はてなキーワード: 美人画とは
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。
昨日のやりとりをほぼ時系列にまとめたもの
omiyu | どうでもいいけど女子力って言葉が嫌い |
女子力って、”女の魅力””女性らしさ”ってことでしょ?一人の女性として、他個体よりも優位を保てるかどうか?という非常に生々しく本能的な行動を「子」という一文字で隠せてなおかつオープンに語り合えるとでも勘違いしている気がしてあざとさを感じるのは私だけ? | |
kanose | 「女子力」という言葉に嫌悪を感じているらしい女性が、その嫌悪感の表明の中で「○○を感じるのは私だけ?」というフレーズ使っていて、そんな同調圧力の高い言葉を使って疑問を感じないのは女子力の高さの証拠ですね!と心の中で突っ込んだ |
omiyu | 同調圧力という考え方自体が粘着質でびっくりです。こう感じる仲間はいますか?という問いかけ定型文すら攻撃対象なのが寒々しい限り。RT: @PSTY: RT @clione: RT @kanose: 「○○を感じるのは私だけ?」というフレーズ使っていてそんな同調圧力の高い言葉を使って |
kanose | 個人を糾弾したい訳じゃないから、わざと特定されないような感じでぼかして書いたけど、本人に届いたなあ…。RTの恐ろしさを実感した。おそらく相手は@ついたら、言及されたユーザーがすぐ気付くってのもわかってなさそうだけど |
omiyu | @kanose twitterに投稿したものを誰かにRTされることは織り込み済みのはずです。あなた自身が起こした波風に自分でビックリして、RTした人を糾弾するのはお門違いというものです |
kanose | @omiyu 「RTの恐ろしさを実感した」という表現のどこがRTした人を糾弾したことになるのですか? 別にRTには気を付けてくれなんて一言も言ってませんよ。そのような曲解で批判されて「お門違い」と言われても理解できません |
omiyu | @kanose 随分お時間をかけて考えられたのに理解できませんか。残念です。「糾弾」という表現はあなた自身のつぶやきから引用させていただいただけです。”すぐ気付くってのもわかってなさそうだけど”と他人を見下すような文章を書くからには相手から反論される事も想像しておきましょうね。 |
kanose | @omiyu 返事が遅かったのは電話していたからなんですが…。そもそも返信時間が数十分後ぐらいだけのことを責める理由になるんですか? |
omiyu | @kanose ああ、もうすでにネットウォッチリスト入りしているので意味がないですね。反論される反応自体には慣れているけれど、まともなやりとりは不慣れなんですね。そもそも初めにあなたが表現したかった事は「お前の発言は同調圧力が強くてウザイ」ってことでしょ? |
kanose | @omiyu 「相手から反論される事も想像しておきましょうね」なんて言われてますが、ネットで反論されることは慣れてますよ。「個人を糾弾したい訳じゃない」というのは、直接名指しで言及すると、あなたに注目が集まる可能性があり、そうすると野次馬が集まってしまうから避けたんです |
omiyu | ”無神経”なコピペ”定型句”でなおかつ”疑問型ってのが嫌らし”くて胸糞悪い発言を目にしてむかついたよ!というやりとりを公開して、周囲の共感を得てスッキリしていたら、胸糞悪いことつぶやいてた張本人に気づかれて居心地が悪かった。ついったこわいと。そういう事ではないのですか? |
kanose | @omiyu 相手の疑問に答えず、次々言いたいことを書いているような方と、まともなやりとりを成立させる自信はさすがにありません。あなたの発言は、想像ばかりなんで対処に困るんですよ |
@omiyu 僕が最初の発言で言いたかったのは「お前の発言は同調圧力が強くてウザイ」じゃなくて「女子力高そうな人が女子力という言葉に嫌悪感を示しているのが面白い」です |
omiyu | @kanose 相手の”人格”を攻撃することでしか発言できないのですか?最初から「女子力高そうな人が女子力という言葉に嫌悪感を示しているのが面白い」と書けば何の問題もなかったのでは?発言内容を相手がどう捉えるかは全て相手次第です。それはあなたを不愉快にさせた私の発言も含めて。 |
kanose | @omiyu “そんな同調圧力の高い言葉を使って疑問を感じないのは”の部分を問題視されたと思うのですが、これが人格攻撃なのでしょうか? 定型句に対する無神経さを感じたのは事実ですが、その無神経さを指摘することが人格攻撃だとは考えていません |
@omiyu あなたの発言に不快さは感じてませんよ。僕の発言が、あなたの想像で補完され過ぎていて、やりとりが成立できない、対処に困ると思っているんです | |
omiyu | @kanose やりとりが成立しないことを100%相手のせいにする、その精神性自体に問題があると指摘しているだけです。 |
omiyu | @kanose 私の言う”人格攻撃”とは、”オフラインで電話をしていたkanoseの事情を察してくれずに責めるomiyuがおかしい”という考え方だとか、”言語表現が無神経で嫌らしい”というくだりです。 |
kanose | @omiyu ”オフラインで電話をしていたkanoseの事情を察してくれずに責めるomiyuがおかしい”これは「随分お時間をかけて考えられたのに」に対して、数十分返事がないことを皮肉の材料にできるのが不思議だということであって、事情を察してくれという訳ではありませんよ |
omiyu | @kanose ”責める”という表現を使ったのは貴方です。私は皮肉に受け取れる表現は使いましたが責めていません。そしてあなたが”自分の中で相当その人に対するイメージ決ま”って発言したからといって、私も同じようにイメージを決め付けて発言していると断定できるのが不思議です。 |
kanose | @omiyu 「皮肉であって責めている訳ではない」というのは理解しました。”言語表現が無神経で嫌らしい”と書かれてましたが「定型句に対する無神経さを感じたのは事実」と書きましたが、そのことが「嫌らしい」とかそれに近い表現は使ってないはずです。どこがそう捉えられる表現でしたか? |
omiyu | @kanose 私が想像でモノを申しているので会話が成立しないとの事ですが、具体的にどのあたりですか?私から『同調圧力』をかけたつもりは一切ないのにそちらが勝手に”心の中で突っ込んで””自分の中で相当その人に対するイメージ決ま”って”女子力が高い発言”をした事になっているのに? |
kanose | @omiyu 「想像で発言している」についてですが、この発言はほぼすべて想像ですよね。僕が「むかついた」とか「周囲の共感を得てスッキリしていた」とか「本人に気づかれて居心地が悪かった」とか、僕の感情を想像して語っています http://bit.ly/BtCvw |
@omiyu ご指摘のように僕の発言も「想像」で補完している部分があります。ただ、同調圧力は、発言者に同調圧力をかけたつもりがなくても、他者がそのように感じることはありますよね。「○○と思うのは私だけ?」という定型句は、そのような無自覚の同調圧力で使われる場面が多いと考えています | |
omiyu | @kanose RT @takeshix 『たしかに疑問型ってのが嫌らしさを増してます』と発言されていますよね。” ここまでハッキリやりとりしていて、相手の想像力の賜物だというのはちと乱暴すぎますね。 |
kanose | @omiyu そのやりとりは「○○と思うのは私だけ?」という表現に対して、一般論として語っているつもりだったのですが、誤解されるような表現でしたね。申し訳ありません |
omiyu | ボットよ、何故お前はあちらのいいように切り取った主張だけを取り上げるのか・・・ |
想像で物申すというのはこういうことだと思うんだけどなー。http://twitter.com/kanose/status/4006067113 |
omiyu | @kanose 定型句として一定の認知を得ている表現であると認識した上で、同調圧力が高い事、コピペ元を認識しない無神経さを指摘するのは非常に矛盾していると思います。 |
kanose | @omiyu 申し訳ありませんが、その矛盾の指摘はわかりませんでした。「定型句として一定の認知を得ている」言葉に対して、「同調圧力が高い」と指摘することに矛盾があるんですか? |
omiyu | @kanose 定型句として使われている=定型句を使用した当人が同調圧力をかけたくて恣意的に選んだ表現ではないということです。 |
kanose | @omiyu はてなキーワードで『美人画報』で「女子力」が多用されていることについては触れられてますし、発行時期は1999年と結構古いのですが、『美人画報』以前に「女子力」が広まったと思える説明があるのなら教えてください http://bit.ly/Zj9Ca |
omiyu | @kanose そもそも論として”多用していること”とそれ自身を”広がった根拠とする事”は別ですが。そしてただ単に古い言葉だよねーということを世界につぶやきたいのなら”広まった最初だと思う”は余計な一言ですね。 |
kanose | @omiyu 「同調圧力をかけたい訳ではない」に関しては、最初の発言で「定型句の中に潜む同調圧力に気付かないこと」を「女子力が高い」と書いていますよ |
omiyu | @kanose あなたがひとりで勝手に感じている同調圧力をもってして女子力とすることにも違和感を感じています。 |
kanose | @omiyu 「女子力」を最近の言葉かと思っているような人がいたので、以前からある言葉であり、その根拠として『美人画報』を挙げたんですが、「だと思う」といって断言してないのに、それを「余計な一言」だと言われても困りますよ |
@omiyu すでに「女子力高そうな人が女子力という言葉に嫌悪感を示しているのが面白い」という発言意図だったと説明して、それに納得していただけましたよね。これ以上何か要求があるんですか? |
omiyu | @kanose 要求だとか断言だとか圧力だとかいちいち強すぎる言葉を選ぶ時点で相手にけんかを売っているかもと想像してから発言をして下さると嬉しいですね。オンライン上であえて見えない場所で、仲間内で勝手な言い分であれこれ書かれるのは不愉快だと感じたので反応しただけの事です。 |
えーっ
kanose | @omiyu 僕の女子力定義に違和感を感じるのならどうぞ。おみゅさんも女子力を定義すればいいことです。実際そうしていた訳ですが、その定義に説得力があるかどうかを感じるのは第三者ですよね |
omiyu | @kanose そもそも定型文に「同調圧力」があるとするのはあなたの主張でしかないのに、それがなぜ女子力の定義の相違になるのか理解に苦しみます…。 |
omiyu | とりあえずねる。 |
寝たけど……
kanose | @omiyu あえて目に入らないようにぼかして発言をしていたら、あなたが強い言葉で言及してきたので、ああ、これはケンカふっかけてきたんだなーと思ってケンカを買った次第です |
omiyu | @kanose はいはい、なんでも人のせいですね、よくわかりましたw |
kanose | @omiyu 捨てセリフ言わないと気が済まないんですね |
omiyu | @kanose あなたにとって不都合な表現を指摘してもそれだけ避けてネチネチこちらにかみつかれても困ります。 |
誰かomiyuへ「誰もきみを責めてなんかいないんだよ?」って言ってあげればいいんじゃねーの(投げやり)
しかしomiyuの発言のブーメランっぷりが半端ない
まぁkanoseの質問を自分の都合の良いように避けつつ、話の芯をずらして反論してくるところは賞賛に値する。多分無意識だろうけど。
久々に本気出して書いた増田にたくさんのブクマを頂き、若干浮き足立っている元増田です。
まずは最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございます。また、例によって皆さんの気を引きたくて、元増田には断定、誇張、挑発を多めに入れてしまいました。それによって気分を害された方も多いと思います。申し訳ありませんでした。
ここで若干の追記というか、補足というか、コメント返しみたいなことをさせてください。
まず、僕の言う、女性基準の「かわいい」とか「女子力」は、モテではありません。元の文章が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」から始まっているのに注意してください。僕はモテと女子力を切り離したいと考える立場です。僕はただ、僕が観察したある種の乙女心について、その立場から考察および解説しているだけです。なにぶん男の目線で勝手に書き散らしているものなので、至らない部分も多いと思います。それをモテ技術に応用するかどうかは個人の自由ですが、その結果生じた損害等については僕は保障できませんのでご了承ください。
また、結局のところ女子の言う「かわいい」が分からないというご意見を頂きました。僕が思うに、これは分からなくて当然なのではないでしょうか。おそらく、女子の「かわいい」は言語的に分解可能な概念ではなく、情緒や感情の一種だと思うのです。だから、むしろ重要なのは直感でしょう。考えるのでなく、感じるのです。男子の「かっこいい」もそうじゃないですか?少なくとも僕はそうです。ジョジョは絵が個性的だけど、ブチャラティは問答無用でかっこいいじゃないですか!
ただ、いきなり感じろと言われても、それは難しいですよね。だから、応用として「かわいい」という言葉を女の子と同じ基準で使いこなすモテ技術は、それなりに難易度の高い高等テクであることを覚悟しておいてください。
ブクマコメで教えて頂いた『「女」が邪魔をする』と『「かわいい」論』はぜひ読んでみたいと思います。教えて頂きありがとうございます。
それから、僕が女性ではないかという疑惑も出ていますが、男です。都内在住の24歳の文系(笑)大学院生です。たまに「モテそう」と言われるけど、実際はモテないタイプです。よって元増田の文章は、純粋に僕の観察と考察と偏見によって書かれています。たまたまバイト先に近所の女子大の子が多く、また周りに女子大出身の友人が何人かおりまして、日頃から彼女達と接していて思っていたことをid:nakamurabashiさんのエントリーに触発される形で書き起こした次第です。
最後に取って付けたような結論部分(容姿が云々の部分)ですが、これは以前に安野モヨコさんの「美人画報」という本を流し読みしたときに、何かそんなようなことが書いてある部分があったような記憶が微かにあり、そこから取って付けました。僕もさすがに言い過ぎとは思いますが、ある側面で一理あると思います。「美人画報」は何冊か出ているのですが、どれを読んだかは覚えていません。興味のある方はぜひ探してみてください。内容は完全に女性に向けのガールズトーク的美容エッセイであり、本来男性が読むようなものではありません。しかし安野モヨコさんが漫画オタ系女子にルーツを持つ為でしょうか、語り口が面白いと思うのです。そうゆうの読むのに抵抗があるという人は、モヨコさんが旦那さんの庵野秀明さんとの生活を描いた「監督不行届」を先に読んだ方がいいかもしれません。おすすめです。
だいぶ前にあるテレビ番組で取り上げられていた女性画家について思ったことを書いてみる。
以前民放でも取材されており、それを見たときは、「暗い絵だな。」「タイトルが思わせぶりだな。」という程度であった。たださらに前に、週刊誌で注目の美女とかいうテーマの各界で活躍している若い女性を取り上げている中に、女優然とした雰囲気でたたずむ女性がひときわ印象的で名前は知っていた。
一般に容姿が重要視される職業以外に就く女性が、通常レベルと思われているものよりやや上だと途端に「美人何々」と評されることがよくある。これは、褒め言葉というより、女性を貶めているように感じるのだが、それはひとまずおいておく。
この「美人画家」は、そこそこ売れているらしい。女性画家といえば、片岡珠子、小倉遊亀、マリー・ローランサンなどが浮かぶし、彫刻家ではカミーユ・クロディーユが浮かぶのだから、まあ絶対的な数は少ないが存在しないわけではない。特に絵画、彫刻について学んだことがあるわけでもないごくごく素人なので、今回取り上げられていた画家の作品についての良し悪しについて語る資格はない。
驚いたのは、彼女の衣装である。
どれもファッション誌から抜け出たようなのである。上背もある方らしく、着こなせるということもあるのだろうが、どれもが一枚の写真に収められることを考えていることが見て取れる。ああ、洋服とは身体で着るものなのだと思わせるにはあまりある。
番組全般で見られることを完全に前提とした洋服選びと言っても過言ではないだろう。生活感を感じさせない。当然、テレビカメラが入っているのだから、万人に見られるという意識はあるだろうから、当然と言えば当然だ。
最初にのトリエでの姿は、ヴォリュームのある濃いグレーのローゲージニットに黒のハイソックスに黒のミニスカート。髪はポニーテール?というのだろうか、トップでまとめている。
自分について語るときは、長い髪をおろし、巻いているのだろうか、タレントとして活動している某姉妹の姉のように、ゴージャスでアイメイクが強い。
教授の研究室を訪れる際は、髪はまとめているが、くっきりと濃いメイクに、黒いミニスカート。
この時、気になったのは、入室にあたり、随分とへりくだるのだなということ。何度も小さくお辞儀をするのはエレガントには見えない。緊張していたのだろうか。
またアトリエでは、チャコールグレーとベージュの中間のようなミニスカートに太めの網タイツ、シルバーのパーカ。
彼女が学生時代から感銘を受けているという絵を観にいくときは、訪問着。とても素敵でよく似合っているのだが、勿論、年齢もあるのだろうが迫力がある。お嬢さんという雰囲気でも若奥様という雰囲気でもなく、銀座のクラブ(行ったことないけど)のママのような貫禄がある。
またアトリエでは、ロイヤルブルーを薄くした色の膝上ワンピースに黒いタイツ。
髪は緩く巻いている。しかし、なんというか体格がでかい。決して太ってはいないが、肉感的にみえるのはテレビだからだろうか。
またアトリエに教授が来訪した際に身につけているのはドレス・・・・・?ワンピース・・・?ラベンダー色のノースリーブ。昼だか夜だかはわからないが、何故またネグリジェみたいな服なんだろうと思った。大変失礼ながら、それでは高級娼婦に見えてしまわないだろうか。しかも何故アトリエで・・・。緩く巻いた髪に、濃いメイク。お顔立ちがくっきりした方。
最後は、某大学院教授との対談。白いワンピースに黒いベルト。髪はストレート、昼間の外だからかメイクは若干薄め。この教授の話し方は、さすが対話慣れしており聞きやすいスピードと明確な言葉を用いており、なるほど頭の良い方なのだろうと伝わってきた。著作を何冊か読んだことがあるが、いつも『強者の理論』の方。教授は、昼間の外には、残念ながら不釣り合いな光沢のあるジャケット。夜に演奏会にでも出かけるのだろうか。もう少し軽めのニットなどにしておけば洗練さをアピールできたのに。
画家にはちょっとがっかりした。自分の言葉で語るには充分な年齢のはずなのに上っ面をなぞっているかのようで、響いてこない。使う言葉が、下品にもとられるものだから、どうなんだろう。
画家なのだから、センスが悪かったりすればファンをがっかりさせるのだろうし、存在をアートにしたいのだろうか、番組全体を通して、いつでも寸分の隙も見せてはいけないかのような印象を受けた。
一枚の絵があって、それが世に出るには様々な方法があるのだろう。
絵はそれを鑑賞する者に言葉以上の力で迫ってくることが出来る。
しかしそれを生み出す側にどのような苦悩があるのかは鑑賞者には関係のないことだ。
なので、生み出す側が自らの作品について語る姿を見ると、私は少々げんなりしてしまう。
言葉を介在しない表現方法を以て世に出ているのだから、必要ないのではないだろうかと思うのだ。
けれど、ファンならば私生活が垣間見られるような語り口に興味を持つだろうし、より人気がある人ならば番組も作られるだろう。大衆の欲望には限りがない。
おそろしいのは、話し方や身のこなし、仕草すべてがカメラを通して、見られてしまうことだ。
人間とは、こうも無防備に己をさらしてしまうのだ。
低い声と落ち着きがなさそうな口調。カメラを前にして平静を保つことは難しいだろうが、何か少し腺病質なのかなと思わせる。また暴力的な体験もあるらしく、平坦な生活ではなかったのかもしれない。
この番組を観て、彼女の個展に行ってみようとは皮肉なことに思わなくなった。書店の画集で良いかなと。
それより彼女が影響を受けたと公言していた作品群を今後は観ていきたい。
ひとりの人間が世に出るにはさまざまな方法があるのだろう。凡人ですら日々のあれこれに思い悩みまどうのだから才あって生きる人の苦悩たるやいかに。