はてなキーワード: いたる絵とは
エロゲの有名作品をいくつかやってみたけど、純文学や前衛的な現代文学とクロスオーバーを自覚的に試みているような作品は存在しないと思う。
文学的に頑張ってるエロゲ作品って海外のハードSFやハイファンタジー、日本のミステリの新本格(特に京極夏彦とか)等を美少女とのセックスや俺TUEE!系の中二病設定などの砂糖菓子でコーティングした劣化コピーという印象だった。
むしろ当時、文学に対して真面目でストイックなオタクはエロゲの作り手やユーザーを見下す傾向にあったと思う(故・伊藤計畫とか)エロゲのイラスト等ビジュアル方面にしてもハイエンド系に影響を受けた世代のhukeなんかは自身のブログで「エロゲからは絶対に影響を受けない」と拒絶の意思を表明していた。
そう言った事実から意識の高いオタクはハイエンド系ブームを支持し、エロゲブームは絵が理解できない低リテラシーなヌルいオタク達のなんちゃって選民思想表明で正解だと思う。
ただKeyのAirとかは文学的にポンコツで稚拙過ぎて逆にアンチ文学としてものすごい凄みを持ってしまった作品のような気がする(映画で言うと塚本晋也の初期作品のような)。
大多数は無垢で純粋な美少女が死ぬ単純明快な感動ポルノなプロットで泣きながらオナニーするような豚野郎だったと思うけれど、ヒロインの名台詞「永遠はあるよ」を始めとする要所要所の演出により稚拙ないたる絵のグラフィックを映し出すパソコンモニタの向こう側に永遠を見出してしまうナイーブな性格で高リテラシーなオタク層である沙村広明や西E田がいたのも事実だ。
もっとエロゲやオタク事情に詳しいKanose大先生あたりに余裕ぶっこいてないでさっさと当時のムーブメントの詳しい解説や反論をして欲しいですね。
http://blog.livedoor.jp/seki_fujiki/archives/248702.html
常々思っていることだけど、自分のブログに書くと炎上間違い無しなので、匿名ダイアリーで書くことにした。
例外も多いが、同人的に大ブレイクするにはある程度の条件がある。
絵が「微妙」なことだ。
あえて下●とは言わない
ファミコン版のファイアーエムブレムや、ときめきメモリアルの第一作の絵はかなり野暮ったいものだ。Keyの「いたる絵」は、最初見たときには目を疑った。To Heart もPC版の作画は当時のレベルからしてみてもさほど良くは無いはずだ。月姫が出たとき当時のTypeMoonの絵は、素人臭いというのが第一印象だ。
そういった、ビジュアル的な弱点を持ちながら、ゲームシステムやシナリオが秀逸であることが同人活動の盛り上がりに関係するという感覚がある。
突っ込みどころの少ないスキの無い絵柄は、同人のネタになりにくい。リーフでも「こみっくパーティー」あたりとなると絵に関してはクオリティ管理が安定してくるが、逆に狂ったようなブームになることもなかった。判子絵と揶揄される西又葵にせよ「べっかんこう」にせよ、ある程度のアベレージは常にクリアしている。大槍葦人あたりになると、カユいところからパンツの中まで手がいきとどいていてやることが無い。
ひねくれた見方をすれば、「ゲームとしては良いんだけれど絵が駄目だね。俺ならもっと可愛く描けるぜ」といった歪んだ自尊心が同人の動力源なのかもしれない。(オリジナルの作家の心理は微妙だろうけど)完成度がある程度高いと、同人でやる意味が少なくなる。それは多くの作家の場合は劣化コピーになるだけだ。