はてなキーワード: 楽市とは
この時期に問屋業者が増え、店自体の売上が均一化し、多くのぬけ荷品が闇市場に並ぶといった所があげられる。それらの欠点は豊臣秀吉時代の末期には露呈した。また、領主と特定の商人が関係を結んで御用商人化し、領主の命令を受けて座に代わって市場の支配権を得る例も見られた。これらは欠点と言うよりは規制緩和としての楽市楽座が不完全であったこと、また楽市楽座が相当な利益を商人にもたらし、制度としてのインセンティブ設計が成熟していなかったことを意味する。
更に近年では中世日本の都市を中世西欧の自由都市と比較しようとして、楽市・楽座そのものを過大評価しているとする批判もある。そもそも楽市自体が城下町や領内の主要都市に商人を集めるための政策であり、大名がこうした地域に対して何らかの統制を意図しなかったとは考えられないというものである。また、一見して商人による自治を認めながら、実際にはその自治の責任者の地位にいるのは大名の御用商人や被官関係を結んで商人司など大名が定めた役職に任じられたものであり、商人司を通じて大名の経済政策に沿った方針が浸透していたと言われている。更に織田政権が楽市・楽座を推進する一方で座の結成・拡張を図っている事例もある。例えば越前国足羽郡で薬屋を営んでいた橘屋は、朝倉氏の滅亡後に織田信長から北ノ庄などで唐物を扱う唐人座と絹織物を扱う軽物座の責任者に任じられて役銭を徴収し、天正4年(1576年)に北ノ庄に楽座令が出された際には先の信長の命令を理由として両座に対する安堵状が出されている。つまり、楽市楽座は一見上は規制緩和を掲げながら、実態は大名による新たな商業統制策であって江戸時代の幕藩体制における商業統制の先駆けであったとする指摘もある。
街の酒屋の知り合いが居るからこそ
本来であれば、酒を個人に届けるというのが酒屋の存在意義だろう。
結局、スーパーとか楽市とかに負けて、居酒屋への配送がメーンになってるのがそもそも歪。
んで、出来る酒屋は、数か月凌いだらなんとかなるし、サザエさんの三河屋さんみたいな商売も出来てる。
これで悲鳴あげてるのは、安さが売りで、従業員か本人に負担乗せて、無理きく酒屋。
ホワイトで、結果として割合的に飲み屋に依存してた系の酒屋さんは、やり直しがきくし融資も受けやすいから潰れない。
そもそも、酒屋で長い間ちゃんと商売してるところはドダイが太いのでなんとでもなる。
緊急事態宣言にも関わらず店を開けます! ってってる店の理由が、酒屋を守るためとかいうと少しモニョる。氷屋ならまだわかるけど。
しょうもない(≒ちゃんとした商売してなくて薄利多売BLACK)酒屋のため~ゆってるとこはそもそもそういう業態を認めてるってことになるから。
体力ある酒屋と付き合ってる店はそんなことも考えないでちゃんと休めるよ。