2011-02-28

死刑は絶対に廃止すべき

Qお前の家族を殺された後でも死刑廃止を主張できるのか

家族というもっとも大切な存在を奪われた人間は冷静な状態にはないし、ましてや死刑というものについて議論できる立場にはない。感情論で「殺して」と叫ばれても何の意味もない。ちなみに、死刑を望む遺族に対しても同じことが言える。遺族の意向通りに死刑を執行しなければならないというのは、仇討ちが禁じられているという現実と矛盾する。遺族が殺して欲しいと言ったから殺してもいいということにはならない。

死刑囚の命を奪うのは人権侵害だというが、そもそも死刑囚はたくさんの命を奪ってる

A既に起きてしまった取り返しのつかない事と、これから行われることを混同してはいけない。これから殺人をする人間を事前に逮捕して処刑出来るか?死刑執行という名の殺人は、それが行われる前に止めることが出来る。よって人権を尊重するならば当然殺人を止めなければならない。


Q人を殺すという最大の罪と釣り合うのは死刑だけだ

被害者の遺族は大切な人間を失ったまま生きていかなければならないが、死刑囚は彼らよりも早くこの世からいなくなることが出来る。殺人を犯した者にとって、この世で生きている限り自分が人を殺したという事実は決して消えず、たとえいくら反省しても心からお詫びをしても被害者が生き返ることはない。その苦悩を一生自分で背負いこまなくてはならないはずなのに、死刑によって人生をいち早く終わらせることは彼らの反省の機会を奪い、苦悩する贖罪の日々を消すということに等しい。これが本当に被害者遺族が望むことなのか?一時の感情で殺せと叫ぶ遺族は、このようなことを望んでいるわけではないはずだ。自分たちが一生苦しむのと同様に、加害者にも自分の罪を背負い続けてほしいと思うはずである。殺せば全てが終わってしまう。反省の機会も、自分の犯した罪を償う時間も、全て奪われる。死刑を望むことは被害者遺族自身を苦しめることになる。


*どんなに言い繕っても、死刑国家権力による殺人である事実からは絶対に逃れられない。殺人をしても良いと考える人はいないはずだ。

  • *どんなに言い繕っても、死刑が国家権力による殺人である事実からは絶対に逃れられない。殺人をしても良いと考える人間はいないはずだ。 死刑肯定論者は、「一定の条件が揃えば...

  • こういうのって、大元が単なる感情論なのは明らかなのに、それを(姑息にも)分かりにくくするために無駄にゴテゴテ理屈のようなものを付加してて、非常に見苦しいといつも思う。 論...

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