はてなキーワード: 自伝とは
http://anond.hatelabo.jp/20081215131703
自伝かなんか書かせてみるとかかな。会社のことばっかり書きそうな気もするのだがw
僕から手紙を書いてみる、というのはいい方法かも知れない。僕は話すのはあまりうまくないし。
口では整理しきれないのかもしれんよ?文字媒体とかどうよ
http://anond.hatelabo.jp/20081215205459
ありがとう。時を待つというのも一つの方法か。
祖父の死、というのもまたうまく想像できないな。インドネシアか・・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20081216085201
ああ、すごく分かる、この空気。聞いておいたほうがよかった、といま思っていますか? そこんとこを聞いてみたい。
ただ「あんな事をしたら、そりゃ中国の人は怒るよなあ」と言ったきり、口を閉ざした。
「あんな事」の具体的な内容については聞けなかった。
他の話もしてたんだけど、南京の話をしたところで口を閉ざしちまったのは、たまたまなのか何なのか。
増田の言うような『「あんなこと」=戦争』じゃない雰囲気を感じて、聞けずじまい。
自分が一方的にそう感じただけかもしれないし、何とも言えない。
d:id:finalvent:20081215:1229324756
戦争当時の友人、って僕は会ったことがないんだ。僕が知らないだけかも知れないけど・・・・。もうちょっと祖父を観察してみようと思う。
これは、お祖父様の友人がいる席に同席してじっと耳を傾けることですよ。
>米
「祖父はきっと中国人を殺したろう」はどうかな。邪推かも。人を殺した記憶のない軍人の方が多いのが常。/とにかく聞いておくべき。聞けなくなってからでは遅い。それは君のライフヒストリーでもある。
すごく心動かされた。
http://app.blog.livedoor.jp/dankogai/tb.cgi/51152468
僕はあくまで祖父の語るのを聞きたいのであって、「祖父の時代の日本軍の罪を知りたい」とか「祖父の戦友がなにをしたか知りたい」とか他のなにがしかに変換して受け止められるのはひどく不本意だ。そんなことは僕は思っていない。
僕は祖父個人(あくまで個人だ)のしたことを肯定するか否定するか考えるよりもずっと前の段階、知るべきか知らぬべきかよりもさらに前の段階、知ろうとすべきかどうかを考えている。
肯定か否定かの二択を迫り、否定しかないと断じる態度は確かに「自虐史観」と非難されるにふさわしいように思う。
うーん反論しといてなんだけど、このピントの外れ方はもしかしたら僕へのリプライではなかったのかな。まあいいか。
じいさんたちの誰にも言えない恥をまた繰り返さないためにも。
正直な話、自伝を出版するとかでもない限り、あんまりいわないほうがいいような気がする。
というのも、事情が何であれ、「中絶=子殺し」と考えてる人ってのは意外と多くて受け入れがたいんだよな。
もし受け入れられたとしても、「中絶する前になにかしなかったの??」と責められたりいいことはない。
下手すると増田の過去に疑惑持っちゃって、うまくいってたものがうまくいかなくなる可能性もでかい。
現在の増田が幸せな環境でいるのなら、なおさら「墓場までもっていけ」コースだと思う。
どうしても、その辺の事情をはきだしたかったら、ネットでそういう専門のサイトがあるので、
そういうところで匿名で吐き出したほうがいいような気がする。
一方では「重すぎ。女を軽く扱え」と言い、もう一方では「女に失礼だからモノ扱いすんな!」と言う。
二股やDV等、パートナーを邪険にしたり、モノ扱いしてるのはむしろモテ側の方だろう。少なくともリアルでは。
(そもそも、行為の是非を抜きにしても“ある程度の関係性”を作らなければ、それ自体実行のしようもないからだ)
モテ側にとっては、同じモテの実効性を持ったミソジニーより、非モテの妄想を書き殴っただけのミソジニーの方が
100万倍害悪に映るという事がここから良くわかる。
…いかん脱線した。とにかくミソジニー自体は良くない。それが非モテだろうとモテだろうと。
冒頭に戻る。
意中の子を丁重に扱うのも軽く扱うのもその時々で使い分けるべきであって、不変のものじゃない。
そのさじ加減をどうするのかは経験とそこから生まれる勘でしか身に付かない。
だから非モテは↑のようなネットもんたのダブスタなアドバイスを無視していい。好きにやればいい。
好きな子がいなくてもまず彼女ありきで動くのも別に悪くない。愛情が後から生まれて来るのであれば。
何故なら、お前達に偉そうに説教しているもんた連中も、実際は恋愛でみっともない鼻水や涙を垂れ流したり、
自己中心的な思い込みや行動をして悦に浸ったり、結果恥をかいたりした奴らが殆どで、
それを小奇麗な文章で自伝的に塗り固めているだけに過ぎないのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
はてなの株式上場を睨んで、増田のIDがすべて白日の下に晒されるらしい(大嘘)昨今、
匿名の勇気ある恥知らずである増田たちの間ではこんな議論が盛んになっている。
「万が一、IDが晒されてしまった時に我々は慌てないですむような記事を書いているだろうか?」
というものだ。
『一年後に読んで、うっかり削除したくなるような記事は書かないようにしよう』
一つ一つの記事に執筆者の夢や主張が濃厚に凝縮されていて、
腐敗した当時のはてなにおいて常に建設的な議論が交わされていた。
だが、本当にそれらは『後で消したくならない』ような、執筆者にとって
恥ずかしくない記事だったんだろうか? 筆者はそうは思わない。
昔の青かった頃の自分、若かった自分、甘酸っぱい青春に酔っていたあの頃。
その頃の自分の姿を見て、顔を赤らめないものなどいないのだ。
しかし、現在の状況はどうだろう?
本来ならアンチテーゼとなるべき存在であるはずの「ニュー速・VIP(2ch)」的な
『ネタ体験談/自伝/暴露』や、つい最近も世間を騒がせた「分裂君劇場」のような
『極論(で議論を起こし、ブクマを集めるスキャンダル芸人風味の)記事』で溢れかえってはいないだろうか。
さらに悪いことには、もっとも忌むべき、唾棄すべき存在であるはずの
『はてブ』と全体のカラーがどんどん似てきてはいないだろうか?
「『ネタ』は『ネタ』であるから、後で読み返しても『そういうものだ』と片付けられて
全然恥ずかしくもない」だろうが、その「ネタ」は果たして「増田」と呼べるものだろうか?
はてブの人気記事にくるような2chスレまとめ紹介サイトのようなところにのりたければ、VIPでやればいい。
分裂君になりたければ、はてなダイヤリーでかけばもっと人気が固定化されるし、
はてブみたいな一行書き捨てがやりたけりゃはてブをつけまくればいい。
誰にだって、その時にしか書けないことというのはある。
それはもしかしたら、中高生時代の自作ポエムのような、あとで存在を消去したくなるようなものなのかもしれない。
だがしかし、同時にその時のあなたの真摯さの裏づけでもあるのだ。
本当に恥ずかしいのは、その文章ではなく、
「昔の自分」を認めず、あまつさえ忘れようとそれを削除する、あなた自身なのだ。
「学歴および受験の問題に関しては、同じ一人の人間が、当事者として行動する時と、傍観者として発言する時で、意見を変えているのです。だからこそ、一方で学歴偏重の世相を嘆いている人間が、他方では幼児教育に狂奔しているみたいなことがごく普通に見られるわけですよ。」 これっていうのはいろいろなことにあてはまると思う。環境汚染、飽食、談合、あらゆるタイプの戦争/ゆとりのある生活、愛のあるセックス、、、。こういうトピックに対して、当事者として行動するときと、傍観者としてみている時で、意見/態度を変える人って多い。自分も含めて。そういう変化の幅を縮めていくのが、真摯な実践ということなんだろうな。 あと、印象に残ったのは、郷ひろみと森 元首相に対するメッセージ。ラグビーで推薦入学ってことになっているけど、ラグビー部半年で退部しているし。そんな内容の自伝出してるし。さらに日本ラグビー協会の会長になるらしいし。こんなんでいいのか?
僕は高校三年生、3ヵ月後にセンターを控えたピチピチの受験生さ。
成績は中の下、顔も中の下か下の中ってところのへたれ妄想少年だ。
趣味はアニメ、ゲーム、漫画、ネット巡回、妄想、といった、いたって普通のオタク君さ。
性格は内向的、人見知りしてばかりで友達があまり増えない。
自意識過剰気味で、自分は空気を読めているのかどうかばかりを気にし、結果的に読めなかったりする。
一つのことを完璧に仕上げることを理想としているからか、ちっとも行動できない。
こつこつ物事を進める、ってことに面倒くささと嫌悪感を抱く。
自己分析では、一発でこなしてみせなきゃかっこ悪い、僕はこなせる人間だ、という根拠なき自負が「こつこつ」をさせないようにしてしまっているのだと思っている。
いいところをあげるとするなら、
誰かのスケープゴートになれる、というところだろうか。
卑屈すぎる。我ながらひどすぎる。
でも上手いこと言ったなあとも思う。
自分のいいところを胸を張って言える人はすげえよなあと改めて実感した。
好きな女の子、みたいなのはいるが、成り行き上そうなっていっただけであるようにも思い、
自分では好きなのかどうかは判らない。
でも起きている間の60%くらいは彼女のことを考えている気もするので、やっぱ好きなのかもしれない。
好きだったらいいなあとも思うのは、恋する(しているかもしれない)自分が意外と楽しいからであるかもしれない。
曖昧だなあ。
将来やりたいことなんて明確には思いつかないが、もやしもんを読んで「やべえ農大とか細菌とか面白そう」と感じたので、安直ではあるけど微生物研究とかしたいなあとちょっぴり考えている。
と、思い立ったので自分語りをしてみたけれど、言葉にすると自分って代わりがいくらでも立てられそうな存在だと思えてくる。
理想の自分を書いたら面白くなりそうだけど眠いのでここまで。
これ書いてて思ったけど自伝綴るのも楽しそうだ。
昔、ゲーム業界でロンゲデブが時代の寵児(というより時期の寵児だな)として持て囃された頃は
あのロンゲデブの中二病満載の自伝を読んで「俺もロンゲデブになれる」と勘違いして
ゲーム屋になろうとする子が多かったような気がする。
アポナシで会社にやってきて「企画として雇ってもらえるまで帰りません」と言って放置したら3時間で帰る子とか、
面接時に「小学校はいじめられたので行っていません、企画希望です」という最終学歴「幼卒」の子とか、
更に営業部長が企画部長と対立していたせいで「企画部の中に営業派を作る」という意図でバンバン入れた試用バイトの中に
どうみても頭のおかしいキチガイがいて15分に一回、奇声を上げて最後は会社の前の道で飛びはねてたり、
絵が無茶苦茶上手いので採用して起用したら全然下手なので問い詰めたら前でバイトしていた会社のメイングラフィッカーの
スケッチブックを盗んでそれを提出してた事が判って警察沙汰になったり、「まだ高校生ですがサクラ大戦のキャラは自分です」と
タダの嘘つきだったり、スト2が流行ると「ボクの情熱を見てください」とコピー用紙に殴り書きでスト2の画面を書いてくる子がいたり
「ボクの情熱を見てください」とダンボール1箱分の企画書を着払いで送りつけたりとか
…ごめん、ここまで書いててなんか全然ロンゲデブ関係ない気がしてきた。
でも、ウチの会社に来た際に休憩で居なかった会議室に勝手に入ってホワイトボードに「ロンゲデブ参上!!」と書いた事は
今でも夢に出るくらい忘れられない。
ロンゲデブがクソみたいな落書きを書くために消したのはさっきまで大詰めに入ったゲームシステムの草案だったからだ。
リカバリーはまあ、それから3時間くらいで何とかなったんだけど2,3要素重い出せなくて今でもそのゲームを見るたび
「ロンゲデブがいなけりゃ更に良くなったんじゃないかな」と今でも思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070821033820の増田です。
予想以上の反響に大変驚いております。
あまりまとまってませんが、フィードバックが多かった点について補足したいと思います。
経営者だからといって大株主とは限りませんね。失礼致しました。基本的に私も会社は株主のもの、と考えています。
VCなどが入っていなければ通常、ベンチャーの経営者=大株主ということでそのまま読んで下さい。そうでない場合経営者をキャピタリストにでも置き換えて(適応できる箇所は)読んで下さい。
愚痴です。しかし、それと同時に経営者が自分のためにも真剣に見直すべきところだとも思います。
だめな会社に対して愚痴るくらいならば、社員はさっさと辞めればいいだけです。実力があれば職には困らないはずです。そうでないならば、似たり寄ったりの職しか見つからないと思うので、どこにいってもどうせ愚痴ると思います。もしかしたら若干マシにな職場があるかもしれないことを祈って転職するのしてください。
しかし、経営者はそう簡単に辞められません。だからこそ社員以上に、上場を目指すことで、社員が、そして会社がボロボロにならないかを真剣に考えなくてはならないのです。私がいた会社は、社員はもちろんのこと、経営陣ですら幸せになれなかったようです。同じ過ちを犯さないで下さい。
最後に「無理して上場を目指すベンチャーってどんな感じなの?」と思われた方に、本を紹介したいと思います。私がいた会社の同僚に「うちの会社とそっくりだ。これほど反吐が出る本は珍しい」と紹介された「渋谷ではたらく社長の告白」という本です。内容はサイバーエージェント上場までの道のりと上場後の苦悩です。
普通の人が普通に読めば藤田社長がいかにがんばって上場、黒字化したか、という自伝に見えるかもしれません。しかし、迷走に巻き込まれた社員達の視点で読めば、ベンチャーがどのように迷走して、社員がどのような目にあうのかが見えてくると思います。ほとんど似たり寄ったりなイベントが私がいた会社でも起きてました。どこの会社も同じ間違いをしてしまうのでしょうかね?
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クロスオーナーシップの問題点〜図解版 - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄
クロスオーナーシップ問題〜3つの問題点 - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄
672 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 22:42:50 ID:pX7AgFxZO
準ひきこ森とかいう本読んだ。
俺の見たところ、例として挙げられてる学生の中に、
精神医学的な処置が必要かもしれない人が何人かいる。
こんな粗雑な克服方法を、専門家ヅラして語ってんじゃねえよボケ。
673 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:10:20 ID:pX7AgFxZO
ああ、確かに教授ですら話しかけられないような風貌で、キャンパス内を歩いてる奴って、学生時代の俺のことだぜ。
19とか二十歳の頃の俺のバンド仲間とかも似たようなもんだったぜ。
何とか生きていこうと必死だったんだ。
そんでどうにもなってねえじゃねえかっつわれればその通りだけどさ、
俺達に触んじゃねえよ。
つうかお前の自伝だろ、これ。
674 :名前は誰も知らない :2007/03/16(金) 23:33:52 ID:zqqPXqUB0
>>672
あれね。俺も読んだ。そして燃やした。
要するにこの手の本は内向的な人間の不安を煽り立てて搾取しようってだけなんだなと
今更ながら気がついた。本当に今更だ。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。