名前を隠して楽しく日記。
フェミニストの「ミラーリング」的なものがちゃんと出来てるのを見た事ない。
ってはてなーは良くいうけど
まず”ばかり”ってどっから出て来たのか。
『たわわ』みたいなアニメやマンガ”ばかり”になったらそりゃ嫌だ。
自分は『たわわ』みたいな漫画に興味ないからこの世に読める漫画がなくなっちゃうってことだけど、
『たわわ』の愛読者だってこの世の漫画が全部『たわわ』的な物になるのは嫌だろう。
なんで”ばかり”を加えちゃったのか。
そういうしょーもないズルやって気付かれないと思ってるとこがもうレベルが低すぎるし甘えだと思う。
あ、こいつすげーぬるいところでしか口喧嘩とかしたことないんだなとわかってしまう。
『たわわ』における巨乳ってのは女の身体の魅力的に見られる要素としてあるわけでしょ?
男の身体の魅力的に見られる要素じゃないと成り立たないじゃん。
女の性欲に沿って例えば「長身」とか「均整の取れた痩せマッチョボディ」とかになるでしょ?
要するにやたらプロポーションがいい美男が性的な目を向けられまくってて
でも当人はそれが恥ずかしくて「はうううう」みたいな赤面しまくってる
みたいな漫画になるわけでしょう。
というかそうやって魅力的な男を嬲るようなコンテンツなんてとっくに山ほどあるのでは?
女向けでもホモ向けでも。
その手のコンテンツに疎い自分でも例えば「抱かれたい男1位に脅されています。」とかいう脅迫によって性的関係を強要される男の戸惑いやら恥じらいやら受容やらが性的興味によって描写されていくアニメが堂々と地上波で放送されてたことは思い出せるが
それらについて男があなたみたいに被害者ヅラしてオギャーオギャー泣いただろうか?
好きにやんなさいって話でしょ。
で、そういう男の身体の魅力的に見られる要素へ置換されるべき要素がなんで「チビ」と「ハゲ」になった?
あなたそれ単にあなたがキーーーッってなりながら悪口としていってるだけでしょ。
頑張って知的能力見せつけなきゃいけない場面で発作を見せつけてどうするの。
ある程度抽象的な思考力がないと不可能な作業じゃないだろうか。
だから知能が低いとか、発達障害があるとか、ものを良く知らないとかの人は出来ないわけで、
だいたい「適切な要素を抽出して別の立場に置換する」という作業は
頭悪いタイプの女が最も不得意とする感じの頭の使い方に見えるんだけど
得意なことで戦えばいいのに。
得意なことがあるのか知らんけども。
そもそもこういう頭の悪い連中、
政治的・社会的な声をあげるに際して自分の能力をどう見積もってるのだろうか?
「社会的議論について声を挙げまーす!提言しまーす!」とかよりずっと手前のハードルとして
身近な範囲の人間に頭脳で優越したような経験ってあるのだろうか?
周囲の成人から知恵や知能を頼りにされたことはどれぐらいあるのだろうか?
そういう経験すらないならたぶん、その人は大声を出す必要はないと思う。
この人は何かについての議論で人に一目置かせた経験とかあるのだろうか?到底あるように見えない。
せいぜいギャオギャオ泣き叫んで相手を閉口・退散させたような経験があるぐらいなんじゃないか。
むしろ日常において、知的能力の面で周りからちょっとバカにされる方の人間なのでは?
書いた文を読む限りは人並み以下の愚鈍な知能の持ち主に見える。利発な中学生と口喧嘩したら負けるでしょ。
そういう能力の人が政治思想とか社会思想とかをやる意味ってあるのだろうかということが気になる。
もちろん一票はあるし一票を投じるのは大事。
処理能力を持たないのに「ミラーリング」「性的搾取」のようなタームだけ振り回して思考してる振りをする必要があるのか。
当人も泣いたり不機嫌になったりして不幸だし、粗末なアウトプットを放流される社会や他者の側も迷惑だし。
それをする権利は当然あるけどそれをする意義が見当たらない。
ドラゴボみたいなアニメで戦闘中の心の読み合いで1話終わるみたいなのよくあったけど
漫画でも小説でもいいけどそういう心理描写とか場面転換とかで実際の時間の経過がすごい短いのに1冊分描き切っちゃうような作品って何があるかな?
ああ、日本海海戦の話か...
無精髭のちょいワルイケオジの風体でムービーではジッポを弄ってたり戦闘では麦芽風飲料缶をプシュっとやってたりするんだけど、タバコ吸ったり持ったりしてる描写はない
グローバル展開してるだけあって国によっては規制かかりそうな要素は排除されてるんだけど、いかにも吸ってそうという印象をビシビシ伝えてくる
男は死ね日本死ねと申し上げてるリベラルやフェミニスト的には万々歳だろ反対する理由なくね
保守派は日本の現役と未来の存続にかけたいだろうし、弱者男性は靖国の扱いを見れば平和な時代こそリベラルやフェミニストが幅利かせて顧みられないのは分かるだろ
母は父が病気になったとき、できる限りのありとあらあゆる手段で必死に動いた
全国いくつもの病院で診てもらい最終的に大きな病院で父は息を引き取った
母は医者についての考え方という面でとても勉強にはなったと言っていた
医療ミスがあったとかではない、打てる手は全て打ったのだと思う
しかし母は未だに選択は間違っていなかったのかと考えてしまうらしい
医者の言う事は聞いておけ、それは当たり前に言われてることだが我が家で重い言葉となった
今の時代、素人でもネットで検索していっちょまえに分かったような事を軽く口にしてしまう
病気について調べて病院に行く前から過剰な不安を持ったり、逆に安心してしまったりする人が増えた事は問題視されてたりもする
自分も勝手に自分で決めないよう、医者の言うことは聞くようにしている
だからこそ思うが、それだけでいいんだろうか?
そんなのいいんだろうか?
その5年の更新タイミングで、試験とか適正判断とか、そういうのしたほうがいいんじゃないのか?