魅力が落ちる、と考えているのはおまえだけで、多くの読者にはそれが魅力だから。
スクリーントーンを削ったことも、原稿用紙ごとカットしたことも、デザインナイフを机の上から落として足の甲に直角に突き立てたこともあるぞ。今は塗りつぶしツールで一発だ。
「あ、あれは水魚のポーズ!!」
私は妻と二人暮らしだが、風呂場の石鹸とシャンプーの詰め替えは毎回私がしてる。妻は多分一度もやったことがない。
どんなに石鹸が小さくなってもシャンプーが少なくなっても、妻は自分では交換しない。疲れてるときに風呂場の石鹸が使えないレベルで小さくなってると、たまに心折れそうになる。
別に仲が悪いわけでもないし、妻のことは愛してる。でも、心に余裕がないときは、こういう些細なことでがっくりしてしまう。
とはいえ、妻から見たら私にも残念な所はあると思うので、お互い様。詰め替えのことは妻に指摘はしない。これからも私は黙々と石鹸とシャンプーの交換をし続ける。
・「…少しはやるようですね」
・「ガキ一人に何てこずってるんだ」
・「探し物はこれですか?」
・「おかしい…静かすぎる」
・「この高さだ…無事では済まないだろう」
・「な〜んだ、もっと楽しめると思ったのに」
・「ダメか…」「いや、そうでもないようですよ、ほらあそこ」
・「そいつはどうかな?」
・「…いるんだろ?出てこいよ」
・「ウォーミングアップはこれくらいにしましょうか」
・「変身するのは何百年ぶりですかね」
他にある?
私の祖父は昨年の夏に90歳で亡くなった。田舎の農家の長男に産まれ、兄弟は皆就職や結婚を機に家を出るも、長男なので家に残り、生まれた家から一度も引っ越すことはなかった。遂には生家で急に倒れてそのまま亡くなった。
祖父は典型的な田舎の爺さんだった。一家の長である自分が一番風呂でないと気が済まないし、台所には絶対立たない。祖母が家事を全てしていた。祖母が入院したときは、娘(私の母)が料理を作り置きしたり、レトルト食品なんかを用意したりしていた。
そんな祖父だが、娘三人は大学や短大まで出していた。田舎なので地元に大学はなく、娘三人にはそれぞれ一人暮らしをさせた。頭の古い祖父のことなので、「女に学問はいらん」などと言いそうなものだが、そんなことはなかった。
おそらく、祖父は子どもの頃に進学したくても進学できなかった悔しさがあったのだと思う。祖父は高卒で就農し、しばらくしてから地元の町役場に勤めたが、通信制の慶応義塾のフリースクール(?)のようなものに通っていたらしい。大卒資格はもらえないが、科目履修のようなものだろうか。
祖父からは慶応のフリースクールに通っていたことを何度も聞かせられた。民法が難しかったと言っていた気がする。特に私が法学部に進学してからは、その話をよくしていた。同じ法学徒同士で嬉しかったのだろうか。
私は特に祖父には可愛がってもらった。私は初めての孫で、しかも男。祖父の感覚からしたら嫡孫だろうか。前述の通り、祖父には娘しかいなかったので、長女の夫(私の父)を養子に迎えて家を継がせている。家にこだわる祖父は念願の男児の誕生にとても喜んでいたらしい。
私は結婚しているが、現在子どもはいない。妻が子を望んでいないし、私もそこまで子どもに興味が無いからだ。妻が望むなら子作りをしてもいいが、望まないのなら無理にする必要は無いかなくらいに考えている。祖父は毎回会うたびに、子どもを作るなら早い方がいいぞ、と言っていた。私はそのつど適当な返事をしていた。祖父は生きているうちにひ孫が見たかったのだろう。
祖父が亡くなった日、子どもを作らなかったことを初めて猛烈に後悔した。生きてるうちにひ孫の顔を見せてやればよかったと、何度も悔いた。
しかし、祖父の四十九日が終わる頃にはその後悔はどこへやら。無理して子どもを作る必要はないか、と元の考えに戻ってしまった。
おそらく私の代でわが家は途絶えるだろう。祖父があれほど大切にしていた家を途絶えさせてしまうのは忍びないが、子どもを作る気が湧かないのだ。
子無しの我々夫婦がどういう老後を迎えるのか、私にはまだ想像がつかない。妻に先立たれたら、私は天涯孤独になるのだろうか。その孤独に私は耐えられるのだろうか。
だが、子どもがいても面倒を見てくれるとも限らない。ましてや、障害を持った子が産まれた場合や子どもが社会に適応出来なかった場合は、私が一生子どもの面倒を見なければいけない。
おそらく、子を持つべきかどうかに正解はないのだろう。だからどういう選択をしても良い。まぁ、だからこそ、一生悩む羽目になるのだが。
高橋ジョージのことどう思う?