勿論、人を轢くような人間が100%悪い。その結果命を奪ってしまったのならキチンと法で裁かれるべきだし、然るべき罰を受けるべきだとも思う。
ただ最近のSNS、「高齢者から免許を取り上げろ」に集中しすぎてないか?
「○○歳になったら免許剥奪すべき」だの「車を使わずに生きていけるような考えを持っていなかったのか」だの。
一番考えなきゃいけないのは「なぜこの年齢になってまで車を使う or 車に頼らざるを得なかったのか」だろ?
確かに免許剥奪だのなんだのすればこういった事件は減るだろうな。
でも若いやつでも人は轢く、バリバリ働く年齢の人間でも疲労で人は轢く。
企業が自社で障害者枠を雇用せず特定子会社に肩代わりさせて罰金を回避してる構造になってる。
給料は最低賃金が保障されるし、まあまあ整備された環境だから、「普通の企業だと務まらないタイプの障害者」はだいぶ助かってるんじゃないか。
オオアリクイみたいに美しくなりたい。
鏡の前に立って、そんな美しさを追い求めるのが私の日課だ。でも、実際のところ、それは簡単なことじゃない。オオアリクイの美しさって、外見だけじゃなくて、その動きや佇まい、そして存在感にあると思うんだ。
自然で悠然とした佇まい、他を気にしていないように見えて警戒を怠らない繊細さ、そして外見的な存在感。
ところで、私は表参道を歩く間にカフェラテを飲まないと死ぬタイプの女ではありません。
実際、コーヒーのカフェインに依存してるわけでもないし、流行りのカフェに通うことに価値を見出しているわけでもない。でも、オオアリクイみたいな美しさを手に入れるためには、何かしらの「自分らしさ」が必要なんだと感じた。
自分らしさって、どうすれば見つかるんだろう。雑誌やSNSで見かける「完璧な美しさ」は、ほとんどが加工されたもので、実際には存在しない幻影だ。それに比べて、オオアリクイの美しさは、自然でありのまま。その自然体が、本当に魅力的なんだと思う。
歩きながら、ふと考えた。もしかしたら、自分らしさって、無理に何かを足そうとすることじゃなくて、ありのままの自分を受け入れることなのかもしれない。オオアリクイだって、自分の美しさを誇示するわけじゃなくて、ただそこにいるだけで美しい。それって、とても素敵なことじゃない?
家に帰って、鏡の前で再び自分を見つめる。完璧じゃなくてもいいんだ。むしろ、不完全だからこそ、そこに美しさがある。オオアリクイみたいに、自然体で、自分らしくあること。それが本当の美しさなのかもしれない。
あれ?意外と七五三の人気が低いw