はてなキーワード: ロマン派とは
当時はそもそも古典派以降の、要するにクラシック音楽というカテゴリーで主流になっている曲を全然知らなかったし興味もなかったし、そこでやたら沢山音符を弾かされる、管弦楽というジャンル自体が自分の手に余るものだった。
クラシック音楽の凄さが分かってきたのは、しばらくオケを離れて、就職して数年後に社会人オケに入ってからだったかな。
そこでやっと必死に作曲家のことやスコアを勉強して、とてつもない世界があることに気づいたという・・・。
つまり、自分は楽器を手にした年齢だけはとても早かったけど、あとは色々遅い。笑っちゃうくらい遅い。
それでも好きになったクラシックを、出来る所を見つけて続けているだけなのだ。
だから4歳から始めているとか、出来れば訊かれても答えたくないわけで。
メンコンやチゴイネルワイゼンはやっていて当たり前、ラロもクライスラーもスプリングソナタも四季も楽にこなせるレベルまで、かなり短期間で叩き上げてきたメンタリティってそういうもんなのだと思う。
強烈な自負と自意識がなければ無理というか。
妙に迫力も出ちゃうし、何より自信溢れる態度で、モテても全く不思議はないし。
それでも4歳からやっている人相手ならそれなりに敬意を示すんだろうけど、逆にそれくらい早くから始めていてメンコンも弾けないどころか、バッハのコンチェルトやヘンデルのソナタを勢いでやっつける程度では、軽く見る理由にしかならないと。
何しろあっちは指板のどこでも快適にフィンガリング出来て、かつ上級のボウイングと音造りが出来るのに対し、こっちはそこそこハイポジションで弾けて、初歩の重音とヴィブラートがせいぜいだったわけで。
今だから分かるけど、とんでもない差だと思う。
そしてあの頃からかなりの年月が経ち、ようやく古典派やロマン派の歌い方が分かってきた今だからこそ、メンコンというドイツ前期ロマン派の名曲を完璧に、かつ最高に楽しく弾いてやり返したいのだ。
このままやられっぱなしで、中途半端で終わらせてたまるか!と、やっと奮起できた感じ。
それに、そこまで弾けたらもっともっと楽しい領域が待っていると思うから。
アマオケで弦をやって10年以上経つけど、未だに管の人達の曲の嗜好がよく分からなかったりする。
とにかく管の人達って、ロマン派後期から近現代の音楽をやりたがる感じなのだ。
近現代くらいからしか定席のないトロンボーンやチューバがこの傾向なのはまだ分かる。
ティンパニ以外の打楽器も、やはり近現代から積極活用され始めたので、これまたそっちをやりたいだろうと思う。
しかし木管やトランペット・ホルンまで含めて、総じて上に書いたような、言い換えれば「割と大編成志向」なのはどういうことだろう。
スコア眺めてる限り、モーツァルトやベートーヴェンやブラームスの管楽器パートだって十二分に面白そうなのになあ。
木管ホルンの深みのある印象的なアンサンブル、トランペットとティンパニのカッコいいアクセント、どれも弦じゃ絶対経験できないし。
ちなみに弦の意見として言わせてもらうと「オケは弦の豊かな響きが基盤」という意識が非常に強いです。
またヴァイオリンやチェロのメソッドは古典的な造りの曲や、バロックを基本としていたり。
なのでそれに沿ったオーケストレーションをする古典派~ロマン派前期くらいが、どうしても好みになるわけで。
一方、楽器の限界に挑戦するような、弾いててやたらくたびれる書き方をしているロマン派後期以降はちょっと・・・という感じ。
管打楽器の数も多いので、それに負けないよう人をかき集めようにも、曲によっては技術的に難しすぎて、ゲネ本しか来ないようなエキストラにはまず期待できないなんて事情も。
「死の町」は正しいよ派(古典派) ├ 実際に死んでるから、もうどうする事もできない町だよ派(ダダ派) │ └ 将来的には日本全土がそうなるんだよ派(超現実派) └ 問題はそこじゃない、どう復興するかが勝負だよ派(未来派。おそらく多数派) └ でも「放射能なすりつける」はまずかったよ派(新即物派。少数の辞任やむなし派も含む) 「死の町」じゃないだろ派(ロマン派) ├ 復興するつもりなら死という言葉は不適当だよ派(後期ロマン派) │ └ でもそれくらいで辞任はおかしいよ派(擬古典派) └ 現地の人々の心を踏みにじったんだよ派(民族派) 中立派(印象派。追記予定) └ どうでもいいよ派(即興派)
好きな音楽のジャンルとして、「メタル」を挙げても大丈夫っぽいね。詳しく語りださなければ。
なんかもっと、非社会的なものとして認識されているのかと思ってたの。
http://anond.hatelabo.jp/20110216112706
後期ロマン派からフランス近現代あたりが一番好み。でも現代音楽バリバリという感じじゃないw
クラシックは詳しくないけど、こういうこと語る人は結構好きだw
どんなところがツボにはまって好きなのか、とか詳しく話しを聞きたくなる。
マニア気質なのだろうか。どんなジャンルでも、マニアックな話が出来る人は良いと思う。
僕らが信じてきた近代のアート概念は、初期ロマン派的な、つまり19世紀的なものなのね。現実から離陸して、カオスを経験して、再び現実に戻る。そのとき、もはや以前の着地面には着陸できないようにさせるのが、アート。だから、もとの着地面に着陸させるのを目的とするリラクデーションやエンタテイメントとは、そこが違うというね。
でも、ポロックが気付くわけ。「そろそろ飽きてきたから、カオスを経験した後、もとの着地面にはもう着陸したくないな」みたいな欲求を持ったヤツがアートを経験して満足する、という現実があるだけじゃないかと。つまり、アートは部屋の模様替えや引っ越しと同程度のものでしかなく、リラクゼーションやエンタテイメントと本質的には違わない現実の補完物じゃないかと。
私はハウツー本っていうか「あなたのライフスタイルを今より3倍ちょっと楽しくなる本」とか「知らないと損する100の技法」とかいった本しかよまない。
しかっていうのが曲者で
私はどこぞの誰かのましてや、架空の物語には一切興味を示せないのである。
所が私のような人は少数派で なぜハウツー本を読まない?とリアルの人に説明したところで
対して興味が無いから読まないのである 程度の答えしか返ってこなくて
私は疑問や胡散臭い謎をといたり 哲学的思考{とは?を解く}のが趣味なうざい人である
なぜ? ハウツー本好き とかで検索して嫌いな人のページしか出てこない
なぜ皆ツェルニーを毛嫌いする?
ロマン派の美しくて胸をしめつけられるすばらしい音楽ではないか?
俗物派 ─┬─ 中古品とかとんでもないよ派(女はものである)
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├─ 自信喪失派(自分に自信が無いので恋愛経験の無い人がいい)
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└─ 女性恐怖派(基本的に女が怖いよ派)
無理派 ─┬─ 処女しか精神的に無理(精神的に受け付けない)
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├─ 処女しか衛生的に見て無理(汚いような気がする)
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├─ 処女しか家系的に見て無理(名門なので処女以外認めてもらえない)
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├─ 処女しか風習的に見て無理(穢れ、禊の精神が染み付いちゃってる)
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└─ 処女しかストーリー的に見て無理(カタルシスが得られない)
ロマン派 ─┬─ 二次元派(二次元の中にのみ処女を追い求める)
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│ ├─ 二次元しか愛せないよ派
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│ └─ 三次元はあきらめているよ派
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│ ├─ 俺のセックスは綺麗だよ派
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└─ ナイト派(無垢なものを守ってあげたい派)
一口メモ
女性との出会いが無いなど、結果的に処女厨にならざるを得なかった気の毒な処女厨も中にはいる。
増田や2chで暴れている俗物派の処女厨とは議論にならない。議論しても得るものも無い。スルー推奨。
処女厨はたくさんいるように見えるが、俗物派が頑張って連投しているだけ。お疲れ様である。
<参考エントリ>
http://anond.hatelabo.jp/20081214164408
http://anond.hatelabo.jp/20081215224621
http://anond.hatelabo.jp/20081216170031
http://anond.hatelabo.jp/20081217151505
http://anond.hatelabo.jp/20081226140037
http://anond.hatelabo.jp/20071129093036
を書いた元増田です(疑うなら元記事に追記するなりして証明は可能だから言ってくれ。たとえば「元記事に今から言う数字を書き足してみてくれ」とかね」)。
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20071201#1196445770
増田参照されるとは思わなかった。驚いたね。その程度のまともな神経がある相手とも思ってなかったので増田で書いた。
指名されてるみたいなんで答えるよ。
敢えて少しだけ踏み込んで書きますが、増田さんさ、腹を立てるのは勝手だけど、その匿名エントリをアップする時、「精神病罹患者がこれ読んだらどう思うか」って考えましたか? 「お前には医療知識や臨床経験のある人間以外は、一生近づいてこないし、近づかれるべきではない」と宣言されて、どう思うと思うよ? それって悪意とか善意とかの問題か?
「ダンプカー」という比喩だけ取り上げて「お前はひどい」扱いをするのは比喩の乱用。こちらは、「素人が、心を病んでる人間の『その病の部分に手を突っ込むような行為』」を指して「ダンプカーの前に素手で立つような(無謀な)行為」と言ったわけで、その一部分を取って「精神病患者=暴走ダンプカーってことかよ!」なんて無茶苦茶な比喩のずらし方をしてこちらを批判するのは、またずいぶんな印象操作で、分かってやってるなら卑怯。そうでないなら「良く嫁」。以上。その程度の読解力で名前だされたら、それこそフーコーが泣く。
心を病んだ人間に友人がいていけないわけはない。そんなこと、誰も否定してない。
ただあんたがやってることは、「心を病んだ人間に輪姦オフが必要だからやっちゃおーぜ、オレ金出して見物するからさー」ってことじゃねーの。どうみても。それが「友人」のやることかね?
「友人」てのは、相手がその後どうなるかも含めて一緒にその運命をかぶろうって覚悟のある人間のことじゃないの。そこまで言わなくても、この後相手がどうなるか、少しは心配するものじゃないかね。相手にとって「良い」ことをしようという善意がない人間が、相手の「友人」なのかね。「お前、それは解決にならないよ」と一言言えない人間の、どこが「友人」なのかね。
「いや、私は『友人』のつもりだ」というなら再度尋ねるが、あなたのやろうとしてるオフは、彼女にとって「良い」ものだといかなる根拠であなたは考えてるのか、そしていかなる責任をもってそれを断言できるのか。そこをあなたは述べるべきだろう。これこれこういう理屈で、彼女はこれで「癒される」わけです・私の○○という経験からそれはかなりの確率で断言できます、と言えばいい。なのに「癒され方は人それぞれ」根拠らしきものはそれだけか。本人の主張する「癒し」を実践して、それで悪化する可能性について全く無言及なのは、分かってやってるのかそうでないのか。
あなたはエントリで「心を病んだ人には『医者』だけじゃなく『友人』だって必要なんだよ」と言う。なるほど正しい。では聞こう。
あなたは「友人」なのか。「やらせてくれれば誰でも良いです」という彼女の呼びかけに答えて、金あなた持ちでやってくるブロガー連中は彼女の「友人」なのか。一体いつこの話のどこに「友情」が入り込めるのか教えてくれないか。それ以前に、あんた友人というなら、こんな晒し者みたいにしてエントリで書いてる場合じゃない、今すぐメールして居場所教えて貰って彼女のとこに飛んでいけばいいだろう。
だが、あなたのどこに友情があるのか。
「こいつは善意でやってねーよ」というレスもついたけど、オレはやっぱりあんたの行動の根底にあるのは「友情」でなく「善意」だと思ってる。ロマン派的「善意」が。これ賞めてんじゃなくて、だからこそタチが悪いって話だよ、と水をぶっかけておきます。
<いちおう追記>