2010-02-28

任那日本クロニクル(3) 特亜騒乱と谷垣政権崩壊

任那日本クロニクル(2) 小泉総督朝鮮神宮

http://anond.hatelabo.jp/20100226014729

 

竹島問題を解決するために締結された「竹島任那交換条約」により、

日本任那慶尚南道)と済州島を手に入れた。

 

日本任那財団法人任那日本府」を設立し、任那経営の任に当たらせた。

任那日本府は、実質的経団連が運営主体であったが、

これは財政支出を抑え民間に積極的に事業運営を委託していくという、

谷垣総理(鳩山総理辞任後に就任)の意向に沿ったものである。

 

しかし、任那日本府の初代総督となった奥田碩(元トヨタ自動車社長)は、

任那移民を受け入れる意向を示すなどして、国内からさまざまな反発を受けた。

そのため奥田総督は、一期で辞任した。

 

後任は谷垣総理の裁定により、小泉純一郎が就任した。

 

小泉総督は、特に日本国内の保守派の支持を得るべく、任那に「朝鮮神宮」を建立した。

神宮皇后豊臣秀吉伊藤博文を祭神とする朝鮮神宮は、

官幣大社並の社格とされ、祭主黒田清子今上天皇長女)が就任した。

 

小泉総督は、この朝鮮神宮に颯爽と参拝する姿をメディアを通して日本国民に伝えることで、

世論の支持を得ることに成功した。

 

しかし、それは奥田時代に生じた問題を解決することには何ら関係なく、

むしろ小泉総督は、奥田前総督が計画した産業政策を、より強く推し進める政策をとっていった。

 

一方、韓国では、竹島の主権を日本から奪い取ったことに、韓国民は日夜、酔いしれていた。

竹島を得ることで支払った対価の大きさまでは、関心が向かなかった。

それほど竹島の存在は、韓国民族主義の象徴と化していたのである。

 

しかし、小泉総督朝鮮神宮に参拝する姿をみて、心情は一変した。

 

かつて10年ほど前の、韓国民にとっては忌まわしき、

小泉総理による靖国参拝のシーンを思い出したのである。

 

それはまた、韓国民に任那へ関心を向けさせる契機となった。

そしてようやく、国土の一部が日本領となっていたことに、韓国民は気付かされたのである。

 

ここにおいて韓国民族主義の象徴の地は、竹島から任那および済州島へと移動した。

 

韓国では若者たちが「日帝排斥」を叫んで、デモを起こした。

デモ隊は国境を越え、任那にもなだれ込んだ。

任那日本府や朝鮮神宮の前に、韓国若者たちが陣取って、盛んにシュプレヒコールをあげた。

 

この動きはさらに、中国にも伝播した。

中国若者たちも韓国での動向に呼応して、北京日本大使館を取り囲んだ。

そして「愛国無罪」を叫びながら、大使館に投石した。

国際法上問題のある行為だが、中国政府は見て見ぬふりをした。

 

日本国内でも、動揺が広がった。

民団日本デモを行ない、総連もこれに賛同した。

民主党鳩山由紀夫オーナー)は民団同調して、政府批判を強めた。

 

もともと、枠組みの弱い連立の上に成り立っていた谷垣政権は、

こうした国内外からの批判に対し、為すすべを知らなかった。

また、谷垣総理は小泉総督実質的な任命者であったため、連立与党内からも批判の声があがった。

 

このままでは連立が崩壊しかねないとの危機感をもった自民党内の中堅・若手グループは、

河野太郎衆議院議員を中心に結集し、谷垣総理に公然と辞任を迫った。

当初、自民党石破茂幹事長は、こうした動きを黙殺した。

 

しかし、連立を組む新民主党岡田克也代表)が、反谷垣派への支持を鮮明にしたことで、

谷垣総理の運命は定まった。

谷垣総理は、与党内混乱の責任を取り辞任した。

 

この渦中で、加藤紘一谷垣総理に、

「あんたが大将なんだから」と涙を見せて辞任の意を翻すよう、説得したとされる。(つづく)

 

記事への反応 -
  • 竹島の帰属問題は膠着状態に陥った。 竹島はすでに韓国民族主義の象徴の地となっていて、韓国側としては一歩も譲ることはできない。   そんな中、日本の鳩山総理は、事態を打開す...

    • 「竹島-任那交換条約」 http://anond.hatelabo.jp/20100223021434   膠着状態に陥った竹島問題を解決するために、日本政府は韓国に対し、 竹島と任那(慶尚南道)および済州島を交換することを...

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