はてなキーワード: フリーターとは
過日、職安から「御社で求人募集は行ってはおりませんでしょうか?」という電話があった。
新卒採用でさえも引き締めようとしている我が社なので丁重にお断りをしたのだが、どうにも相手は食い下がらない。「ああ、有効求人倍率を上げようとして、この人たちも必死なのだな」と感じたわけだが、上司に相談しても「断ってくれ」の判断だったので、再度丁重にお断りした。
数日後、職安の職員がある人物を連れてやってきた。商工会議所の専務理事だった。社長と直接会いたいとのことだった。社長は彼らとしばらく話をした後、俺たちに「求人を出してくれ」と言ってきた。そんな余裕はないですよ、と答えると「地域活性化のためだし、専務理事がああして来られると、こちらとしてもなあ」ということだった。ちなみに、職安の職員はああやって商工会議所等の団体幹部と一緒に企業訪問を個々で繰り返しているらしい。
募集要項はこちら側で決めたら良いというわけで、恐ろしくハードルを上げた求人を出してみた。学歴はもちろん大卒以上。業務に関連する学部卒であることを暗に仄めかした書き方をしておいた。営業経験5年以上で、業務に関連する資格保持者。月給制で月14~16万。年間休日96日。他にも、傍から見れば「ブラック企業」と言われるような条件を提示して職安に出してやった。本当は年齢も30歳未満にしたかったのだが、職安の担当者に「求職者がもう少し応募しやすい条件でお願いします」と言われてしまい、年齢の部分だけは譲歩した(ちなみに、経験者云々のところも同じように言われたが頑なに拒否をした)。
こんな条件で応募してくる奴なんかいないだろ…って思っていたら、これがいるんだな。驚いた。30代後半あたりの「第一期就職氷河期世代」が多いのだが、中には20代もいる。求人を出した一日目に、もう既に10件ほどの求職申し込みがあった。
応募してくれた彼らにとっては残念だが、うちは採用する気は最初からないので、とりあえず近場の人は面接だけをしてすぐに不採用通知の連絡を行うようにしている。不採用通知のテンプレも既に出来上がっていて、面接実施→面接者帰宅→すぐ封筒作成…といった段取りで進む。こちらとしては、通常業務に時間を割かれるので面接自体が無駄な行為なのだが、こうなってしまった以上仕方がない。表向きだけでも、そう取り繕わなければならないのだ。
今求職活動をしている人たちは本当大変だと思う。うちだって本当は求人を取り下げたい。取り下げることで、求職者たちの精度や確率だって上がるだろうし、余計な時間や手間隙だってかけなくて済む。国も、思い切って35歳以上のニートやフリーターの数を弾き出して、きちんと公表したら良いと思うんだ。くさいものに蓋みたいな状態だし。
とりあえず、うちに面接に来る前に限らず、ハローワークで「どれくらいの人が応募していて、不採用者はどれくらいなのか」というのをきちんと調べてもらったほうが良いと思う。
東大の大学院を出たと。そして、今はフリーターをやっていると。将来の展望はないと。話していても退屈だと。
その人は果たして頭が良いのか?みたいな話だ。
記憶力がすばらしい。十年前のテレビに瞬間的に映った人物の顔を覚えている。でも、無職。自分の能力の使い道が分からない。その人は頭が良いのだろうか?
論理的思考力が凄い。何が書いてあるか分からないような数学の問題をすらすらと解いてしまう。でも、ニート。やる気がない。その人は頭が良いのだろうか?
「頭の良さ」がビジネスにおいて収入や出世、社会的地位に結びつくべきである
(あるいは、これらのものを得ることができた者を結果論的に「頭がよい」と呼ぶ)という前提に立つならば
無職である時点で彼らは明らかに失格だろう。
日本社会では一度レールを踏み外した時点で人生終了、少なくともエリートコースからは完全に脱落してしまうから
「レールを踏み外さない」ことは「頭が良い」と言われるための最低条件の一つではあるだろうな。
もっとも、レールを踏み外しても、id:y_arimやid:phaのようにエリーティズム(正確には、一流大学の卒業者は世間的に
一流企業と呼ばれているような職場に就職すべきであるという社会通念)に対するアンチテーゼを提示できるような者は
別の意味で「頭が良い」のかもしれないが。
じゃあ、自分の中の現時点での答えを書こう。
頭の良さとは何か?
問題設定能力というのは、大抵、いわゆる「気づき」から始まる。
「あれ、これっておかしくね?」みたいな(ちょっとした)違和感を持てるか?という話。
そして、それを言語化できるか。つまり、他人に説明できるくらいその問題を問題として”意識(自覚)”できるかという話。
言われたことしかできない人(=頭の悪い人)は、ちょっとした違和感を持っても、「当たり前」だと見逃してしまう。思考停止してしまう。処理が重いから。考えるのは辛くてイヤだから。
あるいは、言語化できない。自分の中にモヤモヤしたものがあるが、ストレス解消とかの拍子に忘れてしまう。
例えば、そのモヤモヤを「~に対してモヤモヤした」「~の言っていることがよく分からなかった」とでも自覚的にメモに残しておけば、深層意識で処理が走って、ふと、ある拍子に、ああ、こういうことだったんだな、ということが分かる(こともある)。そして、その「未解決問題」の質と量が増えれば増えるほど、”洞察力が上がっている”。そして、「解決した問題」が増えれば増えるほど、「問題解決能力(=論理的思考力)」が上がっている事を意味する。(ちなみに、このサイクルは一旦走らせてしまえば、ほとんど自動的に頭が良くなるという恐ろしさを秘めている)
当たり前だが、「問題設定能力」だけでは頭が良いとは言えない。
つまり、重箱の隅をつついて悦に浸っている人が頭がいい人か?と問われたら、Noでしょう。
果たして、アドバイザー気分で、無責任に「愚痴」だけ言っている人が周囲から”頭のいい人”と見なされるだろうか。
要するに、大抵、「頭のいい人」は問題を解決して結果を出している。あるいは、将来、結果を出す。
東大の大学院を出たと。そして、今はフリーターをやっていると。将来の展望はないと。話していても退屈だと。
その人は果たして頭が良いのか?みたいな話だ。
記憶力がすばらしい。十年前のテレビに瞬間的に映った人物の顔を覚えている。でも、無職。自分の能力の使い道が分からない。その人は頭が良いのだろうか?
論理的思考力が凄い。何が書いてあるか分からないような数学の問題をすらすらと解いてしまう。でも、ニート。やる気がない。その人は頭が良いのだろうか?
美しい絵や音楽を作る。でも、周囲には迷惑をかけっぱなし。その人は頭が良いのだろうか?
ただしだ、 だからといって、頭が悪くたって良いじゃない?という考え方もある事はあると思う。そこは自由意志だし、自己責任だ。
でも、「頭のいい人は基本的に幸せ」だと思うのも確かだし、逆説的に言えば、「幸せになる方法を知っていて、それを実践している人が頭のいい人」なんだろうと思う。
なぜなら両親の年金だけだと2人は無理だが、片方働けばもう1人を養えてしまうから
3人兄弟なら1人がニート、1人がフリーター、もう1人が正社員になる
なぜなら両親の年金だけだと3人は無理だし、1人働いても無理だが、もう一人がバイトすれば残り1人くらい楽に養えてしまうから
車を買いたくなったんだけど、収入と支出のバランスを考えてみて、こういう結論に達した。
(車を持たない時点で)月に7.5万貯金出来ていれば200万の車を買っていい。
考えたのは10年乗り換えのプラン。
http://kuru-ma.com/page317.html
ガソリン代がちょっとたかい気もするし、(とはいえ、ここ5年くらいの平均価格は135円/lくらいだとかで)高速代は旅費計上すべきだと思うし、駐車場代は住む地域によってだけどもう少し安いと思います。
でも、車があるおかげで交通費が浮く場面もあるだろうけど、車があると外出する機会も増えて支出は増えたりするし、乗っていれば保険の等級も下がるとはいえ、無事故で済むとはいえないし、ともかく30~50万として試算してみた。
車の年間の維持費を30万とすると、10年で300万、50万だと500万の維持費が10年でかかります。
車体価格がコミコミで200万とすると、維持費とあわせて10年で500~700万って計算。
さて、月に7.5万貯金が出来るひとは年間で90万、10年で900万の貯金が出来ると考える。
車とその維持費で700万抜かれたとしても、200万残る。
10年後の買い替えの時期に、もう一度200万の車を買ったとしても貯金はマイナスにならず、一括購入可能。
10年後に貯金の残高は今と一緒になるわけだが。
同じような計算を月10万貯金できる人で計算すると300万は増える。
逆に言えば300万しか増えない。
言い換えよう。
(車を持たない時点で)月に7.5万貯金出来ていれば200万の車を買っていい。
10万貯金する層はどんなもんかって考える。
実家暮らしなら、実家に5万入れるとしたら交際費娯楽費に2万つかったとして手取で17万あれば余裕。
でも手取で17万って総額で20万。
今年度平均が20.4万円
もっと奮発しちゃってもいいかもね。
フリーター層じゃちときつい。
時給1000円で労基どおりに170hr/月で総額17万。手取で14.5万円ってところ。
手取と総額の関係はコチラ
http://www.hunet-japan.co.jp/kyuyo/keisan/kyuyo.htm
でも
「家と会社の往復だけで、遊びになんかいかないし買い物もしないし、酒も煙草も缶ジュースも買わないし、昼は弁当(費用は親持ち)だよー!」
ってんなら、10万は無理でも7.5万は月に貯金できるよね。
でも、外出しないならなおのこと車なんかいらない気がしますけど。
さて、1人暮らしで車保有、一気にハードルが高くなる。
月に10万の余裕を出そうとしたら、生活費12万だと手取で22万、15万だと25万必要ってことになる。
手取で25万って総額で30万稼がないと無理だもん。
20代で車は1人暮らしだとコンパクトカーだってけっこうきつい。
突然だが,今注目されているバンド「神聖かまってちゃん」の、日本社会史あるいはパンク史的な意義はもっと指摘されてよい。
和製パンクロックが生まれて30年、日本人はついにこうしたバンドが評価される社会へたどり着いてしまったのかと言うレベルである。
少し回り道をすれば、2年前の6月8日の秋葉原の路上、私もその場所に居合わせたから忘れもしない。
「非リア充」の26歳男が赤の他人7人を次々とぶっ殺した。「格差社会」「ニート」「希望のなさ」などのバズワードとともに、秋葉原連続殺人は、00年以降の社会に訪れたこうした変化の象徴と言われた。
その時、私たちは気づくべきだった。不適切かもしれないが、その事件は別の見方をすれば、パンク好きにとって願ってもない時代の到来を告げていたのである。すなわち、日本で訪れることのなかった、本来のパンクロックが受容される時代へと、日本が変化(退化?)しているという事実だ。
教科書的になるが、1970年代に生まれたパンクロックは、当時の英国社会のなんとも言えないクソッタレな社会環境で生まれた。自国産業は衰退し失業率は最悪だった。若者は職も金もなく伝統的な階級社会に阻まれてはい上がることも出来ない。こんな絶望感の中で若者はロックという媒介手段を用いて不満を発散させた。セックスピストルズは、たとえ演奏技術はなくても圧倒的な説得力をもって浸透していった。
80年代以降、パンクロックが日本にも輸入され、反社会的な曲が大量生産された。もちろん素晴らしい曲やミュージシャンも次々と生まれたが、すべてに共通する根本的な欠陥があった。それは、当時の日本が総中流社会で、基本的に成長を続ける豊かな社会だったということだ。「フリーター」は当時は今とは逆に希望を持った生き方として受け入れられていた。若者が抵抗する相手は、両親とか、学校の先公(古い!)とか、そんな微笑ましいものだった。ザ・スターリンに影響されてビリビリに破けたTシャツを着る人たち。80年代後半のバンドブームでカラフルに染めた髪の毛をツンツンに立て演奏する人たち。彼らの反抗的なパフォーマンスは、すべて豊かな日本人の”真似事”でしかなかった。たとえ人気を呼んだブルーハーツでも、社会派的な曲は空回りしていた。
「神聖かまってちゃん」には、こうした日本のロックが抱えてきた嘘くささがない。それが決定的に新しい点だ。いわば日本のパンクロッカー達が、演技的に”狙って”なろうとしたポジションに、不気味なぐらいナチュラルにすっぽりと収まっている。なぜならば、彼らは間違いなく格差社会になった現代日本の底辺に生々しく存在しているからだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」などという腐ったバズワードが好意的に受け入れられていた時代の生ぬるさの中に、彼らはいない。
ボーカルのの子は、高校をすぐに中退しネットに没入した腐れニートだ。感情に極度に左右されやすい社会生活上致命的な問題も抱える。他のメンバーも派遣やバイトなど非正規労働の日々を送る。彼らは、ピアキャスやニコニコ生放送を使って、そのどうしようもない自分自身の生活を、包み隠さずそのまま見せる。渋谷の路上でライブパフォーマンスをし警察に補導されたり、メンバーの自宅では酒を片手に1時間でも2時間でも暇つぶしのグダグダトークを展開する。楽曲もありえないほど”ありのまま”、ただ心の中の衝動をぶちまけているだけのように見える。曲は洗練されてなく子供のような詩だ。歌い方や演奏も改善の余地がかなり大きい。それを意図的にやったかどうかはともかく、結果としてこれらの行為すべてが人気の要因だった。彼らがいる底辺、そして彼らが底辺にむけて放つ叫びはあまりにリアルに映る。熱狂的なファンがいるのもうなずける。パンクを歌うにあたり、彼らよりも”適した”ポジションはないからだ。「そんな立ち位置からロックを歌われたら、もはや彼ら以外の誰もロックを歌うことなんかできなくなってしまうよ」的な反則技の感すらある。
私は「神聖かまってちゃん」とそれを受け入れる日本社会に1970年代のイギリスを感じる。もちろん実際経験した訳ではないが、おそらくこんな感じだったのだろう。戦後の急成長はどこ吹く風,かつての英国のように格差が拡大し、ゆるやかに衰退する日本。もはや自分をわざとアウトロー的に脚色する必要すらない、無加工の生き方がそのまま”パンク”的表現になって若者の共感を呼ぶ。いいにしろ悪いにしろ、私たちは今、そんな時代に生きているのである。
人は成長するにともなって、交友関係の範囲が狭まっていくのが一般的だと思う。私は公立の小学校を卒業したあと、私立の中高一貫校に進学し、現在は全国的に有名な大学に在籍している。友人の大半は年相応に勉強熱心で、両親とも健在な比較的裕福な家庭で育った。(なお、この記述は後述の関係を明快に示すためのものであり、決して自慢が目的ではない。匿名で自尊心を満たすことの不毛さはご理解いただけると思う。)
そして本日、とある縁で同年代の青年と会話する機会を得た。彼はいわゆる無職であり、高校を卒業したあと、定職に就かず家でネット三昧の日々を送っているという。私はそのこと自体が悪いとは毛頭思っていない。ここでは本題でないので省略するが、フリーターやニートと呼ばれる人たちの社会的必要性は強く認めている。
では、何のための匿名投稿なのかといえば、彼との会話で受けた衝撃を自分の心に押しとどめておくことができず、けれど自身のブログに書くことは憚られると思ったからである。
日頃は青臭い大学生らしく、友人たちと社会問題や専攻している学問に関連する事象なんかについてディベートのまねごとをしているが、初対面の人にいきなり経済問題について意見を求める趣味はない。彼との話題は必然的に、ゲームやアニメに移る。
会話をしていてわかったことだが、彼はどうやら違法ダウンロードをしているらしい。クリエイターの方々が一生懸命制作した作品を不法に入手することは社会人として忌避すべきことであり、私は少なからぬ嫌悪感を抱いた。けれど、そのことについて問い詰めたところで彼の手癖が治るとも思えず、不毛な議論になることが自明だったのであえて触れなかった。
しかし、唐突に彼は私のことを「購入厨」と罵倒した。それも並々ならぬ憎悪を込めて。私はその時わけがわからなかった。自分には一切過失がないにもかかわらず、「これだから購入厨は……」と憎々しげに呆れられたとき、いったいどのような反応をすれば良いのだろう。反論すべき言葉が見つからず頭が真っ白になった。
それでもまだ彼の長広舌は続いた。先日放映されたばかりの新作アニメに話が及んだとき、私は彼の言動に対してまたしても言葉を失った。
曰く、
・2ちゃんねるのみんなもつまらないと言っている。
・開発ブログのコメント欄に複数のプロキシを用いて罵詈雑言を書いた。
などなど。
正直、自分の周辺に一切関係のないことに関してなぜそこまで憎しみを持てるのかがまったく理解できない。いったいなにが彼をそこまで突き動かしたのか。その理由を問えば、「放映前の制作者による宣伝や自画自賛が目障りだった」以外の答えがでてこない。
私はそのアニメに関してかなり好意的な印象を抱いていたのでまず反感を持ったが、それ以上に本気でそういう思想を持っている人がいることに対するショックと哀しみが多かった。自分のブログに書かない最大の理由は、その時私がおそらく涙目になっていたことにある。論理的な反論はいくらでもできるはずなのに、まったく言葉にならなかった。
我慢ができなかった私は、すぐに話を切り上げ大学の図書館で勉強をして忘れようと思ったが、三時間たっても本の内容が頭に入らなかった。
□ □ □
匿名のインターネット空間においては、こういう根拠のない罵倒が日常的であり、いちいち気にとめる人も少ない。しかし、現実の公共の場で平然とこういう発言をする者との対峙とその思想によって受けた衝撃は筆舌に尽くし難い。
彼のように暇をもてあませば、ネットにおける不毛な議論やそれによって培養される嗜虐性は当然のことだろう。見ず知らずのクリエイターに対する不当な中傷もお手の物である。日々、2ちゃんねるにアクセスし続ければ、そこが世界のすべてと思い込み、不必要な情熱で他人を追い込み続けたとしても不思議ではない。彼は2ちゃんねるで普通に見られる人格の具現である。……そう結論づけて自分を慰めたところで、受けたショックが緩和されることはない。
これを読んでいる皆さんの周囲でも似たような事例はないだろうか。ネットにおいては普段絶対に出会うことがない種類の人間とコミュニケーションをとり、行き違いが起こることがままある。けれど、実生活でこのような出会いを経験することで自分の未熟さと無知を痛感させられた。ここまで書いたところでようやく溜飲を下げることができたが、不要な愚痴に付き合わせてしまったことにお詫び申し上げたい。
※注
誤解をさけるために再度付け加えるが、一般的なニートや2ちゃんねらーに対する差別的な感情は一切持ち合わせていない。私の兄は名門政治経済学部を卒業したにも関わらず半ニート生活を続けているし、実は私自身が恒常的にログを残す2ちゃんねらーだからだ。
Fラン大学生を始めて二年目。
時間割を組み立てている最中なんだけれども・・・ちょっと聞いて欲しい。
前期、後期に各22単位を上限として組める。
1つの科目につき2単位、だから週に11科目受ければ良い訳だ。
学校まで2時間掛かる自分としてはなるべく通う回数は減らしたい。
3コマ.4コマ.4コマと週に3回学校に行けばベストかと思う、二年になり選べる科目もぐっと増えたので多分可能だ。
週休4日、サークルも部活もしておらず、バイトは気が向いたときに家業の手伝い(就活の安牌としての意味もあったり無かったり)
財布の紐はかなり硬いのもあってあと半年は働かなくても遊べる貯金。
暇な時間を、暇なりに過ごすことが気楽で好きだけど、理系の知り合いが遊ぶ暇無いほど勉強してたり、
大学の部活で一部リーグ行った奴が情緒不安定になりながら頑張ってるのとか、塾講師忙しそうな人とか、有名大に行ったのに冴えない奴とか
大学辞めてフリーターの人とか就職した人とか見ると単位はちゃんと取って義務は果たしたつもりでいたのが、なにか薄っすらとした罪悪感を感じた。
人がどこで何してようとどこ吹く風で気にしないの自分のパーソナリティだと思ってたんだけどね。
話がそれた気がするけど要するに何が言いたかったのかというと、大学生活が暇だけどこれでいいのだろうかってこと
これ、むしろかーちゃんの抑圧のせいじゃね?
遊んでるフリーターの子が羨ましいという気持ちを普通に表出できないから苦しんでるんだよ
このままこじれ続けると、30過ぎたころ、少しでもレーダーに引っ掛かる若い女をいじめるキチガイ女になるので
早く掃除した方がいいよ
アルバイトや派遣社員の子たちが「結婚するんでもうすぐ辞めまーす☆」とかキャピキャピ(死語?)してるのを聞くと、それでいいの?って意地悪な気持ちになってしまうので、最近本当に悩んでいます。
わたしは基本的には仕事が楽しいけど、きついなあと思う時もそりゃああって、そういう時に踏ん張る理由はうちの母が支えてくれたから。
共働きの家に育ったわたしは、母の方が父より収入が多くて、そのせいかわかりませんが、ずっと労働の大切さを説かれてきました。
「相手の収入に依存すると、生活まで依存する。主張する為には働いて金銭を得ないといけない」という生活面から、「働くことで得られるスキルはたくさんある。コミュニケーション、効率化、交渉術。外で揉まれて初めてそれらが身に着く」といったライフハック的なところまで、就職してからの二年半の間、つらくなるたびにそうして励まされてきました。
今の彼氏から結婚の話が出た時は、「これで辞められる」と一瞬甘い夢を抱きましたが、「三年間だけは、死に物狂いで働け。人が新しい意識を身につけるためには最低でも三年間の環境が必要」と言われていたので、まあともかく三年が経つまでは退職金も出ないし、と思って働いているうちに、一人の給料プラスわたしのバイト代では、ここまで豊かな生活はできないんだろうなあ、と収入のありがたさに気づく機会があり、今ではすっかり結婚後も仕事を続けるつもりです。それどころかやりがいさえ感じるようになり、出世してもっといろんな事を覚えたい、という情熱まで抱くようになりました。そのために先月に行われた合格率40%の資格試験に向けて必死で勉強し、無事合格しました。
大学入学時代から九年間一人暮らしをしているので、そのせいもあるのかもしれません。
一人暮らしを提唱したのはうちの母親です。「最低限の生活を自分でできるのが、まずは自立の第一歩」と言われ、就職の時も地元で働けとは一度も言われませんでした。
フリーターの子たちは実家暮らしで、ちょっと働いて、もらったお金で好きな服とか化粧品とかいっぱい買って、家に帰れば暖かいご飯とお風呂が待っていて、稼ぎ時の週末はちゃっかり休んで、彼氏や友達と遊びに行って。それでわたしを「もっと身なりに気を使った方がいいんじゃないですかー?」とか馬鹿にして。
敢えて口に出さないだけで、わたしだって彼氏いるんですよ。何十万の婚約指輪だってもらってますよ。貯金だってありますし、うちの親はその気になれば嫁入り道具にマンション買うぐらいの財力はありますよ。と、反論したい気持ちを都度都度抱えて。けっきょくうらやましいのかなあ。
こうして今頑張ってる事で、将来的に本当に彼女たちより優位に立てるんでしょうか。「あの時くじけなくてよかった!」と、過去の自分を誇れる日がくるんでしょうか。働かなくても暮らせるだけの収入を得られる旦那様と結婚できる人なんてほんの一握りで、大多数の主婦は家計簿とにらめっこしながら暮らしてると聞くと、働いた方が良いなあと思うんですが、もしその一握りの恵まれた人たちの中に彼女達が含まれたら、と思うと、本当に悔しいです。
仕事で得られるのはお金だけじゃなくて、仕事の中で成果を出せた充実感とかいろいろあるはずなんですが、馬鹿にされたくない、認められたい、という感情が根底にあるので、余計にこうなるんでしょうか。
プラス、自分に余裕がないからか周りにきつくあたってしまって、あんなちゃらちゃら(死語?)した子たちに、「○○さん偉そうだよねー」とか言われてる現状が、もう本当にやってられません。あの程度の仕事ぶりで一人前に愚痴ばっかり。文句を言うならミスを減らしてからにして!という感情がまた態度に出て陰口の対象になり。これってもうお局様状態なんでしょうか…。
今、自分が話しているのは「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者が完全に社会から切り捨てられていく時代」になった場合の話をしているのであって、現状の「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」の話はしていないです。
完全に切り捨てられているのであれば、すでに死んでいるから気にしなくて良いのでは?
今、自分が話しているのは「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者が完全に社会から切り捨てられていく時代」になった場合の話をしているのであって、現状の「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」の話はしていないです。
それはそう。非合理的な人間が居るっていうことだよね。
ニート、フリーター、能なし労働者といった、<底辺>の人間は、非合理的な人間が多いのではないか? というのが元のおはなし。
いや、だから国内の話をしてる訳でしょ?
わかんねーな。
じゃ国と国の話でいいや。
国と国だったら、そりゃいざとなったら戦争すればいいじゃない。
これまでだって、追い詰められて、戦争してきたじゃん。日本は。
それと同じように、国内でも「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」を無闇に追い詰めたら戦争になるんじゃないの?っていってるだけ。
「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」にとって、「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」以外の人が戦う対象になるわけだから、「ニートや一部のフリーター、そして能なし労働者」以外の人の犠牲も出るんじゃないの?
そのあたりのリスクマネジメントはどうするんですか?って話。
もし、それ確定したら、一人一殺の時代になると思うんだけど。
とりあえず、近くにいる金持ちとか恵まれてるやつを片っ端から殺して回ると思うんだけど。
なぜに?
殺してもなんにもならないのに。
そのニートや一部のフリーター、そして能なし労働者が何もせずに死んでいくと思うの?
もし、それ確定したら、一人一殺の時代になると思うんだけど。
とりあえず、近くにいる金持ちとか恵まれてるやつを片っ端から殺して回ると思うんだけど。
リアルに。
そういう社会にあなたは生きていきたいんですかってことだと思うんだよね。
成功したら成功したで、そうでない人から嫉まれて、場合によっては殺される。
弱者は群れないと行動できない(して悪いと言っているわけじゃない)
じゃあ今日本は未曾有の不景気で労働供給過剰なので、適正サイズまで切り詰めましょう、ということにする。
もっとも採算の取れない事業はどこですか?ニートですよね。
一億総貧乏になるぐらいなら、まずはニートや一部のフリーターを切り捨てて9000万総ちょっと貧乏なほうがウケがいいのは当然。
だって彼らは勝手に自殺していくし、もがくなら「死ね」といろんなところに書くだけで多数の声を演出できる。
こうして彼らは死んでいくが、次に切り捨てられるのは能なし労働者。
まあ、日本がまともに機能するのは彼ら含めて3000万人ぐらい死んでからだろう。
みんな仲良くの時代は終わったんだよ。均衡するまでこの風潮は止まらないと思え。
事件は会議室で起きている
ttp://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100325
「今後はフリーターの若者に理容室に就職してもらい、雑務をしながら収入を得て、資格学校に通うという仕組みを作っていきたいと考えています。理容室は地域密着を強化することが生き残る道。お年寄りの家庭に出向く出張理容も構想しており、まだまだビジネスチャンスは見つけられます」
ttp://news.biglobe.ne.jp/social/031/jc_091006_0314596605
ちょっとちょっとフリーターの皆さん、聞きました?
あなたたち、何でもやると思われてますよ。農業に介護に理容師まで とりあえず後継者のいない業界にはフリーターでもつっこんどけと。そういうのが大人の世界のトレンドみたいです。
社会人になり数年。友人の大切さを身にしみる一方、友人関係の難しさにも悩まされる。
今なおニートやフリーターの友人とは、遊ぼうとするたびに「金がないの」が理由で何かと制限されることが多い。共通の友人の結婚式出席すら欠席し始めている。女なので出席に金がかかるのはわからんでもないけど。
たまに向こうからお誘いがかかるとしたら「フリマやらない?」。まあ、増田もフリマは好きなんだけど、おそらく近々に金が必要なのだろうなとか想像してしまう。
逆に、不況なんてどこ吹く風の金持ちすぎる友人もたいへんだ。ご両親または夫の金で素敵な奥様生活。ブランド大好きで家事はしない。なんだか漫画に出てくるような世界って、ホントにあるんだなーと思ったり。
“自分がバリバリ稼いでるから金持ち”という友人もいるが、普段は使うヒマがないのでたまに遊ぶとここぞとばかりに散財するため、「一緒に遊ぶ」となると増田にも同レベルでの消費が求められる。
その中庸ぐらいに位置する、節約家の友人と会うのも最近ツラくなってきた。一人暮らしを機に、元来しっかり者の性格が節約志向に目覚め、一緒に旅行に行く時もつねに簡易小遣い帳のようなものに書き込みを欠かさない。彼女は別にケチではない。自身が消費すべきモノには結構消費してきた。が、消費に値しないというモノへは手厳しい。例えば先日「こないだラクーアにいったんだよ」と言ったところ「え、でもソレ金かかるでしょ?」と多少非難めいた口調で返された(ラクーアに行ったのも、金を出したのも増田ひとりなのだが)
みんな、その世界(というかその人の属する経済区域?)ではふつうのことなのかもしれないけれど、交遊関係が狭いくせに経済感覚が幅広すぎて、だんだん増田自身の経済的感覚がよくわからなくなってきた。
実家をはなれ某名門高校に入った俺だが、
怪我で野球を辞めることになり退部。
元部員との関係も急激に悪化。自暴自棄になって学校も詰らなくなり、
家でパソコンばかりするようになった。
んで進級できずに留年して結局2回目の留年が決まった時学校を辞めた。
18になった頃、親も遂に仕送りを辞めると言い出し、
しかし今の自分を親や昔の友人と会うのを極度に恐れていた。
で、結局つっぱって、アパートを借りて近所のスーパーでバイトを始めたって感じ。
4年目のとき店長に中卒だってことがばれた。
履歴書を再チェックしたら色々とおかしな所があって、
で、呼び出されてもう時効かと思って白状した。
確かに、その頃にはレジのチーフになってて社員登用一歩手前って感じだった。
店長にあらいざらい白状したら何か同情してもらって
大検を採る様に勧められた。やっぱ正社員目指すなら中卒は駄目らしい。
しかしまあこの俺がスーパーの店員になるなんてみたいな葛藤があって
悩んだね。で、結局人事の人を紹介して貰って、契約社員みたいな形になった。
この頃にはもう上を目指すとかそういう考え無くなってて、
ちょっと時間かかったけどようやく普通の人生に修正できはじめたな
とか、思ってたけど、何かやりがいみたいなもんが見つけられん
まあ元々やりたくてやってた仕事じゃないしね
それ続けてたら運よく社員になれたって感じ出し
結婚せんと駄目だわ。まあ底辺組みは金がないから
結局人を生きがいにしちゃうわ。
でも何か俺の人生って何だったんだろなって思うわ。
ただその日の為に金を稼ぎ浪費して過ごすだけだったな。
特権階級みたいな、何か人と違う自信に満ちてた時期もあったけど、
そういうのなくなっちゃったな
何だか情けないわ