アルコール製剤じゃなければ、空けたければ開けろよ。そういう話じゃない。
なんども言うが、このレベルを気にしないと、精神負荷がかかるその 一般的な社員の 『精神の使ってなさを『嘆いて』』いるんだよ。
あぁ、増田たちってこのレベルのことも、考えないと出来ないのか その程度のなのか、ガッカリだという話だ。勘違いすんな。
怒ってなどいない。悲しんでるだけだ。
そうじゃなきゃ、増田にかかず、社内で問題にしてる。
アルコール製剤なんて コスト関係なく、揮発するから管理しなくっちゃという意識が染み付いてるからな。もはや無意識だと思ってただけだ。期待が高すぎたのが悪かった。
難しいから、精神に負荷がかかって仕事のじゃまだからできません。というなら、仕方がない。おっしゃるとおりだ。難しかったね。
再配分による平準化ができるんなら、(金持ちだらけにならない限りは)人数はどうでもよくないか?
たとえば1000万人が10ずつ消費してるとして、1000万人が15ずつ消費するようにするのと、10ずつ消費する人口を1500万人にするのとなら、後者が望ましいの?
それとも前者は後者より困難だということ?
こういうのって、大元が単なる感情論なのは明らかなのに、それを(姑息にも)分かりにくくするために無駄にゴテゴテ理屈のようなものを付加してて、非常に見苦しいといつも思う。
ていうか今時spacetimeとかmathomaticとかのiphoneアプリがあるわけで、リモートログインする必要すらないんだけどね…。
wolfram alphaも数式処理とかできるんだっけ?あれもiphoneアプリある。
大人になってもそういう考え方が抜けないんだね。
増田が幸せを満喫できないのを解消するためにどうにかしたいだけなんだ。
解消に使われた後の彼女のことに何の配慮もないのがその証拠。
それで振り回されそうな彼女はひたすら気の毒だ。
第三者から言う。
*どんなに言い繕っても、死刑が国家権力による殺人である事実からは絶対に逃れられない。殺人をしても良いと考える人間はいないはずだ。
死刑肯定論者は、「一定の条件が揃えば許される殺人がある」って考え方をしてると思うよ。
これは戦争における殺人の肯定と通じるところもあって、「(社会の/国家の)敵」は社会/国家の名のもとに殺しても構わない、という発想かと。
精神コストって人それぞれで、仕事のパフォーマンスの影響もかなり違うから、違う人には理解できないのかもしれない。
もちろん、増田みたいな人がいてブツクサ面倒臭いことを言われるコストまで考えたら、確かにいちいち確認する方がコストかからないとは思う。
すぐムキになるんだからもう…
封がしてないならともかく、封がして脇においてあるのをわざわざ開ける方がコストかかるだろ。
あと、そういうコストは自分が支払ってる時に言え。自分が支払ってるなら、自由にすればいい。
それに、そんなの、脊髄反射的に自然にできないことに一番幻滅した。
脳みそ使うのか?こんなことに。どんだけ、脳みそ使ってないんだ? その脳みそ使ってなさに 幻滅してるのだよ。
揮発性剤の開封うんぬんなんて、考えなくてもやるレベルだと思っていたら、考えないとできないレベルだったのかと、そのギャップに嘆いているのだよ。
金額の過多じゃないんだよ。
A家族というもっとも大切な存在を奪われた人間は冷静な状態にはないし、ましてや死刑というものについて議論できる立場にはない。感情論で「殺して」と叫ばれても何の意味もない。ちなみに、死刑を望む遺族に対しても同じことが言える。遺族の意向通りに死刑を執行しなければならないというのは、仇討ちが禁じられているという現実と矛盾する。遺族が殺して欲しいと言ったから殺してもいいということにはならない。
Q死刑囚の命を奪うのは人権侵害だというが、そもそも死刑囚はたくさんの命を奪ってる
A既に起きてしまった取り返しのつかない事と、これから行われることを混同してはいけない。これから殺人をする人間を事前に逮捕して処刑出来るか?死刑執行という名の殺人は、それが行われる前に止めることが出来る。よって人権を尊重するならば当然殺人を止めなければならない。
A被害者の遺族は大切な人間を失ったまま生きていかなければならないが、死刑囚は彼らよりも早くこの世からいなくなることが出来る。殺人を犯した者にとって、この世で生きている限り自分が人を殺したという事実は決して消えず、たとえいくら反省しても心からお詫びをしても被害者が生き返ることはない。その苦悩を一生自分で背負いこまなくてはならないはずなのに、死刑によって人生をいち早く終わらせることは彼らの反省の機会を奪い、苦悩する贖罪の日々を消すということに等しい。これが本当に被害者遺族が望むことなのか?一時の感情で殺せと叫ぶ遺族は、このようなことを望んでいるわけではないはずだ。自分たちが一生苦しむのと同様に、加害者にも自分の罪を背負い続けてほしいと思うはずである。殺せば全てが終わってしまう。反省の機会も、自分の犯した罪を償う時間も、全て奪われる。死刑を望むことは被害者遺族自身を苦しめることになる。
*どんなに言い繕っても、死刑が国家権力による殺人である事実からは絶対に逃れられない。殺人をしても良いと考える人間はいないはずだ。
もうちょっと具体的に。
でも、世間一般でもそんなのはままあることで、
消耗品購入だって、アイミツ取って採用するのは1社、他はタダ働きだよ。
候補が少ないという反論もあるだろうけど、その候補に入るのも競争で、
1次で絞って2次で絞って……というのとあまり変わらない。
このへん
こういう2次元天女の隆盛と
「ひたすらセックスをしたい」男女が社会制約から自由になったのって
大きく言えば同時的なことだよ
理想、崇拝、憧れ、恋慕といった、肉欲以外の部分が切り離されて二次元の世界に行った事で
自由にセックスしたい人がひたすらセックスにのめりこめるようになったわけ
今はまだ過渡期だけど
そういう「真の解脱」って、果たしうるのかなあ?