はてなキーワード: つけまいとは
先週、数年前はあったはずの預金がほぼ底をついていた。
額にして337円。衝撃過ぎて一度で金額を暗記していた。
給料日を翌週に控えた2011年の9月21日、関東には台風が来ていたが私の心にはそれを凌駕する嵐が迫っていた。
預金337円。正確には別にある貯金用の口座に十数万円が残るが手はつけまいと、ただそのためだけに作った口座なのでそこにある分は預金とはみなしていない。
会社に入社して毎月お金を家に入れていた。給料日。忘れる事もあったが毎週コンビニでジャンプを買う。思い出してすぐにATMで引き出して数日以内には入れていた。
3万円。手取り13万の私が自由に使えるのはここから携帯電話の料金を除いた10万円弱。
高校のころにやっていたバイトの月収およそ二倍。大きな買い物もせず順調に、そしていつの間にか、貯蓄はその額を増やしていた。
しかし会社に入って一年、情けないことにコミュ障をこじらせてお局様に相当嫌われ、しかし幸運が重なり数ヶ月後の異動が決まった。
2009年6月5日、金曜日。吐き出す術を知らなかった私が誰にも話すことなく頼ったのは心療内科だった。
軽度の鬱と診断され(もしかしたらそんな病気など無かったのかもしれないが)、異動が決まり少しは環境がマシになること、趣味が充実していること、生きがいを持っていること。そんな諸々が加味されて通院は2009年の9月26日、ニヶ月ほどで終了した。
その間に家族に通院がバレ、通院の最後の方には薬の副作用で筋固縮になり仕事に支障が出かけた。しかし新しい環境での仕事はそれなりに順調だったし、ネットで見ていたような断薬症状も無かった。
昔よりはコミュ充に近づいたと思うし、失敗は回収できるんだと思えるようになった。
そこまで生きる間に私が家に入れるお金は5万円に増額した。家にお金が無いのは知っていたから。
臨時で貸した時が何度かあった。その時は、給料日に5万円を入れずに相殺して返済とする。そうやって家計を保っていた。
2009年の9月、その頃には大きな額を貸すようになっており、もう毎月のお金は入れずに貸出金から相殺し、そこにまた貸していくそんなやりとりが続いていた。
しかし貸し出す金額は徐々に増え、頻度が増す。数ヶ月に一回だった貸し出しはほぼ毎月になり、7桁を記録しようとしていた私の預金が7桁を記録したのは、いつだったかの給料日後の数日だけだった。
7桁が6桁になった事を少し悔しく思ったが困りはしなかった。マンガが買えて服が買える。何も家を買うわけでも車を買おうとしているわけでも、なかったから。
家族を助けるために。その思いで貸し続けた。
そして2011年9月21日。あれから、通院が終わってから2年。7桁弱あった私の預金は3桁になっていた。
最初はただの使いすぎだと思っていた。2年の間にクレジットカードの使い方を覚えネット通販を覚え、ちょっと良い美容室に行くようになりヘアケアスキンケアだってほんの少し値の上がったものに変えてみたりもした。
友達も増えた。だから都心に遊びに行くことだって増えた。お酒を飲む楽しさを知った。
それでもまだ慎ましい範囲だと思っていたのだが。
収入は増えても控除で減っていく。手取りはほとんど変わっていない。
それでも、何かを控えればまた貯まると、少しだけ考えた。
母から貸出金の履歴を見せてもらうまでの1日だけは。
管理はちゃんとすると言っていた母に貸出金と相殺金の管理を任せていた。小さな手帳に書かれたのは異常な頻度と金額の貸出金の履歴。
近い月にはボーナスの数日後にボーナス額のおよそ半分以上の額を貸していた。
数ヶ月に渡って月手取りの半分以上もしくは同等の額を渡していた。
そこに自分の使った分の引き落としやら何やらが加味されて、これで預金が減らないわけがない。小学生だってわかることだ。
人生ではじめて親に言葉に出来ない苛立ちを覚えた。同時に、仕事は半日で強制帰還されたので台風にははじめて感謝した。
言葉に出来ず感情をうまくコントロールできず、数日間家族と対面するのは食事だけだった。
思い返せば高校時代。進路をどうするか決めていた私を呼び出して
「将来就きたい職業があって、そのために進学するのなら何とかして大学へ行かせられる。
けど、なんとなく進学するのなら、それはできない。」
そう言われた。至極尤もすぎて言葉も出なかった。大学は勉強するために行く場所だ。
専門的な知識を仕入れてそれを将来に活かすのが大学。そう認識した言葉だった。
将来の夢も希望も何もかもを諦めていた私は、その言葉を受けて就職した。氷河期と氷河期の間、ほんの少しだけ回復の兆しが見られた2007年秋。
高校から近い、学校の中での応募枠さえ取れれば内定が取れると言われていた企業へ、普通に、就職が決まった。
一刻はひどい学歴コンプレックスに陥った。しかしそれだって両親にではなく、夢も希望も努力を捨て、しかしあの日からやりたい職業すら見つからずに改めて進学に踏み切れない自分を責める感情でしかなかった。
今日、一週間考え続けた事を母に問うた。本当に我が家にはお金が無いらしい。
そして父の収入は年々減ってきているらしい。
私は辛い心を抑えながらまるで日常の話をするが如く、もう自由にお金を貸せない事を告げた。
考える。何がいけなかったのか。父や母はこの土地に来てから仕事が減ったと言う。ここは母の実家、祖父の土地だ。
建て替えるときに一緒に住みたいかと問われた幼い私が首を縦に振った、そうやってやってきた土地だ。
身につかない習い事をしたいと言った幼い私がいた。勉強が嫌いだったので教材だって使わなかった。
中学の時いわゆる"弄り"と"いじめ"の間に晒されて学校に行きたくないとわがままを言った私がいた。
それでも学校には行かされたが、精神力だけは心がボロボロになったって耐えて自傷しないほどには鍛えられたので、一応感謝している。
引き替えに、誰も聞かないのだと、誰にもうまく苦痛を吐き出すことが出来なくなってしまったのだが。
そう考えると私がいけなかったのだろうか。
もしもいつかの過去に行けるならと聞かれれば、私はあの日に還り何が何でも幼い私に首を横に振らせると答えるだろう。
私がいけなかったのだろうか。ここ数年、いつも私は自分を責め続けている。
平凡で、家族に恵まれて、高校の成績は中の中。テストは概ね平均点。
それなりにおしゃれをして、友だちがいて、普通に恋をして普通に失恋する、密かにそろそろ人恋しいと思うだけのもてない21歳の高卒オタク女だ。
十分に幸せそうなのに、それを客観的に書いている私はこんなにも満たされない。誰でもいいから縋りたい。
思いたち、数日、SNSから姿を消してみたが、取り立てて誰かが「私がいない」と発言することは、ほとんどなかった。連絡もこなかった。
何を期待していたのだろうか。誰にも認識されず必要とされず、自分を責めながら恨みつらみばかり言うだけになった面倒な女を誰が見ていると言うのだろうか。私のいないSNSは見ていて愉快だった。楽しそうだった。
自分は自分を殺さないと思う代わりに、家族が思いつめたら、と、一週間で何度も思う。それでもそんな事は誰にも言えなかった。
病院に行こうとも思ったが、また病院には行きたくない。辛いんじゃなくて、それが甘えではないかと思う自分がいるからだ。
被害妄想だけが蓄積していく。発散するような楽しみはもう寝ることくらいしかない。
それでも寝て起きたら誰もいないと思うと、眠れない日が、たまにある。
今日を含めて16日で、私はもうひとつ年をとる。その日を転機に、私は何かを考えなければならないらしい。
これが誰か知り合いに特定されてもいい。私の家族はネットに疎い。それだけでいい。
いつかの日のために取っておいた15万円しかない貯金や給料日を迎えてわずかに潤った預金は、多分、来月にでも使われることになるのだろう。
書いた色々なことがわがままだと言われても、なんとなくこうやって書き残せたから今日はもう満足だ。
なんか先日すごい動画を見た。xvideoというところなので、いわゆるエロだ。
人類はもしかして一度海にはいった後、再び陸にあがったのではないだろうか?
何人だかわからない覆面をした男性と日本人女性がまぐわっていた。
この覆面男。やたらとアレがでかいのだ。
ものすごくでかいという表現は陳腐だが、2つの太もものあいだから女性の腕がこんにちはしていた。
50cmをかるく超えている。男が寝そべっているのに騎乗位の女性が中腰にもなれないのだ。
性器の形が違いすぎて同じ人類とは思えない。
そしてなにより凄いのはフィニッシュだ。
イギリスに10ccというバンドがあるが、この10ccはいわゆる成人男性の一回の量を意味している。
黄色人種は10ccもないのではないかと思うが、件の動画の人物は200ccぐらい放出していた。
やたら玉がでかいので嫌な予感はしていた。
放出の瞬間はドピュなどという擬音ではなくドバシャーーーーだ。
ティッシュなら一箱ダメになるし、トイレットペーパーなら拭きとるのに1ロールが必要となるに違いない。
なるほど50cm以上の尿道を駆け上がるのに10ccぐらいの量では先っぽまで辿りつけまい。
同じような放精をかつて鯨でみたことがある。
鯨はその豊富な精液の量で他のオスのものを洗い流すのだという。
仮にそのような民族を海人族とする。
中東の人のアレはものすごくでかくて日本人と形が違いすぎてあれがなかなか普通にはできないといううわさ話しがある。うわさ話だ。
アフリカで生まれた人類は中東あたりで一度海や磯部で生活する種に分科したのではないだろうか?
例えば日本にも、父系をたどると海に沈んでしまった南海洋あたりをルーツとする人たちがいる。
そのお人良しさを利用されつくし精神をすり減らした後ポイ捨てされる
人を都合良く動かしたい時のマジックワードの一つに過ぎない
自尊心を傷つけまいとしてかける言葉→「相手ではなく自分が変わるしかない」
本音→「相手を従わせるか対等に話し合えるだけの力が無いなら迎合するか従う他選択肢が無いだろ 力が無いのに面倒事起こさないでね」
追記
相手のせいにしすぎて回りの形勢が見えなくなるのも考え物ですが
原因を内面に求めさせて現実から目を逸らせようというのはマインドコントロールの一種
例1:「○○だからいじめられても仕方が無い」
例2:「あなたが・・・だから」
ブログ界隈によくいるああいうの真に受けて周囲の状況から目を逸らして自分の内面を責めてる人達って可哀想
金と心を搾り取られてるなあ
ああいうのを見ると洗脳を解いてあげたくなる
そこでこの記事を書いた訳です
前エントリ
http://anond.hatelabo.jp/20080918115223
わっふるさせてしまって申し訳ないんだけれど、結末はつまらないよー。
大量にブクマがつくような増田や2chコピペサイトのようなドラマティックな展開とかないです。
勇気を出して…、初めての告白…!
ハガキの裏にルーズリーフで書いた手紙貼り付けたり、本を渡したりするのって全然緊張しなかった。一度に4、5冊くらい貸したから、気づかれなくてもしゃーないかなーなんて思って。
だけど、いざ「返信」が同じ位置に貼り付けて返ってくると、ドキドキするね。1時間くらい明けられなくて「うきゃーっ」ってなってた。今でも、好きな人からのメールってなかなか開けないしw
結果は、ノーだった。基本ですよね「今は恋愛に興味がない」っていう、相手を傷つけまいとする言い繕い方は。
想いを告げたのが秋で、そのままお互い何もなかったように過ごして、冬がやってきて、年が明けて、受験シーズンとなるわけですよ。これくらいの頃になったら、何かもう俺も現実の異性っていう不確定要素を排する意味でも、二次元と声優で心を癒してた。ラジオ番組に投稿したりして。心に秘めた想いはあったけれど、その時は受験に夢中だった。
そして、俺は一足先に志望校への合格を決めた。何か、世界が違って見えた。広く、明るく、鮮やかに感じられた。空も、「そんなレベルの高いところ、合格できたら私立でも授業料高くても通わせてやんよ」と言っていた親の顔も青ざめていた。
M美も国立に合格したそうだ。高校は違うんだけれど、なんだかこれからの高校生活がとても待ち遠しかった。「高校への数学」は、妹にプレゼントした。案の定、まったく理解ができなかったらしく、まだ実家の机に眠ってるんじゃないかな。
その後M美とは高校も違ったし、中学の頃も学校以外ではほとんど接することがなかった俺達(この表現は何か違うと思うが)は、その後の3年間一切関わることがなかった。
成人式の日に、一度だけ「見かけた」。本当に見かけただけ。振袖マジックだかなんだか知らないけれど、やけに綺麗に見えた。
その後も何の関わり合いなし。
なんだかこのままってのも寂しい話だし、なんか近々会えるチャンスを作ってみようかなーなんて思っているんだけどね。
M美の妹と俺の妹って仲が良くて、妹が結婚するんでそれにかこつけて「姉貴と連絡取りたいんだけど」とか言えないかな。ダメかなー。
ほら、ドラマティックな展開なんてない。これが一般ピープルの恋愛ですよ。お前らはドラマティックな漫画やアニメや小説やドラマや体験談に慣れすぎているんですよ。
まあ、このエントリをM美が読めば誰のことか特定できると思うから、読んでたら反応して!そして増田からドラマティックな話を生み出そうぜ!っていう展開はどうですかね。
あ、妄想がすぎましたか、失礼しました。
なにがわからないのか増田の疑問がワカラナイ。
別に増田を傷つけまいと配慮して「本音と違う」理由で断ったわけではなく、きっついこと言ってストーカー化されたり逆ギレされたりして自分が傷つけられるのがイヤだから遠まわしに断ってるだけですから、多分。
増田のことを思って優しく断ってるわけではないので、増田が死のうが生きようが生殺しで苦しもうが、彼女に害を与えなければどうでもいい、ってことなので、ひとおもいにバッサリ斬り、なんてことはしてくれない。
暇つぶし相手とかお財布がわりとかブルペンキャッチャーなどとして役立つのなら、増田をスッパリ切る理由も特にないし。
女の子ってホントよくわからない。
元増田だけど、一般論として書いてるのに、最悪の例である吉兆を出されても困るw
あそこぁどーしょうもないw
潰れて当然w プライドがないしな。
俺だってたとえハシつけてないにしろ、誰かに出されたメシを食う気はしない。
ただ、毒入り餃子や産地偽装とかと違って、使いまわしに関しては、俺たちの日常生活(食べ残しをしないってこと)から、
食生活の不安のひとつは解消できんじゃね?って言いたかったんだよ。
ちなみに、
彼は客が残したものを食うそうだ。
なぜかって?
客が残した=料理に不備があったんじゃないか?と考えるからだそうだ。
実際問題、料理って一発勝負だから、究極的に言えば、食わなきゃ味の保証はできない。
手をつけまいが、食べ残しだろうが、自分で食って確かめる。
料理の質が悪くて残したのなら、ちゃんとシェフに注意しなければいけないわけで、食べ残しを使いまわす方がもったいない。
そういうところが、プロだと思う。
はてブをボーっと眺めていると「これはすごい」タグを付けている自分がとても頭が悪そうに見えた。
見えるだけではなく、本当に「自分は実はバカなのではないか?」
と思ってしまった。
自分でも不思議だったが、「これはすごい」タグをつけようがつけまいが、それは自身の頭の良し悪しには何の関わりもない事はよく分かっているつもりだ。
「めがっさにょろにょろ」とか「カリカリモフモフ」とか「マスゴミ」とかとか、もっと頭の悪そうなタグだってたくさんある。
にも関わらず、こんなたかだが「これはすごい」タグ如きで何をいちいち悩んでるんだろう。
外部から見える自分を取り繕った所で自分の内部は何も変わらないのに。取り繕って諂って見栄を張ってみたところでいつか本質には気づかれるのに。
いちいち増田書くたびに、はてブでコメントつけるたびに、Mixiで日記書くたびに、レスの有無で一喜一憂する自分なんて捨ててしまいたい。
こんなくだらない事で神経すり潰してたら恋愛なんてできないぞ、ほんとに。