はてなキーワード: フリーターとは
彼氏とどうしても喧嘩ばかりしてしまってしんどいやら悔しいやらで元彼に相談した。
ひょんなことから彼氏にばれて、別れ話になった。
ごく当たり前で、当然のごとくバカなのは私だ。
彼氏は私とやり直したいといい、いくつかの条件を挙げてきた。
おおむね納得のいくものだったが、一つだけ理不尽なものがある。
私はワープアなフリーターなのだが、彼氏は「誠意の形として某ブランドの靴(3万強)を買ってみせろ」というのだ。
一応期限は緩めに申し付けてきたものの、正直一月は食べるものの心配をしないといけないレベル…。
フリーターの身に甘んじている私がそもそも悪いというのは勿論あるだろう。
しかし、相当高額なものだというのは向こうも理解していて、だのに「それで生活に困ってる様子を見るのも勿論嫌だ、俺がひどいやつみたいで気分が悪い。無理が無いように買え」と言うのである。
そして何より、「今はもう愛してるとは言えない。まだ好きではあるけど」というのが引っかかる。
愛してもない相手と付き合うのって本人が一番しんどくないか?
私の側から言っても、愛されてないのに、愛情が戻ってくるかもわからないのに、漠然と時間が経つのを見過ごすのってなんか建設的じゃないと思う。
ポエムみたいになった。が、まあいいや。
ベーシック・インカムの論議がなされているけれど、共通の目的は「この世から貧困による不幸をなくそう」って認識なんだよね。
それであってるよね?
その方法として、全国民に月々、まあたとえば五万円を支給する。
これがベーシックインカム(めんどくせーから以下BIって書く)だ、と。
なんかおかしくないか?
だってさ。
実現方法がいろいろ言われているけれど、相続税を取り上げるだの、政府通貨を発行するだの。それって一回こっきりじゃないの?
たとえば来年、BIが導入されました。
わーいうれしいな。月々五万円も増収だ。
金持ちは涙目だねぇ。相続はチャラになるわ、政府通貨のせいで資産が目減りするわ。
でもそんなの関係ないよね。
次の年も月々五万円が支給された。
偉いね、なんとか続いているんだね。
その次の年も。
わぁい。
……。
あれ?
今月、五万円支給されたけど、うまい棒一本しか買えなかったよ?
そこが謎なんだよ。
毎月毎月、一定額が支給される。確かにそれは良い話だ。一年か二年、この国から飢えで苦しむ人をなくすことはできるだろう。
が、その後はどうなの?
十年二十年たった後も、この国はユートピアでいられるわけ?
「貧困を撲滅しようとしているのにもかかわらず、
どうして持続可能な案じゃないの?」
「貧困をなくすための案のはずなのに、
どうしてすぐに終わっちゃいそうな案なの?」
俺に言わせりゃ、ムセキニンなんだよ。あんたら。東。小飼。誰か知らんけどその他取り巻き。
みんな、短期的な案は語る。一年や二年は、そりゃあ、支給できるだろう。民主党の子供手当とおんなじだ。
でもその後はどうなの?
俺だってそりゃあ、みんな食うために働かなくてもいい社会が理想だよ。
安心して、あくせく働くことに価値を見いださなくても、人生そのものの喜びにひたりたいよ。
でもその基盤は、あくまでしっかりとした、「安定」した物じゃなきゃダメなんだよ。
そして事実、俺は信頼できるものは自分の脳みそしかない、身体しかないと思っている。
そのために働いている。
勉強している。
だからなおのこと、BIみたいな不安定なものに身体をゆだねるわけにゃいかないんだよ。
BIに身体を任せて、自分の脳みそを二番目以下においやることはできないんだ。
そっちのほうがよほどリスクテイクなんだから。
わかるか?
俺は政府を信用してないし、ましてやアルファブロガー、思想家、社会学者(くっ……ぷぷぷっw)なんてものを信用できるわけがない。
信用できないものに、人生の基盤=最低限所得保障を任せるわけにはいかないんだよ。
まあしかし、実現可能性については議論すること自体の意味がないだろう。
それは旗振り役の無責任さを指摘するだけで十分だ。
思うに。
彼らは結局のところ、貧困を撲滅しようなんてことは考えちゃいないのだ。
東、小飼、えっと誰だっけ。ホリエモンか。
みんな成功者だ。
成功したから、はっきり言えば、この先食って行くことに心配していない。
それは収入的な意味じゃなくて、自分の脳から生み出される富、つまり生活基盤の安定を確信しているからだ。
必要なときに稼げばいいと思っている。
そして彼らは事実それができる。
自由に働き、
自由に生き、
自由を謳歌している。
それと同じ喜びを、みんなに味わわせてあげたい!
ああ。
そうだね。
実に博愛的じゃないか。まったく。
政府なんてもんは、他人なんてもんは、あんたらの、自分の脳みそなんかよりも、全然信用しちゃならねぇんだよ。
自由な生き方ができるって言ってBIを煽ったのは誰だ。
この世には無能があふれているんだよ。
そいつらをちゃんと、
おれたちをちゃんと、
永続的に救えるのか。
BIは。
貧困をなくしたいなら、BIの論議はもっと現実的であってください。
百年や二百年の先を語ってください。
一年や二年の話なんかいらない。
百年先のビジョンが欲しい。
しかしそのためには、実現可能な案をつぎつぎ実現することが大事だ。
孫正義が偉かったのは、ビジョンを語り、それを実行したからだ。
孫正義が荒唐無稽な夢想家じゃなかったのは、自らの夢を実現したからだ。
実行が出来ないのは、端的に、思想家の無能だ。
何の思想もないくせに、目先の話をお遊びでしているだけという証明だ。
俺の人生は、
あんたらのお遊びじゃない。
あんたらの議論の道具じゃない。
あんたらが夜な夜な笑いながら議論ごっこをして本を出して印税儲けてアフィリエイトで稼いで講演料をもらって出演料をもらって仕事という名のわけのわからんシンポジウムを開いて悦に浸ってTwitterでぐちゃぐちゃと訳のわからん議論遊びに使って、肩書きを、収入源を、いくつもいくつも増やすための、道具じゃないんだよ。
そういうことなんだよ。
お遊びで、
社会を分析(笑)してブログやら本を書くネタにするためにやっているんなら、
今すぐこの日本から出て行ってくれ。
頼むから。
呼ばれてませんが元増田です。
さすがにワープアにブログで長文を書く余裕は無いとは思うから、まあそれなりの仕事はしてるんだろうけど、それでもたいしたポジションじゃなさそうな気がする。
アルファブロガー(笑)のエントリの半分はうだつが上がらない負け犬の遠吠えですね、わかります。
ワープアの人たちは分かりませんが、ニートやフリーターにないのは、時間の余裕よりもむしろ、パワーとインプット量、ネタ元、あるいは思考能力や情報編集力(馬鹿にする意味でないです。というか僕もフリーターです)ではないでしょうか。
「社畜批判をしている人たち」というのは、私が挙げたような人たちのエントリにおいてブコメなりコメントを炎上気味に伸ばしている人たちを想定して書いてました。伝わらない文章ですみません。
おととしの7月14日、私は首を吊った。原因はいろいろあったけど、就職活動がうまくいかなかったこと、父親が私の奨学金を持ってどこかにいってしまったことが重なったからだと思う。
周りの友人はどんどん就職をきめていて、部活に打ち込んだり遊んでいたりしていた。生きているとどうしてもいろいろ考えてしまうから、とりあえずそれから逃れたい、突発的な行動だった。
幸い吊って何分もしないうちに母親が帰ってきて助かったけれど、その後も地獄のような日々が続いた。過食症からの過食嘔吐で歯がぼろぼろになった。
眠れない日なんてザラだったし、親からキチガイと罵倒され、「娘がキチガイだなんて嫌だ」と泣かれたりもした。(親の中では精神科に通う人はみんなキチガイらしい)
そのころの私はとにかく”精神病になった自分”が許せなくてしかたなかった。もともとプライドが高かったし、まじめなタイプだったから、心の病気=甘えだろ!という気持ちが大きかった。
病気になったことで、人より劣るのが嫌だった。「かわいそうね」という目で見られるのが嫌だった。大学に通う間はなんでもないふりを通した。(今思うと、様子がおかしいことは確実にばれていたと思うけど)
そのころから、あるウェブサービスを使い始めた。最初からかまってちゃん全開の鬱ポストばかりしていた。とにかくはけ口がほしかった。
リアルの知り合いや親には言えるわけがないことを、インターネットにぽろぽろ書いた。インターネットの住人たちは”わたし”を知らないから。そう思うと弱みを見せるというか、思ったことをそのまま書けた。
そうこうしてるうちに、そこで友人とか、知り合いみたいな人たちができた(そう思ってるのは私だけかもしれないけれど、そう書かせてください)。私が鬱で死にそうな時や、しんどい時にReplyなどで助けてくれた。
第三者的にはかまってちゃん死ねよって感じなんだろうけど、私にはそれが救いだった。優しい言葉のひとつひとつが大切なものだった。ああ、私まだここにいていいんだなと思わせてくれた。
過食嘔吐で死にそうな時も、すこしいいことがあったときも、その人たちは本当によくしてくれた。
親から「キチガイは家からでていけ!」と言われ、今家出しているというポストをしたときは、何通か「どこにもいくところがなかったら家に来なさい」というメールももらった。
その中でも特に仲良くさせてもらってる人がひとりいた。共通の漫画が好きで仲良くなった彼女とはちょっとしたことがきっかけで住所交換をし、手紙をだしあったり、誕生日のプレゼントを贈りあったりした。
誕生日の日、プレゼントといっしょに送られてきた手紙には「あなたがつらいとわたしもつらい、しんどいことがあったらなんでも話してほしい。それで気がまぎれるなら、こんなにうれしいことはない」と書かれていた。
おもわず泣いた。見ず知らずの人間に、こんな優しい言葉をかけてくれる彼女がうつくしくみえた。(彼女とはまだ会ったことがないんですけど、いつか一度会ってお礼をいいたいなと思ってる)
そうこうしてるうちに大学を卒業し(奇跡的に留年はなかった)既卒の無職になった時も、「バイトなんて嫌だ。まわりの同期は正社員で好きな仕事してるのに。」といってた馬鹿な私を
「とりあえずバイトから社会復帰してみなよ」「ずっと家にいると楽しくないよ」といろんな人がはげましてくれた。
卒業から半年でようやくバイトが決まり、決まったことをポストするとみんな自分のことのように喜んでくれた。病院にはずっと通ってたけれど、薬の量と過食嘔吐の回数がすこしづつ減っていった。
バイトは接客業だったので最初は本当につらかったけれど、仕入れをしたり、ポップを書いたり、包装をしたりするのは楽しかった。
職場の人間関係がうまくいかなくて挫折しそうだった時も、あのときおめでとうといってくれた人たちのことを考えるとやめようという気になれなかった。
気づいたらいろんなことを楽しめるようになっていた。今年のはじめごろから過食嘔吐をしなくなった。世界がばら色に!とはいかないけれど、自分の調子が戻ってきた。
そして今日、最後の病院にいってきた。主治医に「最初のころは何年かかるかと思ったけれど、治りが早くて驚いた。まわりの人や環境がよかったのと、努力したからですね」といわれ、思わず泣いてしまった。
私がこうやって立ち直れたのは、あのウェブサービスで私のことを気にかけてくれた人たちのおかげです。本当に感謝しています。どん底だったとき、たとえ偽善でも気にかけてくれたあの人たちのおかげで、ようやくキチガイ卒業ができました。
本当にありがとう。ありがとう。あの時、死ななくてよかったと心から思ってる。あの時終わってしまってたら、この気持ちを味わうことができなかった。
フリーターだし、奨学金返していかなきゃいけないし、年金払ってないしでお先は真っ暗なんだけれど、なぜか、不思議とがんばれる気がします。
最近そのウェブサービスには顔を出してないけれど、今でも大切な場所です。直接あちらで書くのは恥ずかしすぎるので、ここに書くことにします。本当にありがとうございました。
あそこで遊んでる連中の年収ってそれぞれいくらぐらいなんだろうね。
一番多く稼いでる奴の言う事を俺は信じようと思ってるんだけど、なかなか皆開示してくれないんで困ってる。
私が挙げたなかで言えば、一番年収を稼ぐのは経営者ではないでしょうか。
増田さんの「一番多く稼いでる奴の言うことを信じる」というのも、自分ではそうしませんがいいと思います。年収なら数値を比較できますものね。
みんなが職場への満足度と年収を明記して書き込んだら判断材料は増えますよね。あと会社情報とか月労働時間とか。やりがいと収入の相関関係がどれだけあるか、とか知りたいです。みなさん書いてくれないですかね。
社畜批判してる人のうちニートとフリーターとワープアが大半を占めていたらそれはそれで分かりやすいですが、そうはならない気がします。
結局、価値観については、人は自分の体験からしか語らないし語れない、ということになるのでしょうか。
ちょっとすっきりしませんが受け入れる必要がありそうです。ありがとうございました。
あそこで遊んでる連中の年収ってそれぞれいくらぐらいなんだろうね。
一番多く稼いでる奴の言う事を俺は信じようと思ってるんだけど、なかなか皆開示してくれないんで困ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20100306031459
社畜批判してる人のうちニートとフリーターとワープアが大半を占めていたらそれはそれで分かりやすいですが、そうはならない気がします。
さすがにワープアにブログで長文を書く余裕は無いとは思うから、まあそれなりの仕事はしてるんだろうけど、それでもたいしたポジションじゃなさそうな気がする。
だいたい、ああいった主張ってのは往々にして今の自分の境遇に対する不満をぶちまけてるだけだと思う。
元増田です、回答くださった増田のみなさま、ありがとうございます。
設問がぼやけすぎだし、そういえば人力検索に投稿したほうがよかったんじゃね?っていまさら気づいた。
それとトラバの打ち方まちがえてたらごめんなさい。
過去の価値観と、それを打破できない構造に理由があるってことだね。なるほど。職業格差でなくて雇用形態格差になったってとこか。
若い人、有能な人は、そうした名残に疑問を抱きつつ、「何か」のためにその疑問を脇に置いて、あるいは諦めて、働いているんだろうね。あるいは第三の生き方を見つける。
しばしば就職にくっついてくる自己実現ややりがいも「何か」のひとつであると同時に、奴隷を使役する側が用意した疑問を抑圧するものである可能性もあるね。それは個人の姿勢次第で変わる。
でも…ほんとうに現実と戦ってないのかな? ただ出口なく辛いさま(というイメージ)が、私にとって戦ってるように見えるだけなのかな?
大まかには、
ということ。それと、そこから派生して、
ってことでしょうか。どっちかというとこっちが知りたいです。
でも、すこしでも気持ちが上向いたのならよかったよ。
すみません。あなたにとってはきっと「なぜ人を殺してはいけないの?」と同じような、答えを求めるべき質問ではないのでしょう。
なぜかわいそうなのか?まで書いていただければ幸い。
そして「なんで自分の生きかたを認めてくれないの?」って叫びたかっただけだね。
気づかせてくれてありがとう。それすら分からないくらい頭ぐちゃぐちゃなんです。
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でも、例にあげた私の生きかたは、かわいそうとか、もったいないとか、いつやめるのか(正社員になるのか)、何を目指すのか、って常に言われるのよね。
それってなぜ? 個々人の価値観の問題? それとももっと違う何か?
いまの増田さんは「利便性」のために戦うのですね。ご武運を。サポートも糞でないことを祈っております。
三十路のおっさんの中二病に真剣につきあっていただいてありがとうございます。
「自分はどうして生きているのか」という悩みこそが人間存在の証明だから。問いこそが答えということですね。そうかもしれない。
たしかに人間をやめた人間は蔑みに値すると思う人がいるのはしかたがないし、「人間」の条件すら時代によって変化しますね。
どうせ暇なら死ぬまで図書館の本を読み続けよう(ウェブの海を漂いつづけようetc)っていうわたしのイージーモード人生も、ハードゲーマーから「イージー厨乙wwww」って叩かれる可能性を我慢できるなら、成立しますよね。
そこまでは納得できます。
では、なぜ現代において、私のような生きかたは「イージー厨」だったり、植物や動物と同じかそれに近しい扱いを受けるのでしょうか?
(そう扱われているって自体が被害妄想な気がしてきたけれど)
そういえばペットはむなしくならないのかな。
人間に捨てられて鬱になる猫の話は聞いたことがあるが。
考え方のヒントを勝手にいただきました。ありがとうございます。
>>フリーター、ニート、派遣社員専門の徴兵制というけど、その三者が選ばれた理由はなぜ?
>今の日本でその三者に一度でもなってしまうと正社員になりにくいから。職歴を付ける意味もあります。
その三者が四者になって終わりだろう
元増田です。
>今でも自衛隊の門戸は開かれているのに「踏ん切りがつかない」人のためだけに徴兵制を導入するの?
門戸は開かれていても、実際は倍率が結構高いです。(最も低い二士でも4~5倍ぐらい。今は不況だからもっと高い)。
>フリーター、ニート、派遣社員専門の徴兵制というけど、その三者が選ばれた理由はなぜ?
今の日本でその三者に一度でもなってしまうと正社員になりにくいから。職歴を付ける意味もあります。
>身体的や精神的な理由で正社員の働き方ができない人もいれば、正社員になりたいけどなれず、正社員になることを目指しつつ他の働き方をしている人もいる。
徴兵制なのだから当然身体検査はあるから、受からない人もいるし。それに多くの国同様徴兵拒否も当然認められるでしょ。
自分は徴兵制は即効性のある雇用対策として捉えているので、非正規雇用などの高度な政治問題とは分けて考えています。非正規雇用の問題は解決されるべきですけど、解決されるまでに長い時間がかかります。自分が言っているのは超就職氷河期の今の若者をどうするかということ。ほっとけば、ロスジェネと同じ道を辿るのは明らか。
>つまり、福祉や教育に回すお金を軍事に回すことになる可能性があるわけだ
子ども手当で5兆円。それを辞めて回せばいいと。5兆もかからないですし。
>農林業などの第一次産業に安定した賃金で従事させることだろう
新しい組織を作る事になるので、どうなんでしょう。個人的には既存の組織を使った方がいいと思うんですけど。
まあもともと乱暴な話ではあるんですが、若者に対する就職支援って今殆なされていません。
「天皇元首」「外国人参政権」など検討 自民が憲法改正で論点整理
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100304/stt1003041806007-n1.htm
自民党の改憲案論点整理で徴兵制度導入と思える項目が入ったためにはてなで大きな騒ぎになっている。
個人的には徴兵制度には賛成。もっと言えばフリーター、ニート、派遣社員専門の徴兵制。
なぜなら、自衛隊は雇用対策としてかなり有用な存在と思えるからだ。
超就職氷河期で就職できなかった若者はどうなるか。フリーターか派遣社員だ。
その先どうなるか。ロスジェネを見れば明らかだ。能力も経験も蓄積することなく30代になり社会から冷たくあしらわれるのだ。
ロスジェネの二の舞にならないように若者を支援するにはどうしたらいいか。
民間の会社は採用枠を絞っている。景気が回復するにはまだ時間がかかるだろう。
かなりの人数を受け入れ、数年で人材を入れ替えられるといえば自衛隊しか無い。
色々資格も取れる。
職歴もつく。
新卒で就職できず、フリーターで2年過ごしたあと就職活動するのと自衛隊で2年過ごしたあと就職活動するのでは雲泥の差だろう。
殆就職支援をされていない現状を考えれば、徴兵制は若者の雇用に非常に役に立ち導入を検討するに価するのではないだろうか。
というかして欲しい。個人的に徴兵制でも無い限り踏ん切りつかないからなあ。
(転落の始まり)
高校 同級生と同じ学校に入るのが怖くて誰もいかない美術系に進む
(無理して明るく振る舞うのが精一杯で美術の才能なんてないので成績ぼろぼろ)
(個性がやたらと求められる環境で、友達はライバルで、何も出来ないのに個性で何とかなるという勘違い始まる)
美大 油画科受験失敗で以前より興味があったメディア系の科がある美大に進む
(自分だけ絵が下手な事へのコンプレックスから友人も出来なく更に性格歪む)
美大退学
(年間160万払っても、メディア系の学科では中身がある授業はほとんど受けられなかった。パソコンやソフト買うのに必死でアルバイト
してると疲れて授業に出られなくて必修単位を落とすし、何もかもばかばかしくなった。)
フリーター6年
(アルバイトでも自分を評価してくれる環境に魅力を感じたが、デザイン系に進みたい夢を捨てきれずにフリーター)
(もともと目が悪かったせいか、長時間のパソコンでの仕事で体調を崩してしまい勤務時間を減らしてもらったところ
無職 5年
(何もかも嫌になってしまった。将来の事は何も考えていなかった。ただプログラミングが面白くて、一生懸命やっていれば
将来なんとかなりそうな気もしていた。)
(全てを終わりにしたかったが、親に助けられ終われなかった。これまでの人生を振り返ると、これ以上に不幸になっていくとしか思えない)
書くこと: 23~26歳までの私の職歴
結論: 人生ちょっと転んだって何とかなる
---
BだかCランクくらいの大学に入って4年で卒業。教職免許は途中でやめたので取れてなかった。
そこそこ大手のSIerに入社。色々と楽しかったりやりがい感じたりもしたが、1年も経たずに不眠や嘔吐などの症状が現れ、休職。ちなみにそれまでの人生、鬱っぽい兆候などは一切なし。明るい人間と自他共に思っていたけれどもなるときはなるものらしい。
タイトルにはニートと書いてあるが正確には休職。何もしなかったが、休職はじめた段階で、復帰したとしてもすぐに教員に転職しようと思っていたので、頭働かなくて何もしない日々の中、教員免許取得のための手はずだけはしっかりこなした。具体的には、23歳冬の段階で教育実習の申込は行っていた。(実際実習を行う2年前に申請が必要)
半年程、休職手当で食いつないで、病院からも寛解っぽいから薬止めてみようと言われ、ちょうど24歳になる頃(夏)にすぐに退職。たまたま知り合いが、IT系のアルバイトを探していたので食いつく。この仕事は自分にとても合っていて、楽しいし学ぶことも多かった。
秋から大学入学準備。1年間で教職免許を取るためには通信か特別課程のある大学に通う必要があり、教科的に通信じゃ取れなかった。首都圏で教職の特別課程があるのは慶應と工学院。どちらかに入った。
4月からアルバイト(ほぼフルタイム、但し在宅ありだったので拘束時間は長くない)しつつ、大学に通う。前期は水、金、土と通っていたが、後期は水と土午前だけ。大学自体は仕事との兼ね合いでつらいこともなかった。ただ、採用試験が夏なので、そのための勉強があるため、4月~7月はそれなりにシャキッと学んだ。
それと教育実習。その期間は仕事は一切できなかったので休みをもらった。元々、「教員になるまで」という形で雇ってもらっていたので休むことは了承してもらえた。
そんな25歳、私学適正試験と公立1つだけ受験。元々、2、3年受験し続ける予定だったので最初はあんまり受けないでいいと考えた。ところが公立の試験をあっさりパスして、採用となった。4月から公務員となる。今年で26歳になる。
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真面目真面目して生きてくると、ちょっとつまずいたときにまるで詰んだかのように絶望的な気分になったりするけれども、積み重ねてきたものは掘り出してみると案外使えます。今月までのこのアルバイト(高待遇、かなりフレックス)に就けたのは、学生時代になんとなく勉強していた英語のおかげです。受験1年目であっさり合格できたのは、大学4年間科目問わず塾講師をしていたので一般教養に強かったおかげです。以前の就活で面接等を沢山練習したのも勿論役立ったはずです。教員免許が1年で取れたのは、学部生時代に、途中で投げ出しはしたものの必要単位の半分以上を取得していて、専門の単位を沢山取っていたおかげです。
なんとなく絶望感を抱く事態になってしまったとき、自分の積み重ねてきたものを少し掘り返してみませんか。案外、いろんなものが可能性が見えてくると思います。
この20数年で私が見てきた人達から、自分の中で中学校のときの成績を基準にカテゴライズしてみる。
私は中学校での学力でここまで人生を左右するのかということをひしひしと感じている。
それなら小学生のときは重要ではないのか?と言えば、中学校のときに比べたらそれほどでもない。
それは、中学3年間で学力の遅れをとりもどすのは十分に可能であるからだ。
まず、私のときがそうであったように1学年150人(5クラス)を考え、以下のようにカテゴライズしてみる。
このランクの人は、家庭環境がいいのか、はたまた努力家なのか、豊かな人生を歩める可能性が非常に高い。
県内有数の進学校から東京大学、東工大、横浜国立大学など優秀と言われる国立大学や早慶などの私立大に入るパターン。
弁護士になるのか、医者になるのか。いずれにしても社会的に認められた職につくだろう。
高校受験や大学受験に失敗しても下地ができているため、悪くても有名メーカなどには入れる気がしてる。
このランクの人は、実に多彩だと思う。かく言う私もこのカテゴリ。
県内の2番目の進学校(偏差値で言えば65前後)や3番目の高校に入り、大学進学するのが一般的。
上記の大学に入れるものもいるが、基本的にはMARCHや地方国立大学に入る人が多いと思う。
もしくはごく少数だが、高校卒業して働く場合もある。
職業は大企業、中小企業に勤めるのが一般的だと思う。大学で落ちぶれた人は、ブラックといわれる会社に勤める。
このランクの人が一番面倒くさそう。
このランクの中でも上位でやる気があり、努力できる人はBランクと同じくらいの進路になれるかもしれないが、そうでないと残念な感じになる。
中途半端に勉強ができるため、大学進学する場合は日東駒専レベルが大半で1~2割がFラン大学というところか。
派遣になる人もいるのでは?
これが男なら残念だが、女性なら問題ない。このランクの女性はBランクやAランクの男を頑張って捕まえればいいのだから。
このランクの人は、適当な偏差値50前後の高校に入学し、適当に卒業する。
専門学校に行き、手に職をつけるか、Fラン大学→DQN→就職先がないパターン。
基本的に才能のある人が成功するカテゴリだと思う。
基本的に問題児扱い(万引き、いじめ、暴力、教師への反抗)する人はいるのはここだろう。
ここでの記述は、そんな人たち向けになっている。
悪くあればかっこいいと考え、生活態度の悪い女と付き合う可能性が高い。
高校はいわば底辺高校。名前を書けば入れます的な。
まじめに高校にも行かず、ぎりぎりで卒業したら土方をはじめとした現場主体のガテン系。
A~Cランクの人がエアコンの効いた部屋で頭を使い、現場の人たちが兵隊となり体を使って働く。
かつては、自分がいじめていたかもしれないA~Cランクの人から見下される。
ただし、いA~Cランクの人はこのような態度をあからさまにとってはいけない、この人たちのおかげで私たちはデスクに座ってられるのですから。
また、家庭の事情でEランクに甘んじているひともいることを忘れてはいけない。
女性は基本的に派遣かフリーターまたは俗にショップ店員とか家事手伝いが多いのでは?
このランクの女性は容姿に自信がなければ、同ランクの男性としか結婚できない。
基本的に上のランクに行くほどこの手の頭の悪そうな恰好や教養のない言動が嫌いだからだ。
また、Eランクの家庭からは基本的にはEランクの子どもが生まれる。
総じてこのランクの人たちは結婚が早いためだ。つまり子どもが子どももつため、程度の低い子どもなっていしまう可能性が大きいのだ。
まさに負のスパイラル。
結構、辛口に書いてしまったが、みなさんはこの中学のときどのランクにいて、今はどうなっているだろうか。
中学校では下のランクだったが、高校、大学では上のランクに行けばいいんだ!
と思う人もいるだろうが、それはとても簡単なことではない。
周りに流されず努力するのはそれは難しいことなのです。
中学校ではまだ、ランクを変えられます。基本的に中学生は行動が制限されていて、勉強する時間が腐るほどあるからです。
これを読んでくれた中学生へ
今、頑張るのが一番簡単なのです。少し努力をすればCランクに上がるのは簡単なことでしょう。Cランクの人は勉強のコツさえ得れば簡単にBランクにだってなれます。
「ネット社会でうまく渡り歩いているうちに、人間のことが深く分かってくる」
らしい。
俺も長年ニートをしているが、引き篭もりでは無くリア充であり、
しかも、実社会のことをよく知っている。
だから、この意見は間違っていると断言できる。
と勘違いしている。
声を大にして言うが、断じて、ネットは人間社会の縮図などではない。
誤解を恐れずに言えば、ネットでは責任回避の自由度が高いため、人間の醜い部分が表面に出ている。
こういうことを言えば、
と思うかもしれない。それはそうなのだが、ネット社会の醜さはまたそれとは別種の醜さである。
言うなれば、
と言ったところか。
現実社会に見られるような、表面上の誠実さはまったくないことが多い。
と思うかもしれない。ただ、ここで言いたいのは、
「ネット社会が実社会の縮図であるかのように錯覚している人が少なからずいる」
ということだ。
しかも、ネットをガンガンやっている人だけでなく、リア充でネットもやっている人でさえ、
それはどういうノリか。
例えば、「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」などの概念である。
「いやいやそれはネットに限らないよ」
という反論もあるだろう。
だが、ネットではこれらの概念がとくに際だって前面に出てきているし、
独特の形で人々の思想に根付いているところがある。
現実社会でも、そうした思想を有効活用している人が散見される。
「ほんとにそんな人いるの?」
いるのである。さすがに社会人の間では割合も減るのだろうが、それでもいる。
「でも、だいたいはニートみたいに社会的に落ちこぼれた人でしょ」
いやいや。話はまだある。
ネットの良くない思想が見られることが多いからである。
そして、そのような「アンチ低俗」な人は、社会人にけっこう多いのである。
つまり、先ほど列挙した「煽り」「工作」「信者」「アンチ」「陰謀」「自演」
「ネット臭さ」を漂わせており、偏った価値観を持っているということである。
「どういうこと?」
と思うかもしれない。
一例を挙げれば、「煽り」に反応してしまう奴が嫌いなあまりに、反応してる人を見るとすぐに
「スルーしろよ」
もしここで、ピンと来なくて、
ネットなどほとんどしない人から見れば、上記のような「スルー主義」は、
極端すぎだし、神経質で、誠実さに欠ける態度に思えるということを知っておこう。
そう、「スルーしろよ」と言ってる人に限って、「スルーできていない」し、
かといって「向き合ってもいない」。
そこがスルー主義の滑稽なところであり、役に立たないところなのである。
まあ、これには異論もあるだろうが、ここではそれは大目に見てほしい。
ここで大事なのは、ネットの低俗さに対抗する「武器」がネットには用意されており、
低俗さに嫌気が差した人がこぞってその武器を身につけているという点である。
そういう仕組みで、「アンチ低俗ネット」な人もまた、所詮は「ネット臭い」のである。
「ほんとにそんなにいるの?」
こればかりはデータをとらないことには分からないが、確かに多い、
しかも増えているというのが率直な感想である。
他人の「ネット臭さ」を判断することもできない。
だから、俺のような「ネットの外側の人間」がいくら言ったところで、
「気付かない」し、それゆえ「直そうとも思わない」のである。
これはそういうものだと思ってもらうほかない。
「直す?なんでそんなこと言われないといけないの?」
と思っただろう。
いやいや。そんなふうになってしまった以上は直すの大変だろうし、
直すべきとも思わない。ただ、まだそんなふうになっていない人や、
そんなふうになりかけている人に対して、警鐘を鳴らしているだけである。
まあ、「軽度」ならいいんだが、「中程度」や「重度」になってくると、
ネットでの、卑小な感情を前面に出したノリで現実社会を生きることになり、
意義深く充実した人生からどんどん遠ざかっていく。
それだけでなく、いささか歪曲した人間観でしか人間と接することが出来なくなってしまう。
何もここでネットを完全否定したいわけではない。
ただ、
「そういうネットの側面に気をつけずに、ズブズブとネットに没入している人もいる」
と言っているだけの話である。誤解しないでほしい。
俺はネットを毎日平均で1時間はする人間だし、ネットの良い面もたくさんあると思うが、
本筋から外れるので触れていないだけのことである。
今日はじめて派遣のバイトに行ってきた。内容は家具小売会社の商品の仕分け。
自分は修論を書き上げ4月に就職を控えた大学院生で、今までにやったバイトは家庭教師、塾講師、TAと、
自分は学部生時代は体育会系の部活に所属していて、その辺の奴より体力は断然あると思っていたけど、10時から19時の
バイトが終わる頃にはヘロヘロになっていた。それだけ働いて給料は5000円ちょい。今までのバイトなら温かい部屋で一切体
を動かさず、多くても3時間働けば稼げる額。
仕事場にいた他の派遣の人間はどう見ても自分より年上の人ばかり。この仕事で食っている人だろう。
休憩時間に話を聞いてみると、高卒や大学中退でフリーターという人が多かった。
この給料で、福利厚生もなく毎日働くなんて自分には考えられない。
ヒーターの電源をONにして、ベッドの上で藤子不二雄の「まんが道」を読む。手を伸ばせば届く場所にはパイの実とアイスコーヒーがある。今日中に8巻までは読む。時間はいくらでもある。昼まで漫画を読み続けて、それから好きなだけ寝るつもりだ。
先月会社を辞めた。上司が体育会系でパワハラが辛かったとか、細かいことをねちねちと言われたとか、残業代が付かなかったとか、休みが全然なかったとか、理由を問われるといくらでも答えるが、本音を言うと「早起きして会社なんか、行きたくねえ。俺のペースでゆっくりさせろ」というところだ。
好きな時間に起き、本棚に並べられた、買ったは良いけれどなかなか読む時間がなかった本を読み始めたり、近くに定食を食べに行ったり、テレビを見たりする。晴れていて、かつ気分が良ければ自転車で浅草まで行ったりもする。なにはともあれ、時間の何もかもが好きに使えるっていうことは、良いことだ。
「空白期間が長いと再就職に不利だよ」だとか「何もすることがないのなら、TOEICの勉強でもしたら」だとか、うるさい奴らもいるけれど、俺はいま、この生活が最高で、それをずっと保っていたい。放って置いておくれやす。
新卒採用で入った会社を5ヶ月で辞めたから、失業保険はもらえない。12月のボーナスも貰えなかったから、貯金は50万しかない。その事を考えると、とたんにさっきの威勢がなくなる。
俺はこのままの暮らしをずっとやっていきたいのに、世界は俺の頭の中とは全然違う。俺の出したいスピードよりもずっと早い速度で世界は動いていく。俺みたいに速度に乗れなかった奴はどうすりゃいいんだろう。社会的立場、ゼロ。発言権、無し。
石原慎太郎とか田中康夫とか村上龍みたいな、時代の代弁者、新しい俺たちの代表、早く現れないかなあ。
俺みたいに考えている若者、いっぱいいるはずだ。目が覚めたら起きて、眠くなったら布団に入って、金が欲しい時だけチョッコっと働いて、だらーっと好きなことして。暇だから漫画や小説を書き始めたりするけれど、別に賞に応募するわけでもなく。編集者に見せに言って「商品にならない」なんて言われて嫌な思いするよりは、ミクシーでともだちだけに公開して。そんな風にぬるく生きていきたいんだってゆーの。
ニート支援だとか、フリーター対策だとか、馬鹿か。いちいち気にさわる。年寄りが自分の理解出来ない価値観に拒絶しているだけにしか見えない。俺からしてみたら、こんなに快適な生活はないのに。時代劇で一番のんきに見えるのは「ご隠居」だっていうことだ。刀を振り回して世直しなんて、苦労が多すぎてちょっと無理。
俺の父親は、朝5時に起きて、犬を散歩させ、朝ごはんを食べるとバスに乗って会社に行く生活をもう30年以上続けている。夜は8時くらいに帰宅して、夕飯を食べて、テレビを見てから11時半に就寝。木曜日だけは、会社の帰りにテニススクールに行くから帰りが遅くなる。
そんな生活のサイクルをずっと続けている父親が金を稼いできて、俺はそのお陰で大学を出た。一年間の留学まで体験させてくれた。俺はそんな父親に感謝しているし、深い愛も感じる。実家に帰り久しぶりに家族に会うと、犬がいて母がいて父がいて弟がいる。俺はごく自然に、この家族が好きだと思う。
それでも、俺には朝5時に起きて毎日同じ電車に乗って会社に行く生活は出来なかった。なんだってそんなキツイ思いをしなければならないのだ。それをしなくても、生きていけるのに。自分ひとりは。
今になっていう事で腹を立てたりしないでもらいたいけれど、子供の頃からさんざん言われていた「良い大学を出て良い会社に勤めるのだ」という主張を、俺らは、半ば冗談半分にしか聞いていなかった。俺たちが子供の頃に流れていたニュース。「良い会社」で何人もの人間がリストラに合っている光景や、良い会社がぶっ潰れた記者会見を、俺たちがまさか見ていなかったとでも思っているのだろうか。あるいは、見ていても理解出来ていないとでも…。そう簡単に騙されやしないよ。
「いま、人生いい感じだなあ」と思っている人間が一体どれくらいいるのだろうかと考えたときに、不思議な感覚に陥った。俺らの親の世代はわりとそういうことを思っているだろう。子が育ち、自分たちも労働からそろそろ開放されようとしている。これからは好きなことをして生きて行くことが出来る。
けれど、俺たちの世代の人間で「いい感じだ」思っている人間は殆どいない。そして、俺たちには「いい感じ」を待つためにこの先何十年も待とうという得体の知れない忍耐力は、ない。それは俺が俺の世代だからわかることだ。この先の長い年月をじっと待ったところで、俺たちが「いい感じ」になる可能性がひどく少ないと、いくらなんでも、もう誰だって分かっているのだ。会社に守られるなんていう幻想はまず真っ先になくなったし、日本がこの先強い国力を持って福祉が充実するなんてことも、どうしたら信じられるだろう。
一人ひとりが強く生き抜くことしか残されていないのだと思っていたら、今度は友愛だとかなんとか。振り回されるこっちの身にもなってもらいたい。もしお前が本当に「友愛」だとかなんとかいうのであれば、しっかりやれよ。いいか。しっかり友愛するんだよ。と叱咤激励したところで友愛は絶対に成立しないことが分かっているこの既視感。いい加減、俺たちはそういうやり方にうんざりしている。サバイバルでも友愛でもどっちでも良い。それは、俺たちが決める。というのが俺たちの世代の考えだけれど、そういうとまた「ゆとり」だのなんだのと年寄りに悪口を言われるのが関の山。そうなりゃ自然、家に引篭もりますって。家にひきこもって、時折バイトでもして、気楽に暮らします。
年寄りの悪口も、政治家の嘘も、もうどうでも良い。おまえらはおまえらでがんばれ、俺たちは、俺たちで各自ひきこもって勝手にやるよ。頭しぼって不老所得で気楽に暮らす。最高じゃないか。何が悪いのか全く分からない。いずれ沈没の船に乗り込んで一生懸命延命考えている奴らの気がしれん。ヒャッハ。
私が上手くゆかなかったのは、ひとえに他人と上手く関われなかったからで、もし大学院に行ってもう一度新卒で就活したとしても、また同じ事の繰り返しになるんじゃないだろうか。
もし、内定がとれたとしても、会社に入ってから他人と上手く関わることが出来なければ、上手くやっていけないんじゃないだろうか。
そう考えたら、新卒にこだわるよりも、他人と上手くやっていく方法を探すべきなんじゃないか。
そもそも「新卒」ってなんなんだ?
そう考えた私は、とりあえず増田上部の検索欄に「新卒」と打ち込んでエンターキーを押した。順序が間違っている気はするものの。
まず目につくのは、やたら自分語り、身の上話が多いということ。
それも当然の話で、新卒イコール就職イコール人生のターニングポイントであり、人生の話が出てくるのは必然だ。この日記もほとんど自分語りである。
次に、面接マニュアルみたいな話。こーゆー話をしたがる人って、どーゆー神経してるんだろう。ぼくにはとてもできない。
それから、とにかく新卒で就職できないと大変なことになるらしい。30過ぎてフリーターとかニートとかになるらしい。でもそれって本当に新卒が悪いんだろうか?
また、新卒で入社できない人間は社会不適合者であるらしい。果たして本当だろうか?
漫画家の山田玲司は「非属の才能」という新書の中で「社会不適合者はみんな天才だ!(意訳)」という、なかなか論理的にもぶっ飛んだ自説を開陳していた。
なるほど、確かに成功者には一時的に社会からドロップアウトしたような人も多い。例えばアップルのスティーブ・ジョブズなんかは、大学を数ヶ月で退学している。
しかし。しかしである。
世の中の一般的な人、平凡な人、普通の人、人並みな人、日塔奈美は、みなちゃんと大学を卒業して、新卒で内定を貰って働いているのである。不況の今年でさえ、六、七割の学生は内定を貰っているのだ。
そもそも、有名人に社会不適合者が多いのは、その個人的才能が突出していることによって一時的に社会から疎外され、後にその個人的才能によって有名人になったのではないか。
そういった有名人と、個人的能力が不足していることによって社会不適合となった人間を、同列に語るのは間違っているのではないか。
増田を「新卒」で検索すると、今現在フリーターをやっていて、作家になりたい、という人がいる。
しかし、ただ単に社会不適合であるというだけで、作家になることは出来ない。
何らかの特殊な経験を経ただけで、特殊な表現が出来るようになるわけではない。例えそれが戦争で前線に送られた人の自伝的小説であったとしても、つまらない小説はつまらない。
自分が特別であると思いこんではいけない。
じゃあ果たして、新卒で失敗した私は特別なのであろうか。
大卒で六、七割ということは、同学年で正社員として働いている人はもっと少ないんじゃないか?
六、七割のうち、会社になじめずに退社して第二新卒になる人はどれくらいいるのだろうか?
本当に私は、特別なのだろうか?
私にはまだ、自分がどうすべきかわからない。
追記:トラバしたくなった
最近おもしろい傾向がある。インターネットに明るい者ほどインターネットの問題点を認識し、逆に初心者や盲目的信仰者ほどインターネットのすばらしさを謳歌する。
それがもっとも顕著にあらわれているのが、言わずと知れた匿名掲示板2chである。開設当初は不文律というものも出来ておらず、確かに問題点は多々あった。だが、現在ほどひどい状況ではない。なぜならば、当時の主なユーザー層は非常に限定されており、時代背景を考えても比較的専門性の高い知識をもった者のみ書き込むことが出来たからだ。
最近wikipediaを読んで知ったが、2ch創設者のひろゆき氏は2009年にこういった言葉を残したらしい。
00年代前半期には、偏差値とインターネット利用者が比例する構図があったが、PCが安価になり始めた00年代中期頃から、一部の議論好きな人間を除いて馬鹿ばかりになってしまった。
この一文は長年ネット文化に言及している人物らしい、的確な指摘が簡潔になされている。
また、今から10年前にプログラマー兼ライターである掌田津耶乃氏はこのようなコラムを書いたようだ。
「2チャンネル」という最低最悪のサイトがある。(中略) 面白いのは、彼らの多くが「自分は知性があって偉いやつなのだ」と思い込んでいるらしいこと。よくコンピュータ関係で見かけるのだけど、「知識がある」のを「知性がある」と勘違いし、「自分はすぐれている」と錯覚してしまう人は多い。知性は知識+人間性であることに気づかないのだろう。本当に知性ある人は、匿名で他人の悪口をいって喜んだりはしない。
この二人の発言を参考に、現在の2chユーザーを分析すると、質の低い人物がネットで得た知識を自らの知性と勘違いし、高圧的な書き込み繰り返している、ということになる。
これではまだ少々抽象的すぎるので具体例を出したいが、そのもっともわかりやすい例が、ニュース速報板と呼ばれる、話題をニュースに限定された2ch内の板であろう。こちらでは、一人が自分の立てたスレッドに外部ニュースサイトよりコピーした記事を貼り付け、それに対して複数のユーザーがコメントを書き込む、というのが基本的な流れである。
その場合、書き込まれるコメントというのは9割以上が批判文である。
一見、この行為自体には問題がないようにみえる。テレビの前でお父さんがニュース番組に対してブツブツと文句を言っているような微笑ましい光景である。
けれど、そこには知性というものが存在しない。
現在、このニュース速報板の大半が10代、大学生、ニート、フリーターのユーザーで占められていることは書き込まれる時間帯や内容から疑いの余地がない。例外を認めながらも、社会経験や学力の低い者たちが多い。
確かにネットによって多くの有用な知識を得ることができる。社会的地位を得る人はこれらをうまく活用している。だが、ニュース速報板のなかで無意識的にもっとも発言力が高いとされるのが、暇をもてあまし数々のスレッドにより得た雑学やネタを多く理解している者の書き込みである。
その彼らがあらゆる記事に対して斜は構えた発言をし、それを見た同様のユーザーが煽動され同様の発言を繰り返しているのだから始末に負えない。
なぜそういった発言をするのかと言えば、それは彼ら自身が優れていると錯覚しているからに過ぎない。彼らはネットの可能性を信じ、ネットこそが真実であり、ネットを自由に使いこなす自分こそが正しいと思い込んでいるのだ。斜に構えた発言をした方が、玄人っぽくみえる……というのはいったいどこの小学校の文化であろうか。これに該当する人物はもちろん全力で否定するのだろうが。
他にもこの板では二つの類似した物どうしを戦わせるという不毛な争いが“議論”という名の下で真剣に行われている。その代表格といえば、「ゲームハード×ゲームハード」「新OS×旧OS」「サッカー×野球」「文系×理系」だろうか。端から見れば、脱力するくらい低レベルな諍いであるが、これにいい大人が熱中しているというのだから感心する。
また、同様にこういった争いがある。「右翼×左翼」「信者×アンチ」。これは想像力もしくは知能の低い人物が二つの事柄までしか処理できないために起こる。どのような事象にも世界には二通りの立ち位置しか存在しないと決めつけているから、架空の敵を作り出し、特に敵対意識がなかったにもかかわらず、口角泡を飛ばしながら叩き出す。
2ch文化にあまりなじみのない人には実感が湧かないかもしれないが、実は日常的に行われている議論の9割がコレなのである。知らない人は知らないままの方がいい。怖いもので、人は幼稚な環境に身を置くと途端に幼児退行するものなのだから。
たとえ知性の感じられない議論や独自文化であろうと、限られた空間内で楽しんでいる分には私としても文句をつける気はない。けれど、暇人によって書き込まれたスレッドが暇人の運営するブログにコピーペーストされ、多くのネットユーザーに影響を与えているのはいささか看過できない。メディアリテラシーが不十分な人にとっては「2chの意見→多くの人の意見→世間の一般認識」という図式が当然のように成り立つ場合があるからだ。
もちろんこれは2chユーザーの責任ではない。彼らは時間と勘違いによる優越感をもてあまして似非批評家気分に浸っているだけなのだ。その彼らを責めるのはお門違いも甚だしい。
しかし、そういったブログがアクセス数で日本国内トップを独占している事実は、日本のネットユーザーの知的レベルが諸外国と比べて明らかに劣っていると識者に多く指摘されることと無関係ではないだろう。
発言の自由が保障されている日本で、たとえ一般人にまで悪影響を与えるブログだからと言って閉鎖させることはできない。かといって、国民全員にメディアリテラシーを期待するのも不可能だ。
今後、情報化社会はますます加速する。人々の暮らしが便利になっていくなか、有害な情報とどうやって付き合っていくかが当面の課題となってくる。問題提起のみにとどめる無責任な文章で恐縮だが、高度に発達した情報技術のなかで社会システムはどのように機能していくのか見守っていきたい。
日記を書く。私は日記を書く。最近私は日記を書いている。最近私は、日記を書くことに理由を見出しかけていて、その理由とは、精神の解放、というか、ストレスの発散、というか、ランニングして汗をかくのと似てる感じの、まぁ大体そういう理由。書く内容は特に決めない。最終的にどんな内容になるかは誰にもわからない。
で、増田は一応ダイアリーというだけあって日記だ。議論したりしてる人も多いけどね。だから私は増田に日記を書く。ね?いいでしょ?誰も文句言わないでしょ?っていちいち聞くすら必要ない。ワンダフル。
それにしても私は日記を書く。文章を書くのはすごく楽しい。解放される。歌を歌っているときと近いけどちょっと違う。歌っている時の私の心は音楽になっている。文章を書いているときの私の心は文章になっている。理想的には、ね。
はっきり言うと私は、来年度から自分が何をやるか、何も決まっていないし何も決めていない。私はそれに対して何とも思っていないけれど、まぁ何も思っていない訳では無いけれど、私も一応人間であるので、周りの人間に対して色々思う事がある。
私としては、まぁ何となくやりたいと思った事とかやるべきだと思った事をやればそれでいいんじゃないかと思ってるんだけど、それに対して私の家族はどう思うか。世話をしてくれた先生達はどう思うか。仲の良かった数少ない友達はどう思うか。気になるあの人はどう思うか。そんな事を考えるとほとんど絶望してしまう。
普通そういう時って、自分で自分のやることを決めるべきであり、自分のことは自分を基準にして考えるべきなのかもしれない。
でも、本当に正直な気持ちで、本当に本当の自分の気持ちで考えてみれば、私は自分の事を自分で決める、という事に対して、ほとんど興味を持っていない。結構そういう人っているんじゃないかな。
ってここまで書いた時点で、もう私の文章はさっき読んだライ麦畑の文体に近づいていってる気がする。それぐらい私は自分というものにこだわりがないのかもしれない。
ライ麦ついでにもう一つそれっぽく言えば、どうして世の中の人々はあんなに自分をよく見せることばかりに気を使っているのだろう。これは多分、そういう風に他人を見ている私の心に何かがあるんじゃないかなって気がする。
ともあれ私は何をすればいいんだろう。先生が勧めるとおり、大学院に行くべきなんだろうか。それよりも別の方法でやりたい事、やるべき事を探すべきなんだろうか。でもそれってフリーターかニートだよね。別に私としてはフリーターでも構わないんだけど、やっぱり怖いんだよね、貧困とか世間体とか。
いずれにせよ私は文章を書いていきたい。もしそれで身を立てていければ、それは素晴らしい事か忌むべき事かその中間のどれかなんだろうけど、そんな事とは関係なく、私は文章を書いていく。理由は始めに書いたのもそうだけど、私が愛する文章を書いた人に1㎜でも近づきたいってのもある。
もしくは、もう取り返しのつかないくらいアホーな事をやりたいね。ひたすらキュウリを刻み続けるとか。そういうアホーな事を、真剣に全力でやったら、何かが生まれるんじゃないかって気がする。あらびき団を見てたらますますそう思った。そんなことを、いい年こいて半ば本気で思っている。一人で思ってる。
だれか、アホーな事を全力でやる方法を教えてくれませんか?まぁ教えてくれなくてもいいんですけど。だってここは増田だから。