はてなキーワード: 講演会とは
俺より悲惨なクリスマスを迎える人っている?
ついにその日はやって来た。
しかも、何で俺の部屋なんだろう?
そう考えているうちに2時45分になった。
だめだ。息子がカティンコティンだ。これではどこかの皇帝だ。カティンコティン三世とか。
そう思ってるうちに、午後三時を過ぎた。
このままでは部屋に入ってこられた瞬間、白もち肌を襲ってしまう。もはやもちにしか見えない。喰うしかない。
時間すぎて来そうもないので、カティンコティン皇帝の昂ぶりを抑える事にする。
やおらズボンから御幸頂いて、皇帝に拝謁し、うやうやしくさすり始めた。
皇帝は高度を増し気色ばんでおられたが、汗を巻き散らしながらついにはビクビクっと痙攣され賜いて安らかになられた。
いそいそと皇帝をてぃっしゅで拭きあげ、綺麗に居住まいを整えた。
ズボンの中にゲンナリとなった皇帝がお隠れ遊ばしたところドアがノックされた。
「ひゃ、ひゃあああい」
声にならない声で応答する。てぃっしゅを162km/hでトイレに投げ入れ、流した。
「遅れました。ごめん、入っても良いかな?」
かがみもち改め21歳女性が、俺にそう聞きながら部屋に入ってきた。
女性(山田さん:仮名)をソファ兼ベッドに座らせ、自分はテーブルを挟んで逆側に座った。
山田さんはいきなり話を切り出してきた。
「ねえ、メールの事だけど、○万でどう?」
「その事なんだけど、確認したいんだけど、援助交際って事?」
山田さんは黙って頷く。
俺は上着のポケットから、封筒を取り出した。いぶかしげに俺を見つめる山田さん。
「なに?これ?」
「中に20万円入ってる。それを持って帰ってくれ」
目を見開いて驚く山田さん。
「なんで・・・抱きもせずにこんな・・・」
「メールを見た時からそう思っていたんだ。お金で君を抱きたくないって。俺、ちょっとしか会ってなかったけど、毎日メールしたりして、君の事、真剣に好きになりかかっていたんだ。こんな形で君を抱きたくない。お金が必要なんだったら、持って行ってくれ。それを持って帰ってくれないか」
「あなた、バカじゃないの?メールのやり取りしただけで、1回しかあってないような女に何でこんな事するのよ。このお人よし。あなたなんか、誰かにだまされてのたれ死ぬわ・・・」
彼女は・・・泣いていた。
「あたしなんかね、一家総出で騙されてたのよ。家を騙し取られてね。そうよ、あの講演会よ。セミナーとか自己啓発とか言って、人の良い奴をだましてお金をふんだくるだけなのよ。うちはね、両親バカだから全部お金出しちゃって、気づいたら家とかも抵当に入ってて、そしてこの不況でしょ。親の仕事なんて無くなって、家も無くなって、気づいたらホームレス中学生を地で行ってたわ。運が良いのか悪いのかボロアパートに転がり込んだけど、暖房も無くて寒くて凍えそうだわ。家の中でダンボールと、新聞紙をかぶって寝てるのよ。オヤジはバツイチで再婚してるんだけどさ、小学生の弟と幼稚園の妹が連れ児で居るの。笑えるわ。まだサンタとか信じてるのよ。いるわけないでしょ、サンタとか。バカみたい。ホントにバカみたい・・・」
山田さんの涙は止まらなかった。
俺は山田さんにティッシュを渡して涙を拭いたら? と言った。
山田さんはティッシュで涙と鼻水をぬぐって、ようやく泣くのを止めた。
「あのさ、俺はまだサンタさんをさ、信じてるんだ。だってさ、そのお金、今朝サンタさんがおいて行ったんだぜ。どうせ金も無くてロクなクリスマスを過ごせないんだろう、好きに使いなさい、ってメッセージカードに書いてあったよ」
「嘘つき」
「俺は嘘つきじゃない。賢者だ」
「賢者?」
「ホント、あなたってバカね」
「よく言われる」
「あのね、○万って、弟と妹にプレゼント代とケーキ代のつもりだったの。サンタさんがいるなら、それだけ借りておくね。きっといつか返しにくるから。えっと、賢者さん?で良いのかな、お金を返すのは?」
「わかった。俺がサンタさんとの橋渡しになって進ぜよう。いつでも返しに来るといい」
俺のおどけた声を聞いて、山田さんはようやくにこっと笑顔を見せた。
辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
彼女はドアを開け、帰って行った。
部屋を出て行く山田さんの腰からくるぶしにかけての曲線を見て、猛烈にカティンコティン四世が即位しはじめて来た。
カッコつけすぎた。
でもまあ。
俺は満足だった。
俺の貯金で、今年もサンタを信じてくれた弟と妹がどこかにいる。
それだけでも今年のクリスマスは最悪じゃない。
窓の外の夕闇に初雪がちらつき始めていた。
働いてお給料をもらう、この方程式が崩れつつあります。
私は普段プロのニートとして全国で講演会等を行っていますが、働かずしてお金をゲットするのは意外とチョロいもんです。
例えば、私は実家から5分程度の場所におばあちゃんちがあるのですが、お金がなくなればおばあちゃんちに行って、ニコニコします。
すると、どうでしょう。帰り際にありがとうと言われ、1万円札を握らされます。
私ぐらいのレベルになれば、20分あればおばあちゃんのハートと一万円をガッチリつかめます。
人を幸せにしてお金をもらい自分も幸せになる、まさに「ディズニー方式」を取り入れています。
しかし、たまに1万円ではなく5千円しかくれない時があります。
馴れとは恐ろしいもので、5千円でもモチロン利益にはなるのですが、毎回1万円ゲットしてると、5千円だとなんだか損した気分になります。
現在、日本では今まで体験したことのないような不景気に見舞われています。
保証人、借金、差し押さえ、まさに不幸のトリプルアクセルを決めちゃった!
なーんて人も多いのではないでしょうか?
しかし、まだ不幸は始まった所。
もっと地獄を見ることになります。
金持ちが偉いなんてもう昔の話。
今はお金が信用できない時代になりました。
どのぐらい信用できないかと申しますと、「ウチ、めっちゃエロいで〜」という女の子ぐらい信用できません。
話と股間は右にそれましたが、お金の価値は日々変動しているのです。
極端に言えば、今日100円で買えてたものが、明日には200円になる時代です。
それに2005年4月にペイオフが解禁(貯金している銀行が破綻しても、1000万円とその利子しか保障されない制度)されました。
いくら貯金があったとしても、これでは将来大変です。
では、どうすればいいのでしょうか?
答えは簡単。
『金(ゴールド)』を買いましょう。
お金の価値が下がるということは、裏を返せば物の価値が上がるという事です。
まさに「転ばぬ先の金」です。
私もお金に余裕がある時はたまに『金』を買うようにしています。
小さい物だと1万円程で購入可能だ。
ここだけの話、アメリカが戦争起こしたら『金』の値段は10倍にも跳ね上がるという専門家もいらっしゃいます。
ドル神話の崩壊は秒読み段階です。
とにかく、お金は持ってるだけでは何にもなりません。
運用して初めて効力を発揮するのです。
何事も勉強。
若いうちに株式や先物取引、人妻など色々なものに手を出してみるのもいいかもしれませんね、おーこわ。
まぁ皆さん、タバコ税や消費税、ガソリン税、住民税など色々大変と思いますが頑張ってください。
ふふふ、ワタクシは大丈夫!
ごめんねえええ!!!
まじな話、このままでは民主主義は5年後崩壊するぞ。
金を買うのも遅いくらいだ。
29才の男。
相手は21才。美人というほどじゃないけど、白いもち肌の子。服装は地味で性格は控え目。
11月上旬、講演会みたいなミーティングで隣りあわせたのをきっかけにメアド交換。
11月中旬、ミーティングの内容なんかのメールで盛り上がる。毎日メールして仲良くなる。
12月上旬、初デート。上野を散策。仕事の話や趣味の話。帰り道に手をつなぐ。
12月中旬、食事。お酒飲みながら恋愛論や昔つきあってた人の話を聞く。
クリスマスの予定をそれとなく探る。
12月下旬、いま。メールが来た。
「相談なんだけど、○万でどう?」
は?
デートしたり毎日メールやりとりしたよね?あれって恋人になるためのステップだと思ってたんだけど?
俺は援交する人間だと思われたんだろうか?くやしい。
明日会うことになった。なにか事情があるらしいけど電話では教えてくれなかった。
問題は俺の部屋に直接やってくるということ。私は相談してもらう立場なんだから家で待っててほしいと言っている。
危険なんだろうか?
ベッドをソファー代わりに使ってるし、くやしいけど俺も男だから押し売りされたら断り切る自信はない。
何を考えてるのか意味がわからない。
もし万が一、断り切れなかったらあとで激しく後悔しそう。
断り切ったところでシングルクリスマスは確定。悶々としながら一人部屋にこもると思う。
いまは、冗談かいたずらであってほしいとひたすら願ってる。
よし、シングルクリスマスの苦しみは俺が引き受けた!おまえらは今のうちに逃げろ!
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12月24日夜八時に追記
意味がわからないし全然笑えない結末になったけど書いた方が良いのかな?
もう、自分でもわけがわからなくて、
気持ち切り替えるつもりで明石屋サンタに電話しようと調べたら、もう締切になってたw
よし、苦しみますは俺が引き受けたから、おまえらだけでも逃げ切ってくれ!
「登校拒否」でもなんでもいいけど、もう少し言いたいことがどうしたら
海外の事情は知りませんが、少なくとも日本の学内でやらかすあの手のいざこざの大半は逮捕者救済を名目にした寄付が目的です。逮捕された当人も「警察に逮捕された」という「ハク」が付いて、本を書いたり講演会に出席したりとそれなりのビジネスチャンスを獲得出来ます。
なので、彼らにとって自分の主張が社会的に浸透するかどうかはどうでも良いですし、浸透すると本気で考えてる人は殆ど居ません。万が一浸透したら、それはそれで儲け物、程度には考えてるでしょうけれどね。
警察や公安も、逮捕してやる事で彼らは口に糊する事が出来、それゆえに彼らは暴走せずに済んでいるという考えで、定期的に彼らを逮捕してやってる状態です。警察は彼らを逮捕する事で市民に「仕事してますよー」とアピール出来、彼らは逮捕される事で「○○事件で不当逮捕された××君の訴訟費用のカンパを!」と、小銭を稼げて当人にもハクが付く。そういう利権構造が既に生まれてしまっているわけです。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/voiceactor/1220489885/953-
俺は当事者ではないけども。
なんつーかね。こういうことがあるから、どこも学園祭で声優呼ぼうとか、タレント呼んで講演会とかしないんだと思うよ。
結局の所、司会や進行役の人はあくまでド素人なんで、期待して来られるとしょんぼりするよってことで。
ただまぁ、今回のD大学の場合は、司会がKYというか言葉遣いがおかしかったからね。
そういうキャラで押そうと思ったんだろうけど、それじゃあ単なる頭悪い人にしか見えない。って感じだった。
付属校からそのまま大学に入った奴だから、大学受験の時に決断できなかった事を悔いていたみたい
一種の仮面浪人という事になるんだろうけど、確かにそれを許容できるくらいには大学は自由だ
自分がやりたい事を真剣に考えたり実行したりする機会として大学って有意義なんだろうなあ
おれは大学入るのに一浪したから高校の同期は就活終えてるんだけど
同期で高校の頃から「パイロットになる!」って吹聴してた奴がいた
この前久しぶりに会って近況を報告しあったんだけど、
医者でもパイロットでもなんでも、なりたいと思った奴だけがなれるんだろうなあ
妄信的にそう思える奴ほど強いんだろうな
結局学生時代に何もしてないし何も真剣に考えてないのが大半だろ?
「充実」の定義ってなんだろうな
講演会における質問コーナーってのは、(建前上の主旨は)「その講演の内容についての質問は何かありませんか?」であるわけで。
演者に対してなんでも聞いていいですよ、じゃないでしょうに。
自論を出すことが問題なんじゃない。
講演会場で提示する必要があるかってこと。聴衆は発言者だけじゃない。
講演で質問すべきはその講演で語られたテーマについてだ。
語られた内容の不明な点、間違っていると思う点だろ。
自己主張してオナニーするのもいいけど、その代り周りに冷笑されてるのにも気づいてほしいわ。
まぁ、講演の論点に目を向けず、自論の提示に躍起になってるあたりですでに浅はか。
講演内容の吟味できない時点で、講演を聞きに行った意味がない。
そして、自信(笑)のある自論を提示して得意がってる。講演の論点も見極められないような
よくあること。
俺これ書いて以降の議論にはまったく関与してないんだけど楽しめました。うわあいるいるこういうの。
2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・
樋口 康彦
大学生における準ひきこもり行動に関する考察 ―キャンパスの孤立者について―(富山国際大学・紀要2006年3月号)
http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf
http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生がリクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。
就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業の情報を集めています」と答える。
「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」
「はあ、危機感は感じますね…」
そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。
それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー、合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。
とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。
また心配した両親が一度、筆者と大学の就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。
しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。
ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点が矯正されたわけではないことである。就職活動、職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境に適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋なひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。
準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。
大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独な大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生の準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。
一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動や社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会不適応を起こす状態のこと。
通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。
■準ひきこもりのルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学・高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。
■大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想と現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビ、パソコン、コンピュータゲーム、漫画やアニメなど)を延々と楽しみ、自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋なひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。
■就職活動をうまく行えない。知らない会社に電話でアプローチしたり、OB・OG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。
■就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全な社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもりの大学生の全てが社会に適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。
ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。
■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもりは男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。
■社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。
■精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。
■孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがままの押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングやセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。
■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。
■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。
■レポートや卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。
■無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動やアルバイトの類はしていないし、体育大会や大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。
■アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
■人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。
■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。
■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的なひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。
■孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通の大学生に見えるためである。
■若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。
■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。
■青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもりの学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。
■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。
■過保護で、親が甘い。子どもに不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。
■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。
■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。
今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもりに不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。
それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。
最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイト、ボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。
筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場の生産現場、農業、造園業関係の仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業に就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動、職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。
将来、社会に適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会に適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。
案1/増田が本を出す
参考↓
http://q.hatena.ne.jp/1147356672
案2/増田が自殺者遺族に関係するNPO法人に参加→幹部クラスまで昇進して各地で講演会
案4/ケータイ小説を書く。うまくすればドラマ化してネットやらない層にも一気に広まるかもな。
案5/やるおに増田の気持ちを代弁させて2のvipにスレ立てる。今流行りのやるおが●●ようですシリーズな。
一番成功確立が高そうなのは案5かなー。
うまいこと作らないと埋もれる可能性あるけど。今乱立してるっぽいし。もうそろそろ流行も廃れ始めてくるころだし。
まあ現状、リスカがまとめサイトにとりあげられてるくらいになってるから、今がタイミング的にはいいんじゃないかな。
でも難しいと思うぞ。
自殺は止められない、それが本当だったとしても、
止めたかった、って思う人間がいるかぎり、「止められたかもしれない」って悩むもんだ。
大切な人を亡くすってのはそういうもんだろ。
友達の友達が死んだよ。その自殺した子が友達だった俺の友達の憔悴ぶりは見てられなかった。
誰かがそいつを救おうと思って何か言っても、まるきり届かなかった。
放置して好きにさせとくのが一番楽そうに見えたな。
331 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2008/06/29(日) 01:54:50 ID:pIJP555B0
気がついたら、居間にこんなものが・・・。
http://uproda.2ch-library.com/src/lib035168.jpg
650枚もあるわ。
明日どこかに忘れてきそうで心配。。。
http://www1.axfc.net/uploader/He/so/114234.pdf
PASS:wife
4 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:04:19 ID:9qmwkeik0
テンプレ2
■ 【毎日新聞英語版から過去に配信された記事】 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
◆ 思春期の受験生の集中力を増すために母親はフェラチオで息子の性的欲望を解消する。
◆ 24時間オルガズムが止まらない病気で苦しむ日本人女性の数が増えている
◆ 日本古来の米祭りはアダルトビデオ業界が「顔射」と呼ぶものに非常によく似ている
◆ 日本人の若い女性はファーストフードを食べると性的狂乱状態になる
◆ 日本人主婦は皆コインランドリーに附属のコインシャワーで売春している
◆ 日本のティーンたちはバイアグラを使ってウサギのようにセックスをする
◆ 老人の売春婦の人気にもかかわらず、日本では小学生の売春婦にも仕事がある
◆ 屋外でセックスをすれば、犬の散歩がもっと楽しいものになる
◆ 日本の看護婦は仕事場にバイブレーターを持参し、日常的にアナル研修に興ずる
詳しくは、こちらのまとめサイトをご覧ください。
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/
5 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:04:20 ID:WIlmfC9u0
テンプレ1
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 【既女板】 ■
この問題に関する情報は、以下のサイトにて纏められております。
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/(更新終了)
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/
http://www33.atwiki.jp/bainichi/
★毎日新聞問題の簡単な経緯
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/71.html
この問題に関する過去スレッドは、以下のサイトでご覧になれます。
http://yondokoronai.hp.infoseek.co.jp/m/#kikon
http://www31.atwiki.jp/mainichimatome-en/ (求 英文スキルのある方!)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ 【既女板】 ■
6 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:09:10 ID:LynV2p4d0
テンプレ3
■ 【侮日新聞】 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
●毎日新聞社 問い合わせフォーム
https://form.mainichi.co.jp/toiawase/index.html
●ライアン・コネルとは何者か
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/pages/14.html
※ライアンとともに執筆していた紙山増男はペンネーム。ライアンと同一人物疑惑あり。
■ 【毎日新聞の余罪】 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
真偽不明の低俗記事以外にもまだまだ余罪がありました。
【毎日新聞】“変態ニュース海外配信問題”2ch有志が毎日英語版の
メタキーワードに「hentai(変態)」の文字を発見→毎日側は削除へ
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1214299417/
●「通り魔」「銃乱射」「自殺」を英語で? 不謹慎な英語クイズを発信
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/16.html#id_05666a9c
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/68.html
●waiwai以外の毎日デイリーニュースでは日本の性犯罪ネタを偏向報道
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/60.html
http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/33.html
7 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:10:06 ID:LynV2p4d0
■ 【セブンイレブンのコピー機で印刷できます(ネットプリント)】 ■ ■ ■ ■
詳しい方法・その他の印刷手段→http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/85.html
ビラ保管庫(下記以外にもあります)→http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/59.html
★ビラA4両面用カラー(pdf) ●A4カラー2枚 ネプリ番号【05684264】
http://uproda.2ch-library.com/src/lib035210.pdf
ウラ面:謝罪内容の問題点と対応すべき点
サンプル:http://uproda.2ch-library.com/src/lib034347.jpg
★ビラA4片面モノクロ(pdf) ●A4白黒1枚 ネプリ番号【89924636】
http://uproda.2ch-library.com/src/lib035211.pdf
サンプル:http://uproda.2ch-library.com/src/lib035206.jpg
★ビラA4片面モノクロ(pdf) ●A4白黒1枚 ネプリ番号【10165905】
http://uproda.2ch-library.com/src/lib034901.pdf
サンプル:http://uproda.2ch-library.com/src/lib034902.jpg
★ビラA4片面カラー(pdf) ●A4カラー1枚 ネプリ番号【96640918】
http://www1.axfc.net/uploader/He/so/114234.pdf (パス:wife)
サンプル:http://uproda.2ch-library.com/src/lib034995.jpg
8 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:10:49 ID:LynV2p4d0
■ 【ビラ置き忘れ注意場所】 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
病院、学校、市役所、銀行、郵便局、会社、公民館、スポーツクラブ、
◆◆置き忘れを見つけたら
→できれば「遺失物」だと目立つようにしてあげる。
ポストに投函するのは、あちこちに許可がいるみたい。ご注意を。
地域の回覧板に、「落とし物」ってメモつけて落とし主を探してあげるのはどうなんだろ。
9 :可愛い奥様:2008/06/30(月) 00:14:03 ID:5xRsfhGKO
投票お願いします
英語版サイトに「低俗」な日本紹介記事を掲載 毎日新聞がおわび
http://sentaku.org/news/1000002135/
193 :名無しさん@全板トナメ参戦中:2008/06/29(日) 18:50:19 ID:yZFuzX/v0
セックス 218,000 1,660 98 177
フェラチオ 8 0 0 0
冬のソナタ 562 88 59 24
ヴァギナ 4 1 0 0
ペニス 46 9 5 34
エロ 376 25 85 87
オナニー 6 2 2 0
体位 56 21 6 6
クリトリス 9 0 0 0
アキバ 17000 2700 96 738
メイド喫茶 468 8 32 17
マスターベーション 14 1 0 0
援助交際 246 136 13 120
Gスポット 8 0 0 0
なにこの仕事っぷり。
いろんな報道で売り上げが5倍だとか何だとか言われてるんだが、その割に話題にしている人間を全く見かけないのはどういうわけだ?
というか、ワーキングプアと呼ばれる連中にあの手の文学作品を読む時間的精神的余裕があるとは思えんのだが。
Wikpediaの項目によると、読売新聞5/2付の記事がもっとも古いらしく、その3ヶ月前の朝日新聞には、売れているという記述は無いものの作者の小林多喜二を取り上げた記事が存在している。
そして5月中旬から今に至るまで、他の新聞社やメディアもこれに追随するように「蟹工船が売れている=ワーキングプア・格差社会」の論調が見られるようになっているわけだが、その根幹になる「若者に蟹工船が流行中」という事象がちっとも体感できないので、どうも違和感を感じざるを得ないんだよな。
もし誰か知っているのなら、格差の底辺に居るような人達が、上記の5月以前に蟹工船を絶賛しているようなURIを教えて欲しいんだが…。
まあ、そういう人達はネットにすら繋げられないのかも知れんけど。
■■追加■■
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080502bk02.htm
プロレタリア文学を代表する小林多喜二(1903??1933)の「蟹工船(かにこうせん)・党生活者」(新潮文庫)が、今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている。過酷な労働の現場を描く昭和初期の名作が、「ワーキングプア」が社会問題となる平成の若者を中心に読まれている。
2万7千部ねえ…。それって平成の若者の何パーセントなんだろ…。
■■さらに追加■■
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-16/2008031614_02_0.html
青年トークで「蟹工船」エッセーコンテストで大賞を受賞した山口さなえさん(26)は、不当解雇され労働組合も助けてくれなかった経験から「私たち世代が絶望にならざるを得ない構造を、現代の蟹工船として書きたかった」と発言。長く派遣で働いた同準大賞の狗又(いぬまた)ユミカさん(34)は「『蟹工船』に共感するプレカリアート(不安定労働者)を代表して言いたい。『私たちをもっといい船に乗せろ』」と叫びました。
まあ、自分の事をプレカリアートなんて名付けてる時点で色々と染まってる人だとは思うが。
赤旗Webサイトで「蟹工船」で検索をかけると、今年初頭(1??2月)頃に色々とプッシュしている様子が伺える(それ以前となると2005年や2002年と散発的に取り上げられているだけ)。こんな記事があった。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-02-27/2008022701_03_0.html
デビュー作「一九二八年三月十五日」などで「貧困を生み出す社会のしくみに目を向け、これを打破する闘争を主題にしたところに多喜二の最初の大きな飛躍があった」と不破さん。とくに「当時の非正規の臨時工を描いた『蟹工船』がいま若者に読まれ、たたかいの力になっていることに多喜二が喜ぶだろう」と話すと、「ホーッ」と感嘆の声ももれました。
少なくともこの時点で、不破の脳内では若者が蟹工船を読んでいるという事になっていたらしい。赤旗以外のそっち系も調べてみるかな。
■■もっと追加■■
記事の発端は、5/2の読売の記事だと思われるわけで、
今年に入って“古典”としては異例の2万7000部を増刷、例年の5倍の勢いで売れている
これが本当に記事にするような事象なのかどうかを検証すべきなのかも知れんね。特に近代文学なんて元の販売スケールが大きくないんだから、ちょっとした事で数倍に跳ね上がったり数分の一に激減したりというのも珍しくないような気がするし。
2万7千部なんて、どこかの大手書店の営業がプッシュするとか、どこかの活動家が講演会で取り上げたりする程度で軽く到達できそうな数字に見える。あるある大辞典で納豆が売り場から瞬殺されるようなご時世だしな。
それに元の記事では「5倍のペースで売れている」としか書かれてないのに、いつの間にか購入者の大半が若者だという事になってしまっているのも気になる。購入者のプロファイルをどうやって知ったんだろ。中高年をメディアで煽ってちょっと騙くらかすだけでも数万部は軽くいけると思うんだが。赤旗日曜版だって100万部いってるんだし。
http://www.asaho.com/jpn/coverright.html
一般に、外国の賓客が来学し、講演を行うときは、事前に教職員に対して参加を募る案内が届く。限られた範囲の人々を集めるような講演会でも、関連科目の担当教員には招待状が来る。学生の参加を募ることもある。しかし、今回は、講演会があることすら伏せられ、前日になっても公式ホームページに情報提供は一切ない。少なくとも私の所属する法学部の中国語関係の教員に対して講演会への参加案内はなかった。法学部がそうなのだから、全学的に中国関係の教員・研究者に参加を呼びかけるということはなされなかったとみてよい。全学に中国語を履修する学生はたくさんいるが、そういう学生たちに講演会への参加がアナウンスされることもなかった。大隈講堂に入れる早大生は、1998年11月の江沢民主席来学時のような、一般公募の学生たち(その個人情報の扱いをめぐって訴訟にまで発展したところの)ではなく、40人前後の「身元の確かな」中国留学経験者だけである。彼らには、事前に「政治的な質問はしないように」という趣旨のことが伝えられたようである。
そして、明日、大隈講堂の一階前よりの座席を埋め尽くすのは、胡錦濤主席と一緒に来日した中国共産主義青年団の精鋭200人とみられている。昨日、軽井沢で静養した彼らは、元気いっぱいで「警護任務」につく。胡錦濤氏はこの青年団の出身で、1984年にその第一書記(最高指導者)に登りつめた人物である。中国共産党のエリート養成機関であり、まさに彼らは胡錦濤氏の「親衛隊」といってよいだろう。この親衛隊があたかも学生の聴衆のように拍手を送る。明日の夕方のニュース映像には、早大生が拍手しているように映るのだろうが、中国製の「サクラ」である。
うお!楽しみになってきた!
それでも彼女がいるとか、結婚するとかがいいと思える人なら作ればいいと思う。
俺の今までの経験則から彼女作った場合と作らない場合の増田の未来を想像してやろう
・彼女がいることにより2人でいることの楽しさを覚える
・コードを書く分量は減る
それこそ、今まで楽しくはなかったけどしていたこと(食事とかね)すらも楽しくなる
・ちょっと他人に優しくなる
・書くコードも割と丸くなる(非エンジニア向けなアプリやウェブサービスとか作るんじゃないだろうか)
・技術力もあるけど、周りに人が常にいる人になっていく。
・時間もあるので、最新技術からOSやコンパイラ、ハードウェアなどの方まで、何でも時間が許す限り学習可能
・プログラミング以外の時間が邪魔。もしくは生きる為に最低限することにしかならない。
・時々寂しい時があるかも知れない。でも一人
・時々街を歩くカップルを見て微妙な気分になるかもしれない。でも一人。
・その一人の状態ゆえに「自分はここにいるんだ」的なメッセージをプログラミングに託すようになる。
・その様な自らの全てを託したプログラムは本当に世界を変えると思う(あなたの発想力が常人を超えていれば。ただ、一人の時間は沢山あるので、そこで一人ならではの独創的な発想が生まれる可能性あり)。マッドサイエンティスト的エンジニアになるでしょう
・ウェブで情報は手に入れるし、自分からコードを世界に向けて発信するけど、非コミュみたいな人になるかも
・孤高のスーパープログラマとなり、知る人ぞ知る存在に(技術力で他を圧倒)
・本とか講演会とかやっても、あなたが凄すぎで付いていけない人が殆どなので盛り上がりません。
・あなたはその才能ゆえ、大金を手に入れます。そうすると金目当ての女が沢山寄ってきます
お好きなルートをどうぞ
ってフワフワした感じなら前者
プログラムに全身全霊をかける。Microsoft,Googleなんぞ超えてやるぜ
って感じなら後者じゃないかね?
ただ、当然といえば当然だが後者は上手くいかなかった時に辛いんじゃないかな
以前の知人の名前をググっていたときに、偶然 2ch のスレにその名前が載っているのを見つけた。
そのスレは、失敗したベンチャー企業とかナンとかというタイトルだったと思う。そう、知人とは、ベンチャー企業の経営者だった男だ。いや、「だった」というのは正確でない。なぜなら、今でも経営そのものは続けているらしいからだ。
ググったときに出てきた結果から、今その男がおかしな宗教じみた blog を書いているとか、学術的根拠のなさそうないかがわしい健康食品のネットショップを運営しているとかということを同時に発見できた。
そうした彼の現状、そして先に発見した 2ch のスレ、そこには 20 世紀末のあだ花だったベンチャー企業の数々が書き連ねてある、それを合わせて見た時に、俺はなぜか溢れてくる涙を止めることができなかった。なぜだろう。ネットバブルの光芒があまりに輝かしかったからだろうか。
20 世紀末当時、俺は田舎町でスモールビジネス、当時の言葉で表せば SOHO の振興活動をしていた。そのときに主催した講演会でゲストスピーカーに呼んだのが彼だった。
彼自身も、スモールビジネスから VC の出資を経て起業をした男だった。そうした実体験に基づいた彼のトークは、SOHO が何たるかすらわからなかったであろう地域の人々に感銘を与えた。
そんな彼は、おそらく今は出資金のほとんどを食いつぶすだけでなく、個人レベルで細々と開業・運営できるようなネットビジネスで何とか食いつなぎ、いや、もしかすると日々の食事にすら困窮するような生活なのかもしれない。
思い出せば、blog なるものが広く知られるずっと以前に彼から Geeklog のスクリーンショットを見せられ、「これはブレイクするぞ」と言われたことがある。その意味が理解できなかった俺は、彼にあいまいな返答しかできなかった。
少なくともそこで彼が意志を貫いていれば、良かれ悪しかれドリコムの内藤のようになっていたかもしれない。でも、俺がそれを強く勧めなかったことを自省するつもりはない。内藤になるのはいかにもいただけないばかりでなく、結局成功のキッカケを掴むかどうかは本人次第なのだから。
宗教的思考で平安が得られ、健康食品で世に貢献したいと考えるのであれば、彼にとってはそれはそれでいいんじゃないかと俺は思う。でも、もはや彼とは一縷のつながりもなくなってしまった今は、やはり淋しさを拭えない。なぜなら、共に闘った日の事を思い出さずにはいられないから。
ここ数ヶ月、ずっと心に残っていたが忙しくて書けなかったことを書く。
梅田望夫氏は、新著『ウェブ時代をゆく(http://d.hatena.ne.jp/asin/4480063870)』の発売を記念して講演会を開いた。その様子はリアルの世界に生きる人は、ウェブ時代をどう生きたらいいのか--梅田望夫氏講演:前編:コラム - CNET Japanと「たいしたことない自分」だから、本を書いた--梅田望夫氏講演:後編:コラム - CNET Japanにまとめられているが、僕が気になったのは、後編での来場者からの質問に対する梅田氏の返答である。
――米国大統領選挙において、ソーシャルネットワーキングサービスやブログをどのように活用しているか、実例を教えて欲しいのですが。
あんまり知りません(笑)。これは重要な問題で、僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。肝に銘じてほしいと思います。
そういうことは自分で調べたらいいんですよ、すぐできます。Googleがあれば、調べてみましょうか、というだけです。ウォッチしようと思ったら、そこに壁なんてない。心から知りたいなら僕に聞くのは間違いで、Googleに訊いてください。もちろんGoogleだけではないけど、そこをとっかかりにいくらでも調べられますよ。
旧世代の人には多いんですよね。昔は情報が少なくて、米国選挙で何がおきているかを知るには英字新聞とかから情報を得るしかなかった。
時間の使い方の違いだけなんだよね。僕は(大統領選挙について)ウォッチなんかしてない。自分の優先順位に従ってやってるから、いくつか優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです。
そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観なんです。適当なことなら答えられるけど、それなりに自信があるもの以外は質問に答えない。そういう時代なんですよ。本当に知りたいならGoogleに行ってください。それがウェブ時代ということです。
梅田氏は「僕が米国に住んでいるから大統領選挙について語れるという前提が間違っている。」と言うが、これはまさにその通りであって、僕の姉夫婦はアメリカに住んでいるが大統領選については私の方が余程知っている。しかし、この質問は正確には大統領選挙について聞いたものではない。「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞いている。『ウェブ進化論』や『ウェブ時代をゆく』を読んで梅田氏を知ったにすぎない私などからすれば、梅田氏は一般的抽象的にいえば「ウェブの専門家」である。その「ウェブの専門家」でありアメリカ在住の人物に対し、「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」を聞くことは不合理なことだろうか。私はそうは思わない。
私は梅田氏が大統領選挙におけるウェブの使われ方について知らないこと(答えないこと)を非難しているのではない。優先順位の低い情報をダラダラと摂取することは無意味だし、調べようと思ったらGoogleに聞けばある程度のことは分かる。確かにその通り。正論だ。「優先順位が高いと決めたもの以外には語る資格がないんです」。これも正論。「そういうものに対しては、答えないことが僕にとっての倫理観」。大いに結構、尊重しましょう。
だが、専門家は自分が知っていることだけ答えればいいのだろうか。「詳しくは知らないけど一応の返答はする。情報の手掛かりだけは教える。もし間違ったことを言ってしまったら訂正して謝罪する」。これも専門家の責任のあり方ではないか。
例えば、カリフォルニアのバークレー在住の町山智浩は映画評論家である。彼は当然映画評論が専門であるが、問われれば大統領選挙についても答えるし、キリスト教原理主義についても答えるし、ウェブについても答える。なぜか。皆が彼にそれを期待しているからだ。町山さんは話を大きくし過ぎるところがあって、時には間違ったことも言う。放送禁止ギリギリの発言もする。でも、間違えばきちんと訂正して謝罪する。そして彼は信頼されている(少なくとも僕は信頼している)。それが彼の責任のあり方だ。
他の専門家はどうか。例えば、弁護士は様々な法律相談を受ける。弁護士の業務も今では専門分化されているので、全ての領域をカバーできるわけはない。では、知らないことを相談されたら彼らはどうするか。まずは知っている限りのことは答えるだろう。そして、その問題に詳しい他の弁護士を紹介するとか、しかるべき専門機関を教えてたりする。そこまで含めて、弁護士としての責任の果し方だろう。「本に書いてあるから自分で調べて」と言うことなどあり得ないはずだ。
さて、梅田氏である。梅田氏が「大統領選挙においてSNSがBlogがどのように活用されているか」についてフォローしているか否かはここでの問題ではない。問題なのは、梅田氏が「ウェブの専門家」として期待されているところについて無自覚であることだ。無自覚でなければ、わざわざ講演会にまで出かけて行って恐縮しながら質問をした人に対して(ここは想像)、こんな冷たいことを言い放てるはずがない。「Googleで調べて下さい」で済むなら専門家など存在する意味はない。Googleで調べればいろんな情報が得られる時代だからこそ、専門家には水先案内人としての役割が求められる。
それがウェブ時代ということです。
(支離滅裂なのは理解している)
ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。
(厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係)
書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。
先に書いておきますと、私は公立校勤務です。
で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。
この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。
恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。
開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが
“「不当な支配」の主体の転換”
という内容。
旧教育基本法の、
「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」
という規定が、
「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」
と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、
before:政府の圧力
↓
after:日教組などの職員団体
と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。
私としては、
「なるほどそうか……。これは大変だな」
と思ったわけなのですが、その先を読んだら
「……なんか違う?」
なにしろ、いざ講演が始まったら、この
「政府=正当な支配」
「職員組合=不当な支配」
という立場を全面的に賞賛する論調でして。
日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。
(うちの地元には、「教職員協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。
方針としては、行政との対話路線。
私もそっちに入っています。
新採の時、勧誘パンフが送られてきて。
「教え子を戦場に送るな!」
って書いてある。
言いたいことはわかるがちょっと引いた。)
内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。
講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。
第二次大戦末期、樺太にソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。
事件名とか知らなくても、
「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」
とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。
とか褒め称えるわけです。
このエピソードを教育にどう生かせと?
「彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。
お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」
置かれたら?
自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。
私としては、子どもたちには
「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」
……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。
ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。
で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。
そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。
彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?
少なくとも、八木氏の言う
「ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」
……というのは、この場合は事実に即してないと思います。
……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。
「沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。
だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」
という、目の覚めるような主張を展開します。
なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。
危険なのでよい子はまねしないでください。
もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。
危険なのでよい子はまねしないでください。
ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。
なんか、とにかく死ねば責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。
「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。
近代化が遅れた地域だからな。
あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。
とにかく、こういう歴史観のリビジョンを促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。
開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。
本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。
もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。
内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会。
「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」
……ええーっとですね。
つまり、「つくる会」の教科書を採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会」史観に染まるわけではない、ということですよ。
このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。
我々はロボットではない。
その一存で採択が決まったようなもので。
しかし、「つくる会」教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。
なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会の趣旨だったんだと思います。
くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。
授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?
そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場の人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。
……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。
率先垂範を地で行っておられる。
で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。
で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。
スタンディングオベーションかよ偉い人。
とりあえず絶望した。
現場がなんとかしないとならん。
以下、こまごまとしたこと。
八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。
なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識が誕生したのがその時代だからだ、というのです。
ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。
天皇は独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。
八木氏は、「皇室はニッチ産業」だ、という、寛仁親王の言葉を引用します。
「政府や行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」
「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」
いや……そうなの?
「平安時代、貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」
……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。
これらが、マルクスの階級闘争史観に子どもたちを導くものだ、というのです。
君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!
……別に教科書の記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。
なんでマルクス?
明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?
「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)
そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。
武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」
上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」
……みたいに。
八木氏によると、現在の学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。
「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」
とかいうのが「闘争目標の提示」だと。
……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。
仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代や平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。
奴婢の話とかって、私は
「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」
って趣旨の話だと理解していたんですが。
「人類の歴史は進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」
的な。
八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。
私としては、貴族と平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。
都合の悪い歴史的事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。
それこそ、遺伝学におけるソビエトのルイセンコ学説みたいに、学問をイデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。
まあ、「歴史は科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。
でも、望ましい思想を注入するために、歴史的事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国の十八番なんじゃ。
基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。
「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人の精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。
そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。
確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。
八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人の日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。
ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代の記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。
から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。
逆に、明治憲法や現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。
縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。
「縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。
八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権の時間的拡大」「死者には墓石で投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。
……天孫降臨?
ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちのバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。
ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。
死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。
……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。
八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。
「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。
自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。
日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。
なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。
>教育委員会主催の講演会とかに行って何かを得たことがあるの?
ありますよ。
まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。
……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。
>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。
まあ、チキンなので。
偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。
そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。
それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)
それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。
これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。
っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。
でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実。
「古代以来、皇室はニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。
そこで、例えば平安時代の朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」
くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。
>自分のはてなダイアリーで書いたら?
少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。
何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。
(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)
こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。
偉い人にばれたらどうしよう。
>「教職員協議会」つーのは要するに「全日教http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。
右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。
会員でありながら組織の背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)
>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。
ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)
今や日本の教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!
あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)
>大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい
難しいところですね。
おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。
その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。
そして、大学は専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。
だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。
その内容としては、重要な歴史的事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。
……もっとも、「歴史的事実」というのは現実にはほとんど無限に存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。
エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。
でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。
「ぬかにくぎ」とか「のれんにうでおし」とかに似てるよね。
高校のころ、なんか講演会があってなんかそっち方面に学術的な意味で詳しそうなおばさんが
「ちゃんと、コンドームを着用しましょう。」
「本当に、心から信頼しあえる人と〜(以下略)」
だのなんだのぬかしてたんですけど、当時から非モテだった俺には
「こんなん俺には関係ないやん。授業の時間潰してまで長々と話すんなや。」
とか思ったんですね。
っていうのが長々とした話の内容がどうも、ある程度性交の前段階を色々経験しているということ前提で話してたんですね。これが。
あれから月日が流れ10年近く経とうとしてるんですが、
その教育でならったことを活かすチャンスはありません。
なんなんですかね。性教育って。他の授業とは明らかに何かが違いますよね。