人物的に信用できる人でないと、採用担当が責任を負わされる事になりかねない為である。
本日18:00をまたいで、あからさまに「いかがわしい」オフトピを
乱立させるという自爆テロが発生していました。
トピ自体は運営によって、すぐさま鎮圧されましたが。
犯行声明はありませんでしたが、首謀者のプロフィールから察するに
運営への抗議の一環として自爆テロを敢行した模様です。
今回の犯人は明白に「不本意諦念派」のようです。
嫉妬と憤懣が募っていたのだと推測されます。
しかし、これは非モテSNSにとって起こるべくして起こった事件なのです。
最初からモテる気がさらさらない「諦念派」ではなく
「卒業派」になりたくてもなれない「不本意諦念派」は
取り残されてしまったように感じていてストレスは日々高まっています。
非モテのカリスマ、ヌルオタ師が主催あるいはサポートするオフ会は
男女の出会い促進を標榜としている点で際立っており、
訴訟沙汰を危惧する運営サイドも好ましからずと思っているでしょうが
強制的に排除することは得策ではありません。
一方で「諦念派」の中でも「出会い系化」しつつある非モテSNSに
懸念を表明する声も日増しにあがってきています。
特に数少ない女性の「諦念派」においては、男女交際よりも
女王のように周りからチヤホヤされることを望んでいる者が多いのです。
かつてオフの少なかった時期においては女性は写真を晒さない限り
ほぼ同列に扱われてきましたが、ここにきてオフが頻発すると
簡単に崩壊してしまうリスクも高くなってきたことを
憂慮しているのかもしれません。
これから混乱期に突入、そして変革期へと向かってゆくことになります。
奇しくも今回の自爆テロ犯のハンドルネームが「悲鳴」であったように
この変革の痛みに”悲鳴”をあげるものが今後続出するでしょう。
明日の非モテSNSはいずこに!
知り合ったのは2年ぐらい前、とあるバイクのOFF会で知り合った。知り合ったとはいっても、名前も住んでいるところも知らない。わかっているのは、乗っているバイクと好きなバイクの好みぐらいだった。
OFF会ではそれほど積極的に絡むことはなく、挨拶して世間話をする程度。回りを気にしながら話す様子に、線の細さと、自分の深いところには踏み込んで欲しくないという意志を感じた。
これは一方的に私が感じたことなので、本当のことはわからない。また、確かめるすべももうない。ただ、同じような印象を、何人かの友人も感じていたので、それほど的外れな見解ではなさそうだ。
そんな彼が逝ったとの連絡をもらった。自殺だった。
まだ若い彼が、なんで自殺という方法を選んだのかはわからない。自殺をする原因がまずわからない。遺書のようなものも残ってないという。
もっと早く気がついてやれば……と、彼と特に親しかった友人は悔し涙を流していた。理由もわからず残された人間が感じるのは、無限大の後悔だけだ。なぜこうなったか? という理由を自分の中で無限大に産み出し、受け入れてしまう。答えがないのだから、後悔の肥大化を止めることができない。
やっぱり自殺はきついぜ。
「もうめんどくさくなっちゃったら、死んじゃえばいいんじゃね? そう考えれば、このくそったれな世の中も、ちょっとは気楽に生きられると思うよ」
というメッセージがあった(そう私はとらえている)。
自分の生き死にについて真剣に考えていた時、この本のおかげで自分の中のモヤモヤした感情がすっと晴れていった感覚を覚えている。
生きる権利と死ぬ権利、表裏一体の2つの権利があるから、人は人でありえるのだと思ってた。いまでもそう思ってる。だから、積極的に肯定はできないが、彼が自殺という選択を選んだということだけは否定しないでおこうと思う。
それでも……だ。
私自身も何か増田では,クソ自尊心の高い高慢ちきな輩にとらえられているようですが,友人からの評価では非常にネガティブで(どうでもいい人から)失礼な事をされても決して怒らないなんて評価だったりもします.
ネガティブ非コミュに限って異常にプライドが高いなんてのは良くある話。
ていうか、その高すぎるプライドを守るためにネガティブかつ非コミュになってるというのが普通。
そしてそういうケースでは本人はプライドの高さを認識してない。
認識するということは自分と向き合うということで、その行為自体が自尊心を傷つけることとなり、矛盾が発生するため。
肥大化したプライドは他者からの承認では満たされず(無条件で何でも承認してくれるのはカアチャンくらい)、鬱屈して澱のようにたまっていき、性格を捻じ曲げさせる結果、他者承認はさらに得づらくなるという負のフィードバック・ループが完成するという寸法。
なんか、世の中には、新社会人向けのいろいろなエントリが出ていますが、アレ書いてるやつの何人が「新入社員」を何回やってきたのか? と疑問に思う増田です。
そこで、非コミュでありながら、2回の新人指導を経て3回目の新入社員に突入した増田が本当に必要で大切なことを伝えたいと思います。
上官の命令は天皇陛下の命令だ。よくいるバカどもは、間違っていると思うことは間違っていると言えなどと言うかもしれんが、新入社員であるお前はそんなことはする必要ない。
そして、ほとんどの場合、上司や先輩はカラスが白いなどとは言わないから、とりあえず信じておけ。最悪だれかに文句を言われても「~さんに言われて…」と言えば問題ない。見解の相違はどこにでもあるが、おおむねどうでもいいつまらないことなので、先輩、上司の言う通りにしておけば万事問題なし。
2.誰もお前に期待などしていない
そりゃあ、期待の新人とかリップサービスをする人はいるが、絶対に真に受けるな。確かに、一年後、二年後に戦力として実用的に使えることぐらいは期待してるかもしれないが、そんなのは代替の効く歯車に過ぎない。お前は組織の歯車だ、誰も期待してないから安心して適当に言われたことをこなせばよい。
3.返事は「はい」か「イエス」しかない
職場においての返事は「はい」か「イエス」しかない。お前に拒否権などないのだ。何か仕事が可能かと聞かれれば「はい」と答えればよい。おおむね、お前ができる程度のことしかやらせないはずだ。ただし、それでもダメになりそうならば、ダメになる前に相談しておけ。問題が肥大化する前に投げろ。
あと、間違っていると思っても返事は「はい」か「イエス」だ。お前の意見など誰も聞きたくない。
4.同じことを二度も三度も聞いていい
同じことを二度も聞くな、と言われるかもしれないが、そんなことを気にするのは神経質なやつだけだ。ほとんどのやつはどうでもいい質問をされたかされていないかなど覚えていない。まぁ、あんまりしつこいと微妙だからメモぐらいはしておいたほうが良いことが多いとは思うが。
5.プライドなど捨てろ
頭を下げるだけならタダだ。謝罪の言葉はただの音波だ。謝ってすむなら、さっさと謝ってしまえ。いくら自分が正しいと思っても突っ張ろうなんて思うな。自分が間違っていると言ってしまえ。ただし、念のため自分はこう言ったというような、アリバイ作りはしておいてもよいかもしれない。
頭下げるだけで金になるなら、こんなにおいしいことはないはずだ。
6.客の方向を向くな、上司(先輩)の方向を向け。
時に、あきらかに客のためにならないこと、技術的に間違ったことに出くわすこともあるだろう。しかし、それは全力で目をつぶらなければならない。それを正しいと思ってやってきた人や歴史があるのだ。自分の考えが間違っていたと修正すべきである、自分の考えを変えることは他人の考えを変えるより百倍も容易である。
7.適当にやれ
上司や先輩に命ぜられたことで忙しくもなるだろうが、適当にやれ。がんばりすぎても体か精神をぶっ壊すだけだ。とはいえ、新人であるお前は手の抜きどころを知らないだろう。だが、仕事程度のことで根をつめずに適当にやれ。何か問題があっても、誰かがフォローしてくれるはずだ。
8.あきらめろ
仕事が無理ならあきらめて問題なし。誰かが何とかしてくれる。先輩や上司はしりぬぐいのために存在している。最悪なのは問題を大きくすることだ。ダメそうならさっさと諦めて先輩に投げるべし。そもそも、お前のようなクズ新入社員はできなくて当然なのだ。それなのにまかせた上司や先輩が悪い。
自分の才能や正義や感情などという下らないものをすべてあきらめろ。とにかく、あらゆるものをあきらめてあきらめてあきらめなければ仕事などできない。
http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0082npjj00260_000000000000000001.html
今31歳。端くれながらゲーム業界にいます。オリジナルが出たときは19歳。歳取ったなーと実感。
バー(お酒を出すお店)が普通にあるはともかく、売春や性風俗を連想させるイベントが連発。
うちの会社だとCEROのレーティング気にして制作者側からこういう演出やりたいっていう希望自体が出てこないなーと。
・「有限エネルギー活用技術をバックに肥大化した私企業」vs「環境テロリスト」っていう物語の柱が、
もうなんか2週ぐらいしちゃってる感じがしてムズムズした気持ちになる。これは時代のせいか?俺の12年分か?
・ボス戦の手前にセーブポイントが無い。且つ突然ボス戦が始まっても全然困らない難易度。流石。
・「武器にスキルをセットする」「そのスキルが成長する」っていうマテリアシステムは
もの凄く面白かったっていう記憶があったのだけれども、今もう一度やってみると結構タルイ。
「マテリアの成長」→「戦闘へのフィードバック」が思った以上に薄味な印象なんだなぁと。
もっとがんがん成長してスキルが増えてたまに突然変異するぐらいが今の味付けなんだろうな。
・戦闘の難易度、獲得出来る経験値とお金のバランス的に、サクサクストーリーを追う事ができる
バランスにしてあるのは羨ましい(それだけストーリー的な演出に予算が投入出来ているという事)。
ちなみに、男は50代まで頭蓋骨が成長するという研究結果がある
とどこぞの増田が言ってたものだからハイ?と思って調べてみたら「筋トレなどをして男性ホルモン過多になると頭蓋骨が肥大化する」という話がhitしたんだけど。
「論理馬鹿になると頭がでかくなる」って話と照らし合わせてみると電波ちゃんの思い込みと真逆なんじゃないかと思った。
なんでも
↓
頭皮が突っ張る
↓
hageる
という話らしい。
しかし調べてる途中、ハゲズラ板のスレが引っ掛かりまくっている中に例の増田が含まれててワラタ。
あと50代でなおトライアスロンに参加している知り合いも薄い。足とかすっげムキムキなの。
薄毛否定はしないよ。
薄毛でも変に取り繕ってるわけでなくきちんと手入れしてあると色気が有ると思うし。
土芥寇讐
孟子・離婁篇下に、"君之視臣如土芥 則臣視君如寇讐"とある。
君が土やごみのごときに臣を視れば、すなわち、臣はかたきのごときに君を視ると読む。
人の上に立つという事は、自分の身代わりに尻尾として切り捨てられる人を作る事でも、自分を支えてくれる人を集めるという事でもない。わざわざ人を束ねてまでして、やらなければならない事をやる為に、人を集め、人の上に立つのである。そうでなければ、臣を軽んじ土芥の如くに見るようになり、君臣の関係は消滅してしまう。
大義を持ち人を束ねる者を君と呼び、大義に沿って働く者を臣と呼ぶ。大義を持たずに人を束ねる人を賊と言い、上下の関係は禽獣と同じで力の差しか無いとなる。
まともな人ならば、一度でもそれをやったり、それをやった顛末についての記録が歴代当主の日記など(cf.[2003.7.26])で残っていたりすれば、一族郎党の生存の為などの切羽詰った状態でなければ、それをやろうとはしない。だが、全ての人間がそういう教育を受けているわけでもないし、受けられるわけでもない。偉くなりたいという思い込みだけで突っ走る人も存在する。
戦後の平等教育においては、人を組織するのは秩序の為であり、契約によってのみ雇用関係は存在するとされ、主従関係は否定された。仕えるとか供するといった概念が否定されたのである。その状態で、わざわざ人を束ねてまでしてやらなければならないような事というのは、存在しない。束ねようにも、そこにあるのは契約された関係だけとなり、人を束ねてまでしてやらなければならない事に、正義や道理や誠といったモノは必要ないとされてしまった。つまり、大義が果たされてしまうと、その後は、契約を守る事だけが必要とされ、その手段は、組織の実存によって正当化される。官僚機構の肥大化や、資本と宣伝の力を利用して先行者が切り開いた市場を根こそぎにして利益を追求するといった企業の巨大化は、この理屈の実体化である。
雇用契約を守る為に利益を上げる事や、雇用契約を有利にする事が実績とされる状況では、組織の存続の為にあらゆる行為が正当化される状態となり、歯止めがなくなる。
生存する為だけならば田んぼや畑を耕していれば良いという人を、組織して働かせるには大義が必要であり、それを持ち、人に訴えられる人が頭領となるのに比べ、生活の為に賃金を稼がなければならず、労働力を切り売りするしかない労働者を契約だけで集めた組織は、大義など必要としない。それだけに暴走しやすい。そういった組織のトップは、その組織が社会に対してどのような存在になるべきかの、明確な意思を持っていなければならない。烏合の衆の風見鶏に過ぎないのであれば有害であるし、労働者に階層をつけ、派遣は低賃金で使い捨て等とやっているのでは、害毒でしかない。
社会が平等であることは良い事ではあるが、無能な凡人の拡大再生産になりやすく、しかも、凡人の組織が巨大化してしまうと、組織の存続の為に周囲に迷惑を振りまくようになる。
大義を果たした後に、新しい大義を思いつけず、しかも、解散もできない組織が、見苦しくのた打ち回った挙句に自壊する時に、どれほど社会に迷惑をかけるかを考えなければならない。
功よりも罪の方が人の記憶には残り易いものである。
「痔」って聞くと、なんとなくギャグっぽい感じがします。
今までは正直、侮ってましたが、実際は地味ぃーにキツいんですね、痔って。
全然ギャグとかじゃありません、笑えませんよ、ちっとも。
私は今のところ出血しないタイプの痔なのですが、
気を抜くと(というか抜かなくても)、こう、みょるっと出てきちゃうんです。
粘膜的というか、腸壁的なナニカが。
立ってたり中腰だったりするともうダメです。
確実に、*から、ヤツが、「こんにちは!」って出てきます。
呼んでねーよ引っ込んでろと言いたいところですが、
言ってもしょうがないので実力行使で対処します。
*←押し込め!!!
いや、押し込むてなによ…、とか思った方もおられると思います。
ですが、そうでもしないと、ずーーっと地味に痛いのです。
そのうえ、腫れます。
たぶんちょっとグロいです。
直接見たことはありませんが。
腫れた状態でさらに放置すると、
場合によっては粘液的なナニカで下着が汚れることもあり、
ますます気が抜けません。
ヤツが顔(?)を出したら迅速にトイレへ行かねばなりません。
首尾よくトイレの個室で処置しても、
どうしようもないループに陥ることもあります。
そんなこんなで、
仕事中も違和感で集中できないし、ジョギングも出来ないし、外出も辛いし。
症状的にはまだ軽度だと思いますが、それでもホント勘弁して欲しいですね。
ほんとはすぐに医者に行くべきなんだろうけど、
なんかこう、行きづらいんですよね…肛門科…。
当分はボラギノールで応急処置をしながら過ごす日々が続きそうです。
これを読んでくれた、痔を患ってる方へ。
お疲れ様です。お互いがんばりましょう。
これを読んでくれた、痔を患っていない方へ。
妙に動きが鈍かったり、よくトイレに行く同僚がいたら、
その人は痔かもしれません。
もし仮にそうだとわかっても、
本人的には地味にしんどい思いをしているはずです。
どうか笑わないであげてください。
コミュニケーション能力に致命的な欠陥があって、他人(同性・異性)とまともにコミュニケートできずに大人になったため、知識や理想像が中学生で停止したまま自意識だけが肥大化しちゃったかわいそうな大人だと予想する。
あのブッシュがたった一人でアメリカをぶっ潰すという八面六臂の大活躍を見せてくれたおかげで、我々はかつて望んでいた「戦争」を避けながらすべてを再構築する機会を得た。
経済的にも、軍事的にもあの国を信頼しなくなった。
オバマ新大統領には、就任演説でアメリカのデフォルト宣言をすることを期待する。
我々の生活は、ミクロ的には悲惨なものだが、マクロ的には第二次大戦直後のように希望に溢れている。
むしろ「希望以外が何も残らなくなる」と言ってもいい。
買いたいものがある人は買えばいい。ない人は買わなければいい。
人々のその自然な選択の結果、仮に自動車会社が全滅したのならば、それははじめから見栄でしか買われていなかった商品だったということだ。
きっと来年は、今の段階では潰れることが想像できないようなあらゆる大企業も潰れることになるだろう。
可能ならば、国も。
自己の肥大化だけを求める無意味なグローバル化が終焉しますように。
世界がもっと分散されますように。(分断ではない)
どうせ人間なんて、3人以上集まったらロクなことしないのだから。
消したようなのでバックアップしておく。
http://anond.hatelabo.jp/20081216205541
僕の周りにいる人間はみんな馬鹿でして、ああこいつなんて頭が悪いんだと思ったことは数知れず、いや、数はどうでもよいのですが、僕が人を見下すことにかけてずば抜けた才能を持ち合わせているのかについて多少書いておこうかと。
小学校に入学したときから卒業するまで、ずっと「今学期先生にクラスみんなの前で名指しで何回褒められたか」を数えることを欠かしませんでした。授業中積極的に手を上げた、1回、進んでクラス委員を引き受けた、1回、今学期は12回だったので前より減ってしまったな、とこのような調子でした。クラスみんなの前でというのが大切な条件であり、例えば班を組んでいる中で褒められたものは数に含めません。どのように振舞えば先生に褒められるか考え、意図した行動で褒められればよしやったという気分になりました。3年生と4年生のときには、帰りの会でその日のクラスメイトの善行を褒め非のある行いを諌める制度がありまして、そこでもできるだけ僕の名前が出るよう、音楽の時間には楽譜の読めないクラスメイトのために楽譜にカタカナのド・レ・ミを振ってやったり、給食係の後片付けを手伝ったり、分度器を2セット持ってきて忘れたクラスメイトに貸し与えたりと、さまざまな恩を振りまいていました。恩のパターンを増やしてできるだけクラスメイトが僕を褒めやすくするよう気をつけ、また適度に僕もクラスメイトのよかったところを褒め、褒められてばかりの状況にしないよう気をつけました。おかげで先生の僕に対する心証はすこぶるよろしく、三者面談ではクラスの中心になってよく頑張っていると必ず褒められ、毎学期の通信簿も上々の出来でした。いや、さすがに小学生の僕でも意図してここまで厭らしく点数稼ぎを行っていたわけではなく、どのような振る舞いをすればよく見られるのかということを意識しないまでも身体に染み付け、そう振舞うように僕は自律していたのでありました。
僕が勉強しなくてもよい成績を取れることに気がついたのは中学生の時分でありまして、テスト前に1週間くらい勉強すれば普段はなにもしなくても簡単に高順位が取れる、勉強時間では周りの生徒より少なかったかもしれません。そのころは親や先生や友人にちやほやされて気をよくしていたものですが、高校に入ってからは同じやり方で学年トップが取れるようになりまして、周りの皆様は僕のことをさらに頭がよいとみなすようになったものですから、すっかり天狗になってしまい、それと同時に頭がよいことは僕のアイデンティティであり触れえざる自尊心のよりどころとなりました。これで周りの人間と普通に接することができれば僕は普通の秀才君になれたのですが、元より卑しい性根の持ち主ですから、必死に勉強して自分より成績の劣る生徒を見下すことに快楽を覚えるようになって、それでもその卑しい性根を表面に出さなければまったく問題のないことなのですけれど、そんなことできるわけもなく、勉強の話になるとどうしても自分を売りたくなってしまいます。河合塾の模試で全国20位くらいになったときが絶頂期でした。教壇の前で先生から模試結果と図書券をもらった日には、一日中にこにこと気色の悪い笑みを浮かべ、友人が僕に模試の話題を振ることをまだかまだかと期待していたのでした。そんなことをしながら僕は自尊心をさらに肥大化させるのですが、臆病な自尊心と尊大な羞恥心といったところでしょうか、恥をかかされることを極度に恐れ、周りもそれは察していたようで何か壊れやすいガラス細工の置物のように僕を扱うようになりました。
それなりによい成績を維持し続けることができたので、大学も難関と呼ばれるところに合格し晴れて入学、さあ知の世界とやらにはどんな人間が集まるのかと期待していたものの、1年くらいたつと、あれっ、どうも違う、こいつらは自分と同じくらいの学力のはずなのにどうにも頭が悪いらしいと感じるようになりまして、そうなるとさあ持ち前の腐った性根の出番だ、友人との会話にちょっと難しい言い回しを使ってみたり、アーレントだとかフーコーだとか少しかじっただけの知識をべらべら披露してみたり、そうすると友人は僕のことを頭がいいと尊敬するようになるので、僕の悪癖は余計に拍車がかかるのでした。小難しい言い方をするやつは頭がいいと見せかけたいだけで本当は馬鹿だなんてよく言われますが、これは案外あたっているような気がします。
大学生はみなTOEICを受けるというので僕も受けてみところ、1回目は何も対策を採らずに740点くらい、世間では皆様が730点を突破するのに必死こいているのに僕は易々と通過してしまい、2回目は3日勉強して830点くらい、何だ簡単ではないか、TOEICが難しいといっている連中は馬鹿ではないのかなどと今でも思っているのですが、とにかく程ほどの得点が取れたのでTOEICには飽きてしまいました。TOEIC830点なんて何のことはない、実はTOEICで流れてくる英語が聞き取れるだけで、普通の英語は英会話教室の教師のようにゆっくり話してもらわないと聞き取れませんし、会話などできるわけもなく、外国人の教官に質問するときはあらかじめ質問文と対応を考えておいてそれをそのまま述べるという情けない有様でした。それでいてリスニングやスピーキングの特訓をして英語力をつけようともしないのです。なぜならばれて恥をかく心配がほとんどないから。己が羞恥心それだけが汚されないために勉強してきた人間なのです。そのような恐れがなければ当然努力するはずもありません。
僕の怠惰な性格はとうとう大学へ通うことすら妨げるようになりました。と、ここで疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。「大学へ行かないで引きこもるのは恥ではないのか?」そこは舌先三寸、まず「自殺したい」と言って心療内科にかかって抗鬱剤などを処方してもらい、家族や教官に「鬱になった。医者に薬を出してもらった」などと言えば、大概は「無理をしてはいけない、しばらく休むといい」と心配してもらえます。最近はこのように鬱でもないのに医者にかかって「自分は鬱だ」と言い訳をする人が増えているらしいのですが、自分の両親は落ち込んだ表情と声色を使って「鬱で死にたくなった」と言っておけば簡単に信じ込むことは心得ておりましたので、当初の見込みどおりに鬱を装い実家へ帰省、こうして日本にまた一人のニートが誕生したのでありました。いや、人を騙すのは簡単だ、両親が二人とも馬鹿でよかったと、そんなことをたまに考えることがあります。
未だに僕の邪悪な性根、穢れた精神は誰にも知られておらず、嫌味なやつと思われることはあってもここまで腐りきっていることは誰も想像できないでしょう。裏表のある人なんてのはかわいいもので、外見は変哲もない人間、中を見たら中はダニ、ゴキブリ、ハエ、蟲、蟲、蟲、糞便、尿、吐瀉物、血液、汚泥、悪臭、ありとあらゆる汚物が満ち満ちており、誰も想像しえぬほどの穢れた、醜く、忌まわしき、獣の、ああ、言葉では言い尽くせないほどの本性を僕が隠し持っていると考えるだけでも、気持ち悪い、殺したい、殺したい、殺したい、なんとかしないと。
鏡で自分の顔をずっと見つめていると段々おかしな気分になってきて、鏡に写っているのは本当に自分の顔なのか、実はそうでもないような気がしてきて、そんなはずはないのだけれど、物理法則は絶対のはずなのだけれど、頭の中が掻き回される感触、ぐるぐる、ああ気持ち悪い、見ていると吐き気がする。
少し落ち着きました。ついでにネット上での活動も懺悔ついでに書いておきましょう。一丁前にウェブサイトやブログも運営しておりまして、そこでもまた例のごとく、どこかで聞きかじった知識をつぎはぎしてさも自分で考え出した理論であるかのように雄弁を、そうネット上では雄弁をもって披露していました。それらしいことが書いてあるので馬鹿がどんどんブクマしてくる、まともな人が見れば「これはひどい」タグをつけるところでしょうが、若干のアカデミズムをちらつかせておけば文盲を引き付けることは十分容易いのです。「こいつら本格的に馬鹿だなあ、これでネットリテラシーとか言ってたりするのかなあ(笑)」などと思いながら、一方では人がたくさんいる掲示板を首尾よく荒らす方策などを練っていたり、はてなにいくつかアカウントをつくって気に入らない記事にネガコメ攻勢をかけるなど、裏ではネットの荒れ模様を作り出すことに労力を費やしていました。2ちゃんねるで6年くらい続いていたスレッドを糞スレ化することに成功したときは快感でした。FAQに載っているような質問をパターンを変えてしつこく繰り返す、自分で投稿した質問に対して「テンプレ読め、ぼけ」などの煽りを入れるとたいてい誰かが加わってくれます。自作自演と見破られないように手を変えながら同じことを、徐々に間隔を詰めて繰り返し、返答の煽り具合も過激にしてゆけば、次第に通常の質問でも荒れ出しついに人がいなくなってしまうという手法でした。かなりたくさんの人数を操作できたので非常に満足しました。よもやあの○○さんがこんなことをしているとは思わないだろう、あはははは。
ネットは僕の本性を活かすには恰好の舞台でありました。リアルな僕の存在を知られる可能性は警察沙汰にならなければ限りなく0に近いので、僕は本性に従った行動をほぼ無制約に起こすことができ、それは大変素晴らしい所でした。甘美。エクスタシー。こんな馬鹿げた駄文も匿名でなければ流すことはできないわけでありまして。
人間はみな、かくも恐ろしき二面性を持ち合わせているのでしょうか。僕はいつからか自分の本性に薄々感づいていましたが、自分の内面を覗いてみたついさっきはっきりそれを自覚したため、言葉にして綴ってみたら気持ちの悪い感覚が離れず、自分の身体の中はどうなっているのだろうか、本当に筋肉があって臓器があって人間の身体なのだろうか、皮膚を切ってみたら肉は少し見えたけれどバラバラにしないと本当のことはわかりそうにないので、しかし自分でバラバラにして自分の目で中を見るような器用な技は持っておらず、諦めるしかないのかなあ。考えれば考えるほど、螺旋の階段を下りるように、闇の底へ、もう戻れない、何もないのか、いつまで続くんだこれは。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88
元々ポータルとは、港(port)から派生した言葉で、門や入口を表し、特に豪華な堂々とした門に使われた言葉である。このことから、ウェブにアクセスするために、様々なコンテンツを有する、巨大なサイトをポータルサイトというようになった。入口、玄関という意味でエントランス(entrance) を使わなかったのは、ポータルには「豪華、堂々とした」という意味合いが強かったためと思われる。
ポータルサイトは、検索エンジン、ウェブディレクトリ、ニュース、オンライン辞書、オークションなどのサービスを提供し、利用者の便宜を図っている。
ポータルサイトのビジネスモデルは、サイトの集客力を生かして広告や有料コンテンツで収入を得ることである。1996年以降のインターネットブームに乗じて、多くのポータルサイトが乱立したが、徐々に統廃合が進んでいる。
初期のポータルサイトは自前で検索エンジンやウェブディレクトリを運用していたが、情報の肥大化に対応しきれずアウトソーシングが多くなった。
生き残りをかけて、特定の地域サービスに特化した地域ポータルサイトや、インターネットサービスプロバイダ(プロバイダ)のサービス情報サイト、育児、環境、オルタナティブカルチャー、音楽、女性の生き方などにテーマを絞ったポータルサイトもある。不特定多数のアクセスがあるだけに、こうしたポータルサイトにアダルト情報を持ち込むことの是非を問う意見もある。
近年ポータルサイトから派生した、企業「ポータル」が関心を高めている。企業に散らばっている様々なデータや情報を効率的に探したり利用するためにパソコンの画面上にこれら情報やアプリケーションをポートレットとして集約表示する技術がでてきた。画面は利用者の要求によって自由にレイアウトを変更でき、例えば社長用の画面、部長用の画面、営業用の画面、技術者用の画面など、それぞれの職種・役割に応じた最適画面を作ることが出来る。代表的な「ポータル」製品としては、IBMのWebSphere PortalやMicrosoftのMicrosoft SharePointなどがある。
http://e-words.jp/w/E3839DE383BCE382BFE383ABE382B5E382A4E38388.html
インターネットの入り口となる巨大なWebサイト。検索エンジンやリンク集を核として、ニュースや株価などの情報提供サービス、ブラウザから利用できるWebメールサービス、電子掲示板、チャットなど、ユーザがインターネットで必要とする機能をすべて無料で提供して利用者数を増やし、広告や電子商取引仲介サービスなどで収入を得るサイトのことをいう。Yahoo!やExcite、Infoseek、Lycos、gooなどの検索エンジン系のサイトや、Netscape Communications社やMicrosoft社などのWebブラウザメーカーのサイト、AOLやリクルート、Walt Disneyなどのコンテンツプロバイダのサイト、So-netやBIGLOBE、ニフティなどのネットワークプロバイダのサイトなどがそれぞれ強みを生かしながら激しい競争を繰り広げている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DD%A1%BC%A5%BF%A5%EB%A5%B5%A5%A4%A5%C8
portal site
番組的には簡単な表現のほうが良かったんじゃ?
そういや先週だかのモーニングに載ってた、「東大卒の内弁慶」の話。あれって俺そのものだと強く思った。
見てない人に概説すると「転職コンサルタントのもとに訪れた東大卒のサラリーマンは、最近会った人間を問われて同級生ばかりを挙げる。ベテランのコンサルタントはそれを指摘して曰く『同級生ばかりと会ったり食事したりしているのは、仲間内で安心したいだけの内弁慶。なんの成長も得られない、そのままでは埋没するばかりだ』さて東大卒サラリーマンにどうアドバイスする?」ってな感じ。
いったいどうすればいいんだろう。いやそれは愚問だ。答えはひとつしかない。ところが自分の内弁慶っぷりと、人見知りとその他もろもろの性格はたたきなおさない限り直りそうも無いし、叩きなおせるほどの根性がない。肥大化するばかりのプライドを守りたくて、必死で叩きなおされる機会から逃げてるとかそんな感じ。その間にもすごい勢いで同級生や下級生に抜かされていってるのが目に見える。
何の成長もないまま、明日もあさっても卒業も人生の終わりも迎えてしまうんだろうな、このままでは。卒業の前に人生終わってるかもしれないけど。