知り合ったのは2年ぐらい前、とあるバイクのOFF会で知り合った。知り合ったとはいっても、名前も住んでいるところも知らない。わかっているのは、乗っているバイクと好きなバイクの好みぐらいだった。
OFF会ではそれほど積極的に絡むことはなく、挨拶して世間話をする程度。回りを気にしながら話す様子に、線の細さと、自分の深いところには踏み込んで欲しくないという意志を感じた。
これは一方的に私が感じたことなので、本当のことはわからない。また、確かめるすべももうない。ただ、同じような印象を、何人かの友人も感じていたので、それほど的外れな見解ではなさそうだ。
そんな彼が逝ったとの連絡をもらった。自殺だった。
まだ若い彼が、なんで自殺という方法を選んだのかはわからない。自殺をする原因がまずわからない。遺書のようなものも残ってないという。
もっと早く気がついてやれば……と、彼と特に親しかった友人は悔し涙を流していた。理由もわからず残された人間が感じるのは、無限大の後悔だけだ。なぜこうなったか? という理由を自分の中で無限大に産み出し、受け入れてしまう。答えがないのだから、後悔の肥大化を止めることができない。
やっぱり自殺はきついぜ。
「もうめんどくさくなっちゃったら、死んじゃえばいいんじゃね? そう考えれば、このくそったれな世の中も、ちょっとは気楽に生きられると思うよ」
というメッセージがあった(そう私はとらえている)。
自分の生き死にについて真剣に考えていた時、この本のおかげで自分の中のモヤモヤした感情がすっと晴れていった感覚を覚えている。
生きる権利と死ぬ権利、表裏一体の2つの権利があるから、人は人でありえるのだと思ってた。いまでもそう思ってる。だから、積極的に肯定はできないが、彼が自殺という選択を選んだということだけは否定しないでおこうと思う。
それでも……だ。
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