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はてなキーワード: 朝鮮とは

2010-03-03

[][][]tameniikiru関連

http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続きです。

 

現在統一協会信者はてなダイアリー他のはてなサービスを使用しています。そのうちの一人である、id:ucnow(http://k.hatena.ne.jp/ucnow/)が協会に都合の悪い箇所を隠蔽しようと必死です。

統一協会

2010/03/03 10:45:08にキーワードの内容の大部分を削除しています。

編集時刻:
    2010/03/03 10:45:08
編集者:
    ucnow
編集内容:
    6,26d5
    -**教祖
    -教祖戦前朝鮮日本からの独立させる抗日活動をしていた[文鮮明]。
    - 文鮮明はこれまでに6度投獄されたことがあり、また女性関係では女性信者を清めるという名目で性関係を持つ“[血分け]”をして来たという根強い噂があるが、教団はそのような事実は一切ないと否定している。朝鮮戦争以前に韓国の興南(フンナム)収容所に投獄されたのはその現行犯逮捕されたという説もある。
    -1980年代にはアメリカ脱税の罪で懲役刑を受けて以来、1年 以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。
    -**教団の特色
    -★独自の聖書解釈
    - この教団は、聖書に再び来ると預言された[キリスト]とはイエスそのものではなく、文鮮明であると教えている。統一教会では、文鮮明を「真のお父様」、その妻の[韓鶴子]を「真のお母様」と呼び、夫妻を「真の父母」(真のご父母様)と呼ばせている。
    -教団は独自の聖書解釈をしているために、一般のキリスト教会からは[異端]もしくは「異端ですらない」とみなされており、[エキュメニカル](教会一致促進運動)の対象にもなっていない。
    -★独自の活動
    - キリスト教でいう[原罪]を清算できる唯一の道だとされる「[合同結婚式]」を数年毎に行ってきた。また独自の経済活動として、偽霊能者を使って、壷や多宝塔、[高麗人参]エキスなどを法外な値段で売る「[霊感商法]」や福祉などの名目で行うニセの募金活動、さらに日本人女性に日韓関係の問題を韓国側の立場から説き伏せて罪悪感を持たせることで洗脳し、韓国農村部男性結婚させていることなどに対し、社会的批判が強い。
    - このような霊感商法による被害や、教会名や宗教であることをひた隠しにして、サークルや関連団体を通しての伝道(「[青春を返せ裁判]」)や、合同結婚式による婚姻の無効性などに関して、被害者や元信者らによって多くの訴訟が提訴されてきており、統一教会自体に信者不法行為に対する「[使用者責任]」があるとされた判決が多数出ている。
    -また、多数の関連企業武器製造、高麗人参の販売など)を世界各地に持っており、『ワシントンタイムズ』(米国)や『世界日報』(韓国日本)を通じたメディア活動および政治工作なども行っている。自由民主党との癒着も指摘されている((安倍晋三総理大臣自民党議員統一教会関連組織へ祝電を送った事実からも推測される。))。
    -  彼らは様々な団体を隠れ蓑にして様々な活動を行っていり。宗教団体学校病院企業をもつケースは珍しくないが、統一教会の場合は一見すると“まったくの無関係”を装って世間の目を欺いている(ただし実際は、その独特の名称センスのために非常にわかりやすい)ところが他の教団ともっとも異なる。
    -霊感商法等の経済行為や政治的工作等に加え、近年は北朝鮮に対する莫大な経済援助をしていることなどによって、公安警察の監視対象になっている。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1151719

統一教会

内容の書き換えが明らかに協会の都合のよいものとなっています。ところで「一部のキリスト教関係者左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、」と書き直していますが、この認識は正しいのでしょうか。カルトと思っている人はほかにも多数見られますが、何か?

編集時刻:
    2010/03/03 10:41:28
編集者:
    ucnow
編集内容:
    edit
    -「[[世界基督教統一神霊協会]]」の一般的な略称。統一協会側は「統一協会」ではなく「統一教会」を正式な略称として主張しているが、統一協会の対策にあたる人々や統一協会に反対する人々の多くは「統一協会」の略称を用いる。
    + 「宗教法人世界基督教統一神霊協会」の一般的な略称。統一教会側は「神と人間理想である地上天国を実現するために、神からそのみ旨を託された創始者・文鮮明師によって、1954年5月1日韓国ソウルで創立された」と説明する。日本統一教会は、1959年10月2日に創立され、1964年7月15日宗教法人として認可。2009年に創立50周年を迎えた。
    -統一協会とその関連団体による霊感商法などで知られており、手口や被害の多さから、カルト認識する者が多い(([http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/index-j.htm:title]など。))。
    +伝統的なキリスト教との教義の違い、平和運動勝共運動社会的影響力などから、一部のキリスト教関係者左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、様々な批判を受け、呼称も「統一協会」を使用されている。 

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1151738

2010-03-02

任那日本クロニクル(4) 孫正義の登場

任那日本クロニクル(3) 特亜騒乱と谷垣政権崩壊

http://anond.hatelabo.jp/20100228174646

 

竹島問題を解決するために、鳩山総理は「竹島任那交換条約」を韓国政府に提示した。

条約は締結され、日本竹島の主権を放棄する代わりに、

任那慶尚南道)と済州島を手に入れた。

 

その後、鳩山政権は倒れ、自民党と新民主党民主党から分裂)および公明党の三党連立による、

谷垣政権が発足した。

 

谷垣総理は、任那経営を、経団連実質的な運営主体である財団法人任那日本府」に任せた。

 

第二代任那日本総督に就任した小泉純一郎は、

日本国内での支持を得るために、任那に「朝鮮神宮」を建立した。

自らが颯爽と朝鮮神宮に参拝する姿をメディアに晒すことで、

特に日本保守派の歓心を買おうという算段であった。

 

この作戦は功を奏し、小泉総督支持率は上昇した。

日本インターネット空間では、かつて「ネットウヨク」と呼ばれた層が息を吹き返し、

一部では朝鮮神宮信仰が高まった。

 

しかし、韓国民は、10年ほど前の靖国問題を思い返し、

日本に対し激しく反発した。

また、韓国民は、国際法上何ら問題のない「竹島任那交換条約」を非難し、

任那奪回を訴え始めた。

 

韓国民のデモ隊は国境を越え、任那なだれ込み、

金海市の任那日本府前や朝鮮神宮前を占拠して、シュプレヒコールをあげた。

 

インターネットでは、連日、日本に対し、サイバー攻撃が行なわれた。

日本の主要な官庁、企業サイトは、韓国からの攻撃によって軒並み接続不能となった。

2ちゃんねる」や「したらば掲示板」、「ふたばちゃんねる」、「はてな匿名ダイアリー」なども、

次々にサーバが落とされていった。

 

反日運動中国、そして日本国内の民団総連にも飛び火した。

 

もともと、枠組みの弱い連立の上に成立していた谷垣政権は、

この状況に対し、為すすべを知らなかった。

 

連立与党内からも批判が高まり、谷垣総理は辞任を決意する。

 

与党三党は連立の維持を確認し、

後継の総理は、自民党舛添要一総裁とした。

 

舛添総理は、政権運営の第一に、この困難な特亜状況の解決を迫られたが、

折りしも任那日本府の小泉総督は、自らの再選はない、と公言した。

任那日本総督は、任期1年の互選制であり、小泉総督は一期での退任を宣言したのである。

 

こうして舛添政権にとって、当面の問題は去ったように見えたが、

後任の総督人事次第では、再び特亜は混乱に陥ってしまう。

 

任那日本府の実質的な運営主体である経団連は、今回も総督候補を出さなかった。

 

結局、今回も政治判断にゆだねられた。

舛添総理の判断に任されたのである。

 

日本インターネット空間では、このとき、ネットウヨク層を中心に、

麻生太郎名前があがった。

かつて、マスコミによって政権を引きずり降ろされたという挫折経験がある麻生太郎には、

任那という新天地で復権を図ってもらいたい、という、麻生ファンの願いでもあった。

 

麻生太郎本人はこのとき、関心すら示さなかったが、こののち麻生太郎は、

任那政治史に深く関わっていくことになる。

 

こうした世間の下馬評をよそに、舛添総理が出した結論は、

当時の誰をも予想を超えた人事であった。

 

舛添総理が示した名前、それは、ソフトバンク社長孫正義であった。

 

この人事は、当初、日本保守派を中心に、反発を招いた。

総督の就任は、韓国を利するだけである、と保守派は叫んだ。

事実韓国内ではそれまでと一転して、新総督への歓迎ムードに包まれた。

「同胞の勝利!」として、韓国内各地で花火打ち上げられた。

 

しかし、孫総督はしたたかであった。

総督が就任後、最初に向かったのは、韓国民があれだけ嫌悪した存在である、

朝鮮神宮であった。(つづく)

2010-02-28

任那日本クロニクル(3) 特亜騒乱と谷垣政権崩壊

任那日本クロニクル(2) 小泉総督朝鮮神宮

http://anond.hatelabo.jp/20100226014729

 

竹島問題を解決するために締結された「竹島任那交換条約」により、

日本任那慶尚南道)と済州島を手に入れた。

 

日本任那財団法人任那日本府」を設立し、任那経営の任に当たらせた。

任那日本府は、実質的経団連が運営主体であったが、

これは財政支出を抑え民間に積極的に事業運営を委託していくという、

谷垣総理(鳩山総理辞任後に就任)の意向に沿ったものである。

 

しかし、任那日本府の初代総督となった奥田碩(元トヨタ自動車社長)は、

任那移民を受け入れる意向を示すなどして、国内からさまざまな反発を受けた。

そのため奥田総督は、一期で辞任した。

 

後任は谷垣総理の裁定により、小泉純一郎が就任した。

 

小泉総督は、特に日本国内の保守派の支持を得るべく、任那に「朝鮮神宮」を建立した。

神宮皇后豊臣秀吉伊藤博文を祭神とする朝鮮神宮は、

官幣大社並の社格とされ、祭主黒田清子今上天皇長女)が就任した。

 

小泉総督は、この朝鮮神宮に颯爽と参拝する姿をメディアを通して日本国民に伝えることで、

世論の支持を得ることに成功した。

 

しかし、それは奥田時代に生じた問題を解決することには何ら関係なく、

むしろ小泉総督は、奥田前総督が計画した産業政策を、より強く推し進める政策をとっていった。

 

一方、韓国では、竹島の主権を日本から奪い取ったことに、韓国民は日夜、酔いしれていた。

竹島を得ることで支払った対価の大きさまでは、関心が向かなかった。

それほど竹島の存在は、韓国民族主義の象徴と化していたのである。

 

しかし、小泉総督朝鮮神宮に参拝する姿をみて、心情は一変した。

 

かつて10年ほど前の、韓国民にとっては忌まわしき、

小泉総理による靖国参拝のシーンを思い出したのである。

 

それはまた、韓国民に任那へ関心を向けさせる契機となった。

そしてようやく、国土の一部が日本領となっていたことに、韓国民は気付かされたのである。

 

ここにおいて韓国民族主義の象徴の地は、竹島から任那および済州島へと移動した。

 

韓国では若者たちが「日帝排斥」を叫んで、デモを起こした。

デモ隊は国境を越え、任那にもなだれ込んだ。

任那日本府や朝鮮神宮の前に、韓国若者たちが陣取って、盛んにシュプレヒコールをあげた。

 

この動きはさらに、中国にも伝播した。

中国若者たちも韓国での動向に呼応して、北京日本大使館を取り囲んだ。

そして「愛国無罪」を叫びながら、大使館に投石した。

国際法上問題のある行為だが、中国政府は見て見ぬふりをした。

 

日本国内でも、動揺が広がった。

民団日本デモを行ない、総連もこれに賛同した。

民主党鳩山由紀夫オーナー)は民団同調して、政府批判を強めた。

 

もともと、枠組みの弱い連立の上に成り立っていた谷垣政権は、

こうした国内外からの批判に対し、為すすべを知らなかった。

また、谷垣総理は小泉総督実質的な任命者であったため、連立与党内からも批判の声があがった。

 

このままでは連立が崩壊しかねないとの危機感をもった自民党内の中堅・若手グループは、

河野太郎衆議院議員を中心に結集し、谷垣総理に公然と辞任を迫った。

当初、自民党石破茂幹事長は、こうした動きを黙殺した。

 

しかし、連立を組む新民主党岡田克也代表)が、反谷垣派への支持を鮮明にしたことで、

谷垣総理の運命は定まった。

谷垣総理は、与党内混乱の責任を取り辞任した。

 

この渦中で、加藤紘一谷垣総理に、

「あんたが大将なんだから」と涙を見せて辞任の意を翻すよう、説得したとされる。(つづく)

 

2010-02-26

任那日本クロニクル(2) 小泉総督朝鮮神宮

任那日本クロニクル(1) 奥田総督栄光と挫折」

http://anond.hatelabo.jp/20100224230751

 

竹島問題を解決するために、日韓両国政府は「竹島任那交換条約」を締結した。

日本竹島の主権を放棄する代わりに、韓国任那慶尚南道)と済州島日本譲渡するという内容である。

韓国民は日本竹島主権放棄に熱狂し、対価の大きさを考えることはなかった。

こうして日本は、敗戦後、西之島新島1973年火山噴火による新島形成)以来の領土拡張を果たすことになる。 

 

任那経営は、国土交通省財界の共同出資によって設立された、財団法人任那日本府」が行なった。

これは、財政支出のこれ以上の拡大を避けるために、任那経営を民間に委託するという、

谷垣連立政権鳩山政権崩壊後に成立)の方針によるものである。

任那日本府の本部は、任那の金海市に置かれ、初代総督には、経団連名誉会長奥田碩(元トヨタ自動車社長)が就任した。

 

奥田総督は、任那日本産業基地とする考えであった。

再度の不況により価値暴落していた韓国ウォンを任那の法定通貨とし、任那日本の輸出拠点とすることで、

日本製造業の競争力向上を図ろうというのである。

このため日本製造業は次々と任那工場を移設していったが、かわりに日本本土内で産業空洞化が進んだ。

 

また奥田総督は、安い労働力確保のため、任那移民を受け入れる意向であった。

これは日本保守派の反発を招いた。

 

日に日に高まる奥田体制への批判の声を前に、奥田総督は、再選の辞退という形で辞職の道を選んだ。

任那日本総督は、任期1年の互選制であった。

 

後任の選定は難航を極めた。

任那日本府の実質的な運営主体である経団連は、世論の批判を恐れて、総督候補を出さなかった。

中坊公平など、幾多の名前が挙がったが、どれも決め手に欠けた。

結局、政治判断にゆだねられることとなり、谷垣総理に一任された。

 

谷垣総理が挙げた名前は、元首相小泉純一郎であった。

この人事の裏には、森元首相の存在があったといわれている。

 

小泉純一郎は、第二代任那日本総督に就任した。

 

しかし小泉総督は、移民こそ受け入れなかったものの、

任那日本産業基地にするという奥田路線を、そのまま継承した。

その代わり小泉総督は、任那に「朝鮮神宮」を建立することで、世論の批判をかわすことを試みた。

 

朝鮮神宮は、任那日本府と同じ金海市に建立され、祭神は、

神宮皇后豊臣秀吉伊藤博文とされた。

 

本来なら任那神宮とするべきだが、ゆくゆくは朝鮮半島全体を統べるという意図から、

朝鮮神宮という名称となった。

 

鎮座祭には、皇太子殿下が列席され、盛大に行なわれた。

朝鮮神宮には宮司の上に祭主が置かれ、祭主には黒田清子今上天皇長女)が就任した。

 

マスコミは、朝鮮神宮に颯爽と参拝する小泉総督の姿を伝えた。

日本保守派は、熱烈に歓迎した。

小泉総督は、任那経営の問題の本質的な解決をしていないにもかかわらず、

特に保守層に支持されることとなった。(つづく)

2010-02-22

[][][]tameniikiru関連

http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続き。これは一大事です!!

id:ucnow

id:tameniikiru(http://k.hatena.ne.jp/tameniikiru/)に続き、id:ucnowが同様のキーワード編集を行っています。両者とも統一協会関係者です。

http://k.hatena.ne.jp/ucnow/

http://d.hatena.ne.jp/ucnow/ (統一教会記録帳:ロビー教会ウオッチ)

統一教会
以下、本部公式サイトの「統一教会が目指すもの」より引用。
………………………………………………………………………
統一教会は「神様の真の愛を相続しよう」をテーマに、「ために生きる」
人格の育成と祝福結婚による理想家庭の実現に取り組んでいます。

 また、そのような理想家庭を世界中に拡げることを通して、人種民族文化国家の壁を超えた人類家族世界を目指しています。
………………………………………………………………………

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149516

世界基督教統一神霊協会
+一般的には「統一教」の名で知られる。
-[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて「カルト」として社会的批判の的になっており、裁判で敗訴してもいる。
+世界統一運動は、東西冷戦終焉への貢献、対立する宗教宗派和解、次世代リーダーの育成、
+開発途上国への支援活動、日韓トンネル・国際ハイウエー構想などで、世界有識者から
+評価を受けている反面、
+[[合同結婚式]]及び[[霊感商法]]を行なっていることなどについて、一部で「カルト」という見方もある。
-「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、[[モルモン教]]、[[エホバの証人]]と並んで統一教会バチカン法王庁によってキリスト教系三大[[異端]]とされている。
+「世界基督教統一神霊協会」という正式名は多くの教派に分かれた基督教を一つに統一するという意味がこめられているが、
+現在は「統一教」を呼称として、キリスト教のみならず、仏教イスラム教、諸宗教平和統一を目指している。
- 教義としては、三位一体説・イエスによる救済を否定し、教祖・[[文鮮明]]が再臨の[[キリスト]]([[メシア]])と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。2001年からは文鮮明説教集を集めた『天聖経』が新しい聖書として意義づけられた。
+教義としては、三位一体説・イエスによる救済は一部否定し(イエス十字架上で殺されるためにこられたのではなく、本来は、神の創造理想である家庭理想恒久平和を実現するためにこられたと主張)、教祖・[[文鮮明]]がイエスから使命を引き継ぎ、[[キリスト]]([[メシア]])として、家庭理想恒久平和実現に尽力している、と主張している。また、対外的には旧約・新約聖書経典としているが、”教理解説書”とされる『原理講論』が実質的には経典のように扱われてきた。原理講論に収録されている、統一原理には「神様が本来願われた理想世界」「なぜ戦争犯罪、不幸がなくならいのか」「本質的課題を解決し、平和理想を実現する方法」等が収録されているという。
-多数の関連団体・企業が存在し、霊感商法などに利用されていると指摘されている。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149518

# URL世界基督教統一神霊協会統一教会)公式ホームページ http://www.ucjp.org/
# URL世界基督教統一神霊協会統一教会YouTube公式チャンネル http://www.youtube.com/user/UCJAPANch
# URL日本統一教会公式モバイルサイト http://m.ucjp.org/
# URL統一教会紹介ビデオ 「神様の真の愛を相続しよう」 http://www.youtube.com/watch?v=HfzqfHWuEr4
# URL統一教会 情報リンク集! http://uc8.info/
# URL統一教会 最新ニュース情報局! http://d.hatena.ne.jp/tameniikiru/
# URL統一教会立教会 http://www.uc-adachi.com/
# URL統一教会 杉並教会 http://www.suginami-ch.org/

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149520 時点のURL

文鮮明
-自らを聖書に預言された「再臨のキリストメシア)」と主張している。
-全人類の親の立場にあるという意味から「真の父母」と称している。
-朝鮮日本に併合されていた1920年に、平安北道の定州(現在北朝鮮領)の閑村に住む農家の次男として生まれる。
-日本留学し、早稲田高等学校電気学科で学んだ。この頃、朝鮮日本からの独立を目指す抗日の地下活動を行い、特高警察からもマークされていたという。
-本名は文龍明(ムン・ヨンミョン)だが、20代で宗教活動を初めてから、鮮明と名乗るようになる。(龍は聖書悪魔シンボルとされているので、それを嫌ってどちらもキリストシンボルである魚と羊を含む「鮮」の文字を用いるようになったのではないかと言われる。)
+ 1920年1月6日(陰暦)、韓半島の平安北道定州郡に文慶裕氏と金慶継夫人の次男として生まれ、熱心なクリスチャンとして育つ。1935年4月17日の朝、イエス・キリストの霊が現れ、神のみ旨を完成しなければならない使命があるという啓示を受ける。
- 今日まで韓国日本アメリカにおいて6度投獄された経験を持つ。戦前韓国教祖女性信者性的な関係をもって罪を清める”血分け”を行う「混淫派」、「霊体交換派」等の影響を受けて、自らも「血分け」を行ってきたという昔からの根強い噂があるが、教団は一切そのような事実はないと全面否定している。
-朝鮮戦争が終わって間もない1954年に「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)を韓国で設立した。
+  1954年5月1日ソウルに「世界基督教統一神霊協会」を創立。1960年4月11日(陰暦3月16日)には、韓鶴子女史と聖婚式を挙行された。 1968年には世界共産主義の脅威から守るために「国際勝共連合」を創設。その後も「世界平和教授アカデミー」(73年)、「世界平和宗教連合」(91 年)、「世界平和連合」(91年)、「世界平和家庭連合」(96年)などの国際平和機関を次々に創設し、各分野において世界的な貢献をされる。言論界においても、1978年から毎年「世界言論人会議」を主催されるとともに、米国で「ワシントンタイムズ」(82年)や韓国で「世界日報」(89年)を発刊。
+ 1990年4月モスクワで開催された「第11回世界言論人会議」では、クレムリンゴルバチョフ大統領と会談。91年12月6日には電撃的に北朝鮮を訪問され金日成主席歴史的な会談をした。
-1970年代にはアメリカに進出し、大規模な大会を行ったり、政界を初め各界への浸透を図った。
-1984年には脱税の罪で1年6か月の懲役刑を受けた。
-このことにより、1年以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。
-1990年代半ばからは長男の元嫁や実の娘により、マスメデイア等で本人や息子の男女関係等のスキャンダル告発された。
+ 92年8月に挙行された「世界文化体育大典」では、国際会議に参加するため世界から集まってきた学者文化人を前に「メシヤ宣布」を行い、自らが再臨主であることを公に宣言された。
-2006年からは韓国に戻り、信者献金で建てた王宮に住み、息子たちによる後継者体制を整えつつある。
-2008年、搭乗したヘリコプター事故で負傷。
+ 2009年3月、自叙伝『平和を愛する世界人として』を韓国で刊行し、ベストセラーに。
+日本アメリカでも翻訳され話題を呼んでいる。

http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1149521

編集傾向

統一協会にとって批判的な編集部分を減らすように書き換えています。

2010-02-16

1795:【社会】"在日年金問題の解決をめざす会・京都"を発足 「障害を持った在日だけがどうして年金をもらえないのか」

ttp://nukohiroba.blog32.fc2.com/blog-entry-1795.html

在日韓国人二世、竹田青嗣氏の述懐

 

1995年8月23日の毎日新聞より抜粋

ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuunidai

 

また「我々はいずれ祖国に帰るのであるから、福祉とか

そういうものはいらない。日本祖国の統一の邪魔をしない、

日本に望むことはそれだけだ。」「厚生年金なんて強制的に

取られるけど、私等は祖国に帰国するので年金は貰えない。

年金を納めるなんて我々には無駄だ。」「日本人と違った

取り扱い方をされるから、我々は民族の自覚を持つのだ。

日本人と同じ処遇を求めるのは同化を求めることであり、

民族を否定するものだ。」というような物言いは、20年前

まではごく当たり前のことであった。

 

朝鮮人朝鮮に帰る」というのは彼ら自身の主張で、「暴言」でも

差別発言」でもない話であったのだ。これを思い出すにつけ、今の

在日の活動には隔世の感がある。彼らは、自分らの先輩たちが20年前

まで担ってきた民族運動歴史を総括せず、それどころか忘れて

しまったのではないか、と思ってしまう。

2010-02-10

荒山徹、あるいは民族憎悪ヘイトスピーチの話

荒山徹という作家がいます。

朝鮮が悪役で、妖術で日本から人や物を奪ったり、豊臣秀吉死体を発掘して首を切り落としたり(気持ちはまあ分かるが)、日本を征服しようとしたり、天皇家を廃絶しようとしたり、基本的に中国が中心・朝鮮が半周辺・日本が周辺という認識に立って日本馬鹿にしたり、そんな感じです。

日本は侵略者である場合もありますが、基本的に独自の技術文化を持っていて、中国に負けない(国力は全然違うけど、元は日本の侵略を持続できなかった)し、朝鮮より強く進んだ国として描かれています。豊臣秀吉は明中心の世界システム論を否定すべく軍事外交し、朝鮮には重きを置いていない日本統一覇者で、伊藤博文ロシアに対抗すべく朝鮮を上手に経営しようと腐心する高級官僚です。

よく訓練された読者は「ああまた徹はじまったな」で済んでしまうのですが、おそらく彼の作品が韓国北朝鮮に輸出されて、洒落の分からない人が読めば『ヘタリア』の時みたいに外交問題になると思います。「朝鮮馬鹿にして日本自尊心を高める、ヘイトスピーチでなくて何だ、民族的敵キャラである豊臣秀吉伊藤博文を評価するな、これを読んで馬鹿日本人民族憎悪を高めたらどうする」と。

そう言われた時に我々よく訓練された読者はどう返せばいいのか分からない。「洒落の分かる人だけ分かればいい」「面白ければいい」「読めば荒山徹民族憎悪で書いているのではなく、日本朝鮮の歴史を何か新しい切り口で描こうとしているのであり、勝手民族憎悪する方が悪い」では、「洒落の分からない人を排除するのか」「面白くない人を排除するのか」「テキストは読まれ方だけが全てで、民族憎悪引き起こしたら、作者の意図はどうあれそれは民族憎悪テキストである」と返された時に困ります。

そうやって真面目な人に娯楽は弾圧されていく訳ですが、「そんな他者危害的・他者排除的な娯楽は弾圧されればいい」と言われた時に「ごもっともですが、俺たちは断固その娯楽を評価して守っていきます」以外の言葉を持たない。それでは長期的に見た時に前者が支持されて後者は駆逐される。

だが俺たちは駆逐されたくない。荒山徹面白いと思う俺たちの感覚に嘘はつけない。その感覚そのものが政治倫理的に正しくないのか? 俺たちはどうすればいいんでしょうね。

2010-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20100209031629

小学四年生子供に「日本人は恥ずかしい」とも「日本人で誇らしい」とも、どちらにせよ、そういう情動を刷り込むような教育根本的によくない。

でも「日本人でいて誇らしい」と思うのは、愛国心って概念からいえば、成長していけば誰しもが持つ気持ちだと思うんだけどな。

それは母親を親しんだり、故郷を親しむのと同じレベルで、やはり日本人日本を親しむし、アメリカ人アメリカを親しむし、朝鮮人朝鮮を親しむ。

その親しみの心そのものには何も問題はないでしょう。それを誰かに押し付けたり、他に向けた歪んだ攻撃性にならなければ。

2010-02-06

 サンフランシスコ講和条約日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人

 日本敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会議員になった者までいた朝鮮は、敗戦責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。

 朝鮮人は、自らの意思で日本国籍を放棄したのである。

 敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域独立国として建国していく過程で、朝鮮人敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦日本帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。

 そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシア傀儡である金日成中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシア満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島橋頭堡は築きたいが、連合国である中国ロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。

 それらの打算から、北鮮はロシア中国国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカ保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。

 この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。

 いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。

 サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本台湾朝鮮独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。

 引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。

 日本海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言サンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。

 これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本学校卒業したのか、近現代史公民単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。

 外国人外国国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権参政権を行使するのが筋である。日本参政権日本国民固有の権利であり、日本帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。

 間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。

 妄言は、個人の愚行である。妄言妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史国境国民性認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争根本原因となるのである。

 言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。

2010-02-05

地方参政権:「日本帰化が困難」と嘘をつく在日は誰なのか特定する(重要

ttp://hibikan.at.webry.info/201001/article_178.html

帰化トップクラス重要度を持つ法手続きなので、世界中どの国でも手続きは面倒です。大量の公文書を揃えて提出し、ひたすら待たされます。数週間、数ヶ月で帰化できる国なんてありません。

日本帰化手続きは大変。やっていられない」とつまらない不満を述べている間に、さっさと必要書類を整えて役所の窓口に提出しておけば、数年後には帰化できます。ただし相手は役所ですから、兄弟で同時に書類を提出し、兄は3年で帰化、弟は5年かかったということはありえます。

毎年大量の在日韓国人帰化している事実があるのに、これら善良な元・在日韓国人らと同じ作業をできないという在日が多数いる。私は朝鮮問題にも国籍問題にも素人ですが、ピンときました。ある程度の年齢の日本人なら、同じ事を考えたはずです。

日本帰化手続きが、世界比較して間違っているのではない」

「そもそも必要書類を揃えることができない人たちだ」

「必要書類を揃えることはできるが、書類(=経歴)に傷がある人たちだ」

帰化国籍法第5条で規定されています。素人なりに法律を読んで、嘘を付いている一部の在日韓国人がどのような種類の人たちなのか特定してみましょう。



国籍法第5条の3「素行が善良であること。」

あれ?暴力団員または犯罪歴のある在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

あれ?税金の滞納歴のある在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

国籍法第5条の4「自己又は生計を一にする配偶者その他の親族資産又は技能によつて生計を営むことができること。」

あれ?生活保護を受けている在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

国籍法第5条の6「日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府暴力破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。」

あれ?破防法の適用を受け公安調査庁の調査対象となっている人たち、例えば日本赤軍革マル派オウムなどに属していた在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

(参考)破壊活動防止法

1950年代70年代に盛んだった左翼系の運動には、いろんなグループがあり、社会の下層出身者を主体にしていたから、該当する人口は結構多いと想像できる。)

次に、必要書類をチェックしてみましょう。(リンク先のページ中程)

「5  国籍を証する書面」

「7  外国人登録原票記載事項証明書」

あれ?韓国または北朝鮮本国が発行する公文書の記載と本籍、本名が異なる在日韓国人朝鮮人帰化できないみたいですよ。

(ちまたで噂されているところの、終戦後日本政府の混乱に乗じて、嘘の書類を使うことにより、本来なら得ることのできない「特別永住許可」を得た在日が、ここであぶり出される。)

あれ?韓国または北朝鮮本国の役所に出向くと逮捕される人(例えば犯罪逃亡者)は書類を入手できなさそうですよ。


【結論】「外国人地方参政権を付与する法案」の本当の目的は、

暴力団員であるか、過去犯罪歴がある在日

税金を滞納している在日

生活保護を受けている在日

日本赤軍革マル派オウムなど過激派の活動歴がある在日(おー恐)

虚偽の申請をして特別永住許可を得た在日(=許可剥奪の対象)

出身国で犯罪を犯したあと刑に服さず、日本へ逃亡してきた人

に対し、まとめてエイヤーっ!で地方参政権を与えてしまうことだと判明しました。

しかも、地方参政権の議論をこれから進めるにあたり、「法案に関する議論が前進しないのなら、在日に限定して帰化条件を緩める案はどうですか?」という話が、見識あると思われる政治家公務員学者、大手マスゴミから出てくる。

えーっ!結局、この人たちに日本国籍を与える方向で議論が進んでいるんですか?(目が点)

2010-01-31

朝鮮進駐軍

朝鮮進駐軍Weblio辞書にて削除予定の為、全文コピー

http://www.weblio.jp/content/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%B2%E9%A7%90%E8%BB%8D

概要

一般に朝鮮進駐軍と言ったときは、おおむね1945年昭和20年以後に現在特別永住権を持つ在日一世(朝鮮人韓国人)、もしくは現在日本帰化または半島に帰国した朝鮮民族によって作られた犯罪組織を指す。 戦後日本ポツダム宣言を受け入れると日本各地で、婦女暴行窃盗、暴行、殺人、略奪、警察署の襲撃、公的機関への襲撃、土地建物不法占拠鉄道飲食店での不法行為等様ざまな朝鮮人による犯罪が多発した。 自称「戦勝国民」(正しくは戦勝国民ではない)であると主張し、自らを「朝鮮進駐軍」と名乗り各地で徒党組んで暴れ事件を起こした。GHQの資料にあるだけでも最低4000人の日本人市民朝鮮進駐軍犠牲となり殺害されたとされている。

朝鮮進駐軍による朝鮮人犯罪及びテロ行為について

服装・武器及び組織について

戦後の混乱を利用し、日本刀等の刃物・鈍器以外に多くの銃火器を使用した。銃は三八式歩兵銃や機関銃など盗んだ旧日本軍武器で武装し組織化を行った。朝鮮進駐軍では旧日本陸軍パイロット軍服を好んで着用したが、これは日本兵に対するあてつけとも、日本人皇民)に対するあてつけとも言わた。 組織ではいくつかの本部設けたが、実際は各地域ごとに部隊名をつけその部隊が、個別に日本人を狙った犯罪行為を繰り返しすことが多かった。 朝鮮進駐軍総本部(在日朝鮮人連盟総本部)はのちの在日朝鮮人連盟。更にこれが在日大韓民国民団(略称「民団」)と在日本朝鮮人総聯合会に分かれ、これが現在民団朝鮮総連となる。

時代背景

当時の日本では戦場に男手が駆り出され極度の男手不足に陥っており、また都市部においても疎開空爆による被害で人手が足りない状況が長く続いていた。 また警察組織においても、武器の使用が認められないなど戦後特有の制限があり。戦後朝鮮人犯罪が増加の一途をとどった背景には、このような犯罪に対する抑止力の空白化が背景にあったとされている。いまでは考えられないことではあるが、当時はヤクザ現在の指定暴力団)が朝鮮人から、日本人の生活を守る役割を一部果たしていた。 この当時は朝鮮人の殆どが実名で暮らしており、通名を使用しだすのは朝鮮の姓に対して嫌悪感犯罪者といったイメージ日本人が抱くようになってからである。ただしこれは、朝鮮人側からはもともと差別があったからとされている。

朝鮮人による犯罪

朝鮮進駐軍による犯罪は全国に及んだ。特に川崎大阪神戸都心等当時朝鮮人比較的多かった地域で多発した。特に東京では、原宿等を中心に三八式歩兵銃や拳銃日本刀等で武装した朝鮮人によって占拠されており、のちに警察やGHQにより鎮圧された。

市民を狙ったものとして白昼に堂々と集団で婦女子に暴行を加えるなど、多数の犯罪行為を行った。拳銃刃物で武装しており一般市民は無力であり繰り返し行われることも多かったため被害が拡大した。またGHQの調べでは少なくとも4000人の日本人市民が殺害されており、多い説では1万人以上であったとも言われている。

略奪・窃盗密売土地の強奪等においても組織的に関与していた。一般の露天商からの強奪や農作物・家畜の強奪(利根川水系の牛の強奪などが有名)等、さまざまな方法で集められた商品が朝鮮人によって売買され、その後の朝鮮人社会の資金源として利用されてきた。その他に、戦後土地建物の所有に関する書類の損失や強引な立ち退きにより土地建物の収奪も相次いだ。

1945年12月翌1月におきた生田警察署襲撃事件では武装した朝鮮人50人が襲撃し警察署を占拠。翌46年には長崎県警察本部で、在日朝鮮人連盟と名乗る総勢約200名が同署を襲撃して破壊活動を行い、10名に重軽傷を負わせうち1名は死亡にいたらしめた。46年には国会議事堂前でも集まった2000人の朝鮮人と応援出動した武装警官358名・進駐軍憲兵20名とが銃撃戦に発展。首謀者は軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。1948年4月には阪神教育事件では数千人の朝鮮人によって庁舎が占拠された。これに対して3000名の警官隊を動員して、朝鮮人を庁舎から強制排除し1800名の朝鮮人検挙された。戦後はこのような事件が日本各地で続発した。

第八軍司令官ロバートアイケルバーガー中将は、正規の大部隊を治安確保のため朝鮮人に対して街中に簡易陣地を引くなどして配備した。GHQダグラス・マッカーサー最高司令官は「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と発表するなど朝鮮人に対する取り締まりにおわれた。 昭和26年に浅草朝鮮進駐軍と思われる朝鮮人が起こした集団暴力事件では、米兵一名が死亡、二名が負傷した。

主な事件一覧

朝鮮進駐軍及びその後の在日朝鮮人連盟が関わる事件の一覧である。

阿仁村事件(1945年10月22日

生田警察署襲撃事件(1945年12月24日1946年1月9日

直江津リンチ殺人事件(1945年12月29日

富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日

長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日

富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日

坂町事件(1946年9月22日

新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)

首相官邸デモ事件(1946年12月20日

尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日

阪神教育事件(1948年4月23日~25日)

評定河原事件(1948年10月11日~12日)

宇部事件(1948年12月9日

益田事件(1949年1月25日

枝川事件(1949年4月6~13日)

高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)

本郷村事件(1949年6月2日~11日)

下関事件(1949年8月20日

台東会館事件(1950年3月20日

連島町事件(1950年8月15日

第二神戸事件(1950年11月20~27日)

四日市事件(1951年1月23日

王子事件(1951年3月7日

神奈川事件(1951年6月13日

下里村役場事件(1951年10月22日

福岡事件(1951年11月21日

東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日

半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日

日野事件(1951年12月18日

木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

姫路事件(1952年2月28日

八坂神社事件(1952年3月1日

宇治事件(1952年3月13日

多奈川町事件(1952年3月26日~30日)

田川事件(1952年4月19日

岡山事件(1952年4月24日5月30日

血のメーデー事件(1952年5月1日

上郡事件(1952年5月8日

大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)

広島地裁事件(1952年5月13日

高田派出所襲撃事件(1952年5月26日

奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日

万来町事件(1952年5月31日6月5日

島津三条工場事件(1952年6月10日

醒ヶ井村事件(1952年6月13日

葺合*長田事件(1952年6月24日

吹田*枚方事件(1952年6月24日~25日)

新宿駅事件(1952年6月25日

大須事件(1952年7月7日

舞鶴事件(1952年7月8日

五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

参考文献

法務研修所編『大須騒擾事件について』1954年

横幕胤行、富久公、船越信勝『吹田枚方事件について』1954年

篠崎平治『在日朝鮮人運動1955年

大阪市行政局編『大阪市警察誌』1956年

新潟県警察史編さん委員会編『新潟県警察史』1959年

名古屋市総務局調査課編『名古屋市警察史』1960年

瓜生俊教編『富山県警察史 下巻』1960年

山形県警察史編さん委員会編『山形県警察史 下巻』1971年

宮城県警察史編さん委員会編『宮城県警察史 第2巻』1972年

大阪府警察編集委員会編『大阪府警察史 第3巻』1973年

警視庁富坂警察署編『富坂警察署100年史―新庁舎落成記念―』1975年

兵庫県警察史編さん委員会編『兵庫県警察史 昭和編』1975年

愛知県警察編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』1975年

青森県警察史編纂委員会編『青森県警察史 下巻』1977年

坪井豊吉『在日同胞の動き』1977年

警視庁史編さん委員会編『警視庁史〔第4〕』1978年

思想の科学研究会編『共同研究 日本占領研究事典』1978年

仙台市警察史編纂委員会編『仙台市警察史―仙台市における自治体警察の記録―』1978年

長崎県警察編集委員会編『長崎県警察史 下巻』1979年

李瑜煥『日本の中の三十八度線民団・朝総連歴史現実―』1980年

福岡県警察史編さん委員会編『福岡県警察史 昭和前編』1980年

山口県警察史編さん委員会編『山口県警察史 下巻』1980年

警察文化協会編『戦後事件史』1982年

日本国有鉄道公安本部編『鉄道公安の軌跡』1987年

講談社編『昭和・二万日の全記録 第9巻』1989年

朴慶植解放在日朝鮮人運動史』1989年

百瀬孝『事典・昭和戦前期の日本 制度と実態』1990年

金慶海、堀内稔編『在日朝鮮人・生活擁護の闘い』1991年

荒敬『日本占領研究序説』1994年

百瀬孝『事典・昭和戦後期の日本 占領と改革』1995年

竹前栄治、中村隆英監修『GHQ日本占領史 第16巻 外国人の取り扱い』1996年

秋田魁新報1945年

神奈川新聞1951年

西日本新聞1951年

『中部日本新聞1951年1952年

大阪新聞1952年

京都新聞1952年

神戸新聞1952年

山陽新聞1952年

中国新聞1952年

コピー終わり。

2010-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20100129171523

在日朝鮮在日韓国

どちらにしろ徴用徴兵で強制力をもって連れてこられた人は、帰還のための船も出たし支援もした。

北朝鮮にしろ帰還事業という名で北朝鮮に大々的に帰還させていた。まあ現在恨み辛みをもって語られるあれだが。

外国人参政権違憲だとかになったので、じゃあどうするのよ?

在日の人たちに対して、帰らなかった返す援助をしなかった等と言われてるけどさ、戦後って朝鮮の取り合いで混乱状態になり続いて5年後には戦争になったことを考えれば、帰れなかった返すことが出来なかったが正解だよね。

GHQが彼らをどう扱ったか諸説言われるけど戦争に入った後に日本人として扱うようになったことを考えれば、GHQも返すことをあきらめたと考えて良いと思う。

朝鮮戦争後は冷戦に入って彼らはますます帰り難くなった。

そうして日本に住むしか選択肢が無くなった。

私は彼らを日本人として扱うべきだと思う。

参政権でいろいろ騒いでいるけど、彼らに対しては日本国籍とりませんかって公の立場から聞くべきなんだ。

彼らが面子を重んずるなら韓国政府を経由して呼びかけてもいいじゃないか。

(連れてきた来なかったは自分には判断できないので、ずるいかも知れないが触れずに置く)

2010-01-27

移設一説

なんだっけ。なんで沖縄米軍基地があるといいんだっけ。

たしか台湾有事とか朝鮮問題とかに地理的に対応しやすいからなんだよね?

あと中東とかに飛行機飛ばす用地。びゅーんて。

けど、名護市で稲嶺市長誕生しちゃって、政府鹿児島徳之島へ移設しようなんて思ってるらしいけど失笑だよね。

何その中途半端な妥協。「こっちだとほんのちょっと遠くなっただけなんだからいいんじゃないすか?」的な。

もっとアメリカ人怒るよ。もともと県外移設やなんだし。当然徳之島周辺にも地元の人やら左翼の人がうじゃうじゃ来て怒る。

うーん、台湾とかに近くて、沖縄県内で、住民も少なくて、左翼の人もわざわざいらっしゃらない、十分な土地のあるとこでしょ?

あ、あるじゃん

尖閣諸島

やっべー日本の領土だったって早く気づいときなよ内閣府ー。

2010-01-24

Re: 植民地主義者の欲望

http://d.hatena.ne.jp/usoki/20100122/1264167020

元増田です。原論文に当たる労を取ってくださったことに感謝します。

そもそも「有益」か否かで論を立てるのであれば、それが誰にとっての利益であるかをはっきりさせないといけないはずだ。そうではなく、単に統計数字を見ただけで言っているのであれば、何の疑いもなく「資本主義=good」「近代=good」と思い込んでいるだけである*1。また、その問いがなければ「善政かどうかはともかく」と言いながら、結局は植民地支配肯定論となってしまうだろう。

なんだか1段落でいくつもロジックが飛んでいて文意が取れません。まず、なぜ有益か否かを立論するに当たって受益者を特定する必要があるのかが分かりません(国レベルでの特定が必要であることは自明ですが、そういう話をしているわけではないでしょう。もしかして、就学率上昇の受益者は朝鮮人子供日本政府、とか全て特定しろということですか?)。「はず」で済まさずにその理由を説明してください。

さらに、受益者を特定しなければ『何の疑いもなく「資本主義=good」「近代=good」と思い込んでいるだけである』という文章も論理が飛躍しています。付け加えれば、私はGood/Badを議論しているわけではありません。有益であるかどうかとGoodかどうか(または、善であるか悪であるか)は別の問題です。だからこそ「善政かどうかはともかく」という但し書きを入れています。そもそも、「日本植民地政策は正しかった、善政だったというコンセンサスがある」と主張するなら、私がCumingsの『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』という言葉引用した段階で、その主張は破綻してしまいます。

更に加えて、受益者が誰であるかという問いがなければ植民地支配肯定論となる、という文章も論理が飛んでいて意味が分かりません。それから植民地支配肯定論というのは「植民地支配には肯定的な側面が存在した」という議論であると定義してよいのでしょうか。

それにしても、増田はKohliのOn the state and lower classesのパラグラフを紹介しながら、「日本植民地は有益なものだった(というコンセンサス英語圏の学界にはある)」という増田の理解が揺らぐことはなかったのだろうか。

国家権力を後ろ盾とした労使関係の(強制的な)改善とその経験は、戦後韓国経済の離陸に当たって有益なものであったと思います(もちろん、日本政府意図していたのは、日本統治下での朝鮮生産性を向上させて日本利益資することであって、戦後韓国の成長など考えてもいなかったことは当然です)。経済発展の初期段階で賃金が上がりすぎれば、適切な資本形成が妨げられるだけでなく、インフレと(unsustainableな)貿易赤字を招来して最終的には国民生活水準に甚大な被害をもたらしますから。

ちなみに増田が省略してる結論部では「日本朝鮮植民地支配は無慈悲で屈辱的なものであったが、それと同時に後に韓国の高度成長へと進化することになる政治経済を形成するためには決定的な影響を持った」「植民地時代からの(経済発展の)連続性を強調することによって、日本国益のための残虐な植民地支配を免責することはできない」って書いてあるぞ(強調は引用者)。

そんなことは、私のCumingsからの引用に同じことが書いてあります。『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』私がエントリーの中で一度でも日本植民地支配が慈悲深く思いやり溢れたものだと書きましたか?植民地支配の残虐性はその有益性を持って免責されると書きましたか?そんなことを思っているならCumingsもKohliも引用しません。この段落は私のエントリーのどこに対する反論として書かれたものなのでしょうか。

ところで、私のエントリーは「有益性についてのコンセンサス」を書いたものであり、冒頭で『・・・ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある”という考えにはとても同意できないな、と思った。』と書かれていますが、コンセンサスの存在に対する不同意の理由がどこにも見当たりません。この点についても説明を加えていただけますか。

Re:Re: 搾取を語るなら論文を読め

http://anond.hatelabo.jp/20100123120122

こちらこそはじめまして元増田です。英語が得意でないとおっしゃるにもかかわらず、紹介した論文に目を通す労を取っていただいてありがとうございます。そういう方がいるだけでも、2時間近くかけてあれこれ和訳した甲斐があるというものです。

(一応の確認ですが、この元増田さんの主張って「日本植民地主義が他の帝国主義国家のそれよりも、被支配者にとって有益であった」ってことですよね?)


有益であった、というのが学者(私が読んだのは私が土地勘を持つ経済学者のそれが多いですが、American J. of Socio.の論文でも韓国資本主義の発展についての日本寄与について言及がありましたので、経済学者という表現は避けました)の「コンセンサスである」というのが主張です。この点についてはhttp://anond.hatelabo.jp/20100121082524 に少し詳しく書いてありますのでご覧下さい。

1) ここでCumingsが書いているのは、「日本のviceはヨーロッパ帝国主義国家と似ている(かもしれない)けど、virtueは全然似ていないよ」程度のことであって、「日本植民地主義ヨーロッパのそれよりも有益であった」なんてことは言っていないように思われます。

コンセンサスとしての有益性はReynoldsの論文に一言でまとまっていますので、そちらを参照してください(大学図書館でないと原文は見つからないかもしれませんが、上のリンクにごく一部ながら訳を乗せてあります)。または、同じリンク先のBooth(2007)の最初の数段落(上のエントリーに若干の和訳あり、原文アクセス可)を参照して頂いてもいいでしょうし、Kohli (1997)も農業生産性向上、資本主義の萌芽としての植民地時代(Eckertの引用も含め)、国家権力を後ろ盾にしての労使関係の(強制的な)改善と、それに伴う生産性の向上、などを挙げています。特に、農業労働投入の増加ではなく生産性の向上による収量の増加は、多くの論文で当時の植民地経営としてはユニークなものと指摘されています。また、韓国台湾資本主義を受容するための有形無形のインフラストラクチャー植民地時代に整備され、それが戦後韓国台湾の急速な成長を支えた、という点も、広く受け入れられた見解となっていることはBoothが指摘するとおりです。

Cumingsの著作の中からは、p486の第2段落を参照してください。また、有益の度合いは下がりますが、p489の「多くの植民地ではde-developmentが進行したが、日本の統治下の韓国で起こったのはover-developmentであった」という指摘はなかなか興味深いので一読をお勧めします。

2) で、virtue=美徳ですが、一般的には「あのひとは勤勉だ/勇敢だ」のように、人間が持つ性質や姿勢のことを指すと思います。

virtueにはいくつか意味があり、どれも日本語では美徳の言葉でくくりえるように思えたので、一番一般的な訳を用いました(それでも疑問が残ったので訳出元の単語を併記しました)。この単語モラルの高さを示す意味のほか、長所や有意義であること、のような意味合いも持つので(後者の場合、必ずしも人間姿勢や性質を表すことに用いられるとは限りません。ODEで念のために確認しました)、そちらの意味で取るのが正しかろうと思います。

"The virtues that the Japanese shared"を元増田さんは「軍事的な成功、急速な経済発展などの、日本がもたらした美徳の数々」と訳して、日本朝鮮半島にいいことをした!と主張されていると思うのですが、実際はこれ「軍事的な成功、急速な経済発展といった、日本人が持っていた優れた点」ぐらいの意味じゃないでしょうか。

(「日本朝鮮に軍事的成功をもたらした」って、なんか変ですよね?)

その訳ではsharedの単語がそっくり抜けてしまいますし、その直後のwere hard to justify philosophicallyと繋がらなくなってしまいます(日本の急速な経済成長近代工業構造といった日本人の優れた点それ自体がunjustifiableだというのはおかしいですよね)。

軍事的成功というのは私も少し引っかかりましたが、p479にある、韓国指導者の幾人かが日本の訓練した軍を率いていたり日本軍に参加していたりしていたことを指している、と解釈したのですが、いかがでしょうか。多くの朝鮮人日本軍で訓練を受けたことは確かですし、その中には士官がいたことも事実なのですから。

それから、私は日本植民地政策が朝鮮にとって有益であったというコンセンサスがある、と書いていますが、『いいことをした!』とは書いていませんし、思ってもいません。良いか悪いか、善か悪かは、有益かどうかとはまた異なる評価基準が介在するでしょうから、ここでは議論の対象にしていません。だからこそ「善政かどうかはともかく」という但し書きを入れています。そもそも、「日本植民地政策は正しかったというコンセンサスがある」と主張するなら、私がCumingsの『日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。』という言葉引用した段階で、その主張は破綻してしまいます。

3) 論文冒頭(479ページ)でCumingsは、

アメリカ朝鮮半島に深く関わるようになって長い時間日本の侵略期間と同じくらい)が経つのに、自由選挙・自由民主主義基本的人権の尊重といったことが根付かないのは、日本の侵略の影響がいまだ継続している、つまり、日本の侵略の影響が、大戦後の韓国北朝鮮両国家をさまざまな方法で形作っていったからなのだ」

と書いています。「Cumingsが日本植民地政策を有益だと評価している」というのは気のせいではないでしょうか。

この点は私の引用部とほとんど同じことを書いていると思います。日本は自主独立のよき教師でもなければ、民主主義のよき規範でもなかったのです。ですが、Cumingsはそのような「悪い」側面を鋭く批判する一方で、ヤヌスの顔のもう片方、practical virtues(実用面における長所、有意義性、有益性とも訳せるでしょう)についても語っているのです。個人的な感想になりますが、こういうバランスの取り方は大切だと思います。このバランスは専攻分野の違いによって左右されるものの、学界で一般的な態度といってよいのではないかと思います。

2010-01-23

Re: 搾取を語るなら論文を読め

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

どうもはじめましてid:flurryです。

挙げられた論文のうち、Cumings(1984)を少し読んでみたのですが、疑問が出てきましたので匿名ダイアリーに書かせていただきました。

英語があまり得意ではないこともあり、読み間違いなども多いかと思いますが、遠慮なく指摘していただけると幸いです。

 

本題。元増田さん(こういう言い方でいいんでしたっけ?)の主な主張は、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

とのことですが、例として挙げられているCumingsの文章を読んでみても、そのようなことが書いてあるようには読み取れませんでした。

(一応の確認ですが、この元増田さんの主張って「日本植民地主義が他の帝国主義国家のそれよりも、被支配者にとって有益であった」ってことですよね?)

Professor Eto remarks that Japan's vices were no different than those of European colonists. This may be true, but its virtues were quite different. There was no legitimizing myth that the Japanese could make stick. They were not good tutors to teach their subjects how to achieve the goal of independence, as at least some Filipinos thought was true of American colonialism. They were not good exemplars of liberal democracy, as at least some thought that the British were in India. The virtues that the Japanese shared were hard to justify philosophically, but easy to adopt practically: military success, the uses of a strong state, rapid economic development, modern industrial structure. Thus Koreans greeted liberation in 1945 with a profound rejection of Japanese colonialism, yet have never been able to rid themselves of its Janus-faced influence.

元増田さんの訳)

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

1) ここでCumingsが書いているのは、「日本のviceはヨーロッパ帝国主義国家と似ている(かもしれない)けど、virtueは全然似ていないよ」程度のことであって、「日本植民地主義ヨーロッパのそれよりも有益であった」なんてことは言っていないように思われます。

2) で、virtue=美徳ですが、一般的には「あのひとは勤勉だ/勇敢だ」のように、人間が持つ性質や姿勢のことを指すと思います。

"The virtues that the Japanese shared"を元増田さんは「軍事的な成功、急速な経済発展などの、日本がもたらした美徳の数々」と訳して、日本朝鮮半島にいいことをした!と主張されていると思うのですが、実際はこれ「軍事的な成功、急速な経済発展といった、日本人が持っていた優れた点」ぐらいの意味じゃないでしょうか。

(「日本朝鮮に軍事的成功をもたらした」って、なんか変ですよね?)

つまりこの部分は、「戦後韓国北朝鮮日本のやり方(富国強兵殖産興業国家権力の強化)を『隠れた』ロールモデル=お手本とした/せざるをえなかった」と読むべきではないでしょうか。

あと、もう一つ。

3) 論文冒頭(479ページ)でCumingsは、

アメリカ朝鮮半島に深く関わるようになって長い時間日本の侵略期間と同じくらい)が経つのに、自由選挙・自由民主主義基本的人権の尊重といったことが根付かないのは、日本の侵略の影響がいまだ継続している、つまり、日本の侵略の影響が、大戦後の韓国北朝鮮両国家をさまざまな方法で形作っていったからなのだ」

と書いています。「Cumingsが日本植民地政策を有益だと評価している」というのは気のせいではないでしょうか。

小沢問題】中国紙「『日本全国を解放する』と言った小沢氏、実現可能か」… 韓国紙日本外国人参政権、成立は小沢氏の状況次第に」

ttp://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1110549.html

1 :ばぐ太☆φ ★:2010/01/22(金) 10:06:25 ID:???0

 m47084・19日付「中国国防報」は、「小沢氏は12月の訪中で、(夏の参院選について)『日本全国を解放し、最後に全面的な勝利を勝ち取る』と自信満々で語っていた。

 だが今となってはその言葉を実現できるかどうか、疑問を抱かざるを得ない」と、事件の進展次第で小沢氏の影響力が大きくそがれる可能性があると指摘した。

 15日付「東亜日報」は、「小沢氏の政局掌握力が落ちれば、彼が主導する(参政権付与のための)法案の通常国会通過が影響を受ける恐れも出ている」と指摘。

 19日付「京郷新聞」も、今や法案成立に向けた最大の懸案は「小沢氏が政治的苦境に置かれた事実」だと論評した。

ソウル 竹腰雅彦)(抜粋)

ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100122-OYT1T00124.htm?from=top

6 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:09:05 ID:6EdiSXMm0

解放」て。

中国でって。

人民解放軍の「解放」だよな。

そんな事言ったのかよ。

7 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:09:35 ID:+fOh0yJE0

»1

韓国以上に中国は「外国人参政権」の行方を

 

カタズを呑んで見守っているだろうな。

まさに、日本が乗っ取れるかどうかだもんなw

11 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:10:40 ID:IWfxOSb30

中共による「解放」宣言いただきましたーーーーー!

13 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:11:20 ID:ZATAzmvD0

中華朝鮮からんでるのバレバレ。

民主日本のこと考えてない。

16 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:12:45 ID:u1Mk6YhM0

おいおいおい・・・解放って・・

恐ろしい約束してたんだな、マジこえーよ


26 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:15:03 ID:DS+GZODG0

小沢売国奴すぎてヤバイな

自分権力や金のためなら日本国が亡くなってもいいってことか

30 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:15:42 ID:ceI70D3E0

早く逮捕して阻止しろ

31 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:15:44 ID:7aLcmIfd0

ちょっとまて日本全国開放ってなに?

中国秘密裏にそんな事約束してたの?

米軍追い出しで人民解放軍入れるつもりだったのか?

40 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:17:16 ID:VijjKaQM0

小沢日本人じゃない。こいつはホンマモンの売国奴

47 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:18:12 ID:ULRuP/th0

»1

(´・ω・`)日本を切り売りして中国利権ウマウマの予定だったのに

(´・ω・`)残念だったね。

57 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:19:25 ID:LYSF5vD50

他国の利益は自国の不利益。これは絶対に止めなきゃいかん。

しっかし本当に民主党って何考えてんだ?

 

そんなに日本人が嫌いなのかよ。

73 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:21:39 ID:T/pvS/G/0

参院でも過半数取った時が小沢国家主席誕生の瞬間か

75 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:21:58 ID:ORGvW0bu0

海外利権欲しさに日本を売るのかw

79 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:22:29 ID:gteLm0kLP

人民解放軍wwwwwwwwwwwwww

203 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:37:10 ID:W1hiXvnl0

日本人無視して外国行って

参政権あげるよとか勝手約束してくるなっての

211 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:38:19 ID:6q/YD3iF0

民主党破防法適用しろ


242 :名無しさん@十周年:2010/01/22(金) 10:43:29 ID:VdRTGsVW0

記事が怖すぎるんですけど・・・

2010-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20100121100040

まー、この論法だと「中国共産党チベット封建社会の桎梏から解放し、飛躍的経済発展と生活水準の向上をもたらした」も

認めないといけないけどな~

認めればいいんじゃね?

植民地支配が倫理的に悪であることと、支配が植民地経済発展に資することもあるということは別の話だろ。

日本/中国を非難することと、朝鮮/チベットが結果的に潤ったことを認めることは両立しえる。

2010-01-20

朝鮮生活水準日本の統治下で向上していた件

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。

日本植民地経営朝鮮人の暮らしは悪化したのか?

植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。

水田開発や農業技術の向上は、ほとんど朝鮮の民生向上に繋がりませんでした。そのことは統計数字が示しています。

最初にいただいた反論は、日本植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。

  • 朝鮮人所有の土地面積が減少している。
  • 工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことがない。
  • 日本統治化で、米の消費量はむしろ減っている。

まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。

で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮生活水準大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、

この論文では日本統治下での朝鮮大衆生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆生活水準植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。

言うまでもなく、識字率とはハングル識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまい言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者アマルティア・セン生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率栄養摂取などに着目しようというものだ。

ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人健康を損ねるレベルカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。

一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。

これらの要素から、木村教授アマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.

http://www.jstor.org/stable/2122408

日本植民地経営だけが素晴らしかったのか

日本英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義排外主義の立場の人の言い分ですね。

しかし香港シンガポール英国植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。

経済発展の結果を以て日本植民地経営の良さを言えるのであれば、英国植民地経営もまた良かったことになります。

でも英国植民地が悪い見本であると言うなら、日本だってどっこいどっこいなんじゃないかと。

この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリス植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツフランスベルギーオランダ、そしてポルトガルアフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチ宗主国フランスである。

http://www.jstor.org/stable/2724912

日本の統治はどう有益だったのか

北朝鮮」も日本植民地でしたが、先進国になっていますか。

あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人努力の賜物だとも言えますよね。

まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。

教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。

後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリー引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。

前段については、「北朝鮮経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国経済成長韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験技術、各種インフラ教育制度官僚機構などを日本植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。

2010-01-19

搾取を語るなら論文を読め

http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034

日本韓国統治は善政か否か」問題で久しぶりに面白いエントリーを読んだ。正直、日本韓国統治は悪だ、という議論は感情論ばかりが横行するので辟易していたのだが、こういう数字に基づいたエントリーが出てくるとちゃんと議論になる。実際、コメント欄でも、すれ違いはあるものの真っ当な議論になっているように思う。

でもさ、『ちゃんと学術的に認められた歴史書を読み直されるよう、お勧めいたします。』って書くならさ、もう一歩踏み込んでもいいと思うんだ。学問の主戦場たる英語論文の数々に。ここ20年間、様々な定性定量分析が積み重ねられてるのに、それを無視するなんて余りにももったいない

結局、日本韓国もこの件ではバリバリ当事者な訳で、どうしたって中立的な議論は出来ない。純粋に学術的に中立的な議論をしても、その裏の政治的思惑を勘ぐられるのがオチだ。なら、第三者たる欧米の、それも世界最高峰大学で教鞭を執る学者の議論を参照することは決して無意味な事じゃないはずだ。

それに、10年前と違って、我々はほぼ自由にこれらの議論にアクセスできる。Google Scholarで”Japan Korea colonization”を検索してみるだけでいい。10回くらいクリックすれば議論の形はある程度つかめてしまう。いい時代になったもんだ。

で、2時間ほど仕事をさぼって論文を流し読みした結論。それは、

日本韓国統治が善政だったかどうかはともかく、「その植民地政策が、他の帝国主義国家の政策とは明らかに異なる、有益なものであった」ことについては、学者の間である程度のコンセンサスがある

ということ。ついでに言うと、欧米開発経済学者と何度か話した時も、この結論をある種自明のように語っていたので、現在でもこのコンセンサスは有効であるように思う。私自身は門外漢なので断言は出来ないが。

日本植民地政策の総論として、大体平均的な見解になっているのは、Bluce Cumings(シカゴ教授)の以下の下りだと思う。

エトウ教授日本の悪徳はヨーロッパの植民者のそれと何ら変わるところがなかった、と述べている。それは正しいのかもしれないが、一方でその美徳はヨーロッパ人のそれとは全く異なっていた。日本人には、信じるに足る「自らを正当化する神話」は存在しない。少なくとも何人かのフィリピン人は、アメリカ植民地主義独立というゴールへと至るための良き教師であると信じていたが、日本は良き教師ではなかった。少なくとも幾人かはイギリスインドにとって自由民主主義の良き模範であったと信じているが、日本は良き模範でもなかった。日本がもたらした美徳の数々は、倫理的には(philosophically)正当化するのは難しいが、実際的には(practically)容易に受け入れられるものだ:軍事的成功、強力な国権の運用、急速な経済発展、そして近代的な工業セクター。それゆえ、1945年韓国人達は日本植民地主義に対する全面的な拒絶を唱えて解放を謳歌したが、その一方で日本がもたらした様々な影響からは抜け出すことが出来ないという、二律背反に直面することになったのである。

ちなみに、このCumings教授北朝鮮よりの言動が過ぎると批判を受けているくらいであって(英語Wikipedia参照)、決して日本よりのスタンスを取っているわけではない。むしろ、日本植民地政策は朝鮮政治的に分断される一因となったと書いている(人となりの雰囲気はこの辺りのブログで分かるかもしれない。http://d.hatena.ne.jp/uedaryo/20090208/1234060826)。それでもなお、36年間の日本経済政策については、むしろ肯定的な言及が多い。日本植民地政策についての興味深い言及もあるので、興味のある人は以下のリンクを読んでみると良いだろう。英語は平易なので、特に苦労なく読めるはずだ。

B. Cumings (1984), “The legacy of Japanese colonialism in Korea”, RH Myers and MR Peattie eds., The Japanese Colonial Empire: 1895-1945, Princeton UP.

http://brightrising.com/pdf211/week10/Bruce%20Cumings%20%27The%20Legacy%20of%20Japanese%20Colonialism%20in%20Korea%27%20-The%20Japanese%20Colonial%20Empire-%20p.%20478-496.pdf

似たような議論としては、

LG Reynolds (1983), “The Spread of Economic Growth to the Third World: 1850-1980”, Journal of Economic Literature.

G-W Shin (1998), “Agrarian Conflict and the origins of Korean Capitalism”, American Journal of Sociology.

CJ Eckert (1991), Offspring of Empire, U of Washington Press

などがまとまっている(最後のは読んでないが)ので、興味のある人は参照して欲しい。Google scholar検索すれば他にも沢山出てくる。個人的にはReynoldsが俯瞰的にまとめていて良いと思う(アクセス権がないと入手が困難だが)。

さて、ここからが本題だ。欧米の碩学達はなぜ「日本植民地政策は有益であった」と結論づけたのだろう。正直、上のリンクを読みやがれの一言で済ませてしまっても良いのだが、一連の議論がある程度まとまっている論文を見つけたので、以下で抄訳してみたい。プリンストン大学のAtul Kohli教授論文なのだが、まず彼は94年に「日本植民地政策は、戦後韓国経済発展に重要な貢献を成した」という論文を発表したのだが、これにS. Haggard(UCサンディエゴ校)、D.Kang(ダートマスカレッジ)、C-I Moon(延世大学)の3人が「いやいや日本の影響なんてたいしたことないから」という反論論文(以下HKM)を寄稿した。これに対して更に「いや、君たちの言うことはおかしい」という再反論をKohliが行った、という流れになっている。この最後の再反論の論文が短くまとまっていて論点も明確なので、これを取り上げてみることにしよう。

1.The economic records and legacies

HKMではKohli論文に対して4点の反論を試みている。まず、日本統治下での韓国経済成長と、終戦後韓国経済成長とを過大評価しているという点。『私の原論文では、主によく知られたS-C Suh (1978)のデータに基づいて、植民地時代の米の生産量は年率2%相当の伸びを示しており、その相当量が土地1単位辺りの収量の増加によると議論している。生産性の向上は、日本政府による計画的な灌漑、品種改良と肥料の使用を反映したものだ。

日本の行動が利己的なものであって、多くの韓国人はこれらの植民政策の恩恵を受けていなかったという不快事実に関係なく、安定的で近代的な農業生産の成長は植民地主義歴史の中でほぼ無類の成果であった。この経験韓国を他のアジア諸国(除日台)から一線を画す存在にした。そして、この経験はその後の韓国経済成長へ貢献する一要素となったことは間違いない。』

HKMはこれに反論を試みているが、『HKM自身が提示した資料によれば、1911年から38年までの植民下の韓国農業成長は3.17%増加しており、私の提示した数字よりも更に高い。』Dehliはなぜ彼らはこの事実をちゃんと議論しないのかと指摘した上で、もう少し細かい議論をしている。さらに他の研究を引いて、Myers and Yamada (1984)は1920年から40年までの農業生産の伸びを年率1.15%、S-C Suh (1978)は穀物生産が25年間で45%、米は30年間で100%増加したと推計しており、『これらのデータを前にして、植民政策下の韓国農業生産と米の生産が植民経済の基準から言ってかなりの増加を示したことを誰が疑うのだろうか?』と問うている。

『より重要なのは、これらの、特に米の生産の成長の源泉は何かと言うことだ。Suh (1978)とMyers and Yamada (1984)の双方が、この時期に耕地の大幅な拡大や、農業への労働者の大量投入は見られないと指摘している。これらが強く示唆するのは生産性の向上である。HKMは生産性の向上はあくまで緩やかなものに過ぎなかったと主張するが、30年間で60%もの生産性の向上(Suh, 1978)を緩やかと表現するのは不可能だ。籾付米の栽培パターンの変化は韓国農業に“生物学革命”が起こったことを示している:品種改良された種籾を使用する水田は倍に増え、肥料の投入量は10倍になり、灌漑された農地は年率10%近いスピードで拡大し続けた(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1894, Ishikawa, 1967)。

これらの改善明治時代農地革命の日本から韓国への計画的な普及の成果(Suh, 1978, Myers and Yamada, 1984)であった。日本植民地政府韓国農業改革の努力によって、“近代的な農業革命が開始され”、日本台湾と同様に、“これはアジアにおける近代農業改革の端緒となったと言って良いだろう”(Myers and Yamada, 1984)。更に、他の研究者達が指摘するように、この革命は終戦後も引き続き行われた。これでもなお、「ユニーク植民地の運営は大戦後の韓国経済発展への足がかりとなった」ことを否定することが出来るのだろうか?』

日本工業政策の影響については、『HKMは3つの伝統的な-そしてあまり説得的ではない-理由から反論している。曰く、工業部門は殆ど日本人が所有していた。曰く、その殆どは北朝鮮に位置していて韓国経済発展には関係ない。曰く、どちらにせよ、朝鮮戦争であらかた破壊されたので関係ない。

日本人への所有権の集中という最初のポイントは説得的とは言えない。韓国1965年以降の経済成長においても、企業所有権はかなり集中していた。こっちは問題ではないとでも?日本資本について言えば、「外国資本ニ支配サレタ工業化ハ真ノ工業化トハ言エナイ」的な議論は、既に説得力を失って久しい。第2に、工業資本朝鮮戦争破壊されたという点は私が原論文で指摘済みの点である。繰り返すが、当時の工業資本の約半数は南朝鮮にあったのである。さらに、南朝鮮にあったのは繊維工場のような軽工業資本であって、北の重工業に比べて輸出産業としては離陸しやすかったはずである。』

Kohliは、更に反論として、脱植民地運動朝鮮戦争破壊からの急速な回復は、韓国人近代工業を運営した経験があったからこそであること、(2) 工業資本戦争破壊されたのは事実としても、知識は消え去らないこと、近年のRomer (1993)などの内省的成長理論においても知識の重要性が強調されていること、などから、日本植民地時代の「正の遺産」は韓国経済発展に寄与したとしている。

2. On the developmental state

政治プロセスの話をしているのだが、「てめーの読み違いだよ」という話なので省略。

3. On the origins of Korean capitalism

『主にEckert (1991)の重要な著作に依って、私は原論文日本植民地主義韓国資本主義が孵化するためのフレームワークを構築した、と論じた。』『HKMはEckertはある特定の例しか研究しておらず、日本植民地政策の影響がなかったとしても、韓国固有の資本主義がいずれ芽生えたはずだ、と主張している。』

これに対する反論として、Kohliは3点の反論を挙げている。(1) Eckert (1991)の“韓国資本主義日本の統治の下で、日本の公式な承認(official Japanese blessing)をもって花開いた”という議論は依然として受け入れられており、仮に例証の少なさが問題だとしても、多くの研究者がいくつもの例証を発見しつつある(例えば、Ho Su Yolの研究によれば、韓国企業家の数と、韓国人所有の企業の規模は、1930年代に共に増加している。(2) 歴史にifはありません。 (3) 『確かに、植民政府利己的な動機で動いていた。確かに、多くの企業日本人に所有されていた。しかしそれでも、その政府で、企業で、多くの韓国人が働いていた。そして、その過程で日本式の資本主義はゆっくりと、しかし確実に韓国に根付いていった。更に言えば、多くの韓国人起業家がそのビジネススタートさせたのはこの時期なのだ (Eckert, 1991)。確かに、有力な財閥企業の多くは大戦後に設立されている。しかし、資本主義というのはある日突然芽生えるものではない。多くの財閥企業(現代、三星Lucky Starなど)の創業者達が最初に事業を興したのは植民地時代なのである。』

5. On the state and lower classes

最後に、日本政府による朝鮮人労働者の使役の問題について。『私は原論文で、韓国での日本人は、きわめて抑圧的でそして日本自身のそれによく似た労使関係の構築に寄与した、と主張した。マネージャー達は若い韓国人を雇い、OJTを施し、愛社精神を植え付け、とんでもない長時間労働を要求し、そして国家権力を後ろ盾として労働組合政治的な活動を禁じた。さらに、“サンポ”システムで「産業愛国クラブ(industrial patriotism clubs)」を組織して経営者労働運動リーダー達を同じクラブの一員とし、彼ら労働運動リーダー達を経営者が雇い挙げる仕組みを作り上げた。この厳格なアメとムチのシステム日本人経営者に「生産性上昇よりも低い賃金アップ」という恩恵をもたらしただけでなく、政治運動を無視して生産性向上に集中させることを可能にした。この仕組みは韓国政府に受け継がれ、その高度成長期まではこの仕組みは維持された。』

以下結論が続くが省略する。残念ながら、この論文大学関係者以外はアクセス権がないので、興味のある方は大学図書館で以下を当たって欲しい。

A Kohli, (1994), “Where do high growth political economics come from?”, World Development.

S Haggard, D Kang, CI Moon (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a critique”, World Development

A Kohli, (1997), “Japanese colonialism and Korean development: a reply”, World Development.

念のために書くが、別に権威ある意見が全てだと言っているわけではない。自分の足でデータを探して考えるのはとても大切なこと。でも、それだけではたどり着けない議論というのがあることも分かってもらえればありがたい。上で紹介したKohliは帝国主義経済発展が専門分野で、日々そんなことばかり議論する毎日を送っているはずだ。そういう人たちがたどり着いた「日本植民地政策にはありきたりのvices(悪徳)と、ユニークなvirtues(美徳)がある」という結論には、それだけの重みがあると私は思う。

2010-01-13

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100112-00000061-san-pol

外国人参政権法案 政府通常国会提出へ 反対根強く調整難航も

1月12日7時56分配信 産経新聞

 政府民主党は11日、永住外国人地方参政権選挙権)を付与する法案を政府提出法案(閣法)として18日召集の通常国会に提出し、成立を目指す方針を決めた。この法案には自民党を中心に反対・慎重論が根強く、地方議会を巻き込んで国論を二分する事態となる可能性もある。

 鳩山由紀夫首相民主党小沢一郎幹事長らは11日午前、首相官邸政府民主党首脳会議を開き方針を確認した。平野博文官房長官はすでに公職選挙法地方自治を所管する原口一博総務相参政権法案の検討着手を指示しており、今後、政府内の法案提出に向けた動きは加速しそうだ。

 民主党で検討されている法案は、地方自治体首長地方議員選挙権を、戦前から日本にいるか、またはその子孫の在日韓国朝鮮人らの「特別永住外国人」(42万人)に加え、その他の「一般永住外国人」(49万人)の成年者にも与える内容。ただ、「朝鮮」籍保持者には付与しない方針だという。

 地方参政権付与は、韓国在日大韓民国民団民団)が強く求めており社民党公明党共産党などが賛同。民主自民両党では賛否が割れている。また、国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は反対し、法案の閣議決定を認めないと明言している。地方でも、千葉石川熊本などの県議会が相次いで反対の意見書を可決しており、政府与党内の調整が難航し政権運営の火種となりかねない。

 ■国益反する恐れ、対策なく

 政府民主党が検討する永住外国人への地方参政権選挙権)付与法案は国民主権に反し、国益安全保障を損なう恐れがある。

 憲法15条第1項は参政権を「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする。地方参政権付与は国民主権の根幹をなす15条違反の疑いが強い。

 付与推進の動きは、平成7年2月28日の最高裁判決の「傍論」が、立法措置があれば地方選挙権付与は違憲でないとしたことで拍車がかかったが、「傍論」に法的拘束力がないことに目をつむっている。

 地方政治は国政と不可分だ。警察教育行政自衛隊米軍の行動にかかわる有事法制、周辺事態法でも自治体の関与、協力は欠かせない。重要な役割を担う首長地方議員政党外国人外国勢力の影響下に置かれ、国益安全保障に反する政治傾向を示すことへの防止策の議論もない。

 「外国人はわずかだから影響力はない」(推進派の民主党参院議員)との意見は間違いだ。仮に1票でも外国人票がキャスチングボートを握ることはある。日本住民票の異動も自由だ。基地問題にかかわる沖縄県名護市市長選のようなケースで、外国人票が結果を左右してもいいのだろうか。

 特別永住外国人だけでなく、一般永住外国人まで対象を広げたことも大きな問題をはらむ。

 中長期的に見れば、人口構成は移民政策の展開次第で大きく変動する。民主党自民党には労働力確保のための「1千万人移民」受け入れ論者がいる。日本経団連移民受け入れを唱えている。日本移民受け入れに転換すれば外国人の割合が急増したり、日本国民が少数派になる地域も出てくるだろう。

 相手国との相互主義も採らないため、一般永住外国人のうち、民主国家ではない中国国民日本永住権を持つ人も付与されるが、これで対象者は膨れ上がる。

 在日大韓民国民団の幹部は20年7月8日、民主党の会合で「(地方被選挙権も必要だ。ステップ・バイ・ステップで」と述べた。地方選挙権実現後はさらに被選挙権-と、要求がエスカレートする恐れもある。(榊原智)

亀井が唯一の頼みの綱か…。

2010-01-12

ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263267465/99

99 :名無しさん@十周年:2010/01/12(火) 12:56:14 ID:iMaoOIbe0

民主党衆議院議員 長尾たかしのホームページより

共生社会。聞こえは良いが民族プライドが敵対心剥き出しの

上、ぶつかり合う環境では不可能。在日の方々が、「日本人とし

ての国民権利」を得たいと思うならば、日本人にならなければな

らない筈だ。参政権は国のかたちの根幹に関わる重大事項であ

る。在日日本よりも朝鮮に対する忠誠を優先させ、かつ権利を

得るというのは虫の良い話。最後に、彼(民団幹部)は「外国人

参政権を認めたら、日本が乗っ取られてしまうと考えがあるようだが、

別に乗っ取られたっていいじゃないかっ」とハッキリと述べた。耳を

疑ったが、事実だ。遂に彼は我々の前で、徹底した反日感情を最

後まで貫き通したのだ。

ttp://www.tnagao.org/item/20030227

2010-01-06

光栄が”また”やらかしたと思う人が少ないようなので

http://sankei.jp.msn.com/life/education/100104/edc1001042223002-n1.htm

日本製の人気オンラインゲームで、日本海を「MER DE COREE」(朝鮮海)と表記している地図が使われていることが分かった。開発したゲームソフト大手「コーエー」(横浜市)のホームページ上の公式掲示板には、「大変不快」「どこの国の企業なんだ?」などとユーザーの非難が殺到。日本政府見解と異なる表記を使用したことに識者からも批判の声が上がっている。

ソースはWikiしか見つけられなかった。当時TVニュースでも報道されていた内容だったのだが。(NHKだったと記憶しているが、朝日だったかもしれない)

http://oncon.seesaa.net/article/137501296.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E7%9D%A3%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%96%ADIII

中華人民共和国からの抗議

中国では本作を「東條英機らが出てきて、日本による中国侵略を正当化するもの」と解釈し『反動遊戯』に指定していた時期があった。それより前の1996年にも重慶市民グループから抗議が出されたこともある。この時期、光栄が「III」を中国工場生産していたこともあり、抗議は激しいものだった。重慶にあった光栄の支社では、中国人従業員が仕事ボイコットしたとも言われている。この抗議があってからシリーズはしばらく封印されることとなった。実際、光栄天津市から電子出版管理規定違反により、479,000元(約670万円)の罰金刑を科せられたことがある(1996年12月4日中国中央テレビ報道)。

この抗議の理由に関しては「蒋介石だけが出てきて、毛沢東が出てこないことに腹をたてた」「国土に星条旗が翻る(アメリカ側の都市を示すものであり、もちろんアメリカの支配下という意味ではない)ことに我慢ならなかった」という異説もある。

上記記事も中国工場生産していて問題になったようにしか書いてないが、「提督の決断シリーズ移植かなにかを中国に開発させていたような報道がなされたことも(おぼろげながら)記憶している。

ゲームの内容うんぬんはおくとしても、第二次世界大戦を題材にしたゲーム戦争当事国、よりにもよって日本が実際に交戦した相手に生産させたり(記憶が正しければ)開発させたりするのはさすがに無神経なんじゃないかと当時思った。

こういった”地雷”をかわすリスク管理がまともにできないなら、歴史を題材にした娯楽なんて作るべきじゃないと思うんだけどどうなんだろうね。

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