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はてなキーワード: 転勤族とは

2011-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20110123114420

俺、バイなんだけども。

友人感情恋愛感情の違いは非常にシンプルで、ヤりたいかどうかって一点だと思うんだよね。

自分が「男には友人感情」「女には恋愛感情」って人間じゃないので、その辺の区別は逆につくつもりなんだ。

性別関係なく、ある人には恋愛感情を抱くし、ある人には友人感情を抱く。

友人感情恋愛感情が入り混じることはあるけれどね。

同性もイケる俺にとっても、友人感情はあっても恋愛感情はムリって人がいるんだから

そりゃ、異性愛の人にとって同性が「友人感情はあっても恋愛感情はムリ」ってのは当たり前でしょ。

基本的に、セクシャルマイノリティは甘えすぎだと思う。

そりゃまぁ、性別っていうデカい壁はあるにしてもさ。好きな人間に恋愛感情を拒絶されるなんて、

どんな人にもあることなんだよ。それはさ、別に誰にとっても変わらない。

「バイは得しかしてねーだろ」って言われることもあるけどさ、同性に恋愛感情を抱いた時のしんどさっつーのは同じなわけで。

もっと言えば、それは異性に恋愛感情を抱いて拒絶されたのとも結局同じなわけで。

「ぼくはゲイなんだ」っていうのを、あんまり特別視し過ぎない方がいいと思う、それはフツーの恋愛でみんなが通る感情だよ。

そりゃ、「みんな」よりはしんどい面があると思うけどさ。そんな小学生じみたことをしちゃうのは、ゲイ云々でなく

恋愛をする上で未熟ってことだよ。

あと、個人的に自分セクシャリティはさっさとカミングアウトした方が楽だし、恋愛の可能性も増えるよ。

もちろん、そのせいで減る選択肢もたくさんあるだろうけど。

自分が、このセクシャリティを抱えたままで幸福になる、と決めて生きていくにはそうした方がいい。

例えば、今大学生なら就職先も塾考した方がいいよ。内資の大企業社員寮ありの転勤族とか本気で最低だから

あのムラ社会ではホント辛い。俺自身は転職するまで数年をムダにしたけど、とにかくよく考えた方がいい。

セクシャルマイノリティであること程度では揺るがない社会的評価を勝ち取っていかないと、後々辛いよ。

逆に言えば、それさえあればホント楽。世の中、「能力さえあれば別にいいんじゃね?」「フツーでしょ?」ってとこも

まぁ、それなりにあるからセクシャルマイノリティこそ、勉強すべきだし努力すべき。

どうやって生きても穿った目で見てくる人間はいる、それは避けられない。だからそれをねじ伏せるためには

社会的評価を高めていくしかない。

2011-01-13

田舎に住むとイライラする。住むならソコソコの都会が一番だ。

配偶者の転勤で、東海地方田舎に住みだして3ヶ月が経った。

田舎は不便だし退屈だし、住んでて本当にイライラする…

外食できる店が壊滅的に少ない。(あってもファミレスとかファーストフードばっかり)

電車が1時間に2本しかない。ていうか、電車に乗っても近場に繁華街がない。

・完全なる車社会

・娯楽が少ない

以上が、今住んでる町に対する不満。

逆に大都会に住むと

家賃が高い

電車が込む

・夜もうるさい

なんてマイナスポイントがあるんだけど…

私の理想の町は「ソコソコの都会」だ。

ここ数年で6回ほど引越しをしているのだけれど、一番住みやすかったのは近鉄奈良駅から徒歩5分の場所にあるマンションだった。

奈良田舎イメージがあるし、実際に田舎なのだけれど、近鉄奈良駅周辺はソコソコ賑わっていて本当に住みやすかった。

スーパーコンビニ無印映画館ネットカフェ病院図書館が全部徒歩圏内にあって、セレクトショップ古着屋、本屋もそこそこ充実していた。何より美味しい飲食店が多いのがポイント高かった。

休日奈良公園やならまちに散歩に行って、帰りにカフェお茶をするのが楽しかったなぁ…

昼はそこそこ賑やかだけど、夜は静かなのも良かった。(どの店も早い時間に閉めちゃうからなんだけどw)

一人暮らしするのには本当にいい町だと思う。(夜遊びしたい人には向いてないかもしれないけど…)

転勤族結婚して、この先どんな町で暮らすのかよく解らないけど、今住んでる田舎からは早く去りたい

住みやすいのは、ソコソコ都会>大都会>田舎>>>ド田舎だと思うんだけど、どうなんだろう?

人によるのかな…

2010-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20101124201450

出生地って言ったでしょ?どこの病院で生まれて、そのときどこに住んでたか、だよ。

今の転勤族なんて生まれと育ちの住所が違うなんてザラだから、実家の住所なんて親と連絡取れれば正直どうでもいい。

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103111544

ぶっちゃけ、現職に就いている限り結婚に望むものは「家にいて幼児並みであること」なんですよ。

正味今日みたいな休みでもなければ睡眠時間は3時間程度って状況だと、服を選ぶのすらめんどくさい。

クリーニングに出す暇がないのでスーツ20着ローテーションっていう今の生活から抜け出したい。

生活のためのあらゆる雑事全部やって欲しいわけです。そーすれば、疲弊しきってる今の状況から開放されるわけで。

服なんかなんでもいいから朝用意されてる、ってのが物凄く大事なわけです。三十分余計に寝れるでしょ。

んで、当方住宅補助が非常に手厚い会社にいますので(その代わり転勤族ですが)

現在マンションはほぼタダ(正確には5000円負担)で暮らせてます。これは結婚後も問題なく続けられるので

住居費がほぼタダ。現在、俺が生活に必要としてるお金はいいところ年間200万って感じで、年に400万くらいは貯まってるわけです。

この貯金だけで、10年くらい年間100万自由に使っていただいて全く問題ないわけですよ。

ちなみに勤め先は海外出向も非常に多いので「家を買う」って考え自体がほぼなく、何歳になっても会社補助でマンション暮らしが多いですね。

んで、配偶者の自由に使えるお金が年間100万ってのは多いとは思わないですね。子どもナシで行くことを決めてるなら200やそこらは自由に使ってもらいたいところです。その代わり、家の中の仕事はきっちりしてもらう。

家事ったって仕事ですからね。対価なしってわけにはいかないでしょう。大体、100万やそこら自由に使えないと息苦しくてしょうがない。家に閉じ込めてるようなもんだと思いますけどね。感覚の違いでしょうか。

そんで、普通に子ども私大まで入れても(自分はお受験馬鹿げたものだと思ってるので、高校までは公立で進ませたいですが)年収1000万で普通に賄える。まぁ、日本私大で入る価値があるところなんてほとんどないので、出来れば子ども国立に行かせたいですが。それなら、自分の嫁にそんくらいカネ使わせる余裕はあるんじゃないかなぁ、と。子どもは一人って前提ですけどね。

というか、これは激務なお仕事に就いている男性には結構共感されると思うんだけど。

「家では幼児でいたい」ってありますよね。

んで、『育児二等分』で育児休暇まで二等分ってのは流石にムリかと思うので、それ以外は「母親だから」「父親だから」って垣根を作らずフェアにやってきたい、くらいの意味と考えて欲しいところです。どうせ、育児休暇が終われば復帰しなければならないわけなんだから。

2010-10-14

ともだちが欲しい。

就職して一年半。北海道の辺境に吹っ飛ばされ、孤独である。

同期は日本中に散ったため、この支店にいるのはわたし一人。先輩も少し上くらいの人はいない。

いわば、同年代がいない。比較的お堅い職場のため中々砕けた話ができず、ちょっとつらい。

基本、大企業勤めの総合職転勤族なのだろうと思うんだけど

こういうとき、どうしているんだろうか。上司や同僚とは話程度はするけれど、やはり仕事を介さない付き合いというものは

とても欲しい。上役の悪口とか言いたい。しかし、基本激務よりの我が職場のこと習い事趣味サークルのようなものは

若干しんどい。さて、どうしたものか。

そういうわけで、そのあたりで同じような境遇の人がいたら友達にならないか。

それから、似たような境遇で「~な感じで交友広げたよ」みたいなオススメ手法知ってる人も頼みたい。

居酒屋に通ったりもしてみたけれど、増えるのは年配の知人ばかりでお見合いを斡旋されるのにも疲れた。

2010-05-23

ヨメとわたしと時々職場

24歳です、婚約してます。

ヨメの勤務地(東京)とわたしの勤務地は500キロくらい離れてます。

どちらもわりといいとこに勤めていて、収入はいい勝負。二人とも結構仕事好きです。

しかし、わたしは当面ヨメのところに行けるあてはなく(一番短くて四年。十年スパンでは確実にヨメのいる

東京へ行くけれど、その後も超転勤族)ヨメは中々のハイスペック野郎なのでしょっぱなから本社固定勤務です。

移動はないとはいえないけれど、ある可能性は相当低いとかなんとか。専門職ですし。

この先十年。

ごく標準の推移をしたとして、二人の年収はほぼ同じ程度。

二人とも子どもを作る気は全くなく、出来れば今の収入は手放したくない。

しかし、二人とも激務の金融稼業、会える時間は相当悲惨な感じにならざるを得ないのがこの先なわけですが。

わざわざ「婚約」までしただけあって、とりあえず別れるつもりはお互いなく、

この先にある「結婚」っつーものをどうしていくか、と悩んでいるわけです。

しかし、現実的に考えてヨメは首都、わたしはド地方転職すべきはどう考えてもわたしということになり、

「しばらく食わしちゃるからとりあえず仕事辞めて東京来い」とヨメにイニシアチブを奪われています。

しかし、わたしは金融とはいえ専門性の極めて高い非営業職。

おそらく、この業務が必要なのは日本広しと言えど我が社だけだろーなぁという感じのところに勤めてたりしまして、

転職と言うと全くピンと来ません。本社勤務を終えた後ならあるのかもしれないけれど、

その頃私は29歳。「待っていろ」と言うにはちょっと長い時間です。

さて、私は文系学部卒の24歳。職場は上記のような感じ。

こんなんが東京に出て、相応の職ゲッツって可能でしょうか。

地方から働きながら転職活動ってのは不可能でしょうか。それとも、ヨメに

「おめーが地方専業主婦やれよ。社宅あるよ社宅」と言うべきでしょうか。

増田の皆様、いかがお考えでしょう?

2010-03-04

47歳だよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100304131301

なんで年齢が問題になるのか理解したから、真面目に答えておくけどさ。増田でその質問意味なくね?

私が就職戦線にいたころは、女性は「クリスマスケーキ」でさ。25過ぎると売れ残るとか言われて。女性会社勤めするってのは、要するに「出来るだけ良い企業に入って、年収の高い旦那さんを見つけて、勤めて3年から5年で寿退社する」って前提だったのね。今みたいに「女だって稼いで当然だろ」なんて、だあれも思ってなかったから「もちろん、勤めるなら一生の仕事と思ってます。会社に骨埋めます」なんて女の子採用されなかったよ。

私の年代で転勤族に嫁いだ人は、自分仕事は行く先々でパートを探すのが精一杯。それも土地によっては同じ業種の仕事が見つかるとは限らないから、業種が変わればゼロからやり直しで30代で10代の子に使われてたりしたなあ。

真面目で有能で仕事に意欲がある人間ほど、採用されない時代の育ちからすれば、元増田みたいに「一生の仕事をものにしたい」って人は応援したいのさ。

銀行に勤めた友達と何年かぶりに会って、年収の話になったんだけど、私より3割がた近く低い収入で、倍近いグレード(家とか車とかから見てね)の生活をしていてびっくりした。ちゃんと経理が出来ると、お金運用自体がまるっきり違うんだよね。頭いい人は同じ年収でもグレード高い生活できたりするよ。

それに、外注ったって、身内に頼めれば、そんなに高いことにはならないし、育児休暇(もちろん取りにくい状況なのはわかってるよ)も保育園(3歳児までは待機児童でいっぱいなのも知ってるよ)もある。今は介護保険がある(始めてみたら、利用者が多くて、早くも財政パンクしていて、いろいろ方針を切り換えてるのも知ってるよ)から介護もだいぶお金かからなくはなったしね。

元増田女性だから、転勤うんぬんが問題になっているようだけど、兄は結婚10年目から単身赴任で、しかもちょくちょく外国出張に行く仕事で、めったに家に帰ってこない。10歳だった子供は、今25歳でもう働いてる。その15年間、兄が家に居なかったことを家族の誰かがとがめたって話は聞かない。男だったら仕事優先で単身赴任なんて当たり前だろって増田も思うでしょ? 女だって当たり前でいいんじゃないの? 今元増田が付き合ってる彼が「男はいいけど、女はダメだ」とか言う奴なら、とっとと別れればいいと思う。「男だろうと女だろうと家族が離れて住むなんてダメ」と言うのなら、話し合う余地もあるだろうけど。

問題はある。でも、それを乗り越える方法がある限り、意志を持ち続けるかどうかが決め手になると思うんだ。もしかすると、マジで育児手当が充実して、5年もすれば仕事しながら子供を育てるのがラクになる可能性だってあるしね。

厳しいから出来ないって言ってたら、なあんにも先に進まないよ。

2009-12-12

ブコメ読むと判断を誤るの例

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/1210/NGY200912100006.html]

記事自体は、

id:koabe: この手の「こぼれ話」って昔から紙面に載っているけれど、あまり知られていないのかなあ。

という感じの話。方言裁判官に伝わらなくてビミョーな雰囲気になったという、審理の一コマを描いただけのもの。

ブコメも、当初は記事と同じような、方言にまつわる感想文が並ぶ。

最初に出てくる朝日叩きはこれ。

id:gingin1234 どうでもいいが、記事にするようなことか? 2009/12/11

このブコメが基本的に的外れなことは、冒頭に示したブコメが端的に表している。新聞記事は大事な事件以外載せてはいけないというものではない。

が、まぁ、id:gingin1234はマジメな人で、新聞には真面目な記事しか載せちゃいけないと思っているのだろう。

id:kyo_ju 司法, 日本語 どういう意図ニュースにしたのかよくわからない。裁判官は何でも知ってて当たり前とでも?/聞き返すときの態度の悪さが目立った可能性もあるけど、記事の描写だけではそこまで伝わってこない。 2009/12/11

ここに至り、「ニュース価値が無い」という感想文に、「朝日裁判官を叩いている」という前提が付与される。(だからこそ、「とでも?」と、これをニュースにした記者に対し攻撃的な口調が取られている。)

もっとも「/」後に微妙留保している。

が、この新たに登場した前提は伝染して行く。

id:mustelidae 自分が知らない言葉に出くわしたときのこ裁判官の態度が不快な感じだった、ってことかな。 2009/12/11

裁判官の態度が不快な感じだったという記事を朝日が書いているかのような感想

もっとも、まだ「ってことかな」で言い訳程度に留保している。

id:manysided law, 裁判官 方言ならまだいい。女性の服装とか全くわかってない裁判官がわんさかいる。破くの趣味で安物ストッキングしか知らないだろう変態裁判官長谷川憲一。再犯するだろうに、許せない。マスコミこういうのを問題視しろよ 2009/12/11

このニュース記者自体を叩いてはいないが、ここに来て記事が「問題視」であることが明白に暗示されている。当初は「ほのぼの記事」として読まれていた記事が「的外れな問題視報道」という問題報道として読まれるようになる。

以後のブコメには、留保無しに、問題視報道を問題視するものが散見されるようになる。

id:delcoss 被告人供述公文書として調書化されるんだから標準語ではっきりさせたんだろ 当たり前の行為だ 2009/12/11

「当たり前の行為だ」という表現から、「当たり前の行為をあたかも問題であるかのように報道する朝日新聞けしからん」というニュアンスがありありと読み取れる。「だろ」「だ」といった断定的な語尾が、記事に対して向けられている。記事に描かれた事象に対するブコメの多くが軟らかい表現を使っているのと好対照を為している。

id:koganei_hyogo 法曹, 裁判官 さすが全知全能の朝日新聞社様は言うことが違いますね。 2009/12/11

なかなか性格の悪い言葉遣いをする人である。「朝日新聞社様」は何も言っていないのだけど、id:koganei_hyogoの妄想は止まらない。勝手メタな読み方を始めて勝手に怒りだす、はてな脳の見本のような行動だ。

id:SL230 一般ニュース, よくわからん 分からないから聞いた裁判官の何処が悪いんだ?分からずに進められる方が問題だろ。 2009/12/11

タグに「よくわからん」とあるが、自分妄想を「よくわからん」と言われても困るだろうに。

id:pogemutaBN わからない単語を問いたださずにスルーする裁判官の方がまずいだろ 2009/12/11

そこでスルーしなかった裁判官の姿を描いただけの記事なのだけれども。

id:sinngetu language "庶民にとって当たり前の言葉すら知らない浮世離れした裁判官"的な記事にしたかったのかしら 2009/12/11CommentsAdd Star

というような記事だということにしたがっているはてなブックマーカーが多いのです。

id:waterperiod NDC8, 言語, 岐阜県 方言知らない=よそ者=排除or見下して良い、という思考チャートの黙認。なんか嫌。 2009/12/11

id:waterperiodの言うような思考チャートは、一部ブコメの仮想敵はともかく、記事には無かろう。新聞記事=問題視報道、という思考チャート

id:Nigitama でっていうwww 「この記事の意味が理解できるのは記者デスクだけ、ネット上で問いただされる」 2009/12/11

実際には、初期のブコメ普通にこの記事の意味を理解できている。まぁ、この記事の意味を曲解するのはid:Nigitamaだけではないので安心すれば良い。とりあえず増田上で問いただしてみるけれども。

id:falkbeer news 裁判官無知より記者の無恥を曝す記事 2009/12/11

どこに記者の無恥が曝されているだろうか。ブコメがかえって自身の無智を曝しているのが香ばしい

id:straymind *社会, 司法高学歴転勤族で居丈高でアドバイスしてくれる友達も同僚も居ない裁判官司法業界ってほらね。こうね」っていう物語でも作りたいんでしょう。 2009/12/11

マスコミってほらね。こうね」っていう物語ブックマーカーによって共同製作されている。

id:kleinteich 方言を理解できずに問いただしたとして何が悪いんだ? 2009/12/11

裁判官が正しい行動をしたことを記事にして何が悪いんだろうか。で、こういう勘違いブコメに☆がたくさん付く。

id:kaeru-no-tsura 方言 「デンシンボウ」は知らんなぁ。で、電柱のことなの? 「デンシンバシラ」なら言うけど。この記事、裁判員制度特集の中に入れられてるけど何が言いたいの? 転勤続きの裁判官地方事情を知らんからダメって話? 2009/12/11

何が言いたいか解らないなら、何も言っていないと思えば良いのに、なぜストーリーを作りたがるのか。

id:nornsaffectio 報道, 司法 すでに複数指摘があるが、この場合問い質されない方がまずい。そんな当然のことをこうして記事にしちゃうあたりに、大新聞の相変わらずの司法リテラシーの低さを感じた。 2009/12/11

まずいまずくないは記事で触れられていない。ただの三文記事に真顔で反論する当たりに、メディアリテラシーの低さを感じる。

id:hotspot0621 裁判官の場合は全国転勤もあるし。朝日新聞は何が言いたいんだ。そんなに記事がなかったのかな?新聞社記者は「全国の方言に対応できる」ってか? 2009/12/11

正解(「そんなに記事がなかった」)が解っているのに、なぜわざわざ誤答を妄想するんだろうか。

id:citron_908 news, ネタ 転勤族の悲劇(?) / 転勤がなければないで「楽してる」とか批判され、転勤で方言が分からなければ世間知らず扱いっていい加減にしてくれませんかねぇ。引越し貧乏の果てにこんな扱いじゃ報われませんって 2009/12/11

これをここで敢えて挙げるのは間違いかもしれないのだけれども。記事が「世間知らず扱い」していることに憤っているとも読め、その場合は一連の誤読者と同じ悲劇に陥っている。

id:gokino2 朝日の敵が未だ公務員であることがよくわかる記事。/わからないことを聞き直せない社会の方が恐ろしい。ましてや法の知識でもなく言葉の確認じゃないか。犯罪者被害者を理解しようとすらしない裁判官を記事にしろ 2009/12/11

id:gokino2が朝日を敵視していることがよくわかるブコメである。三文記事が書けない世の中は恐ろしいし、この三文記事を、「犯罪者被害者を理解しようとすらしない裁判官」の記事と同列において評価してしまう人がいるというのも恐ろしい。

こうしてみると、当初はただの三文記事として読まれていた記事が、「頭の悪いマスゴミ」という気持ちのいいストーリーを示すブコメに乗せられ、マスゴミの頭の悪さを示す記事であるかのように読まれるようになっていったことがわかる。

こういった気持ちの良い物語に流されないのがメディアリテラシーではなかろうか。最後に優れたブコメを示して終える。

id:yoshi1207 言葉 カテゴリが「社会」じゃなくて「地方」だったらほのぼの記事だよなぁ 2009/12/12

 

余談。朝日新聞が本気で問題視報道をするときは、「◯◯な発言として議論を呼びそうだ」といった頭の悪い表現を使う。

2009-11-11

どうしようもない喪処女の殴り書き

普通に恋愛したい。



でも、私の考える恋愛中学生以下かもしれない。

二人で手繋いで散歩したり、ご飯作って食べたり、家でごろごろ映画見たり。

何でもないことを誰かとしたいんです。

でも、セックスはできない。

両親を裏切れない。

さいころから婚前交渉はダメ同棲ダメできちゃった婚なんてもっての外!…なんて言われて育ったので、抵抗があるんです。

セックスしてしまったらきっと両親は私のことを嫌いになってしまう。

でも、男の人はみんなやりたいんでしょ?

結婚するまで処女でいたい、なんて女子はお断りでしょ?

そうしたら、私は誰とも恋愛できないと思う。

だってまず、結婚しないと思うし。

私の将来設計の中に結婚を入れる隙間がない。

それに職業的に転勤族になると思われるので家庭を持つのは困難。


あれ…じゃあ、結婚しない=セックスしない=恋愛できないってこと??

それか、セックスなしの恋愛でもいいよ、って言ってくれる人としかお付き合いできないってことだよね。

市場めちゃくちゃ狭くないか。

そんな人見つけられそうにないよ…。


色々なしがらみが多すぎる。

ときどき、もうどうにでもなーれ!って思う時もあるけど絶対理性が食い止める。

不良少女にもなれやしない。



こんな真面目腐った私なんかやめてしまいたい。

でもやっぱり、今の私を放棄できない。



追記

よく考えたら、私自身本当にプラトニック恋愛を望んでいるのかも謎だ。

これは洗脳されているのかな。

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005225201

それ、「転勤族が二代続いたら」どうなるか、じゃなくね?

母親(なり父親なり保護者)が(地域コミュニティに馴染むのに失敗したら」どうなるか、じゃね?

自分幼稚園保育園3つ小学校3つ中学校2つだけど、地域コミュニティの大事さが分からないということはない。と思う

近所のおばちゃんとか味方につくとちょうつええ。ちょう情報持ってる。不審者をすごい勢いであぶりだす。名探偵。あとおすそわけでくれるものは美味しいもの。あと顔見知りとか挨拶する仲でないと、騒音とか、すごい揉め方をする

で、こう、あれだろ?母親っていうかおばちゃんの年代ってこう、パート職場なり趣味のお教室なり町内会の皆さんなりで結構きゃっきゃうふふして楽しそうに暮らしてるじゃん。旅行行くと家族へのお土産はてけとーでも、ご近所へはなんか評判の良さげなのとか、老舗の定番とか、買ってきて配ってはやっぱりきゃっきゃうふふしてご飯食べにいったりしてるじゃん。

で、土地が変わっても別の人ときゃっきゃうふふしたり、父の同期の奥さん、みたいな人とそれこそ結婚当初からのおともだち付き合いを続けてたりするじゃん。

少なくともうちの母はそう。転勤族故のつきあいの幅広さで、中学高校あたりから子供なんかだいぶ放置気味になってたよ。自分が大きくなって友達と遠出したりするようになったからってのもあるんだろうけど

まああの、役員になっちゃったりしてエクセルを前に「教えて!おしえて!」みたいに唸ってたり近所付き合いで悩み事がないわけではないだろうけど。

なんか話がずれたな。

言いたかったのはそれ転勤族の特徴じゃねええええ!ってことだけ。

あ、でも幼馴染みとか、憧れるよねー

転勤族が2代続くと人間はどうなるか?

僕の父親はいわゆる転勤族だった。

日本全国に支店があるために、辞令一本で異動する。

僕は小学校を3つ経験した。

おまけに中学受験という奴をやったので、

中学高校と、電車で90分かかる通学経験を6年積んだ。

ちなみに男子校

大学も同じくらい遠い大学に通って、

入った職場はやっぱり全国転勤あり。

父がそうなので全国転勤を「普通」だと思ってた。

さて、転勤族が2代続くという経験を積んだ人間がどうなるか?

地元コミュニティというものが理解できない人間になる。

多分孤独死フラグが立っている。

また、人間関係の基本が「母と庇護される自分」になるため、対等な人間関係が作り

づらい。

母はさみしがりやで、よく話しかけてくるのだが、

それに対する私の返答が

心がこもってない、おざなりだと、不機嫌になる。

自分と違う意見だと、不機嫌になる。

あからさまに迎合して、口調が不自然な感じになると、不機嫌になる。

そういう人だ。

つまり、私は、他人が話しかけてきた内容に対して、

「心からそう思ってるように」

「話の内容に賛同して」

「それが自分の心が自然に感じて出たかのように」

振舞うことを自分の基本原則とした。

これは、非常に疲れる。

だが、疲れても止めることは出来ない。

基本原則を外れた言動、例えば、相手の気に入らないだろうけど自分が感じたことを正直に言うとか、をすると、

罪悪感・不快感が湧いてくるように条件反射が起こるからだ。

だから、人と話すのに疲れると、ひきこもってしまう。

2009-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20090720230650

母子家庭みたいなもん。

母子家庭だったらそんな暇な平日・休日なんて存在しないぞ?

そのダラダラは、旦那が稼いだ金によってもたらされてるんだぞ?

そこは分かろうぜ。


まぁ家族サービスが悪い旦那に不満をもつのは分かるが、

転勤族の家庭じゃ珍しくもない。

不満ならそういう人間を選ばないことだよ

2009-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20090622155735

第二高等女学校とか高等師範とか女子高等師範みたいな、官僚系の学校ってことなんですよ。

(わざと古めかしい名称にしてますよ。)

自分は、親の出張で飛び回ってたから転勤族子弟だったから、あの独特の雰囲気が苦手でねぇ。

強制しないでくれよ、と。

2009-04-21

両方転勤族

二人とも社会人一年目。

彼女国家公務員キャリアで全国転勤ありの役所勤め。

おいら全国転勤ありのメガバンク

一年目から早速遠距離

彼女仕事は絶対に辞めるつもりはない。結婚しても遠距離で頑張る。と言ってる。

大丈夫なんかな?

2009-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20090312201456

http://anond.hatelabo.jp/20090312201559

ふむ。関東は逆に転勤族とかいて混じってるのかな?

青森出張したときも通じてない!と、今になって思い返すと思う。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2008-11-05

http://anond.hatelabo.jp/20081105185437

全国展開の小売業なんだけど、行く先々で女食ってるやつとか妻帯者独身者問わず普通にいる。

転勤族の間じゃ知らない間に穴兄弟になってるやつもいるんじゃないかな。小売業の男は基本的に猿だからね。

妻帯者でも大体が単身赴任者だから、リング外して独身の振りして女と遊んでるしね。

まあ、中にはヤリ過ぎて浮気相手の女(婚約者有)を孕ませちゃった人もいて、女の両親や婚約者婚約者の両親を巻き込んだカオスな展開になっていた人もいたけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20081105174117

夫と妻の関係は完全に冷え切っていて、子供がいることだけが辛うじて夫婦繋ぎとめている、ってこともある。

勤めている会社の都合上、全国転勤族の夫を持つ家庭を幾例も身近に見てきたが、こいつら一番悲惨だな、っていうことが身に染みて分かった。

2008-09-13

最近小学校で同級だった男の子の夢を見る。毎晩のように見る。

父が転勤族だったわたしは4年のときにその小学校に転入して、卒業と同時にまた遠くに引っ越した。

同窓会に参加したこともないし、中学から今に至るまではまったく接点はなかったんだけど、夢に出てくるものだからいろいろ思い出してしまって、こういうもやもやをどこに吐露すればいいものかわからないので今回初めて増田になってみた。叩かれるのはこわいので、誰にも見られずひっそりと落ちていってくれればいいと思う。

それはさておき、そいつはお金持ちの家の長男で、将来は父親の会社を継ぐことになっているといううわさだった。

毎年クラス替えのある小学校だったんだけど、そいつとは4年から6年までずっと同じクラスだった。

どこかひねたところのある子どもだった。

女の子同士の

「ねえ、今好きな人いる?」

という会話の遡上に上ることはなかったけど、頭が良く、スポーツも得意で、親譲りのものなのか人を惹きつけるオーラのようなものがあった。オーラって言うか、とにかく大物の風格を子どもなりに持っていたやつだったと思う。

5年のクラスで席が隣同士だった時期、内容は忘れたけど半分口げんかのような感じでいろんなことを言い合っていて、ふと

「なんだかこいつとは、夫婦みたいに何でもしゃべれるな」

と思ったのが強烈な記憶として残っている。

なぜ「夫婦」という単語がそこで出てきたのかはわからんけど、そいつと自分の間に、自分の両親が話しているときの雰囲気と似たものを感じ取ったからなのかもしれない。歯に衣着せぬ物言いで続く、間断のないことばのキャッチボール。劣勢になっても、他のやつみたいに「せんせーい、隣の人がうるさいです!」とかかっこ悪いことはしなかった。互いに相手と真正面から向かい合い、相手のことばを受け止めながら対話を続けていた。それに伴う緊迫感を、今思えばわたしはとても楽しんでいた。「手応えがある」って言ったらなんか偉そうだけど、そういう感触をぼんやりとそいつに抱いていたんだと思う。

はっきりとそいつを異性として意識したのは、小6のときだった。

国語の授業で「注目の的」という慣用句を習った。「班ごとに話し合って、これを使った短い文を作りなさい」と担任の先生に指示された。わたしたちは机をくっつけて「注目の的」を使ったうまい文を作るべく話し合った。そいつとは同じ班だった。

「的って言うとなんだか痛くて大変そうだね」とかアホなことをわたしが言っていたら、そいつがぼそっと小さな声でわたしに

「お前、クラスの注目の的じゃん。」

と言った。(わたしたちは「お前」「あんた」と呼び合っていた)

最初は意味がわからず、そいつがいつもとは違う様子でそっけなく言うものだから、わたしがクラス中に冷ややかな目で見られているような痛い子だと言いたいのだろうか、とか思って、信頼していたのはわたしだけだったのかなぁ、って気がして、なんだかさびしくなって黙り込んでしまった。

他の子が

「え?どういうこと?」

と聞き返すと

「注目の的って、魅力があって皆がいつも見てる、っていう意味なんでしょ。

 お前じゃん。」

と言って、あとは黙ってノートを取りはじめた。

班全体がしーんとした。

横の男子

「おおぅ…素敵ねぇ…」

とか、軽く冷やかすような声をあげた。

しかしそれでも空気は軽くならなかった。

わたしはそいつの真意を図ろうと、ちらちらとそいつの顔を盗み見た。

でもそいつはとうとうそれから一度も顔を上げず、班としての発表は他の子が考えた案で無難にまとまって終わった。

そもそも、わたしは別にクラス中の注目の的なんかではなかったと思う。

勉強ができて運動もできてリーダーシップもあって、っていう目立つ子は他にいたし、そういう子に比べたらわたしは平凡なほうだった。

でもわたしはそのとき、ものすごく「どきっ」とした。

それが自分でも意外で、どうしてわたしはこんなにどきどきしてるんだろう、とだいぶ考えた。

そして、たぶん、わたしはそいつに何かそういうのを期待してるんだ、というようなことが、うっすらと自覚できた。

でも相変わらず、女子同士の

「ねえ、好きな人いる?」

という会話の場で、わたしがそいつの名を挙げることはなかった。

何か、そういうところで軽々しくそいつの名前を出すことがいやだったのだ。

別に「好き」とか、そういうのとは違う、と思っていた。

「好き」っていうのは少女マンガみたく背景にお花を背負った感じでキラキラしていて、ロマンチックで、そんなのが「好き」だと思っていた。

あいつは、そういうんじゃないもん、と思っていた。

でも、他の女の子の口からそいつの名前が挙がらないかどうかを、いつもすごく気にしていた。

子供心に、あいつのいいところを知っているのはわたしだけだ、と思っていた。

皆あいつのことを、金持ち高慢ちきのいやなやつ、と思っているかもしれないけど、わたしだけは知ってるもん、わたしだけは、あいつのこと、わかってるもん、と思っていた。

幸い(?)わたしが知っている範囲では、そいつのことが好きだと言う女子はいなかった。

2学期後半から3学期にかけて、中学受験をする子たちの身辺が慌しくなり始めた。

わたしは父の転勤がほぼ確定していたため、転勤先の市立中学校に通うことになるだろう、と前もって親から聞かされていた。

そいつは受験組だった。進学塾にも通い始め、受験組どうしでどんどん仲良くなっていっているのが傍目にもよくわかった。

受験組の子がうらやましかった。

その中には前述の、本当の「注目の的」の女の子もいた。

やっぱり、わたしより、同じ目的を持った友達のほうが話も合うし、わかり合えるよなあ、そうだよなあ、と、思った。

あいつのことをわかってるのは、わたしだけだもん、そう思っていたのは、錯覚だったんだなあ、と思った。

そいつとまた前みたいに仲良くできるかもしれない、というそれだけの理由で中学受験を親に申し出てみたりもしたが却下された。

今考えると、めっちゃ好きやったんやん、と思う。

サイン帳」を配るシーズンになった。

女の子クラス替えとか卒業の前に友達に配り、プロフィールとともに趣味とかメッセージとかいろいろ書いてもらったものを綴じておく、あれだ。

わたしもクラスの人たちに一通り配った。

女子はもちろんのこと、男子も結構律儀に書いてくれてありがたいことだ、と思っていた。

もちろんそいつにも渡したのだが、そしたらなぜかそいつは半切れで

「書いてもいいけど、絶対に他のやつに見せるなよ!」

と言ってきた。

あまりの剣幕にビビッて

「う、うん、わかった…。」

と答えると再度

「本当に見せるなよ!約束だからな!絶対に見せるなよ!」

と念を押してきた。

何か知らないがその気迫にただならぬものを感じ、絶対に誰にも見せない、と約束すると、そいつは仏頂面のまま紙をランドセルに突っ込んで持って帰っていった。

それがそいつとの記憶の終わり。

結局、渡してくれなかったのだ。

別にそいつはわたしのことを何とも思っていなかったのかもしれないけど、わたしのほうは、たぶん、そいつのことが大好きでした。

子どもにしてはしゃがれた声も、ひねたとこも、自分では嫌だといっていた長めのまつげも、女の子みたいな丸っこい文字も、テレビ趣味が同じだったところも、たぶんすごく好きだったんだよ。

2008-08-25

17で子持ちになるまでの話

収入0で17歳で子持ちになったオレが書いてみるよ

おはこんばんちわ。上記のエントリを書いた17で子持ちになった増田です。思いのほかはてブ等で反響があったので、誰も気にもしていないのに17歳で子を持つに至るまでの4半生についても勝手自分語りを始めます。前エントリで最初で最後といったくせにね。17歳以後と比べるとたいして特殊でもないDQNのつまらない話です。

小学校時代

親が転勤族だったこともあり小学校では転校を三回経験。その経験のせいで「人間関係をあまり重要視しない」という性格を形成するようになったんじゃないかと思いこんでいたりする。そのため自分の子供には転校をできるだけ経験させないであげたいなと思っているんだが、、、まぁ考えすぎなのかな。

やはりこれだけ転校すると今だに連絡を取るような小学校時代の友人は一人もいなかったりする。でも当時は転校に対してネガティブイメージはなくて前の小学校で失敗した小さなことを次の小学校ではこう直そうとか考えたりしていた(大学デビューみたいなもんか)。やっぱり「人間関係をあまり重要視しない」ってのは天性のものだったのかもね。

学校の成績とかは苦労はまったくしなかったが、単に塾に通っていたからだと思う。「勉強しなくても特に苦労することはなかったなぁ」とかいっている天才とは多分頭の作りが根本から違うんだろう。

中学時代

中学は都内の私立男子校に入学することになった。いわゆる御三家に落ちた人たちが集まる滑り止め校で、自分もそのパターン

入ってから半年ぐらいは成績も中の上ぐらいなもんだったけど(試験の全順位発表する学校でした)、次第に成績は落ちていって1年の終わりぐらいには最下位グループ固定化されてたと思う。

そういえばそのころ初めて「いじめ」みたいなのも経験した。こういう進学校もどきの特徴なのかは分からないが基本的にターゲットは成績の悪いやつなんだよね。成績がそれなりだったころは仲も良かったクラスメイトが急に自分を攻撃してくるようになったのだ。といってもうしろから消しゴムを投げてくるとか漫画を持ってきているのを先生にチクられるという些細なもんだけど。

もうひとつそのクラスの特徴と言えるのかもしれないけど、自分以外の例を見ても基本的には「攻撃する奴」「攻撃される奴」の1対1というのが多かった。いわゆる同調圧力なんかはなかったように思う。だから集団シカトとかそういった類のものは発生していなかった。他の人間はそれを積極的に止めたりもせず「あーあいつらまたやってらー」ぐらいの感じで眺めていたように思う。

そして2年生になり、ますます成績は落ちていくんだけどまったく勉強はせず学校帰りにゲーセンに寄ったりしてそれが見つかって反省文みたいなことを繰り返していた。そういえばそのころ流行っていたNBAトレーディングカードを持っていっただけで反省文だったなぁ。

「お前は腐ったミカンだよ」

担任にそう言われたのはそんな反省文を何度目かに命じられた時だったと思う。正直その時はそれが金八で使われていたというのも知らなかったけど。金八先生のファンなんだろうかあの先生は。

そんなこんなでいろいろとやさぐれて中間試験期末試験をさぼったりするまでになって2年の終わりに留年勧告。いや、本当のところはよくわからないけど。親が呼び出されて話をしたので。そしてそれを親が断わり自主退学。

別に自分は中学留年でもいいんじゃないかなぁとも思っていたけど、まぁどっちでもいいかと思って了承。

親の都合もあり東北地方引っ越して3年は普通の公立中学に転入。でも3年の授業は前の学校で終わらせちゃっていて、つまらなくてほとんど寝てばっかだったとおもう。試験も相変わらずさぼったり白紙提出したり。でも公立はそれでも卒業させてくれるんだから楽なもんだよね。

高校時代

試験が白紙ばかりだったんで内申点で落ちるよと担任に脅されながらも一応その地域の進学校を単願で受検。落ちたら東京にいって働くかなんてことを考えていたりした。ところが進学校のくせに倍率0.99倍とかになったせいか合格

これを機会にやり直してみるかーと思ったのは最初だけで、燃え尽き症候群的な態度は変わらず授業は寝てばっかで試験は白紙提出を繰り返していた。(そういえば燃え尽き症候群ってのは中三のときの担任にいわれたんだったっけか)

一方そのころとあるネット上のコミュニティサイトにはまっていて。誰でも知ってるようなサイトですが。で、そこの東京でのオフに足を運ぶことになる。そうすると高校落ちていたら東京に戻るはずだったという思いが再燃してくるんですよね。2年弱東北にいたせいで東京コンプレックスみたいなのを持ち出していたんだと思う。その時に会った人にそんな自分の思いを伝えていたらじゃあ東京に出てきて単位制の学校に通ったらと勧められることに。まぁ学校に行くってのは親へのポーズであってとにかく東京にでたいんだという気持ちだったんだと思う。今思い返しみてもその時のその情熱はちょっとよく分からない。

なんとか親を説得して高校を自主退学。その単位制の学校受験するんだけど落ちました。やっぱ都立って内申点重視するのね。で、急きょ同じ学校通信制と他の私立の夜間定時制学校受験して一応合格学校あまりいきたくないという思いもあったので通信制に入学。土曜日だけスクーリングがあったんですが、校内に生徒用の喫煙所がある変な学校でした。

で、入学して2か月ぐらい働き先を探したりもせずに彼女の家に転がりこんだりしていたら、妊娠発覚。前エントリに続くという感じです。

(学年的には2年生)とか書いていた理由も分かりましたかね。小学校4つ、中学校2つ、高校2ついったというのはちょっとした自慢だったりもします。

あ、そういえば定時制受験では面接もあって

「なんで学校やめて東京にくることにしたの?」

ときかれて

「花のお江戸に御旗を立てるんです。学校にいきながら働くつもりなんです。」

といったら

「ププッ。何かスキルでもあるの?」

「いえ…。でもプログラムをこれから勉強しようと思っています!」

「あのねぇ、そんなに簡単に世の中はいかないんだよ。まずは学校でしっかり勉強しなさい」

みたいなことをいわれた。その1年半後には400万弱の年収子供離乳食を食べ始めていたわけなんだが。

あれから8年、まだ御旗は立っていないけど。

2008-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20080408073523

ここについてるコメント含めて面白い。

増田出会い系でなんかスゲー子と会ったよ、といい、その「非モテ的ハイスペックプロフィールを羅列してる。

で、それを見た人達が、「あーこれが出会い系における鴨葱ってやつか」というトラックバックで反応しまくってる。「スパムプロフィールに騙されてんじゃないよ」的な。

増田は別にサイト上でそのプロフィールを知った、とは一言も書いていなかったし、実際にサイト上ではなく会ってからそのプロフィールを知ったっぽい訳だけど。

で、2ch系のスレでもそうだけど、うまい話を味わった、もしくは味わいそうな人を見たとき、多くの人は「おまえだまされてんじゃね?」「鴨葱乙」的リアクションを決まって返すという流れがあって、あー、そうかこれが嫉妬大国日本というやつなのだなとか思った。

自分が臆病なのを「騙されないようにしてるだけ」といって、実際にうまい話に飛びつこうとしてる人を「あーあまた鴨葱が」「ばかだなー」みたいな感じに。

まあ、人間は安全欲求が三大欲求の次に強いのでしょうがないのかな。

2008-04-08

非モテ的にハイスペックとはなんだろうか

なんてことを最近考える。

というのは、ちょっと興味があって出会い系に登録してみたのだが、最初に送ったメールに反応してくれた子と会って、

「うわー、この子、非モテ的にハイスペックな気がする」

っていう印象を受けたからだ。この場合の「非モテ」は俺のことである。

…かなり、自分にとっての寛容さ、っていうか衝突を避ける意識が入っているけれども、なんて「できた」やつなんだとびっくりした。

でもこれって、普通に考えると別に求められる要素ではないし、俺にしたって、積極的に相手に求めている部分でもないんだよな。気疲れしそう、とか、俺そういうの無理だから、って普段言い訳している部分の逆を行っている感があってびっくりしたってのが正しい。

あ、ただ、金銭感覚は合わないと思うのよね。ブラックSEと箱入りお嬢様だからなぁ…。

増男的にはどんな要素を持っていれば自分的に「ハイスペック」だろうか。

2008-03-27

港町が性に合うのか

親が転勤族だったし、俺自身転勤が多い職についたから色んな所に住んだけど、

長崎神戸横浜は住みやすうございました。

なんだろう。

・適度なハッテンぶり

・海が見える(まあ神戸横浜も山に住んだら見えないんだけど)

・人が意外にのんびりしてる。(田舎者のほうがせせこましい)

東京都港区京都府京都市なんかも一時居たことがあるけど、

家賃が高い割に快適だった思い出はないなあ。

2007-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20071103123527

景観や治安がよくなれば観光客の増加を期待できるし、そうなれば地域経済にとって、とってもプラスになると思うんだ。

転勤族には無縁の話かもしれんが。

2007-07-24

anond:20070724034017

えええ。

全く関係ないが御飯用の金属容器がとても懐かしい。もう15年以上前仙台市青葉区)の小学校に通ってたころもあの容器だった。あの形なんでスタックされて運ばれてくるんだよ。

遙か昔の記憶を漁ってみたがこんなではなかったなぁ。まともな量はあったはず。むしろ米は他の場所の給食より多かった(転勤族の家で育ったんで結局いくつかの小学校に通った)ように憶えてる。どうなってるんだろ。

材料費だけなら80円は確実に切ってるはず。これなら。

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