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はてなキーワード: 肥大化とは

2008-08-11

恋愛至上主義っていうけど、恋愛は主義とかいう問題じゃないですから

結局さー、人間動物じゃん?

動物ってさー、種類にもよるかもしれんけどつがいを作るべ、つがいをよ。

それって、主義とかじゃないべ。

俺にとってあの木の実ついばむほうが価値あるし、つがいなんてつくってらんねーよ。

とか、そういう鳥いねーべ。いや、いるかもしれないけど、いたとしてもそれは明らかに「おかしな鳥」だろ。

恋愛商業主義がからんでくるのは俺もうぜーというか、なんだかなーというか、思うよ。うん、思う。

でも、恋愛ってデフォだろ。恋愛しないやつは、動物として機能不全だろ。

いや、動物である必要ないっていうなら、俺はぐうのねも出ないけどね、うん。

人間だから理性がどうとかって言われても、俺はぐうのねも出ないけどね、うん。そんだけどうでもいい話。

あとさ、巨乳より貧乳が好きってやつも、動物として機能不全だしね。

だってよー、類人猿のメスって繁殖可能になると女性器が腫れるべ。肥大化つったほうがいいのか。

それがでかけりゃでかいほど、オスへのアピール力が高いんだよ。私はもう子供を作れますよって、アピールしてるわけなのよ。

でも人間は二足歩行だからよ。ほら、まんこ腫れたら歩けねーじゃん?

だからかわりに胸が腫れるわけよ[要出典]

だから、チチのでかさと乳の出の良さは別問題っつーこと。ボインサルもいねーべ?

そいういうことだからさ、貧乳好きは動物としてどうかしてんだよ。俺も好きだけどよ。

でも、恋愛するよ。つがいがいないと、なんか寂しくなるよ。

で、結局何がいいたいかというと、動物としてどうかしてる人って、病気なんじゃないかってこと。

いや、病んでるっていうとなんだけどさ、ほら、○○障害とか、そういう類。

医学的にまだ認知されてないだけでさ、なんかあるじゃないかなぁ。

だってさ、きれいじゃないオスを好むメスの孔雀がいたらさ、動物学者はぜったい脳とか輪切りにして調べるでしょ。よくわからんけど。

だから、生殖能力のない年端もいかぬ女性性的対象としてみちゃったり、巨乳より貧乳が好きだったり、恋愛とかいらないと考える人って、どっかおかしいんだよ。


でもさ、不自然まんこ肥大化したサルがいたら、さすがのオスザルも、「そりゃねーわ」とか思うと思うのね。

だから、シリコン胸はふつうに拒否っていいと思う。

2008-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20080805210241

金がないというより欲望が肥大化しすぎてるだけ。日本より貧乏出生率の高い国なんかうじゃうじゃある。文化が違うとかいうかも知れないけど、今よりはるかに貧しい昔の日本のほうが出生率高い。

有名私立学校に入れて、塾や習い事も生かせて、ブランド物の服着せて、パソコン携帯もたせて、テレビエアコンベッドつきの個室もつくって、週末は必ず外食旅行に連れて行って、小遣いも毎月何万あげれる金を用意できるなきゃ生みませんとか言う人まで面倒見切れんでしょ。いややりたいなら勝手に支援してあげれば良いと思うが、個人的な感情としては自分の子供にすらそこまでカネすら使ってないのに赤の他人にやる気にはならない。

2008-07-09

オタク現実の問題について考えるとき・語るときの注意点

※友人がオタクについて語った文章が面白かったので、許可を得て増田転載

 以下、友人の弁。

オタク現実の問題について考えるとき・語るときに陥らないよう注意すべき点として、オタクのなかに強く見られる論理と心理の問題を以下に例示する。

これはべつにオタクじゃなくても当てはまるだろうという指摘があるとすればそれはその通りだが、ここで対象オタクに限定したのは、筆者自身がいわゆるオタクであり、オタクのなかに見られる論理と心理について、ほかの集団のそれについてよりもよく見知っているという理由による。したがってここで例示したものは、あくまでそれがオタクにおいて比較的傾向的に強く見られるという筆者の観察に基づいている。

カッコイイズム

「カッコイイ」ものに対する素朴なあこがれと肯定の心理。ここで言う「カッコイイ」ものとは、たとえば、強さ、正義純粋さなど、ヒーローものやロボットアニメなどに典型的に表されている価値観。こうした「カッコイイ」という観念は、具体的な作品を通して、実体的なものと結びついている場合が少なくない。典型的には武器・兵器との結びつき。強さへのあこがれと肯定が武器・兵器へのあこがれと肯定になって表れる。とくに男性オタクの場合、幼少期の経験によって、こうした素朴な心理がほとんど所与のものとなっている場合が多い。

こうした心理が現実の問題に適用された場合、非妥協的で一方的な強硬論の主張として表現されることになる(ヒーローはその純粋さと強さでもって有無を言わさず正義を実現する!)。たとえば、オタクが対北朝鮮問題について一方的な強硬論を唱えたり、日本安全保障について軍拡論(さらには核武装論)を唱えたりする場合、その中には素朴なカッコイイズムの心理(しかも軍事力と結びついた軍事カッコイイズム)が混入していることが少なくない。もっと穏やかな形では、「あんなヤツやっつけちゃえよ」といった言説。自分だけの単純・素朴な心理(しかもしばしば暴力と結びついている)だけでもって複雑な現実を捉え解決しようとする点で非常に問題。

善悪二元論……敵の悪魔化と味方の無謬

正義と悪の戦いというものの見方。典型的ヒーローものの論理

敵=悪玉の論理。相手が何か一つでも悪事をはたらけば、事の大小も問わず、責任限界も取り払って、相手を邪知暴虐な悪の枢軸にしてしまう。相手のすべての行動が邪悪な行動とされ、相手は邪悪なことなら何でも企みうるし、なし得るとされる。敵の悪魔化・万能化。行動が悪なのは人格が悪だからという論理、悪の人格からは悪の行動しか出てこないという論理。さらには、その悪に関係する人、組織、集団や、悪を擁護するものも一律に悪とされる。悪の肥大化

これと対照的な形で善玉の論理が出てくる。上記のような巨悪を批判・非難する側はつねに正義であり、悪を殲滅するまで徹底的に攻撃を加えるべきだとする論理。結果として、邪知暴虐な悪との対決にはあらゆる手段が用いられ、往々にして敵よりも残酷で非道な手段を用いることも少なくないが、そうした手段は目的の「正しさ」によって正当化される。敵が悪魔化されたのとは対照的に、味方は無謬化される。宗教戦争典型的に見られる正戦論の論理

こうした論理現実に適用されている例は枚挙にいとまがない。犯罪者バッシング不祥事バッシングのほとんどがこうした論理によって展開されている。

現実はもっと複雑であり、善悪二元論で割り切れるものではないということ。善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるわけではなく、しばしばその逆であるということ。仮に犯罪不祥事があったとしても、その事実ありのままに観察して論じること。特定の人格、集団、組織にすべての悪を引き受けさせるのは現実的なものの見方ではない。悪をなした側には悪をなした側なりの論理や心理がありうる(一応、オタク文化にもそうした側面に配慮した例外的な作品はある。『逆シャア』など)。単に人格的なレヴェルの問題だけでなく、構造的なレヴェルでの問題を見ること。そうした現実の複雑さに耐えきれず、問題を最初からすべて善悪二元論の鋳型に流し込んでしまうのは、宗教家デマゴーグの方法。

問題の人格

肯定・否定問わず、あらゆる対象を大小さまざまに人格化・キャラ化する論理

これが現実に適用されると、典型的には民族国家人格化するようなことが起こる。さいきんでは『ヘタリア』の例。人格化された対象はある一定の本質を持っているように描かれ、ステレオタイプが促進される。

さらに、人格化された対象が実在の特定人格と結びつく傾向もある。たとえば、日韓関係小泉vs盧武鉉のような形で著しく人格化されて語られた。これを歴史観に反映すると特定の人物に歴史を仮託した英雄史観になり、現実政治に適用された場合には指導者待望論につながる。

感情移入と過度の思い入れ

対象感情的感傷的に没入する。対象と一体化した共感・同情。惚れた状態。マイナス面が見えなくなる。あばたもえくぼ

現実に適用された例としては、拉致被害者家族会に対する感情移入。「被害者家族はこんなにかわいそうなのに、どうして北朝鮮に譲歩するのだ」という主張。共感・同情・思い入れが唯一の原理になる。没入対象民族国家などの場合は排外的ナショナリズムになる。

主観主義・心情主義

主観的心情と客観的現実とを同一視。あるいは、客観的現実を無視。

典型的形態としては精神論。あきらめず努力すれば必ず夢は叶うという心情(ジャンプ的な少年マンガにも、少女マンガにも共通した心理)。

しかし現実は言うまでもなくもっと非情である。

観念的空想

観念的な空想をもとに話をしてしまう傾向。「あれは??に違いない」「これは??なのではないか」という、根拠の薄い空想や概念操作を前提として議論を展開する。

オタク的な想像力の源泉とも言えるが、現実の問題に適用された場合、「どうせ??だろう」といった非現実的な憶測・陰謀論や、「もしかしたら??かもしれない」といった希望的観測にしかならない。

拗ね者意識ルサンチマン

オタクがなお社会的弱者であるという現実から引き起こされる心理。潜在的にせよ顕在的にせよ、自分が疎外されているという意識

こうした疎外感や拗ね者意識オタク文化が閉鎖的土壌のもとで独自に発展する要因ともなったが、関心が外の現実に向けられた場合、マジョリティメインストリーム既得権益、さらにはほかの社会的弱者に対する引きずり降ろしの心理がはたらく。

また、社会的弱者であることを一種の免罪符としてあらゆる粗暴が肯定され(被抑圧状態の復讐)、ひとしきり気分よく暴れることで欲求不満を一時的に解消しようとする。

「正しさ」信仰による偏向

どこまでも「正しい事実」を追求する態度。オタク文化創作物のなかには「正しい公式設定」が存在しうるし、作品解釈をめぐってはそうした(しばしば枝葉末節に渡るほどの)「正しさ」が重要な論点となる場合がある。オタクパラノイア的側面。

しかし、現実世界においては「正しい公式設定」は存在しない。正しい見方、正しい歴史、正しい勢力は存在しない。あらゆることが論争の対象。「正しさ」だけをもって現実を語ることはできない。政府の「公式見解」が時として「正しい事実」に反することには異議を唱えなければならないが、一方でそれが時として「事実上」(de facto)通用するという現実意味も認めなければならない。現実の複雑で多様な側面に目を配る必要。一方だけの「正しい」主張しか知らないのはいかにも中途半端で偏向している。

中道、無関心への逃避

積極的な主張をするのではなく、むしろ中道や無関心を言うことで、現実の多様性とそこから要請される態度決定を忌避しようとする心理。「人それぞれ」という底なしの相対主義もこの系列

しかし中道や無関心も歴然とした1つの立場である。これを認識することが肝要。むしろこうした無自覚な中道派や無関心派は、普段から積極的に態度決定する訓練をしていないだけに、イザというとき冷静な判断ができないおそれがある。

議論ずらしと無責任

ネタ」「ベタ」「メタ」という形で議論のレヴェルをずらす傾向。オタクのスキゾ的側面。

空想や観念世界に思いをめぐらす議論ならともかく、現実について考える・論じるときにこれをやると、とんでもない無責任方言責任回避になる。

とくにネットのような場所では、万人が非常に気軽に意見表明できると同時に、その影響範囲はきわめて広範囲に及ぶ可能性があり、責任は思いのほか重大。他者に責任転嫁したり、「ネタだから」などとごまかすくらいならば、意見表明などしないほうがよい。


※投稿者としてはこの主張全てに同意するわけではないのだけど(例えば、一口に「オタク」と言っても、北朝鮮への一方的な強硬論や核武装を訴えるような軍オタにはそうそうお目に掛かれない)、こういう傾向は確かにあるかもしれないと感じる。これを見ているオタク増田諸兄はどう思われるでしょうか。

2007-05-16

グーグルに対抗する為、電通は貨幣を量産する

ネット広告周りで話題の日経ビジネス第2特集「電通が挑むメディア総力戦」を読んだ。

グーグルに負けない」という挑戦的なタイトルで、グーグルAdSenseに対抗するサイト配信型広告モデルを自社で始めるという内容。

グーグルアメリカテレビラジオ新聞雑誌といったマスメディアを取り込んでいることも意識している。

グーグルという会社によって、電通が変わろうとしている。

電通が動き出した今、日本という市場グーグルに勝ち目はあるのか。

15日の日経新聞15面に、電通がPeX(http://pex.jp/)に資本参画したという記事が出ている。

PeXは、ネットを介してポイント交換サービスを提供する会社だ。

その意図を推察するに、これはどうやら上記のグーグル対抗広告モデルに深く関連している模様。

以下の電通プレスリリースで、「オファー広告」なるものが発表されている。

http://www.dentsu.co.jp/business/teritory02/media/offer.pdf

これは平たく言えば、広告を見た人にポイントをあげるという仕組みで、更に人によって貰えるポイントを変えることができますよ、ということらしい。

広告を見た人にポイントをあげるという仕組みは、モバゲータウンhttp://www.mbga.jp/)や、

無料着うたサイトゴルゴンゾーラhttp://pc.zola.jp/)等、主要ケータイサイトが成功を収めている。

ケータイサイトポイントが自社が提供するコンテンツとの交換しか出来ないのに対し、

電通の「オファー広告」ではPeXのポイント交換の仕組みを利用して他各社のポイントとの交換が可能になる可能性が高い。

昨今ポイントや仮想通貨市場が交換システムにより通貨化していることを考えると、

事実上電通がこれをすることによって「広告を見れば金がもらえる」という仕組みが成り立つことになる。

広告を見れば、ポイントで様々な商品を買うことも、色々なサービスも受けられる。

電通は、貨幣をつくろうとしているわけだ。

電通がこの仕組みを完成させた時、グーグルはどうなるだろうか。

テレビ局新聞社出版社等の媒体社、それと電通が作るナショナルクライアントサイトにはAdSenseの代わりに電通広告モデル採用される。

グーグルAdSense分の収入(ほぼ半分)を失うことになるだろう。

こうなると、グーグルに残るのは検索連動型広告だ。

AdWords検索連動型広告は、検索サービスを持っているグーグルの強みで、電通にはなかなか真似できそうにない。

日経ビジネス電通は「最終的にはグーグルの取り扱いも電通が行いたい」というようなことを言っていた。

恐らくこれは、この部分を意識してのことだろう。

この部分をどうするかが、グーグルでの課題になるかもしれない。

もし電通グーグル提携できなかった場合、次はYahoo提携かなーという気もする。

Yahooとの提携というと、リクルートとか使うのかなぁ。

既得権益の肥大化、こわいなぁ。

追記:http://www.dentsu.co.jp/news/release/2007/pdf/2007019-0307.pdf

この辺りを見るに、電子マネー・仮想通貨ポイントあたりをまとめて、電通リクルートが全部持っていくつもりらしい。

リクルートが関与することで、リアル店舗電通ポイントを貨幣と同じように使うことが出来る。

リクルートポイント事業に絡むべきだとは常々思っていたが、こういう形で来たか。

自分で書いて本当に怖くなってきた。

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