はてなキーワード: ハックルとは
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120207/1328600080
ハックルファンとして、最近の彼の記事の腑抜けぶりには強い憤りを感じていたが、これはもう限界だ。
おおハックルよ、最近の浮気性ぶり、他人の言葉を借りるだけで自分の言葉で語る不甲斐なさ、すべてがなさけない。
この頃から比べての劣化ぶりはどうしたことだ。全盛期を思いだせよ。
もっとご自慢の感性で、文章力で、はてなの駄目なところを抉れよ。それができないなら少なくともはてなはやめてしまえ!
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080611/1213162474
岩崎夏海という人の書いた文章と、はてな民によるツッコミが共振して、
ハックルさんに対する2ちゃん民の記事を取り上げる記事などを取り上げる事案が数件あったが、
彼のベストセラー作もしドラについては、ほとんど興味を持っていないことからもわかる。
よく知らない外部の人間からみたらただのキチガイにしかみえないが、
実際は高度なお約束から、作者と読者の強い相互理解成り立っている、ハイコンテクストな娯楽なのである。
時代こそ浅いが、歌舞伎のような伝統芸能の一種と考えるのがふさわしい。
現代風に言うならば、完成度こそ低いが、いや、完成度が低いからこそみんなに好かれる、
アイドルは、読者との間の関係の強さが全てだ。
ファンが求める虚像をどれだけ上手に演じられるのか、それが全てである。
その点、この岩崎夏海という人物は類まれなる才能を持っている。
彼は、精神科医の診断によると承認欲求の赤星巨星といっても良いほど承認欲求に飢えており、
周りなど気にせずマイペースに記事を書いているように見えて、
実際のところは強烈に読者を意識して意識して意識しまくっている。
ハゲって言われただけですぐに傷ついたフリをしてみせるなど、読者に媚を見せることに一切のためらいがない。
自己を見失ったり、自己イメージが磨耗して続けられなくなるのが、彼はそうならない。
いかなるメカニズムかはわからないが、彼の自己イメージは尽きせぬ承認欲求の供給によって常に明確に保たれており、
日本一のベストセラーを達成しても、常にむっつり不機嫌顔を絶やさず、負のレジリエンシーを維持し続けていた。
彼は、まさにアイドルとなるべくして生を受けたような、選ばれし存在だった。
ところが、最近の彼はちょっとおかしい。具体的に言うと、結婚の発表があったころからだ。
彼のアイドルらしさが薄れてきている。彼自身のスタンスが薄れてきている。
最近の彼の目は応援している観客の方をみておらずなにやら見当違いの方向を見つめているような印象だ。
ありえないことに、「彼が自分の頭で考えたことについて話をしようとしている」ようにすら感じられる。
彼が人気であるのは、彼個人の思考や目の付け所などは一切関係がない。まして文章力はゴミクズのようなものだ。
それでも人気があるのは、なぜか? 誰が彼を愛しているのか。
記事を更新したら30分以内にはてブを貢ぎに来る愚民どもではないだろうか。
その原点を振り捨てて、新しく進もうというなら、周りくどいことは抜きにして、堂々と宣言するべきではないか。
礼儀さえ尽くされていれば、我々は彼の変化を心から歓迎するだろう。
しかし今のようなつまらない記事でお茶を濁されるのは、絶対に許せない。
ピントのぼけたつまらん記事を書くくらいだったら、家族サービスに徹してください。
今のままだと50ブクマ越えられないと思うんで、しっかりしてください。
50ブクマ越えられないへっぽこ記事を書いてるハックルなど存在する意味がハゲくらいしか見いだせない。
私もけじめとして、これからはハックルというネット上の人物の応援をやめて岩崎夏海というリアルを応援することにします。
ハックルというキャラのポテンシャルの10分の1も吐き出されていない不完全燃焼もいいところの駄作でした。
テレビでの発言などを見ても、岩崎夏海という真面目だがサービス精神のかけらもない面白みのかけた朴念仁と、
ああ、この人はハックルをやめて岩崎夏海になってしまうのかな、と危惧していた時期もありました。
実際、もしドラが伸び続けている間、ハックルとしての活動が途絶え、私も絶望の日々を過ごしました。
しかしハックルさんは戻ってきて、再びサービス精神にあふれた記事をを提供してくれました。
ハックルは消えない、岩崎夏海がどれほどビッグになろうが、ハックルはいつでもここにあるのだ、と信じさせてくれました。
もしドラ以降の著書もすべて読ませて頂きました。
これらはハックル成分が完全ではないもののかなり濃く含まれており、俺得な出来でした。
そして、これらの本は、出すたびに売上がDeNAの株価も真っ青なほどに下がっていきました。
「もしドラの岩崎夏海」ブランドを守ろうという意識など全くなく
出版社を泣かせながらもハックル節を貫くあなたをみて、強く勇気づけられることになりました。
私にとってハックルとは、COOL!COOL!COOL!としか言いようがない、並のフィクションを超えた極上のエンターテインメントでした。
むしろきっぱりとハックルというキャラを切り捨てて岩崎夏海として生きてもらいたい。
普段は一個の個人として自分の思いを語ってますよというスタンスを取っておきながら
少しはてブDisられるとすぐに家族やら社会的地位を持ちだして説教したがるどこかの医者のような人にはなってもらいたくないです。
そういうことをサれると心の底から興ざめです。
もうネットでのサービスはいいです。現実に集中させて、たとえばあなたの奥さんをお笑い界のもしドラとなるように育ててあげてください。
でも、結婚したからには責任をもってそのハックルを飼い慣らし、
ネットのクズどもではなく、身の回りの人に幸せと勇気を与えるような存在になってください。
万が一にも、ハックル的な要因がもとで結婚や生活がダメに成ったりした場合には、心のそこから岩崎夏海という人物を軽蔑します。
もちろんそれでもハックルのことは愛するでしょうが、岩崎夏海という人間についての評価はゴミクズ以下とみなします。
ハックルに変わってみんなにガツンといってあげたり余計なお世話をしたり承認欲求の権化になることは出来ます。
そのうち第二、第三のハックルも生まれてくるでしょう
そう、つまり「ハックルベリー」=「運命の女性」と考えると、氏は無事にハックルベリーに出会えたわけである。
確かに、「おぃおぃ、金さえあれば年の差とか」みたいな声はあるかもしれない。
だが、氏ははてなというウンコ共が集まる魑魅魍魎のキナ臭い界隈で釣り技術を学び、
ドラッガーだかのビジネス書でリアルな奴らを釣り上げ、ネット界およびリアル界においても名を馳せたのだ。
女の一人や二人や三人や四人ぐらい、お手の物である。むしろ、結婚したことに驚いた。
俺なら、ぶいぶい言わせまくって、女をとっかえひっかえして遊びまって捨てまくるというのに。
ハックルベリーに会いに行って、ハックルベリーに無事出会い、そして次は何が始まるのか。
いきなりデレたような記事が連発されたら、それはそれでウケる。
連日ごくごく限られた範囲でもめている「ゲーセン少女」問題です。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4077578.html
私はこの「ゲーセン少女」をみて、はじめて「まおゆう」にたいして憤っていた人が何に腹を立てていたのかと実感した。
フィクションだからではない、実話をフィクションだといったからじゃない、そこに「タチの悪いウソ」を感じた人がいたという話なのだ。
ただ、私は彼らの指摘を呼んだ上で、まおゆうは素晴らしいと思ってる。
彼らの指摘は間違いではないが、些細なこと、後で考えればいいや、という程度に受け止めた。その問題は私にとっては作品の是非を損なうほど重要度が高くなかった。
私にとって重要な部分については許容範囲内、しきい値内に入ってたということだ。
ところが、「ゲーセン少女」に対しては、私はただのウソじゃなくて、「タチの悪い嘘」を感じたわけだ。
ところが、まおゆうにおいては私がそうだったように、「感動したんだからいいじゃん」とその部分を許容出来る人もいるのだ。
このあたり、人によって、作品によって立場が変わる、完全に相対的な話なのだ。だから、肯定する側も否定する側もお互い好きにすればいい。
その前提に経つと、こういう記事は非常に遺憾である。ああもちろん島国大和の記事はこれに輪をかけて不快だけど、不快すぎるので引用しない。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120122#p1
こういうのをハックル的行為と呼ぼう。読みの独占を主張したり、優劣をつけようとする行為のことだ。自分のブログで自著のアフィリエイトまですると芸として昇華されます。
自己の読みを、主張を正当化しようとするあまり、絶対化しようとするあまり、他者に攻撃的になる、他者をバカにしたり憐れむようになる。
僕は最近、「よくできたフィクションを消化し、必要な栄養分だけを自分に取り込む力」が、どんどん失われてきているのではないか、と感じているのです。
fujiponさんは、ハックルさん公認のハックルさん嫌いである。
そのfujiponさんが、よりにもよって自分が散々批判していたハックル的行為をするというところに、読みというものの相対性が伺える。
他人が自分の気に入らないよみをしている。しょうがないじゃないか。相対的なものなんだから。
自分の読みのほうが良いと思うなら、自分の読みを相手に提示してどや、でいいんです。
空中戦はやめよう。直接のよみじゃなくて、こういう「・・・はいかがなものか」ってメタな領域で戦うのはNOTHANKYOU。
そういうのは文学部の人間が文学部の中だけでやってればいいんです。それを極めると内田樹のような人間になるということを覚悟した上でね。
あかん、この話については語ると必ず争いに入り込む仕組みになってる。ブラックホールだ。話切り上げよう
よーするに何がいいたかというと、自分はこういうふうに読みました、だけ書いてりゃいいんです。
結局そのナマの部分の蓄積がモノを言う。最初からメタメタするのはつまらんからやめてくれ、と。
読みに対する批判合戦はやめて、作品と向きあえ、と。
最後にこれ聞いて終わり。「ゲーセン少女」は、その周りの感想記事に向きあうより魅力的な作品だったか?
作品周りの方が面白いのだと思ったら、まぁそういうことだ。
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20120121/p1
むちゃくちゃ同意。
人の笑いや泣きがどれだけ簡単に操作できるかについては
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8905211 でも見れば一発で分る。
世の中って、感動屋の方が人を動かすことが多いのだよね。
というか、本当に
・「嘘だとかって言う前に感情が動くほうが人生充実してない?」
・より多く感動した方が素晴らしい人生を送っているというのが正しいとすれば、我々の大半の人生はオウム真理教の信者よりもつまらないことになってしまう
こういう人多い。
で、こういう人が多く集まって、それが正しいのだって空気が形成された空間、プチ社会は本当に息苦しい。
私にはこれが形を変えた体育会系とか吉本喜劇のクソヒエラルキーのように、脳が酸素欠乏になればなるほど偉いみたいなドMの集団にしか見えない。
はてなは、そういうのが苦手な人が多いと思う。他人に笑顔を強いられるくらいなら自虐することを選ぶくらいそういうのが嫌いな人が多いと思う。
上の記事のような、ユーモアやアイロニーでこういう空気に冷水を浴びせる記事が人気になりやすい。
多くの人が批判記事を書いて抵抗の意思を示す。
ハイテンションな人がちょっと本気をだせば、あっという間に2500ブクマ越えを達成してしまう。
ゲーセン少女など可愛く思える、病弱な少女を酷使して死に至らしめておいて、泣けばすべて許されるという初期ケータイ小説的な道徳を描いた虐待推奨小説が300万部のベストセラーになることを止めることはできない。
ハイテンションな人の熱狂には結局勝てないのだ。
その理不尽な現実はますますはてな民を苛立たせるが、早いところ受け入れざるを得ないのも事実だろう。
頭が冷えているときは、「人と人って簡単に分かり合えないよね、というか絶対に分かり合えないよね、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだよね」ということと向き合わざるをえない。
そういうのは人気がでない。人気が出ないと言うか、あまりオススメしない。
特に今みたいに、支えとなるものが金くらいしかなかったのに金すらもない状態で、そういう訓練したことがないのにいきなり一人で向きあうのはむしろ危険だとすら思う。
ある程度みんなそれがわかってるから、すごくつまらないことでも共有して盛り上がってハイテンションにはしゃぐ。
とにかく泣く、怒る、やばいやばいと黄色い声で絶叫する。そうやってうすっぺらい経験を少しでも濃いものとして錯覚しようとする。
自殺しないで生きていくためにはこういう必死の努力が必要なんだろう。
そういうことを考えると彼らは彼らなりに生きるのに精一杯なのであって、愚か者といって批判するのもなんか違う気がする。
命がけではしゃぎまわり、群れようとする彼らには勝てない。
でも負けを認める必要もない。負けを認めて、彼らのルールに適応しようとして頑張ってモテ系の記事を読んでも、どうせ一度冷めた熱は上がらない。
日本人のうち9割はドMなんだ、でも僕はMじゃないんだ、体育会系ではないんだ、とはっきりとカミングアウトする勇気が必要。
意識して別路線を選ばないと、その自覚を持ってないと、生きるのが苦しくなる。
そんなことより今週のハンターハンターがめちゃくちゃおもしろくて生きるのが辛い
うわーそうきたかー。 蟻編とはなんだったのか、どころか、24巻あたりの伏線がこんなところで生きてくるとは。富樫神すぎるだろ。
追記
だから、私はその上下とか高低ってのがいやだから、横に広げようとしてるわけよ。ヨコのものをむりやり縦に考えないといけない病気でないならそこは理解してください。
H×H単行本はシリーズ累計5500万部でていてケータイ小説のトリプルミリオンなんか鼻で笑えるくらいハイテンションな人御用達コンテンツと思うけど。あたなが横と思ってるものこそ縦かもしれんぜ
系のツッコミありがとう。それについては一つ目のトラバの返信に書いてあるから読んでね♪
ハンターハンターを好きなオレは縦社会から抜けだしたヨコの人間だと主張するつもりもないし、どんなマイナーな作品が好きだろうが、それはただのマイナー好きです。
あと、文中でも述べているように、ハイテンションな人たちを批判するつもりは全くないんですよ。それどころか彼らの気持はよくわかるつもり。
私が言いたいのは、「ただそこしか居場所がない」という考えから抜け出したい、ということなんですね。
必要ならみんなで盛り上がっていい。 何かをきっかけにして、人とつながりあう感覚は時々必要になります。キャッキャウフフな人たちを批判するつもりなど毛頭ない。
分かりやすいように話をぐっと傾けると、「・・・してたら楽しかった!」が逆転して盛り上がることやつるむこと自体が目的化され、常態化されるような状態は嫌だってことです。
これずっとやってると感情が薄まるんですよね。良い方向でも悪い方向でも自分の頭が麻痺してくる。
形的的を追い求め過ぎて、外からみるとリア充だけど中身は・・・って経験は誰にでもあるでしょう?
・・・と、ココらへんまで話を傾ければ誰にでもわかってもらえるとは思うんだけれど、私がいいたいのはそこまで傾けない状態のことです。
ここまで極端な話をシなくても、もうちょっと手前の微妙なところで、しんどいって言うくらいはいいじゃない、と思うんですがどうでしょう。
単純に言えば、あんまり周りに振り回されずに、好きでないものや、必要でないもの、必要でないタイミングにはNoという。
その代わりに好きなものやここだというタイミングではワッと楽しみたいです。感情を濃くしたい。そんだけ。
追記2
反応が帰ってくるのは予定していたとおりだけれど、内容は予想以上。我ながらナイスアシストができたと胸を貼りたい気分。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20120124/1327388248
彼がまともな記事を書くと、普段の彼とバッティングするというのが非常に味わい深い。
私はこれからも岩崎さんの綺麗な面を際立たせるような、彼がまともな記事をかけるような問題提起をしてきたいと思います。
今回は、直接作品について、しかも悪口の形で触れてしまったのである意味反則です。
そうではなく、岩崎さんの正義の心を激しく揺さぶるようなテーマを提供していきたい。
最近岩崎さんはスランプらしく、自分で考えて記事を書くことができないみたいなので、みんなもアシストして行きましょう。
あと非常に悲しい誤解があります。
またぼくの悪口がはてなに書かれていた。
私は岩崎さん個人は大好きですよ。
http://d.hatena.ne.jp/nunnnunn/20120104/1325645534
この画像の真ん中に同サイズに加工したもしドラの表紙入れてみたら、目立つ。
ラノベの中でも目立つんだから、ましてビジネス書コーナーにおいてたらなんじゃこりゃって思うわね。
なんでかわからないので、この一覧の表紙書いてる人が、それぞれ同じ構図で絵を書いて欲しいんだがどうだろう。
一応今思ってるのが、もしドラの表紙だけ昭和50年代風のセンスの香りがするってことかな。
絵師さんは多分そんなに年とってないと思うんだけれど、あの絵ってやっぱりハックルさんが指定したのかなぁ。
あとどうでもいいけど、もし小泉進次郎がフリードマンのなんとかってマンガ。
あれ、なんか手が変じゃね? 指がでかすぎるような。 本が小さく見えるというか。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111228/1325062897
「はてなでのケンカは相手を不愉快にさせたほうが勝ち」というルールをこれ程わかりやすく実践している人もいないだろう。
「各個撃破」の面白さここに極まれり。本題は無視して、相手の隅っこだけをつつく。これははてなにおける定石である。
まともに議論をしようとしている人は「それになんの意味があるの?」と思うだろうが、もちろんなんの意味もない。
はてなでは「勝ちの基準」がこうなっていて、みんなそのルールの中で「勝ちたい」からそうする。それだけだ。
多分外部者の大西さんはいまごろ「???」となっているだろう。 日本国内での異文化コミュニケーションへようこそ。
多分だけれど、ハックルさんは次あたり「相手を怒らせて本音を語らせる技術」というのを書くと思う。彼の言い分としてはこんな感じかな?
「世の中のよくわかっていないことについては、
わかってそうな人に怒らせて議論を巻き起こすこどで、社会の議論を活性化させるんです。
僕は、みんなが思ったことも言えないままあやふやに物事が決まっていく今の世の中は許せないんです。
でも、みんなが本音を言うのは、相手が悪者で、愚か者で、何言っても許される、という時だけなんですね。
自分より賢そうな、自分より人格者の相手には、遠慮して大したことを言えなくなってしまうんです。
でも、僕が人を挑発すると、みんなは実にいきいきと、知識に裏付けられ、ユーモアにあふれた言葉でいろんなことを語りだすんです。
僕がそれを引き出しているんです。この僕が、上手に引き出しているから彼らは自分の心の奥で眠らせている言葉を外に出すことができるようになるんですね。
本当は怒らせなくてもみんなが本音で語り合え、それぞれの知識を持ち寄って有意義な議論をできるような場が必要なんですが、
今は誰かが叩かれ役になってでも、議論の口火を切って、話を盛り上げて行かないといけないんです。
どこぞの○間女史にはできないことが僕にはできるんです。」
という泣いた赤鬼的展開あるいは白熱教室的な教育を礼賛する話をその打ち始めると思う。
この国の人間は「自由」について具体的に教わる機会がないように感じる。
というより、殆どの日本人が「自由」だと思ってることは「勝手」なんじゃないかって思う。
「自由」とは、ある程度の規範や規律、制度の中でのみ行われる行為である。
「勝手」とは、それを無視して行われる行為である・・・とする。「好き勝手」という言葉にも見て取れるだろう。
しかし、これを勘違いしている人はあまりにも多いように感じる。例えばハックルの人は
上記でも述べましたが、購入した本の使い道は購入者の自由ではありません。まず、読み方からして「自由」ではありません。例えば「あ」という文字があったとしたら、これを「い」や「う」と読んではいけないのです。
とブログに綴っている。
しかし、これは日本語の読み方のルールに反しているので、普通これを「自由」とは言わない。
彼は更に
さまざまな価値観を持った人間を許容すると、社会は必ずおかしな方向へ行く。だから、逆の方が良い。そもそも、放っておいても人は、さまざまな価値観を持とうとする。だから、むしろそれを認めないという考え方の方が、バランスが取れるのだ。
社会というものは、異なった考え方を容認してしまうと成り立たない。例えば、無差別殺人を嗜好する人間が現れたとしたら、それを止める手段がなくなるからだ。
と語っている。
彼は「無差別殺人を嗜好する=行う」自由があると思っているのだろうか・・・と感じる。
そう思っているのなら、それは大きな誤解だ。
殺人は他人の生きる自由を奪う。そもそも、殺人は法律というルールで厳しく規制されている。殺人を行う自由は、少なくともほとんどの国において存在しない。
それを認めないことが「自由を奪う」ことだと本気で思っているのなら、それは「自由」に関する大きな勘違いである。
そして、社会のルールに反していなければ、どんな価値観だろうが「自由」なのだ。少なくとも、日本ではそれが認められている。
彼は、それを押さえつけようとしているように見える。それは、非常に危険な行為であると思う。
少なくとも彼は、社会に存在する規範・規律・制度を「自由にさせないため」に存在していると思い込んでいるし、多分そのような人は多い。
だが、社会に存在する規範・規律・制度は「勝手にさせないため」に存在し、「それを守ればあとは自由にしていい」ということなのである。
自由と勝手を取り違えてはならないし、それで他人の自由を奪うことは到底おかしな話である・・・ということを覚えていてもらえれば幸いである。
http://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/51228444.html
特にある程度ベテランの作家や出版社の多くが保守的なのは、アメリカでも日本でも変わらないと思う。
古い人の考えをいくらgdgdと批判しても、そこはどこの国でもたいして変わらんのだと思うよ?
問題はどちらかというと、新しい人の側にあるのだと思う。新しい人が、つまんねー。
日本だと、「作家や出版者を叩く人」には人気が集まっても、じゃあということで自炊代行を始めたり、独自のサービスを始めた人を応援したりはしない。
この田端さんという人も、これだけ作家の批判はするのだから自炊代行について何らかの援助になるかというと
そういう「責任」が生じそうなことは念入りに避けているのがわかる。
本当にただ皮肉を言ってるだけだ。
なにか提言をしているようにも見えるが、それも「自分以外の誰かが、そいつらの責任でやれよ」と言ってるだけ。
このあたり、どんな的はずれなことでもきちんと自分の言葉として発言し、
他人の批判も自画自賛や自分の行動のエネルギーに変えてしまうというハックルさんに慣れているはてなーとしては「つまらねー」としか言いようがない。
誰もが、「電子書籍の流れは止められない」「それに逆らうのは悪だ」というなんとなくの流れは読んで、遅れてるやつをバカにはするものの
じゃあその流れをつかんで自分は何をするか、っていったら何もしない。
むしろ、新しいことが始まらないのは古いやつがわるい、と古いやつの方ばっかり見てる。
古いやつを叩いたら、新しい何かを始めるための埋蔵金が手に入って何もかもうまく行くってな考え方が許されるのは、民主党支持者か記者クラブアンチか銀英伝世代までだよねー。
これからは奪い合いじゃない、シェアの時代だ、とかソーシャルの時代だ、とか言ってる人がなんとも身近な話題では
古いやつとか弱者からむしりとることばっかり考えてて、新しい何かを産み出そうみたいな感じに見えないのがすごく気持ち悪い。
特に記者クラブアンチの人は、まず最低限の職業倫理を規定して、そのマナーを守るまでは、絶対信用してはいけないゲス野郎だと思うわけですよね。
結論。
煽るのが得意な人は多い。特に仮想敵を立てて、スマートな論理で自分を正義に見せるような政治が好きな人は。それに無邪気に付き従う人も。
でも実行する人は少ない。 イケてるアイデアを思いついたら、不恰好でもいいから自分でやろうという人は。それを支えようとする人も。
結果として、とりあえずそれほどイケてないアイデアでも、実行したやつがベストセラーになったり、上場会社作ったりするらしい。
むしろ今の日本は、実行する人にはチャンスかも知れないねー。叩かれまくるだろうけど。
いくら詭弁で作家を叩いてもあんたらの見たい電子何とかは出ないよ。無いから自炊するんだと開き直るなら自分たちで出版社に掛け合え。そこまで作家に求めてどうするよ
紙の本に愛着がある人も多いのではないかな。頭のいい人には「ただの物理的な紙の束」に見えてもね
この人は活版印刷技術を貶めたいだけなのか?常に電源を気にする必要がある電子書籍にそれほどadvantageがあるとも思えないんだけど
コンテンツ業界の立場から見るとiTunesってコンテンツをデジタル化したら既存の流通は壊滅し、パブリッシャーは儲けが減るという失敗例だよね。そこを変えないと既存の権利者が変わろうとしない
彼らが今最高に「ダサいことを言ってる」という点については激しく同意なんだけど、電子書籍に直結できるか…とか、村上龍がまとも…とかについては無邪気すぎる
批判するだけだと、批判しながらも「その人が何とかしてくれるのを期待している」状態になる。
責任を自分たちじゃなくて、自分が無能だと罵っている作家に委ねてることになる。つまり、その人の力だけが強くなるってことになる。
結局のところ、いくら文句いっても、自分たちで何かアクションしなけりゃ、何も始まらない。むしろ文句いえば言うだけ相手が偉くなる。
このことを忘れてる人が何を言っても、アメリカの後追いしかできないということになる。
ここで終わり。自分で言うのも何だけど、なかなかゲスな記事がかけた。人のダメな点を見つけて、ぜんぜん違う話と結びつけてねちねちといびる。いいなこれ、楽しいな。実に増田的だ。
増田というのは基本クズだ。クズは自分の意見は何も言わない。意見とは自分の責任で何か言葉を発することだけれど私は徹底的に無責任なことしか言わない。
無責任に他人を批判して、「ああ増田はやっぱり口だけのゲスだな」と蔑まれるのが増田の義務。それ以上を望むならブログを持つべき。私はそれができないからずっと増田でやってる。
しかし増田をずっとやってるから、田端さんの記事の無責任っぽさがよくわかる。田端さんの記事も「増田でやれ」と言いたい。
まぁ無責任と思われるような記事をあえて実名で書く感覚は理解出来ないけど。仕事に差し支えないのかな。実名匿名ってよく論争になるけど、無責任な批判だけなら匿名で十分だろうに。
実名で何かモノを言うなら、自分の責任で何か書くのは当然でしょう?
田端さん、古い作家さまをそこまで批判するなら、「こうしないのはバカとかダサイ」とまで実名をもって語りたいなら、ご自身で何かされたらいかがですか?
村上龍の電子書籍、正直、あんまり成功してないと思うんですが、そノ取り組みが素晴らしいと思うなら、何か推進のために活動されたらいかが?
http://anond.hatelabo.jp/20111205175021
http://blogos.com/article/22479/
http://blogos.com/article/2487/?axis=b:57
面倒くさくなって、チェックするのをやめたんだけなんだろうけれどな。
どうせ大して読者もついてないだろうから、切っちゃえばいいのに。
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20111205001/index_2.html
なんというかね。僕は,理解できないものであり続けるのってとても大事だなっていつも思うんですよ。
そして,そのためにはね。自分自身が理解しちゃダメなんですよ(笑)。だって自分で分からないものは他人が分かりようがないでしょ。
めちゃくちゃなのが良いってことでは決してないんだけどね。でも,「理論」と「感性」の違いというか,「理論」と「感性」の関係ってどういうものが良いのだろうかというのは,昔からの僕の中のテーマ
たぶん,人間が理解できるかできないかギリギリのところで,かつ微妙に説明がつかないところにこそ,ヒット作品って生まれる
簡単に理解できるものになっちゃうと,ライバルが多くなりすぎちゃうし,先に行き過ぎちゃうと,今度は理解できる人がいない。
偶然や運も含めて「才能」と呼ばないといけないんだと思いますよ。才能ってかなり運で左右される部分もあるし。
もしドラだけでハックルさんを理解したつもりになってはいけない。
もしどらは、単に「理解しがたいキャラ」を演じてるハックルさんが、地を出しただけ
我々には想像もつかない存在であるハックルさんが、理解できる部分だけを抽出して示してくれたものなのだよ。
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/11738
「謙虚」だとか「偏見を持たない」という表現を選ぶのは、「かろうじてウソでなない範囲で、道徳的に正しく尊敬できる人間を目指しているように見える」という理由からであって、必ずしも「身も蓋もなくリアルに役に立つ」からではないのです。
実際に役に立つ自己啓発ノウハウを、できるだけ妥当な評価をするとすれば、たぶん、そういう人たちを「卑怯な手段で成功した」と思いこみたい人からは邪悪に見え、「自分も成功者になりたい」と思いこみたい人からは道徳的で崇高に見えるけど、実際は、そのどちらとも簡単には言えないような、簡単な言葉では表現不可能な技術ノウハウの体系のように思えます。
ハックルさんの書いてることはそういうことなんだよ(棒
http://anond.hatelabo.jp/20111115162629
書いた人間だけれど
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111117/1321497082
捕捉されてた。はっきり言ってキモいありがとうございます。
これは「ハックル」でエゴサーチしているっぽいところが笑いどころ。
ちなみに私はずっと増田で書いているが、書いたことがハックルさんに取り上げられたのは3回ある。常に他の誰かを攻撃する時だった。なんだかねー。
いや、違うか。彼は待ってたわけだ。
fujiponさんの記事を見て、直接文句をいうのではなくて、あえて誰かがその記事に茶々入れるのを待っていた。
そして、機が来たと思って一気にそれを放出したのだ。
その他の自分に対する言及のストックを見ても、こちらの可能性のほうが高い。
彼のPC内にある「こいつだはは絶対に許さないよ」リストとか見たらすごいことになってそうだ。
そんな訳で、彼は機が整うまで待てるタイプなのかもしれない。
いや、タイミングのウマさよりも、エネルギーを貯められるということのほうが重要かもしれない。
彼のわけわからんエネルギーをわけわからん形で貯めて、他の人の考えもつかないヘンテコリンな物質を創りだすその性質は、ダークマター(未元物質)さんを彷彿とさせる。
間違いなく小説家よりはアウトサイダーアートとかに向いてると思います。
エースの系譜は、ひたすら10年間自分の指導する生徒を使いつぶしながら、自分だけは可愛いマネジャーに手を出してリア充を満喫する監督の話だけれども
あの作品に投影された作者の心境を思うに、どんだけのどす黒い感情が彼の中にあるのか。彼を表現するのに小説という枠は狭すぎるぜ。
彼自身は小説には無限の可能性があるみたいなことを書いてたけど、
乙武さんは、「自由」という言葉を驚くほど軽い調子で口にするが、問題なのは、そもそも乙武さんの「自由」に対する考え方がとても貧弱なところだ。真の自由は「自由に発言させ、自由に考え」る中からは生まれない。発言を規制し、考え方の枠組みを押しつけるところから生まれるのである。
多分彼が小説の枠の狭さとか自分の執筆能力の矮小さに気づいたら、小説をぶっ壊すくらいのことはしてくれると思う。
少なくとも日本の小説の枠の狭さに耐え切れずに「小説の読み方の教科書」みたいな本を書いちゃったくらいであるわけだしね。
そんな彼の最新作はこれ
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111130/1322621523
僕はページを開いたタブをそっと閉じた。ハックルさんの本気は人類には早すぎる。
小説は正直もういいんで、彼が次にどんな未元物質を生み出すのか今から楽しみでしょうがないです。
いつもおもうけど、この人絶対ハックルさんのこと嫌いだろw
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111114#p1
それにしても、これだけ「小説の読み方」にこだわっている人でも、自分が書き手になると、類型的なキャラクターが意外性のない行動をとるだけの小説を書いてしまうということには、愕然としてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111022#p1
いや、まちがいなく本物ですよ。しかし、世間(「はてなの人たち」)は病名がついていなければ、「本物」に対して、こんなに容赦なくバッシングをするものなのかと驚いています。
ハックル手法はそこらへんの雑魚ついったらーにはできないことをしている。
それは「それなりに知れた人が炎上させる」ということ。ブラよろ作者や東浩紀、ひろゆきもこれに類しているといってよい。
この手の人が下手糞になると勝間和代みたいなやり方になる。
orangestarのような釣りと知ってのマジレス例はこういう顔が知れてるからこその芸当。
その雑魚ついったらーの得意とすることは知名度が低いことを利点とした短期的爆釣。
何度も炎上させると「またこいつか」となるが、そいつの場合は当たりのスパンが良い感じにハマっている。はてなーとの相性はバッチリなのだろう。
過去の議論を見てれば分かるけど、自分語りエントリと他者批判エントリはだいたい分かれてるよ。
自分語りするときは情感たっぷりにいかに自分が悲しい人間かを語るんだけど、
他者批判となれば良く分からないジャーゴンを駆使して嫌味ったらしく烈しく相手を攻撃する。
それがはてな村民。
というか、同じことをくどくどと語るのはハックルさんだけだろ。
「悟りを受け取るだけの愚民」というのは、村内勢力がある程度まとまってきてからの話だな。
昔は「俺が」「俺が」だったよ。
2ちゃんの場合、スレタイは仲間集め。話の場づくりのため。はてなの場合、タイトルは批判対象。批判するけど自分は冷静ですみたいな感じを意識。
陶酔の無い自分語りなんてつまんないし。
結論が無い場合がある、という程度だな。
他者批判の場合は概ね結論がある(というかあらゆる批判は「故に、おまえは間違っている」が結論だろ)。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
http://blog.livedoor.jp/ralf_halfmoon/archives/5305705.html
相変わらずハックルさん(弱)的なキャラクターですなご苦労さまです。
彼を見ていると、ああ、ハックルさんってすごい人なんだなーって思う。
前にオレのことを終末論者って批判してた方々がいましたが。ロクに内情知らないくせに「あのメーカーは終わった」と書いたりとか、2chまとめ記事見ただけであのメーカーはトレパクをしたと信じて「うん知ってた」としたり顔でいう、つまり大した根拠もねーくせにオワタオワタっていってる方々の方がよっぽど終末論者だと思うんですが、どうなんですかね。考え無しに騒いでいても何も言われないのに、根拠を提示したら叩かれるって意味分かんねーんだけど。
僕はキにしてませんといいながら、全部文句は書いて、さらにそのことについて言い訳をする君の人間性が嫌い。本当に嫌い。
いちいち自分が傷つかないためのロジックを「他人に向けて」書かないと気が済まないその精神性が嫌い。
まだ若いはずなのに、団塊世代がよくやるロジックだよソレ。おっさん臭さがたまらなく嫌い。
というか全体的に書いてることが常識論なくせになんでそんな上から目線なのか理解出来ないので嫌い。
あとラルフってキャラ名を使ってるのが嫌い。あとなんとなくオーガスト作品好きそうなのが嫌い。
とにかく嫌い。
でも、オーガストについては一切語らないんだよな。自分が語ると作品ごと叩かれるのを理解して言及してないならその点だけは偉い。
でも嫌い。
ネットイナゴの攻撃から身を守るための対策を考えてみた。ここでのネットイナゴというのは、揚げ足の取りプロで矮小化の天才で炎上の愛好者で、でもあんまり賢くないので劣等感を抱えている人間を想定してみる。いるのかそんなやつ。
まずは、真っ白で格式が高い権威。格式が高いのが必要で真っ白が条件。脱税とかセクハラした経歴があるともうダメ。 噂でもアウト。そういうはひたすら突っ込まれる。主張がいくら論理性・妥当性の点で堅牢だとしても、人間的欠陥がある時点で却下される。そういうのあまりにもバカっぽいけど考えないためには便利な方法。というか、最強の詭弁の一つだと思う。権威に関しては、東大アレルギーの人間がちょこちょこいるので、海外の大学や東大以外の高学歴だとなおさら良い。「海外の大学」とかいってる時点で俺の知性が疑われてしまう。マカチューセッチュ……そういうのしらねーもん。自分で頭髪を整えているという茂木さんは典型的な被害者。美容室にいこうよ。まあ煙が立っているだけでも推定有罪で突っ込まれるから、むしろ有名人はネットイナゴを飼い馴らす遊びを覚えた方が楽しそう。その気持ちは百鬼久作。ケサランパサランなんていなかったんや!
次に 、主張が分かりやすくないこと、隙のある大ざっぱなフレーズを使用しないこと。普通、本質さえ押さえていれば分かりやすいことに越したことはないし、例えちょっと粗雑でも核心を突いたフレーズは良いことだと思うんだけど、ネットイナゴはそういった脆い部分を狙ってくる。「○○○だってよww」と説明がないと誤読されるような主張、三行以内でまとめられるな主張はダメ。ひたすら論拠と長文と数値とソースを読めで埋める。岩石の巨兵のように攻撃力を捨ててまで防御に徹するのだ。ゴブリンの突撃兵の出番はない。例えが懐かしいですね。
おまけに、はてなダイアリーか個人ホームページなどに引っ込む。匿名でのコメント欄は廃止する。でも、Facebookの社交的なコメントは目立つように表示する。twitterはちょっとダメ。うかつに発言するとtogetterが容赦なく編集してくる。晒される。石を投げられる。しかも、あそこはみんなと一緒ならデマでも踊れる愉快な人間が多い。赤信号は渡れないくせに! しかも、中にはフォロワー数を戦闘力として判断する過激な戦闘民がいたりするし良いことない。はてブは俺にとってはトラウマなので論外。由来、ネットでの論争は観客の「なんとなく」の印象で決まってしまうから、その印象を(俺にとっては)頭が良い人ばかりのはてな民に任せるのが良いだろう。大型掲示板の原住民や話題に飢えているついったらーよりかは幾分かは公平な審判を下してもらえると思う。ピエルルイジ・コッリーナさんほどのジャッジは期待できないとしても。
それと、あんま露出しない。露出するなら身だしなみに気を付ける。人間像は浮びあがらせてはいけない。ハゲてもいけない。仮想敵にすらなり得ないようにする。facebookは活用してもfacebookに登録するな。あんなのリア充の巣窟だ。全く批判されないような美男美女とかガッキーとか佐々木望とか向井理以外にはありえない。俺はというと、伊東遥が好きなのですがね。お世話になっています。
しかし、この防御策は大手まとめブログに扇情的にまとめられたら意味ない。そもそも扇情的にまとめられないことはあんまりない。だから、敬愛する岩崎夏海さんはもう僕たちだけのハックル先生ではなくなった。まとめブログのサーチライトに照らされてしまうと、ネットイナゴが呼吸ができないほどに周囲を覆い尽して、可愛い顔したハムスターが美しくない溝鼠を総動員させてくるから、そのときはパソコンをそっと閉じてコーヒーでも淹れて飲むことにしよう。窓を擦る夕日はいつでも綺麗でその美しさを奪うような虫はそこにはいない。