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2024-03-21

えきねっとでは大阪-新潟のきっぷが買えない

北陸新幹線敦賀まで開業したので、西へ行こうと思いえきねっとできっぷを取ってみるの巻。

近所の新幹線からみどりの窓口が消え、えきねっとが頼みの綱。

早速、えきねっとアクセスしたで候。

検索条件に最寄り駅と大阪入力さらに経由駅に富山指定した。

7時台に出る特急しらゆきを皮切りに大阪までのきっぷを所望した。検索すると「ご指定の経路ではお申込みできません(07)」との表示。3/16のダイヤ改正で乗り継ぎ割引もなくなったので、乗車券特急券を別に買えないかと思い、画面をくまなく探すと90年代個人サイトのように追加の検索条件ボタンが隠されていたので、「乗車券のみ」にチェックを入れ、検索。結局エラーで買えなかった。ゆるキャラが画面の右下でふわふわしていたので、長めのエラーコードを入れてみたところ、毒にも薬にもならないFAQが表示された。エラーコードチャットボット認識するのかと変なところに力が入っているなと関心。AIの代わりに必死Excelのワークシートに質問集を入力した人がいたんだなと一瞬裏側が見えた気がした。一番近いFAQ選択すると「問題解決されましたか」と人口無能にも劣るチャットボットがのたまうので、解決されないを選んだところ有人チャットへのご招待ボタンが表示された。勇んでクリックしてみると混んでいてつながらないとか表示された。10回くらいエラーコード入力してAIチャットボット学習に貢献したみたが、埒が明かない。チャットボットに「みどりの窓口国鉄のおじちゃん手書きで発券できたきっぷをえきねっとは何で発券できないの?」と打ち込んでみたら、「禁止ワード!」とか表示されて、急にチャット人間に切り替わり、「ご用件を伺います」と表示された。人間に切り替わったことよりもえきねっとチャットボットの機嫌を損ねた禁止ワードが何なのか気になってしかたない。そのことは水に流して、「在来線特急北陸新幹線を使った新潟-大阪富山経由の乗車券が買えないのですが」と質問してみた。「少々お待ちください」と言ったきり5分が経過、「お待たせして申し訳ございません。」と返事があったので、「よろしく頼みます」と書き込んでさらに待ってみた。チャット入力欄がもぞもぞしているので、回答を考えてくれているのかと思ってさら10分待ってみた。「乗り換え駅をすべて教えてください」と言われたので、「新潟-上越妙高-富山-敦賀-大阪」と即座に返した。加えて「この時間はくたか敦賀までいかないので、富山つるぎに乗り換えたいです!」と打ち込んだ。上越妙高から西行きは新幹線効果台無しにする30分待ちとか1時間待ちが多発するクソダイヤなので、富山ではますのすしを買って観光を楽しむつもりなのだ敦賀ではヨーロッパ軒でかつ丼定食でも食べたいなどと目論んでいる。このような途中下車の旅を目論むと新幹線特急券が分割されてとても高額になってしまう罠が潜んでいる。さら10分経過したところで、「お客様大変申し訳ございません。乗り換え数が4を越えているのと3セク区間を経由するので、そのきっぷはえきねっとでは発券できません。」とドラマホテル」の赤川一平なみの謝罪を受けた。「最後にほかにお聞きしたいことはありませんか。」とチャット氏は定型の終わりの挨拶をいれてきた。「JRおでかけネットで申し込むと糸魚川駅まで取りに行かないといけないけど、都内みどりの窓口がない駅のように取りに行くとき運賃サービスはありませんか」とダメもとでゴネてみた。「おでかけネット西日本サービスなのでこちらではご質問いただけません」とやんわりオコトワリされたのだった。最後に「失礼いたしました。JR西日本JR東日本が買収して、西日本のきっぷも東日本の駅で受け取れる未来応援しています!」と返してチャット氏との40分にわたる戦いに終止符が打たれた。

ということで、結局のところ成城石井が初上陸して駐車場が激込みになった県都の駅のみどりの窓口を目指さないと大阪行きのきっぷは買えないのであった。

そんじゃーね

2022-08-21

もしも昭和アイドル田村ゆかり全国ツアーがあったら(という鉄

プロローグ

もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である昭和アイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前デビューしたと記憶している。

ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。

https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング

https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/

この年は音楽番組ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスジオ」といった番組ゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズ解散し、レコード大賞ピンクレディーが獲得し、山口百恵活躍していた。

いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかり全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの

そんなわけで「もしも昭和トップアイドル田村ゆかり全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表にらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。

今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。

なお毎日運転ではない季節列車臨時列車は極力排した。仕方ないね

1

初日大宮公演だった。

当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和トップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。

https://www.livefans.jp/venues/1204

この頃は上野東京ライン湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線103系東北本線高崎線115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。

2

鉄道旅行的に見せ場になるのが金沢松本公演。

北陸新幹線のないこの時代東京から金沢に向かうメインルート信越本線だった。

上野発916の特急白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である

翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行白馬」、中ほど4両は秋田まりで前寄り5両は青森までロングランする急行しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川青森秋田行き「しらゆきから切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するからえびめしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。

ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。

さら松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロス115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。

3

新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェットトライスター東亜国内航空DC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である

ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。

しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路デッキ新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。

4

新潟仙台は帰り道がポイントになる。

東北上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しか上越線には「とき」東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。

新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行鳥海」で642上野着でもいい。

仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森常磐線経由の急行十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急ゆうづる」2号・4号も利用できる。

そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価手段鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バス運行されていたが、都内新潟高速道路でつながったのは1985年仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。

なおこの当時、上野仙台特急ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便全日空により1日4往復運航されていた。

5

ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。

それでは札幌公演に陸路海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである

2140上野特急ゆうづる5号]705青森or2221上野特急はくつる]711青森

青函連絡船5便 730青森→1120函館

1140函館特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館特急おおとり網走行き]1558札幌

急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。

やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通手段であった。

6

そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、

2350 急行「あづま4号」437

025 急行出羽」502

043 急行「新星」536(寝台あり)

056 急行「いわて4号」542

155 急行津軽2号」605着(寝台あり)

このほかに夏休みシーズンだけに季節列車臨時列車運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。

座席車特急はいわゆる「直角椅子であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バス鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。

7

国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪バス国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。

鉄道ならば京都2237の特急出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急瀬戸」や同005の特急あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるからエクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である

なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるからフェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。

エピローグ

筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験ノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこ文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味差し引いてもためらいが多めに残る。

とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベル提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。

本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月横浜で公演があるのでよければバス飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。

それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます

https://l-tike.com/concert/mevent/?mid=282963

2017-08-03

はくたかは滅びぬ!何度でも蘇るさ

今月後半、晩夏信州クルマ筑摩山地越え、具体的には軽井沢下諏訪中山道伝いに和田峠(美ヶ原霧ヶ峰の間の鞍部を通る感じ)越えを計画している。

ちなレンタカーで、行きの中山道武州路・上州路は新幹線、帰りの甲州街道あずさを使う予定。

お土産は茂田井明鏡止水と御園竹はマストとして、他にも見所や名産品をぼちぼち調べるつもり。


で、今回のお題は中山道じゃなくて行きの新幹線の話。

列車名ははくたかなんだけど、この列車は実に息が長い。

国鉄時代から何度もルートを変えつつ残ったという意味ではあけぼのといい勝負だったが、あけぼの無き今、そういう「しぶとい」列車は希少かも。


実を言うと北陸新幹線金沢開業後の金沢行列車名に、横軽廃止とともに消えた白山が復活するかと期待してたんだよね。

でもふたを開けてみたらはくたか続投!最初白山名前が半永久的に復活しないことが確定して悲しんだ。

確かに白山東京から北陸方面を担うメインの特急だった。しかし横軽にリソースを取られまくって、微妙近代化に取り残されていた路線特急ということもあってか、長野方面への最速達手段という地位を築いたあさまに比べると、イマイチぱっとしなかった。横軽ファンとしてはちょっと悲しいけど。

からあさま新幹線になっても名称続投になった理屈で、白山金沢新幹線に返り咲けば結構出世?という気持ちもあった。


しか時間がたつにつれ、次第にはくたかのしぶとさを思うようになった。

そもそも東京-北陸ルートを担ってきた歴史白山よりも長いしね。

そういう源流を辿り、はくたかの名を残すのは妥当かなと。

最初信越本線ルートで始まったはくたか上越線引っ越し(?)、ほくほく線経由を経て再び信越ルートに還ってきたわけだし。


…と、鉄オタのキモい思い入れの話はここまでにして、今回のメインである中山道の下調べに戻るとするか。

2010-09-11

中古鉄道模型店で、KATO683系はくたかを買ったら先頭車がなぜか681系だったという人がいたら、それは俺のせいですごめんなさい

 
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