討論に次ぐ討論。相手を言い負かせた方が勝ち、という風土が蔓延ってる。
そこに大人の自分が薄っぺらい論文抱えて理論武装して佇み、矢面に立つ。
12冊所じゃない、自らの専攻に関して狭い所見を持った輩がどう理論を崩そうかと機会を伺っている。クソダルい時間が毎週毎週やってくる
鑑賞出来なくても物として存在しているなら表現の自由を担保しているとした場合、政府が検閲による出版を禁止・出版物を回収しても物としては存在するから表現の自由を担保していることになってしまうが明らかにこれはおかしい。鑑賞されることも含めての表現の自由。
表現の自由が性的強調を子どもの目に入れる権利とかいう邪悪になってまうやん?
子どもの目に入れる権利なら自明な邪悪だから勝ち、もしそうじゃないならポスターの上に財産権を侵さないように浮かしてシール。批判封じてフェミの勝ち。チェックメイトじゃん。
例えば。
財産権を侵さないのに、もはや誰もポスターを目にすることは出来ない。
なんで絵師だけがこういうお気持ちをダラダラ垂れ流すんだろうな
折れる手描き絵師が出た分、一人で手描き何十人分も生産できるAI絵師が生まれてるのだから全体ではずっとプラスでしょ