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2018-06-04

anond:20180604232315

どうやろね、研修施設は楽しかったけど

現場人間関係はツマンネ仕事面白いけど

かと言って死ねるかって聞かれたら死ねいかも笑


死ぬってことではないと思うけど

そういう役割必要とされる場所を探す必要はあるんじゃないかなと

さないと見つからない。


心理的発達を

マズローは、社会との関係

エリクソンは、人との関係

それぞれモデリングしていて、比較すると面白い


マズロー自己実現理論

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96

エリクソン心理社会的発達理論

http://rzt.sakura.ne.jp/shinri/2006/01/post_1.html


もちろん、みんながみんな、マズローエリクソンが言った心理的な成長を得られる訳ではない。

現にワイは現場で絶賛つまづいている。

この不条理にどう対応すればいいでしょうか?


哲学者キルケゴールカミュは3つの解決策を示しました。

自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。

盲信:不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。

不条理を受け入れる:不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。

不条理 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%9D%A1%E7%90%86


ワイは自殺をするほど勇気もないし、不条理を受け入れられるほど強くもないので、とりあえず、神様を盲信することにしました。なんだって?ワイのことをキチガイ呼ばわりするのかい

増田なんて、神様を盲信したキチガイの集まりやろ、グヘヘへへへへ

2018-04-13

アイアムヒーローの考察

読み終わったあと、神様がいない世界に、ワイを放り出した。


この世界神様を信じないで生きる方法がないか模索していた。ワイは、不条理を受け入れられるほど、マッチョでもないし、自殺をするほどの勇気もない。いまのところのワイの解決策は、神様を盲信することしかできない。

不条理 - Wikipedia

自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。

盲信不条理を超えた何か、触れられず実験的に存在証明されていないものを信じること。しかしそれをするには理性を失くす必要がある(すなわち盲信)、とキルケゴールは言っている。カミュはこれを哲学的自殺として考えている。

不条理を受け入れる不条理を受け入れて生きる。カミュはこの方法を推奨しているが、キルケゴールはこれを「悪魔に取り付かれた狂気」として、自殺を引き起こす可能性を論じて批判している[1]。


別に神様なんか盲信しなくても、生きていける。それは例えば順調に心理的に成長した場合だ。発達課題を克服し、欲求を順調に満たせた場合には、別に神様なんか必要なくなる。

自己実現理論 - Wikipedia

発達課題 - Wikipedia


しかし、それがどうしてもできないワイのような人間が出てくる。なぜなら、人はどうしても理屈ではわかってはいても、他人のとの比較の中で、自分幸せ定義してしまうから。もちろんこの実験では 2 の世界だと 1 ドル価値が低いから選んだんだろ。というツッコミもありますが..

次のどちらの世界に住みたいかハーバード大学学生職員質問を行いました(Is mor always better? A Suvey on Positional Concerns,Jounal of Economic Behavior and Organization

1. 自分収入が5万ドルで他のすべての人は収入が2万5000ドル世界

2. 自分収入10ドルで他のすべての人は収入20ドル世界

結果は、56%の学生が1を選びました。

高収入でも「他人の幸福は飯がまずい」人は富裕層になれない | プレジデントオンライン


から幸せになる人たちがいる反面、不幸になる人たちがいる。他者よりも優れていたいという、本来生物的な欲求も満たすことは、まずできない。社会的欲求を満たすには、人の役に立ったりするには、必ずしも優れている必要性はない。でも、他者よりも優れていないと、そういった機会は、どうしても少なくなる。

アイアムヒーローの世界には、発達課題を克服することができず、欲求を満たせない人たちに焦点が当たっている。クルスをはじめ、みんななぜこの世に生を受けたのかということ自体に疑問を抱いている人たちだ。彼らは神なった。でも、英雄は神にはならなかった。

終わり方がひどいって書いてあるけど、奇跡を起すこともできたんだと思う。誰かを生き返らせたり、あるいは敵役を殺したりして。でも、奇跡を描かないで、丁寧に現実世界で生きている英雄を写して、徐々にワイら読み手世界と近づけようとしている感じがした。

物語最後局面で誰もいない、比較されることのない世界で一人になった。なんだか急に現実に引き戻されたような気もするし、そうでないような気もする。生きることを選んだという意味において、現実世界でクルスのように生きているワイのような読者にとって、英雄hero なのかもしれない。

でも、決してなけなしで放り出したわけではない。ヒロイン2人から愛されたという記憶はでかいよな... それが読後感を与えている。ヒロインが登場しないでもそういった話は描けるのだろうか.. 難しいだろうなぁ。

ドストエフスキー罪と罰でも、ソーニャがいて、ラスコーリニコフ普通になった。結局は可愛い女の子との記憶がないと楽しくないなんて、なんだか寂しい気もする...。

そういった成功体験物語、あるいは神様と、そしてその成功体験物語神様を確実なものにするために、社会生活からの隔絶されて初めて、英雄は生きているのかもしれない。また、奇跡が起こって元の人のいる社会になったら、そういう辛い世界に戻ってしまう。

結局、我々は物語という神様から逃れられないのではないだろうか。でも、ある意味生物学的に優れている人も、そういう自分は優れているという物語の中に生きているのかもしれない。その物語も、所詮相対的ものしかない。絶対的基準ではない。

神様なんかいないんだ、という姿勢は、結局、俺はすごいんだぞ、という自分物語世界押し付けているだけで、どこか、酷い気もする。

人間は(信じたいと)望むことを信じる。

Homines id quod volunt credunt.

Homines id quod volunt credunt. | 山下太郎のラテン語入門

逃げられないというより、作るしかないのかもしれない。自分が、いま生きている世界を。ある種の不条理社会的不条理は、物語を作ることによって、乗り越えることができるのだろうか。それは自分ができる範囲でということか。

クルスくらい追い詰められた人間にも希望を与えるというのは、正直かなり厳しい気がする。クルスは神様になるしかない。普通人間ならできるだろうか。もう少し文章をまとめたい。

2016-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20161018030935

社会というか自分の外部に変化を求めて、自分自身は変わろうとしないという意味ではリベラル保守も大差ない。

どちらかというと、増田はいわゆるマッチョウィンプの違いの話をしているような気がする。

ちなみに、マズロー自己実現理論は既に多くの厳しい批判さらされていて、

現代心理学では大半の人は自己実現を究極の目標とはしないことが分かっている。

 
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